(4)光と闇

プラス思考で生きよう!。

  世間には苦しみを少しでも無くしたくて、人に同情を買ってもらおうとする人がおりますが、そんなことをしたって苦しみは無くなるものではありません。なぜなら、苦しみは誰が作ったものでも無く、自分が作ったものだからです。

 苦しみは、自分のネクラな心が作った自作です。自分が作った苦しみなら、自分で取り除くしかないではありませんか?。人を頼るのはよしましょう!。そんな暇があるなら、ネクラな性格を直す努力をすることです。

  いつも明るく朗らかに、どんなことも良く受け取り、決して悪く考えないことです。明るいところには蝶や蜂が飛び、暗いところには蚊やゴキブリが寄ってくるのです。さあ、プラス思考で生きましょう。

 

  ●有り難う!、有り難い!、の感謝の心。

  ●嬉しい!、楽しい!、の喜びの心。

  ●成せばなるぞ!、の希望の心。

  ●やってやるぞ!、の闘志の心。

  ●凄い!、素晴らしい!、の感動の心。

  ●前進!、邁進!、のひるまぬ心。

  ●わはは!、あはは!、の笑いの心。

 

  気持ちの落ち込んだ時、この言葉を思い出して下さい。きっと明るくなれるでしょう。


                                                   -335-

自分達で自分達を追いつめている。

 この世の中には自殺者がごまんとおります。投身自殺者や、ガス自殺者や、首つり自殺者だけをいっているのではありません。病気で死ぬ人も、戦争で死ぬ人も、交通事故で死ぬ人も、事件や事故で死ぬ人も、自然災害で死ぬ人も、みな自殺者なのです。なぜなら、横死はみな自殺だからです。(自然災害も人災です)

  • 一方では飢餓で死に、一方では贅沢病で死ぬ、この両極端の死を、自殺といわないで何というのでしょうか?。
  • 人の欲によって引き起こされる戦争や、テロや、殺人事件を、自殺といわないで何というのでしょうか?。
  • 快適・快楽・便利・を追究し、汚した環境からのしっぺ返しを、自殺といわないで何というのでしょうか?。

 個人の欲望が個人を追いつめ、個人を殺しているのです。社会の欲望が社会を追いつめ、社会を殺しているのです。病気も、戦争も、交通事故も、事件や事故も、自然災害も、みな人の欲望がもたらした自殺であることに気付かない限り、いつまでたっても地球に平穏な日はやってこないでしょう。


                                                   -336-

なぜ自殺は重罪か?。

 遠い昔より、自殺は重罪であるといわれてきましたが、なぜ自殺はそれほど罪が重いのでしょうか?。それは、次のような理由からです。

 

 ●魂を進化させる道具として、神は肉体を創造されました。その肉体を自ら破壊するのは、神に対する反逆です。また腹を痛めて生んでくれた、お母さんに対しても裏切り行為となるでしょう。寿命をまっとうせず帰れば、当然計画してきた目的は果せませんから、それだけ進化にもストップがかかります。これは魂にとって大きな損です。

 

 ●形を取った原子は、様々な体験を通して進化するよう計画されております。その進化計画を狂わすのは、原子にとって大きな損です。また表現宇宙にとっても、大きな痛手でしょう。(一個一個の原子は、体験を通して最善の表現方法を学んでいる。)

 

 ●人間一人ひとりは、縁ある人達との関係を通して進化するよう計画されております。その計画をまっとうせず帰れば、自分の進化を狂わすばかりでなく、縁者達の進化も狂わすことになるのです。

たとえば、あなたはある芝居でAという役柄を演じていたとします。そのあなたが、演じるのがいやになったから途中で役を降りるといったら、芝居は成り立たなくなります。芝居を成り立たせるためには、代役を立てねばならないわけですが、そうなると代役を買って出た人の進化を狂わすと同時に、その縁者達の進化も狂わすことになるのです。

 

 ●自殺者の殆どが、向こうへ帰って地団太を踏んで悔しがっています。その悔しさが地上に執着を持たせ、この世の肉親や知人に少なからずも悪影響を与えるのです。いや、肉親や知人だけではありません。自殺した者と同じ波動を持つ人達にも悪影響を与えるのです。近年理由なき殺人が多発しておりますが、これはみなその影響によるものです。

 

 ●この世を否定した者は、光()を否定したことになりますから、その者は一寸先も見えない暗闇の中で喘がねばならなくなります。それは誰がするのでもない、悔悟と絶望に打ちひしがれた自分がそうさせるのです。

 

 このように、自殺ほど重い罪は無いのです。ちなみに重罪のベスト・スリーは、1に自殺、2に他殺、3に人を陥れる行為です。


                                                  -336-

サタンを味方につけよう!。

 私達はサタンを目の敵にしますが、サタンがいなかったら私達は強くなれたでしょうか?。温室育ちの花は弱々しいものです。私達もサタンのいない温室で育ったら、決して強くなれなかったでしょう。サタンを悪にするのも善にするのも、考え方次第なのです。

 たとえば、

 「サタンは、私を強くするために意地悪してくれている。有り難いことだ!」、と思えば味方にできるでしょう。

 反対に、

 「サタンは、私をいじめる嫌な奴だ!」、と思えば敵に回してしまうでしょう。

 悪は善の裏返しです。悪口をいう隣人も、嫉妬深い妻も、口答えする子供達も、口うるさい上司も、罵声を浴びせる隣国も、台風も、地震も、みな自分を鍛えてくれる味方です。どんな苦しみも、どんな悲しみも、どんな不幸も、感謝に置き換えられた時、あなたからサタンが去っているでしょう。

 サタンは、自分の弱い心に住んでいる自分自身です。でもそこには、天使も住んでいるのです。サタンを住まわすか天使を住まわすかは、考え方一つだということです。光と闇の関係は、そういったものなのです。


                                                     -337-

外から雑念を持ち込むな!。

 私達は、外側に自分のためになる何かがあると考えます。だから外に出て、色々な人と関係を結んでは何かを頂いて帰ります。その頂いた何かが自分を苦しめているとも知らないで・・・。

 そうなのです。

 外側の物はすべて消えて無くなる幻(非真実)です。でも、殆どの人はそのことを知らず、また知ろうともせず、日々外側から苦悩の材料を貰っては苦しんでいます。

 でも、いつか必ず気付きます。気付いた人は外側との関係を断ち、内側から喜びを享受するようになります。瞑想を多くする人は、それに気付いた人達です。

 雑念を持つな!、無駄口を叩くな!、余計な情報をもらうな!、と覚者が口癖のようにいうのは、外から雑念を持ち込み、自分の世界に苦悩を作ってはならないという意味なのです。


                                                    -338-

神がサタンの横暴を許している理由。

 日々、悲惨な事件や事故が新聞紙上をにぎわしています。なぜ神はサタンの横暴を、こうも許しているのでしょうか?。本当に神がいるなら、こんな横暴を許すはずがないのに・・・と思うのも無理はありません。しかし、決して神を恨んではなりません。

 神がサタンの横暴を許しているのは、サタンが成長剤の役割を果たしてくれているからです。もしサタンの抵抗が無かったら、私達はおそらくここまで強くなれなかったでしょう。

 ・嵐があればこそ、嵐に負けない強い自分を築くことができるのです。

 ・厳しい寒暖あればこそ、強い忍耐力を養うことができるのです。

 ・越えねばならない垣根があればこそ、不屈の精神を築くことができるのです。

 今の強い自分があるのは、一重にサタンのお蔭であると心から思えたら、気持ちもズーッとズーッと楽になるでしょう。

 

                                                     -339-

言葉の受け取り方次第。

 私達は言葉の受け取り方一つで、不幸にも幸せにもなれるのです。たとえば、「もう六割も進んだからもうすぐ終わる、」と思えば嬉しくなるでしょう。「まだ六割しか進んでいないからまだ終わらない!、」と思えば苦しくなるでしょう。"もう"と思うか"まだ"と思うかで、気持ちの中に天と地の開きができるのです。

 最近ブログで中傷され自殺する人まで出てきましたが、確かに中傷する方も悪いのですが、受け取る方も悪いのです。どんな中傷も、良く受け取れば傷付くことはないのです。悪く受け取るから傷付くのです。それは、おいしそうな料理に誘われ食べ、腹を壊しているようなものです。食べなければ腹を壊すことは無いのですから、食べないことです。食べないとは、無視すること、相手にしないこと、もし相手にするなら、これは自分を強くしてくれる味方だと思って感謝することです。そうすれば、どんな食べ物も自分の栄養となってくれるはずです。

どんなことにも裏と表があるものですが、そこに善悪のレッテルは貼ってありません。「どう受け取るか」で、善にも悪にもなるだけです。つまりネガティブに受け取れば悪となり、ポジティブに受け取れば善になるだけです。

 

                                                   -340-

光の戦士になろう!。

 今どこかに不幸があっても、一人でも光を放つ人がいれば、不幸は軽減されているのです。なぜなら、光は闇を駆逐する力を持っているからです。だから私はできるだけ瞑想し、光を放つよう心掛けているのです。

 今地球では、闇の想念が強烈に働いています。それは、闇人間の方が圧倒的に多いからです。このままだと地球は、闇に埋もれてしまうかも知れません。では闇に埋もれさせないためには、どうすれば良いでしょうか?。それは、光の戦士を一人でも多く作ることです。今このメッセージを読んでいるあなたは、その資格を持つ一人です。どうか光の戦士の一人になって下さい。

 どこかに戦いに行きなさい!、といっているのではありません。戦場はあなたの心の中です。瞑想はその武器です。あなたが神を思う時、あなたの体から強烈な光の弾丸が発射されます。その光の弾丸が、闇を蹴散らしてくれるのです。

さあ、瞑想し光を放ちましょう!。光人間になりましょう!。それは、どんなボランティアよりも貢献できるものなのです。


                                                     -341-

救いようが無いとは?。

 私達は自由意志を持っています。思うことは自由なのです。しかし思うことは自由であっても、一度に二つの思いを持つことはできません。できないがゆえに、災いでもあり幸いでもあるのです。

 たとえば、思いがサタンに向いている時は、神の入る隙間がありません。反対に神に向いている時は、サタンの入る隙間が無いのです。ですから私達が救われるのは、神に思いが向いている時です。

 今多くの人が物に溺れています。彼らの心は、サタンで一杯なのです。そんな人達を救うことは絶対できません。彼らが痛い目にあって、物から心がそれた時が手を差し伸ばすチャンスです。それまでジッと待つしかないのです。


                                                   -342-

ネガティブな思いを持つな!。

 世の母親は、何かというと子供のことを心配します。

  • 風邪をひかないだろうか?。
  • 下痢をしないだろうか?。
  • 怪我をしないだろうか?。

 また、テレビでアナウンサーがこういいます。

  • 気温の変動が激しいので、お風邪を召しませんように・・。
  • 雪が降りますので、スリップ事故を起こしませんように・・。
  • 花粉が飛びますので、万全の対策をして下さい、等々・・。

 大きなお世話だ!、と私はいいたいです。

 思うことは欲することです。想念は物事を成就させる力を持っているのです。その力を、どうしてネガティブに使うのでしょうか?。あたかも、そうなって欲しいと願っているようなものでは無いでしょうか?。

 世の人々は、心配してあげることが良いことだと思っています。また、心配される方もそれを望んでいます。でも、これすべて慈悲魔です。偽善です。甘えです。それも悪い結果をもたらす呪いの思いです。

 あなたの何気ない思いの一つ一つ、言葉の一つ一つが、自分に、世の人々に、絶大なる影響を与えていることを知って下さい。

 

                                                   -343-

余計な情報が世を混乱させている。

 世の中には、言葉で招いている災いがごまんとあります。たとえば、テレビ・コマーシャルで流される、ガン検査の勧め、生命保険や災害保険の勧め、交通事故防止の宣伝、薬の宣伝、医療に関する宣伝等々・・・、また、事件・事故・自殺・災害・戦争などの報道もその一つです。宣伝する方も聴いている方も、良いイメージを持っていると思いますか?。どちらも心に暗い影を落としているのですよ!・・・。良い情報ばかり発信するなら、マスメディアは世の救世主となれるかも知れませんが、残念ながら圧倒的に悪い情報の方が多いのです。

 マスメディアが発達したせいで、どれほど世が乱れたことでしょう?。携帯電話やインターネットなどの悪用による情報被害の増大は、それを証明しているのではないでしょうか?。今や地球の周りは悪想念で一杯です。このまま進めば、地球は悪想念で破壊されてしまうでしょう。

 情報の取り扱いがいかに大切か、真剣に考える時期に来ているのではないでしょうか?。


                                                    -344-

光を呼び込むには?。

 ある女子レスラーがこんな話をしていました。

戦いの終盤に差し掛かった時のこと、"こちらから積極的に攻め込もうか?。でも、反対に返されたらどうしよう?。今同点である。一点取られたら挽回できない!"そう思った瞬間、相手に攻め込まれ負けてしまったというのです。

こんな話も聞きます。

 マラソンで一番苦しい時、落ちてくる選手を一人一人拾ってゆくうちに、いつの間にか先頭に躍り出ていたという話し・・・。先の話は消極が足を引っ張った話し、後の話は希望が力を与えた話です。なぜこうなるかといいますと、消極は闇を呼び、希望は光を呼ぶからです。これは日常生活あらゆるところで見られる現象です。

 たとえば、

  • いやいや仕事をすると疲れますが、楽しみながらすると疲れません。
  • 病気見舞いに行くと疲れますが、誕生祝に行くと元気になります。
  • 葬式に出ると疲れますが、結婚式に出ると生き生きしてきます。
  • ひいきのチームが負けると疲れますが、勝つといくら騒いでも疲れません。

 このようにポジティブは光を呼び、ネガティブは闇を呼ぶのです。ならば、ポジティブな思いを持とうではありませんか。思うに一円のお金もかからないのですから・・・。

 

                                                  -345-

闇の中に光あり。

 宇宙は対になり完全を演出しています。たとえば、陰と陽が対になって完全を演出しています。物質と霊が対になって完全を演出しています。闇と光が対になって完全を演出しています。一方は不完全に見え、一方は完全に見えます。でも、不完全は完全の一部なのです。

 

 ○悪の背後には、善が潜んでいるのです。

 ○闇の後ろには、光が控えているのです。

 ○不幸の向こうには、幸せが待っているのです。

 

 私達がこの世に生まれてくるのは、闇を体験して光を発見するためです。光だけでは光を知ることができません。闇と見比べ、引き比べ、相対させ、何が正しく何が正しくないか知るのです。

 あなたは、自分が美人かブスかどうして判断しますか?。足が遅いか速いかどうして判断しますか?。誰かと比べ判断するのではありませんか?。

このように光と闇の関係は、私達の成長を促す格好の舞台作りをしているのです。


                                                    -346-

本当の自分と偽者の自分との戦い。

 馬券が空中に舞い、最終レースが終わりました。しょぼくれた顔をして帰途につく私に、真我の私が囁きかけます。

 「お前は何と馬鹿な奴なんだ!、確率からいっても、勝てるわけないじゃないか!。もう止めろ!。」と・・・。

 "そうだ、なんて俺は馬鹿な奴だ、もう競馬は止めよう!"私はそう思い、くしゃくしゃになった予想誌をゴミ箱の中に放り投げます。競馬場の出口に差し掛かったところで、明日の予想誌が目に入ります。

 「今日は付きが無かっただけだ、明日は絶対勝てるさ!」とサタン偽我の私が囁きかけます。

 "そうだ、今日は付きが無かっただけだ。明日はきっと勝てるさ!"私はサタンの誘惑に負け、フラフラと予想誌を買いに行こうとします。 

 「止めろ!。まだ懲りないのか!。なんてお前は馬鹿なんだ!」と、真我の私が止めにかかります。

 「いや、明日は絶対勝てるさ!」

 「よせ、止めろ!」

 サタンと真我との戦いが心の中で始まります。

 ハルマゲドンは、いつかやってくるのではありません。私達の日々の思いそのものがハルマゲドンなのです。つまりホンモノの私と、ニセモノの私との戦いです。私達は日々戦いの最中にいるのです。

 肉欲に打ち勝つ戦い、金銭欲に打ち勝つ戦い、名誉欲に打ち勝つ戦い、感情に打ち勝つ戦いなど、いかにニセモノの自分に打ち勝つかが、ハルマゲドンの戦いのカギになっているのです。

 決してニセモノの自分に負けてはなりません。負けた日は、二十四万円損したと思って下さい。勝った日は、二十四万円得したと思って下さい。さあ、今日から思いの収支簿をつけましょう。ぜひ黒字にして下さい。


                                                   -347-

病気について。パート1

 本来、この宇宙に病気などというものはありません。神が造られた完全な宇宙に、そんな不完全なものがあるわけがないからです。病気を作っているのは人間です。自分で病気を作り、自分で苦しんでいるのが人間なのです。

 自分で病気を作っているという意味は、自分で陰と陽のバランスを崩し、エネルギーを低下させているという意味です。鉱物や植物や動物は自然の法則に逆らわず陽(生命・エネルギー)に生きていますから、陰陽のバランスが取れ健全ですが、人間は陰(物質・肉体)に偏った生き方をしていますから、どうしても病気になりやすいのです。なぜ物質に偏ると病気になりやすいかといいますと、物質はエネルギーが低いからです。物質文明が栄えると病気が栄えるのはそのためです。

病気になりたくなかったら、エネルギーを高めて下さい。エネルギーを高める一番簡単な方法は、

 「吾生命なり!、吾神なり!」或いは「嬉しい!、楽しい!、有り難い!、」と想うことです。生命の想い、神の想い、明るい想い、建設的な想い、前向きな想い、希望溢れる想いは、間違い無くエネルギーを高めてくれます。病人は何もすることが無いのですから、いくらでも思うことができるはずです。

 病気は自分のネガティブな思いが作ったのです。自分が作ったのですから、自分で治すしか無いのです。医者や薬が病気を治したことなど、未だかって一度もないのです。病気を治すのは、自分の中にある自己治癒力です。自己治癒力を回復させれば、薬も医者も要らないのです。といっても、今痛みや苦しみに喘いでいる人に、明るい思いを持ちなさいといっても持てないでしょうから、一時痛みや苦しみを取る治療は必要でしょう。医者や薬が必要なのはそのためです。

 明るい思いが持てるくらい体が楽になったら、私の勧める方法を試してみて下さい。騙されたと思ってやってみて下さい。ただ、一日や二日やっても効果はありません。治るまでやり続けることです。

 暗い思いはサタンの思いです。明るい思いは天使の思いです。さあ、天使の思いでサタンの思いを打ち消して下さい。決して、暗い思い、不安な思い、絶望的な思い、に負けないことです。

 繰り返します。

 「嬉しい!、楽しい!、有り難い!、」と想い続けて下さい。明るく元気になる想いなら、どんな想いでも構いません。ドンドン明るい想いを打ち込んで下さい。  明るい想いは光を呼びエネルギーを高めますので、間違いなくあなたを助けます。もし「嬉しい!、楽しい!、有り難い!」の想いに、「吾生命なり!、吾神なり!の想いがプラス出来たら最高です。

 一番大切なことは続けること、強気、やる気、根気です。継続は力なり!」です。ぜひやってみて下さい。

 

                                                    -348-

肯定的な言葉は光を呼ぶ。

 世の中には、何につけ反対する人がいますが、その人はその場の波動を極端に落としております。反対、否定、批判、これすべてサタンの武器です。もし声高に反対したり批判したりする人がいたら、あなたはその場から立ち退いて下さい。わざわざそこにいて、低い波動に犯されることはありません。もし、どうしてもいなければならない場合は、希望の言葉を投げかけその場の波動を高めてやって下さい。そうすれば場の雰囲気も変わり、正しい意見の交換ができるようになるでしょう。

 世の人々は、余りにも言葉を無頓着に使いすぎます。"言葉は神なりき!"といって、言葉は神のものなのです。神しか言葉は使えないのです。なぜ「喉仏」というと思いますか?。仏()の思いを音声に変える所が喉仏だからです。それほど喉仏は、神聖な場所なのです。火葬場で喉仏を大切に扱うのは、そのためです。しかし人間は、言葉がどこからきているか知りません。だから簡単にサタンの餌食になるのです。

 神は決して否定的な言葉は使いません。神は肯定的な言葉、明るい言葉、希望溢れる言葉を使います。否定的な言葉、気の沈むような言葉、絶望的な言葉、やる気をなくすような言葉、怒りを強めるような言葉を使う人は、サタンにやられていると思って間違いありません。その人の口から出てくる言葉は、支離滅裂で論理が整然としていないはずです。現代社会でサタンにやられていない人は殆どいないでしょうが、意識して注意していれば逃れることができるのです。

次のような想いになった時は、自我が活発化しサタンが騒いでいると思って間違い無いでしょう。

 ●外側の物に欲が駆り立てられた時。(物欲・食欲・情欲・金欲・名声欲・自己顕示欲など)

 ●真理の追究が否定的になった時。

(昨日神を肯定していたのに、今日否定的になっている時。)

 ●急に身体の調子が悪くなった時。

 ●ソワソワイライラし落ち着かなくなった時。

 ●消極的な想いになった時等々・・・。

 否定的な言葉を話す人は闇を呼ぶサタンです。肯定的な言葉を話す人は光を呼ぶ天使です。ぜひ、光を呼ぶ天使になって下さい。

 

                                                     -349-

声なき声に惑わされてはならない。

 よく、神の声を聴いたとか、神からの啓示をうけたとかいう人がおりますが、神の声は聴こえるものではありません。内側から自分の思いとなって、フツフツと涌き上がってくるのが神の声(真我の声)です。外側から聴こえてくるのは、すべて低級な迷った幽界人の仕業です。

 たしかに、声なき声としてはっきりと聴こえます。私も以前、何度もこの声に惑わされたことがありました。たとえば、こんなことがありました。

 "今日ガス会社の人が来るから雪かきをしておきなさい!"、という声が聴こえてきたのです。本当に来るのか?、と疑いながらも、いわれた通り雪かきしておくと、本当にその日ガス会社の人が来たのです。

 邪悪な幽界人のいうことは良く当たるのです。だから神の声だと勘違いしてしまうわけですが、神は普遍的・宇宙的なことを啓示するのであって、個人的なことを啓示することは絶対ありません。

 また神は、"こうしなさい!ああしなさい!"、といった命令口調で語ることもありません。"人を殺せ!"とか"ここから飛び降りろ!"といった命令口調の声は、みな迷った幽界人の仕業ですから、決して騙されないで下さい。邪悪な幽界人は、邪悪な想いに同調してくるのですから、原因は自分にあるのです。

 明るい想いを持って下さい。あるいは神に思いを向けて下さい。そうすれば、決して邪悪な波動に惑わされることは無いでしょう。

 

                                                    -350-

光文学と闇文学。

 この世には、光の文学と闇の文学があります。因果律に基づいて書かれた小説を光文学といい、因果律を無視して書かれた小説を闇文学といいます。闇文学を書いている作家はサタンの支配を受けていますので、文脈は重く暗く、内容も矛盾に満ちており、肉体的にも不健康です。自殺に追いやられた作家の殆どは、サタンの支配を受け心を乱した結果です。このような作家の書いた小説は、読んだ人の心を暗いものにします。決して有名人だからといって、傾倒しないで下さい。

 反対に、光の指導霊に導かれている作家の文脈は明るく爽やかで、内容も理路整然としており、また肉体的にも健康です。したがってそのような作家の書いた作品は、読者の心を爽やかにします。

 小説も読むなら、光文学を読むようにしましょう。後味の悪くなるような闇文学は、毒になっても薬になることはありませんから、決して読まないことです。


                                                     -351-

サタンに怯えてはならない。

 本来、サタンなどどこにもおりません。サタンは自分の想いが作った自分自身です。つまり、サタンは自分の妄念の中にのみいるのです。

 心配、恐怖、イライラ、憎しみ、恨み、怒り、嫉妬、ねたみ、肉欲、物欲、権勢欲、これすべて自分の想いが作ったサタンです。私達は外側から災いを受けていると思っていますが、自分の悪的な想いが外側の悪的な波動と同調し、災いを呼び込んでいるのです。だから悪しき波動を出せば悪いことが起り、良き波動を出せば良いことが起るわけです。だから、想念のコントロールが大切になるのです。

自分を害していたのは自分の妄念であったと知ったら、もう外側のものに怯えることは無いでしょう。恐れるべきは自分の妄念です。さあ、良き想念波動を出しましょう。そのためには、生命・神・光を想いましょう。

 

                                                    -352-

明るい所を好む人間になろう!。

 サタンは、光や、聖水や、ニンニクなどを嫌うといわれますが、これには一理あるのです。

 太陽は霊太陽と直結しているため、太陽からは強烈な光エネルギーが放出されています。聖水清水・涌き水も酸素を多く含んだエネルギーの強い水です。臭いのきついニンニクなども、ものすごくエネルギーが強いのです。エネルギーは光ですから、光を苦手とするサタンは、エネルギーの強いものには弱いのです。

 良く夜型の人とか昼型の人がいるといわれますが、昼型の人に健康的な人が多いのは、太陽から強烈なエネルギーを頂いているからです。反対に夜型の人に不健康な人が多いのは、頂くエネルギーの量が少ないからです。

 もう一つ、物欲の強い人もあまり健全とはいえません。なぜなら、物質は波動が低いからです。水商売に争いが付きものなのは、水は物質の象徴的存在で波動が低いからです。エネルギーの高い所は光り輝いていますので災いは寄って来づらいですが、エネルギーの低い所は薄暗いので災いが寄ってきやすいのです。これは波動の同調による科学的現象で、祟りでも何でもありません。百鬼夜行といわれるように、夜半から夜明けにかけて事故や事件が多発するのはそのためです。

 この地球の周りには様々な波動が飛び交っていて、私達に良くも悪くも影響を与えております。私にも暗い時代があり、よく悪い波動の影響を受けたものです。その当時の私は、夜の繁華街や映画館など暗い所を好んだのです。案の定、寄ってきたのは災いばかりでした。反対に、明るい所を好むようになってからは、寄ってきたのは幸いばかりでした。

 「幸せでありたかったら、できるだけ太陽の下で健康な生き方をして下さい!。」

この宇宙に本質的な悪は無い!。

 完全な宇宙に悪が生まれるわけがありません。もし生まれるなら、宇宙は完全でなくなってしまいます。もともと宇宙は完全だから、善のみが存在するのです。

 この世に悪があるように見えるのは、人間が人間の使い方を誤っているからです。たとえば、火を暖房に使えば善になりますが、放火に使えば悪になります。包丁を料理に使えば善になりますが、人殺しに使えば悪になります。大腸菌はお腹の中にいれば善になりますが、口に入れれば悪になります。どんな良薬も使い方を誤れば毒になるように、使い方を誤れば何でも悪になってしまうのです。この世に悪人がいるように見えるのも、人間が人間の使い方を誤っているからです。

 人間を人間として使えば、物を欲しがり、金を欲しがり、権力を欲しがりますので、そこに争い事が起きるのは当然です。でも人間を生命として使えば、平安を欲しがりますので、争い事が起きるわけがないのです。

 人間をどう見るか?。

   人間として見るか?、生命として見るか?、

 人間をどう使うか?。

   人間として使うか?、生命として使うか?、

 で、悪になるか善になるか決まるだけです。

 人間を正しく使えば、みな善人ばかりなのです。

 

 この宇宙に本質的な悪は無い!。ただ使い方いかんによって悪になるだけである。


                                                   -354-

闇(影)は実在するものではない!。

 闇は実際にあるものではありません。ただ光の無い所を、闇といっているだけです。闇は光の不在なのです。物質肉体をどんなに分析しても、何も発見できないのは、物質肉体は影だからです。病気が実在しない理由も、肉体は影にしか過ぎないからです。あくまでも病気は、光のない状態なのです。影がどうして影を作れましょうか?・・・、肉体がどうして病気を作れましょうか?・・・ということです。

 光を閉ざし病気を作っているのは、人の妄念です。影が実在するという迷いの思いが、光を閉ざし病気を作っているのです。

 不完全が実在しない理由も同じです。不完全は不完全を信ずる人にのみある迷妄で、実在するものでは無いのです。真理を知らぬ人の迷いの思いが、不完全を生み出しているのです。「罪を憎んで人を憎まず!」という諺がありますが、その罪は人の無知がもたらした影だから、本来憎む対象にはならないのです。憎むべきは、真理を知らぬことです。だから、「真理を知らぬことが最大の罪である!」といわれるのです。


                                                    -355-

光と闇と心の関係。

 私は光と闇と心の関係を研究していくうちに、三つのおもしろい発見をしました。

 1つ目の発見は、「心は光を好み闇を嫌う!」という発見です。

なぜ心は光を好み闇を嫌うのかといいますと、光は心に安らぎと平安と幸福感を与え、闇は恐怖感と絶望感と不幸感を与えるからです。光はエネルギーそのものですから、エネルギーの性質上、光に満たされれば心は喜びを感じるのです。これは、次のような実験で確かめることができます。

 テレビ・ドラマを次の二つに分類して見ます。一つは、人を陥れたり、殺したり、傷つけたり、恐怖を与えたりする闇的(悪的)ドラマ、もう一つは、人を助けたり、励ましたり、希望や勇気を与えたりする光的(善的)ドラマです。前者のドラマを見た後の心は苦しくなり、後者のドラマを見た後の心は嬉しくなりました。これは人間なら誰でも感じる当たり前の心理状態で、何の不思議もありません。でもなぜ悪的ドラマを見ると苦しくなり、善的ドラマを見ると嬉しくなるのでしょうか?。

 それは、悪的ドラマは心に闇を注ぎ込み、善的ドラマは心に光を注ぎ込むからです。

 2つ目の発見は、「心は自由を好み不自由を嫌う!」という発見です。

皆さんも体験したことがあると思いますが、何かの事故で身動きが取れなくなった時、心は苦しみませんでしたか?。またしがらみに縛られ、やりたいのにやれなかった時、心は苦しみませんでしたか?。自由とは光の有る状態なのです。不自由とは光の無い状態なのです。だから心は光の有る自由を好み、光の無い不自由を嫌うのです。

 3つ目の発見は、「心は本当に有るものを好み、本当に無いものを嫌う!」という発見です。

 この宇宙は、本当に有るもの(真実だけ)だけが実在し、本当に無いもの(非真実)は実在しないのです。心はそのことを本能的に知っているため、本当に有るものを好み、本当に無いものを嫌うのです。

来ないと分かりきっている電車を待つことほど、苦しいことはありません。同じように、無いと分かりきっている闇に心を向けることほど、苦しいことはありません。さあ、本当に有るものに心を向けましょう。 

 ●本当に無いものとは、「不調和であり、闇であり、不善であり、不正義であり、不自由であり、現実であり、偽物の自分です。」

 ●本当に有るものとは、「愛であり、光であり、善であり、正義であり、自由であり、真実であり、本当の自分です。」 


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