第八章 愛

 生ぬるい愛は、真の愛ではありません。魂を成長させる厳しい愛こそ真の愛です。本当にその人を愛するなら、峻厳な愛を持って応えてあげてください。峻厳な愛ほど人を成長させることはないのですから・・・。

 また愛はバランスですから、偏った生き方をしてはなりません。ほどほどの生き方をしてください。ほどほどの生き方とは、物質と生命(エネルギー)のバランスの取れた生き方のことです。この章では、この二点を中心に学びましょう。

 

言葉136・・愛の表現です。

 人間を真中から二つに切ってみてください。左右対称にきれいに分れるでしょう。花を真中から二つに切ってみてください。左右対称にきれいに分れるでしょう。蜂の巣も蜘蛛の巣も、実に見事なバランスを見せています。自然界はバランスの意識の下に生かされていますので、みな美しいバランスの取れた姿を見せているのです。こういうと、山や岩などは左右対称になっていないといわれるかも知れませんが、それは進化の最後の姿を見ていないからです。岩の最終的な姿は丸い砂です。山の最終的姿も丸です。丸は究極のバランスの姿なのです。その証に、星はみな丸い形をしているでしょう。人間界の建造物も、本当なら左右対称に造られるべきですが、最近の建築物の中には不バランスなものが多く見られます。土地が狭いせいか芸術性を考慮してか分かりませんが、これはあまり感心したことではありません。昔の建物は、みな左右対称に造られていたのです。中でもピラミットや五重塔や城や神殿などは、その代表的建物といっていいでしょう。

 前述したように最もバランスの取れた形は丸ですが、それは宇宙が円運動によって営まれていることを見ても分かるでしょう。例えばミクロ宇宙における素粒子は、円と楕円の回転運動によって物を生み出し、維持し、消滅しています。マクロ宇宙における星々も、回転運動によって生まれ、維持し、消滅しています。また、星雲も、恒星も、衛星も、みな円や楕円を描きながら秩序ある軌道を保っています。宇宙の何処を探しても、何一つ不バランスなものが見当たらないのです。

 しかし、人間社会はどうでしょう?。バランスが取れているでしょうか?。もしバランスが取れているなら、戦争はないはずです。飢餓はないはずです。環境破壊はないはずです。病気はないはずです。あるということは、バランスが取れていないからです。神は宇宙の営みを通して、「バランスを崩せば肉体を破壊しますよ! 社会を破壊しますよ! 地球を破壊しますよ! 宇宙を破壊しますよ! 」ということを人間に教えてくれているのです。

 愛とは、バランスのことなのです。偏りのないことなのです。中心です。真ん中です。それは、地球の中心に引っ張られ聳え立っている木々を見ても解っていただけると思います。木々だけではありません。どんな物も、みな地球の中心に引っ張られているのです。私が「なぜ人間は直立で歩くのか疑問に思いなさい!」というのは、地球の中心に引っぱられていることを意識すれば、愛の計らいに気づくことができるからです。すなわち、「偏れば倒れますよ!  偏れば苦しみが生まれますよ! 偏れば争いが生まれますよ! 」「偏れば破壊されますよ! 」という愛の計らいに気づくことができるからです。

 愛はバランスです。中心です。そこには神のみがいるのです。愛の計らいを知れば、そのことを知るのです。

 

 

言葉137・・愛の人とは?

 一般的にいわれている愛は、男女の結びつきの情愛のことをいっておりますが、それは真の愛とはいいません。真の愛とは、進化を促す愛のことです。その愛は、甘いお菓子の愛でなく、辛いワサビの愛でなくてはなりません。甘やかしの愛では、進化は促されないからです。例えば、今あなたに二つの道が与えられているとしましょう。一つは険しい道、もう一つはなだらかな道です。もしあなたが、なだらかな道を選ぶならば、それは愛の人とはいいません。なぜなら、なだらかな道では生命核(魂)を増やすことができないからです。本当に自分を愛するなら、魂の成長を一番に考え、厳しい道を選ぶべきです。

 人に愛を与える場合も同じです。本当にその人を愛するなら、例え嫌われても厳しい愛を与えるべきです。動機が純粋であれば、その時は分かってもらえなくても、必ず分かってもらえる時がきます。ただし、幼い魂に耐え切れない愛を与えてはなりません。耐え切れない愛は、虐めの愛です。"人を見て法を説け!" といわれますが、愛を与える場合も同じなのです。どうか、魂の高さに相応した愛を与えてください。

 厳しい愛は、必ず人を成長させてくれます。この宇宙の仕組みは、そのようにできているのです。ですから、自分にも、人にも、厳しい愛を与えることです。その人は、間違いなく愛の人と呼ばれるでしょう。

 

 

言葉138・・愛の法則はプラス・マイナス・ゼロの法則である

 この宇宙には、常に均衡を保とうとする意識が働いております。この意識を私は、愛の法則とも呼び、エネルギー均衡の法則とも呼んでおります。この法則は、波風を起せば同じ波風によって諌められるという性質を持っております。つまり、やれば必ずやりかえされ、奪えば必ず奪い返される、という性質を持っているのです。この宇宙に一方通行がないのは、この愛の法則がどこまでも行き届いているからです。良き行為には良きものが帰り、悪しき行為には悪しきものが帰るのは、その法則ゆえです。神はこのことを、リスクという形で人間に教えているのです。最近ある国が、領有権を広げようと南シナ海に進出しているようですが、例えそこで利益を得たとしても、必ずリスクとして同じ分の損を被ることになるのです。このことについて、私の面白い体験があるのでご紹介しましょう。

 良く得意先との付き合い上、麻雀をしなければならないことがありました。不思議なことに、真理をやる前は、はっきりとした勝ち負けがありましたが、真理をやり出してからは、途中でどんなに勝ったり負けたりしていても、終わるころには必ずゼロになるのです。後で分かったことですが、神は私にギャンブルを介して「エネルギー均衡の法則」を教えようとしていたのです。この世にギャンブルで儲けた人も、負けた人も、一人もおりません。争って儲けた人も、損した人も、一人もおりません。今勝った負けたといっている人も、トータル的には必ずゼロになるのです。人間は遠くが見通せないため一喜一憂していますが、いつか必ずプラス・マイナス・ゼロになるようになっているのです。私は良く山彦に例えていいますが、「オーイ! 」と叫べば「オーイ! 」という返事が返ってくるのです。「ありがとう! 」と叫んでいるのに、「バカ野郎! 」とは返ってこないのです。

こういう例えもあります。

 大掃除をすれば家は綺麗になりますが、その分汗をかき、服も汚れ、疲れもします。美しい景色を見に山に登れば、足腰が疲れ、お腹がすきます。遊園地に行った帰りの親子が、電車の中でコックリコックリする風景を見ますが、あれも応分のリスクです。目に見えないリスクもありますが、それは分散され目に見えない形になっているか、先延ばしされているかだけで、いつか必ず応分のお返りがあるのです。愛の法則は、一ミリの狂いもありません。実に正直で確実です。どうか「プラス・マイナス・ゼロになる」愛の法則を知ってください。知れば無理な愛を求めようとしないし、与えようとしないでしょう。また偏った愛を欲しようとしないし、与えようとしないでしょう。

 

 

言葉139・・愛は鏡!?

 この宇宙には、たった一つの命しか存在しません。その命は、愛そのものであり完全そのものですから、本来この宇宙に悪がはびこることはないのです。でも私たちの世界には、なぜか悪しきものが存在します。なぜでしょうか。いいえ私たちの世界も本当は、愛そのものであり完全そのものなのです。人間の迷いの想念が、悪なるものを生み出しているだけです。自分の想念は自分だけの持ちものですから、人に貸すことも人に奪われることもありません。だから私たちは、思いのままに生きられるわけです。自分の想念が、自分の身体を操っているのです。風呂に入ろうと思い、身体を風呂に入れるのです。走ろうと思い、身体を走らすのです。何かが欲しいと思い、身体を買い物に行かせるのです。この想念の働きは自分の身体だけに留まらず、自然にも地球にも宇宙にも影響を及ぼし、必ず自分のところに返ってくるようになっているのです。良いことが起きるのも、悪いことが起きるのも、すべて自分の想念が震源地です。

 例えば、自動車事故が起きたとしましょう。自動車事故が起きるには、起きる原因が必ず自分の中にあったのです。例えば、居眠りをしていたとか、よそ見をしていたとか、車が故障したとか・・・・。車の故障が、なぜ自分の想念に関係するのか訝しく思うでしょうが、深く追求してゆくと必ず自分の想念に行き着くのです。なぜなら、震源地に返ってくるのが愛の法則だからです。この宇宙は、愛の法則によって支えられていますから、出した処に出したものが必ず返るようになっているのです。出してもいない処に、出したものが返ってくることは絶対ないのです。テレビでもラジオでも、発信した波長に同調して見えたり聴こえたりするのです。私たちの想念も同じで、悪しき想念を発信したから、周りの悪しき波動に同調し悪しきことが返ってきたのです。人間は実に悪い癖を持っており、自分の身に何か不都合なことが起きると、全部人のせいにするのです。この宇宙に、外から与えられた不幸などないのです。すべて自分の想念が自分に与えた不幸です。それが分からないから、外側に責任を押し付け、人を罵り、世を罵り、神を罵るのです。こんな不遜なことはありません。

 良き想念を放てば良きものが、悪しき想念を放てば悪しきものが・・・。この神の愛の働きは完璧です。それが信じられるようになったら、もう自分で自分を苦しめるような悪想念は出さなくなるでしょう。愛は鏡だと思ってください。美しいものを写せば、美しいものが映るのです。醜いものを写せば、醜いものが映るのです。愛の鏡は、一ミリの狂いもなく映し出すことを知ってください。

 

 

言葉140・・愛の使者

 大調和の意味合いは、陰(物質)と陽(生命)がほど良く混ざり合った状態を指します。神はこの表現世界に、相反する物を一対として誕生させたのです。その相反する物の働きが拮抗しているとき、自然界の調和が保たれているのです。自然界の調和のとれた姿は、まさに陰と陽のバランスのとれた愛そのものの姿といっていいでしょう。物質と生命のバランスがとれているから、自然界は美しいのです。しかし人間の欲によって均衡が崩されると、陰の働きの方が勝つようになり、人間にとって不都合な事が顕在化してくるのです。でもそれは人間にとって不都合なだけで、自然界にとってはバランスを保つ上で必要な働きなのです。その働きを、人間は悪と決めつけているだけです。人間はバイ菌や害虫を毛嫌いしますが、本来バイ菌も害虫も存在しないのです。存在しているのは、調和のとれた一対の菌や虫たちだけです。人間が調和を崩すから、均衡を保とうと反対の働きをするのであって、彼らは彼らの持ち場でしっかりと役割を果たしているだけです。菌や虫たちは宇宙の中庸の心に従い、バランスを保とうと懸命に働いているのです。虫や菌たちは、愛から遣わされた愛の使者なのです。本来、人間も愛の使者なのですが、今は物質に目が眩まされ、サタンの使者に成り下がっているのです。しかし、どんなにサタンの使者に成り下がろうと、愛の使者であることは間違いないのです。目覚めれば、そく愛の使者に早変わりできるのです。さあ、目覚めてください。あなたは、サタンの使者になりたいのですか? それとも、愛の使者になりたいのですか?

 

 

言葉141・・陰陽のバランスの大切さ

 “私たちは家族仲良くしているのに病気になった! ”と嘆く人がおりますが、ではあなたは生命と仲良くしていましたか?、と私はお訊きしたい。どんなに家族仲良くしていても、生命と仲良くしなければ病気になるのは当たり前なのです。なぜなら、物質同士仲良くしても、エネルギーは高まらないからです。家族仲良くするのと病気とは関係ないのです。関係するのは、肉体とエネルギーのバランスです。バランスを取れば燃焼効率が上がるため、エネルギーが高まり健康になるのです。これは次のような例えで示せるでしょう。

 私の幼い頃の話ですが、その当時石炭ストーブに火をつけるのに大変苦労したものです。まず紙に火をつけ、次に燃えやすい木に火を移し、それを石炭の下に入れ、そこに息を吹き込むのです。息を吹き込むと勢いよく燃え上がりますが、それは石炭と酸素が結びついたためです。物を燃やすには、酸素が必要なのです。これは肉体も同じで、どんなに沢山食べても、生命という酸素を与えなくては、百パーセントエネルギーに変わらないのです。今多くの人が病気で苦しんでいるのは、肉体に酸素を注いでいる量が少ないからです。つまり酸欠状態だから病気になるのです。

 私たちの肉体は、物質と生命(エネルギー)の複合体ですから、物質と生命のバランスが取れているときは健康なのです。しかし今多くの人間は物質に偏り、生命のことを忘れているのです。ということは、肉体と生命のバランスを崩しているということです。それではエネルギーが完全燃焼するわけがありません。エネルギーを完全燃焼させるためには、陰と陽、つまり物質と生命のバランスを取ってやることが大切なのです。もちろん、家族仲良くすることはとても大切です。でも、それだけでは健康になれないのです。物質と生命の調和を整えて、はじめて健康になれるのです。どうか家族とも仲良く、隣人とも仲良く、生命とも仲良くしてください。ちなみに酸素は、宇宙エネルギーの変形したものです。生命の別名といってもいいでしょう。

 どうか生命を想ってください。生命に生きてください。生命と親しくしてください。その時あなたは、陰陽のバランスを取って生きていることになるのです。愛の状態とは、物質(陰)と生命(陽)のバランスの取れた生き方をしている状態のことなのです。

 

 

言葉142・・愛・不調和・完全

 【愛・調和】

 宇宙の心根は陰陽が一体となることです。陰陽が一つになることで、愛がスパークし光が生まれるのです。愛は、結集・結合・合体・統合・エントロピーの縮小を意味するのです。一から出てきたものは、一に帰るのが定めなのです。私たちは、針の穴を通ってこの世に出てきた無数の糸なのです。その無数の糸は、一つに纏まらなければ針の穴を通って帰れないのです。原子に核があるのも、真珠貝に核があるのも、人間社会に王様や大統領や総理大臣が存在するのも、一つに結集しなければ纏まりがつかないからです。愛とは、集まることなのです。寄り添うことなのです。調和することなのです。エントロピーの縮小が愛なのです。

 

 【不調和】

 不調和は一見悪のように見えますが、不調和は決して悪いことではないのです。なぜなら、元数一を知るには分数を相対させて知る必要があるように、一本の糸を知るには無数の糸を相対させて知る必要があるように、愛(調和)も不調和を相対させて知る必要があるのです。私たちは愛の中に浸りっきりでは、真の愛は解らないのです。だから私たちは今、不調和の世界で様々な苦しみを体験し、真の愛(調和)を学ぼうとしているのです。だから不調和は、決して悪いことではないのです。いいえ、不調和(無数の糸)は愛(一本の糸)そのものなのです。

 

 【完全】

 この宇宙で完全を現わすためには、どうしても「循環運動」が必要なのです。循環運動が無くては、腐敗し死に絶えてしまうからです。循環運動は、流れ行く新鮮な水のようなものなのです。完全を完全たらしめるためには、この新鮮な水の流れが必要なのです。以前に、○は絶対宇宙と相対宇宙をつなぐ架け橋的存在だといいましたが、○は循環のことなのです。○=循環が、この宇宙の完全性を支えているのです。いつもいうことですが、一つだけでは一つは解らないのです。完全から完全は生まれないのです。愛も同じで、愛(調和)と不調和の循環を通して完全な愛になるのです。

 

 

言葉143・・相対物を通して学んでいる私たち

 ある人から、このような質問を受けました。

 「神は完全であるといいながら、なぜこの自然界には、毒キノコとか、毒蛇とか、毒フグなどのような危険な物が存在するのでしょうか? 」と・・・。

 確かにこの自然界には、そのまま食べたり触ったりすれば身に危険が及ぶ物が沢山あります。例えば、単体の元素ではヒ素やカドミウムや水銀などが、細菌類では大腸菌や炭疽菌やボツリヌス菌などが、植物ではウルシやドクゼリやドクキノコなどが、また動物では毒ヘビや毒グモや毒チョウなどがその類です。でもこの自然界には、本質的な悪は一つもないのです。使い方を誤れば悪になるだけで、正しく使えばみな善になるのです。例えば毒キノコは、そのまま食べれば毒になりますが、その毒性を薬に利用すれば病気治療に役立つのです。そのまま口に入れれば毒になる草木も、扱い方次第では私たちの健康に役立つのです。毒が毒を制するといわれるのは、もともとその毒は毒ではなく役立つ薬だからです。神は自然界にある毒物を通して、人間の知恵を育てているのです。もしこの世に一つも毒物が無ければ、人間は何の疑問も持たない精神薄弱者になっていたでしょう。自然界の毒物は、危険物を見分ける目を育てると同時に、危険物を利用する知恵も育てているのです。

 存在物の背後には、必ず善と悪の二つの顔があるのです。でもその悪は、悪を通して善を知らしめる悪ですから、それは善なのです。私がこの世に本質的な悪は無いというのは、どんな悪も善に変わる要素をみな備えているからです。見方を変えれば、立場を変えれば、場所を変えれば、あるいは使い方を変えれば、善にも悪にもなるということです。この宇宙が相対的にできているのは、闇を通して光の尊さを学ばせ、悪を通して善の有り難さを学ばせ、苦しみを通して喜びの素晴らしさを学ばせるためです。魂の光輝は、その学びの中から生まれてくるのです。一つだけでは、何も学べないのです。相対させてこそ、私たちは気付けるし、学べるのです。だから、毒キノコは悪ではなく善なのです。毒蛇は悪ではなく善なのです。悪人は悪人ではなく善人なのです。だから神は完全なのです。神の目に悪が見えないとは、そういうことなのです。私たちも、一日も早くそのような目を持ちたいものです。

 

 

言葉144・・愛すれば愛されるの法則

 多くの人は、愛されたいと思っています。でも本来愛というものは、こちらから先に愛すべきものなのです。なぜなら、愛は能動的だからです。「出発」という言葉はあっても、「発出」という言葉はありません。「出入り」という言葉はあっても、「入り出」という言葉はありません。何事も、こちらから働きかけねば始まらないのです。なぜなら、先に出して空間を作らなければ、入って来られないからです。愛も同じで、先に愛を出さなければ、入って来られないのです。だから愛されたかったら、まずこちらから愛することです。愛されないから愛さないのでは、本当の愛にはならないのです。

 よく「ご自愛ください」という言葉を使いますが、この「ご自愛」を私たちは、自分の肉体をいたわる意味で、あるいは自分を大切にする意味で使っています。でも「ご自愛」の本当の意味は、すべてのものを自分のごとく愛する愛のことをいうのです。なぜなら、すべてのものは自分だからです。この宇宙には自分しかいないのですから、「自愛」しかないのです。だから「他愛無い! 」という言葉が生まれたのです。他愛ないとは、「他」の「愛」は「無」い、つまり自愛しかないという意味なのです。本当の愛は、相手が自分を愛してくれるかくれないかではなく、自分が相手をどう愛するかなのです。受動的愛は本当の愛でないといわれるのは、「他愛が無い」からです。他人がいないなら、待っていても愛がやってくるわけがないのです。これは来ない電車を待っているようなもので、これほど苦しいことはありません。出すことが先です。やってあげることが先です。愛してあげることが先です。そうすれば必ず愛が帰ってきます。どうか、この愛の仕組みを知ってください。

 

 

言葉145・・中庸の大切さを教える神の愛

 食べ物には、酸性の食べ物や、アルカリ性の食べ物があります。また塩辛い食べ物や、甘い食べ物や、脂っこい食べ物や、さっぱりとした食べ物などがあります。酸性の食べ物を多くとれば病の原因になりますし、アルカリ性の食べ物を多くとっても病の原因になります。当然、塩辛い物も、甘い物も、脂っこい物も、とり過ぎれば病の原因になります。これは、食べ物を通して中庸の大切さを教えている神の愛の計らいなのです。食べ物だけではありません。神は、物質文明における中庸の大切さも教えているのです。

 情報・通信・交通・工業・産業技術などの進歩は、人間の生活範囲を地球規模にまで拡大させると同時に、物質的豊かさを極限まで推し進めました。今や、地球の裏側の人と簡単に会話できるようになりましたし、会いたければ一日もあれば会えるようになりました。また、お金さえあれば、何でも欲しいものが手に入るようになりました。これだけ見ると、大変素晴らしい世の中になったように思えますが、そのリスクも増大しているのです。例えば、異常気象の拡大、精神異常者の増大、経済格差の拡大、地域紛争の増大などは、そのリスクといっていいでしょう。病気が中庸の大切さを教えているように、今地球上で起きている様々な苦しみも、中庸の大切さを教えている神の愛の計らいなのです。でも人類は、神の愛の計らいに少しも気付かず、ますます中庸から離れて行っております。神は物質文明を否定しているわけではありません。ただ、行き過ぎは良くないですよ! といっているのです。

 濃い楽しみには濃い苦しみが、薄い楽しみには薄い苦しみがついてくるのです。苦しみが多いということは、それだけ濃い楽しみに溺れているということです。つまり、悪しき原因を作っているということです。どうか、神の愛の計らいに気付いてください。

 

 

【神様からの手紙8・・あなた達は愛のひとり子である】

 あなた達は人を憎み罵りケンカをしていますが、あなた達は同じ本質を宿した兄弟姉妹なのですよ!。どうして兄弟姉妹が、そのようにいがみ合うのですか? それは、自分の本性を知らないからです。あなた達は、陰と陽から生まれた愛の結晶なのですよ。陰とは物質のこと、陽とは生命(エネルギー・光)のことで、形は違っても、中身はみな同じ本質によって創られているのです。水も、空気も、土塊も、菌も、虫も、鉱物も、植物も、動物も、みな同じ兄弟姉妹です。ましてや、人間が兄弟姉妹でないはずがないではありませんか。私が身を分け、あなた達を創ったのです。あなた達が苦しければ、身を分けた私も苦しいのです。あなた達が嬉しければ、身を分けた私も嬉しいのです。あなた達は、陰陽の法則から生まれた愛のひとり子なのですよ! 愛のひとり子ということは、みな同じ子であるということです。だから、「兄弟姉妹仲良くしてください! 」と私はいうのです。

 あなたは、人を叩いても自分が痛まないと思っていますが、とんでもない! あなたの意識は痛んでいるのですよ。なぜなら、宇宙に意識は一つしか無いからです。ですから、今は現象として感じられなくても、いつか必ず自分の身の痛みとなって返ってくるのです。私が、宇宙において一方通行はあり得ないというのは、すべての意識が繫がっているからです。すなわち、愛のひとり子であるあなたたちの意識が、みな繋がっているからです。どうか、このことを知ってください。