(4)なぜ人間は宇宙生命なのか?

 では、人間はなぜ宇宙生命なのでしょうか?。その問いに答えるには、宇宙がどのようなものか知らねばなりません。といって、言葉や文字で説明できないのも宇宙です。しかし、説明できないからといって口を閉ざしていては前に進みませんので、ここでは瞑想によって観じた宇宙像をできるだけ分かりやすく示し、後になぜ人間は宇宙生命なのかを説明したいと思います。


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宇宙とは?。

 宇宙には二つの宇宙があります。一つは相対宇宙(表現宇宙とも言う)、もう一つは絶対宇宙です。相対宇宙には時間があり空間がありますが、絶対宇宙には、時間も、空間も、何も存在しません。では何も存在しない絶対宇宙を、どうして知ることができるでしょうか?。それは、相対宇宙を通して知れば良いのです。なぜなら、絶対宇宙と相対宇宙は表裏の関係にあるからです。

 さて、宇宙の「宇」とは、時間のことを指します。宇宙の「宙」とは、空間のことを指します。この二つは表裏の関係にありますので、「宇」と「宙」は一つと考えて良いでしょう。

 相対宇宙は一種のスクリーンで、宇宙意識が自分の理念を具現化するために造った舞台です。ですから、相対宇宙と絶対宇宙は二つで一つです。もし切り離せば、どちらも存在意義を失ってしまうでしょう。要するに相対宇宙と絶対宇宙は、相身互いの関係にあるのです。

 表現宇宙(相対宇宙)を構成している素材は原子で、宇宙生命体の細胞の一つ一つになっております。だから表現宇宙は、原子の海といって良いのです。その原子一つ一つは宇宙に似せて創られていますので、原子一つ一つの中に宇宙の全機能が存在し、原子一つ一つが一つの宇宙を形成していることになります。人間が宇宙の縮図といわれる理由は、その原子によって内面も外面も創られているからです。

 さて宇宙を知る最大の難点は、形を通して知ることができない点です。人類は人工探査機を飛ばし宇宙の実態を探ろうとしていますが、形を取った物をどんなに調べても、何一つ実を得ることはありません。なぜなら、宇宙の実相は見えるところにあるのではなく、見えない部分に隠されているからです。だから、どんなに表面をほじくり回しても、幻は発見できても真実は発見できないのです。宇宙の謎を解きほぐしたければ、人間意識の奥深くに潜り込むしかないのです。なぜなら、人間意識と宇宙意識は同一の意識だからです。


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唯物論から宇宙生命の謎に迫る。

 では、宇宙の輪郭が掴めたところで、なぜ人間が宇宙生命なのか説明したいと思います。

 もしあなたが死んだら、あなたはどうなるでしょうか?。ボディーを自分と思っている人は、" 何もかもお終いさ!、ボディーあっての自分なのだから・・・ "と思うでしょう。では、唯物論者が信ずるボディーが全てで、意識はそのボディーが生み出すとの観点から話を進めることにしましょう。

 今あなたが生きているのは、紛れもない事実ですね。ならば確率論的にいえば、この後の誕生も「無し」とはならないでしょう。

なぜなら、0、000000000000・・・・1の偶然とも思える確率で誕生したあなたも、宇宙の無限時間においては偶然でなくなるからです。分かりやすく、仮に10兆年分の1の確率であなたが誕生したとしましょう。たとえこの分母が無限数であったとしても、0を並べるわけにはゆきません。なぜなら、今、現にあなたが存在している事実があるからです。ならば10兆年後、再びあなたは生まれてくることになります。永遠が宇宙ですから、時間も永遠に続くでしょう。ならば、


無限時間 × 1 / 10兆年 = 無限数となり、生まれる回数は無限数となります。


 勿論、ボディーは今のあなたのボディーではありませんが、あなたというあなたではあります。

 さて、唯物論者はボディーが自我を作ると信じていますから、ボディーの死は無意識の始まりとなり、死に至った人はその瞬間から無意識に陥り、次生10兆年かかろうが、無意識においては一瞬と感じるでしょう。もし唯心論者の信ずるように、死はボディーだけの現象で、意識は永遠に存続するとの観点に立てば、生と死の区分けができ、ボディーから離脱した人は一時の安寧が与えられるでしょう。要するに、自分のボディーの死を観察できるわけです。

 さて、ここで結論付けられるのは、あなたは再び生まれてくるという事実であり、その回数は無限数であるという事実です。よって唯物論者の死生観は、生の連続体となって休みなきボディーの旅路が続くことになります。それでは、A・B・C・D・のあなたは、全く関係ないあなたなのでしょうか?。すなわち、今、自分と思っているあなたと、未来で自分と思っているあなたの関連性は全く無いのか?、ということです。


【A】という名のあなたの誕生【A】という名のあなたの死

【B】という名のあなたの誕生【B】という名のあなたの死

【C】という名のあなたの誕生【C】という名のあなたの死

【D】という名のあなたの誕生【D】という名のあなたの死


 私がいいたいのは、唯物論や唯心論に関係なく、あなたは再び生まれてくるという事実であり、それは自分という意識の再生であるという事実です。再生というより、意識の続行といった方が正しいかも知れません。その自分という意識の持ち主は、一体何者なのでしょうか?。


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私が宇宙を存在させている。

 面白いゲームをしましょう。

まず目を閉じ、大の字になって床に寝ましょう。

次に、私は今、大宇宙の真っただ中に浮いている、とイメージしましょう。

 私は今、上下左右真っ黒な大宇宙の中に浮いている。

ものすごく気分が良い・・・。体の感覚が無いくらいリラックスしている。

では、リラックスしたところで、


まず、目を取ってしまいましょう・・・もう私は何も見えません。

次に、耳を取ってしまいましょう・・・もう私は何も聞こえません。

次に、鼻を取ってしまいましょう・・・もう私は何も臭いません。

次に、舌を取ってしまいましょう・・・もう私は何も味わえません。

最後に全身を捨ててしまいましょう・・・もう私は何も感じません。


 さて、すべてを捨て去った私に残っているのは、「私」の意識のみ・・・。そう、大宇宙に「私」の意識が浮いているだけです。

 私は身軽です。何の束縛もありません。自由そのものです。どこへでも行くことができます。大きくも小さくもなれます。

 では、その意識も捨ててしまいましょう。えっ・・・・??。

 しかし、意識は捨てられない。決して捨てることはできない。なぜなら、私の意識を捨てたその瞬間、宇宙は消え去ってしまうからです。なぜ消える?。

 私の意識が宇宙を存在させていたからです。私の意識が宇宙を感じ、地球を感じ、妻や子を感じ、親兄弟を感じればこそ、それらのものは存在できたのです。その意識が無くなれば、その瞬間すべてのものは消え去ってしまうはず・・・!?。

 そうです。私の意識がすべてを存在させていたのです。私の意識がそれらのものと関係を結んでいたから、それらのものは存在できたのです。その私の意識が無くなれば、関係を結んでいたそれらのものは当然無くなってしまうはず・・・?。つまり、宇宙は消え去ってしまうことになる・・・。

 あなたは、自分の意識が無くなった後のビジョンが描けますか?・・・。このまま眠りに入り、永久に目覚めない自分を想像することができますか?・・・。できないはずです。なぜなら、あなたの意識は絶対無くならないからです。無くならないことを本能的に知っているから、ビジョンが描けないのです。意識はボディーが生み出すとしたことが、死んだら意識が無くなると思わせただけです。

「私は絶対無くならない!。」

「私は永遠不滅の存在です!。」

 では、永遠に無くならない「私」とは、何者なのでしょうか?。宇宙を存在させていた不滅の「私」とは、一体何者なのでしょうか?。

 そうです。宇宙そのものだったのです。宇宙そのものだから、「私」は宇宙と共にあったのです。私が無くなれば宇宙が消えてしまうのは、「私」そのものが「宇宙」そのものだからです。

 本当の私はボディーでは無いのです。本当の私は意識そのもの、生命そのもの、宇宙そのものだったのです。名前はどうでも良い!、ただ永久に無くならない意識こそが本当の私なのです。私の意識が永遠だから、死後のビジョンが描けなかったのです。

 宇宙に意識が一つしか無いとすれば、私達一人一人の意識は全体意識になるでしょう。ということは、一人の意識でも無くなれば全体意識も無くなってしまうことになる・・・。でも、そんなことは絶対あり得ないわけですから、私達一人一人の意識も決して無くなることは無いのです。

 意識はあくまでも主観的なものです。宇宙はたった一つの主観的意識で成り立っているのです。主観あるのみだから私は無くならないのです。この宇宙に客観性というものは無いのです。私しか無い世界で、どうして客観視できるというのでしょうか?。誰も客観視などできないのです。その人の立場になって物を見たり、聴いたり、考えたり、する事などできないのです。客観視できた人など、未だかって一人もいないのです。想像はできるでしょう。でも、その想像しているあなたは、一人しかいない主観者であるあなたではありませんか?。

 この宇宙には、あなたしかいないのです。あなたがこの宇宙の主なのです。すべての全てなのです。宇宙意識そのものがあなたなのです。その意識はボディーにおいては多となり、生命においては一つとなります。つまり、相対(時空)においては多となり、絶対(生命)においては一つになるのです。本来意識は一つしか無いのですが、ボディーを私と思っている人達には、沢山の意識があるように見えるのです。だから、私があり、あなたがあり、とぶつかり合う世の中になっているのです。私の正体は一なる意識そのもの、大宇宙に一つしか無い意識そのもの、宇宙生命そのものだったのです。

 もう一度いいます。この宇宙は一つの意識で成り立っているのです。一つの意識しか無いなら、どうして客観視できるというのでしょうか?。客観視できるのは、意識が二つ以上ある宇宙です。しかし、そんな宇宙があるわけ無いのですから、客観視できるわけは無いのです。


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すべては宇宙生命の分身である。

 子供のように単純に物事を考えてみましょう。そして、あるものはあると素直に認めましょう。物が存在している背後には、それを存在させている何かが必ずあるはずです。何もないところから、ポカリと物が生まれるわけがないからです。では人間は、一体何から生まれたのでしょうか?。

 人間のボディーを科学的に分析してゆくと、諸器官・細胞・分子・原子に行き着きます。さらにさかのぼって行くとクオークに達し、さらにさかのぼって行くと一つの意識に到達します。大元は一つの意識から成り立っているのです。この段階になると時空を超越しており、もう表現方法がありません。ただ「1」を示すしかありません。「1」それは意識と意志を持った絶対意識、この宇宙に唯一君臨する宇宙生命(宇宙意識)そのものです。人間も他の生き物も、すべて宇宙生命から生まれた宇宙生命の分身なのです。

 その宇宙生命の意識核の放射によって、宇宙の創造は開始されました。意識核が放射された途端に時空が生まれ、表現宇宙が誕生したのです。意識核の一定量集まったものを生命核(原子核・魂)といいますが、電子を伴っていないためそのままでは時空に存在できません。ですから時空が生まれた瞬間には、すでに原子化しているのです。つまり原子は、反原子と絶対原子の三位一体となったバランスの塊となっているのです。その意味では、原子は愛の結晶といって良いでしょう。その原子が元素となっているところから、当然、元素にも意識があり、元素を素材とする物質にも意識があることになります。でも、元素には自我がありません。意識が希薄な状態なため、自分が何者か自覚できていないのです。自我を持つためには、形を持ち一定量の生命核を宿す必要があるのです。

 人間は、意識核を宿した元素の集まりであるボディー(外面)と、ボディーの中に生命核(内面)を宿した二重生命体です。鉱物も、植物も、動物も同じ二重生命体です。この宇宙では、形が作られるとその中心に必ず生命核が宿る仕組になっているのです。ただ生命核の量が多いか少ないかによって、宇宙や自分を自覚できる能力と創造能力に差が出るだけです。一定量の生命核を有する人間は、自我を持つところまで進化しておりますから、それ相応の創造力が発揮できますが、鉱物や植物や動物はまだ生命核が少ないため、自我を持って活動する段階に至っていないのです。でもその人間も、まだ自分の本性を見破るところまで進化していません。 だから私達は生命核を多く集め、「自分は宇宙生命である!」、と自覚できるところまで上り詰めねばならないのです。

 なぜ人間が宇宙生命なのか、理解できましたでしょうか?。あなたがどんなに宇宙生命で無いと否定しても、あなたが宇宙生命である事実は変わらないのです。なぜなら、あなたの意識は絶対無くならないからです。ためしに目をつぶり、自分の意識が無くなった後の自分をイメージをしてみて下さい。絶対イメージできないはずです。特に、このメッセージを読んでいるあなたはできないはずです。意識が高いからです。

 自殺する人は、死んだら何も分からなくなるから楽だろうと考えますがとんでもない!、ボディーは破壊できても意識は絶対無くすことはできないのです。自殺した人の殆どが、向こうで地団駄を踏んで悔しがっています。なぜ、このような愚かなことをしたのだろうと・・・。

 車から降りたら、運転手の意識は無くなるのですか?。無くなりませんね!。同じようにボディーから降りても、あなたの意識は無くなることはないのです。ボディーはあくまでも意識(生命)の乗り物です。

繰り返します。あなたはボディーではないのです。人間ではないのです。「意識」そのもの、「生命」そのものです。ならば、何を大切にせねばならないのでしょうか?。実在しないボディーですか?。実在する生命ですか?。生命ですね。

この世の物が永遠なら、物の価値は認めましょう。しかしどんな物も、時間と共に消えて無くなってしまうのです。お金も、宝石も、民族も、国も、地球も、表現宇宙さえも、いつか必ず消えて無くなるのです。だから釈迦は、

 「無常なるものを追いかけてはならない!、永遠なるものを追いかけなさい!」

 といわれたのです。永遠なるものとは、生命のことです。本当の自分のことです。

 悟った人は、人間が汗水流してやっている「事」を、空しい「事」と冷めた目で見ています。このメッセージを読み終えたころ、あなたもきっとその意味を知るでしょう。


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