(12)新しい出発を誓う人に捧げる言葉

 人生ってこんなもので良いのか?。何かし忘れている事があるのではないか?。60歳も過ぎ人生の終幕が近付いてくると、人はこれまで歩んできた人生に疑問を持ちはじめるものです。でも、どうして良いか分からない?、分からないから自分をごまかして生きるしか無い、そこで旅行をし、多彩な趣味を持ち、グルメに興じる、そんな人が多いのではないでしょうか?。疑問を持ったら、その疑問を取り除きましょう。60歳からが人生の勝負なのですから・・・。

 人生の荒波にもてあそばれ、心ならずもやりたくないことをやり、良心の呵責に耐えかねている人も少なくないと思いますが、肉体を持って生きている限り、悪いことをしない人など一人もいないのです。(心で犯す罪も同罪です)悪いことをするのが悪いのでは無く、悪いことを悪いまま放って置くことが悪いのです。過去の思いや行為を元に戻すことはできませんが、気付いた後の人生を正すことで過去の償いができ、更なる飛躍も可能なのです。その方法を私の体験からお伝えしたいと思います。

 

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人生を正す方法。

 20数年も前になりますが、私も人生の荒波にもてあそばれ堕落した時代がありました。しかしあるきっかけを境に、人生を変えようと決意したのです。それはそれは、断崖絶壁から飛び降りるような強い決意と勇気が要りました。

「今日ただ今から良心に恥じない生き方をする!。」

「これまでの人生の総懺悔をする!。」

「世のため、人のため、あらゆる生き物のために、残りの人生を捧げる!。」

 この三つの誓いを胸に秘め、私は人生の再出発を図ったのです。それは一切の妥協を許さない一大決心でした。その日から私は、毎日西の空に向かって祈りを捧げるようになりました。「神様・・どうか私を、世のため人のためにお使いください!」と・・・。これまで犯した罪を、返したいと思ったからです。数週間後のある晩、私は素晴らしい体験をさせてもらいました。それは生命(神様)からのご褒美だったと、今でも私はそう思っています。それから以後の私は、人が変わってしまいました。周りの環境に変化が起きはじめました。出会う人達にも変化が起きはじめました。仕事も順調に回転しはじめました。その時は意識していませんでしたが、今考えてみると再出発を誓ったことで生命核が増え、それが環境の変化という形で現れたのだと思います。

 私達の中には生命核(魂)が存在します。その生命核は、常に増殖を願って私達の心を叩いています。しかし自我が活発化していると、生命の思いが顕在意識に届かないため、正しい考えや行動に結びつかないのです。私が人生の再出発を誓ったことで生命との同調ができ、生命核が増えたと考えられるのです。


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【光のメロディー集/・・・祈り・・・

 

 

生命核を増やす方法。

 生命核(魂)とは原子核のことです。原子核は生命エネルギーですから、原子核が増えればエネルギーが強まるため、これまでの考え方や生き方に変化が生まれるのです。また直感力や判断力が増すため、これまで不明だった問題点の解決の道筋が見付かるのです。さらに高い波動との同調(守護霊によって導かれる)が起こるため、必要な情報が入ったり、予期せぬ人との出会いが起こったりして、人生が良い方向へ転換してゆくのです。

 大懺悔も、一大決心も、間違いなく生命核を増やします。特に、真に人のために尽くしたい!、社会のために尽くしたい!、と思って成す行為は、間違いなく生命核を増やします。これは仕事上でもいえることで、たとえば部下をかばう、人の嫌がる仕事を引き受ける、相手のためになることを考え仕事をする、これは自我を少なくすることにつながりますので、生命との絆が強まり、生命核を増やす要因になるのです。自我が生命との断絶をもたらしていたわけですから、自我が少なくなれば生命核が増えるのは当然なのです。ただしどんなに良いことでも、動機が不純であってはなりません。正しい動機に基づく正しい行いをすることが大切です。

 このように、人のために社会のために尽くす思いで生きれば、日々の生活に張りが生まれ、充実した一日を送ることができるようになります。人生で置き忘れていた何かを発見したような、爽やかな気分になれます。これは私の体験からいえることなので間違いありません。是非やってみて下さい。なぜ決心すると原子核が増えるかについては、別な機会を設け説明したいと思います。最後に元気の出る人生の応援歌をいくつか紹介し、この章を結びたいと思います。

 

  • 神は小学生に大学生の問題は与えません。今あなたに難しい問題が与えられているとしたら、神がその問題をこなせる実力の持ち主だと判断したからに外なりません。これは大いに誇って良いことです。さあ、自信を持って難問に挑戦しましょう。それは誰のためでもない、自分のためなのですから・・・。

 

  • "自分なんかいない方がいい!"、そんな悲しいことをいってはなりません。この世に存在するもので、不要なものは何一つないのですから・・・。  

・石に穴をあけ続ける雨滴を見て、心打たれるかも知れない!。   

・木の葉の舞い落ちるのを見て、素晴らしい詩を思いつくかも知れない!。

・果敢に道路を横切る毛虫を見て、勇気づけられるかも知れない!。

 こんな小さな存在でさえ、周りのものに影響を与えずにはおかないのです。ましてやあなたの存在が、どれほど周りの人達に影響を与えていることか・・・。たとえ一歳で閉じる人生でさえ、その両親に、その兄弟姉妹に、周囲の関係者に、大きな波紋を残して行くのです。それほどあなたは、掛け替えのない存在なのです。

 

  • 愛する人と暮らすのは素晴らしい!・・・。でも、その有り難みもつい忘れてしまうもの、空気や水のように・・・。

 思い出しましょう!。素晴らしかったあの頃のことを・・・ただ側にいるだけで幸せだったあの時代のことを・・・。

 

  • 長寿の譬えに、鶴は千年、亀は万年、という諺があります。短命の譬えに、蝉はひと夏の命、カゲロウは一日の命、という諺があります。しかしどんな命を生きても、同じ命を生きたことに変わりはないのです。

 大切なのは、どれほど永く生きたかでは無く、どれほど充実した人生を送ったか?、どれほど納得のゆく人生を送ったか?、ではないでしょうか?。

 

  • 喜びは自然の本源的姿です。蝶は喜々として飛び回り、小鳥はさえずり、仔馬ははしゃぎ、子猫はじゃれあう・・・、花も、木も、川も、湖も、山も、海も、喜びをいっぱい表しています。それは、今の与えられた環境に満足し切っているからではないでしょうか?。

 人間はどうでしょうか・・・?。私達も与えられた環境で精いっぱい生きれば、彼らのように楽しく生きられるのです。 

 

  • どんな絵も彫刻も、最初から完成されたものはありません。

 何が何だか分からない状態から、徐々に完成されて行くのです。今の私達も見かけは良くないが、いつか必ず芽を出し、花を咲かせ、実を結ぶのです。その果実がどんなにみすぼらしくても、そこに全能の生命が宿っていることは間違い無いのです。

 

  • 辛い時が悪いわけでもない!、楽しい時が良いわけでもない!、良い時も悪い時も共にあって良いのです。昨日の良き日も、今日の悪き日も、あなたには無くてはならない大切な一日だったのです。

 学びの体験に善し悪しなどないのです。今私達は、絶好の学びのチャンスが与えられているのです。

 

  • 大自然の優麗なパノラマの数々をごらんなさい!、そのデザイン、その色合い、その配置、どれを取っても人間技の比ではありません。この素晴らしい創作をしたのは、一体誰でしょうか?。

 絵が勝手に描かれないように、ビルが勝手に建たないように、哲学の論文がアイウエオの偶然の集まりでないように、大宇宙を創造したのも、大自然を創造したのも、その背後にはそれを創作した何者かがいたのです。それを私達は、神(生命)と呼んでいるのです。

 

  • 人は平々凡々の日の下では、得るものが少ないものです。厳しい嵐の中でこそ、大きな飛躍が期待できるのです。その意味では、逆境にある時こそ栄光の道を歩いているといえるでしょう。考えてもごらんなさい、悩みも苦しみも無い人生の何と退屈なことか・・・。

 

  • 過ぎ去った時は使えません。未だ来ぬ時も使えません。使えるのは唯一今という時だけです。あなたの人生に足跡を残すのは過去でも未来でも無い、今日という一日なのです。

 その一日をあなたは、どのように使っているでしょうか?。

 

  • ああだ!、こうだ!、と考え行動に移さない人は、種を撒こうとしない農夫のようなものです。その種は手の中で腐り、やがて使い物にならなくなってしまうでしょう。人生も同じこと・・・。やろうと決心したら実行に移すことです。種も撒けばこそ、芽を出し、花を咲かせ、実を結ぶのです。たとえその実がどんなに貧弱であっても、その実の中には貴重な人生体験の醉が詰まっているのです。

 

  • どんな仕打ちを受けても、決して人を憎んではなりません。その人は自分のために悪役を引き受けてくれたのですから・・・。そう思えば、「ありがとう!」の感謝の言葉も出てこようというものです。

 かって自分も敵役を演じていたかもしれません。いや間違いなく演じていたでしょう。そして今後も役を取換え演じ合うことでしょう。討つ役あれば、討たれる役あり、世の中は実にうまくできているものです。

 

  • しかめ面して生きても一生、笑顔で生きても一生ならば、楽しく生きようではありませんか?。

 明るい処には蝶や蜂が舞飛び、暗い処にはネズミやゴキブリが徘徊するのです。今どんな環境にあろうと、ジョークは飛ばせるはずです。おどけることもできるはずです。笑顔だってふりまけるはずです。そんなあなたを見れば、誰もがあなたを好きになるでしょう。

 

  • この世には愛別離苦があります。特に愛しい人との死の別れは、別れがたい別れです。でも死は、別れではありません。一つに帰る別れです。一つに戻る別れです。

 本当は別れなど無いのです。一から生まれ一に帰る別れがあるだけです。出てきた故郷に帰る別れがあるだけです。

 

  • 今自分がどん底にあるからといって、投げやりになってはなりません。落ちれば落ちるほど上がりもまた大きいのですから、トランポリンを飛んだ時のように・・・。

 さあ、飛躍できる時のやってくることを信じ、今を精いっばい生きましょう。

 

 老人の茶飲み話のほとんどは昔話です。確かに人生を振り返れば、楽しかったこと、苦しかったこと、懐かしい思い出など、山ほどあるでしょう。でもその思い出に登場した人達は、今も健在でしょうか?。祖父母はどうでしょう?、父母はどうでしょう?、叔父や叔母はどうでしょう?、兄弟姉妹はどうでしょう?、隣人達はどうでしょう?、あの政治家は?、あの女優は?、あのアスリートは?、あなたの家は?、あなたの町は?、・・・。こうして見ると、人生は夢の如しです。 

 そう、人生は夢物語なのです。この世の出来事で、一つだって真実なるものは無いのです。そんな夢事を懐かしがったり、感傷に浸っていてどうなるというのでしょうか?。私達は一日も早く、浮世から卒業しなければならないのですよ・・・。

 人生を懐かしがったり思い出にしがみついたりしていては、再び生まれてこなくてはなりません。生まれれば、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみがあります。もうこりごりですよね!。だからイエスは、「二度と生まれてはならない!」、と戒められたのです。

 この世の幸せなんて一時です。でも、生命の世界の幸せは永遠なのです。あなたは、一時の幸せが欲しいのですか?。永遠の幸せが欲しいのですか?。イエスの戒めの言葉を、じっくりと噛み締めたいものです。

 

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