(5)体験を通して学ぶ

 体験なしに偉大なことを成し得た人など、世の中に一人もおりません。偉人・才人といわれる人ほど、多くの体験を積んでいるものです。

 体験は人間ばかりでは無く、どんな生き物も成長させます。それも多く体験すればするほど、大きく成長させてくれます。だから臆することなく、何にでも挑戦したら良いのです。鉱物も植物も動物も体験して成長し、その果実を人間にバトン・タッチしてくれたのです。


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動くことは体験することである。

 この世に存在するどんな物も振動し動いております。石も、鉄も、原子も、振動し、みな動いております。例外はありません。

 動けば出会いが生まれ、出会えば必ずドラマが生まれます。つまり体験できるのです。私達は体験するために生まれ、体験を通して成長するよう計られているのです。ただし進化の度合いによっては、多く体験できる物とできない物があります。たとえば、鉱物は自ら動きませんのであまり体験できません。だから彼らは、長い年月をかけ少しずつ成長してゆくしかないのです。しかし鉱物も進化の後半には、何かを介して体験範囲を広げようとします。たとえばダイヤモンドや水晶のような進化した鉱物は、飾り物となって人の身に付けられ体験を深めます。

 植物も自由が制限されているため、思うような体験はできません。でも風や虫や動物によって運ばれ、体験範囲を広げることはできます。中でも進化した花や木は、観賞用として、食用として、薬用として、人間生活の中に入り込み、色々な体験をすることができます。

 動物になると体験範囲は一段と拡大します。特にペットは、じかに人間の波動を受けることができますので、飛躍的な成長が期待できます。人間になるともう限界がありません。

 このように進化すればするほど自由が拡大し、体験量も質も豊富になって行くのです。その意味では、人間には無限の成長の可能性があるわけです。その体験内容は、幼いうちは単純で肉体的に厳しい体験を、中熟してくるとやや複雑で肉体的・精神的に苦しい体験を、熟してくると難度な精神的体験へと移って行きます。神は成熟度に応じ、体験内容を物質的なものから精神的なものへ、容易なものから難度なものへと引き上げられるのです。

 環境が変わると、誰もが戸惑ったり不安になったりするものですが、これはステップ・アップの変化であって、決してステップ・ダウンの変化ではありません。環境が変わるのは、成長の証なのです。その時には分からなくても、後で振り返れば必ず納得ゆくはずです。だから厳しい環境が与えられたからといって、決して逃げ腰になってはなりません。むしろ誇りに思って果敢に挑戦すべきです。


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この世は体験道場である。

 家に閉じこもっている人より、外に出て悪事を働いている人の方が成長が早いといわれるのは、悪事の中にも学びの材料が沢山あるからです。火傷して火の扱いを学ぶのです。手を切って刃物の扱いを覚えるのです。怖がって何もしなかったら、何も学ぶことができません。たしかに外に出れば、嫌なことも煩わしいことも沢山あるでしょう。でもその体験がなければ、気付くことも、発見することも、できないのです。

 例えば、ここに幸せしか知らない人がいたとしましょう。その人は幸せなのに、幸せしか知らないために幸せだと思えないのです。本当は幸せなのに幸せとは思えない、これほど悲しいことは無いのではありませんか?。おいしいものをたらふく食べながら、不平不満をいっているようなものです。それはひもじい体験をしていないからです。不幸を知らないから、幸せの中にいても幸せとは思えないのです。勿論、わざわざ苦しみをもらいに行く必要はありません。でも体験が必要な魂は、どうしても自ら苦しみをもらいに行くのです。

 今逃げ腰で家に閉じこもっている人は、作用と反作用の法則によって、必ずしっぺ返しを受けるでしょう。この宇宙は、逃げて得するようにはできていないのです。必要な課題を克服するまで、何度も何度も同じ体験をさせられるのです。そうしなければ、次のステップを踏めないからです。ならば、早く課題を克服した方が利口では無いでしょうか?。

 ここで重要なのは、気付くということです。気はエネルギーですから、気付くとエネルギーが強まり、理解力や判断力が増すのです。理解力が増せば次の気付きにつながります。そうすると、その気付きがさらに理解力を高めるといった良い循環を生み、ますます判断力や見識力が高められるのです。だからいわれるのです。気付きは悟りの第一歩であると・・・。しかしその気付きも、体験なしに得られるものではありませんから、やはり体験はとても大切なことなのです。

 動いて、出会って、ドラマを演じ、その体験を通して成長するよう設定されているのが宇宙の仕組みです。すべて学びの一環です。だから体験を嫌ってはならないのです。体験が自分を成長させてくれると思えば、どんな厳しい体験もひるまず挑戦できるでしょう。

 

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【光のメロディー集/・・・体験・・・

 

 

人生体験を繰り返す理由。

 この宇宙の素晴らしいところは、すべての人に平等に悟りのチャンスが与えられている点です。それは時代を問わず、人種を問わず、性別を問わず、頭の良し悪しを問わず、貧富の差を問わず、職業の別を問わずです。しかしチャンスは平等であっても、悟りの道程における体験は人それぞれ違うのです。それだけに、煩悩のアカの付き方も濃さも違うのです。

 煩悩のアカ落しは、一皮一皮、一歩一歩、着実に課題を克服してゆくしかありません。克服する課題は大きく分けて三つあります。

  一つは、「本能的欲望からの脱却です。」

  二つは、「感情の克服です。」

  三つは、「想念のコントロールができるようになることです。」

 この三つの課題は、本来瞑想によって克服可能なのですが、今の地球において瞑想で克服できる人は、殆どいないといっていいでしょう。なぜなら、これほど煩悩の火が燃え盛っている地球では、心穏やかに瞑想できないからです。私達は、欲望をむさぼることの空しさ、感情に流されることの愚かさ、悪想念から受ける恐ろしさなどを通して、一つひとつ煩悩の火を消してゆくしかないのです。それがまた、瞑想しやすい環境を整えることにもつながるからです。では、乗り越えねばならない課題について、一つひとつ見てゆくことにしましょう。

 まず食欲・色欲・などの克服ですが、この本能的欲望は動物時代の癖が残っているため、厳しい相対的体験が必要になります。ある時は腹一杯を体験し、ある時は餓死寸前を体験します。ある時は女性に振られる体験をし、ある時は女性にもてる体験をします。物欲・金銭欲・権勢欲・自己顕示欲などの克服も、相対的体験を通して行われます。ある時は乞食を体験し、ある時は大金持ちを体験します。ある時は奴隷を体験し、ある時は王を体験します。ある時は黒人を体験し、ある時は白人を体験します。このように様々な相対的体験を通して、愚かさ、哀れさ、憤り、空しさなどを知ってゆくのです。

 次いで感情の克服が待っています。家族や隣人や友人などとのトラブルは、怒りや、憎しみや、恨みなどの悪感情を生み出しますが、その悪感情は巡り巡って自分のところにダメージとして帰ってきます。そこで挫折感を味わい、空しさを味わい、冷静さを取り戻した時、人は悪感情の愚かさに気付かされます。また肉親との別れや恋人との別れ、夫婦間の情愛や親子間の情愛などから生まれる悲しみや苦悩は、人に正しい感情の持ち方や愛情の持ち方を教えます。

 最後の想念のコントロールは、人生の総仕上げといったところでしょうか?。私達が演じてきたドラマの内容は、総じて苦しみや悲しみの連続であったといっても過言ではないでしょう。そのために、何かといえば苦い体験が思い出され、ネガティブな想いに傾きがちになります。そのネガティブな想いが災いを生み出しているわけですが、それに気付かないため、さらにネガティブな想いの上塗りをしてしまいます。でもどんな体験も無駄になっておらず、「なぜ?なぜ?」の疑問が、克服するコツを覚えさせるのです。想念のコントロールができたら、一夜にして理想世界がやってくるといわれるくらい、想念のコントロールはとても大切なことなのです。

 このように人生体験は、この世のアカを付ける一方、消してもくれるのです。アカを多くつけて帰るか、少なくして帰るかは、ひとえに本人の自覚と努力しだいなのです。

 それにしても宇宙はうまくできているもので、絶対世界の感動の素晴しさは、相対世界の苦しい体験無しには分らないのです。例えば、みすぼらしいものがあるから、豊かなものが分かるのです。醜いものがあるから、美しいものが分かるのです。不幸せがあるから、幸せが分かるのです。でも、一極に立っていては分りません。分かるのは、両極を体験しどちらにも偏らない中心点に立った時です。だから、体験ほど大切なことは無いのです。


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体験なしに知恵は育たない!。

 人はこの身で体験してはじめて、知識を知恵に変えることができるのです。だから私達は、生身の体を纏ってこの世に生まれてきたのです。なのに知識ばかり貪り体験を嫌っていては、何のために生まれてきたか分かりません。頭でっかちでは、知恵は育たないのです。どうですか?、知識だけで泳げるようになりますか?。滑れるようになりますか?。乗れるようになれますか?。なれないはずです。体験してこそ、知恵の花が咲くのです。

 若い求道者の中に、知識に溺れている人たちが結構おられます。彼らは知識を振りかざし論争し合っていますが、それは絵に描いたボタモチを食べ合っているようなもので、何の栄養にもならないのです。もともとこの宇宙には、全体としての知恵・無限の知恵があるだけで、小分けされた知恵があるわけではないのです。体験した時、知識が小分けされた知恵に変わるのです。

 すなわち、

 「こう言う事をしたらこういう事が起きた!、ああ言う事をしたらああいう事が起きた!、だからこういう生き方をしなければならない!、ああいう生き方をしなければならない!」、と体験が知識を知恵に変えるのです。だから私は若い求道者にいうのです。今あなた達がやらねばならないのは、出来るだけ多く体験をすることですよ!、と・・・。若い時多く体験した者は、晩年真理に出会っても容易に知識を知恵に変えることができますが、若い時体験を嫌っていた者は、どんなに若い時から真理に出会っていても知恵を得るのは難しいのです。

 一番良いのは、人生体験をしながら真理を追求することです。肉体を維持し、家庭を維持し、社会生活を維持しながら真理を追求するのは大変かも知れませんが、それができたら、(布石を打っているので)後々間違いなく果実を手にすることができるでしょう。

 若い求道者に私はいいたい・・・真理(瞑想を含め)を追求することは大変重要ですが、人生体験はもっと重要なのですよと・・・。


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