(6)平和

 「多くの人は、戦争を起こしているのは政治家だと思っています。でも実際は、私たち一人ひとりが起こしているのです。」

 「えっ!、私たちが?・・・私はいつも平和を願っていますが・・・。」

 「政治家もそういい、皆さんもそうおっしゃる。反戦運動もアチコチで行われ、今や戦争反対の声は大であります。しかし戦争はなくならない。なくならない理由は、平和を訴えている私たちが戦争の後押しをしているからです。つまり、直接私たちが手を下さなくても、間接的に銃の引き金を引いているということです。」

 「まって下さい!、間接的にとはどういう意味でしょうか?。」

 「あなたは人を恨んだり、憎んだり、怒ったり、しなかったでしょうか?。あれが欲しい、これが欲しい、と欲望をあらわにしなかったでしょうか?。約束事をきちっと守っていたでしょうか?。愚痴や不平不満をいわなかったでしょうか? 」

「それは人間ですから、しない人はいないでしょう。」

「はっきりいって、それが遠因となって戦争は引き起こされているのです。」

 「まさか・・・?。」

 「たしかに直接の原因は、人種間の争いや国家間の利害の対立から生じているかも知れません。でもその後押しをしているのが、私たち国民の欲望と感情なのです。もし国民一人が、欲望と感情に走らず、足ることを知り、約束事をきちっと守っていたら、決して争い事など起きないでしょう。一人ひとりの集まりが国となり世界となっているのですよ!。その一人ひとりの人間が、己の本性を知り、正しい想念と行いのもとに生活したら、戦争など起こるはずがないのです。

 人の心は使い方によって、どうにでも伸びるし、どうにでも縮まるものです。もし広く大きく使ったら、どんな大きな問題も小さくしてしまうでしょう。反対に狭く小さく使ったら、どんな小さな問題も大きくしてしまうでしょう。たとえば有る国に、食料不足から隣国を侵略しようと考えている政治家がいたとしましょう。それでは、

政治家自身の生活は質素だろうか?。
国民は贅沢をしていないだろうか?。
すべての国民が食べ物不足なのだろうか?。
我慢できないほどせっぱ詰まっているのだろうか?。
助け合いはし尽くしただろうか?。
国民はみな勤勉だろうか?。
食べ物を作る努力はし尽くしただろうか?。
戦争をしたら人は必ず死ぬ、そんな犠牲を払ってまでしなければならない戦争だろうか?。 

 ここまで心を広げて、なお食料不足だとは私には思えない。そこには悪徳政治家や政商、あるいは死の商人といわれる族が必ず暗躍しているはずです。 

国家の面子や体面を汚されたから(政治家自身の体面を繕うためである)

国家安泰のために

子孫繁栄のために

正義の戦いだ!、聖戦だ! 

と理由を正当化し、国民感情を煽って強引に戦争へ駆り立てている悪鬼の影が、必ず見え隠れしているはずです。どんなに正当な理由を並べてみても、所詮国民を悲劇へ引っ張っていることに変わりはないのです。私たちは利権にしがみつき私腹を肥やしている、そんな強欲な権力者の口車に乗って戦争の後押しをしてはなりません。政治家になって世界平和を叫ぶのも結構、反戦運動に情熱を傾けることも結構ですが、最も大切な自分の心を貧しいままにしておいて、どうして平和が望めましょうか?。平和が欲しいなら、まず己の心を豊かにすることからはじめるべきです。これは何も戦争に限った話ではありません。あらゆる犯罪、あらゆる争い、あらゆるいじめや人権侵害などにもあてはまることなのです。

 ある人はいっています。戦争のない状態が平和なのではない!、人の心が豊かになってはじめて平和なのだと・・・。その意味では、人の心に憎しみ・恨み・怒り・愚痴・欲得などがある限り、決して平和の名を口にすることはできないでしょう。

 奉仕世界の人たちは、一人ひとりの心が国を動かし世界を動かしていることを知っていますから、自分の心を磨くことを忘れません。一人ひとりの心が磨かれれば国が磨かれる、国が磨かれれば世界は必ず平和になる、彼らはそう信じているのです。」