(3)神の中には神しかない!

神は本当に存在するのか?!。

 神を否定する人がおりますが、その人は自分を否定していることに気付いていないのです。なぜなら、自分を生み出した創作者の存在を否定しているからです。

 何かが存在している背後には、必ずそれを存在させている何かがあるのです。たとえば、そこに建物があるからには、それを建てようと思った建築主が必ずいるのです。文学書が文字の偶然の集まりで無いように、この世のどんな物も、それを組み立てた創作者が必ずいるのです。その創作者を、私達は神と呼んでいるのです。

 生物学者は、自然発生説や突然変異説を振りかざして神を否定しますが、これほど幼稚な考えはありません。原因者なしに結果はあり得ないのです。ものの起こりの背後には、必ず起こしている何者かがいるのです。

 この宇宙には、様々な形を取って自分を表現している神がいるのです。すなわち、すべての物は神の分身、神そのものなのです。ゆえに人間は神です。人間と神が同じなるがゆえに、人間は創造の思いを持つのです。

 唯物論者は神を否定することによって、唯物論そのものが否定されていることを知らないのです。なぜなら、唯物論を生み出している力そのものを否定しているからです。「ものを思う!、ものを考える!」、その力そのものが神の創造物であることを知らないのです。

 神は間違いなく存在します。これは、今あなたが存在しているくらい確かなことなのです。

 

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神の中には神しか無い!。

 神の中には神しか無いのです。なぜなら、この宇宙そのものが神の御神体だからです。私達は今宇宙の中にいます。ということは、神の体の中にいるということです。神しか無い宇宙で、神の外におれるものなど有るわけが無いのです。ゆえに、私は神です。あなたは神です。万象万物は神です。

 神は一様です。一つの中に、二つも三つもあるわけは無いのです。神の中には神しか無いとは、そういうことなのです。


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神の思いの中に闇は無い!。

 神は光なりきですから、本来神の中に闇などあるわけが無いのです。無い闇を作っているのは人間の心です。

 悩みは闇です。病は闇です。不幸は闇です。みな人間の迷い心が生み出した幻の闇です。幻の闇なるがゆえに、光を思い、光に生きれば、悩みも、病も、不幸も、消えて無くなるのです。

  • 神の思いの中には積極しかありません。
  • 神の思いの中には光しかありません。
  • 神の思いの中には完全しかありません。
  • 積極の中には積極しか無いのです。
  • 光の中には光しか無いのです。
  • 完全の中には完全しか無いのです。

 人の迷いの心の中にのみ、闇があり、消極があり、不完全があるのです。

 そうです。

 消極は人の迷いが生み出したもの!、闇は人の迷いが生み出したもの!、不完全は人の迷いが生み出したもの!、目覚めたら、そんなものはどこにも無いのです。だから、何も恐れることはありません。幻がホンモノにたてつくことなどできないからです。どんなに幻が抵抗しても、所詮ホンモノには勝てないのです。


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神意識しか無い!。

 この宇宙に神の外何も無いならば、神が何かを創造しようと思った場合、神自らが創造物になるしか無いでしょう。自分しかいない宇宙で、誰かに頼んで創造物になってもらうことなどできないからです。ならば創造物の中には、必ず創造主である神が宿っていることになり、それは取りも直さず人間の中に神が宿っていることを意味します。

 そうです。人間は神であります。人間など、どこにもいないのです。人間がいないなら、人間意識があるわけがありません。では今私と思っている意識は、神意識ではありませんか?。神しかいないのですから、そうなりませんか?。

 意識は一つしか無いのです。一つしかないなら、意識を持っている私は、神ではありませんか?。

「意識は神の代名詞です。」

 神は意識であり、意識は神なのです。だから意識あるものは、すべて神であります。私が神なのは、意識を持っているからです。あなたが神なのは、意識を持っているからです。


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吾思えるがゆえに吾神なり。

 本当に有るもののみがもの思えるのです。もの思えるのは、絶対実在である神の証なのです。ならばもの思える私は、本当に有るものではありませんか?。すなわち、絶対実在の神ではありませんか?。

 「吾思えるがゆえに吾神なり!」といえるのは、思えるのは神しかないからです。

有るもののみがもの思えるのです。

有るもののみがもの語れるのです。

有るもののみが事なし得るのです。

有るもののみが瞬けるのです。

有るもののみが脈打てるのです。

有るもののみが息できるのです。

有るもののみが愛せるのです。

 有るもののみが永遠に保存し、有るもののみが永遠に記憶するのです。だから神であるこの宇宙は、永遠の保存庫であり、永遠の記憶庫アカシックレコードなのであります。

 

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神はすべてを知りたもう。

 なぜ、神はすべてを知っているのでしょうか?。それは、神はすべての全てだからです。あなたが何か考えごとをしているとき、あなたの中におられる神が考えごとをしているのです。その神は私の中にも居るわけですから、あなたの考えは私の考えとなり、一なる神の考えとなるのです。

 神は至る処におるのです。神のいない処は無いのです。一柱の神がすべてのものの中にいるわけですから、あなたの考えは神の考えとなり、私の考えは神の考えとなるのです。その私の、あなたの、考えていることを神が知らないわけは無いのです。

  • 私が知っているということは、神が知っているということです。
  • あなたが知っているということは、神が知っているということです。

 だから己を知ったとき神を知ったことになり、神を知ったとき己を知ったことになるのです。己を知ったときすべてのものを知ることができるのは、すべてのものは神そのものであり己そのものだからです。ゆえに神には嘘が付けないし、己にも嘘が付けないのであります。


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神はこういいます。

 神はこういいます。

  • 偽物を通して本物を知りなさい!、
  • 無常なるものを通して常在なるものを知りなさい!、
  • 見える物を通して見えないものを知りなさい!、
  • 無い物を通して有るものを知りなさい!、
  • 影を通して光を知りなさい!、
  • 人間を通して神を知りなさい!、と・・・。

 また神はこうもいいます。

  • 悪を通して善を知りなさい!、
  • 不完全を通して完全を知りなさい!、
  • 不調和を通して愛を知りなさい!と・・・。

 そうです。  

偽りを知った者のみが、真実を知るのです。

ニセモノに気付いた者のみが、ホンモノに気付くのです。

不幸の味を知った者のみが、幸せの味を知るのです。

悪の苦しみを知った者のみが、善の喜びを知るのです。

個の気持ちの分った者のみが、全体の気持ちが分かるのです。

 目覚めた者は、一なる世界から多なる世界を見つつ、多なる世界が一なるもので創られていることを見ております。したがって彼らは、何を見ても一なるものしか見えないのです。つまり、一つ目になっているのであります。

 

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初めから神であった。

 「万象万物は初めから神であった!」というのは、神が万象万物に化身しても神には何ら変化はなく、依然として神そのものであり続けるからです。神は素材そのものですから、素材が万象万物に化身しても、その素材自身は依然として神そのものであるはずです。だから万象万物は、初めから神だといえるのです。

どんなに古くても途中で生まれたものは子孫と呼ばれ、すべて消えゆく存在です。それは、生まれたものは必ず消える定めにあるからです。だから途中で生まれた人間は、神にはなれないのです。もともと人間は神だから、神になれるのです。初めから神だから、神になれるのです。

 ホンモノである神は、創れるものではありません。ニセモノ()だけが造れるのです。だから造られた人間はニセモノ()です。でも、その人間の中に創れない神が宿っているのです。つまりニセモノの人間の中に、ホンモノである神が生きて働いているのです。だから人間は、初めから神だったのです。

 人間が人間を生んだのなら、それは人間かも知れません。でも、神が人間を生んだのですから、人間は神であるはずです。原因が神であれば、結果も神で無くては理屈に合わないからです。だから私達は堂々と、"私は神である!"と宣言すれば良いのです。


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納得させるしか無い!。

●神は物質を造らなかった。

●神は地を造らなかった。

●神は人間を造らなかった。

神は一なるものしか造らなかった。

 

 人間の迷いの目が、霊と物質とを分け、天と地を分け、神と人間を分け、一を二に分けてしまったのです。もし、すべてのものを一つとして見られるなら、人間と神の境目は無くなるでしょう。境目が無いなら、どこからどこまでが人間で、どこからどこまでが神だといえなくなります。ならば、すべて人間といっても良いし、すべて神だといっても良いことになります。

 この宇宙には神しかいないのです。見える物見えないもの、形のある物形のないもの、すべて神です。だから私も神です。あなたも神です。ただ、どうしてもそう思えない、認められない、納得できない難しさがあるのです。では、どうしたら納得させることができるのでしょうか?。

 それは、瞑想によって頑なに拒む自我の壁を打ち砕くしか無いのです。いくら頭で納得しても、心の底から納得できなければ駄目なのです。どのような理屈を並べても、どのような神秘を見せても、自分の心が納得できなくては神と思えないのです。だから、一にも、二にも、瞑想するしかないのです。


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