(1)神とは何か?

神とは何か?。

 盲目の人生を歩む人とは、肉体を自分として生涯を終わる人のこと、つまり外側の影だけ見て、内在する光を見ないで終わる人のことをいいます。

 人間はが天下って化身したもの、人間即神、神即人間であります。神が表現するには、神自らが天下って表現物(人間)になるしか無いのです。なぜなら、この宇宙には神の外には何も無いからです。

 外側を見たら無能の人間に見えますが、内側を見たら全能の神なのです。

 人が神だからこそ、思い、考え、工夫し、様々な物を創造することができるのです。

  • もの思えるのも神だからこそです。
  • もの語らえるのも神だからこそです。
  • もの行えるのも神だからこそです。

 神ならばこそ記憶し、神ならばこそ筆を執り、神ならばこそ物語れるのです。神が神を思い、神が神に奉仕し、神が神を愛するのです。

 神は、

  • 不滅なるもの
  • 永遠なるもの
  • 完全なるもの
  • 絶対なるもの
  • 実在そのもの

 神は、

  • 時間と空間に関係のないもの
  • 大小に関係ないもの
  • 広い狭いに関係ないもの
  • 重い軽いに関係ないもの
  • 過去未来に関係ないもの

 神は、

  • 見ることのできないもの
  • 聴くことのできないもの
  • 触ることのできないもの
  • 味わうことのできないもの
  • 嗅ぐことのできないもの

 神は、

  • 切ることのできないもの
  • 焼くことのできないもの
  • 溺れさせることのできないもの
  • 爆破することのできないもの

 神は永遠にして不滅です。その神は、私の中にも、あなたの中にも、万象万物の中にも宿っているがゆえに、すべては神の分身なのであります。

  • 分身の中に、神のすべての属性が宿っているのです。
  • 分身の中に、全宇宙の知恵と、力と、光が宿っているのです。
  • 分身の中に、神の慈愛のすべてが宿っているのです。

 その神は、恐れ多い存在でも無ければ、神秘的存在でもありません。神は偉大な下僕であり、ありふれたお方です。

 神は、

  • 拝むものではありません。
  • 祭るものでもありません。
  • 崇めるものでもありません。

 神は、

  • 知るものです。
  • 理解するものです。
  • 実感するものです。

 神は、

  • 架空の存在ではありません。
  • 空想や妄想の産物でもありません。

 神は、

  • 現実に生きて働いている力そのものです。
  • 心臓を動かしている力そのものです。
  • 蜂に巣を作らせている力そのものです。
  • 鳥を羽ばたかせている力そのものです。
  • 花を咲かせ、実を結ばせている力そのものです。
  • 絵を描かせ、唄を歌わせている力そのものです。
  • 原子を回転させている力そのものです。
  • 地球を回転させている力そのものです。
  • 大宇宙を運行させている力そのものです。
  • 真・善・美を輝かせている力そのものです。

 神は、

  • 意識そのものです。
  • 意志そのものです。

 神は、

  • 無限です。
  • 普遍です。
  • 全体です。
  • 有りて在るもの、すべての全てです。
  • すなわち、存在そのものです。

 

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【光のメロディー集/・・・神・・・

 

 

神を探す?。

 「神はどこにおわすのか?・・・。」

 人は永きに渡って神を探し続けてきましたが、未だかって神を探し当てた人は一人もおりません。当然です。神である自分が、神を探すのですから、探せるはずがなかったのです。

 聖者はいいます。

 「人間は自分が神だと気付くまで、永遠に外に神を探し続けるであろう」と・・・。

 またこうもいいます。

 「あなた方と私との違いはたった一つ、私は自分のことを神だと思っているが、あなた方は自分が神でありながら、神でないと思っているだけである」と・・・。

 自分とは、神が「自」らを「分」けたのです。だから人間はもともと神だったのです。いや、今も神なのです。神はどこか遠くにおわすのでは無く、一番身近な私達の中におわしたのです。

 どんな良いことをしようと、どんな宗教をしようと、自分が神だと気付くまでは天に入ることはできません。どうか神を知って下さい。本当の自分を知って下さい。知った者のみが天に入れるのです。

 

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神は私と共にいる。

 これまで神を探し当てた人は、ほんの一握りの人達にしか過ぎませんでした。なぜでしょう?。それは、神が余りにも身近にあり過ぎたからです。

 神は初め無き初めより私達と共にあったのです。なのに私達は、外に神を探し続けてきました。神の中にいて神を探すのですから、探せるわけがなかったのです。この大宇宙が神であり、その大宇宙の中に私達はおり、私達の中に大宇宙があるのですから、私達は初めから神の中の神だったのです。

・私が神なのです。

・あなたが神なのです。

・すべての全てが神なのです。

 私達がすべきことは、自分が神であることを認めることです。宗教に入らなくても、お経を読まなくても、仏壇や神棚に手を会わせなくても、自分が神であることを認めれば即神なのです。もしそこに難しさがあるとすれば、神を認めない自我の思いがあるだけです。

 その思いを捨て、「吾神なり!」と宣言しましょう。自分に納得させましょう。自分に認めさせましょう。

 

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私を見たとき神を見たのである。

 神はどこにおわすや?・・・。

  • 神は私の中におわします。
  • 神はあなたの中におわします。
  • 神はすべての中におわします。

 ゆえに、

  • 私を見たとき、神を見たのです。
  • あなたを見たとき、神を見たのです。
  • 何を見ても、神を見たのです。
  • あれも神です。
  • これも神です。
  • それも神です。

 神を遠くに探してはなりません。神は至る所におわすのです。それは、

  • 石を投げた先にも、
  • 矢を放った先にも、
  • ツバを吐いた先にも、
  • 罵声を放った先にも、
  • いじめたものの中にも、
  • 痛めつけたものの中にも、・・・。

 何をいじめても、神をいじめたのです。何を痛めつけても、神を痛めつけたのです。だから、どんなものもいじめてはならないし、痛めつけてもならないのです。


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神を見たくば?。

 もし神を見たいなら、神に思いを向けて下さい。思いを向けるとは、神を意識することです。切望することです。欲することです。欲すれば与えられるのが宇宙の法則ですから、神はきっと姿を現わしてくれるでしょう。

 瞑想が有効なのは、思いが神を呼ぶからです。それも、思いが強ければ強いほど早く神を呼ぶことができます。だから常に私は、強い気持ちを持って神を呼んでいるのです。「吾神なり!」と・・・。

 もし瞑想に不信感が生まれたら、"私の思いは神の思いだから成就しないはずがない!、"と強く自分にいい聴かせ励ますことです。たとえ今生成就しなくても、無駄になることは絶対ありません。

 一回思えば一円貯金したと思って続けて下さい。塵も積もれば山となることを信じ続けて下さい。


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神が見えるとは? 。

 神が見えるようになってくると、もう神に逆らうことができなくなります。神が見えるといっても、神は姿形がありませんので目で見えるわけではありません。見えるという意味は、神が作られた宇宙法則の働きが、完全性が、絶対性が、素晴しさが、凄さが、見えるという意味です。その法則の完全性は、目を見張るばかりです。

どんなに良いことをしても、法を犯せば裁かれます。

どんなに神に許しを乞うても、法を犯せば裁かれます。

どんなに神にへつらっても、法を犯せば裁かれます。

 そこに情の入る隙間はありません。神は峻厳な愛そのもの、科学法則そのものですから、法を犯せば「因果の法則」によって裁かれるのです。

すなわち、

目には目を歯には歯を!

自分が撒いた種は自分が刈り取らねばならない!

作用と反作用!

因果応報!です。

 神が見えるという意味は、愛の法則の働きとその完全性が、宇宙の法則の働きとその完全性が、因果の法則の働きとその完全性が、見えるという意味です。だから神が見えるようになった人は、法に逆らう愚かなことはしなくなるのです。


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神が錯覚している。

 神は人間(人形)をお創りになり、その中に宿られました。しかし、あまりにも長いこと人間の中に宿っていたために神の自覚が薄れ、人間だと錯覚するようになってしまったのです。でもどんなに錯覚しようと、

意識できるのは、神しかいないのです。

思えるのは、神しかいないのです。

考えられるのは、神しかいないのです。

語れるのは、神しかいないのです。

 自我の思い(人間の思い)があるといわれますが、本来自我の思いなど無いのです。なぜなら、人間は(人形は)思うことができないからです。神が人間と錯覚することによって、神我の思いが自我の思いに変わっただけです。悪くいえば、神の思いを人間が乗っ取ってしまったのです。つまり、人間が指導権を握ってしまったのです。だから知花先生は、人間は盗みの罪と嘘の罪を犯しているといっているのです。

 でも、長いこと同じ環境の中で生きていると、そこの色に染まってしまうのは仕方のないことです。神とて同じです。長いこと人間として生きていれば、人間色に染まってしまうのも無理はないのです。当然、思考も、言葉も、行為も、人間臭くなるでしょう。知恵も、力も、人間以上のものが出せなくなるでしょう。一億円持っていても、持っている自覚がなければ使えないように、神の自覚がなければ神の能力は使えないのです。

 どうか誤解を解いて下さい。錯覚から目覚めて下さい。本当の自分が神であることを思い出して下さい。そうすれば偉大な能力が使えるようになり、一切の苦しみから解放されるのですから・・・。

 

 人が人を生むなら、それは人でしょう。でも神が人を生むのですから、人は神であるはずです。

 

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