第十章 想念

 想念は何でも生み出す力を持っています。想念ほどたくましく、また恐ろしいものはないのです。私たちは、その想念を持っているわけですから、正しく使う責任があるのです。もし過って使ったら、我が身を破壊するだけでなく、自然をも、地球をも、宇宙をも、破壊してしまうからです。

この章では、想念がどれほど偉大な力を秘めているか、徹底的に追求してみたいと思います。

 

 

言葉165・・想念のコントロール・パート1

 世の中には、よくこういうことがあります。悪いことが起きれば立て続けに悪いことが起き、良いことが起きれば立て続けに良いことが起きるといったことが・・・。特にスポーツ競技には、連勝連敗がつきものです。なぜこのようなことが起きるのかといいますと、明るい想念は光(エネルギー)を呼ぶため良いことが起き、その良いことはさらに明るい気持ちにさせるため、また良いことが起きるといった良い循環を生み出すからです。スポーツ競技は、それがすぐに結果として現れるため実感しやすいのです。例えばサッカー競技には、良い時間帯と悪い時間帯があるといわれますが、良い時間帯とは味方の選手が勢いづいた時で、その時ボールは味方の有利な方へ転がるのです。反対に落ち込んだ時は、不利な方へ転がるのです。これは、光(エネルギー)がボールを支配している顕著な例で、選手の気持ちが大きく影響している証なのです。この宇宙は、光(エネルギー)が強ければ良いことが、光が弱ければ悪いことが起きる仕組みになっているのです。

 このようなこともあります。心配すれば胃が痛みます。恐怖すれば心臓が高鳴ります。怒れば血圧が高くなります。人を憎んだり恨んだりすると、腎臓や肝臓の働きが悪くなります。私たちの想念は創造力そのものですから、悪想念を持てばそく悪い結果として肉体に現れるのです。次のようなこともそうです。

 私の知人が、手提げバックをひったくられたことがありました。知人はひったくった人を恨んでいましたが、自分がネガティブな想いを持っていたから、そのような事件を呼んだのです。津波は震源地に帰ってくるのです。想念も発信した人のところに帰ってくるのです。すべて身から出た錆です。だから、人のせいにしてはならないのです。もしあなたに悪い事が起きたら、どのような想念を使っていたから悪い事が起きたのか、顧みてください。人のせいにしていては、成長はありません。どうか、正しい想念を使うようにしてください。想念のコントロールは、この世における最後の学びなのですから・・・。

 

 

言葉166・・すべては想念が先行する

 「想念は実現の母」といわれる理由は、想念そのものが創造力そのものだからです。人間はその想念を持っているわけですから、本来なら何でも成し遂げることが出来るはずなのですが、今の人間は小さなことしか成し遂げられません。それは、人間の想念力に制約がかかっているからです。未熟な魂は、やんちゃをしたがります。いたずらもしたがります。自制が利かないのです。そんな未熟な魂に、神のような想念力を与えては、地球を破壊しかねません。そこで神は、魂の進化に相応した想念力を人間に与えたのです。それでなくても人間は、想念を悪く使って病気をしたり、事故を起こしたり、戦争をしたり、環境を破壊したりしています。想念の偉大さを知らないから、そのような悪しき使い方をするのです。「私は苦しい! 」と嘆いている人がおりますが、その人は自分の想念で自分を苦しめていることに気付いていないのです。もし想念の偉大さを知ったら、決して想念を苦しいことに使わないでしょう。

 想念が人生を、人間社会を、地球を、宇宙を、良くも悪くもするのです。

  • 想念が病気にするのです。
  • 想念が事故や事件を起こすのです。
  • 想念が戦争を起こすのです。
  • 想念が地球環境を悪くするのです。
  • 想念が平和をもたらすのです。
  • 想念が理想社会を創造するのです。
  • 想念が幸せにするのです。

 すべて、想念の使い方次第なのです。人間は、想念の偉大さを知らなさ過ぎます。どうか想念の偉大さを知ってください。

 

 

言葉167・・人間の脳は発信機であると同時に受信機である

 人間には、右脳と左脳があります。基本的に左脳は発信所の役目をしており、右脳は受信所の役目をしております。人間の脳は、発信機であると同時に受信機なのです。人間がものを思ったとき、宇宙に向けて想念エネルギーを発信しているのです。エネルギーを発信すれば、エネルギー均衡の法則に基づいてエネルギーが帰ってきます。その帰ってきたエネルギーは、通常右脳が受け取るわけですが、発信した絵模様に合ったものしか受け取らないのです。つまり、〇の絵模様を発信したら、○に合った○の絵模様しか受信しないのです。○の絵模様を発信したのに、違う□の絵模様を受け取ることはないのです。これが同調現象あるいは共鳴現象といわれるもので、この仕組みが完璧に働いているために、宇宙はエネルギーの均衡を保つことができるのです。さて帰ってきた絵模様は、そのままでは分かりづらいため、右脳と左脳がキャッチボールしながら、この世の文字や言葉に翻訳します。といっても宇宙の情報は、この世の文字や言葉を超越しておりますから、翻訳するにも翻訳する言葉や文字が無いのです。無理に翻訳すれば歪んでしまうのです。これが、真理が歪んで伝えられる理由です。

 昔から真理は言葉や文字で伝えられないといわれてきたのは、宇宙から降りてきた情報は受け取った本人しか解らないからです。他力信仰が成り立たないのはそのためです。神は理解できる者にしか与えない、実力主義を貫いているのです。これが宇宙の仕組みの素晴らしいところなのです。どうか、宇宙の情報を自力で受け取れる人になってください。そのためには、常に宇宙に向けて疑問を発信し続けることです。そこには、何の技術もいりません。必要なのは、純真さです。素直さです。求める真剣さです。どうか、得られるまで発信し続けてください。そうすれば、きっと欲しい答えが得られるでしょう。

 

 

言葉168・・私たちは常に宇宙とキャッチボールをしている

 前述したように、私たちの脳は発信所であると同時に受信所です。ただし、気まぐれでやっていたのでは、この能力は機能しません。意識的に、能動的に、常に使っていなくては働かないのです。何でもそうですが、どんなに偉大な能力を持っていても、使わなくては錆びついてしまうのです。宇宙の情報が欲しかったら、常に疑問を発信することです。疑問を発信していれば、ヒラメキとして、気付きとして、答えが降りてきます。それが啓示とか天啓とかいわれるもので、これは欲を持たない純真な心を持った者なら誰でも受け取れます。その受け取った情報は、その人のものです。人に与えることはできません。与えようとしても、この世の文字や言葉に型が無いため、与えることができないのです。宇宙の情報は、型のないところにはまらないのです。無理にはめようとしたら、歪んでしまうのです。だから昔から、真理は人に伝えられないといわれてきたのです。

 自分の投げたボールが、他人に返ることはありません。宇宙の情報が欲しかったら、自ら発信し自ら受け取ることです。さあ、宇宙に向けてボールを投げましょう。そうすれば、間違いなく宇宙からボールが帰ってきます。与えれば与えられ、奪えば奪われる、この原因と結果の法則に感謝しましょう。

 

 

言葉169・・自分が発信地である

 想念はボールのようなものです。憎しみのボールを投げれば、憎しみのボールが帰ってきます。愛のボールを投げれば、愛のボールが帰ってきます。想念は実に正直です。それは、想念に色が着いていないからです。使い方いかんによって、色が着くだけです。だから、想念の持ち方が大切になってくるのです。今人類は様々な苦しみに喘いでいますが、それは苦しいボールを投げているからです。苦しいボールを投げれば、苦しいボールが帰ってくるのは当たり前なのです。それは誰の責任でもない、苦しいボールを投げている人類の責任です。想念を良く使えば幸せになれるのに、悪く使って不幸せになっているのです。しかも人類は、まだそのことに気付いていないのです。それどころか苦しみを人のせいにして、恨み、憎み、腹を立て、戦争しているのです。

 自分の周りに悪しきことが起きているなら、それは、自分が悪い想念を発信しているからです。発信したら、発信した人のところに返るのです。何事も自分を起点にして考えてください。自分の想念が、自分を苦しめていることに気付いてください。そうすれば、人を恨むことも、人を憎むことも、人と諍いを起こすことも、なくなるでしょう。苦しみの原因を自分の中に探す人は賢い人です。他人の中に探す人は愚かな人です。どうか、賢い人になってください。

 

 

言葉170・・想念が及ぼす端的な例

 想念の偉大さについては、これまで何度も述べてきたところですが、それを理解している人はあまりおりません。そこで、想念がいかに人間生活に影響を与えているか端的な例を掲げ、注意を喚起したいと思います。

  • 病気は、エネルギー欠乏によって起きております。その典型的例が、ガンという病気です。ガンは腐る病気なのです。エネルギーが少なくなると、物質は腐り出すのです。物質文明が栄えると病気が増えるのは、物質に向いた人の想念がエネルギーを遮断してしまうからです。特に精神病は、ネガティブな想念が関与して起きている顕著な例です。ネガティブな想念を持てば、周りのネガティブな想念が同調してきて病気を重くしてしまうのです。物質を思えばエネルギーを遮断し、ネガティブな思いを持てば悪的エネルギーを呼び込む、この想念の仕組みを知ってください。

 

  • 想像妊娠という不思議な現象があります。実際に妊娠していないのに腹が膨れてくるのです。子供が欲しい願望が、そのような現象を生み出すのです。想うことは、願うことです。欲することです。欲すれば、幻さえ与えられるのです。

 

  • 情報過多になった今日、情報に扇動された多くの人たちが、無意識のうちにネガティブな想いを出しております。そのために、ますます事件や事故が増えています。ネガティブなことを想えば、ネガティブなことが実現するのが想念の力なのです。

 

  • 今日、年に三万人を超す自殺者を出しておりますが、これもすべて想念が関与して起きている事件です。この地球の周りには様々な想いの波動が飛び交っており、その波動は同じような波動に出合うと同調するのです。自殺は飛び交っているネガティブな想いと、自殺者のネガティブな想いが同調して起きているのです。交通事故もそうです。工事現場の事故もそうです。殺人も強盗も戦争もそうです。みな悪想念が同調して起きているのです。

 

  • 最近動物病院が繁盛しているようですが、これも人間の悪想念の移入が原因で起きている現象です。ペットだけではありません。今や空気や水や土までも、人間の悪想念によって汚染されているのです。

 

  • 人の想念は、雨にも風にも影響を与えています。想念が調和が取れている場合は、雨も風も穏やかに降り穏やかに吹きます。想念が不調和な場合は、激しく降り激しく吹くのです。不調和な想念とは偏った想念のことで、自然界はそのことを、反面教師となって人類に教えているのです。

 

  • 大都会の空気が重いのは、不健全な人の想念が多く漂っているためです。田舎の空気が軽いのは、不健全な人の想念が都会より少ないからです。健全な想念は軽いのです。不健全な想念は重いのです。

 

  • 「ありがとう!」と書いたコップの水が長持ちし、「バカヤロー!」と書いたコップの水が腐りやすいのは、人の想いが念写として残るためです。

 

  • 感謝の念を持って耕した畑は実りが多く、無感謝の念をもって耕した畑は実りが少ないのです。戦場の跡地からあまり作物が採れないといわれるのも、戦った者の恐怖や無念の想念が関与しているためです。

 

  • 欲念を多く受けた宝石は曇ります。愛念を多く受けた宝石は輝きます。愛念を持って育てた花や木は美しく咲き長持ちしますが、憎しみを持って育てた花や木はすぐに枯れてしまいます。悪念を多く受けた犬は怒りっぽくなり、愛念を受けた犬はおとなしくなります。人の想念はこのように、鉱物にも、植物にも、動物にも、大きな影響を与えているのです。

 

  • 欲念を持って飼った牛の乳は栄養価が低く、愛念を持って飼った牛の乳は栄養価が高いのです。お母さんの握ったオニギリがおいしいのも、お母さんの愛念がしみ込んでいるからです。

 

  • 昔より「丑の刻まいり」といって、ワラ人形に釘を打ち込んで呪う行為がありますが、これは真剣にやれば本当に効くのです。でも、この呪いは諸刃の剣のようなものですから、自分も呪い返されるのです。人を呪えば穴二つという諺は、想念が我が身に返る恐ろしさを教えているのです。

 

 このように想念は、私たちの生活に少なからず影響を与えているのです。どうか、想念の偉大さを知ってください。幸不幸を決定づけているのは想念である、ということに気付いてください。

 

 

言葉171・・なぜ神仏を想うと幸せになれるのか?

 人間は、神仏の名を口にするのをためらっています。それは誤った宗教が、人間を神仏から遠ざけてしまったからです。イエス様は、「神は私たちの手よりも足よりも近くにおられます」といわれました。お釈迦様も、「仏と私たちは一体です」といわれました。彼の偉大な覚者たちが、これほど神仏を身近なものにしているのに、どうして人間は遠くに離してしまうのでしょうか。恐れ多いと思うから・・・神罰や仏罰が当たると思うから・・・。そんなことはありません。神仏は、自分の名を呼ばれることを待っているのです。さあ、堂々と神仏の名を口にしましょう。神仏はきっと喜んでくれるでしょう。

 面白いもので、私たちの想念は、何も想わないでいられないようにできているのです。どんなに何も想わないと思っても、想わないでいられないのが想念の仕組みなのです。その想念を、私たちは何に使っているでしょうか? 殆どの人が、この世の生事に使っているのではありませんか? それもネガティブなことに・・・・。それでは幸せになれるわけがありません。

 この宇宙は、出した色の想念と同じ色の現象が起きる仕組みになっているのです。悪い想いを持てば、悪い現象が起きます。良い想いを持てば、良い現象が起きます。良い想いの代表は、神仏を思うことですから、神仏を想えば幸せがやってくるのです。イエス様も、お釈迦様も、そのことを知っていましたので、神仏の名を口にすることを衆生に勧めていたわけです。

 神仏の想いは良い原因なのです。だから、幸せという結果が帰ってくるのです。幸せになりたかったら、どうぞ神仏を想い、神仏を口にし、神仏のような行為をしてください。その人は、もう幸せの株を買ったようなものです。

 

 

言葉172・・想念を有効に使う

 これまで何度も述べてきましたように、魂を大きくするのは瞑想と強い決意と思索です。瞑想については何度も述べておりますので、ここでは決意と思索について述べたいと思います。

 

【決意・決心】

 私はこれまで何度も「想念は実現の母である」といってきましたが、それは想念には偉大な力が秘められているからです。その偉大な力を利用しない手はありません。想念は自由意思によって、どうにでも使いこなすことができるのです。多く使うか、少なく使うか、強く使うか、弱く使うか、何に使うか、どのように使うか、それは使う人の自由意思が決めるのです。その偉大な想念を、決意に使ってください。では、決意の有益な使い方を教えましょう。

  1. 瞑想に使う。
     瞑想には集中力が必要ですが、殆どの人は雑念に阻まれ納得できる瞑想ができないでおります。その雑念を強い決意をもって退けようというのが、一つ目の使い方です。まず瞑想に入る前に、「私はこれから生命に一心集中します。生命以外何も想いません。」と強く決意してください。そうすれば意識の中に決意の壁ができ、雑念が入りづらくなります。
  2. 反省に使う。
     反省で重要なのは、反省前の強い決意と反省後の強い決意です。反省前の強い決意とは、「私は断崖絶壁から飛び降りるくらいの覚悟を持って反省する!」という決意のことです。反省後の強い決意とは、「二度と過ちを犯さない!」と良心に堅く誓う決意のことです。この二つの決意は、あなたの志を揺るぎないものにします。 
  3. 自分を大きくするのに使う。
     人間は楽な方へ楽な方へと傾きたがります。これは肉体を持つ人間の弱さですが、そこに付け込んで堕落へ怠惰へと誘う邪悪な波動があるのです。この誘いに勝つには、強い理性と強い決意が必要です。甘い誘惑が来たら、強い決意を持って次のように退けてください。「誘惑に負けてたまるか! サタンよ退け!」と・・・。聖戦とかジハードとかいわれる戦いは、このサタンとの戦いのことで、これは、もろ刃の剣のような戦いなのです。つまり、誘惑に勝てば原子核を増やすことができ、負ければ堕落するという二面性を持った戦いです。どうか戦いに勝って原子核を増やしてください。

 

【思索・疑問】

 神は地球上に、真理の種を沢山蒔いてくださいました。その種に水をやり大切に育てれば、多くの実りが期待できます。神は無駄なことを一つもなされないのです。どんなことの中にも、意味ある何かが込められているのです。もし、あなたに何かが起きたら、神は何を気付かせようとしているのか考えてみてください。きっと意味ある何かを発見するでしょう。気付きや発見は、自分の中から生まれます。だから自力です。思索は、自分の宇宙の不明な点を発見する作業なのです。そのヒントは、神が蒔かれた種の中にあるのです。外側に蒔かれた種と内側の不明な点が合わさった時、気付きや発見が生まれるのです。ああそうか、「合点がいった」と・・・。

 どんな些細な疑問でも構いません。自分に問いかけてみてください。必ず気付きや発見があるはずです。気付きや発見は、理解力を高め神の自覚に近づけてくれます。そのためには、まず疑問の種がどこに隠されているのか意識して探すことです。意識して探せば、必ず見つかります。見つけたらその種に、水をやり、光を当て、育てましょう。そうすれば、芽を出し、花を咲かせ、実を結びます。その結んだ実が、気付きや発見なのです。あなたの周りにはそのような種が、無数に蒔かれてあるのです。



言葉173・・想念のコントロール・パート2

 求道者が克服しなければならない最後の課題が、想念のコントロールです。想念のコントロールのできないうちは覚者になれないといわれるのは、想念は自分ばかりでなく、人間界にも、自然界にも、地球にも、宇宙全体にも影響を及ぼすからです。想念のコントロールのできない未熟者に、どうして神が覚者と同じ能力を与えましょうか。もし与えたら、おそらく宇宙を破壊してしまうでしょう。

 ある武道家がいっておりました。精神的未熟者に究極の技を教えれば、その者は自分の力を試そうとして必ず間違いを犯すだろうと・・・。人間は、人と違う能力を持つと試したくなるものなのです。自覚の境界線を超えた者に偉大な能力を与えても、もうそのような心配はありません。彼らはその能力を、人類のため、地球のため、宇宙のために使うでしょう。

 この世の雑事に悩まされている人は、まだ想念のコントロールのできていない人ですから、まず、それを克服しなければなりません。そのためには、外側のもの(現実)はすべて幻だと思えるようにならなくてはなりません。事実、外側のものはみな幻です。この世に何一つ真実なるものはないのです。そんな幻に心を奪われていては、想念を正しくコントロールすることはできません。さあ、現実の虚しさや哀れさを心の底で知りましょう。さあ、できるだけ外側の物から離れましょう。真実は自分の心の中にあるのですから・・・。自分の心の中に真実があると思えたら、もう外側のものに心が揺らぐことはなくなります。「外側のものはみな幻だ!」と、どのくらい思えるかが勝負です。



言葉174・・心色(想念)によって違ってくる影響

 「嬉しい涙、悲しい涙」があるわけではありません。どんな涙であろうと、涙そのものには何ら変わりはないのです。でも、その涙の中に宿っている心色は、まるで違うのです。嬉しい涙には嬉しい心色が、悲しい涙には悲しい心色が、溶けて宿っているのです。こんな実験結果があります。本当に怒りをもって植物を痛めつけた実験では、その植物は相当のダメージを受けたといいます。一方、植物を強くするためと思い愛情を持って痛めつけた実験では、かえって枝振りが良くなったといいます。同じ行為でも、心色によって及ぼす影響が違ってくるということが、この実験からはっきり分かります。私が教育者に怒りのムチで打つのではなく、叱りのムチで打ってほしいと願うのは、心色によって子供たちに及ぼす影響がまるで違ってくるからです。本当に子供を愛するなら、愛のムチで打ってください。本当に我が子を愛するなら、愛のムチで打ってください。想念ほど頼もしく、また恐ろしいものはないのですから・・・。

 

 

言葉175・・愛念を持っている存在物

 あなたの身の回りにあるすべての物は、あなたの愛念を待っています。犬も、猫も、小鳥も、絨毯も、タンスも、テレビも、冷蔵庫も、あなたの愛念と愛の言葉を待っているのです。私はいつも身の回りに置かれている物に、愛念を持って語りかけておりますが、彼らも愛念を持って応えてくれます。その証に、私の部屋に置かれている、テレビや、冷蔵庫や、電子レンジや、洗濯機などは二十年以上使っているのに、一度も壊れたことがありません。今乗っている軽自動車も中古車ですが、十五年以上乗っているのに一度も壊れたことがないのです。私が運転するとガソリンの燃費が上がるのも、愛念にガソリンが応えてくれているからです。どんな物も生きているのです。どんな物も愛念を待っているのです。ですから物だからといって、雑言を吐いたり、罵ったり、乱暴に扱ってはなりません。

 想念が及ぼす影響を、人間はもう少し真剣に考えるべきです。想念は人間だけでなく、すべての存在物に多大な影響を及ぼしているのです。犬や猫などのペット病が増えているのも、空気の汚染が進んでいるのも、川や、湖や、海などの汚染が進んでいるのも、土の汚染が進んでいるのも、みな人間の悪想念が原因です。空気も、水も、土も、植物も、動物も、みな意識を持って生きている生き物です。どうか、愛念を持って接してやってください。きっと彼らは、愛念を持って応えてくれるでしょう。

 

 

言葉176・・想念は山彦のごとし

 山彦を体験した人はお分かりと思いますが、山に向かって”オーイ! ”と叫べば、”オーイ! ”という声が返ってきます。それも大きく叫べば大きく、小さく叫べば小さく・・・。山彦は実に正直です。“  ありがとう!  ”と叫んでいるのに、“ バカヤロー! ”とは返ってこないのです。さらに山彦の面白い点は、オーイ! と叫べば山に反響して、オーイ!オーイ!オーイ!と声は小さくなりますが何度も返ってきます。想念(エネルギー)も同じで、良い想念を出せば良い想念が、悪い想念を出せば悪い想念が、強ければ強く、弱ければ弱く、それも折り返す波のように何度も何度も返ってくるのです。これは、池に石を投げ入れたときに起きる波紋と同じで、波動の持つ一つの性質なのです。その波動は、広がって行くときはゆっくりで、返ってくるときは速いのです。

 エネルギーは、アンバランスを嫌います。エネルギーは常に、均衡・均一・平行状態を保とうとするのです。ですから宇宙空間にエネルギーの凹が生まれたら、即座にその穴を埋めようとエネルギーが流れてくるのです。通常そのエネルギーは出した分入るようになっているのですが、同質のエネルギーに当たると勢いが増すため、凹の中に収めきれなくなり溢れ出てしまうのです。溢れ出たエネルギーは、再び同質のエネルギーに当たって返ってくるため、何度も繰り返す状態が生まれるのです。こういう体験はありませんか? くよくよ考えだしたら、くよくよが消えなくなり眠れなくなったといった体験が・・・。自分の思いが周りの想念の波にぶつかり寄せ返してくるために、そのようなことが起きるのです。周りに反響する物が無かったら山彦が起きないように、宇宙空間に反響する想念がなければ、そのようなことは起きないのです。しかしこの地球の周りには、沢山の想念が漂っているため、そのようなことが起きるのです。それも良い想念ならいいのですが、圧倒的に悪い想念の方が多いのです。近年、理由なき殺人や自殺などが多発しているのも、地球の周りに漂っている悪想念の影響によるものです。もし地球の周りに悪想念が漂っていなかったら、そのような事件は起きていなかったでしょう。そのことを知っているヒマラヤの聖者たちは、朝な昼な夕な夜なに光を放ち、悪想念を清めてくれているのです。彼らの役割は、人の前で法を説くことではなく、地球を清めることなのです。

 では、ここで、山彦の働きと想念の働きを比べてみることにしましょう。

 

●山彦は、出した同じ色の声を返します。

●山彦は、大きな声を出せば大きな声を返し、小さな声を出せば小さな声を返します。

●山彦は、周りの山に当たって反響し、何度も返します。

 

〇想念(エネルギー)は、発した同じ色の想念(エネルギー)を返します。

〇想念は、発した強さと同じ強さの想念を返します。

〇出した想念は、周りの同質の想念に当たって反響し、何度も返します。

 

 このように、山彦も想念も働きは同じなのです。私が常に神を想いなさい、それもできるだけ強く思いなさいというのは、この性質を利用すれば地球を清めることができるからです。でも残念なことに人類は、その想念を、物を得ることに、お金を得ることに、地位や名誉を得ることに、あるいは悔やんだり、心配したり、怒ったり、憎んだりすることに使っているのです。だからいつまでたっても、地球の周りの想念は清まらないのです。清まらないどころか、ますます汚れているのです。

 黒い想いを持てば黒い想いが返り、白い想いを持てば白い想いが返るのです。黒い想いとは、ネガティブな想いです。白い想いとは、ポジティブな想いです。中でも神の想いは、ポジティブな想いの代表です。どうか白い想いを持ってください。神を想ってください。そのときあなたは、白い息を吐いているのです。白い息は光の息ですから、空気を清め地場を清めます。それだけ地球に貢献しているのです。良い想念は間違いなく、人に、自然に、地球に、宇宙に、良い影響を与えているのです。だから、“ 私一人瞑想しても!”といわないでください。一人ひとりの想いの積み重ねが、地球を浄化してくれるのです。もし、一割でも神を想う人が出てくれば、聖者たちの出す波動と相まって、地球は聖なる星に近づくことでしょう。どうか地球を浄化する一員になってください。

 

 

言葉177・・想念は共鳴する

 私たちは、常に何かを想っています。想っている時は、宇宙に向けて想念を発信しているのです。その発信した想念は、宇宙空間に広がり同色の想念に当たると共鳴し、発信者のところに返ってくるのです。これが共鳴現象とか同調現象とかいわれるもので、近い色同士は共鳴し合い、遠い色同士は共鳴せず通り過ぎて行くのです。私たちの脳も同じで、発した同じ色の想念しか受け取れないようになっているのです。つまり、赤色の想念を発信すれば赤色の想念を受け取り、青色の想念を発信すれば青色の想念を受け取るというわけです。自殺は死にたいという人の想念に、死にたいという人の想念が共鳴し、自殺にまで発展しているのです。殺人も事故もそうです。自分の想念だけでは、そんな悲惨なことは起きないのです。

 その想念は、良いことにも働くのです。愛の想念を発信してみてください。愛を受け取ります。喜びの想念を発信してみてください。喜びを受け取ります。だから私たちは、常に良い想念を発信しなくてはならないのです。良い想念の一番は、神を想うことです。神を想えば神が返ってきます。この宇宙には、悪い想念も漂っていますが、聖者たちが放った良い想念も漂っているのです。その良い想念に同調すれば、聖者たちの想念と相まって地球を清めることができるのです。どうか神を想ってください。その想いは、聖者たちの想いと共鳴して増幅し、人類を、自然を、地球を、宇宙を、浄化してくれるでしょう。



言葉178・・迷いの想いが無い悪を作り上げている

 想念は、本質そのものであり創造力そのものです。その想念を持っているのが私たちですから、私たちは何でも創造することができるのです。でも、何でも創造できるからといって、本当に無いものまで作れるでしょうか?  いいえ、本当に無いものは作れないのです。なぜなら、私たちの想念そのものが、本当に有るものだからです。本当に有る想念は、本当に有るものは作れても、本当に無いものは作れないのです。

 “ でもこの世に、悪が有るではないですか。有るということは、悪が本当に有るからではありませんか? ”という質問がきます。いいえ、悪は本当に有るものではありません。迷いの思いが本質を揺り動かし、無い悪を一時作り上げているだけです。だから迷いの想いが無くなれば、そく悪は消えてゆくのです。私たちの想いが健全であれば、この宇宙に悪がはびこることは無いのです。

 繰り返します。悪が有るように見えるのは、悪を認める迷いの想いが本質を揺り動かし、無い幻の悪を作っているだけです。迷いの想いが作り出した悪は、幻なのです。そんな幻の悪に、どうして私たちは苦しめられなくてはならないのでしょうか。それはあたかも、テレビドラマを見て苦しんでいるようなものです。テレビドラマは次元が違うのですから、影響を受けることはないのです。どうか見破ってください。見破れば、そく苦しみから解放されるのですから・・。

 本当に有るものは善です。本当に無いものは悪です。神は私たちに善と悪の両方を体験させることで、本当に有るものが何か教えようとしているのです。どうか、何が本当に有るもので、何が本当に無いものか、見極めてください。見極めることができたら、もうあなたに苦しみはないでしょう。



言葉179・・何でも有りの宇宙

 「何でも有りの宇宙」といいますと、「偽や不善や醜」もあるのかという質問がきそうですが、たしかに「想念は実現の母」ですから、想念によって何でも生み出すことはできます。でも、無秩序に「何でも有り」ではないのです。そこには、ちゃんとしたルールがあるのです。そのルールとは、宇宙の法則内における「何でも有り」です。もしこのルールがなかったら、自由意思を持つ人間は、宇宙に好き勝手な絵を描いて真善美を乱してしまうでしょう。

 この宇宙には、真善美の中における「何でも有り」があるだけで、「偽や不善や醜」などはないのです。もしあるなら、一旦「偽や不善や醜」生まれたら永遠に存在することになり、この宇宙は真っ暗闇になってしまいます。幸いなことに「偽や不善や醜」は、迷いから生まれた一時の闇ですから、エネルギーさえ与えなければ消えて無くなるのです。

 今、人類は自由な想念を使って「偽や不善や醜」を生み出していますが、それは想念の実証実験をしているようなもの、と考えたらいいでしょう。やがて人類は、その実証実験から想念の正しい使い方を覚え、この地球に理想の世を建設することでしょう。



言葉180・・何でも生み出せる想念

 私たちは、想念によって何でも生み出すことができます。それは想念そのものが、モノを形作っている素材そのものだからです。では、なぜ何でも生み出すことができるのでしょうか? もうお分かりの事と思いますが、私たちには何でも想える自由意思を持っているからです。何でも想えるということは、何でも生み出せるということですから、これは宇宙の一員として大変な責任があるのです。

 地球には「事実は小説より奇なり」という言葉がありますが、この宇宙は「SF小説より奇なり」なのです。私が「この宇宙では何でも有りなんですよ!」というのは、自由な想念を使ってどんな小説でも書けるからです。人類はその自由な想念を使ってこの地球上に、今苦しい小説を書いているのです。それはまだ地球人類が幼く、正しい想念の使い方を知らないからです。

 進化した星の人類は、それは美しく、それは楽しく、それは感動的な、空想科学小説を書いています。それも、想像を絶するファンタスティックな空想科学小説ばかりです。この表現宇宙は、様々な星の人類が書いた空想科学小説の発表会場になっているのです。地球人類は今その会場に、稚拙で醜く苦しい小説を発表しているのです。地球人類もそろそろ、進化した星の人類が書いているような、素晴らしい空想科学小説を発表したいものです。

 

 

言葉181・・想念の管理

 人間は想念を持っています。人間はその想念によって、どんなものでも生み出すことができます。想念は万能の製造機のようなものなのです。例えば、苦しい想念を持てば、苦しい世界を生み出します。楽しい想念を持てば、楽しい世界を生み出します。でもその想念は、自分の中に無いものは出せないのです。在庫品がケーキしか無いのに、パンは出せないということです。悪い想念しか無いのに、良い想念は出せないということです。だから、想念の持ち方が大切になってくるのです。

 良い品物を出したかったら、倉庫の中を良い品物でいっぱいにしておくことです。そのためには、常に良い想念を持ち続けることです。つまり白いボールの想念を持ち続け、倉庫を白いボールでいっぱいにしておくことです。思っている通りのもので、それ以上でも以下でもないというのは、思っている通りのボールの在庫品になるからです。例え黒いボールの在庫品を持っていても、反省して白いボールを多く持つようになれば、黒いボールは白いボールに置き換わってしまうのです。私たちは、長い物に巻かれやすいのです。だから、普段の想念の持ち方が大切になってくるのです。どうか想念の管理をしっかりやってください。



言葉182・苦しいカルマから抜け出す方法

 私は声を大にしていいたいと思います。「あなたの想念を正しく使ってください!」と・・・。

 今人類は、沢山の苦しみを抱えています。でも、その苦しみがどこから来ているのか、誰も真剣に考えようとしないのです。なぜでしょうか?・・・それは、想念の偉大さを誰も知らないからです。苦しみは何処からやってくると思いますか? 他人からですか? 他国からですか? 自然からですか? 偶然からですか? 運命からですか? 神からですか? いいえ、自分の想念からやってくるのです。

 私たちは、何でも創造できる偉大な想念を持っているのです。その偉大な想念を悪用し、苦しんでいるのが人間なのです。自分で苦しみを作り、自分で苦しんでいるということです。想いは自由です。私たちは何でも想えるのです。何でも想えるだけに、正しく使う責任があるのです。なぜなら、想いは自分だけでなく、人にも、自然にも、地球にも、宇宙にも、多大な影響を及ぼすからです。しかし人類は、そのことを少しも考えようとせず、好き放題に想念を悪用しては苦しんでいるのです。戦争もそうです。病気もそうです。事故もそうです。災害もそうです。今地球上で起きているすべての苦しみは、想念の悪用による結果なのです。このようにいうと、「生まれたばかりの赤ちゃんは、何も悪いことを想っていないのになぜ苦しむのですか?!」という質問が返ってきます。確かに、生まれたばかりの赤ちゃんは、何も悪いことをして(想って)いないのに、不遇な境遇に生まれたり、病気になったり、事故や災害に遭ったり、戦争に巻き込まれたり、して苦しんでいます。この謎を解くには、過去生に遡らなくてはならないでしょう。

 私たちは、輪廻転生を繰り返し魂を成長させている生命体です。でも、長い間転生を繰り返していると、どうしても罪を犯してしまうものなのです。本来なら、その生で犯した罪は、その生で精算して帰るようになっているのですが、あまりにも多くの罪を作ると、その生で精算しきれなくなり、來世にまで持ち越されることになるのです。これがカルマの輪廻といわれるもので、何も悪いことをしていない赤ちゃんが苦しむ理由です。その苦しみは、過去生の罪を精算している状態ですから、今生罪を作らなければ、來世に持ち越される罪はなくなるはずなのですが、悲しいことに、苦しい環境で生きていれば、どうしてもカルマの上塗りをしてしまうものなのです。では、このカルマの輪廻から抜け出すには、どうすればいいのでしょうか? 

 ヒプノセラピーを受け、過去世のことを思い出すことでしょうか? いいえ、そんなことをしたってカルマは消えません。かえって自己嫌悪に陥るだけです。神は記憶のない過去の罪を、ドウコウしなさいとはいっていないのです。今も述べたように、今生罪を作らなければ、來世に持ち越す罪は無くなるのですから、今生正しく生きることがカルマの輪廻から抜け出す一番の方法なのです。私が声を大にし訴えたいのは、「今を正しく生きる」この一点です。

 確かに、生まれ持った苦しい境遇は過去世に原因があるので、その自覚は持つ必要はあるかもしれません。でも、今日まで苦しい境遇で十分罪の償いはしてきたのですから、もうこれ以上過去世の罪で苦しむことはないのです。今すべきことは、今を正しく生きることです。良いことを想い、良いことを口にし、良い行いをすることです。すなわち、「身・口・意」の実践です。具体的に述べましょう。

  • ポジティブな想いを持ち続けることです。

ポジティブな想いの一番は、「神を想う」ことです。神を想えば原子核が増えますから、運命が良い方向へ転換していくのです。想念は創造の力です。良い想いは光そのものですから、良い想いを持ち続けていれば、病気にもならなくなるし、事故にも遭わなくなるのです。どうか、良い想いを持ち続けましょう。

 

  • 良い言葉を口にすることです。

一番良い言葉は神の言葉ですが、今の世の中で神を口にすれば気違い扱いされますから、代わりに、明るい言葉、肯定的言葉、嬉しくなる言葉、楽しくなる言葉、建設的な言葉を使いましょう。「ありがとう! はい!  嬉しい!  安心! 明るい! 」など、「あ行」の言葉は光を呼び込みますので、意識して使うようにしましょう。

 

  • 良いと思うことを積極的にすることです。

引っ込み思案はエネルギーを弱めます。行動的な人になって下さい。行動的になれば、エネルギーが強まります。それは原子核が増えるからです。思った時が、行動に移す最良の時です。おしりの軽い人になってください。

 

 この三つをぜひ、実践してみてください。何も変わらないからといって途中で諦めないでください。「石の上にも三年」という諺があります。変化が起きるまでやり続けてください。いや一生やり続けてください。これはカルマの解消だけでなく、人生の目的である「神の自覚を持つ」ことにもつながるのですから・・・。

 

さあ、

明るく、明るく、朗らかに、

何事も良く受け取り、

神を想い、光を想い、日々生きてください。

 

 その人は、間違いなくカルマから抜け出すことができるでしょう。悪い原因を作れば悪い結果が、良い原因を作れば良い結果が、これは因果の法則からして当然のことなのです。

 

 

 世間には、「私は何も悪いことをしていないのに、こんな苦しい目にあっている!」と嘆いている人がおります。嘆いているだけならまだしも、親を恨み、人を恨み、境遇を恨み、世を恨み、神を恨み、愚痴を言っているのです。これでは、カルマの上塗りをしているだけで、何の解決にもなりません。今の苦しい状況は、カルマが精算されている状態ですから、カルマの上塗りさえしなければ、カルマは消えて無くなるのです。確かに苦しければ、愚痴がこぼれるのも無理はありませんが、その時、このように考えて欲しいのです。「今の苦しい状態は、カルマが消えていっている状態だから、ありがたいことなのだと・・・。」そこでさらに、次のように想ってください。「私は神である!、生命である!」と・・・。神を想う時間が多くなれば、ネガティブな想いを持つ時間が少なくなりますから、業の上塗りをしないですむのです。

 

 人生は、今の今、何を多く想うかで決まるのです。

思いの偉大さ!、思いの恐ろしさ!、思いの頼もしさ!、思いの素晴らしさ!、を知ってください。

 

 

言葉183・想念が実現の母である理由

 私が非常に悲しく思うのは、あまりにも人間は自分の想念を軽んじて使っていることです。何度もいうように、「想念は実現の母」です。私たちの想念はモノを創造する偉大な力を持っているのです。私たちの運命は、この想念をどう使うかで決まるのです。では、「想念が実現の母」である理由を述べましょう。

 私たちがそこに何かがあると認識できるのは、意識を持っているからです。その意識は、想念を生み出している大本なのです。ということは、意識と想念は同じものと考えていいでしょう。その想念は、モノの本質であり力そのものなのです。意識=想念=本質=力なのです。「想念が実現の母」といわれる理由は、想念そのものが形を生み出す本質であり力だからです。例えば、何か悪いことを想ったとします。そうすると、本質が働き出し、想ったとおりの悪いことを作ってしまうのです。つまり、想ったその思いの力が本質を働かせ、想ったとおりのものを創造するわけです。

 ただしその思いが、どれほど強いか弱いかによって、実現スピードや濃さに違いが出てきます。弱く想えば遅く薄く、強く想えば早く濃く・・・。この表現世界は波動が粗雑なために、想いの強弱によって実現スピードや濃さに違いが出てくるのです。でも、想ったことは必ず実現します。一旦発した想いは宇宙空間に漂い、縁に触れて必ず現れるのです。ただ想いの弱いものは現れ方も弱いため、気づかないで終わる場合が多いのです。でもどんなに弱い想いも、何度も想えば雪だるま式に膨れ、いつか大きな実現として現れるのです。ですから、悪い想いはできるだけ持たないことです。“ 私は何もしてないのに苦しい目にあっている ”という人がいますが、何もしていないどころか、想いで、言葉で、すでに苦しいことをしているのです。他人があなたを苦しませることは絶対ありません。すべて、自分の想念のせいで苦しんでいるのです。勿論、想念を上手に使っている人は幸せになっています。

 このように、何でも実現させる力を持っているのが想念なのです。それは前述したように、想念そのものがモノの本質であり力そのものだからです。ではこのことを、科学的に検証してみることにしましょう。

 ガラスの上に細かい砂を置き、その砂に向かって「あー」という声を発してみてください。発した音の波形に添った砂の形が現れます。声の前にあるのは想いです。つまり、「あー」という声の前に「あー」という想いがあるのです。形に現れる背後に必ず思いが伴っているということが、この実験から解ります。音も波動です。想いも波動です。波動は波形を伴っているため、必ず形として現れるのです。それも、想いの内容に添った波形として、強ければ強いように・・・、弱ければ弱いように・・・。こんな確かな科学的裏付けがあるというのに、あなたは今後も悪い想いを使うのですか? 賢い人は、そんな愚かなことはしません。どうか賢い人になってください。それは自分を助けるだけでなく、すべての存在物を助けるのですから・・・。なぜなら、想念は宇宙空間に飛び火するからです。どうか、自分の想念を良いことに使ってください。決して愚痴やネガティブなことに使わないでください。

 

 

言葉184・・4つの利点

 想念を神に留めると4つの利点があります。

  1. エネルギーが高まります。
  2. この世の雑念から離れることができます。
  3. 神の自覚が生まれます。
  4. 過去の業を消すことができます。

(1)神はエネルギーそのものです。私たちの本性は神ですから、神に意識を留めるとエネルギーが高められるのです。人間と思うことによって神の通路を閉ざし、エネルギーを落としているだけです。できるだけ多く神を想い続けてください。神を想えば思うほど、神に通じる道が太くなり、エネルギーが高まります。

 

(2)私たちが不幸になるのは、想念をネガティブなことに使っているからです。ネガティブな想いは、エネルギーを低めるため不幸に見舞われやすくなるのです。神に意識を留めていれば、ネガティブな想いを持ちませんので、それだけ不幸から離れることができるのです。例えば、二時間神に想いを留めたとすれば、ネガティブな想いから二時間離れられますから、前後四時間良い原因を作ったことになり、それだけ幸が多くなるのです。

 

(3)神の自覚は、神に意識を留めれば留めるほど高まるようになっています。つまり原子核は、エネルギーを高めれば高めるほど増える仕組みになっているのです。その偉大な想念を私たちは持っているのですから、その想念を使わない手はありません。ぜひ想念を、原子核を増やすことに使ってください。それはただ、神に意識を留めればいいだけです。

 

(4)多くの人は、過去を悔いて生きています。ああすれば良かった、こうすれば良かったと・・・。でも、そう悔いなくてもいいのです。なぜなら、今を正しく生きれば、過去の過ちを帳消しにできるからです。今を正しく生きるという意味は、今神を想い、今神を口にし、今神のような行為をすることです。その行為も、神がやっていると思ってすることです。このように生きられたら、間違いなくあなたの過去は変えられます。なぜなら、今正しく生きようと思うようになったのは過去から学んだ結果ですから、これは過去を変えたことになるのです。それだけではありません。今正しく生きれば、未来も正しく生きられるようになるはずですから、これは過去・現在・未来の三世を変える大変な偉業になるのです。

 

 

【神様からの手紙10・・想念の正しい使い方を学んでください。】

 原始の宇宙は、無風状態の池に例えることができるでしょう。でも、無風状態では、池に波は立ちません。波が立たねば、そこからは何も生まれません。何も生まれなければ、何一つ物語は生まれません。そこで、私は、池に波を立たせるために、自分の想念を動かした(想った)のです。それが創造の心です。

 こうして表現宇宙が創られ、様々な生き物が誕生したわけですが、とりわけ、あなた達人類は、私の代弁代行役を担った特別な存在です。ですから、あなた達には、私と同じ想念力が与えられているのです。しかし残念なことに、あなた達はその想念力を悪用し、苦しい世界を作ってしまいました。でも私は、そうなることを織り込み済みで想念を与えたのです。あなた達は、今、苦しみに喘いでいますが、それは想念を正しく使う学びの試練と考えてください。やがてあなた達は、その苦しみを糧として正しい想念を使うようになるでしょう。そのときこそ、この地球に理想の世が誕生するのです。

 不動心の持ち主とは、心を波立たせなくなった人のことです。つまり、正しい想念の使い方を学び終えた人のことです。その人の心はもう波立ちませんので、もう苦しみは生まれません。苦しみも、悲しみも、幸せも、喜びも、みな想念の産物です。あなた達は、今、想念をどう使えば幸せになれるか学んでいる真っ最中というわけです。どうか一日も早く、想念の正しい使い方を覚えてください。