今週の真言

今週の宇宙

「M20 三列星雲 いて座 距離 5,400光年」 

撮影:井戸和則

 

2018年

7月

22日

○ 神の媒体になろう!

 神は地球に光を降ろしたくて降ろしたくて、常に媒体を探しています。でも地球人類は、一向に神に顔を向けようとしません。これでは光を降ろしたくても降ろせないのです。どうか学んでいる皆さんだけでも、媒体になってやってください。そのためには、神に意識を向けることです。神に意識を向けるとは、プラグをコンセントに差し込むこと、つまり瞑想することです。神は電気ですから、プラグを差し込んだ途端に電流が流れ、電球である私たちは光りだすのです。

 真理を手書きすることも、プラグをコンセントに差し込むことの一つです。真理を手書きしている時は、天の光を地に降ろしている状態なのです。

 どうか瞑想してください。どうか真理を手書きしてください。神は喜んで光を降ろしてくれるでしょう。

 

※ 神に会いたかったら、「私を世のため人のためにお使いください!」と祈ってください。神は喜んで使ってくれるでしょう。使ってくれると言う意味は、神に会えるという意味です。皆さんが神の媒体になっている時は、神に会えている状態なのです。その時、細胞が震えます。自分が光り出します。気持ちが良くなります。




2018年

7月

15日

○すべて必然!すべて良いこと!?

 世の中には、不幸災難に見舞われ苦しんでいる人たちが大勢おります。確かに見た目には、可愛そうに見えるでしょう。でも、不幸災難は決して悪いことではないのです。このことは、真理を学んでいる人の前で言えることで、一般人の前で言ったら怒られますので気を付けてください。ではなぜ、不幸災難が悪いことではないのか? 少し難しいかも知れませんが、理由を述べたいと思います。

 私たちの本性は、肉体ではありません。形ではありません。人間ではありません。永遠に生き通す、意識です。生命です。魂です。このことを前提に読んでください。

 なぜ、何か(不幸災難)が起きたのでしょうか? それは、意識させる必要があったから起きたのです。と言うことは、意識されないところで何かが起きることは、絶対あり得ないと言うことです。この点に、注目してください。

 仮に、意識しないところで何(不幸災難)かが起きたとしましょう。ではそれは、誰のために、何のために、起きたのでしょうか? 意識しないところで起きたことに、意味があるでしょうか? また、意識しないところで起きたことは、起きたことになるでしょうか? それは例え起きていても、起きていないのと同じではありませんか? 認める意識者がいなければ、認められる何かがお起ようがないのですよ! と言うことは、人のいないところ(意識しない所)で何(不幸災難)かが起きることは、絶対あり得ないと言うことです。と言うことは、意識の前で起きたことは、すべて意味のある必然だと言うことになります。これは、起きたことの意味を受け取ってもらいたくて、意識の前で起きたのですから当然です。では、起きたことにどんな意味があるのでしょうか? それは、意識に疑問を持ってもらいたくて起きたと言う意味です。では、意識にどんな疑問を持ってもらいたいのでしょうか?

 今 私たちの前で、刻々と何かが起きています。その起きたことを私たちは、今 意識しています。その意識は、なぜこんな事が起きたのかと疑問を持ちます。疑問を持てば、疑問の謎を解こうと追求するでしょうから、疑問の謎が解けます。謎が解ければ、進化成長できます。このように私たちは、進化成長するために意識させられているのです。と言うことは、起きたことは、すべて必然だと言うことになります。起きたことに意味(目的)がなかったら偶然ですが、意味(目的)があって起きたのですから必然なのは当然でしょう。

 起きた、苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、すべて進化成長に必要な必然です。だから、不幸災難は悪いことではない! と私は言うのです。今まで私たちは、沢山の不幸災難に遭って進化成長してきたのです。

 

※ どうして、意識の前でしか起きないのでしょうか? それは、意識されてはじめて起きたことになるからです。意識されなくては、起きていても起きていないのです。起きたのは、意識が存在していたからです。その起きたことは、意識に何らかの影響(疑念・不審・疑惑・疑問・訝しさ)を与えるのです。影響を与えると言うことは、意味があったと言うことです。では、どんな意味があったのでしょうか? それは、影響を受けた意識は、すべて進化成長して行くと言う意味です。疑問や疑念を持った意識は、疑問の謎解きをするので必ず進化成長するのです。

 

 

 

2018年

7月

08日

○ 私たちは日々成長している

 学んでいる皆さんの中に、昔の幼い自我の思いでやったことを悔やんでいる人がいるようですが、そんな過去のことで悔やまないでください。

 私たちは時間の中にいるのですから、刻々と成長しているのです。ましてや真理を学んでいる皆さんは瞑想をしているわけですから、今の自我の思いは昔の自我の思いに比べたら、格段の差で高度になっているのです。

 確かに過去、幼い思いによって苦しい体験をしたかも知れません。でも、その苦しい体験が真理に顔を向けさせたのですから、それは良かったのです。

 過去のことを悔やんで、自分の宇宙を汚すことほど大損なことはありません。どうか、そんな愚かなことはしないでください。私だって幼い時には、くだらない思いを持ち、くだらないことをしたのです。でも、それで今の自分に成長できたのですから、くだらないことをやったことは無駄ではなかったのです。神は完全です。その完全な神が、私たちに無駄なことをさせるわけがないのです。

 あなたが過去に置いた黒石は、今 真理を学んでいることですべて白石に変わったのです。大切なのは、過去を悔やむことではなく、今の今を真実に生きることです。

 

※ 過去を悔やんでいる人たちは、苦しみを作っています。また未来を憂いている人たちも、苦しみを作っています。今の今 真実に生きている人たちだけが、幸せを創っているのです。ですから、今の今に生きている人は生き人です。過去や未来に生きている人は死に人です。

 

 

 

2018年

7月

01日

○ 結果が存在することの有り難さ!

 見える結果体は幻です。でも私たちにとっては、見える幻はとても大切なのです。もし幻(結果)が見えなければ、原因追求しようと思いませんから、反省もしないし悪いところも直そうとしないでしょう。それではまた同じ悪いこと(悪い結果を招く)をしてしまいます。交通事故を起こしても結果が見えなくては原因追求しようと思わないでしょうから、また同じ交通事故を起こしてしまうと言うことです。

 写真がありがたいのは、起きたこと(結果)の良し悪しが目で見られるからです。この表現世界は、 写真のようなものなのです。(実際に無い結果の世界は写真で撮れるが、実際に有る原因の世界は写真で撮れない。)見えない原因の良し悪しは、見える結果になって初めて分かるのです。だから見える結果は、成長するためにはとても大切なのです。

 原因と結果の関係は、自我と真我との関係に当てはめてみると良く解ります。自我の自分は結果の自分です。真我の自分は原因の自分です。真我(原因)の自分だけでは、「自分」の存在は無いのです。勿論、結果の自分だけでも「自分」の存在はありません。それでは、「自分」が存在していないのと同じです。自我(結果)の自分が真我(原因)の自分を認め、はじめて「自分」を存在させることができるのです。そう考えると、自我(結果)の自分の存在が何と有難いことか・・・・それが、どんなに嫌な自我(結果)の自分だろうが、感謝しなくてはなりません。

 自我(結果)の自分を愛している人は、真我(原因)の自分を愛しているのです。真我(原因)の自分を愛している人は、自我(結果)の自分を愛しているのです。愛するとは意識することなのです。愛するとは想うことなのです。自我(結果)が真我(原因)を意識し、真我(原因)が自我(結果)を意識することが、「自分」を愛することになるのです。これが、「自分が自分を愛するよう仕向けた」自己完結型宇宙の素晴らしい仕組みなのです。

 ここで言っている「自分」とは、本当の自分のこと・・・つまり神人の「自分」のことです。

 

 

 

2018年

6月

24日

○ 言葉は神なりき!・・パート2

なぜ人に言葉があるのでしょうか?  

それは・・

神の代弁代行者だからです

 

もし人に言葉が無かったら・・

神は自分の思いを・・

永久に呑み込んだままでなくてはならないでしょう  

 

それでは・・

宇宙は何も進展しません   

 

「初めに言葉ありき、その言葉によって宇宙は成れり!」です

言葉は創造の力です

その力によって・・

宇宙が創られたのです。

 

 

その言葉は・・

私も持っています

あなたも持っています  

 

ということは・・・

私もあなたも神の代弁代行者であるということです

 

さあ!・・

大いに言葉を使い・・

神の代弁代行役を果たしましょう

 

 

 

※ 神には姿形がありませんので、自分の存在を明かすことができません。存在を明かすためには、何らかの方法で明かさねばならないわけですが、手っ取り早い明かし方が思いです。でも思いも見えませんから、明かすことはできません。そこで神は、存在を明かす手段として言葉を編み出したのです。これが「言葉は神なりき!」と言われる由縁です。言葉は、神を明かす一番端的な表現道具なのです。

 今の地球は情報真っ盛りの時代ですが、それは情報が多くなれば言葉の使い方が勉強できるからです。でも、魂が成熟してゆくとあまり情報は必要なくなります。だから熟成した星では、言葉が少なくなってゆくのです。その証に学びの友は、大分言葉が少なくなっているはずです。ではここで、正しい言葉の使い方を、真理に照らして考えて見ることにしましょう。

 

  1.  今 必要なことだけ話すことです。余計なことを話せば、余計な言葉が返ってきます。そうなれば、トラブルも多くなります。また言葉が多くなれば、連想が多くなるので雑念も多くなります。これは、瞑想する者にとって大敵です。
     心が満たされないから言葉が多くなるのです。つまり、心が寂しいから言葉が多くなるのです。どうか、心の寂しさを神で満たしてください。心が満たされれば、余計なことを話さなくなります。 
  2.  飾り言葉は、今のギクシャクした社会では必要かもしれません。でも真理を学んでいる皆さんは、できるだけ飾り言葉は使わないことです。飾り言葉とは、例えば「良い天気ですね!」とか、「今日は少し寒いですね!」といった言葉、「それではお元気で!」とか、「ご苦労様でした!」とか言った言葉です。つまり、要件を話す前に使う言葉と終わった後に使う言葉です。使い過ぎても少な過ぎても間が保てません。丁度良い使い方をしてください。 
  3.  おべんちゃら、おべっか、へりくだった言葉などを、あまり使わないことです。余り使うと、人をバカにしているように取られます。特に歯の浮くような褒め言葉は厳禁です。 
  4. 「こうしなければならない! ああしなければならない!」といった押し付け語や制約語を使わないでください。苦しくなってしまいます。また、和やかな場を壊してしまいます。
  5. 相手の弱みを突くような言葉を使ってはなりません。 人には、触れてもらいたくない弱みがあるものです。その弱みを突いては怒りを買ってしまいます。どうしても分かってもらいたなら、譬え話とか遠回しの言葉を使って分かってもらってください。このテクニックを身に付けるのも学びの一つです。
  6. 相手をやっつけるような言葉の使い方をしてはなりません。 相手の間違いを正したい気持ちは分かりますが、あからさまに指摘したら怒りを買ってしまいます。言いたいことがあれば、会議の場で一般的な意見として言いましょう。自分の体験を話せば、説得力があって良いでしょう。作り話を交えて話すのも効果があるでしょう。お釈迦様が嘘も方便と言われたのは、本当に人の成長を願って使う嘘は良いことだからです。
  7. 否定語やネガティブな言葉を使ってはなりません。 否定語やネガティブな言葉は、波動を下げます。前向きな、建設的な、ポジティブな言葉を多く使うようにしましょう。次のような言葉の使い方も良くありません。例えば、「平和でありますように、元気でありますように、成就しますように、神でありますように」と言った言葉です。これらの言葉は否定語です。使うなら、「平和です。元気です。成就しました。神です。」と言った肯定語・確定語を使ってください。
  8. 「ありがとう!」という言葉を、臨機応変に使いましょう。 「ありがとう!」という言葉ほど、波動の良い言葉はありません。皆の心を和ませます。皆の心を嬉しがらせます。皆の心を喜ばせます。できるだけ、「あ・い・う・え・お」と言った響きの良い言葉を使い、「ば・び・ぶ・べ・ぼ」と言った響きの良くない言葉は使わないでください。
  9.  褒め言葉を使いましょう。 褒め言葉を上手に使えば、人を成長させることができます。褒め言葉は、幼い子を成長させる最大の良薬です。怒って成長させるのではなく、褒めて成長させましょう。 

 

 

 

2018年

6月

17日

○ 肉体を出ることを最大の喜びとしなさい!

 老いることを憂いている人に、死ぬことを恐れている人に、私は言いたいと思います。老いることは良いことだ、死ぬことは良いことだと・・・。

 どうでしょう? カゴの中の鳥は幸せですか? 苦しいのではありませんか? 私たちは、カゴの中の鳥のように、不自由な肉体の中に何十年間も閉じ込められ生きてきたのです。老いると言うことは、死ぬと言うことは、その肉体から開放され自由になると言うことです。どうか、老いることを、死ぬことを、恐れないでください。むしろ、喜んでください。だからと言って、自殺はしないでください。なぜなら、計画を途中放棄して帰ることになるからです。それでは、生まれてきた意味がありません。どうか、計画を全うして帰ってください。計画を全うして帰るとは、寿命が来る日まで自分の思い通りに生きなさいと言う意味です。ただし真理を学んでいる皆さんは、二つのことはやってください。

 年のはじめに「おめでとうございます!」と言うのは、帰る日が近づいて「おめでたい!」と言う意味です。どうか、老いることを、死ぬことを、悪いことだと思わないでください。

 

 

 

2018年

6月

10日

○ 背信(背神)を悪と決めつけてはならない!

 この世には「背信」という言葉がありますが、この「背信」の文字は、本当は、「背神」と書くべきなのです。神を信じない人、あるいは神に背いている人を、背神というのです。

 あなたは過去に、神に背いて生きた時代があったかも知れません。でも、自分を責めてはなりません。なぜなら、背神によって痛い目に遭い成長できたからです。大切なのは、自分を責めることではなく、神を真剣に求め自分を成長させることです。今神を真剣に求めたら、昔の背神の罪はすべて許されるのです。過去を悔やむことほど、愚かなことはありません。どうか、今、真剣に神を求める賢い人になってください。背神は決して悪いことではないのですから・・・

 

※ 世の人々は、自業自得を悪と決めつけていますが、自業自得は決して悪いことではないのです。なぜなら、自分が作った業で苦しい目に遭い、気づいて、自分が成長できるからです。たしかに、苦しい部分だけ見たら、悪くのように見えるかも知れません。でもこの宇宙は、表裏を体験して成長するようできているのです。神は完全です。その完全な神が、自業自得を悪にしておくはずがありません。信じてもらうために、自業自得の正しい意味を教えましょう。

 漢字辞典では、自業自得とは、自分で作った「業」で自分が苦しむと言う解釈をしています。でも、これは誤りです。本当は、自分で作った「業」で自分が得をすると言う意味なのです。実際に私たちは、苦しむことによって得(成長)しているではありませんか。だから、自業自得は良いことなのです。

 

 

 

 

2018年

6月

03日

○ 言葉は神なりき!・・パート1

神は言葉なりき・・・

言葉は神なりき・・・

 

あなたは今朝・・

家で妻や子とお話しました

本当に妻や子とお話したのでしょうか?

 

あなたは先ほど・・

お店でお客様とお話しました

本当にお客様とお話したのでしょうか?

 

言葉は神にしかありません

ならば・・

お話した相手はみな神ではありませんか?

 

そうです

あなたは今朝・・

家で神様とお話したのです

 

あなたは先ほど・・

お店で神様とお話したのです

 

この宇宙で最も確かなことは

神のみが語れるという事実です

 

ならば・・

言葉を話す人は

みな神ではありませんか ?

 

私たちは・・

神が語っているのに

人が語っていると誤解しているのです

 

これでは神様から・・

「あなたは言葉を盗んでいますよ!」

といわれても仕方がありません

 

どうか・・

言葉を盗まないでください

あなたは・・

間違いなく神なのですから・・・

 

              

※尊ぶべきことは・・

純粋さです。

誠実さです。

ひたむきさです。

一生懸命さです。

どんなことも肯定的に受け取る・・

ポジティブさです。

そして何よりも大切なのは・・

夢を持ち・・希望を持ち・・

神を想うことです。

 

 

 

2018年

5月

27日

● 神は常に表現媒体を探している

 神には、姿形がありません。それでは、どんなに偉大な神でも存在していないのと同じです。そこで神は、人間を自分の分身としてこの世に送り自分の存在を明かそうと考えたのです。ですから人間は、神の代弁代行役を果たす使命があるのです。でも多くの人間は、神に顔を向けようとしません。ですから神は、使いたくても使えないのです。でも、皆さんは違います。いつも神に顔を向けています。ですから、“私を世のため人のためにお使いください!”と真剣に祈れば神は喜んで使ってくれるのです。

 神の意図は、人類に理想の世を創ってもらうことです。そのためには、地球に真理を根付かせねばなりません。皆さんは、その先駆けとして地球に送られた魂です。でも使命を果たすには、まず皆さんが成長しなくてはなりません。それには瞑想が必要なわけですが、瞑想はなかなか難しく時間もかかります。そこで神は、「身・口・意」を利用して魂を大きくしようと考えたのです。この方法なら即効性があり、具体性もありますから、真理を知った者なら誰でもできます。

 「身」とは、行為です。「口」とは、言葉です。「意」とは、想いです。想いは見えませんが、口と行為によって見える状態にできるのです。つまり神(天)の意を、言葉と手書を通して地に降ろせるのです。実際に私は、勉強会でお話することで降ろしています。また、今週の真言や更新集や本で降ろしています。それを、皆さんにもやって頂きたいのです。

 どうか私の本を手書きしてください。間違いなく神(天)の意を降ろすことができます。それは、書いて気持ちが良くなることで証明できます。気持ちの良い状態・・・それが、神(天)に使われている状態なのです。

 

※ 真理を手書きしている時、あなたは罪滅ぼしをしているのです。

 瞑想している時、あなたは罪滅ぼしをしているのです。

 この二つをやっている時、あなたは、日本に、地球に、「光」降ろしているのです。

 

 

 

2018年

5月

20日

● 気楽に生きよう!

 世の人々は、悩み多い人生を送っていますが、この世は夢幻の世界なのですよ! あなたに起きているどんな出来事も、時間がくれば事情が変わってしまうのです。もし今あなたに死にたいほどの悩み事があるなら、そんな悩み事など笑い飛ばしてしまいなさい!  どうせ夢幻なのですから・・・。

 そうです。この世は、あなたが悩むほど価値のある世界では無いのです。それよりも、せっかく夢幻の世界に出てきたのですから楽しんでください。あなたは、”今夜は楽しい夢を見ようと!”と思って床についたことはありませんか? 日々の人生もそうしたら良いのです。ただし、夢を真剣に楽しんではなりません。真剣に楽しんでは、ミイラ取りがミイラになってしまいます。夢幻だと自覚した上で楽しんでください。

 考えてみると、神は実にうまい方法で私たちを目覚めさそうとしています。夢の中で真理の勉強をさせ、目覚めさそうとしているのですからね。これは、神ならでの見事な覚醒法です。実にありがたいことです。

 

※ 例えあなたに罪深い過去があったとしても、それは真理に目覚めるために必要な過去だったのです。罪を犯さない人など、一人もいないのです。自分を責めないでください。どんな苦しい過去も、みな自分の成長に必要だったのですから・・・。

 

※ 自分の思い通りに生きてください。それが必然であり良いことなのですから・・・。その証拠に、今日まで自分の思い通りに生きてきて、真理につながったではありませんか? これからも、そのように生きたら良いのです。ただし、社会体験と瞑想だけはやってください。それをやらなくては、本末転倒になってしまいます。

 

 

 

2018年

5月

13日

● 現象に囚われてもならないが、軽んじてもならない。

 私は今まで、必要以上に現象を嫌ってきたように思います。それは、現象に惑わされ人生の目的を見失っている人たちが、あまりにも多いからです。でも私は、それで良いことに気付かされたのです。

 V字の左側にいる幼い魂は、全く神に顔を向けません。彼らは肉体維持のために、毎日 物やお金集めに躍起になっています。でも彼らも、必ずV字の右側に進化して来るのです。なぜ、神に顔を向けない魂が進化するのか? それは、物質的な生き方をしても(現象に生きても)原子核が増える仕組になっているからです。

 私は良く言います。“原因を良くしなければ結果は良くなりませんよ!” と・・・つまり、“どんなに川下でゴミ拾いしても川は綺麗になりませんよ!” と・・・確かに人の心(魂)を成長させなくては、根本的解決にはなりません。でも、よく考えてみてください。原因と結果は離れていないのです。離れていないと言うことは、互いに影響しあっていると言うことです。と言うことは、結果をいじって原因に影響を与えることができると言うことです。それは、結果の中に原因があるからです。つまり、描かれた絵の中に画家の思いがあるからです。だから、絵を見て画家の思いを汲み取れた人は感動するのです。これは、汗水流してゴミ拾いしている人たちの姿を見たら、ゴミを捨てている人の心に影響を与えられるのと同じです。真剣に平和を叫んでデモしている人たちの姿を見たら、好戦的な人たちの心に影響を与えられるのと同じです。私が「人類の夜明3」の書を手書きして欲しいと願っているのも、同じ可能性を信じてのことです。

 結果は結果だけで終わっていないのです。文字は文字だけで終わっていないのです。文字(結果)の中に原因者の思いがあるのです。その思いは、文字を書くことで汲み取ることができるのです。言葉は、神の思いが響(音)きとして形に現れたものです。同様に文字も、神の思いが形として現れたものです。つまり、「身・・・行為」と「口・・・言葉」と「意・・・思い」は一つなのです。一つゆえに、文字から思いを汲み取ることができるのです。

 この物質世界も幽界も、神の思いが形として現れた夢幻の世界です。でも 今 私たちは、その夢幻の世界で学んで目覚めようとしているではありませんか? 実際に、目覚めた先輩たちが沢山いるのです。それは、結果で原因を変えられたと言う証拠です。もし夢幻の世界から何も学べないなら、私たちは永久に目覚めることはできないでしょう。と言うことは、V字の左側にいる幼い魂は、永遠にV字の右側に来られないと言うことです。そんな無慈悲な宇宙を神が創られるわけありません。ですから文字も言葉も、単なる文字や言葉ではないのです。つまり現象は、単なる現象ではないのです。神は現象世界(結果の世界の)からでも、成長できるようにしてくれているのです。だから私は、現象を軽んじてはならないと言うのです。

 だからと言って皆さんに、ゴミを拾いに行きなさい! デモをしに行きなさい! とは言いません。そんな時間があるなら、原因を良くすることに時間を使ってください。つまり、瞑想して原子核を増やすことに時間を使ってください。客観的見方しかできない一般人は、外側に生きても(川下でゴミを拾ったり、デモをしたり)仕方ありませんが、主観的見方ができるようになった皆さんは、内側に生きるべきです。つまり、瞑想して原子核を増やすべきです。それが、熟した魂の生き方です。

 

 ※現象の世界(結果の世界)は、意識の世界(原因の世界)を知るための教室ですから、学び終えたら直ちに上の学年に進むべきです。懐かしがっていては、留年してしまいます。

 

※ 夢から目覚めたと思っても・・それは夢です。その夢から目覚めたと思っても・・それもまた夢です。またその夢から目覚めたと思っても、それもまたまた夢です。私たちは永遠に夢を見続けてゆくのです。でもこれは、喜ぶべきことなのです。なぜなら、その夢は、苦しみ多い夢から 楽しみ多い夢に変わってゆく夢だからです。それが進化です。

 

 

 

2018年

5月

06日

● 代理戦争

 人間はどうして「ひいきのチームを」作りたがるのでしょうか? それは、自分の鬱憤を晴らしたいからです。

 この社会は、「力の強い者が勝ち力の弱い者が負ける」、と言った動物まがいの弱肉強食の社会です。力の強い者は良いでしょうが、力の弱い者は、力が弱いからと言って黙って指を加えているわけにはゆきません。そこで、ひいきのチーム(自分の代理人・身代わりの戦士)を作って相手と戦い、鬱憤を晴らそうとしているわけです。しかし勝った者は良いでしょうが、負けた者はどうなるでしょう。鬱憤が積もるだけです。これでは、互いに心(宇宙)を汚してしまいます。

 ひいきのチームを作ると言うことは偏りを作ると言うことですから、宇宙(中庸)の法則によってしっぺ返しを受けるのは当然なのです。今 地球人類は、武器をボールに持ち替え戦争しているようなものです。どちらが勝っても鬱憤は晴れません。こちらが負ければこちらの鬱憤が増し、相手が負ければ相手の鬱憤が増し、トータル的には変わらないからです。要するに喧嘩両成敗のようなものです。一日も早くそのことに気付いてもらいたいものです。

 今地球に、たくさんの醜い絵(戦争・事故災難・病気など)が描かれていますが、これは何事も偏っているせいです。偏れば苦しみが来るのが法則ですから、苦しい絵が描かれるのは当然なのです。神様は、人類が地球と言う表現世界にどのような絵を描くのか見ておられるのです。そろそろ人類も偏りの過ちに気付き、地球に美しい絵を描きたいものです。

 

※ 地球人類は実に好戦的です。それは、動物時代のクセがまだ残っているからです。でもそれは、真理を深く知れば取り除けるクセなのです。つまり、自分の本性が意識であり、生命であり、神であり、一つのモノであることを心の底で知れば自他の溝が埋まるため、好戦的な人から平和的な人に変わるのです。さあ、原子核を増やし動物時代のクセを取りましょう!

 

 

 

2018年

4月

29日

● すべて自分の魂の進化成長のために起きている! パート2

 この世で起きているどんな事も、すべて自分の進化成長のために起きている必然です。このことが腹の底で解ったら何の心配もなくなります。また、起きたどんな事にも感謝できます。そのためには、下記の宇宙数式を深く理解しなくてはなりません。

 

  

 この数式は、この宇宙には自分しか存在せず、しかもその自分は、永遠に存在し続けると言う数式です。この数式が腹の底で理解できたら、「どんな事も、すべて自分の進化成長のために起きている!」と思えるようになります。もう、人の責任にすることはなくなります。また、人を憎んだり恨んだりすることもなくなります。

 今日、何か特別なことが起きたら、なぜそのようなことが起きたのか、よく考えてみてください。理由が分かったら自分が成長できます。例え理由が分からなくても、必ず意味があるはずです。 完全な神が、意味のない体験をさせるはずがないからです。

 苦しい! 痛い! 恐怖! の反対の体験は何でしょうか? 楽しい! 気持ち良い! 安心! の反対の体験は何でしょうか? 私たちは、相対的体験を通して成長して行くのです。 どうか神を信じてください。神は、何一つ無駄な体験をさせないのですから・・・。

 

おもしろいですね・・・

地球人類70億人に質問してみたいです・・・

「一瞬でも、自分じゃなかった時を体験したことありますか?」って・・・。

自分じゃない状態って・・・どうしたら、創れるでしょうか?????

いや~~すごい!!

自分しかいないですね・・・

自分・・・という状態以外に、何かあるでしょうか・・・ないですね!!

自分しかいない・・・って・・・こういうことだったんですね♪

 

・・・これはある学びの友から頂いたメールです。

素晴らしい発見であるし、うまい表現の仕方ですのでご紹介します。

 

 

 

2018年

4月

22日

● 祟りなど無い!

 祟りなどありません。祟りと言うのは、死んで迷っている人たちが、この世で生きている人たちの悪想念に乗じて憑く現象のことです。

 私は、妻と娘の骨を砕いて山や川に散骨しました。妻の親がいましたし私の母親も生きておりましたから、手前上墓も作りましたし仏壇も買いました。でも、親たちが死んだ時点で墓も仏壇も取り壊しました。その後、一度もお参りしていません。それで祟られましたでしょうか? いいえ、祟られたことなど一度もありません。それは、悪想念を持たないからです。また、死んだ人と関わりを持たないからです。人生を良くするも悪くするも想念次第なのです。神事や仏事の問題ではないのです。

 よく死んだ人を懐かしがり、仏壇の前でブツブツお話ししたりお経を上げたりする人がおります。また、仏壇やお墓に大金をかけたり、月参りとか、何回忌の法要とか、お盆などの法要にお金をかけたりする人がおります。世の人々はこれを美徳と考えているようですが、そんな事をすればするほど迷っている死人はこの世から離れません。それは、この世に執着を持たせるからです。

 死人は悟っているわけではないのです。殆どが、真理を知らない迷った人たちです。そんな死人たちは、生きていた時のことが懐かしくて、なかなかこの世から離れようとしないのです。だから、法要などの祭り事をすれば彼らは喜ぶのです。それは良いことのように思いますが、逆なのです。死んだ人は、向こうでやるべきことが沢山あるのです。いつまでも地上に縛り付けておいては、征くところにも往けません。これは魂にとって大損です。

 “祖先の霊が守ってくれるからお墓や仏壇を大切にしなさい!”とお坊さんや霊能者が言いますが、とんでもありません。もし本当に祖先の霊が守ってくれるなら、どうして仏壇のロウソクの火で火事になるのですか? お墓参りの行き帰りに交通事故に遭うのですか? おかしいではありませんか? 例えば100歩譲って、祖先の霊が子孫を守ってくれたとしましょう。でも、それで子孫は成長しますか? 子孫の苦しみを安易に取れば、成長の妨げになるのですよ。それは子孫にとって良いことですか? 悪いことですか? 

 神事や仏事などの祭事は放おっておいて、自分の魂(原子核・生命核)を大きくすることに時間を使いましょう。真理を知った賢い人ならそうすると思います。

 

※ 仏教では、人が死んだら”仏様になりましたよ!”と言いますが、仏と神とは同じですから、”神様になりましたよ!”と言っても良いはずですね。と言うことは、ことわざの「触らぬ神に祟りなし!」の本当の意味は、仏と関わらなければ災いを受けることはない、つまり、死んだ人と関わらなければ災いを受けることはない、と言う意味になるのです。

 迷った死人はこの世に執着を持っていますので、関わるとこれ幸いとばかりに人に憑いて悪さをするのです。神社仏閣にお参りに行った人や、カルト宗教に入った人が精神的におかしくなるのは、迷った死人と関わりを持ったからです。どうか、死んだ人と関わりを持たないでください。と言うより、忘れてください。忘れた方が、彼らのためになるのですから・・・。

 

※ よく、「ついているとか、 ついていないとか」、「運が良かったとか 、悪かったとか」言いますが、「つきって・運って」何でしょうか? つきとか運とか言うのは、光が強いか弱いかのことなのです。光が強ければ人生は良い方へ傾き、光が弱ければ悪い方へ傾くのです。その光の強弱は、すべて想念がしているのです。想念が明るければ光が強くなるのでつきや運が良くなり、想念が暗ければ光が弱くなるのでつきや運が悪くなるのです。

 

※ よく、リズムが良いとか悪いとか、流れが良いとか悪いとか言いいますが、これはエネルギーの流れが良いか悪いかのことなのです。悩みや心配や恐れなどのネガティブな想念を持つと、エネルギーの流れが悪くなるためギクシャクした人生になるのです。人生を良くしたかったら、エネルギーの流れを良くしてください。それは、常に明るい想念を持つことです。

 

 

 

2018年

4月

15日

● すべて自分の魂の成長のために起きているパート1

 皆さん! この世で起きているどんなことも、すべて自分の魂の成長のために起きていると思ってください。それは、自分しかいないからです。自分しかいないのに、誰かのために何かが起きますか? もし起きるなら無意味なことが起きていることになり、宇宙を創造した神が無能になってしまいます。神が創られた完全な宇宙で、そんな無意味なことが起こるはずがありません。では、どうして自分のために起きるのでしょうか? それは、自分が計画して自分が起こしているからです。

 いつも言うことですが、どうして相手がいるのですか? 自分がいるからではありませんか? 自分がいなかったら相手はいないのですよ! 相手がいないどころか、 何も無いし、何も起きないのですよ! 

 今日までのあなたの人生において、自分抜きの人生ドラマが一つだってありましたか? 自分の人生ドラマの中には、必ず自分が入っていたはずです。それは、自分が自分の人生ドラマの主役だからです。もし主役の自分が抜けたら(いなくなったら)、途端に脇役も舞台もすべて消えてしまうのです。

 今あなたは前方を見ています。前方が見えるのは、あなたの目がカメラとなり自分の前を写しているからです。ですから今日までカメラアングルの外れた日は、一日もありません。あなたは今日まで、一度だってカメラを回さない日はなかったのです。 

 あなたは主役であると同時に、ドラマの原作者であり、演出者であり、監督であり、撮影技師であり、時代考証係であり、小道具係であり、照明係であり、衣装係であり、メイキャップ係だったのです。自分がドラマの筋書きを考え、自分がドラマの舞台を設営し、自分がその舞台の上で演技してきたのです。それは、すべて自分の魂の成長のためです。自分が計画して自分がやることですから、何一つ間違いはありません。だから私は、この世で起きているどんな出来事も、自分の魂の成長のために起きていると言うのです。

 人生の目的は、あくまでも自分の魂を大きくすることです。神の自分の目的は、それしかないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年

4月

08日

● 迷惑!?

 世の人々は、「迷惑」を悪と考えています。でも本当に、「迷惑」は悪でしょうか? 迷惑と言う意味は、「迷わせ惑わせる」と言う意味ですから、字の意味だけ考えたらたしかに悪いことかも知れません。でも迷惑をかけられた人は、迷惑から色々と学び成長するのですから悪いことではないのです。だから、人に迷惑をかけて良いと言っているわけではありません。迷惑を自分の成長につなげて欲しいと言っているのです。

 あなたは自分を成長させたくて、迷惑をかける人を連れてきたのです。ならば、迷惑をかけてくれた人は恩人ではありませんか? 実際にあなたは、これまで迷惑をかけられたことで成長してきたではありませんか? これは、主観宇宙の仕組みを知った人なら分かって頂けると思います。

 どうか、迷惑を良く受け取ってください。迷惑は、自分を成長させてくれるのですから・・・。

 

※ 嫌なことをしてくれた人を嫌っているうちは、未熟です。嫌なことをしてくれた人に感謝できるようになったら、成熟です。実際に、嫌なことを乗り越えたら原子核が増えるのですから、嫌なことをしてくれた人は恩人です。

 

※ 嫌なことをされたのは、あなたが嫌なことをしていたからです。あなたが嫌なエネルギーを出していたから、嫌なエネルギーが入ってきたのです。そのことに気付いたら成長です。迷惑が迷惑でないのは成長できるからです。

 

※ エネルギーは、出した分入るようになっているのです。出しもしないで余計なエネルギーを貰おうとするのは欲です。欲のエネルギーは、いつか必ず返さなければならなくなります。痛みや苦しみで・・・。

 

 

 

2018年

4月

01日

● 自由性の進化

 私たちの肉体は、重く扱いづらく実に不自由です。だから人類は、少しでも自由性を高めようと車や飛行機を発明してきたわけです。でもそんな乗り物を発明するより、自分が意識体であると気付けばそく自由になれるのです。神はそのことを気付かせるために、今日まで人類に三身(位)一体の進化の体験をさせてきたのです。

 大昔の人類は、幼かったため石炭すら扱えませんでした。でも、進化するにしたがい石炭を扱うことを覚え、石油を扱うことを覚え、ついにはガスまで扱えるようになったのです。これがエネルギーの進化です。

 石炭は個体で、石油は液体で、ガスは気体です。でも石炭の中に、油とガスが同居し三身(位)一体になっているのです。私たちの肉体も同じように、肉体の中に幽体と意識体が同居し三身(位)一体になっているのです。幼い内は肉体を自分だと思っていますので、肉体の生き方しかできません。地球人類の殆どは、今そのように生きています。でも進化成長するに従い、幽体に生きるようになり、意識体に生きるようになるのです。

 学びの友は、最終段階に入っている魂です。さあ、瞑想し意識をカゴ(肉体)から開放しましよう。瞑想して自分の本性が自覚できたら、意識(魂)は肉体から離脱して自由になるのですから・・・。

 

※ 幸せの基盤になっているのは自由性です。それゆえに私たちは、身体を縛られても、思想を縛られても、苦しいのです。人類が「自由!自由!」と声高に自由を求めるのは、自分の本性が自由な意識(魂・心・想念)であることを本能的に知っているからです。自由性イコール幸せです。どうか、原子核を増やし自由性を高めてください。

 

※ 一を知ったら個人間の対立も、人種間の対立も、国家間の対立も、宗教間の対立も、無くなります。一を知れば自由を知るからです。一は無限なのです。一つの中には、無限の中には、何の障壁もないのです。それは、区切られていないからです。不自由なのは、区切られているからです。区切られた世界は、不自由なのです。

 

 

 

2018年

3月

25日

● 二つの人生を歩むことは出来ない!

 世の人々は、“あの時こうしておけば良かった! ああしておけば良かった!”と悔やみ事を言いますが、同時に二つの人生を歩むことなどできないのですから、悔やみ事は言わないことです。“人生は試すことができない! 一回限りである!”と言われるのは、今の人生を歩みながら別な人生を歩むことができないからです。私たちは、一つの人生しか歩めないのです。その意味では、確かに一回限りの人生です。仮に歩めたとしても、同じ人生ではないのです。なぜなら、時々刻々と条件が変わっているからです。今の人生の条件は、現下における条件です。時が移れば時代背景も変わり、登場人物も変わり、社会情勢も変わります。そんな条件の違う下で同じ人生が歩めるはずがありません。

 よくこんな事を言う政治家がいます。“私の言った事の正しさは、時代が証明してくれるだろう!” と・・・とんでもありません。そんな事、あるはずがありません。なぜなら、時々刻々と移り変わる無常の世界で、同じ条件が整うはずがないからです。

 やったことが正しかったか正しくなかったかは、やってはじめて分かるのです。やらなかったら分かるはずがないのです。なぜなら、原因を作らなかったら結果が生まれるわけがないからです。同時に二つのことはやれない(原因を作れない)のですから、どちらが正しかったか正しくなかったか比べることなどできないのです。だから、”あの時ああしておければ良かった!”などと悔み事を言ってはならないのです。

 二つの人生が歩めないのは、一つの時間の中で二つの人生は試せないからです。試せるのは、今の一つの時間の中の人生だけです。それ以外の人生はありません。あの時ああしておけば良かったと思うのは、単なる望みです。望みは人生ではありません。歩んで初めて人生になるのです。今あなたが歩んでいる人生は、一つしかない人生です。その人生は、誰が作ったのでもありません。あなたの想いが作ったのです。例え今の人生が不幸そうに見えていても、最善の人生だったのです。なぜなら、あなたがその時の原子核の量において良いと思ってやったことだからです。それは必然であり良いことだったのです。その証に、今こうして真理を学んでいるではありませんか。もし他の人生を歩んでいたら、今 真理を学んでいなかったかも知れないのです。いやそれどころか、悲惨な人生を歩んでいたかも知れないのです。

 二つの人生は歩めないのですから、今の人生が最善だと思って一生懸命生きることです。どうか、自分を信じてください。その時の自分の思いでやったことが最善だったと信じてください。

 

※ やった事は結果として証明できますが、やっていない事は結果が生まれなので証明できないのです。つまり起きたことの証明はできるけれど、起きなかったことの証明はできないのです。

 

※ 瞑想は、今の条件下(理解力の下)で行われています。でも、今の条件(理解力)は刻々と進化しているわけですから、常に進化した条件の下で瞑想が行われているのです。だから私は、雪だるま式に原子核が増え進化すると言うのです。

 

 

 

● 心を安らげる一つの方法

 この物質の世界は波動が粗いので、常時心を安定させておくのは容易ではありません。真理を学んでいる人でも、苦労しているはずです。そんな人のために、心を安定させる一つの方法を教えましょう。

 まず、B4の大きさの紙に、「神」と言う白抜きの字を大きめにコピーします。その白抜きの字の中に「ありがとう!」と心を込めて書いてください。多く書けば書くほど波動が上がります。七色を使い芸術的に書けたら最高です。学びの友が書いた作品が、「光の画集」で紹介されていますので参考にしてください。

 書いていると心が落ち着きます。サタンにやられづらくなります。知人や肉親の中に心の病で苦しんでいる人がいたら、ぜひ教えてあげてください。良い変化が起きると思います。

 白抜きの字は、あなたの好きな字を使ってください。お勧めの字は、「光」「愛」「命」「心」などです。

 

 

 

2018年

3月

18日

● どうして相手がいるのですか?

 どうして相手がいるのですか?・・・それは自分がいるからではありませんか? 認識者である自分がいるから、認識される相手がいるのではありませんか? 認める自分がいなかったら、認められる相手はいないのですよ! この話を、宇宙に置き換えて考えてみましょう。

 どうして宇宙があるのですか? それは自分がいるからではありませんか? 認識者である自分がいるから、認識される宇宙があるのではありませんか? 認める自分がいなかったら、認められる宇宙はないのですよ! と言うことは、相手は、宇宙は、自分が創っていると言うことです。こんな分かり切ったことを、人間は気付いていないのです。だから相手を憎んだり恨んだりして、戦争までするのです。憎んだり恨んだりしている相手は、自分が創った相手なのです。と言うよりも、相手は自分自身なのです。なぜなら、認めている自分が、認められている相手の中にいるからです。それは、認めている自分が、認められている相手を創っている素材だからです。なぜ素材かと言いますと、認識している意識そのものがモノの素材だからです。意識=モノの素材なのです。認めている自分の意識(素材)が、認められる相手になっているのです。だから、相手の中に自分がいることになるのです。つまり、自分が相手を創っていることになり、相手は自分になるのです。

 “いや、自分がいなくても他に認識者がいるのだから、相手はいるはずだ! ” とあなたは反論するかも知れません。でも、自分がいなかったら、そのことをどうして知ることができるのですか? どこまでも主観的見方しかできないのです。なぜなら、この宇宙には自分しかいないからです。

 

ある学びの友から、次のようなメールをいただきました。

 「理解力って、波動なんですね!!3月11日の動画の52分30秒あたりなんですが・・・私に向って、『わかるよね!?』と、かとうさんが言っているところがあるのですが・・・この時私は、すごくわかったと思っていたのです。でも、今、動画を見てもその時のわかった!という感覚がありません。それ以外にも、いくつも、あれ?ここのところ、直にかとうさんから聞いていた時は、すごくわかって感動していたのに、今は何だかわからない・・・と感じる所があるんです・・・。理解力って、本当に波動なんですね!! 波動が落ちると、わからなくなりますね・・・・」と・・・

 宇宙は、すべて波動で創られています。その波動は、エネルギーでもあり知恵でもあるのです。だから波動が高くなりエネルギーが高くなれば、分からないことが解るようになるのです。

 この学びの友は、一歩成長しましたね。嬉しいことです。

 

 

 

2018年

3月

11日

● 自分の意識を感じている自分って何なの?

 自分の意識を感じている自分がいます。その自分って、一体何んでしょうか? それは、本当の自分ではありませんか? つまり、神の自分ではありませんか? その自分が無かったら、自分を意識できないのです。と言うことは、自分は存在できないと言うことです。

 自分の意識が、自分の意識を存在させているのです。つまり、自我の意識が、神我(真我)の意識を存在させているのです。それは、同じ一つの意識だからです。神我(真我)意識があるから自我意識があり、自我意識があるから神我意識があるのです。今 私たちは、一つしか無い意識を二つの意識に別けているのです。それは、肉体を自分だと思っているからです。 

 繰り返します。

 自我意識もあって、神我(真我)意識も有るわけではないのです。有るのは、神我意識のみです。この神我意識だけは、絶対無くならない意識なのです。自分の意識を消せないのは、自分の意識が永遠に実在する神我(真我)意識だからです。どうか、自分と思える自分の意識の不可思議さを探ってください。

 

※ この宇宙で確かなのは、自分しかいないと言う事実です。だから、自分でやるしか無いのです。他人(私)を当てにしてならないのは、他人(私)はいないからです。他人は、外側の世界の無いモノです。自分は、内側の世界の有るモノです。他人は実在しないのです。自分は実在するのです。外側の電車を待っていても来ないのは、外側の電車は実在しないからです。来ない電車を待つことほど、苦しいことはありません。どうか来ない電車を当てにせず、自分の足で歩いてください。

 

 

 

2018年

3月

04日

● 子供の手本になろう!

 あなたは子供の生活態度が悪いと怒りますが、あなたの生活態度はどうでしょうか? 子供に尊敬されるような生活態度をしていますか? 自分の態度が悪くて、どうして子供を怒ることができましょうか?" いや私は良い親です!"と、あなたは言うかも知れません。では、あなたの心の中はどうでしょうか? 良い思いを持っていますか?  どんなに表面上で繕っても、繕えるものではないのです。思ったことは、必ず顔や態度に表れるからです。

 子供は、常に親の姿を追いかけているのです。私の子供の頃を思い出してもそうでした。それは、尊敬できる親の姿を見たかったからです。家の恥を晒すようですが、私の父と母は、毎日のように夫婦喧嘩していました。それを見ていた私の小さな心は、どれほど傷んだでしょうか? 

 子供が悪いのは、親のせいだと思ってください。子供は親の背中を見て育ってゆくのです。どうか、子供の手本となるような親になってください。

 

※ 子供に文句を言っても反発をかうだけです。それよりも、何も言わず、子供の手本になることを黙々とやることです。それも真心を込めて・・・。そうすれば子供は、きっと親を見習ってくれるでしょう。2015年12月20日大阪勉強会の動画より

 

 

 

 

2018年

2月

25日

● 私たちは試されている!

 すべて試されているのです。特に皆さんのような成熟した魂には、高度な試しが来ます。その試しを乗り越えれば、魂は更に成熟するのです。どうか、試しをポジティブに受け取ってください。ポジティブに受け取れば、真理の確信が一段と深まります。

 すべて進化成長のための試しであり、それは必然であり、良いことなのです。

 

※ 今日まで一生懸命努力してきたから、今の自分があるのです。努力なしに何も成し遂げられないことを再認識しましょう。

 

※ 今 実際に痛み苦しんでいる人、サタンにやられている人は、ぜひ私の勉強会の動画を見てください。痛み苦しみが半減し、サタンからも逃れられます。試してみてください。

 

 

 

2018年

2月

18日

● ひたむきに神を求め続ける!

 “何の欲も持たず・・ひたむきに神を求め続ける!”こんな美しい姿はありません。

 ひたむきに神を求め続けるとは?・・・純な心を持って神を想い続けると言う意味です。そんな純な気持ちで神を求め続けたら、神は(本当の自分は)きっとあなたを天に引き上げてくれるでしょう。

 

  • 自分を認め、宇宙を認め、神を認めてやれるところまで進化した自分を褒めてあげましよう!
  • 瞑想できるところまで進化した自分を褒めてあげましよう!
  • 苦難の道を歩み続けてきた自分を褒めてあげましよう!

 褒めてあげた後は、更に努力しましょう! 

社会体験を・・・瞑想を・・・ 

 

 

 

2018年

2月

11日

● 真に生きている時とは?

 この宇宙に生きモノは、たった一つしか存在しません。もし生きモノが二つも三つも存在するなら、宇宙は有限になってしまうからです。生きモノが一つしか存在しない理由は、宇宙が無限だからです。無限宇宙そのものが、一匹の生きモノなのです。私たちは今その無限宇宙の中に存在し、私たちの中に今その無限宇宙が存在しているのです。と言うことは、私たちは同じ一匹の生きモノ(一匹の無限宇宙)であると言うことです。

 今 私たちは、間違いなく生きています。これは何モノも否定できないでしょう。何せ私たちは、今 実際に存在しているのですから・・・。今 実際に生きているのですから・・・。存在していられるのは、生きているからです。また生きているから、存在していられるのです。私が・・「私たちは宇宙そのものですよ! 神そのものですよ!」と言うのは、今 私たちは存在しているからです。今 生きているからです。今 存在しているのは、今 生きているのは、宇宙しかないのです。今 存在しているのは、今 生きているのは、神しかないのです。

 ただし、真に生きていると言えるのは、想念を持つようになった以降です。つまり、自我を持つようになった以降です。自我を持たない鉱物や植物や動物は、真に生きているとは言えないのです。それは、宇宙を、神を、自分を、認識してやれるところまで進化していないからです。

 

生きている時とは?

  • 神を意識している時。
  • 実際に有るモノを意識している時です。

生きていない時とは?

  • 人間を意識している時。
  • 実際に無い(この世)モノを意識している時です。

 

 本当に有るものを意識している時は生きており、本当に無いものを意識している時は死んでいるのです。どうか、死人にならないでください。

 

※ 人間の尊厳は、自分を認識できる、宇宙を認識できる、神っているのかな? と思える想念を持った時に生まれるのです。

 

 

 

2018年

2月

04日

● 生きている条件とは?

 生きているとは?・・・形の有る無しにかかわらず、存在しているモノはすべて生きているのです。存在していること自体が、生きている証だからです。では具体的に、どのような状態を生きていると言うのでしょうか? 生きている条件は何でしょうか?

 それは、

1.永遠であること・・

2.無限であること・・

3.完全であること・・

4.意識があること・・

 (思えること・考えられること・・自分の存在も他の存在も認識できること)

 この4つは基本条件です。

5.力(エネルギー・光・想念) を持っていること・・

6.息していること

7.脈を打っていること

 この3つは副次的条件です。この7つの条件がクリアーされていなければ、生きているとは言えません。では人間は、この条件をクリアーしているでしょうか? 

 人間は、意識を持っています。その意識は、永遠に無くなりません。その意識は、無限です。その意識は、完全です。人間は、想念と言う創造の力を持っています。人間は、息をしています。人間は、脈を打っています。と言うことは、人間は7つの条件を全部クリアーしていることになります。だから人間は、間違いなく生きているのです。でも、肉体のことを言っているのではありません。肉体の中で働いている意識のこと、魂のこと、生命のことを言っているのです。

 肉体は無くなりますので有限です。意識も持っていません。想念も持っていません。息もしていません。脈も打っていません。ですから、肉体は生きていないのです。

 冒頭に、形の有る無しにかかわらず存在しているモノは、すべて生きていると言いましたが、それは形を存在させている、意識、魂、生命が、生きている条件を満たしているからです。どんな形の中にも、形のある内は7つの条件が備わっていると言う意味です。


※ この宇宙には、生きているモノだけが存在しているのです。死んでいるモノは存在できないのです。宇宙は一匹の生きモノなのです。その一匹の宇宙の中に私たちは存在しており、私たちの中に一匹の宇宙が存在しているのです。

 

 

 

2018年

1月

28日

● 私の独り言 パート2

 自分って、どれほど不可思議な存在なのだろうか? どれほど神秘的な存在なのだろうか? 何せ、自分の正体が全く分からないのである。自分の素性も、経歴も、能力も、可能性も、発展性も、何が出来るのか出来ないのかも、全く未知数なのである。

 今の自分に分かっていることと言えば、

  • 姿形がないこと・・
  • 永遠に無くならない無限の意識を持っていること・・
  • 何でも考えられる、思える、想念を持っていること・・。
  • 自由意志を持っていること・・

 これくらいのことしか分からないのである。

 それでは心配ではないのか? 心細くはないのか? と思うかも知れないが、そんな思いは一切ないのである。反対に分からないことの方が、嬉しいのだ。なぜなら、夢があるからである。

 私・私・私・・・・と、どんなに探っていっても掴めない自分の意識・・・何と楽しいではないか? 何と嬉しいではないか?・・・この気持、分かって頂けるだろうか? 

 

※ 有限は苦しみです。無限は喜びです。頭打ちのない、届かない、底のない、無限の自分を探る旅は、究極の幸せである。

 

 

 

2018年

1月

21日

● 神と言う名の由来

 神とは何なのでしょうか? 神は見えません。神は触れません。姿形がないので知りようがないのです。

  • 知りようのない神
  • 知る手立てのない神
  • 知りようがないから神秘的な神
  • 分かりようがないから不可思議な神
  • いくら探っても探っても探れない神・神・神・神・・・

 でも、神は確かに存在するのです。なぜなら、今 現に、宇宙が、万象万物が、私が、存在しているからです。もし神が存在しなかったら、今 私は存在していないでしょう。なぜなら、今 私が存在できているのは、何かが私を存在させているからです。何かがなくては何も存在できないのが、宇宙の道理なのです。ただ、その何かが何なのか分からないので、その分からない存在に神と名付けただけです。

 そうです。神は分からないモノなのです。神とは分からないモノの代名詞なのです。神と言う名の由来は、分からないモノと言う意味から生まれたのです。分からないモノは、みな神なのです。もし皆さんに分からないモノがあったら、神と名付けてください。ただし、この分からないモノは、物質のことではありません。実際に有るモノのことです。

 さて、神は分からないモノであることを知りました。では、あなたは、あなたを知っていますか? 自分を知っていますか? 私・私・私・私・・・と自分の意識を追いかけて行ってみてください。いくら追いかけても、自分の意識の出処が分からないはずです。自分の意識がどこから来たのか、どこから生まれたのか、分からないはずです。自分の意識の正体が分からない?・・・自分が分からない?・・・分からない?・・・分からない?・・・。

 先程、分からないモノに神の名を付けてくださいと言いました。では、分からない自分の意識に神の名を付けましょう! 分からないのが神なのですから・・・。

 私が「人間は神である」と断言するのは、分からないからです。そうです。私たちは、分からない神なのです。

 

※ 自我にとって都合の良いことは、真我(神我)にとって都合の悪いことです。真我(神我)にとって都合の良いことは、自我にとって都合の悪いことです。でもそれは見かけであって、本当は全て都合の良いことなのです。

 

 

 

2018年

1月

14日

● トリックに引っかかっている神の子

 今 地球上には70億人を越す人類が存在しますが、その全員が神なのです。なぜなら、神にしか無い思いを人類は持っているからです。思える人類は、間違いなく神なのです。でも、今はまだ魂の量が少ないので、「神の子」の段階です。でも「神の子」は、いずれ成長し神になるのです。

 その「神の子」が、幻をホンモノに見せかけるトリックに引っかかり、今真剣に泣き笑いしながら生きています。神はどうして「神の子」たちを、このようなトリックの中に放り込んだのでしょうか? それは、ホンモノに見せかけるトリックの中に放り込まなければ、真剣に生きようとしないからです。 

 どうでしょう! 夢と知りながら、夢の中で真剣に生きられますか? 幻の世界だと知りながら、幻の世界の中で真剣に生きられますか? いい加減な生き方しかできないはずです。それでは成長できません。進化成長するためには、真剣に生きられる環境がどうしても必要なのです。その環境が、幻の現象界なのです。

 神の子は、自我を持ち自由意志を持っている賢い魂ですから、少々のトリックでは騙されないのです。だから神は、トリックに引っかかるよう肉体を持たせ、幻の現象界の中に放り込んだのです。これは、神にとって苦肉の策なのです。今 地球上でこのトリックを見破っているのは、覚者だけです。でも騙されている一般人も、いずれトリックを見破る時がくるでしょう。その一番近くにいるのが、皆さんなのです。

 

 

 

2018年

1月

07日

● 私の独り言!?

 私の生まれが分からない? どうして生まれたのか? いつ生まれたのか? どこから生まれたのか? どのようにして生まれたのか? 全く分からない。だから、私の素性が分からない。素性が分からないから、私を知る手がかりが全く無いのである。正に分からないずくめの私である。

 その私は、いつか消えてしまうのだろうか? いつか無くなってしまうのだろうか? いや、そんなはずがない。なぜなら、私は見えないからだ。見えないものが、無くなるはずがない。では、私って一体何モノなのだろうか? 私が私を知らないで生きている、何と不思議な私である。 

 不思議と言えば、なぜ私が分かるのだろうか? それは、私を認識できる意識があるからではないのか? 私の意識がなかったら、私を認識できるはずがない。と言うことは、私は意識ではないのか? そうだ、やっと解った! 私は意識なのだ! でも、意識って何なのか? 意識って・・意識って・・意識って・・意識って何なのか? 解らない? では、その意識はどこから来たのだろうか? どこから生まれたのだろうか? 「私・私・私・・・」といくら追いかけても、私の意識の源が、出処が、分からないのである。私に意識がなかったら、こんなに悩むこともないのに・・・。でもこれは悩みなの・・・? いや、私に悩みなどない。むしろ嬉しいのだ。楽しいのだ。なぜなら、私の意識が未知だからである。未知な意識なればこそ、追求のしがいがあると言うものである。未知とは、嬉しいことなのである。未知とは楽しいことなのである。未知とは希望である。知ったら絶望である。

 とは言っても、やはり私は私の意識を知りたい! 未知なるものを知りたいのは、本能のようなものだからである。でもどんなに知りたいと思っても、永久に知ることができないのだ。知ったら絶望だからである。でも、それで良いのである。なぜなら、「意識は永久に知ることができない!」と解ったことが、意識を知ったことになるのだから・・・。

 では、永久に知ることのできない私の意識に名前を付けよう。どんな名前?・・・それは、神と言う名がふさわしいのではないだろうか? 神は永遠に知ることのできない存在だからである。

 

※ 私の意識を知る手がかりが、一つだけあります。それは自分の意識を意識することで、自分が光ってくることです。意識とは、光なのです。私とは、光なのです。しかし、その光がどこから生まれたのか? その光が何なのか? は依然として解らないままなのです。でも、永遠に解らないままで良いのです。なぜなら、解れば宇宙は有限になってしまうからです。それでは宇宙の死です。

 無限の宇宙を永遠に知ることが出来ないとを解ったら、宇宙を知ったことになるのです。

 

 

 

 

2017年

12月

31日

● 本当に生きている状態とは?

 人はどうして苦しみに喘がねばならなのでしょうか? 神様は苦しめるために人間を創られたのでしょうか? いいえ、苦しんでいるのは無知ゆえです。本当の自分を知らないから苦しいのです。実際に無い物を有ると思い違いしているから苦しいのです。

 本当の私たちは、肉体では無いのです。肉体は、本当の自分の乗り物です。本当の自分は、肉体の中で働いている生命です。生命には姿形がありませんから、生きる苦しみが無いのです。老いる苦しみが無いのです。病む苦しみも無いのです。勿論、死ぬ苦しみもありません。

 私たちは、形を持って生ることが幸せだと思っていますが、形を持たないで生きることが幸せなのです。なぜなら、形を持てば不自由です。また、形は壊れやすいですから形を維持するために様々なケアーが必要です。第一、消えて無くなる心配があります。これでは、心穏やかに生きられません。でも、形がなければ自由です。消えて無くなる心配や壊れる心配がありませんから心穏やかに生きられます。生命が一番安心できる状態は、形を持たないことなのです。形は波動が低いですから形を持って生きることは、生命にとって余り気持ちの良い状態ではないのです。

 この宇宙の実態は、形を持って生きることは異常で、形を持たないで生きることが正常なのです。ただそれを知るには、形の虚しさや苦しさを体験する必要があるので、今、私たちは形の中に入って勉強しているのです。ですからこの宇宙には、形を持たないで幸せに生きている生命が無数に存在するのです。彼らは、形を持っている生命を見ると異常だと思うのです。今、苦しんでいる人は、こう思ってください。

“今、私は、真の幸せを知るために肉体の中に入って勉強しているのだ!”、と・・・。

 今、私たちが体験している苦しみは、宇宙時間で言えば一瞬です。後に待っている幸せのことを考えれば、そんな苦しみなど大したことありません。どうか、そう思って生きてください。

 

※ 神様は、“難しい生き方をしなさい!”とは言っておられません “自分の思い通りに生きなさい!”と言っておられます。ただし、次の二つのことだけはやってください。一つは社会体験です。もう一つは瞑想です。この二つのことをやり自分の思い通りに生きたら、間違いなく原子核が大きくなります。

 

 

 

2017年

12月

24日

● 自分が「1」であることを心の底で知る学び

 学びの最終目標は、自分が「1」であることを心の底で知ることです。人生は、唯一それを知るためにあるのです。私たちの周りには、沢山の人・物・社会・国・自然環境・があり、そこで毎日様々な出来事が起きています。でも、それ自体には何の意味もないのです。なぜなら、外側の出来事はすべて現実(幻)だからです。意味があるのは、様々な出来事を通して“自分が「1」であった!”と、心の底で知る意味です。すべてのモノは、神の表現物として置かれてありますから、置かれてある物一つひとつには意味はあります。でも、そのモノ自体には何の重要性もないのです。なぜなら、そのモノは1であると気付かせる方弁としての存在物だからです。すべてモノは、「1である」「1であった」と気付かせるための道具です。道具そのものは重要ではないけれど、気付かせるために必要な道具ですから、現実(道具)と真実は同格だと私は言うわけです。

 重要なのは、自分が「1」であると自覚することです。その自覚は、瞑想によって得るわけですから、やはり瞑想が重要になってくるのです。瞑想とは、「1」なる私が、「1」なる私を意識することです。つまり、1が1を想うことです。自分が「1」だからです。この宇宙には、「1」しか無いのです。

 

 

 

2017年

12月

17日

● 自分の能力に気付かず生きている人間

 人間は、自分の能力がどのくらいあるか気付かず生きています。それは、肉体を自分だと誤解しているからです。肉体を自分だと思えば、肉体は自然法則内の能力しか出せませんから、小さな能力に甘んじるしかありません。でも生命だと思えたら、自然の法則の外に出てしまうので、大きな力が発揮できるのです。今の地球人類は、自然の法則に縛られ窮屈な生き方をしているのです。

 人間の中には、二人の自分がいるのです。一人は自我(肉体)の自分、もう一人は真我(意識・エネルギー・魂・生命)の自分です。自我の自分は幻の自分ですから、いつか必ず無くなってしまいます。でも真我の自分は、無くしたくても無くせないのです。それは、意識だからです。エネルギーだからです。魂だからです。つまり、生命だからです。その生命の自分は、無限の能力を持っているのです。ただし持っていても、持っている事を知らなければ使えないのです。今の人類は、無限の能力を持っていながら、そのことを知らないため使っていないのです。それは、本当の自分が何か知らないからです。もし、本当の自分を心の底で知ったら、宇宙さえも創れるようになるのです。

 どうか、本当の自分を知ってください。無限の能力を持った偉大な存在であることに目覚めてください。

 

 

 

2017年

12月

10日

● この宇宙に軽んじて良いモノなど一つも無い!

 この宇宙には、たった一つのモノしかありません。たった一つのモノしか無いと言うことは、すべては一つモノの現れですから、砂一粒も宇宙だと言うことです。ですから砂一粒でも無くなったら、その時点で宇宙は無くなってしまうのです。二つのモノがあるなら、一つのものが無くなっても、もう一つのものが有るわけですから、一つは残ります。でも、一つのモノしか無いわけですから、一つのものが無くなったら何も無くなるのは当然なのです。その一つのモノを、神と呼んでいるだけです。神と言う名が嫌いなら、「原子」と呼んでも良いのです。なぜなら、「一つのモノ」が原子になっているからです。

 もし、あなたが砂一粒を軽んじるなら、宇宙を、神を、軽んじることになるのです。つまり、自分を軽んじることになるのです。自分は一つのモノの現れだからです。私が、”すべてのモノを愛しなさい!”と言うのは、すべてのモノは自分だからです。だから、自愛しか無いのです。

 あなたが嫌う、あの人も、この人も、あの菌も、この虫も、この汚物も、みな自分です。どうか、自分を嫌わないでください。

 

※ あなたが、どんなに神ではなく肉体だと言い張っても、あなたの肉体は細胞の集まりであり、その細胞は分子の集まりありで、その分子は原子からできており、その原子は神の意識によって創られたものですから、あなたは間違いなく神なのです。もういい加減に、人間と言い張るのを止めてください。

2017年

12月

03日

● 忘れること・・・ 想わないこと・・・

 真理を生半可でかじっている人の中に、現代医療を否定する人がおりますが、これは大変危険です。確かに、私たちの中には偉大な生命力が宿っていますから、生命力に任せるのは正しいのですが、それは真理を心の底で知った人(自覚の境界線を超えた人)に言えることであって、一般人を含め殆どの人は知識段階ですから、この話は当てはまらないのです。

 私たちには五感があるため、病気になるとどうしても患部を意識してしまいます。意識すればエネルギーを与えるわけですから、病気はなかなか治らないのです。本当は、病気になっても意識しなかったら、自然治癒力によって病気は治ってしまうのです。しかし痛みや苦しみの症状が出ると、どうしても意識しないでいられません。ですから、痛みや苦しみを取る薬や手術などが必要になるのです。これは今の人類には止む得ぬことですから、現代医療を使って良いのです。ただし、正しい使い方をしなくてはなりません。

 正しい使い方とは、

 薬は痛み苦しみが無くなるまで使用すること。痛み苦しみが取れたら、あとは生命力に任せ、一切 病気のことは忘れることです。この忘れることがとても大切なのです。昔から、病気は峠を越えたら心配いらないと言われてきましたが、これは峠を越えたら自然治癒力が働きだすからです。この生命力の働きは、中途半端な働きではないのです。ですから、自然治癒力が働きだしたら余計なことはしないことです。もし、峠を越えた人に薬を与え続けると細胞は薬に頼るようになるため、生命力が働いてくれなくなるのです。当然、副作用も起こります。特に現代医療で使われている薬は強力ですから、使い過ぎると良い細胞まで悪くしてしまうのです。

本当は、できるだけ薬は使わない方が良いのです。使うにしても峠を越えるまでです。

 病気は、私たちに問いかけているのです。あなたの生き方は何処か間違っていませんか? どんな想念を持って生きていますか? と・・・。病気で苦しんでいる人は、どうして病気になったか考えてみてください。原因を見つけ生き方を正したら、病気は治ります。それはもう、危険信号を送る必要がなくなったからです。

 病気は業の消えている姿ですから、忘れることです。病気で一番大切なことは、病気を忘れることなのです。忘れること、触らないこと、いじらないこと、意識しないこと、これが病気にならない最良の方法であり、病気を治す最良の方法なのです。

 何も想わなければ何も生まれないのです。反対に、想えば何でも生まれるのです。これは、病気に限らず人生万端に言える想念の使い方の注意すべき点です。どうか、想念の偉大さを知ってください。そして、正しい想念の使い方をしてください。正しい想念の使い方とは、恨まない、怒らない、憎しみを持たない、心配しない、要するに悪いことを想わないことです。そうすれば、絶対悪いことは起きないのですから・・・。 

 

 

2017年

11月

26日

● 真の愛とは?

 私たちは、よく「愛」という言葉を口にしますが、「愛」という言葉を聞いて嫌がる人はおりません。それは、素晴らしい波動を持った言葉だからです。ですから「愛」という言葉を聞いただけで、嬉しくなるのです。しかし、「愛」の言葉に騙されてはなりません。なぜなら、偽善の愛や思い違いの愛もあるからです。

 人は良く、”愛しています!” という言葉を使いますが、愛の真の意味を理解して使っているでしょうか? 殆どの人は、”好きです” とか ”恋い慕う” といった意味で使っています。確かにそれも愛の一面ではありますが、真の愛はそんな軽薄なものではないのです。

 真の愛とは、「大バランス・大調和・中庸・中道・真ん中」に引き寄せる力のことです。宇宙が望んでいることは、魂を進化成長させることにあるわけですから、その目的に近づけてくれる、「大バランス・大調和・中庸・中道・真ん中」に引き寄せる力が、真の愛の意味になるのです。

 神が峻厳な愛を行使するのは、厳しい愛でなければ中庸を維持できないからです。先程、偽善の愛も思い違いの愛もあると言いましたが、人間が使っている愛は、中庸から離れた優しさや思いやりなどの甘やかしの愛なのです。そんな甘い愛では、魂は進化成長できないのです。世の中には、愛を誤解して使い、人を駄目にしている人が結構いるのです。誤解して使っているならまだしも、愛と言う言葉を巧みに使って人を騙している人もいるのです。確かに愛と言う言葉は美しいです。心地よい響きを持っています。ですから愛という言葉に酔ってしまい、真の愛が何なのか判断ができなくなるのです。どうか、真の愛が何か理解した上で受け取ってください。また、使ってください。

 真の愛は、原因と結果の法則が支えていますので、どんなに媚びてもへつらっても許してくれません。厳しいと思われるかも知れませんが、厳しいからこそ成長できるのですから真の愛を嫌わないでください。

 

 

 

2017年

11月

19日

● 瞑想は科学である!

 なぜ瞑想は科学なのでしょうか? それは、原因を作れば必ず結果が得られると言う「因果の法則」を利用しているからです。因果の法則を利用するのは、誰でもない自分です。瞑想が科学であると言うのは、自分の想念を因果の法則に関与させるからです。自分の想念を関与させなくては、因果の法則は働かないのです。なぜなら、自分の想念しか原因を作れないからです。自分の想念によって原因を作り、その結果を自分の中に積むのが科学なのです。自分が、自分の想いを使って瞑想するわけですから、自分の中に結果が積まれるのは当然でしょう。だから、瞑想すれば必ず自分が変わるのです。

 変わらない瞑想は嘘です。何かが、どこかが、間違っているのです。もしかしたら、形や作法に囚われているのかも知れません。あるいは、想念を正しく使っていないのかも知れません。あるいは、急ぎ過ぎなのかも知れません。あるいは、結果が欲しくて想いを分散させているのかも知れません。でも想いを使って瞑想すれば、必ず結果は得られるのです。例えあなたが望む結果は得られなくても、それに近い結果は必ず得られます。例えば、集中力が得られます。忍耐力が得られます。未来に向けて布石が打たれます。瞑想は因果の法則を利用した科学ですから、やれば必ず何らかの痕跡(結果)を残すのです。

 神は決して無駄なことはさせません。あなたの瞑想は、いつか必ず花開きます。それを信じて瞑想をやり続けてください。

 

※ 瞑想する前に、次のような強い意思を持ってください。“私は五分間、神(自分のマントラ)以外何も想わない!” 五分間は、あくまでも理想です。一分でも、五秒でも、一秒でも、結構です。

 

 

 

2017年

11月

12日

● 自分を信じる!?

 どうか、自分の力を信じてください。自分の中に潜在している力を信じてください。皆さんは自分の力を信じないで、外側の人に、外側のモノに、頼り過ぎているのではありませんか? 外側のモノに頼り過ぎると、自分の中に潜在している力を見失ってしまうのです。皆さんの中には、偉大な力が潜在しているのですよ! その力を使えば、何かに頼る必要はないのです。

 自分の力を信じるとは、自分が持っている想念の力を信じると言う意味です。想念の力は絶大です。これは、自我を持った時に神が与えてくれた宇宙一の贈り物です。想念を使えば、あなたの欲しいモノは何でも手に入るのです。人生を豊かにすることもできます。神に近付くこともできます。勿論、幸せにもなれます。そんな想念を持たされているのに、殆どの人はそのことを知らないで生きているのです。大金を持っていても、持っていることを知らなければ使えないように、偉大な力を持っていても知らなければ使えないのです。どうか、自分の持ちモノに気付いてください。気付けば宝の持ち腐れにしないで済みます。

 さあ、自分の中に潜在している力に気付いてください。気付いたら信じてください。信じたら使ってください。そうすれば、あなたは宇宙一の豊かな者になれるのですから・・・。

 

※ この宇宙に割り切れるモノは何一つありません。それは想念が割り切れないからです。割り切れないから、割り切れない(再現性のない)幸せが味わえるのです。でも、割り切れない不幸と隣り合わせになっていることも知らねばなりません。

 想念は、実に不思議な存在です。どうか、想念を一生の研究課題にしてください。

 

 

 

2017年

11月

05日

● 意識の自分を知る

 一般人の殆どは、本当の自分を知らないで生きています。彼らが知っているのは、肉体の自分だけです。それで生きていると言えるでしょうか? では本当の自分とは、何でしょうか?

 それは、意識です。でも意識は見えませんから、知ろうにも知りようがありません。では、どうすれば意識の自分を知ることができるのでしょうか? それにはまず、意識の本質(本性)を知らねばなりません。では知りましょう!

 意識はすべての本質です。すなわち、モノの素材であり、エネルギーであり、光です。その意識は、自由意思を持っています。意図を持っています。計画性を持っています。創造力を持っています。更に、無限の可能性と発展性を持っています。つまり意識は、無限の能力を持っているのです。しかしどんな偉大な意識でも、見える(感じられる)状態にしなくては存在しているかどうか分かりません。そこで神は、意識を見える状態にするために、私たちに想念を持たせたのです。

 私たちは今、自分の想念を使って様々な物を創造しています。様々な人生を作っています。様々な幸不幸を作っています。これは、見えない意識を見える状態にした表現方法なのです。でも今の地球人類は、自分の想念で人生を作っているとは思っていません。だから、意識を自分だと思えないのです。自分を意識だと思えるようになるためには、自分の想念で人生を作っていることに気付かねばならないのです。さあ、気付きましょう!

 犬小屋を作ったのも想念です。学校に入ったのも想念です。自動車を手に入れたのも想念です。結婚したのも離婚したのも想念です。親子が仲良くするのも喧嘩するのも想念です。隣人と仲良くするのも仲違いするのも想念です。貧乏になるのも金持ちになるのも想念です。地位や名誉や権力を得るのも想念です。病気や事故災難に遭うのも想念です。戦争もテロも想念の結果です。こんなにはっきり見せられているのに人間は、自分の想念で人生を作っていると思っていないのです。想念しないでは、何も生まれないのに・・・です。

 その想念は、意識から生まれたのです。と言うことは、想念を持っている私たちは、意識そのものであることになります。その証拠に、あなたの意識が無くなれば、全て消えてしまいます。宇宙さえも消えてしまうのです。でも誰一人として、自分を意識だと思っていないのです。これでは、自分を見失ったまま一生を終えてしまうでしょう。

 どうか、自分が意識であることを知ってください。自分が想念であることを知ってください。今後どのような人生を作り上げて行くかは、想念の使い方次第なのですから・・・。

 

※ 小学校で一番に教えねばならないのは、想念についてです。次に教えねばならないのは、死についてです。この二つを教えたら社会は一変するでしょう。

 

 

 

2017年

10月

29日

● 威厳など必要ない!

 世の中には、威厳を見せ話をする指導者や、威厳を頼りに話を聞く人がおりますが、内容で勝負できない指導者は、威厳を見せて人を引きつけるしかありません。また聞く方も理解力がなければ、威厳や、名声や、現象などを頼りに話を聞くしかありません。これでは、空っぽのものを食べ合っているので何も身に付きません。でも、偉く(威厳)見せなくては話を聞いてくれないし、また聞く方も理解力がなければ威厳を頼りに聞くしかないのです。幼い魂は、偉く見せかける人(先生・肩書・名声など)の話は聞くけれど、そうでない人の話は聞かないのです。それは、この社会で「名のある人は偉い!」と言う概念が独り歩きしているからです。先生の名が大切なのではなく、その人が話す内容が大切なのではありませんか? 

 本来なら、威厳など見せる必要はないのです。反対に、親しく接するべきです。覚者が、“私とあなた達とは何も変わらないのですよ!” と言うのは、親しく接すれば “私でも悟れる!” と思ってもらえるからです。

 皆さんのように理解力の高い魂には、もう、威厳も、名声も、現象も必要ありません。私が皆さんと親しく接するのは、「皆さんと私とは大して変わらない!」と言うことを知ってもらいたいからです。だからと言って、人の家に土足でヅカヅカと入る非常識なことはしないでください。真の求道者は、常識人なのですから・・・。

 

※ 節目を超えた人の心は無限大です。どんなことも受け入れる大きな心を持っています。ですから常識人です。誰とでも親しく付き合います。決して、自分を偉く見せません。偉く見せるどころか頭の低い人です。どうか気軽に付き合ってください。

 

 

 

2017年

10月

22日

● 普段の思いの大切さ!?

 先日 特に用もないのに、わざわざ車を運転して清里まで行ってきました。私はなぜ、そのような行動を取ったのでしょうか? それは、常々 清里に行きたいと思っていたからです。皆さんも体験あると思いますが、なぜか知らないけれど、やりたくなる、したくなる、行きたくなる、と言った気持ちが起きるのは、普段そう言う思いを持っていたからです。一回や二回思っても行動につながりませんが、何度も思っていたら行動につながるのです。私が、普段の思いが大切だと言うのは、常々 思っていたことが肉体上に、行動上に、環境上に、現れてくるからです。戦争も、テロも、盗みも、人殺しも、自殺も、病気や事故や災難や災害も、普段の思いの現れです。

 人生は、すべて想念次第なのです。想念次第なら、想念で人生をどうにでもできるのですから、こんな安心なことはありません。しかし、殆どの人が人生に不安を抱いています。それは、想念を信じないで運や偶然を信じているからです。この宇宙に、運や偶然など微塵もないのです。あるのは、想念によって作られる必然のみです。

 普段 思っていたことが行動に現れると言うことは、普段 思っていたことが人生に現れると言うことですから、普段の想念を良くよく注意して使わなくてはなりません。どうか良い想念を持つよう心掛けてください。そうすれば、もう保険に入る必要も銃を持つ必要もありません。

 

注・・・普段、“私は誰よりも理解力が高い!”と思っている人は、何かの拍子に言葉や態度に出るものです。本当に理解力の高い人なら、そのような思いは持ちません。

 

 

 

2017年

10月

15日

● 法則が守ってくれる

 銃社会と言われるアメリカで、銃撃事件が起きる度に銃規制問題が取り沙汰されますが、一度だって法制化されたことがありません。人間は、自分の身を守るために武器を手放せないでいますが、本当は自分で身を守る必要など無いのです。なぜなら、法則(因果の法則)が身を守ってくれるからです。法則を犯せば痛い目にあいます。法則を守れば幸せになります。つまり、法則を犯せば法則によって罰せられ、法則を守れば法則によって守られるのです。でも人間はそのことを知りませんから、軍備の増強をして身の安全を図ろうとするのです。確かに銃を持っていれば、身の安全が図れるような気がします。でも、全く反対なのです。なぜなら、相手も身の安全を図ろうとして銃を持つようになるからです。「北風と太陽」と言う童話があります。

 この童話は、北風と太陽のどちらが旅人の上着を脱せることができるか勝負する話ですが、まず北風が旅人に風を吹きかけ強引に上着を脱がせようとします。でも、吹きかければ吹きかけるほど旅人は身を固くして脱ごうとしません。北風は諦めます。

 次に太陽が挑戦します。太陽は旅人に陽の光を優しく注ぎます。暑くなった旅人は、たまらなく上着を脱ぎます。力づくで脱がせようとした北風の方が負け、優しく陽の光を与えた太陽の方が勝ったのです。

 この童話が示すように、強引に脱がせようとすれば相手も防御を固め、開襟を見せれば相手も開襟を見せてくれるのです。抑止力として核兵器が必要だと言いますが、均衡を保つには倍の核兵器が必要になるため、危険も、間違いも、倍になるのです。人間は感情の生き物ですから、間違って使わないとも限らないのです。事実、感情の抑えられない人たちが、凶器を使って様々な惨事を起こしているではありませんか? 凶器がなければ、そんな惨事は起きないのです。

 確かに因果の法則は、人の目に見えづらいだけに信じられないかも知れません。でも信じられなくても、間違いなく因果法則は身を守ってくれるのです。いずれ地球人類は、銃で身を守らなくても法則が守ってくれることを知るでしょう。人類はそれを知るために、今 痛い目にあっているのです。

 繰り返します。

 身の安全を図りたいなら、法則(因果の法則)を守ることです。そうすれば、法則が身を守ってくれます。それは、誰に頼む必要もないし、お金もかかりません。こんな素晴らしいセキュリティーシステムがあると言うのに、どうして人類は使おうとしないのでしょうか?

 さあ、法則を信じ法則を守ってください。法則を守っていれば、何もしなくても身の安全が図られるのですから・・・。

 

 

 

2017年

10月

08日

● 神の恩情!

 この世で起きているすべての事象は、法則どおり寸分の狂いもなく展開されて行きます。そこに一切の偶然も、奇跡も、例外も、特別もありません。ただ、法則どおりに粛々と進められて行くだけです。ですから、法則どおり生きていれば私たちに苦しみはないのです。情け容赦なく法則どおり展開してゆく宇宙は、まさに神の峻厳な愛の現れです。冷たいように思えますが、それが一番 間違のない進化の方法だからです。もし人間のような情をかけたら、宇宙は大混乱に陥ってしまうでしょう。とは言っても神は、一つだけ恩情を示されました。それは「二度と罪を犯さない!」と堅く心に誓った時に許される恩情です。神はご存じです。「肉体を持っている限り罪を犯すのは仕方がない!」と・・・。だから神は、悔改めた者に恩情を示されたのです。

 私たちは、進化成長するために生まれてきました。この世の厳しいドラマは、進化成長のために自分が用意した課題ですから、乗り越えられない課題など一つもないのです。ただし、漫然と生きていては乗り越えられません。次の二つのことだけはやってください。一つは社会体験です。もう一つは瞑想です。

 

※ 社会体験とは、今やらねばならないことを真心を込めてやることです。瞑想とは、神を想うことです。この二つをやっていれば、あなたの生活環境は間違いなく良い方向へ開けてゆきます。今のあなたの環境が変わらないのは、まだその環境で学ぶ必要があるからか?、真剣にやっていないか? のどちらかです。

 

 

 

2017年

10月

01日

● 原因無き原因者の存在

 「宇宙は有限である!」と言う人がおりますが、宇宙の奥に何か壁でもあるのでしょうか? もしあったとしても、その壁の向こうはどうなっているのでしょうか? また壁があるのでしょうか? もしあったとしても、その壁の向こうはどうなっているのでしょうか? また壁があるのでしょうか? どんなに壁を作っても、この話は永遠に続くのです。だから、宇宙は無限なのです。それでは、宇宙は無限であると言う前提のもとに話を進めましょう。

 あなたは、Aさんを殴りました。それは、殴らなければならない原因があったからです。では、その原因は何でしょうか? Aさんに殴られたから?、嫌なことをされたから? 嫌なことを言われたから? 理由はどうあれ、殴る原因があったからあなたはAさんを殴ったはずです。さて、Aさんを殴った原因は、Aさんを殴ったことで消えています。殴られたAさんの原因も、あなたに殴られたことで消えています。ですから、お互い殴り殴られたことで原因と結果の法則は終息しています。ではAさんはどうして、あなたに殴られるようなことをしたのでしょうか? 何の理由もなくするはずがありません。あなたがAさんに何か嫌なことをしたから(原因を作ったから)、Aさんはあなたに嫌なことをしたはずです。でも、その嫌なことをしたAさんは、その前にあなたから嫌なことをされたから嫌なことをしたはずです。でもその嫌なことは、その前の前にあなたから嫌なことをされたからしたはずです。こうなると、嫌なこと(原因と結果)が 永遠にめぐることになり終息点はありません。では、どうして最初に嫌なことが生まれたのでしょうか? つまり最初の原因は、どうして生まれたのでしょうか? 

 それは、原因なしに生まれたのです。なぜなら、宇宙は無限だからです。無限宇宙には、最初が無いわけですから原因が無いのです。これが、原因無き原因の謂われなのです。と言うことは、あなたは原因なしにAさんを殴ったことになります。この原因なしに殴った例え話が、原因無き原因の存在する理由なのです。もし事の起こりに原因が必要なら、この宇宙に何も生まれなかったでしょう。何も生まれなかったら、どうして私たちは学べるでしょうか? 学べない宇宙に、何の意味があるでしょうか? 

 私たちは、成長してゆかねばなりません。そのためには、体験して学ぶ必要があるのです。だから、体験できる宇宙を創る原因無き原因者が必要なのです。でもその原因無き原因者は、神であろうが、誰であろうが、良いのです。つまり、誰が最初に殴ったかなど、どうでも良いのです。ただ私たちは、体験し、学び、成長できれば良いのですから・・・。

 

 

 

2017年

9月

24日

● 今の一時を使えるのは想念だけである

 私が望んでいる今は、今の今です。過去の今でも、未来の今でもありません。今の一時の今なのです。しかし その今の一時は、すぐに過去の一時になってしまいます。でも、すぐに今の一時はやってきます。と言うことは、今の一時は、永遠に続く今の一時であると言うことです。それは、今しか無いと言う意味です。「今・今・今・今・・・」だけが永遠に存在すると言う意味です。

 では、その今の一時を使えるのは、何でしょうか? それは、想念です。想念だけが、今の一時を使えるのです。なぜなら、想念だけが時をなぞれるからです。想念以外時を使うことは絶対できません。それは、想念意識そのものが時だからです。時が意識そのものだからです。意識=時なのです。時=意識なのです。ですから想念意識だけが、時をなぞれるのです。このことだけは、知っておいてください。

 ではその想念意識を使えるのは、誰でしょうか? それは、人間なら誰でも使えます。金持ちであろうが、貧乏人であろうが、白人であろうが、黒人であろうが、男であろうが、女であろうが、大人であろうが、子供であろうが 頭が良かろうが、悪かろうが、想念だけは平等に使えるのです。

 ではその想念を使うのに、何か特別な技術がいるのでしょうか? いいえ、何の技術もいりません。ただ想えば良いだけです。ただし、想いの内容を考え使ってください。なぜなら、想念したことは何でも実現するからです。実際 私たちは今日まで、苦しい人生も楽しい人生も、自分の想念で作ってきたではありませんか? でも地球人類は、残念なことに未だにそのことに気付いていないのです。だから自分(想念)で苦しみを作りながら、人のせいにしたり、偶然のせいにしたりして、嘆き悲しんでいるのです。これでは、いつまで経っても成長できません。病気も、事故災難も、家庭内の不幸も、みな自分の想念が作ったのです。

 「想念は実現の母!」です。どうか、このことに気付いてください。

 

 

 

2017年

9月

17日

● 賢い人とは?!

 この社会では、処世術に長けている人が出世でき、処世術の下手な人は出世できないようですが、不思議なことに賢い人ほど処世術が下手なのです。彼らは、おべんちゃらも言えない、胡麻をすることもできない、へつらうこともできない、うまく立ち回ることもできない、およそ出世とは縁遠い生き方をします。なぜでしょうか? それは、この世の何を得ても喜べないからです。何とつまらない人と思うかもしれませんが、でもそのような生き方をしている人の方が賢いのです。なぜなら、心が穏やかに生きられるからです。

 世の人々を見てください。毎日、物や金や地位や名誉を得るために戦々恐々として生きています。ライバルとの闘い、得意先との競争、ノルマ達成など、寝る時間を惜しんで働いています。このような生活が、賢い人の生き方でしょうか?

 私たちに必要なのは、物や金や地位や名誉ではありません。心の穏やかさです。心穏やかなに生きるのに、処世術など必要ないのです。だから賢い者は、出世欲を持たないのです。

 賢い人は、

  • 正直に生きております。
  • 一生懸命生きております。
  • 真面目に生きております。
  • 今を大切に生きております。
  • この世のモノに囚われないで生きております。つまり、足ることを知った生き方をしております。
  • 謙虚な生き方をしております。

 このような生き方をしている人は、神に近いので原子核を増やすチャンスが巡ってくるのです。

 

 

 

2017年

9月

10日

● 誤解しないでください!

 最近、数人の皆さんから、“素晴らしい意識体験をしました!”と言うご報告を頂いております。これは嬉しいことなのですが、誤解すると道を遠回りしかねないので、ご注意申し上げます。

 霊能者たちが、次のような意識体験をしたと言っております。周りの人たちが自分に思えてきて抱きつきたくなったとか、自分が宇宙大に拡大し宇宙そのものになったとか、すべてのモノが神に思えきて愛おしくなったとか、神の光に満たされ言いようのない至福感を体験したとか・・・中には、青龍の背に乗って天に昇ったと言う人もおります。他にも、自然の息遣いが感じられるとか、樹液の流れが感じられるとか、自分の胸の中で宇宙が回転しているのが見えるとか、まるで覚醒剤を飲んでハイになったような意識体験をしているのです。このような意識体験は感情を揺ぶるため、涙が止めどもなく出てくるのです。私も奇想天外な意識体験を数多くしておりますが、これは有る意識ゾーンに入った時に起きる現象で、これを仏教ではアラヤシキ(阿頼耶識)の境地に入ったと言っております。でも、意識にそのようなゾーンが有るわけではありません。すべて内側の(自分の)想念感情が創った現象です。これは、自分しか存在しない! 主観宇宙しかない! と思っている人には、解って頂けると思います。」(なぜ想念感情が、そのような現象を創るか考えてみてください。これは宿題です。)

 私たちの想念は、何でも創るのです。その自分で創った現象を悟りと誤解してしまう人が多いので、私は現象を良く思わないのです。世の中には、悟ったと誤解し宗教の指導者になっている人がおりますが、これは人を惑わすことになるので大変危険です。皆さんは熟成した魂ですからそのようなことはしないと思いますが、増長するとそうならないとも限らないので注意してください。私たちが得るべきモノは、あくまでも自覚です。この自覚は、現象とは関係ないのです。(自覚の意味が心の底で解ったら、そのような現象に惑わされることはなくなる)

 宇宙は無限です。神は無限です。その宇宙を、その神を、知ることは永遠にできないのです。素晴らしいモノを掴んだと思っても、その先にそれ以上の素晴らしいモノが見えてくるのが、宇宙の深淵さだからです。ですから素晴らしい意識体験をしたからと言って、「これが悟りだ! これが最高だ!」と誤解しないでください。誤解すれば意識を限定するので、成長が止まってしまいます。水をさすようですが、世の中には、そのような意識体験をしている人は沢山いるのです。

 ある人は、このようなことを言っておりました。“私は最高の絵の構想を持って描いていたつもりだったが、描き終わた途端 色褪せてしまった! ”と・・・。私たちは一刻一刻成長しているのですから、今 最高と思っていることも次の瞬間 虚しくなるのは当然なのです。でも虚しくなるのは、自分が成長している証ですからそれは良いことです。

 私たちは、永遠に到達(悟れない)できない道を永遠に歩んで行くのです。でも、永遠に到達できないがゆえに、素晴らしいのではありませんか? ここで終わりと言う宇宙に、何の魅力がありますか? 終着点のない宇宙だからこそ、希望が持てて楽しいのです。手の届く幸せは、幸せではないのです。永遠に手の届かない幸せだからこそ幸せなのです。その幸せは、理解力と自覚が与えてくれるのです。ゆえに大切なのは、現象ではなく理解力と自覚です。

 どうか、誤解しないでください。原子核を増やして理解力と自覚を高める、正しい真理の求め方をしてください。それは、二つのことをやればいいのです。

 

 

 

※ 先日「食後 瞑想してはいけないのですか?」と言う質問を受けました。そのようなことはありません。ただ、食後 瞑想すると眠くなるので避けた方が良いかもしれません。でも、眠くならないならやっても良いのです。

 私たちは、宇宙エネルギーで満たされると心穏やかになるようにできているのです。食べ物の中にも宇宙エネルギーが入っているわけですから、食事すると心穏やかになり眠くなるのは当然なのです。

 

 

 

2017年

9月

03日

● 動きなさい!

 真理に目覚めた途端 積極的な人になるのは、潜在していた神の本能が働き出したからです。真理に目覚めた人は、なぜか知らないけれど動きたくなるのです。これは、動けば原子核が増えることを本能的に知っているからです。

 この宇宙は、動けば動くほど進化成長するよう創られているのです。その証拠に、宇宙の運行や自然界の働きや生物の動きを見てください。星雲も、恒星も、惑星も、彗星も、空気も、水も、土も、菌も、虫も、鳥も、魚も、どんな生き物もみな動いています。それも楽しく・・・ウキウキと・・・自我はなくても彼らは、動けば原子核が増えることを本能的に知っているからです。自我のないモノでさえそうなのですから、真理に目覚めた者が動くようになるのは当然でしょう。でも人間の中には、動くのを嫌っている者がおります。これは、動くことの重要さを知らないからです。知らなければ、どうしても楽な生き方を選んでしまうのです。

 一万円持っていても、持っていることを知らなければ使えないのです。パソコンを持っていても、使い方を知らなければ使えないのです。「無知こそ最大の罪!」と言われるのは、知らなければ原因を作ろうとしないからです。

 でも私たちは、原子核を増やす方法を知ったのです。それも絶対間違いない方法を・・・。 なのにあなたは、どうしてやろうとしないのですか? 信じられないからですか? やって嘘なら、引き返したらいいではありませんか? やりもしないで嘘だと決めつけるのは、賢い人とは言えません。どうか積極的な人になってください。「犬も歩けば棒に当たる!」の諺を信じ、ぜひ動いてください。動いて(体験して)損することなど絶対ないのですから・・・。

 

※「犬も歩けば棒に当たる」の諺の意味は、犬もフラフラ歩いていると棒に当たって転ぶものです。でも転んだら、必ず何かを拾って起き上がるものです。何かを拾うとは、体験すると言う意味です。体験は、間違いなく人を成長させるのです。だから諺は、「フラフラでもいいから動きなさい!」と言っているのです。

 

 

 

 

2017年

8月

27日

● ○は万能!!

 ○が万能なのは、神と同じすべての要素が備わっているからです。

 

 ○は・・・

  • 引っかかりがありません。
  • 滞りがありません。
  • 四方八方自由奔放に動けます。
  • 何一つ縛られません。転がるのです。流れるのです。飛べるのです。滑るのです。ですから、○は自由です。

 

 ○は・・・

  • 均衡を保ちます。水が方円の器に添うように、空気圧が均衡を保つように、隙間が生まれてもいつの間にか埋まっているのが○なのです。収まりのつくのが○なのです。
  • 保存します。腐らしません。いつまでも新鮮です。

 

 ○は・・・

  • 愛そのものです。
  • 大バランスそのものです。
  • 大調和そのものです。
  • 許しあえるのです。認めあえるのです。融合しあえるのです。支えあえるのです。

 

 ○は・・・

  • 完全です。どこから見ても完全な○です。完全な○には、一つの欠陥もないのです。一つの無駄もないのです。一つの不都合もないのです。ですから○の世界に、不幸はありません。何が起きても良いことです。だから、○は肯定です。

 

 ○は・・・

  • 無限です。
  • 果がありません。
  • 終わりがありません。
  • どこまでも届かないのです。底が無いのです。止まりがないのです。

 

 ○は・・・

  • 永遠です。
  • 生まれもなければ死もないのです。
  • 過去もなければ未来もないのです。
  • 一点です。今の一点があるだけです。
  • 一時です。今の一時があるだけです。それは、永遠に無くならないからです。

      

 ○は・・・

  • 一面です。
  • 無限の一面です。それは、循環しているからです。循環しているから無限のエネルギー(光)を生むのです。

 

 ○は・・・

  • 均一です。
  • 平坦です。
  • 凹凸がありません。
  • 摩擦がありません。摩擦がないから熱が生まれません。だから争いがないのです。

 

 ○は・・・

  • 中庸です。
  • 中道です。
  • 偏りがありません。偏りがないから、苦しみが生まれません。痛みが生まれません。不幸が生まれません。

 

 ○は・・・

  • 平等です。
  • 対等です。
  • 上下がありません。
  • 貧富がありません。だから平和なのです。

 

 ○は・・・

  • 真です。
  • 実です。
  • 誠です。
  • 真っ直ぐです。率直です。素直です。どんな○も真(誠・実)の○なのです。

 

 ○は・・・

  • 絶対善です。
  • 絶対正義です。

 ○を思うと気持ちが良くなるのは、○には歪みがないからです。歪んでいるのは、悪です。不正義です。だから悪を見ると、気持ちが悪くなるのです。

 

 ○は・・・

  • 美の象徴です。

 ○ほど美しい形はありません。それは、歪みが無いからです。美は総合されたものです。美はすべてを受け入れた状態なのです。○はすべてを受け入れた状態なのです。すなわち、○はあらゆる歪みを消化し、統合した姿なのです。

 

 ○は・・・

  • 法則です。
  • 掟です。
  • 定まったものです。

 ○は、無くしようのないものです。崩しようのないものです。ですから、○に逆らうことはできません。逆らえば苦しみがやってくるだけです。

 

 ○は・・・

  • 生きています。
  • 息しています。
  • 鼓動しています。

 ○は永遠に生き通す命なのです。

 

 ○は・・・

  • 光です。
  • エネルギーです。

 ○には、中心核(中芯核)があります。神にも中心核があります。中心核がある限り、永遠に存在し続けます。中心核が光(エネルギー)を補給するからです。

 

 ○は・・・

  • 一です。
  • 1です。
  • 壱です。
  • ひとつです。
  • 無限の一です。

 この宇宙には、○のみがあるのです。私たちの住んでいる相対宇宙にも○はありますが、その○は多面の○です。しかし絶対宇宙の○は、一面の○なのです。これが、表現宇宙の○と絶対宇宙の○の大きな相違点です。でも多面の○だからこそ、表現宇宙に無数の表現物が生まれてくるのです。絶対宇宙に表現物がないのは、一面の○しかないからです。しかし、一面の○だからこそ万能なのです。 

      

 このように○は万能なのです。万能ゆえに、○は神なのです。

 

※ 表現物の中で一番 調和の取れているのが○と言う形です。一番 波動の良い形が○なのです。だから、○を思うだけで、○を語るだけで、○を見るだけで、幸せな気分になるのです。その証に、○を描いてみてください。気持ちが良くなります。手で空中に○を描いても、思いで描いても結構です。それも、できるだけゆっくり描いてください。心が和むはずです。心が穏やかになるはずです。心が落ち着くはずです。 

 

 

 

2017年

8月

20日

● 光は全能!!

 「光は神なりき!」と言われていますが、なぜ光は神なのでしょうか? それは・・神と同じ能力を持っているからです。

  • 光は、意識そのものです。
  • 光は、意志と意思と意図と理念を持っています。
  • 光は、知恵を持っています。
  • 光は、真実そのものです。実際に有るモノです。
  • 光は、無限です。
  • 光は、永遠です。
  • 光は、不変です。
  • 光は、普遍です。
  • 光は、完全です。
  • 光は、絶対善です。絶対正義です。
  • 光は、美意識を持っています。
  • 光は、創造の力を持っています。
  • 光は、維持する力、修復の力、癒しの力を持っています。
  • 光は、エネルギーそのものです。力そのものです。
  • 光は、素材そのものです。本質そのものです。すべての大元です。
  • 光は、愛そのもの、バランスそのもの、大調和そのものです。
  • 光は、人の心を和ませます。
  • 光は、人の心を穏やかにします。
  • 光は、人の心を落ち着けます。
  • 光は、人の心を明るくします。
  • 光は、人の心を豊かにします。
  • 光は、人に希望を抱かせます。
  • 光は、人に夢を抱かせます。
  • 光は、保存力や記憶力を持っています。
  • 光は、想像力を持っています。
  • 光は、能動的な働きをします。
  • 光は、発展的・建設的な働きをします。
  • 光は、肯定的です。どんな悪的なモノも良きモノに変える力を持っています。
  • 光は、自由です。滞りがありません。偏りがありません。循環しています。
  • 光は、何でもこなすのです。何でも良い方向へ運ぶのです。光はオールマイティーなのです。

 このように光は、神と同じ能力を持っているのです。だから“光は神なりき!”と言われるのです。光は神の別名なのです。

 

※ 光はオールマイティーですから、光が強くなれば間違いなく人生は好転します。

  • 病気が良くなります。
  • 経済的にも楽になります。
  • 家族は円満になります。
  • 仕事も順調に行きます。
  • 成績も良くなります。
  • すべてにおいて良い方向へ運ばれてゆきます。
  • 何よりも原子核が増えます。

 では、光を強くするにはどうしたら良いでしょうか?

 簡単なことです。想念を良く使うことです。つまり、どんなことも良く受け取り、悪想念を抱かないことです。悪想念を抱かないようにするためには、時間の許す限り神を想うことです。たったこれだけで、人生は好転するのです。

 

 

 

2017年

8月

13日

● 何も想わなかったら何も生まれない!

 苦しいことがやってくると、殆どの人がその苦しみに負けて業の上塗りをしてしまいます。これでは、いつまでたっても苦しみから抜け出せません。では業の上塗りをしないためには、どうすれば良いのでしょうか? 

 皆さんは、まだ自分の想いの凄さを知りません。皆さんの想いは、何でも作るのです。何でも生み出すのです。何でも成就させるのです。想いほど恐ろしく、また素晴らしいモノはないのです。こう言っても皆さんは、まだ他人事のように思っています。即、今のあなたの人生に関わってくることなのですよ! 

 “何も想わなかったら何も生まれない!”

 この言葉が、どれほど深い意味を持っているか知ってください。もし心の底で知ったら、あなたは、”やったぞ!”とガッツポーズをすることでしょう。

 私が、何を言わんとしているのか解りますか? 私は今、凄いことを言っているのですよ! 私は今皆さんに、宇宙一の宝物を与えようとしているのですよ!

 繰り返し言います。

“何も想わなかったら何も生まれない!”のです。

 良い事も・・・悪い事も・・・どうかこの意味の深さを知ってください。

 

※ “想わなかったら何も生まれない!” しかし私たちは、一時も何も想わないではいられないのです。想わないでいられないなら、何を想うべきですか? 

 

 

 

2017年

8月

06日

● 霊性の進化

 私たちは気の遠くなる進化の旅を続け、やっと自我を持つ人間へと成長してきました。この進化の旅は、霊性の進化の旅だったのです。霊性の進化とは、鈍重な波動から精妙な波動へ自分を昇華させることですが、そのためには、これまで付けてきた鉱物臭さ、植物臭さ、動物臭さ、人間臭さを取り去らねばなりません。取り去るためには、できるだけ物質的なモノから離れる必要があるのです。

 具体的には、

  • お金や、物や、地位や、名誉などの欲望を捨て去ること。
  • 鉱物や、植物や、動物などの愛玩物にあまり情を傾けないこと。
  • 重厚長大なモノから離れること。
  • 余計な情報を受信発信しないこと。

 このように言うのは、波動の低いモノに意識を傾けていては、霊性を高める妨げになるからです。

 霊性を高めるのに、難しいことをする必要はありません。次の二つのことをすれば良いだけです。一つは社会体験、もう一つは瞑想です。社会体験とは、肉体を維持するために今やらなければならないことを、真心を込めてやることです。瞑想は言うまでもありません。神を想い続けることです。この二つをやってれば、間違いなく霊性が高められます。高められた暁には、私たちは幸せの境地に入れるのです。

 それは、

  • 霊そのものが神そのものだからです。
  • 霊そのものが生命そのものだからです。
  • 霊そのものが光そのものだからです。
  • 霊そのものが幸せそのものだからです。

 霊は神です。生命です。光です。幸せの大本です。霊は幸せの別名なのです。それは、自分と切り離されているモノではないのです。

 

※霊性の進化の大きな節目の一つは、自我を持つ人間に進化することで、私たちはそこを超えました。次の大きな節目は、神の自覚を持つ神人へ進化することです。そのためには、人間臭さから一日も早く抜け出さねばなりません。

 夕時になると、家々の窓から明かりが、夕餉の臭が、漏れてきます。誰もがホッとする一時です。でも、それを懐かしがっていてはいけないのです。この世は一夜泊まるホテルのようなモノです。そこに長居は禁物なのです。どうか、これまで付けてきた鉱物臭さ、植物臭さ、動物臭さ、人間臭さを取ってください。

 

 

 

2017年

7月

30日

● 必然として良く受け取る

 この宇宙に、悪いことなど一つもありません。なぜなら、どんなに悪いように見えていることも、すべて進化成長に結びついている良いことだからです。意味のないことは、起きないのです。不必要なことは、起きないのです。進化成長に結びつかないことは、起きないのです。起きていること自体が必然であり、良いことだからです。

 この宇宙は、すべて必然によって運ばれているのです。その必然は、進化成長に必要な必然ですから、何が起きても良いことなのです。ですから、今 自分に起きている苦しみを悪と受け取らず、成長のための必然として良く受け取ってください。

  “あのことがあったから今の自分が有るのだ!、本当に良かったな!”と思える自分になってください。

絶望しないでください!

落胆しないでください!

悩まないでください!

心配しないでください!

 この宇宙に悪いことなど一つも無いのですから・・・そう思えたら心穏やかになるでしょう。

 

※ 幸福だけ欲しいとただをこねている人は、下り道だけ欲しいとだだをこねている人です。幸福だけ欲しいとだだをこねている人は、相手なんか認めないとただをこねている人です。その人は、自分をやめてください。自分をやりたいなら、相手を認めてやることです。なぜなら、相手は自分が創っているからです。

 一つでは、一つはないのです。二つあるから、一つがあるのです。自分があるから、相手があるのです。相手がいらない(不幸せなどいらない)とだだをこねている人は、自分がいらないと言っているようなものです。

  • 下り道だけ歩いていて、足が丈夫になりますか? 
  • 温室育ちのた花に、強い花がありますか? 
  • バリアフリーで育った子は、いざと言う時身を守れないのですよ!

楽したいと言う思いが湧いてきたら、サタンにやられていると思ってください。

 

 

 

2017年

7月

23日

● 余計な情報を発信してはならない!

 なぜ、余計な情報を発信してならないかと言いますと、余計な情報を発信すれば、余計な情報が入ってくるからです。余計な情報が入ってくれば、当然、余計なことを考えるでしょう。余計なこと考えれば、余計な連想をします。それも一旦連想が始まれば、止めどもなく連想するのです。その連想の中身は、大方が悪いことばかりです。想念は実現させますから、当然、悪いことばかりが起こるでしょう。つまり、原因と結果の法則によって、悪い結果がやってくるわけです。

 人間は全員が全員、妄想によって自分を苦しめているのです。でも、そのことに誰も気付いていないのです。”私はなぜこんな苦しい目に合わねばならないのだ!”と人間は嘆きますが、それは自分が妄想していたからです。

 私たちは肉体を持っていますので、肉体を維持するために必要なことはやらねばなりません。でも、今 必要なことを考え、今 必要なことを話し、今 必要なことをすれば良いのです。余計なことを考えるから、余計なことをしなければならなくなるのです。どうか、余計な情報を発信しないでください。そうすれば、余計なことを考えないで済みます。余計なことを考えなければ、苦しみはやって来ません。今 あなたがやるべきことは、今 生きるに必要なことを精いっぱいやること、そして瞑想することです。

念を押します。

  • 今やるべきことを、真心を込めてやること。
  • 真心を込めて瞑想すること。

 この二つをやっていれば、自覚の境界線に近づくことを私は保証します。

 

※ 想わなければ、何も生まれないのが宇宙の仕組みです。当然、何の悩みも、何の苦しみも、何の不幸も、生まれません。しかし、楽しみも、喜びも、幸せも、生まれません。これでは、生きていると言えるでしょうか?

 皆さんは、想わなければ不幸せを体験せずに済むけれど、幸せも体験できないと言うことをどう思いますか? 「想念を持っていれば、不幸を作るから想念なんか要らない!」と言うのですか、それとも「不幸は体験するけれど、幸せも体験できるから持っていたい!」と言うのですか?

「生きている」とは、何でしょうか? 苦楽を体験することが、「生きている」と言う意味ではありませんか? つまり、幸不幸を体験することが「生きている」と言う意味ではありませんか? 何の体験もできないようでは、「生きている」とは言えないはずです。

 

 

 

2017年

7月

16日

● 自我で生きたら良い!

 よく「自我丸出し!」とか「自我人間だから仕方がないよ!」などと自我を悪く言う人がおりますが、これは自我の意味の知らない人の言う言葉です。自我は決して悪いモノではありません。いやむしろ、必要不可欠なモノです。なぜなら、自我が無くては自分の存在が無いからです。

 自我とは・・・

自分を認めている自分の事です。

相手を認めている自分の事です。

 つまり・・

妻子を認めている自分の事です。

地球を認めている自分の事です。

宇宙を認めている自分の事です。

 相手が認められるのは、自我があるからです。自分を認める自我があればこそ自分が存在でき、相手も存在できるのです。これは当たり前のことであって、何の不思議もありません。

 あなたは今日まで、自我の思いに添って生きてきました。自我の思いに添って生きてきたがゆえに、苦しかったことが沢山あったでしょう。でも、その苦しみがあったればこそ真理につながったのですから、それは良かったのではありませんか? そうです。今日まで自我で選んで来たあなたの人生は、みな良かったのです。

 私たちは、自我の思いに添って生きるしかないし、また自我でしか生きられないのです。なぜなら、猫の前に鰹節を置いたら必ず食べるのです。これは当たり前のことです。私たちの人生も同じです。自我で生きるのは猫が鰹節を食べるようなもので、誰でも食べるのです。これは、神が許している必然なのです。ですから、自我で生きるのは悪いことではないのです。

 どうか安心して、今の自分の思いに添った生き方をしてください。ただし、次の2つのことだけはやってください。

一つは、今やるべきことを真心を込めてやること、

もう一つは、真心を込めて瞑想することです。

 この2つのことをやっていれば原子核が増えるので、自我の思いが真我の思いに近づいてゆきます。そうすれば学びやすい環境が与えられます。当然、これまで以上に原子核が増やせるでしょう。

 神は私たちに、出来ないことをしなさいとは言っていません。出来ることをしなさいと言っているのです。それが、自然な生き方だからです。

 「人生の道」の曲を見て、今日まで歩んできた自分の人生を振り返ってみてください。きっと、勇気がわくはずです。私の歩んできた人生に間違いはなかったと・・。

 

【光のメロディー集/・・・人生の道・・・

 

 

 

2017年

7月

09日

● 自分を信じてください!

 皆さんは何十億年もの時をかけ、真理の基礎を築き、真理の柱を立て、真理の壁を作り、真理の屋根を上げ、やっと真理の建物を完成させる寸前まできた魂です。もしその真理が間違いだったら、苦労して築いて来た建物を壊さなければならないのですよ! あなたはもう一度、何十億年もの時をかけ建物を建て直すつもりですか? もしこの真理が間違いだったら、あなたの眼力が未熟だったことになるのですよ! それだけではありません。今日まで導いてくれたあなたの守護霊まで否定してしまうことになるのですよ! あなたは、自分の眼力を信じないのですか? あなたの守護霊を信じないのですか? 自分を信じないで、守護霊を信じないで、一体何を信じるというのですか? 

 たしかに、真理を求め続けるのは大変な根気が入ります。自分の中にも外にも、あなたを惑わすサタンがいるのですから・・・。そのサタンは、巧みな言葉であなたを惑わします。ですから、気持ちが揺らぐのも無理は無いのです。でも、負けてはなりません。この真理に出会って感動した、あの時の自分を思い出してください。

 良いのです。苦しかったら来なくても良いのです。でも帰ってきたくなったら、いつでも帰っていらっしゃい。門はいつも開かれています。「過ちては改むるに憚ることなかれ! 」です。恥じることなどありません。いや、かえって勇気ある魂だと私は敬服します。

 

※あなたは、私に感動の涙を流させてくれました。そしてあなたも、一緒に涙を流してくれました。いいえ、あなたや私だけではありません。沢山の人たちが、今も涙を流しています。彼らの感動の涙は、嘘の涙なのですか? あなたと私が流したあの感動の涙は、嘘の涙だったのですか? 

 

 

 

2017年

7月

02日

● 意識している時は、原子核を増やしている時である

 何をしなくても、今の時を、今の自分を、今の世界を、今の宇宙を、感じている時は、原子核を増やしているのです。なぜなら、感じている状態は意識している状態、意識している状態は原子核を増やしている状態だからです。意識すれば必ず原子核が増えるのです。それは、意識すれば原子核が集まるようにできているからです。何を意識しても原子核が増えるのですから、神を意識している私たちは、日々どれほど沢山の原子核を増やしていることでしょう。

 “私は瞑想がうまくできないから原子核が増えない!” と思わないでください。意識している事自体、原子核を増やしているのですから・・・。

 意識を持っているあなたに、無駄な日々はありません。意識を持っているあなたに、無駄な人生はありません。どうか自分の人生に自信を持ってください。

 

 

 

2017年

6月

25日

● 心配してはならない!

 「私は若い時、こんな悪いことを思っていた! だから今までも悪いことが起き、これからも起きるのではないか?」、と心配する人がおりますが、あまり深刻に考えないでください。なぜなら、今まで 起きていた悪いことは、業の消えていっている姿だからです。もし悪いことが起きたら、「ああ、今、業が消えていっている!  消えていっている!  良いことだ! 」と思ってください。心配して業の上塗りをする方が良くありません。さあ、今の今をポジティブな思いで生きてください。それは、難しいことではありません。ただ、神を想ったら良いだけです。

 想念は実現の母です。あなたはこれまで悪いことを思っていたから、不幸がやって来たのです。その悪い思いを良い思いに変えたら、もう不幸がやってくることがないのです。

 良い思いの一番は、神を想うことです。

 心配しても何の益にもなりません。心配する時間があるのなら、神を想うことに時間を使ってください。その時間は建設的な時間になります。生きている時間になります。どうか心配しないでください。あなたの宇宙を良くも悪くもするのは、あなたの思い一つなのですから・・・。

 

※人類が苦しんでいるのは、法則を使い切っていないからです。この宇宙には、「原因と結果の法則」と言う、素晴らしい法則があるのです。その法則を人類は、正しく使っていないのです。良い思いを持てば、良い原因を作っているのですから、良い結果が来るのです。こんな素晴らしい法則の下に生かされているのに、人類はその法則を悪いことに使い、良いことに使っていないのです。

 

※「私は心配性だ! 私は人を愛せない! 私はダメな人間だ!  」なんて自分を責めないでください。原子核を増やせば自然と自分の欠点は無くなるのですから・・・

 

 

2017年

6月

18日

● 自我の思い通りに生きたら良い!

 世の中には、お金や物や地位や名誉や権力などを追い求めている人と、精神的なモノを追い求めている人の二通りの人種がおります。なぜそのような人種が生まれるかと言いますと、物質の世界が本当に有ると信じている人が、物質的なモノを追い求めるのも当たり前ですし、また意識の世界が本当に有ると信じている人が、精神的なモノを追い求めるのも当たり前だからです。つまり、信じられるモノを追い求めるのも当たり前、信じられないモノを追い求めないのも当たり前だからです。確信の持てないモノを、「追い求めなさい!」と言う方がおかしいのです。

 一般人も、真理を求めている人も、誰もが、今の原子核の量の自我の思い通りに生きているのです。それは、必然の生き方しかできないからです。必然の生き方しかできないのは、今の原子核の量の思いしか持てないからです。思えないことをやれるわけがないのです。だから、自我の思い通りに生きたら良いのです。例えその思いによって痛い目にあったとしても、その痛い目が魂を成長させてくれるのですから、それは良いことなのです。完全な神が、無駄なことを思わせるわけがないし、やらせるわけもないのです。すべて意味あって思わせ、意味あってやらせているのです。どうかそのことを信じ、今の原子核の量の自我の思い通りに生きてください。ただし、次の二つのことだけはやってください。

 一つは、今やるべきことを真心を込めてやること・・。

 もう一つは、真心を込めて瞑想することです。

 この二つをやっていれば、必ず原子核が増えます。増えた分、自我の思いが真我の思いに近づきますから、良い思いが持てるようになり、良い行いができるようになります。これが、神が考えられた最良の進化の方法なのです。

 

※「外側の何も変わらなくても、自分の意識が変われば良い!」

この短い言葉の中には、掴んでも掴みきれない無限の意味が込められているのです。どれほど深い意味が込められているかは、原子核が大きくなり理解力が増せば、増した分の深みを、自分から教わるでしょう。その時あなたは、驚愕するはずです。

 

※ 真理を学び続けている人は、心の深みで確信を得たからです。途中で学びを止めてしまった人は、心の深みで確信を得ていなかったからです。私が、神キチガイと言われるまでに神を求めるのは、そこまで原子核の量が増え確信を深めたからです。私と同じように原子核が増えれば、誰だって神キチガイになるのです。これはあたり前のことであって、何も不思議なことではないのです。いずれ、地球人類の誰もが神キチガイになる時代が来るでしょう。

 

 

 

2017年

6月

11日

● 私には嬉しいことが8つある

 私には嬉しいことが8つあります。

1つは、私は消えて無くなる肉体では無く、永遠不滅の生命意識であると言う嬉しさ・・・

2つは、この宇宙には、本当に有(真のみが有る)るものだけが有ると言う嬉しさ・・・

3つは、この宇宙は、善と正義によって守られていると言う嬉しさ・・・

4つは、この宇宙は、美と灑によって飾られていると言う嬉しさ・・・

5つは、この宇宙は、永遠であり、無限であり、完全であると言う嬉しさ・・・

6つは、この宇宙は、必然の法則(因果の法則)によって進化成長へ運ばれていると言う嬉しさ・・・

7つは、自分の人生は、自分の想念によってどうにでもできると言う嬉しさ・・・

そして8つは、これが私の最も嬉しいことですが、私の行く先には、永遠に尽きない、永遠に色あせない、幸せが待っていると言う嬉しさです。

 私たちは、きっちりとした秩序の中に生かされています。ですから法則を守って生きていれば、誰でも幸せになれるのです。こんな素晴らしい宇宙に生かされている私たち、何と幸せなのでしょう!?

 私たちがやるべきことは、今できることを精一杯やることです。つまり、真心を込めて家事をすること、真心を込めて仕事をすること、真心を込めて神を求めること、すなわち、瞑想することです。

 

 

 

2017年

6月

04日

● 人の涙と神の涙

 人の涙は、情から生まれた汚れた涙です。神の涙は、愛から生まれた清い涙です。同じ涙ですが、込められいるモノが全く違うのです。では、その違いは一体何でしょうか?

 人の涙には、何らかの成算が入っています。たとえば、自分を哀れんで流す自己憐憫の涙、人の目を気にして流す自己顕示の涙、感情を掻き立てて流す作り涙、人の気を引くお芝居の涙など、不純な涙が多いのです。この宇宙には、悲しみの涙とか、苦しみの涙とか、怒りの涙とか、悔しみの涙とか言った汚れた涙など無いのです。あるのは、独りでに出てくる魂の喜びの涙だけです。その涙の中には、何一つ不純な思いが入っていないのです。だから、清いのです。美しいのです。その涙に触れた途端、どんな汚れも流れ落ちる清純な涙です。

 私たちは、そんな涙を流したいものです。

 

 

 

2017年

5月

28日

● 真心を込めてやる!

 どんな困難な問題も、真心を込めてやれば必ず解決できます。神は、そのように宇宙を創っているのです。真心とは、神の心のことです。その同じ心を誰もが持っているのですから、真心を込めてやれば相手に伝わらないはずはないのです。家庭内の問題も、隣人との問題も、仕事での問題も、どんな困難な問題も、真心を込めて当たれば、解決できないことはありません。

 これは、真理の学びにおいても同じです。今やるべきことを、真心を持ってやること、瞑想も真心を込めてやること、思索も真心を持ってやることです。そうすれば、真理の扉は必ず開かれます。真心は岩をも砕くのです。すなわち真心は、天の岩戸も開くのです。そのためには、強い意志がいります。強い決意が入ります。努力と忍耐が入ります。何でもそうですが、何かをやり遂げるには努力が必要なのです。楽して得たものは、ホンモノではありません。苦難の中から得たものが、ホンモノなのです。

 人生の目的は、魂(原子核)を大きくすることです。困難なことは、魂(原子核)を大きくするための教材ですから、やり遂げれば間違いなく原子核は増えます。原因あれば結果ありです。どうか、強い気持ちを持って困難なことに挑戦してください。あなたは、間違いなく変わります。あなたが変わった分、周りの環境も変わります。

 

※治療が難しいと言われている精神病患者(憑依霊)でも、真心を持ってお世話すれば、快方に向かうと私は信じています。みな同じ神の心を持っているのですから、真心を持って接すれば通じないはずはないのです。

 

 

 

2017年

5月

21日

● 必然の法則について!

 必然とは、当然という意味です。なるべきにしてなると言う意味です。この宇宙は、必然によって運ばれているのです。なぜ必然によって運ばれているかと言いますと、原因あっての結果だからです。結果があったと言うことは、結果を生み出した原因があったと言うことです。原因のない結果はあり得ないのです。原因と結果は一つなのです。切り離せないのです。必然しかない理由は、原因と結果は切り離せないからです。

 もう一つ知って欲しいのは、必然とは、秩序ある状態を言います。偶然とは無秩序の状態を言います。秩序が保たれるのは、法則があるからです。必然は法則なのです。

 

「何もしないのに返ってくる、何もしないのに起きる、何もしないのに現れるのが偶然であり、無秩序の状態であり、法則のない状態です。何かしたことが返ってくる、何かしたことが起きる、何かしたことが現れるのが必然であり、秩序のある状態であり、法則のある状態です。」

 

 あなたが、石に躓いて怪我したのも必然です。頭に鳩の糞が落ちてきたのも必然です。スリにすられたのも必然です。あの人との出会も、この人との出会も、そのモノとの出会も、あのモノとの出会も必然です。この苦しみも、あの悲しみも、この喜びも、あの感動も、必然です。何もかも必然の産物なのです。ですから、法則も必然の産物なのです。これまで宇宙が永続してこられたのは、必然の法則の下に秩序正しく運営されてきたからです。もし必然の法則がなかったら、この宇宙はとっくに消滅していたことでしょう。すべて「法則が・必然が」宇宙を支えてきたのです。

 あなたが、

  • この表現宇宙に生まれたのも必然です。
  • 地球に生まれたのも必然です。
  • 日本国に生まれたのも必然です。
  • 今の家族の下に生まれてきたのも必然です。
  • 今の肉体環境に生まれてきたのも必然です。
  • その環境の中で、苦しみや悲しみの人生を歩んできたのも必然です。
  • また、その苦しみや悲しみから真理を学ぶようになったのも必然です。

 すべて、神の思し召しによって運ばれている必然です。なぜ必然が神の思し召しかと言いますと、どんな苦しいことも、どんな悲しいことも、どんな厭なことも、みな進化成長へ引っ張ってくれている必然だからです。神は、私たちを成長させたいのです。ですから、安心して今やるべきことを真心を込めてやることです。そうすれば間違いなくあなたは、最終目標に到達できるでしょう。これが、必然の宇宙における進化の歩みなのです。

 

 

 

2017年

5月

14日

● 出を重視しよう!

 「出入り」という言葉はあっても、「入出」という言葉はありません。

 「出発」という言葉はあっても、「発出」という言葉はありません。

 「呼吸」という言葉はあっても、「吸呼」という言葉はありません。

 何事もそうですが、先に出があり後で入りがあるのです。電車でもエレベーターでも、先に人が出て後で人が乗るのです。そのことを知っている熟した魂は、「出」を重視します。知らない未熟な魂は、入を重視します。だから未熟な魂は、物を多く集めようとするのです。物を多く集めれば、当然ゴミを多く出すでしょう。ゴミの多い社会が幼い社会だと言われるのは、幼い魂は物を沢山集めるからです。それは、心が満たされていないからです。心に空白を抱えている幼い魂は、どうしても物を多く集めようとするのです。

 宇宙の整然とした働きをご覧なさい。エネルギー均衡の法則によって見事にバランスが取れています。人間社会はどうでしょうか? エネルギー収支のバランスが完全に崩れています。その良い証しが、病気・事件・事故・自然災害などの多発です。物質文明が進めば、エネルギーが低くなるため災厄が多くなるのです。

 これは、思いの使い方も同じです。私たちは、どんな思いを出し、どんな言葉を出し、どんな行為を出しているでしょうか? 出した思い、出した言葉、出した行為には、必ず回答(結果)が返ってくるのです。良い思い、良い言葉、良い行為には、良い結果が、悪い思い、悪い言葉、悪い行為には、悪い結果が・・・。これは一ミリの狂いもありません。今 人間が苦しんでいるのは、悪い思い、悪い言葉、悪い行為を出しているからです。苦しい人生にしたくなかったら、「出すもの」を良くしてください。つまり、良い思い、良い言葉、良い行為を出してください。その人は、幸せな人生を歩むことが出来るでしょう。

 

 

 

2017年

5月

07日

● 運命を創っているのは自分の想念である

 運命とは「命」を「運ぶ」と書きます。命を運んでいるのは、誰でもありません。自分の想念です。良い想念を使えば運命は良くなります。悪い想念を使えば運命は悪くなります。なぜそのようなことが起きるかと言いますと、良い想念は光を呼び、悪い想念は闇を呼ぶからです。事実 人類は、悪い想念を使って病気や事件や事故や自然災害など呼び寄せているではありませんか。これは、光は良いモノを実現させ、闇は悪いモノを実現させている分かりやすい実証例なのです。あなたが、今の苦しい運命を好転させたいと思うなら、どうか良い想念を使うよう心掛けてください。

 私は最近よく想念のお話しますが、それは想念ほど頼もしく、また恐ろしいモノはないからです。人生は想念次第なのです。いや魂の進化は、想念次第なのです。それほど想念は偉大なのです。どうか、良い想念を使うよう心掛けてください。そうすれば、もうあなたの運命は保証されたも同然です。

 

※ 命は永遠です。ですから運命は、永遠の命の歴史を通して考えなくてはなりません。今生の運命は、前世の運命を背負っているのです。前世の運命は、前々世の運命を背負っているのです。前々生の運命は、その前の世の運命を背負っているのです。だから、アナログ的な運命の見方が必要になるのです。

 今生運命が良いからと言って喜んでいてはなりません。今の自分の一刻一刻の想念が、運命を決めていると言う自覚を持って、想念を使ってください。

 

 

 

2017年

4月

30日

● 瞑想の仕組み

 瞑想の仕組みの根底にあるのは、私たちが持っている想念です。この想念は、神の意識から生まれたモノですから、神と同じ創造力が付与されているのです。「想念は実現の母」と言われるのも、想念したことは何でも実現するからです。その想念の力を利用して成し遂げようというのが、瞑想なのです。

 私たちは、常に何かを思っています。私たちは、何も思えないでいられないようにできているのです。と言うことは、常に瞑想していると言うことです。瞑想とは、想うことなのです。何か想っている時は、瞑想していることになるのです。と言うことは、この世界で瞑想していない人は一人もいないと言うことです。皆さんは、毎秒 毎秒 瞑想しているのです。ただ私たちは、そのことに気付いていないだけです。

 今の今だけが実在です。その今の今を感じられるのは、私たちの意識です。意識が想念を生み出し、その想念が物事を成就させているのですから、私たちはその想念を使って今日まで人生を作ってきたのです。事実 私たちは、学校に入りたいと想って(瞑想して)入ったではありませんか。お金を儲けたいと想って(瞑想して)お金を儲けたではありませんか。自動車が欲しいと想って(瞑想して)自動車を手に入れたではありませんか。伴侶が欲しいと想って(瞑想して)結婚したではありませんか。このように私たちは、瞑想によって何でも得てきたのです。ならば神を想って(瞑想して)、神の自覚を得ることもできるのではないでしょうか? 

 想った事は何でも実現するのが想念の力ですから、その力を利用しないではもったいないです。さあ、瞑想し神の自覚を得ましょう。

 

※ この地球で、真の瞑想をしている人は殆どいません。それは、瞑想の意味を知らないからです。瞑想は、無・空になることではありません。また、気持ち良くなることでもありません。神の想いを深め、神の自覚を得ることです。この「自覚」の意味が理解できないため、真の瞑想ができないのです。

 理解できなくても良いですから、想念の力を信じて神を想い続けてください。きっと「ああそうか!」と解る時がきます。

 

※ 私たちは、何と幸せなのでしょう! なぜなら、瞑想できるからです。鉱物や植物や動物は瞑想できません。でも私たちは、瞑想できます。これは凄いことなのです。どうか、瞑想できるとろまで進化してきた自分を褒めてやってください。

 

 

 

2017年

4月

23日

● 人はどうして拘るのか?

 人間は、時間に拘ったり、年齢に拘ったり、性別にな拘ったり、職業に拘ったり、慣習や風習に拘るなど、沢山の拘りを持ちます。拘れば拘るほど自分を窮屈にするのに、人はどうして拘りを持つのでしょうか?

 「人間の一番不可思議なところは、拘りを持つことである」とある覚者は言っていますが、これは自我人間の特徴の一つで、他の生き物にはない部分です。では、一体この拘りはどこから来るのでしょうか?

人に負けたくない、競争欲から来るのでしょうか? 

自分を良く見せたい、自分を誇示したい、自己顕示欲から来るのでしょうか?

自分の身を守りたい、自己保存欲から来るのでしょうか?

 自分の身を守る自己保存欲の拘りは仕方がないとしても、慣習や風習など他の拘りは、うまく立ち回れば、あるいは人の目を気にしなければ、拘らなくても良い拘りです。では人間は、なぜ拘りを持つのでしょうか?

 それは、心が満たされていないためです。心が満たされていないと、空白を埋める何かを探そうとするのです。でも、その空白を埋めてくれるモノが何か解らないのです。だから、じれったいのです。歯がゆいのです。もどかしいのです。その鬱憤を、拘りで晴らそうとするのです。

 真理を学び自分の本性を知った者は、拘りを持つことが少なくなります。それは、心の空白が埋まったからです。ですから覚者は、一切拘りを持たないのです。

 

※拘りは囚われであり、自己保存欲の一つです。そんな拘りに囚われては、自分を不自由にします。どうか拘りを捨ててください。この世の拘り事など、実際には無いのですから・・・。

 

 

 

2017年

4月

16日

● 真理の奥深さ!!

 ある人は言います。「真理を知れば知るほど自覚の境界線が遠のく」と・・・。そうなのです。この宇宙は、探っても探っても届かないほど奥が深いのです。それは、宇宙は無限だからです。無限をどうして知ることができましょうか? 

 あなたは、「これ以上無い幸せな意識体験をした!」と思うかも知れません。でもそれは、ほんの一端の体験です。なぜなら、宇宙は無限だからです。私が、「人は永遠に悟ることができない!」と言うのは、宇宙は、神は、本当の自分は、無限だからです。どこまで探っていっても掴めないのが、宇宙なのです。神なのです。本当の自分なのです。ですから、「私は悟った!」と言わないでください。どんな覚者も永遠に悟れない真理なのですから・・・。

 宇宙の奥深さを知った者は、

  • 謙虚になります。頭の低い者になります。
  • 自分の成長を唯一の目的とします。
  • 内側に多く意識を向けるようになります。(瞑想を多くするようになる)

 それは、主観宇宙の確信を得たからです。つまり、自己完結型宇宙の確信を得たからです。でも宇宙の奥深さを知らない者は、

  • 自負します。高慢になります。
  • 人の成長や世界の平和を望みます。
  • 外側に多く意識を向けるようになります。(あまり瞑想をしない)

 それは、まだ主観宇宙の意味を知らないからです。つまり、自己完結型宇宙の意味を知らないからです。だからと言って、その人を批判してはなりません。なぜなら、その人の原子核の量によって思った事ですから、それは必然だからです。

 一挙に成長する者などいないのです。少しずつ少しずつ成長するのです。私もそうだったのです。あなたもそうだったのです。その人もそうなのです。ですから、温かい目で見守ってやりましょう。

 

注意・・ 学び始めの頃は、誰もが「明日にでも自覚の境界線が超えられる!」と思うものです。でも学びが深まれば、簡単でないことが分かってきます。それは、学べば学ぶほど真理の奥深さが観えてくるからです。だからと言って、諦めないでください。なぜなら、風呂桶にどれくらいお湯が溜まっているかは、誰も分からないからです。明日 百本目の刀が得られるかも知れないのですよ! ですから、希望を持って真理を学び続けましょう。

 

 

 

2017年

4月

09日

● 1を知れば10を知る!?

 1を知れば10を知ると言われますが、そんな半端なものではありません。 1を知れば無限数を知ることができるのです。なぜなら、無限数は1の分化したものだからです。この宇宙には、1から分かれた無限数の原子番号が有るのです。つまり、元数1から分かれた無限の分数が有るのです。無限の分数は、元数1から分かれたものですから、分数の一つを知っただけでも元数1を知ることができるのです。

 今この地球では、百十数個の元素が発見されていますが、宇宙には無限に近い数の元素があるのです。その一つ一つの元素は、元数1から出てきた同じ仲間ですから、一つの元素を知れば元数1の正体が解るのです。鉱物・植物・動物・人間は、その元素の組み合わせによって作られたモノですから、鉱物を知っても、植物を知っても、動物を知っても、人間を知っても、元数1の正体を知ることが出来るのできるのです。

 今 科学者は、見えないモノに様々な名前をつけておりますが、どんな名前をつけても出処は1ですから、その本性はみな同じ元数1、つまり神なのです。どうか名前に惑わされないでください。どんなモノも、元数1から出てきた同じ神の子なのですから・・・。

 この宇宙に神でないものは無いのです。どうか、全ての兄弟姉妹を愛してください。あなと同じ神の子なのですから・・・。すなわち、自分なのですから・・・。

 

※ 1が二つも三つもあっては無限でなくなります。一つしか無いから無限なのです。無限が二つも三つもあっては無限でなくなります。一つしか無いから無限なのです。だから1は無限であり、無限は1なのです。つまり、どんな数も1であり、無限なのです。これが、私が1であり無限であると言える根拠です。

 

 

 

2017年

4月

02日

● 真理を学んでいるから、自覚の境界線が超えられるのではない!!

 学びの友の中に、真理を学んでいれば自覚の境界線が超えられると勘違いしている人がおりますが、真理が自覚の境界線を超えさせてくれるのではありません。真理を実践することによって、自覚の境界線が超えられるのです。真理は、あくまでも道理を示しているだけです。実践の伴わない真理は、単なる絵に書いたボタモチです。それは、毎週 日曜日 キリスト教会に行って賛美歌を歌っているようなものです。私の本を読んで私の話を聴いて満足しているのは、賛美歌を歌って満足しているようなものなのです。 

 真理の実践とは、原子核を増やす三つの方法のことを言っているのです。つまり、社会体験をすること、瞑想をすること、思索をすることです。

  • 社会体験している時は、心身を動かしているので実践になっているのです。
  • 瞑想をしている時は、想念を動かしているので実践になっているのです。 
  • 思索している時も、想念を動かしているので実践になっているのです。

 この三つの方法は、実際にエネルギーを動かしているわけですから、間違いなく前に進むのです。

 歩くから景色が変わるのです。座っていては、景色は変わらないのです。景色が変わらないということは、成長しないということです。あくまでも自力です。自力で成してこそ、扉が開かれるのです。私は努力の大切さを言っているのです。何かを成し遂げるには、努力が必要なのです。

 くどいようですが、繰り返し言います。真理が自覚の境界線を超えさせてくれるのではありません。真理を実践することによって、自覚の境界線が超えられるのです。くれぐれも誤解なきように・・・。

 

 ※

瞑想できる有り難さ!

瞑想できる幸せさ! 

瞑想できるところまで進化してきた自分を、どうか褒めてやってください!

私たちは、本当に幸せなのですから・・・。

 

 

 

2017年

3月

26日

● 補完し合う仕組み

 奇数と偶数があります。この二つの数字は交互に置かれていますが、これは補完し合うためです。この宇宙は、相反するモノが補完し合いながら成長してゆくようにできているのです。

  • 相対宇宙と絶対宇宙
  • 人間と神
  • 見えるモノと見えないモノ
  • 陰と陽
  • 影と光
  • 女と男
  • 体と心
  • 自我と真我
  • 偽と真
  • 悪と善
  • 醜と美

 熟語として普通は、左側に「善・悪」の「善」とか「美・醜」の「美」とか「幸・不幸」の「幸」と言った良い意味の字を置くのに、なぜここでは左側に悪い意味の字を置いたかと言いますと、左側は実際に無いモノで右側は実際に有るモノだからです。左側の世界(陰の世界・物質の世界)は、実際に無い世界なのです。右側の世界(陽の世界・意識の世界)は、実際に有る世界なのです。 物質の世界は、一時存在しているニセモノで、意識の世界は永遠に存在しているホンモノなのです。だからと言って、物質の世界を軽んじるわけにはゆきません。なぜなら、物質の世界が無くては、意識の世界の存在意味が無いからです。その意味では、物質の世界と意識の世界は、同等の価値があると言っていいでしょう。

 物質の世界と意識の世界は、互いに補完し合いながら存在価値を高め合っているのです。しかし、物質には何の力もありません。ですからホンモノを存在させるために、ホンモノがニセモノを装っ活躍しているのです。つまり、神を存在させるために、神が人間を装って活躍しているのです。

 二つは一つであり一つは二つでなくては一つになれないと言う、何とも不思議な関係にあるのが、物質宇宙(相対宇宙)と意識宇宙(絶対宇宙)の関係なのです。つまり、人間と神が補完し合いながら存在を保っている不思議な関係にあるのが、物質宇宙と意識宇宙のなのです。

 

 

 

2017年

3月

19日

● 真理の目から見た人助け

 世の中には、ボランティアーをやったり、寄付をしたりして人助けしている人たちが大勢おりますが、心から“人助けしたい!”と思ってやっている人が、どれほどいるでしょうか? つまり、純粋な動機で人助けしている人が、どれほどいるでしょうか? そこに、何らかの成算が入っていないでしょうか? 例えば、人に良く見られたいとか、犯した罪の償いのためにとか、生きがいのためにとか、(心の空白を埋めたいため)自分の名を知らしめたいとか、自己満足のためとか、・・・。 殆どの人は、自己満足のためにやっているのではないでしょうか? 私はこれを批判するつもりはありませんが、「安易な人助けは罪になる!」ということだけは、心に留めていて欲しいと思います。では、なぜ安易な人助けは罪になるのか、真理の目から考えてみましょう。

 人助けする場合、本当にその人のためになっているか? よく考えてせねばなりません。近年では、災害が起きると各地から被災地に沢山の救援物資が送られてきます。時にはあまり多すぎて、処分に困るほどです。勿論、被災地の人たちは喜んでおりますが、本当に被災人の為になっているのでしょうか? このように言うのは、あまりやり過ぎると、自力で立ち直る意欲を奪いかねないからです。たしかに、切羽詰まっている場合は、助けてやらねばならないでしょう。でも、どの程度まで助けてあげるか?、見極めが大切なのです。

 なぜ、苦しいことが起きるのでしょうか? 自分が苦しい原因を作っていからではありませんか? 事件や事故や自然災害の苦しみも、病気の苦しみも、貧困による苦しみも、みな自分が原因を作っていたから起きたのです。なのに、安易に苦しみを取っては、そのことに気付かないではありませんか? それでは、成長が望めません。だから、安易な人助けは罪だと言うのです。では、マザーテレサのやっていた人助けは悪かったことか? ということになるわけですが、どんなに動機が良くても、人の成長を考えず人助けしていたなら、それは良いとは言えないでしょう。ただし、こういうことは言えます。

 たとえば不純な動機で人助けしたとしても、それは助けた人の今の原子核の量において助けたいと思ってした必然ですから、それは良いことなのです。助けられた人から見たら、どんなに安易な助けられ方であっても、助けられるべきにして助けられた必然だからです。助けられるべきにして助けられた必然には、ちゃんとした意味があり、また安易な助けられ方の中にも、ちゃんとした意味があるのです。それは、どんな助けられ方の中にも、ある部分を成長させる材料が含まれているからです。

 世の中にはなぜ、助けられる人と助けられない人がいると思いますか? それは、その背後に原因と結果の法則が働いているからではありませんか? 助けられた人は、助けてくれる人に出会ったのも必然、助けられる環境にいたことも必然、助けられる時代に生まれてきたことも必然です。一方助けられなかった人も、助けてくれる人に出会えなかったのも必然、助けられない環境にいたことも必然、助けられない時代に生まれてきたことも必然です。マザーテレサは、今の自分の原子核の量(魂の熟成度)によって人助けしたいと思って人助けしたわけですから、それは必然的行為として良いことであり、それによって助けられた人も、助けられるべきにして助けられた必然ですから、それは良かったのです。必然は、みな良いことなのです。

 必然によって運ばれている宇宙に、悪い人助けなど無いのです。とは言え、原因と結果の法則を無視した人助けは、できるだけ避けるべきでしょう。動機が大切なのは、法則を犯さないためです。人助けするなら、相手の成長を考え、やり過ぎない配慮のもとにやりたいものです。

 

※ 安易な人助けは、罪になると言う話は、安易に病苦を取っては成長の妨げになると言う話に通じています。簡単に病気を治したのでは、その人から成長材料を奪ってしまうからです。またこれは、人にお節介を焼く事とも通じている話なのです。世の人々は、良かれと思ってお節介を焼くのでしょうが、お節介を焼くことで人から成長材料を奪っている場合が往々にしてあるのです。

 お節介焼きの心理状態は、自分がお節介を焼いて欲しいからです。これは、人に教えたがる人の心理状態と似ています。自分の中に教えて欲しい思いがあるから、人に教えようとするのです。これは人を頼る癖をつけてしまい、良いこととは言えません。何ごとも、努力して、厳しいことをして、成長してゆかねばなりません。その意味では、厳しいことをさせてやることが愛です。努力させてやることが愛です。いらぬ手助けは、人を堕落させます。たとえどんなに動機が良くても、やり過ぎは成長の妨になるわけですから、中庸を見極め助けてやることが大切です。その中庸の見極めも、魂の熟成度によって違うわけですから、助け方もみな違ってくるということです。

 

 

 

2017年

3月

12日

● 神を想い続けていれば、どんな問題も解決する

 「吾神なり!」を想い続けていれば、どんな問題も解決するのです。「ありがとう!」を想い続けていれば、幸せになれるのと同じです。なぜなら、「吾神なり! ありがとう!」を想いながら、同時に悪い想いを持てないからです。問題を解決する、こんな簡単な方法があったのです。皆さんは、難しく考え過ぎなのです。何か難しいことをしなければ、問題が解決しないと思っているのです。

 人生は、想念次第でどうにでもなるのです。良く考えてみてください。今まで何が人生を作ってきたと思いますか? 肉親ですか? 隣人ですか? 学校ですか? 会社ですか? お金ですか? 地位や名誉ですか? 社会ですか? 国ですか? ・・・。 すべて自分の想念が、作ってきたのではありませんか?  旅行に行きたいと想い、旅行に行ったはずです。自動車が欲しいと想い、自動車を手に入れたはずです。嫁さんが欲しいと想い、嫁さんを手に入れたはずです。すべて自分の想念の成果です。モノだけではありません。病気も、事故も、自然災害も、みな自分の想念が作ったのです。あなたは、“私はそんな不幸など作った覚えがない!”と言うかも知れませんが、あなたの憎しみの想いや、恨みの想いや、怒りの想いや、心配・恐怖・イライラなどの想いが遠因となって作られたのです。想念は、何でも作るのです。それは、神と同じ想念を持っているからです。自分の想念で不幸を作ったのであれば、幸せも自分の想念で作れるはずです。それは良い想念を持てば、すべて問題解決するという意味なのです。

 良い思いの一番は、神を想うことです。神を想っていれば、あなたの人生は間違いなく良い方向へ変わって行きます。それは、神を想っている時は、悪想念を持てないからです。「ありがとう!」の思いは、確かに波動の良い思いですが、でも「ありがとう!」を思っている時は、悪い想いが持てないというだけで、何かを作るわけではないのです。しかし「神を想い続けていれば」、

  • 原子核を増やすことができるのです。
  • 地球を浄化することができるのです。
  • 自分の欠点を無くすことができるのです。

 どうか、想念を有効に使ってください。あなたの人生は、想念次第なのですから・・・。

 

※思ったことは必ず実現する。思わないことは絶対実現しない。この意味の深さを噛み締めてください。

 

 

 

2017年

3月

05日

● なぜ私は(自分は)、存在しなければならないのですか?

 「なぜ私(自分)は、存在しなければならないのですか? 何も、私が存在しなくても良かったはずです。誰が、私を存在させてくれと頼んだのですか? 私はそんなこと頼んだ覚えもないし、お願いした覚えもないのに、どうして私が存在しなければならないのですか? 存在しなければならない義務でもあるのですか? この宇宙に私がいなくても、何の問題もないはずです。なのに今私は、存在させられています。いや、気が付いたら存在していたのです。そのために、苦しい人生を送らなければならない、こんな理不尽な押し付けないのではありませんか? 」と、あなたは文句を言うかも知れません。そうですよね。自分が存在していなければ、何の苦しみも悲しみも体験しないで済んだのですからね。でも、良く考えてみてください。もしあなたがいなかったら、この宇宙がありますか? あなたがいるから、宇宙があるのですよ! それはあなたが宇宙の創造主だからです。あなたがいなければ、何も始まらないし、何も生まれないのです。これは、今始まったわけではないのです。永遠の昔からそうだったのです。宇宙は永遠に存在していたわけですから、あなたも永遠に存在していたのです。ということは、あなたそのものが、宇宙そのものであるという意味です。このことは、あなたのような熟した魂なら解るはずです。

 私も真理を噛じり始めの頃、あなたと同じ疑問を持ちました。自分を存在させてくれるなど、お節介だと・・・自分の意識がなかったら、何も苦しまないで済んだのにと・・・。ですから私は、「自分の意識を無くしてください!」と神様に頼んだ時期があったのです。でも、「お前がいなかったら宇宙は存在できないではないか、宇宙はお前で、お前が宇宙なのだから!・・・」との神様からの返答でした。それで私は、意識の無くなることを諦めたのです。

 意識は絶対無くすことができないのです。これだけは、神様の勝手な押し付けだと言ったって、どうしようもないことなのです。あなたは、自分の意識の無くなった後の事を考えられますか? 絶対、考えられないはずです。これはあなたの意識が、意識の当体であり、意識の源であり、意識の大元だからです。すなわち、原因無き原因者だからです。あなたの意識が、あなたの意識を生み出したのです。この宇宙に、あなたしかいないからです。絶対無くならない意識なら、どうすれば良いのですか? 幸せの中に入るしか無いではありませんか・・・。そうです。苦しみたくなかったら、幸せの中に自分の意識を留めるしかないのです。その留める方法が、神の自覚に入ることなのです。

 

注意・・この「私は」肉体の私ではなく、意識の私のことを言っているのです。誤解のないように・・・。

 

 

 

2017年

2月

26日

● 自分を責めてはならない!

 悪い思いを持つ自分を責める人がおりますが、自分を責めてはなりません。なぜなら、たとえ悪い思いを持ったとしても、それは今の原子核の量によって思ったことですから、それは必然であり、良いことだからです。事実その人は、悪い思いを持つことによって痛い目にあい、成長してきたではありませんか? ということは、その思いは良い思いだったと言うことです。私が “あなたの選択した人生の道は、みな良い道なのですよ!” と言うのも、今のあなたの原子核の量で選んだ必然の道だからです。たとえ、その道が苦しい道であったにしても、苦しみが成長を促すのですから、それは悪い道では無かったと言うことです。悪い必然など無いのです。必然は、みな良いことなのです。必然は、成長を促す法則だからです。

 “私は容姿も醜く、こんな性格で、こんな欠点を持っている何もできない人間です!” と自分を責める人も同じです。たとえ、どんなに醜く、能力的に劣っていても、その肉体環境は、魂を成長させるために与えられた必然の環境ですから、自分を卑下してならないし、惨めになってもならないし、責めてもならないのです。私たちは、失敗の中から学び、苦しみの中から強くなり、悪い環境の中から、美しい花を咲かせるのです。そう思えれば、どんな人にも、どんなモノにも、どんな環境にも、また自分にも、感謝できるでしょう。

 

※なぜ、必然は良いことか? それは、必然は完全から生まれてくるからです。もし必然が悪いことなら、神は不完全な宇宙を創ったことになり、神は不完全になってしまいます。そんな神がいるわけないのですから、必然はどこまでも完全で良いことなのです。

 

 

 

2017年

2月

19日

● 宇宙は単純に出来ている!

 宇宙は、単純に出来ています。子供でも解るように易しく創られているのが宇宙なのです。その証拠に神は、一番必要なモノほど私たちの身近に置いてくれています。例えば、空気・水・土・労働力の順で、身近に置いてくれています。また肉体は、それよりも近くに置いてくれています。更に近いのは魂です。そして、その魂が発信する想念です。この想念が人生を作っているわけですから、最も身近な存在と言えるでしょう。その想念が、幸せをくれるのです。しかし世の人々は、外に出てお金を稼ぎ、外から幸せを買おうとしています。それは、幸せが何処にあるのか知らないからです。神が、一番必要なモノを身近に置いてくれているように、幸せも一番身近なところに置いてくれているのです。それも、お金もいらず、何処へ行く必要もなく、「ただ、神を想うだけで良い!」と言う簡単な方法で・・・。

 難しく考えないでください。今あなたがやらねばならない事は、

  1. 肉体を維持するために必要な事を真心を込めてやる事です。
  2. 神を想う瞑想をする事です。

 この二つをやっていれば、あなたは幸せになれます。これは、今日まで自分の想念によって人生を作ってきた実績が証明しているのですから間違いないのです。

 

  • 肯定的な想念を持つようにしよう!
  • 肯定的な言葉を使うようにしよう!
  • 行動的な人になろう!
  • 明るいところの好きな人になろう!
  • どんなことも良く受け取るようにしよう!

 

 

 

2017年

2月

12日

● 実在するモノとは?

 見えるモノは非実在です。見えないモノは実在です。見えるモノは、表面だけの(中身のない)モノですから非実在なのです。しかし見えないモノは、奥の深い(中身のある)モノですから実在なのです。

  • 見える状態は、観えない状態なのです。
  • 見えない状態は、観える状態なのです。

 また見えるモノは、何の発展性も何の可能性もない死に絵です。見えないモノは、無限の発展性と無限の可能性のある生き絵です。その意味では、人間は見えるモノですから死絵なのです。神は観えないモノですから生き絵なのです。だから人間は非実在で、神は実在だというわけです。ただし、人間の中に宿っている意識は実在します。人間の形は殻ですから非実在ですが、その中に宿っている意識は中身ですから実在するのです。

 私が「人間は神である!」と断言するのは、人間の中に宿っている意識は神だからです。形は結果です。意識は原因です。原因と結果は切り離すことが出来ませんから、神は人間であり人間は神であると言うことになるわけです。「人間は神である!」こんな確かなことを、どうして人間は信じようとしないのでしょうか? 

 

※ 幸せや善は実在しますが、不幸や悪は実在しません。なぜなら、実在しない人間が作った不幸や悪だからです。でも、幸せや善は実在するのです。それは、実在する神が創った幸せや善だからです。

 

 

 

2017年

2月

04日

● 意識は幸せがあればいい!

 人が何を言おうが、自分が楽しければいいのです。こう言うと、“エゴイストだ!” と思うかも知れませんが、真理を深く知った人なら、私の言っていることが解って頂けると思います。

 私たちは、意識そのものなのです。その意識は、宇宙に一つしかありません。一つしか無いということは、私たちは宇宙そのものであるということです。ではその意識は、何を欲しているのでしょうか? 物でしょうか? お金でしょうか? 地位や名誉や権力でしょうか? いいえ、自分の心が、   

平安になること!・・・

楽しくなること!・・・

愉快になること!・・・

嬉しくなること!・・・

爽快になること!・・・

 すなわち、幸せになることを欲しているのです。

 世の人々は、躍起になってこの世のモノを追いかけていますが、それは幸せを得る一つの方便であって、そんなモノが無くても幸せになれるのです。なぜなら、幸せは、肉体が感じるのではなく、意識が感じるからです。

 意識は実在しています。幸せも実在しています。ですから、実在している意識は、実在している幸せを欲するのです。その幸せは、誰かが与えてくれるのでも、何かが与えてくれるのでもありません。自分が自分に与えるのです。では、どのように自分に与えるのでしょうか? それは、自分が意識そのものであると心の底で知った時、自動的に与えられるのです。どうか、自分が意識であることを心の底で知ってください。知ればその幸福感は、全宇宙に波及して行きます。それは前述したように、宇宙そのものが私たちだからです。

 よく考えてみてください! あなたは何が欲しいのですか? 幸せだけが、欲しいのではありませんか? その幸せは、外から得られますか? 何かモノから得られますか? 誰かから得られますか? 何も、誰も、与えてくれないのです。あなたが、"自分をどう思うか" で与えられるのです。

 繰り返します。あなたは、意識そのものなのです。その意識は、楽しいことが好きなのです。嬉しいことが好きなのです。つまり、幸せが好きなのです。

(3017年2月19日大阪勉強会の動画を見てください)

 

※ 肉体は、あなたではありません。意識があなたです。肉体は、意識の乗り物です。

 意識は、いつか必ず肉体から降りるのです。その意識が持って帰れるのは、幸せだけです。

 

 

 

2017年

1月

29日

● 神そのものと成って瞑想せよ!

 真理を深めてゆくと、外側のものはすべて幻で、実在しているモノでないことが解ってきます。そうするとその人は、瞑想の時、外側のモノから離れようと意識するようになります。でも、意識すれば意識するほど外側のモノが気になり、いつまでたっても外側のモノから離れられません。

 外側のモノを意識している状態は、実際に無い幻のモノを作っている状態なのです。つまり、肉体を意識している状態は、実際に無い幻の肉体を作っている状態なのです。なぜなら、意識は何でも作ってしまうからです。とはいっても、五感がある限り、どうしても肉体を意識してしまいます。ではどうすれば、肉体から意識を離すことができるのか?・・・それは、意識を内側の一点に集中させることです。

 私たちが五感で感じているモノは、すべて外側の幻です。その外側の幻で、一番近くにあるのが自分の肉体です。私たちは、その肉体をいつも意識で感じているのです。意識で感じているわけですから、意識を肉体から離せば肉体は消えてしまうはずです。では意識を肉体から離すには、どうすればいいのでしょうか? 一番簡単な方法は、背中の奥の奥の一点に意識を置くことです。背中の奥の奥の一点に意識を置くと、次第に外側のモノが消え、肉体感覚さえもなくなります。どうしてそのようなことが起きるかといいますと、実在しないモノは意識しなければ消えて無くなる仕組みになっているからです。外側のモノは、一時描かれた絵のようなモノですから、意識しなければ消えてしまうのです。でも実在しているモノは、意識しなくても消えないのです。意識そのものが、実在そのものだからです。

 私たちは、外側のモノが実在していると誤解しているのです。それは、五感があるためです。五感が、実在しているような誤解を生んでいるのです。実在しているのは、自分の意識だけです。その実在している意識に意識を集中するのが、瞑想なのです。意識が意識を意識するのです。意識が意識を瞑想するのです。意識そのものが、神だからです。だから、神が神を意識するのです。神が神を瞑想するのです。このことを知花先生は、次のようにおっしゃっておられました。「神を礼拝するには己が神そのものと成って礼拝せよ!」と・・・。つまり、「自分が神そのものに成って神を瞑想しなさい!」というわけです。

 

※ 瞑想は想念力に頼っています。想念は、何でも実現させる力を持っているからです。その想念の力を、瞑想に利用しているだけです。だから、想えば良いのです。ただ、それだけです。

 

 

 

2017年

1月

22日

● 見えないモノの実体を知る

 皆さんは、見えないモノを軽んじていますが、見えないモノの実体を知ることはとても大切なことなのです。なぜなら、見えないモノの実体を知れば、幸せに近づくことができるからです。それでは、見えないモノの実体を探ってみましょう。

 なぜ、見えないのでしょうか? それは、波動が精妙で私たちの視覚で捕らえられないからです。反対に見えるモノは、波動が荒いので視覚で捕らえられるのです。私たちが住んでいるこの表現宇宙は、波動の組み合わせによって出来ている摩擦の世界なのです。波動が摩擦を生み出し、その摩擦が見えるモノを生み出すのです。見えるということは摩擦があるという意味であり、見えないということは摩擦がないという意味なのです。ということは、見えるモノの沢山ある世界は、摩擦の多い世界だということです。摩擦のある世界は抵抗があるので、いつか必ず消えて無くなります。つまり摩擦のある世界は、有限の世界なのです。しかし摩擦のない世界は、永遠に無くなりませんから無限の世界なのです。では、摩擦のある世界と摩擦のない世界のどちらが、幸せ多い世界でしょうか? それは、当然、摩擦のない世界です。なぜなら、摩擦のある世界では、次のような厄介事が起きるからです。

抵抗が生まれます。

引っかかりが生まれます。

熱が生まれます。

衝突が起きます。

躓きが起きます。

行き違いが起きます

争いが起きます。

 さらに、

情報が多くなります。

交流が多くなります。

体験が多くなります。

 このように摩擦(凹凸・波動)のある世界では、様々な波風が生まれますので、苦しみが多くなるのです。摩擦がなければ、引っかかりも、衝突も、争いも起きませんので、摩擦のない世界は苦しみがないのです。要するに、悩み苦しみが生まれる世界は不完全で、悩み苦しみが生まれない世界は完全であると言うことです。見えるモノ・一時のモノ・有限のモノは、不完全なのです。見えないモノ・永遠のモノ・無限のモノは、完全なのです。だから私たちは、見えないモノを大切にしなければならないのです。

 では神は、なぜこのような摩擦の多い世界をわざわざ創られたのでしょうか? もうお解りのことと思いますが、摩擦の多い世界では、様々な体験ができるからです。魂は体験を通して大きく育つのです。ですから摩擦の多い世界は、魂の成長のためにはどうしても必要な世界なのです。でも、皆さんのような熟した魂には、もうこのような苦しい世界は必要ありません。さあ、今皆さんが持っている見えるモノと見えないモノの見識を変え、一日も早く摩擦の多い世界から卒業しましょう。

 

※何が幸せをくれるのでしょうか? 物やお金でしょうか? 地位や名誉でしょうか? いいえ、意識です。意識が幸せをくれるのです。なぜなら、意識が幸せを感じるからです。その意識は実在です。ということは、その意識が感じている幸せも実在ということです。幸せだけは、どんな幸せであっても実在なのです。例えば、夢の中で味わっている幸せも、この世で味わっている幸せも、幽界で味わっている幸せも、自覚の境界線を超え節目節目で味わう幸せも、みな実在なのです。実在という意味では、どんな幼い魂が感じている幸せも、どんな高度な魂が感じている幸せも、平等なのです。勿論、幼い魂が味わっている幸せも、高度な魂が味わっている幸せも、比べることができませんから、幸せにおいても平等なのです。このように、実在においても、幸せにおいても、神の公平性は保たれているのです。

 

 

 

2017年

1月

15日

● 想念の偉大さ!

 私が地球人類に声を大にして言いたのは、想念の偉大さを知って欲しいと言うことです。私たちの一想い一想いの想念が、人生環境を、社会環境を、世界環境を、自然環境を、良くも悪くもしているのです。それは、私たちの想念が、神と寸分も違わない力を持っているからです。

 あなたは、想念を使って車を手に入れたのではありませんか? 想念を使って嫁さんを手に入れたのではありませんか? 想念を使ってお金を手に入れたのではありませんか? いや、病気も、事故災難も、家庭の不和も、人との諍いも、みな自分の想念で作ったのです。私はそんなモノ作った覚えがないと言われるかもしれませんが、あなたの憎しみ・恨み・怒り・心配・恐怖・イライラの想いが遠因となって、そのような不幸を作ったのです。

 神の世界には、何も存在しないのです。何も存在しないのは、神が想念を動かしていないからです。想念を動かさなければ何も生まれないのです。それでは自分の存在がないので、神は想念を動かして表現世界を創り、そこに自分の分身である人間を送られたのです。そのとき持たされたのが、神と寸分も違わない想念だったわけです。ただし、一つだけ神の想念と違う点は、「一時も何も思わないでいられない!」と言う違いです。でもその想念が、私たちを成長させてくれるわけですから、その想念を持たされたことは有り難いことなのです。

 あなたはいつも何を思っていますか? 良いことですか? 悪いことですか?

あなたは良い想念が持てなくて、悩んでいるのではありませんか? 人生の目的は、この想念を正しく使えるようになることなのです。

 もし何も思わなかったら、何一つ苦しみは生まれないでしょう。しかし、喜びも幸せも生まれないでしょう。勿論、私たちの存在もありません。それどころか、一瞬にして表現世界は消えてしまうでしょう。幸いなことに何も思わないでいられないから、私たちも、表現世界も、安泰なのです。それほど私たちの想念は、偉大な力を持っていると言うことです。

 私が想念の偉大さを知って欲しい言うのは、想念の使い方次第で人生をどうにでも変えることができるからです。人生万端想念次第です。何もかも想念次第です。どんな問題も、想念で解決できるのです。どうか、想念の偉大さを知ってください。

 

 

 

2017年

1月

08日

● 限定枠を外す

 今日は、「魂は一生の内に三段階成長できる」、という言葉の意味を説明したいと思います。よく参拝一礼とか、万歳三唱とか、三三九度とか、三つ子の魂百までもとか、三の数字の絡む言葉を使いますが、この三という数字は、無限を意味する数字なのです。それは、1を3で割っても割り切れないからです。ということは、「魂は一生の内に三段階成長できる」という意味は、「魂は一生の内に無限に成長できる」と言う意味になるのです。もし皆さんが、「一生の内に三段階までしか成長できない」という意味で受け取っているなら、そんな考え捨ててください。そんな限定的な思いを持っていては、本当に三段階までしか成長できなくなります。私たちは、想念の使い方次第でいくらでも成長できるのです。

 もう一つ注意したいのは、”自分はこんな狭い心を持っているから、こんな悪い性格を持っているから、こんな悪いことをしたから、自覚の境界線を超える資格が無いのでは?” と思わないことです。天使とて地獄に落ちると言われるくらい、この表現世界は厳しいのです。熟した魂であっても目覚める前は、一般人と同じように悪い思いを持つし、悪い言葉を吐くし、悪いことをするのです。私も目覚める前は、人間のクズだったのです。そんな私でも自覚の境界線を超えられたのですから、皆さんが超えられないはずはないのです。悪いことをするのと魂の大きさとは関係ないのです。一度大きくなった魂は、たとえ人殺しをしたって小さくなることはないのです。自覚の境界線を超えられるかどうかは、あくまでも魂の大きさです。理解力の高さです。理解力の高さが自覚の境界線を超えさせるのです。

 自分を成長させるのは、自分の努力でいくらでもできるのですから、限定的思いを持たないことです。

 

 

 

2017年

1月

01日

● 思索のやりかた

 私は思索をしなさいとよく言いますが、人間の立場から思索しなさいと言っているのではなく、神の立場から思索して欲しいと言っているのです。神は、なぜそのような物をお創りになったのか? なぜそのような物を与えているのか? なぜそこに置いているのか? なぜそのような性質を持たせたのか? なぜそのような動きや働きをするようにしたのか? なぜそのようなことを起きるようにしたのか? なぜそれを見せようとしたのか、なぜそれを体験させようとしたのかなどを、神の立場に立って思索して欲しいのです。その疑問が解け、神の意図、思惑、大意などが解れば、神の高み、厚み、深み、大きさが増し、「吾神なり!」の瞑想がより深くなるのです。

 どうか、神の立場から思索してみてください。人間の立場から思索したのでは、知識で終わってしまいます。

 

※人の道に外れても、神の道に外れてはなりません。人の道は時代と共に変わりますが、神の道は永遠に変わらないからです。これは、人の前で正直でなくても、自分の心の前で正直であったら良い、という考えにも通じると思います。

 

 

 

2016年

12月

25日

● 最後の学び

 神が苦しみを与えているのではありません。私たちが、自分の想念を悪く使って自分に苦しみを与えているのです。想念を悪く使うのは、長い転生で付けた悪癖なのです。克服しなければならない最大の課題です。でも神は、自我を持たせた段階で、すでに悪癖を無くす方法を授けてくれていたのです。それは、「想念を良く使うこと! 」と言う簡単な方法です。ですから本当は、反省さえ必要ないのです。私が反省を勧めるのは、耐え難い苦しみを消す即効性があるからです。でも、自己完結型宇宙の仕組みを知ったら、反省の必要は無くなるのです。反省対象の相手は、実際にはいないからです。痛みや苦しみが来た状態は、すでに業の消える工程に入っているのですから、業の上乗せをしない限り、黙っていても業は消えてゆくのです。上乗せするから、また同じ痛みや苦しみがやってくるのです。

 宇宙の仕組みは実に単純です。「悪想念を使って苦しみを生み出したなら、良い想念を使って苦しみを消しなさい!」という単純な仕組みです。この仕組みを利用したら、私たちに苦しみは無いのです。それどころか、人類に、地球に、宇宙に、貢献できるのです。お金もかかりません。何処に行く必要もありません。ただ、悪想念を使わないようにするだけです。とはいっても私たちは、どうしてもチラッチラッと悪いことを思ってしまいます。これが厄介な点なわけですが、でもその時は神を想えば良いのです。神を想えば「業を作らない、自分の欠点は無くなる、原子核も増える」正に良いこと尽くめです。さあ、神を想い続けましょう。

 

※人類は、未だに想念の偉大さを知らないで生きているのです。だから悪想念を使い、自ら苦しみを招いているのです。想念は何でも生み出し、何でも実現させ、何でも成就させるのです。でも地球人類はそのことを知らないため、悪想念を使っては苦しんでいるのです。

 あなたの苦しみは、あなたの想念が作ったのですよ!

 あなたの人生は、あなたの想念が作ったのですよ! 

もうそろそろ気付いて良い頃ではありませんか?

 

 

 

2016年

12月

18日

● 単純な学び!

 “何だ! ただ神を想い続けていればいいだけじゃない!”とあなたが気付いたら、もう学びは終わりです。

 実に単純な学びです。神は私たちに、こんな単純な学びをさせているのです。私たちが今日まで何万転生もしてきたこの世の学びは、この単純な学びを修業することだったのです。何万転生してきた学びが、この想念のコントロールであったと解った途端、笑ってしまいます。唖然としてしまいます。正に目からウロコが落ちる思いです。

 肉体は影ですから、何の力もありません。病気や事故災難を作っているのはすべて想念です。だから、良い想念を使っている限り不幸はないのです。つまり、神を想い続けている限り悪業は作らないわけですから、不幸はないということです。勿論、自分の欠点も無くなります。原子核が増えますから、自覚の境界線も超えられます。神を想い続ければ良いこと尽くめなのです。だから、私の恩師である知花敏彦氏は、“私たちの最後の学びは、想念のコントロールなのですよ! ”と言われたわけです。どうか、想念の学びの重要さを知ってください。

 何も難しいことを考える必要はないのです。また余計なことを考える必要もないのです。ただ、神を想い続けていれば、人生の学びは終わるのです。  

 さあ! 子供心で、単純に! 単純に! 単純に!  素直に!  素直に! 素直に!神を想い続けてください。神を想ったら、良いこと尽くめなのですから・・・。

 

神を想い続けていれば、病気にもなりません。家族関係も良くなります。心配も恐怖もなくなります。勿論、サタンにもやられません。神を想ったら、良いこと尽くめなのです。さあ、子供のように素直な気持で、神を想い続けましょう!

 

 

 

2016年

12月

11日

● 人は本来、誰でも幸せに生きられるように創られている

 人は本来、誰でも幸せに生きられるように創られているのです。あるモノさえ正しく使っていたら・・・。 あるモノとは、想念のことです。神は私たちに、「想念」という素晴らしい宝物を与えてくれました。この想念を正しく使えば、誰もが幸せに生きられるのです。でも今の地球人類は、そのことを知らないのです。「無知こそ最大の罪」と言われるのは、知らなければ正しく使うことができないからです。

 想念は誰でも自由に使えるのです。何処に行く必要もありません。誰にも邪魔されません。国の違い・人種の違い・大人子供・男女・貧富の差、一切関係ありません。ただ、どう使うかだけです。

「想念を正しく使いましょう!」

「想念を正しく使いましょう!」

「想念を正しく使いましょう!」

 これは、何度言っても言い過ぎると言うことはありません。なぜかと言いますと、私たちは、すぐにサタンにやられてしまうからです。サタンにやられると、良い想念が持てなくなるのです。

 さあ、良い想念を持ちましょう。良い想念を持てば、私たちに苦しみは無いのです。

 良い想念の一番は、神の想いです。

「吾神なり!」

「吾神なり!」

「吾神なり!」

 これ以上の良い想念はありません。

 

 ※ 地球人類はみな自殺している

 今日、日本国内だけでも3万人近い自殺者を出していますが、本当は死人全員が自殺しているのです。なぜなら、想念を悪用し死を招いているからです。病気の死も、事件や事故の死も、災害の死も、戦争の死も、みな悪想念によって招いているのです。だから私は、地球人類はみな自殺しているというのです。

 

 

 

2016年

12月

04日

● 業の輪廻を断ち切るには?

 私はよく言います。過去世の人の業をあなたが背負うことはない、魂に背負ってもらったらいいと・・・。たしかに、その通りです。でも、実際に今苦しいのです。今痛いのです。放おっておけるでしょうか?

 ではどうすれば、過去世の業の苦しみから逃れられるか、実例を参考に考えてみましょう。

・実例1

 私は神経質な母親の想念の悪影響を受け、幼い時からとても胃腸が弱かったのです。大人になってもその影響は続き、時々下痢などをしていたのです。でもある時、母親の暗示が胃腸を弱くしていたことに気付いたのです。私はそれ以来、下痢が起きてもその下痢を良く受け取るようにしたのです。つまり、「ああ今、業(暗示)が消えている! 消えている! 消えている!」と思って、業の上乗せをしなかったのです。業というものは現象(幻)ですから、放っといたら消えて無くなるのです。でも痛みや苦しがあるため、どうしても新たな業を作ってしまうのです。

 痛くても、苦しくても、これは業の消えている状態だと思って心配しないことです。痛んだら、苦しくなったら、「今業が消えていっている! 嬉しいな! 嬉しいな!」と思うことです。悪く思うことが一番良くないのです。心配や悩みが、一番良くないのです。

 

・実例2

 ある学びの友から、大変嬉しいお便りをいただきました。その学びの友は、自分の息子から暴力を受け悩んでいたのです。その息子さんは、生まれた時から父親になつかなかったらしく、父親の顔を見るとすぐに泣き出したらしいのです。父親も、そんな息子を好きになれるわけがありません。ですから、何かにつけて厳しく当たってきらしいのですが、そのためか、大きくなるにつれ父親に暴力を振るうようになったというのです。私は、彼にこうアドバイスしました。

 「あなたは過去世において、その子と敵対関係にあったため、お互いに好きになれない業を持ち合っているのです。その業を解消するには、子供さんから何をされても言われても、甘んじて受けることです。ここが一番肝心なところです。たとえ息子さんからどんな仕打ちを受けても、”ああ! 今業が消えている。嬉しいことだ! 良いことだ!”と思うことです。決して、腹を立てない、憎まない、恨まないことです。これが、業の上乗せをしないコツです。業の上乗せをしなければ、つまり悪い原因を作らなければ、悪い結果はやってこないのです。反対に腹を立てれば業の上塗りをするわけですから、いつまでも業の輪廻から抜け出すことが出来ないのです。これは、大変努力のいることかもしれませんが、強い意志を持ってやれば間違いなく息子さんは変わります」と、私はアドバイスしたのです。

 彼は私のアドバイスを聞き入れ実行したわけですが、半年ほどすると息子さんの態度が少しずつ変わってきたといいます。そして一年たった今は、息子さんと和やかに話せるほどになったというのです。

 私たちの想念は、一度に二つのことは思えないように出来ています。良いことも思い悪いことも思えないのです。この想念の性質を、カルマの解消に利用することです。つまり、常に神を想うことです。神を想っている時は、悪いことは思えないわけですから、カルマは消えてゆくのです。

 

 この表現宇宙は、白板のようなものなのです。白板に書かれた文字は、時間が経てば消えてゆくように出来ているのです。新たな文字さえ書かなければ・・・。業も同じなのです。新たな業を作らなければ、時間が来れば自然と消えてゆくのです。でも苦しいと、どうしても業の上塗りをしてしまうのです。

 病気の苦しみも、息子の乱暴な態度も、みな現象です。現象は実際には無いのです。その実際に無い現象に惑わされ悪想念を抱くから、苦しい結果がやってくるのです。想念は何でも生み出すのです。想念ほど恐ろしく、また頼もしいものはないのです。

 どうか、悪い原因を作らないようにしてください。そうすれば、間違いなく今の苦境を乗り越えることができます。「原因と結果の法則は間違いない! 」ということを強調しておきたいと思います。

 

※ なぜ業は放っといたら消えるのか? その謎をはっきりさせたいと思います。

業というものは現象であって、実在しているものではありません。人の悪想念が作った現象(幻)です。幻ですから、放おっておいたら消えて無くなるのは当然なのです。でも何も残さず消えていったのでは、悪想念が苦しみの原因であることに気付いてもらうことができません。そこで神は、業が消える時に痛みや苦しみを合図として残してゆくよう仕組まれたのです。でも人間は、その合図の意味が解らないため、再び、心配したり、恐怖したり、悩んだりして、業の輪廻を生み出しているわけです。この業の輪廻から抜け出すには、痛み苦しみは業が消える時に残す合図だと思うことです。

痛み苦しみを悪く受け取れば、エネルギーを落としてしまうのです。つまり、否定(悪いと思えば)の思いはエネルギーを落とすのです。肯定(良いと思えば)の思いはエネルギーを高めるのです。痛み苦しみは業が消える合図ですから、良い事として肯定しなくてはならないのです。

 悪い業を消そうと思っても、なかなか消せるものではありません。放っといたら消えるのですから、消す必要はないのです。悪い原因を新たに作らなかったらいいのです。どうか、「この痛みや苦しみは業の消えてゆく合図だから、良い事だ! 嬉しい事だ! 嬉しい! 嬉しい! 嬉しい!」と思ってください。そうすればエネルギーが高まりますから、痛みや苦しみは消えて行くのです。神は業を消すこんな簡単な方法を用意してくれているのですから、それを利用することです。

 

 

 

2016年

11月

27日

● 私(自分)しかいない!

 全てが私なのです。この、大宇宙、大自然、鉱物、植物、動物、人間、全てが私なのです。空気、水、土、全てが私なのです。創造物の全てが私なのです。なぜなら、私が全ての創造物を創りその中に居るからです。

 私は全てのすべて有りてあるものです。私に恨み言を言う人も、罵声を浴びせる人も、嫉妬する人も、みな私なのです。

 私の中に私が居るのです。あなたの中に私が居るのです。すべてのモノの中に私が居るのです。そして、私の中に私がおり、私の中にあなたが居るのです。私の中にすべてがあるのです。だから何も、誰も、批判できないのです。すべて私の責任です。

 痛みの中に私が居るのです。苦しみの中に私が居るのです。悲しみの中に私が居るのです。勿論、感動の中にも、喜びの中にも、幸せの中にも、私は居るのです。

 私は自由に何でも創造できるのです。何処にでも行けるのです。

 私には生がないのです。だから死もないのです。私は永遠不滅の存在です。無限の存在です。私には限定が無いのです。だから私は自由です。自由なるがゆえに、完全なのです。

 私には失敗はないのです。たとえ失敗に見えても、それは成功のための失敗ですから成功なのです。ということは、どこまでも完全であるということです。私に不完全はないのです。この宇宙が今日まで存続してこられたことが、それを証明しているのです。

 私のいない時はないのです。私のいない宇宙は無いのです。私抜きの宇宙など無いのです。私抜きのドラマなど無いのです。

 

だから私が私を愛するのです。

だから私が私を慈しむのです。

だから私が私を労るのです。

 

私の中の私です。

私の内の私です。

私しかいないのです。

 

 

 

2016年

11月

20日

● 望ましい日常生活

 私たちは、霊性の進化を遂げてゆかねばならない高貴な霊の子です。その高貴な霊が、グルメに夢中になり、快楽に溺れ、物欲に明け暮れている、実に動物的生き方だと思いませんか? 一般人は仕方ないとしても、真理を学んでいる私たちは、一日も早くそのような生き方から卒業しなければなりません。では、どのような日常生活が望ましいか、考えてみることにしましょう。

○ 人生の目的を見失わないこと。

私たちは、本当の自分を知るために生まれてきました。この大目的を見失っては、何のために生まれてきたのか分かりません。私たちは、「私は神の子である!」と心の底で思えるようになるために生まれてきたのです。

○ 今の今を大切に生きること。

「私は神の子である!」と心の底で思えるようになるためには、瞑想は欠かせません。そのためには、今の今を大切に生きなければなりません。今の今を大切に生きるとは、神を想うこと、生命を想うこと、つまりマントラを想うことです。日常生活の何をやるにも、「神がやっている!」と思いながらやることです。

○ 原因と結果の法則と陰陽の法則を守ること。

原因と結果の法則と陰陽の法則を守るのは、求道者として当然の義務です。真理を学んでいる者なら、この法則を常に胸に秘めて生きなければなりません。

○ 正しい想念を持って生きること。

想念は実現の鍵です。あなたの成長は、想念次第なのです。

想念については、これまでクドいほど述べていますのでここでは触れませんが、今まで学んだことを何度も復習してください。どうか、想念を良いことに使ってください。良いことの一番は、神を想うことです。良い思いを持つことです。すなわち、瞑想をすることです。

○ 家族との生活は、情愛と感情を克服する学びの一環です。つまり、情に流されずかつ情を失わずの情と、厳しからず甘からずの愛を家族を通して学ぶことです。

○ 終わった過去のこと、まだ来ない未来のことをくよくよ考えないことです。先読みしないことです。妄想を抱かないことです。余計なことを考えないことです。

○ 嫌なことから逃げないこと。

与えられた嫌なことから逃げないことです。嫌なことを追いかけなさいと言っているのではありません。やって来たら逃げないでやりなさいと言っているのです。

○ 人事をつくしたら、後は天に委ねること。

 やるだけのことをやったら、くよくよ考えたり、心配したりしないで、待つことです。神は、最善を尽くした者を見捨てるわけはないのです。

 今やらねばならないことを淡々とこなすことです。

○ 中庸の生き方をすること。

この世は、すぐに旅立たねばならない腰掛けの世界です。そんな腰掛けの世界で、命を削ってやることなど一つもないのです。ほどほどに、中庸を守って生きたら良いのです。五十歩百歩の生き方をすることです。

  • 食事もほどほどに
  • セックスもほどほどに
  • 運動もほどほどに
  • 睡眠もほどほどに
  • 楽しみもほどほどに
  • お金もほどほどに
  • 衣食住もほどほどに
  • 清潔感もほどほどに
  • 教育もほどほどに
  • 仕事もほどほどに
  • 慣習・風習・習わし・仏事や神事や祭事もほどほどに
  • 情報のやり取りもほどほどに(余計な情報のやり取りをしないこと)
  • 近所付き合いもほどほどに
  • 友達同士の付き合いもほどほどに

○ 一生懸命やること。

ただし、やるときには一生懸命真心を込めてやることで す。一生懸命やっていれば、周りの人たちも見習い一生懸命やるようになります。一生懸命やっている姿は輝いています。その輝いている姿を、周りの者に見せることです。特に自分の家族の者に見せることです。一生懸命やれば原子核は間違いなく増えます。

○ 腰軽になること。

体を動かせば動かすほど、原子核は大きくなります。つまらないことでも良いですから、体を動かすことです。腰軽は、サタンに勝つ一番の方法なのです。

○ 繰り返すことを嫌がらないこと。

真理というものは、一度や二度で身につくものではありません。何度も何度も繰り返すことで身につくのです。何度も何度も読むことです。何度も何度も聴くことです。何度も何度も見ることです。何度も何度もやってみることです。繰り返すことを嫌ってはなりません。面倒かもしれませんが、手間を掛けることです。手間を掛ければかけるほど成長するのです。

○ この世の物を愛玩しないこと。

私たちは、鉱物 植物 動物と進化を遂げ、やっと自我の持つ人間まで成長してきたのです。それだけ苦しい進化の過程を踏んできたということです。なのに、懐かしがって鉱物や植物や動物などの愛玩物を身近に置いていては、進化の妨げになります。愛玩するのは、懐かしいからです。家の中にそのような愛玩物を置けば波動が落ちるのです。私たちは、一日も早く波動の低い物質から波動の高い霊に上り詰めねばならないのです。

○ その他、日常生活で守らねばならないこと。

  • 買い貯めしないこと。
  • 物を寝かさないで使ってやること。
  • できるだけ歩くこと、できるだけ動くこと。
  • 互いに環境を守り合うこと。
  • 親切心でやってあげ相手の学びを奪わないこと。

やるなら、相手の成長を考えやること。

 

 以上、望ましい日常生活をピックアップしてみました。どうか参考にしてください。

 

 魂が成長すれば、守るべき内容も厳しくなって行くでしょうが、安心してください。成長した魂にとって、その厳しさも、そう厳しいとは思えなくなるのですから・・。

 

 

 

2016年

11月

13日

● 吾真理なり!

 真理とは、不変不動永遠不滅なるモノです。何が起きようが、絶対変わりようのないモノが真理です。その真理は、この宇宙に一つしかありません。では、一つしか無いモノとは何でしょうか? それは意識です。意識は、この宇宙に一つしか無いのです。意識は、絶対無くならない不変不動永遠不滅なる真理なのです。その意識のことを、神とか、仏とか、生命とか、キリストとか、ブッタとか呼んでいるだけです。

 対して非真理とは、必ず無くなるモノです。どんなに見えても、触れても、必ず無くなるモノが非真理です。それは、本当に無いからです。ということは、この世も、幽界も、必ず消えてなくなりますから非真理(幻)と言うことになります。今私たちは、非真理の世界にいるのです。幻の世界にいるのです。

 このように真理とは、永遠に無くならない意識です。ということは、私たちは、真理ということになります。なぜなら、私たちは、意識を持っているからです。私たちは、意識そのものなのです。

「吾真理なり!」

「吾真理なり!」

「吾真理なり!」です。

 

 

※私たちは、真理を得るために生まれてきたのです。学校に行くのも、仕事をするのも、家庭を持つのも、すべて真理を得るための方便です。お金も、財産も、地位も、名誉も、真理を得るための方便です。方便のために悩み、方便のために苦しまないでください。どうか、本当の自分を知ってください。意識の自分を知ってください。それも頭で知るのではなく、心の底で知ってください。心の底で知ったら、至福感に満たされます。その人は、もうこの世の何も欲しがらないでしょう。

 

 

 ※ どうして消えるの?

 あなたの周りから、毎日 沢山の人たちが消えていっています。勿論 あなたも、いつか必ず消えてしまいます。人間だけではありません。花も、木も、犬も、猫も、あなたが住んでいる街も、国も、この地球でさえも、いつか必ず消えてしまいます。どうして消えてしまうのですか? それは、本当に無いからではありませんか? その本当に無いモノのために、どうしてあなたは、命を削ってまで生きようとするのですか? 本当に有るモノのために生きましょう。本当に有るモノとは、意識です。どうか、本当に有るモノと本当に無いモノの識別をしてください。

 

 

 

2016年

11月

06日

● 全部自分が創っている

 皆さん、よく考えて見てください。どうして自分がいるのですか? どうして相手がいるのですか? 自分がいるからではありませんか? 勿論、自分がいなかったら自分もいないし、相手がいないのも当然です。一体、自分なしに何があるのですか? 一体、自分なしに何が始まるのです? 自分抜きでは、何も始まらないのです。ということは、自分がすべてのモノを生み出しているということです。 つまり、自分が自分を創り、相手も創っていると言うことです。 

 “いいえ、自分がいなくても相手はいますよ!”と、あなたは言うかも知れません。でも、自分がいなかったら、相手がいるかいないかどうして分かるのですか? 自分がいなくなった瞬間、相手がいなくなっているかも知れないのですよ。

 そうなのです。自分抜きでは、何もあり得ないのです。親も、子も、友だちも、地球も、宇宙も、全部自分が創っているのです。と言うことは、自分が創造主であると言うことです。お釈迦様が言われた「天上天下唯我独存(尊)」の意味を噛み締めてほしいものです。

 宇宙の存在を証明できるのは、自分しかいないのです。自分抜きでは、何も証明できないのです。だから、自分が存在していた時には宇宙が存在していたし、宇宙が存在していた時には、自分が存在していたのです。自分は、宇宙の存在を認めてやれる唯一の存在者なのです。と言うことは、「自分は神である」ということです。だから、自分と言う字は「神が(自)らを(分)けた」と書くのです。

 勝手に相手がいると思ってはなりません。相手は、自分が創った相手なのです。自分が連れてきた相手なのです。自己完結型宇宙が成り立つのは、自分しかいないからです。1しか無いからです。

 

(この数式が、自分しかいないことを証明している)

 

 1しか無いなら、自分しかいないなら、すべての物は自分で創造するしかないでしょう。つまり、自己完結型宇宙に成らざるを得ないわけです。

 

※ 永遠の昔より宇宙が存在していると言っても、そのことを認める者がいなくては、単なる観念論にしか過ぎません。ですから どうしても、意識を持った認定人(判定人)である人間が必要なのです。

 

 

 

2016年

10月

30日

● 霊性の進化を遂げて行く私たち

 この宇宙には、全く波の無い霊から波動の粗い物質的霊まで、様々な種類の霊が存在します。本当は、全く波の無い霊しか存在しないのですが、それでは表現ができないので、神は波動を下げ物質的霊を創造されたわけです。私たちは、その全く波動の無い霊(神)から出てきた霊(神)の子供たちです。ですから私たちは、霊性の進化を遂げ波の無い霊(神)の世界に帰って行かなければなりません。

 世の中には、沢山の物を集めている人たちや、部屋に鉱物を置いたり、植物を置いたり、猫や犬を飼っている人たちがおりますが、私たちはそんな波動の粗い物から、一日も早く抜け出さなくてはならないのです。なのに懐かしいからと言って、波動の粗い鉱物や植物や動物を身近に置いていて良いでしょうか? 部屋の飾り物として置くなら良いでしょう。でも観賞用として、或いはペットとして置くのはいかがなものでしょうか? 

 物質は波動が低いのです。霊は波動が高いのです。どうか波動の高い霊(神)を意識して生きてください。私たちは、霊性の進化を遂げるために生まれてきたのですから・・・。

 

※「霊」とは、巷間で言われている「祟の霊」とか、「迷いの霊」とか、「動物霊」とか、そんな幽霊(幽界の霊)ではないのです。「霊」とは、神です。創造主です。生命です。意識です。光です。エネルギーです。

「霊性の進化」とは、神の子である人間が、元の「神の霊」に帰る進化のことなのです。どうか「霊」を誤解しないでください。

 

 

 

2016年

10月

23日

● 何事も思いが先に立つ

 想念は実現の母です。これは、何度言っても言い過ぎることはありません。思えば必ず実現します。それも、強く思えば強く実現し、弱く思えば弱く実現するのです。

 世の中には、心にドロドロしたものを持ちながら、世の成功者と言われる人たちがおりますが、彼らは欲念が強いからこの世の物を引き寄せることができたのです。つまり、世の成功者と言われる人たちは、ただお金や地位や権力を引き寄せる念力が強いと言うだけで、人格とは関係ないのです。だから、世の成功者を人格者と呼ぶのは、正しくないのです。生命核(魂)を大きくした人が、人格者なのです。ですから、正しくは「命格者」と呼ぶべきでしょう。 

 「身・口・意」という言葉がありますが、「身・口・意」の真の意味は、何事も思いが先立って実現されるという意味です。思って、言葉になって、行為になるのです。この世は波動が荒いため、思ってもすぐに実現しませんから、思いが言葉や行為に結びついていると思えませんが、意識界(幽界)は波動が精妙なため思ったらすぐ実現するのです。しかし波動の粗いこの世でも、何度も思えば間違いなく実現します。事実、病気・事件・事故・テロ・戦争・自然災害などは、思いの産物ではありませんか? だからイエス様は、思いに対しても「汝姦淫するなかれ!」と戒められたのです。「私は何度も思ったが実現しなかった!」という人がおりますが、それは未だ結果が降りていないだけで、いずれ必ず実現するのです。例え今生実現しなくても、来生以降何らかの形で実現するのです。

 「私は思いと裏腹な言葉が話せます」と言う人がおりますが、そんな芸当は絶対できません。裏腹な思いを持っていても、話す瞬間正常な思いを持ち正常な言葉を語っているのです。また「私は言葉は汚いが、心はきれいだ」という人がおりますが、そんなことも絶対ありません。悪い想いを持っているから、悪い言葉が出てくるのです。例え褒め言葉を語ったとしても、腹の底に悪意を持っていれば、おべんちゃらに聞こえるのです。だから、褒められても嫌な気分になるのです。

 この世では、思いの伴わない行為があります。反射運動がそうです。思わなくても体が勝手に動く現象です。何度も何度も身体に覚えさすことによって生まれる条件反射的行為ですが、それは肉体細胞自体に意識があるためで、アスリートはこの条件反射をうまく運動に利用しているわけです。しかしこれも、身体に何度も覚えさす段階で思いが関わっているわけですから、やはり思いがしているのです。

 このように、すべて思いが先立っての話なのです。

 

※ 身口意

身口意という言葉があます。この身口意の「身」とは行為のこと、「口とは言葉のこと、「意」とは想いのことです。「身」も「言葉」も五感で捉えられます。でも、「意」は五感で捉えられません。だから、どうしても「意」を軽視してしまうのです。でも、この三つのうちで一番大切なのは、「意」です。なぜなら、身を動かすのも、言葉を話すのも、想いがやっているからです。原因(想い)あっての結果(言葉や行為)です。「想」いは原因次元なのです。「言葉や行為」は結果次元なのです。結果は原因なしに生まれないのです。でも、人間は「意」を軽視し、平気で悪い想いを持っています。それは想念の恐ろしさを知らないからです。私が「想念が全てですよ!」と口うるさく言うのは、「意」だけが真実だからです。言葉も行為も現象で、真実では無いのです。何が最も大切か、この際もう一度考えてみてください。

 

 

 

2016年

10月

16日

● 単純な処(モノの中)に深みが隠されている。

 この宇宙は単純に出来ています。それは、神が「簡素・完結・単純」な思考の持ち主だからです。食べ物でも、栄養価が高く一番美味しいのは、表面の皮の部分です。真理も同じで、表面の浅みに美味しい味が(謎)あるのです。科学者が複雑に考えるのは、奥深いところに宇宙の謎があると誤解しているからです。

 チルチルミチルは、幸せの青い鳥を探しに旅に出ましたが、探しても探しても見つかりませんでした。疲れ果てて家に帰ってきたチルチルミチルは、フトしたことから自分の中に幸せの青い鳥を発見します。このチルチルミチルのお話は、「真理は一番身近な処にあるのですよ!」ということを教えてくれているのです。ですから、真理を探る(思索する)場合、単純に考えることです。もし難しい真理なら、神は無能な神になってしまいます。なぜなら、難しく創るのは無能だからです。全能の神は、日時計を創るのです。無能な人間は、機械時計を作るのです。無能者は難しい作り方をし、全能者は簡単な創り方をするのです。それが、神と人間の大きな違いです。

 どうか、単純に考えてください。つまり、単純に神を「探して、求めて、叩いて」ください。その単純な作業が瞑想なのです。瞑想には、何の理論も、何の技術も、何の修行も、要りません。ただ単純に、神を想い続けることです。やれば、間違いなく扉は開かれます。難しいことがあるとすれば、続けることだけでしょう。

 

※ この宇宙は私の海です。「私! 私! 私!」だけ居る大海原です。その大海原に生み出された無数の波頭は、個性化された私です。個性化された私だから、自分を見失ってしまうのです。でも、どんなに個性化されても、私に違いはないのです。

 

 

 

2016年

10月

09日

● 自分のための人生である

 この宇宙は一つです。一つは全体であり、全体は一つなのです。その一つが自分なのです。だから、誰のための人生でもありません、すべて自分のための人生です。ですから、他人の成長を考える必要はありません。自分が成長したらそれで良いのです。自分が成長したら他人も成長するからです。

 今起きている出来事は、すべて自分の成長のために起きているのです。ゆえに、苦しいからといって人のせいにしてはならないのです。すべて自分が連れてきたのです。それは、自分が成長したいからです。

 自分のことは、自分が良く知っているのです。自分にどんな欠点があり、どんな課題を克服しなければならないかは、自分が良く知っているのです。だから自分の成長に必要な、人を、物を、環境を、自分が用意して連れてきたのです。

 この宇宙は、自分が成長するために自分が用意した学びの舞台です。

 自分が用意した舞台ですから、その舞台に登場する、人も、物も、環境も、全部自分が用意したのです。

 人のための人生ではなく、すべて自分のための人生であることを知ってください。

 

※ 私たちは間違いなく日々成長しております。さあ、眠る前にこう思ってください。

「私は今日も成長した! 私は今日も成長した! 私は今日も成長した! 」と・・・。

翌朝起きたら、こう思ってください。

「私は今日も成長する! 私は今日も成長する! 私は今日も成長する! 」と・・・。

思ったことは必ず実現します。それは、時間の中に居るからです。時間の中に居る限り、私たちは間違いなく成長するのです。 

 

 

 

2016年

10月

02日

● 孤独ではない!

 「真理をやり始めたら孤独になった!」という学びの友がおります。

 確かに、自分の理解力の中においては孤独に感じます。なぜなら、解って貰える人がいないからです。でも、それは仕方のないことなのです。また、それで良いのです。

 理解力だけは共有できないのです。自分の理解力は自分だけのものです。人と付合せすることができないのが、理解力なのです。だから、誰も自分の理解した世界に入れることはできないのです。それは当然です。自分しかいないからです。

 自分しかいない処に孤独は無いのです。いやむしろ、安心なのです。心が穏やかなのです。満ち足りております。それは、何もかにもが自分だからです。すべてが自分だからです。

 

※ 私はこれだけのことを知ったから偉いと思っている人は、何も知らない人です。この宇宙には、知るべきことが無限にあるのです。覚者が偉ぶることがないのは、宇宙の深さを知ったからです。「知っても、知っても、知り尽くせないことがある!」と解った覚者は、謙虚にならざるを得ないのです。皆さんも、どうか謙虚になってください。

 

 

 

2016年

9月

25日

● 余計なことを考えないようにしよう!

 余計なことを考えないようにしよう! という意味は、余計な情報を発信しないようにしよう!、という意味です。この宇宙は、考えたこと(想ったこと)が実現する仕組みになっています。皆さんも体験あると思いますが、余計なことを考えれば、余計な情報を発信するようになります。余計な情報を発信すれば、余計な情報を受け取るようになりますから、ますます余計なことを考えるようになります。こうなると、平安な心は維持できません。私達は、情報を多く受け取れば受け取るほど雑念が膨らむようになっているのです。

 余計なことを考えなかったら、余計な情報を発信しませんから、余計な情報が入ってこなくなります。つまり、余計な原因を作らなければ、余計な結果はやってこないということです。

 世の人々は、余計な情報を発信します。余計な情報を発信すれば、余計な原因を作るわけですから、それに見合った余計な結果がやって来ます。良い情報を発信するのでしたら良いでしょうが、殆どが悪い情報ばかりです。だから悪い結果がやってきて、自分が苦しめられるのです。家族間の諍い・企業間の諍い・国家間の諍いなど、この世のすべての諍いは、余計なことを考えるから起きるのです。できるだけ余計なことを考えないようにすることです。そうすれば、余計な情報を受け取らなくなりますから、心穏やかになるのです。

 みなさんは、何が欲しいのですか? 平安が欲しいのではありませんか? 心穏やかでありたいのではありませんか? 心穏やかでありたいなら、外側の情報をシャットアウトすることです。そして、内側に意識を持ってゆくことです。つまり、神を想うことです。

 

※ 意識の不思議な習性

 意識は実に不思議な習性を持っています。どんな習性かといいますと、動いたモノに向かうという習性です。例えば、何かが動いたら意識は動いたものに移動するのです。この宇宙がなぜ創造されたかといいますと、神の想念が動いたからです。神の想念が動いた時点で、意識がその動いたものに向かって移動したのです。意識はエネルギー(素材)そのものですから、動いた想念にエネルギーが移動して、想念通りのモノを創造したわけです。

 この意識の習性(原理)を利用したのが瞑想です。瞑想は想念を動かして行います。例えば「吾神なり!」と想念すれば、その想念に向かってエネルギーが移動し、想ったモノ(神)を創造するわけです。神は創られませんが、エネルギーが原子核(生命核・魂)を増やすのです。前述したように意識はエネルギー(素材)そのものですから、そのエネルギーが想念したモノを創るわけです。 

 

 

 

2016年

9月

18日

● 真心を持ってやる

 何事も真心を持ってやれば、必ず相手に伝わります。あなたの心は、全ての人の心とつながっているのです。形を見れば別々ですが、本源においては一つなのです。ですから、真心を持ってやれば、必ず相手に伝わるのです。

 この宇宙には、一つの寛大な心しか無いのです。一つの寛大な魂しか無いのです。つまり、一つの意識しか無いのです。あなたの心は、宇宙の心と一つなのです。ですから思ったことは、一瞬にして宇宙に伝わるのです。

 いくらやってあげても相手に伝わらないという人は、真心を尽くしてやっていないからです。「いいえ私は、真心を尽くしてやっています!」と、言うかも知れません。でも、どんなに形上一生懸命やっても、少しでも不純な思いがあれば、相手に伝わらないのです。これは真理も同じなのです。

 不純な動機で、しかも生半可な気持ちで真理を求めても、神に通じないのです。私の恩師である知花先生は、「心を尽くし、魂を尽くし、精神を尽くし、神を求めなさい!」とおっしゃっておられましたが、神は純なお方ですから、真心を持って真理を求めなくては神に伝わらないのです。

どうか、真心を持って事に当たってください。必ず、相手に、神に、伝わります。

 

※ これだけは言っておきます!「真剣に真理を求めている人の前に、神は絶対石や岩は置かない!」と言うことを・・・。

 

 

 

2016年

9月

11日

● 失敗は無い!

 あなたは、真理を学んでいるのに何も成長していないと思っているかもしれませんが、あなたは間違いなく成長しているのです。なぜなら、今あなたがここに来て、この真理を学んでいること自体、成長している証だからです。

 永い転生において、あなたはこの真理に出会うまで、どれほど苦難の人生を歩んできたと思いますか? それはそれは、大変な苦難の人生を歩んできたのですよ。そして、ついにこの真理に出会えたのです。そして、今その真理を自分のものにしようとしているのです。もし今学んでいる真理がマガイモノなら、あなたの過去の人生は失敗の人生になるのです。失敗の人生にしたくなかったら、今の真理を学び続けてください。

あなたは、ここまで導いてくれたあなたの守護霊を信じないのですか? この真理を選んだあなたの眼力を信じないのですか? 自分の守護霊を信じないで、自分の眼力を信じないで、何を信じるというのですか? どうしても信じられないなら、次の数式だけは信じてください。

 

 ・・・という数式です。

 

 この数式は、神に失敗はないという数式です。

 神が創られた宇宙に失敗は無いのです。この数式は、あなたに失敗が無いことを保証してくれている数式なのです。たとえ失敗のように見えても、それは成功のための失敗ですから成功なのです。

さあ、自分を導いてくれた守護霊を信じ、そして、この真理を選んだ自分の眼力を信じ、自覚の境界線を超えてください。

 

※ 真理を求めることの難しさ!

 私は新しく来た学びの友に良くこう言います。「勉強会に来なくてもいいから、原子核を増やす三つの方法を実践してください!」と・・・。勉強会に来て私の話を聴いている時は、波動が高いのでやる気になりますが、波動が落ちると、どうしてもやる気を削がれてしまうものです。何せ、外にも内にも真理を阻むサタンがいるのですからね・・・。

 私たちの中には、二人の自分がいるのです。一人は自我の自分、つまりサタンの自分です。もう一人は真我の自分、つまり神なる自分です。本当は真我の自分しかいないのですが、周りの悪的波動にやられるとサタンが頭をもたげ邪魔をしてくるのです。それも、光が強くなればなるほど闇も強くなるため、よりサタンが活発化するのです。知花先生は、良くこうおっしゃっておられました。「サタンにやられなかったら、悟るのは案外と簡単なのですよ!」と・・・。それほど、サタンは大敵なのです。何せ、自我の思いを真我の思いにさせられてしまうのですから・・・。それも気づかない巧妙な思いにして・・・。それほど真理を得ることは難しいのです。

 もし簡単に真理が得られるなら、とっくに地球は理想の世になっていたでしょう。簡単に得られないから、今もって喘ぎ苦しんでいる人達が絶えないのです。でも、いつまでもそんな地球にしておいてはなりません。一日も早く、サタンに脅えることのない地球にしたいものです。

 

 

 

2016年

9月

04日

● 進化の決め手は幸福度である

 この宇宙には、様々な進化の度合いを持った星が存在しますが、その星がどれだけ進化した星か判定する基準はあるのでしょうか? あります。それは、その星に住む人たちがどれだけ高い理解力を持っているかが判定基準です。では、その理解力の高低は、どのようにして判定するのでしょうか。その判定基準は、幸福度です。低い理解力によって創られた世界の幸福度は低く、高い理解力によって創られた世界の幸福度は高いのです。でも、その幸福度は通常比べることはできません。それは当人だけが知る幸福の高さだからです。でも、現象の世界においてその幸福度は、平和という形では見ることはできるのです。心の幸福度は、必ず形として現れるようになっているからです。幸福度の高い星は、平和なのです。幸福度の低い星は、争い事が多いのです。地球惑星に戦争が絶えないのは、地球人類の幸福度が低いからです。つまり、理解力が低いからです。

 私たちはこれまで、何万転生も輪廻を繰り返してきましたが、その輪廻においてどれほど成長したか知る決め手は、やはり理解力の高さなのです。多く輪廻を繰り返した人の理解力は高く、少ない輪廻を繰り返した人の理解力は低いのです。当然、理解力の高い人の幸福度は高く、理解力の低い人の幸福度は低いでしょう。このように進化の決め手は、理解力であり幸福度なのです。

 もし、あなたが自分の進化度を知りたかったら、幸福度の高低で推測してください。それは、あなただけが知る幸福度です。誰とも比べることはできません。でも、それで良いのです。

 このように幸福の平等性はどこまでも貫かれており、これが主観宇宙の素晴らしいところであり、神の愛の素晴らしいところなのです。幼い魂も、熟した魂も、神の目から見たら同じなのです。でも宇宙は、たしかに進化してゆくのです。それは意識に飽きがあるからです。飽きる意識を持っている宇宙は、進化し続けるしか無いのです。幸福を得て得ても飽きがくる意識は、その上の幸福を求めてゆかなくては満足できないからです。この満足できない幸福の欲求が、私たちの魂を進化させてゆくのです。

 

※ 神とは幸せのこと・・生命とは幸せのこと・・

 チルチルミチルは、幸せの青い鳥を探しに旅に出かけました。でも、いくら探しても幸せの青い鳥は見つかりませんでした。がっかりして家に帰ってきたチルチルミチルは、ふとしたことから幸せの青い鳥を自分の中に見付けます。つまりチルチルミチルは、幸せは外の世界にあるのではなく、自分の心の中にあったことを知ったのです。

 幸せは、心の平安がもたらすのです。その心の平安は、自分が「神であり生命である!」、と心の底で思えた時に訪れるのです。人間を自分だと思っている限り、真の平安はやってきません。自分が永遠に傷つかない、永遠に死なない、永遠に無くならない、神である、生命である、と思えた時に、不動の平安が得られるのです。

 神とは、幸せのことだったのです。生命とは、幸せのことだったのです。本当の自分とは、幸せのことだったのです。「人生の目的は、本当の自分を知ることである!」という意味は、「人生の目的は、真の幸せの中に入ることである!」という意味だったのです。

 

 

 

2016年

8月

28日

● 心から悔改めたら全ての罪は許される。

 今までどんな凶悪な罪を犯していた者であっても、心から悔い改めたら(良心に生きるようになったら)、全ての罪は許されるのです。”私はもう悪いことを一切やらない! 私は今から良心に生きる!”、と堅く誓った瞬間、今までの自分ではなくなるのです。なぜなら、人間の自分から神の自分に戻ったからです。良心は神の心です。實在する心です。その心に生きるようになった瞬間、自我の自分は存在しなくなるのです。今まで悪いことをしていたのは、実在しない自我(サタン)の自分だったのです。実在しない自我(サタン)の自分に罪があるわけありませから、決して肉体を罰してはならないのです。ということは、この宇宙に罰するモノなど一つも無いということです。

 真我人間とは、良心に生きるようになった人間のことです。良心には一点の汚れも無いのです。よく心が汚れているといいますが、汚れた心など一つもありません。ただ心の周りに、ゴミが付着しているだけです。ですから改心しゴミを落とせば、そく真心に戻るのです。ゴミとは、迷いのことなのです。迷いは実在するものではありませんから、迷いを取ればそく真我の自分に戻れるのです。迷いを取る作業が、反省・懺悔なのです。

 私が死刑に反対するのは、改心したその瞬間に罪人はいなくなるからです。いない罪人を殺すなど大きな罪です。迷いが罪人を作っているのです。憎むべき相手は、罪人ではなく迷いなのです。ですから、「迷いを憎んで人を憎まず」です。どうか迷いを取っ払ってください。それは、真理を知ることによって取っ払えるのです。「無知こそ最大の罪である!」と覚者がいうのは、真理を知らなければ、どうしても迷って罪を犯してしまうからです。どうか、罪人のいないことを知ってください。

 

※ 昨日まで体の調子が良かったのに、今日急に調子が悪くなったという人は、間違いなくネガティブな波動にやられています。つまり、サタンにやられているのです。その時は、真理を求める気持ちも弱くなっているはずです。ぜひ、そのことに気付いてください。気付いたら、「サタンよ見破ったぞ! サタンよ退け! サタンよ出てゆけ! 出てゆけ! 出てゆけ! 」と、何度も心の中で叫んでください。もし、どこかに痛みがあったら、「想わない! 想わない! 想わない!」と思ってください。「想わない! 」と思うだけで結構です。きっと痛みが和らぐでしょう。体の調子が良くなったら、瞑想してください。

 

 

 

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