私の生まれが分からない? どうして生まれたのか? いつ生まれたのか? どこから生まれたのか? どのようにして生まれたのか? 全く分からない。だから、私の素性が分からない。素性が分からないから、私を知る手がかりが全く無いのである。正に分からないずくめの私である。
その私は、いつか消えてしまうのだろうか? いつか無くなってしまうのだろうか? いや、そんなはずがない。なぜなら、私は見えないからだ。見えないものが、無くなるはずがない。では、私って一体 何モノなのだろうか? 私が私を知らないで生きている、何と不思議な私である。
不思議と言えば、なぜ私が分かるのだろうか? それは、私を認識できる意識があるからではないのか? 私の意識がなかったら、私を認識できるはずがない。と言うことは、私は意識ではないのか? そうだ、やっと解った! 私は意識なのだ! でも、意識って何なのか? 意識って・・意識って・・意識って・・意識って何なのか? 解らない? では、その意識はどこから来たのだろうか? どこから生まれたのだろうか? 「私・私・私・・・」といくら追いかけても、私の意識の源が、出処が、分からないのである。私に意識がなかったら、こんなに悩むこともないのに・・・。でもこれは悩みなの・・・? いや、私に悩みなどない。むしろ嬉しいのだ。楽しいのだ。なぜなら、私の意識が未知だからである。未知な意識なればこそ、追求のしがいがあると言うものである。未知とは、嬉しいことなのである。未知とは楽しいことなのである。未知とは希望である。知ったら絶望である。
とは言っても、やはり私は私の意識を知りたい! 未知なるものを知りたいのは、本能のようなものだからである。でも、どんなに知りたいと思っても、永久に知ることができないのだ。知ったら絶望だからである。でも、それで良いのである。なぜなら、「意識は永久に知ることができない!」と解ったことが、意識を知ったことになるのだから・・・。
では、永久に知ることのできない私の意識に名前を付けよう。どんな名前?・・・それは、神と言う名がふさわしいのではないだろうか? 神は永遠に知ることのできない存在だからである。
2018.01.07
※ 私の意識を知る手がかりが、一つだけあります。それは自分の意識を意識することで、自分が光ってくることです。意識とは、光なのです。私とは、光なのです。しかし、その光がどこから生まれたのか? その光が何なのか? は依然として解らないままなのです。でも、永遠に解らないままで良いのです。なぜなら、解れば宇宙は有限になってしまうからです。それでは宇宙の死です。
無限の宇宙を永遠に知ることが出来ないと解ったら、宇宙を知ったことになるのです。
今、地球上には70億人を越す人類が存在しますが、その全員が神なのです。なぜなら、神にしか無い思いを人類は持っているからです。思える人類は、間違いなく神なのです。でも、今はまだ魂の量が少ないので、「神の子」の段階です。でも「神の子」は、いずれ成長し神になるのです。
その「神の子」が、幻をホンモノに見せかけるトリックに引っかかり、今、真剣に泣き笑いしながら生きています。神はどうして「神の子」たちを、このようなトリックの中に放り込んだのでしょうか? それは、ホンモノに見せかけるトリックの中に放り込まなければ、真剣に生きようとしないからです。
どうでしょう! 夢と知りながら、夢の中で真剣に生きられますか? 幻の世界だと知りながら、幻の世界の中で真剣に生きられますか? いい加減な生き方しかできないはずです。それでは成長できません。進化成長するためには、真剣に生きられる環境がどうしても必要なのです。その環境が、幻の現象界なのです。
神の子は、自我を持ち自由意志を持っている賢い魂ですから、少々のトリックでは騙されないのです。だから神は、トリックに引っかかるよう肉体を持たせ、幻の現象界の中に放り込んだのです。これは、神にとって苦肉の策なのです。今、地球上でこのトリックを見破っているのは、覚者だけです。でも騙されている一般人も、いずれトリックを見破る時がくるでしょう。その一番近くにいるのが、皆さんなのです。
2018.01.14
神とは何なのでしょうか? 神は見えません。神は触れません。姿形がないので知りようがないのです。
でも、神は確かに存在するのです。なぜなら、今 現に、宇宙が、万象万物が、私が、存在しているからです。もし神が存在しなかったら、今 私は存在していないでしょう。なぜなら、今 私が存在できているのは、何かが私を存在させているからです。何かがなくては何も存在できないのが、宇宙の道理なのです。ただ、その何かが何なのか分からないので、その分からない存在に神と名付けただけです。
そうです。神は分からないモノなのです。神とは分からないモノの代名詞なのです。神と言う名の由来は、分からないモノと言う意味から生まれたのです。分からないモノは、みな神なのです。もし皆さんに分からないモノがあったら、神と名付けてください。ただし、この分からないモノは、物質のことではありません。実際に有るモノのことです。
さて、神は分からないモノであることを知りました。では、あなたは、あなたを知っていますか? 自分を知っていますか? 私・私・私・私・・・と自分の意識を追いかけて行ってみてください。いくら追いかけても、自分の意識の出処が分からないはずです。自分の意識がどこから来たのか、どこから生まれたのか、分からないはずです。自分の意識の正体が分からない?・・・自分が分からない?・・・分からない?・・・分からない?・・・。
先程、分からないモノに神の名を付けてくださいと言いました。では、分からない自分の意識に神の名を付けましょう! 分からないのが神なのですから・・・。
私が「人間は神である」と断言するのは、分からないからです。そうです。私たちは、分からない神なのです。
2018.01.21
※ 自我にとって都合の良いことは、真我(神我)にとって都合の悪いことです。真我(神我)にとって都合の良いことは、自我にとって都合の悪いことです。でもそれは見かけであって、本当は全て都合の良いことなのです。
自分って、どれほど不可思議な存在なのだろうか? どれほど神秘的な存在なのだろうか? 何せ、自分の正体が全く分からないのである。自分の素性も、経歴も、能力も、可能性も、発展性も、何が出来るのか出来ないのかも、全く未知数なのである。
今の自分に分かっていることと言えば、
これくらいのことしか分からないのである。
それでは心配ではないのか? 心細くはないのか? と思うかも知れないが、そんな思いは一切ないのである。反対に分からないことの方が、嬉しいのだ。なぜなら、夢があるからである。
私・私・私・・・・と、どんなに探っていっても掴めない自分の意識・・・何と楽しいではないか? 何と嬉しいではないか?・・・この気持、分かって頂けるだろうか?
2018.01.28
※ 有限は苦しみです。無限は喜びです。頭打ちのない、届かない、底のない、無限の自分を探る旅は、究極の幸せである。
生きているとは?・・・形の有る無しにかかわらず、存在しているモノはすべて生きているのです。存在していること自体が、生きている証だからです。では具体的に、どのような状態を生きていると言うのでしょうか? 生きている条件は何でしょうか?
それは、
1.永遠であること・・
2.無限であること・・
3.完全であること・・
4.意識があること・・
(思えること・考えられること・・自分の存在も他の存在も認識できること)
この4つは基本条件です。
5.力(エネルギー・光・想念) を持っていること・・
6.息していること
7.脈を打っていること
この3つは副次的条件です。
この7つの条件がクリアーされていなければ、生きているとは言えません。では人間は、この条件をクリアーしているでしょうか?
人間は、意識を持っています。その意識は、永遠に無くなりません。その意識は、無限です。その意識は、完全です。人間は、想念と言う創造の力を持っています。人間は、息をしています。人間は、脈を打っています。と言うことは、人間は7つの条件を全部クリアーしていることになります。だから人間は、間違いなく生きているのです。でも、肉体のことを言っているのではありません。肉体の中で働いている意識のこと、魂のこと、生命のことを言っているのです。
肉体は無くなりますので有限です。意識も持っていません。想念も持っていません。息もしていません。脈も打っていません。ですから、肉体は生きていないのです。
冒頭に、形の有る無しにかかわらず存在しているモノは、すべて生きていると言いましたが、それは形を存在させている、意識、魂、生命が、生きている条件を満たしているからです。どんな形の中にも、形のある内は7つの条件が備わっていると言う意味です。
2018.02.04
※ この宇宙には、生きているモノだけが存在しているのです。死んでいるモノは存在できないのです。宇宙は一匹の生きモノなのです。その一匹の宇宙の中に私たちは存在しており、私たちの中に一匹の宇宙が存在しているのです。
この宇宙に生きモノは、たった一つしか存在しません。もし生きモノが二つも三つも存在するなら、宇宙は有限になってしまうからです。生きモノが一つしか存在しない理由は、宇宙が無限だからです。無限宇宙そのものが、一匹の生きモノなのです。私たちは今その無限宇宙の中に存在し、私たちの中に今その無限宇宙が存在しているのです。と言うことは、私たちは同じ一匹の生きモノ(一匹の無限宇宙)であると言うことです。
今 私たちは、間違いなく生きています。これは何モノも否定できないでしょう。何せ私たちは、今 実際に存在しているのですから・・・。今 実際に生きているのですから・・・。存在していられるのは、生きているからです。また生きているから、存在していられるのです。私が・・「私たちは宇宙そのものですよ! 神そのものですよ!」と言うのは、今 私たちは存在しているからです。今 生きているからです。今 存在しているのは、今 生きているのは、宇宙しかないのです。今 存在しているのは、今 生きているのは、神しかないのです。
ただし、真に生きていると言えるのは、想念を持つようになった以降です。つまり、自我を持つようになった以降です。自我を持たない鉱物や植物や動物は、真に生きているとは言えないのです。それは、宇宙を、神を、自分を、認識してやれるところまで進化していないからです。
生きている時とは?
生きていない時とは?
本当に有るものを意識している時は生きており、本当に無いものを意識している時は死んでいるのです。どうか、死人にならないでください。
2018.02.11
※ 人間の尊厳は、自分を認識できる、宇宙を認識できる、神っているのかな? と思える想念を持った時に生まれるのです。
“何の欲も持たず・・ひたむきに神を求め続ける!” こんな美しい姿はありません。
ひたむきに神を求め続けるとは?・・・純な心を持って神を想い続けると言う意味です。そんな純な気持ちで神を求め続けたら、神は(本当の自分は)きっとあなたを天に引き上げてくれるでしょう。
2018.02.18
※
褒めてあげた後は、更に努力しましょう!
社会体験を・・・瞑想を・・・
すべて試されているのです。特に皆さんのような成熟した魂には、高度な試しが来ます。その試しを乗り越えれば、魂は更に成熟するのです。どうか、試しをポジティブに受け取ってください。ポジティブに受け取れば、真理の確信が一段と深まります。
すべて進化成長のための試しであり、それは必然であり、良いことなのです。
2018.02.25
※ 今日まで一生懸命努力してきたから、今の自分があるのです。努力なしに何も成し遂げられないことを再認識しましょう。
※ 今、実際に痛み苦しんでいる人、サタンにやられている人は、ぜひ私の勉強会の動画を見てください。痛み苦しみが半減し、サタンからも逃れられます。試してみてください。
あなたは子供の生活態度が悪いと怒りますが、あなたの生活態度はどうでしょうか? 子供に尊敬されるような生活態度をしていますか? 自分の態度が悪くて、どうして子供を怒ることができましょうか? "いや私は良い親です!" と、あなたは言うかも知れません。では、あなたの心の中はどうでしょうか? 良い思いを持っていますか? どんなに表面上で繕っても、繕えるものではないのです。思ったことは、必ず顔や態度に表れるからです。
子供は、常に親の姿を追いかけているのです。私の子供の頃を思い出してもそうでした。それは、尊敬できる親の姿を見たかったからです。家の恥を晒すようですが、私の父と母は、毎日のように夫婦喧嘩していました。それを見ていた私の小さな心は、どれほど傷んだでしょうか?
子供が悪いのは、親のせいだと思ってください。子供は親の背中を見て育ってゆくのです。どうか、子供の手本となるような親になってください。
2018.03.04
※ 子供に文句を言っても反発をかうだけです。それよりも、何も言わず、子供の手本になることを黙々とやることです。それも真心を込めて・・・。そうすれば子供は、きっと親を見習ってくれるでしょう。
(2015年12月20日大阪勉強会の動画より)
自分の意識を感じている自分がいます。その自分って、一体 何んでしょうか? それは、本当の自分ではありませんか? つまり、神の自分ではありませんか? その自分が無かったら、自分を意識できないのです。と言うことは、自分は存在できないと言うことです。
自分の意識が、自分の意識を存在させているのです。つまり、自我の意識が、神我(真我)の意識を存在させているのです。それは、同じ一つの意識だからです。神我(真我)意識があるから自我意識があり、自我意識があるから神我意識があるのです。今、私たちは、一つしか無い意識を二つの意識に別けているのです。それは、肉体を自分だと思っているからです。
繰り返します。
自我意識もあって、神我(真我)意識も有るわけではないのです。有るのは、神我意識のみです。この神我意識だけは、絶対無くならない意識なのです。自分の意識を消せないのは、自分の意識が永遠に実在する神我(真我)意識だからです。どうか、自分と思える自分の意識の不可思議さを探ってください。
2018.03.11
※ この宇宙で確かなのは、自分しかいないと言う事実です。だから、自分でやるしか無いのです。他人(私)を当てにしてならないのは、他人(私)はいないからです。他人は、外側の世界の無いモノです。自分は、内側の世界の有るモノです。他人は実在しないのです。自分は実在するのです。外側の電車を待っていても来ないのは、外側の電車は実在しないからです。来ない電車を待つことほど、苦しいことはありません。どうか来ない電車を当てにせず、自分の足で歩いてください。
どうして相手がいるのですか?・・・それは自分がいるからではありませんか? 認識者である自分がいるから、認識される相手がいるのではありませんか? 認める自分がいなかったら、認められる相手はいないのですよ! この話を、宇宙に置き換えて考えてみましょう。
どうして宇宙があるのですか? それは自分がいるからではありませんか? 認識者である自分がいるから、認識される宇宙があるのではありませんか? 認める自分がいなかったら、認められる宇宙はないのですよ! と言うことは、相手は、宇宙は、自分が創っていると言うことです。こんな分かり切ったことを、人間は気付いていないのです。だから相手を憎んだり恨んだりして、戦争までするのです。憎んだり恨んだりしている相手は、自分が創った相手なのです。と言うよりも、相手は自分自身なのです。なぜなら、認めている自分が、認められている相手の中にいるからです。それは、認めている自分が、認められている相手を創っている素材だからです。なぜ素材かと言いますと、認識している意識そのものがモノの素材だからです。意識=モノの素材なのです。認めている自分の意識(素材)が、認められる相手になっているのです。だから、相手の中に自分がいることになるのです。つまり、自分が相手を創っていることになり、相手は自分になるのです。
“いや、自分がいなくても他に認識者がいるのだから、相手はいるはずだ!” とあなたは反論するかも知れません。でも、自分がいなかったら、そのことをどうして知ることができるのですか? どこまでも主観的見方しかできないのです。なぜなら、この宇宙には自分しかいないからです。
2018.03.18
※ ある学びの友から、次のようなメールをいただきました。
「理解力って、波動なんですね!!3月11日の動画の52分30秒あたりなんですが・・・私に向って、『わかるよね!?』と、かとうさんが言っているところがあるのですが・・・この時私は、すごくわかったと思っていたのです。でも、今、動画を見てもその時のわかった!という感覚がありません。それ以外にも、いくつも、あれ?ここのところ、直にかとうさんから聞いていた時は、すごくわかって感動していたのに、今は何だかわからない・・・と感じる所があるんです・・・。理解力って、本当に波動なんですね!! 波動が落ちると、わからなくなりますね・・・・」と・・・
宇宙は、すべて波動で創られています。その波動は、エネルギーでもあり知恵でもあるのです。だから波動が高くなりエネルギーが高くなれば、分からないことが解るようになるのです。
この学びの友は、一歩成長しましたね。嬉しいことです。
世の人々は、“あの時こうしておけば良かった! ああしておけば良かった!” と悔やみ事を言いますが、同時に二つの人生を歩むことなどできないのですから、悔やみ事は言わないことです。“人生は試すことができない! 一回限りである!” と言われるのは、今の人生を歩みながら別な人生を歩むことができないからです。私たちは、一つの人生しか歩めないのです。その意味では、確かに一回限りの人生です。仮に歩めたとしても、同じ人生ではないのです。なぜなら、時々刻々と条件が変わっているからです。今の人生の条件は、現下における条件です。時が移れば時代背景も変わり、登場人物も変わり、社会情勢も変わります。そんな条件の違う下で同じ人生が歩めるはずがありません。
よくこんな事を言う政治家がいます。“私の言った事の正しさは、時代が証明してくれるだろう!” と・・・とんでもありません。そんな事、あるはずがありません。なぜなら、時々刻々と移り変わる無常の世界で、同じ条件が整うはずがないからです。
やったことが正しかったか正しくなかったかは、やってはじめて分かるのです。やらなかったら分かるはずがないのです。なぜなら、原因を作らなかったら結果が生まれるわけがないからです。同時に二つのことはやれない(原因を作れない)のですから、どちらが正しかったか正しくなかったか比べることなどできないのです。だから、”あの時ああしておければ良かった!”などと悔み事を言ってはならないのです。
二つの人生が歩めないのは、一つの時間の中で二つの人生は試せないからです。試せるのは、今の一つの時間の中の人生だけです。それ以外の人生はありません。あの時ああしておけば良かったと思うのは、単なる望みです。望みは人生ではありません。歩んで初めて人生になるのです。今あなたが歩んでいる人生は、一つしかない人生です。その人生は、誰が作ったのでもありません。あなたの想いが作ったのです。例え今の人生が不幸そうに見えていても、最善の人生だったのです。なぜなら、あなたがその時の原子核の量において良いと思ってやったことだからです。それは必然であり良いことだったのです。その証に、今こうして真理を学んでいるではありませんか。もし他の人生を歩んでいたら、今、真理を学んでいなかったかも知れないのです。いやそれどころか、悲惨な人生を歩んでいたかも知れないのです。
二つの人生は歩めないのですから、今の人生が最善だと思って一生懸命生きることです。どうか、自分を信じてください。その時の自分の思いでやったことが最善だったと信じてください。
2018.03.25
※ やった事は結果として証明できますが、やっていない事は結果が生まれないので証明できないのです。つまり起きたことの証明はできるけれど、起きなかったことの証明はできないのです。
※ 瞑想は、今の条件下(理解力の下)で行われています。でも、今の条件(理解力)は刻々と進化しているわけですから、常に進化した条件の下で瞑想が行われているのです。だから私は、雪だるま式に原子核が増え進化すると言うのです。
この物質の世界は波動が粗いので、常時 心を安定させておくのは容易ではありません。真理を学んでいる人でも、苦労しているはずです。そんな人のために、心を安定させる一つの方法を教えましょう。
まず、B4の大きさの紙に、「神」と言う白抜きの字を大きめにコピーします。その白抜きの字の中に「ありがとう!」と心を込めて書いてください。多く書けば書くほど波動が上がります。七色を使い芸術的に書けたら最高です。学びの友が書いた作品が、「光の画集」で紹介されていますので参考にしてください。
書いていると心が落ち着きます。サタンにやられづらくなります。知人や肉親の中に心の病で苦しんでいる人がいたら、ぜひ教えてあげてください。良い変化が起きると思います。
白抜きの字は、あなたの好きな字を使ってください。お勧めの字は、「光」「愛」「命」「心」などです。
私たちの肉体は、重く扱いづらく実に不自由です。だから人類は、少しでも自由性を高めようと車や飛行機を発明してきたわけです。でもそんな乗り物を発明するより、自分が意識体であると気付けばそく自由になれるのです。神はそのことを気付かせるために、今日まで人類に三身(位)一体の進化の体験をさせてきたのです。
大昔の人類は、幼かったため石炭すら扱えませんでした。でも、進化するにしたがい石炭を扱うことを覚え、石油を扱うことを覚え、ついにはガスまで扱えるようになったのです。これがエネルギーの進化です。
石炭は個体で、石油は液体で、ガスは気体です。でも石炭の中に、油とガスが同居し三身(位)一体になっているのです。私たちの肉体も同じように、肉体の中に幽体と意識体が同居し三身(位)一体になっているのです。幼い内は肉体を自分だと思っていますので、肉体の生き方しかできません。地球人類の殆どは、今そのように生きています。でも進化成長するに従い、幽体に生きるようになり、意識体に生きるようになるのです。
学びの友は、最終段階に入っている魂です。さあ、瞑想し意識をカゴ(肉体)から開放しましよう。瞑想して自分の本性が自覚できたら、意識(魂)は肉体から離脱して自由になるのですから・・・。
2018.04.01
※ 幸せの基盤になっているのは自由性です。それゆえに私たちは、身体を縛られても、思想を縛られても、苦しいのです。人類が「自由!自由!」と声高に自由を求めるのは、自分の本性が自由な意識(魂・心・想念)であることを本能的に知っているからです。自由性イコール幸せです。どうか、原子核を増やし自由性を高めてください。
※ 一を知ったら個人間の対立も、人種間の対立も、国家間の対立も、宗教間の対立も、無くなります。一を知れば自由を知るからです。一は無限なのです。一つの中には、無限の中には、何の障壁もないのです。それは、区切られていないからです。不自由なのは、区切られているからです。区切られた世界は、不自由なのです。
世の人々は、「迷惑」を悪と考えています。でも本当に、「迷惑」は悪でしょうか? 迷惑と言う意味は、「迷わせ惑わせる」と言う意味ですから、字の意味だけ考えたらたしかに悪いことかも知れません。でも迷惑をかけられた人は、迷惑から色々と学び成長するのですから悪いことではないのです。だから、人に迷惑をかけて良いと言っているわけではありません。迷惑を自分の成長につなげて欲しいと言っているのです。
あなたは自分を成長させたくて、迷惑をかける人を連れてきたのです。ならば、迷惑をかけてくれた人は恩人ではありませんか? 実際にあなたは、これまで迷惑をかけられたことで成長してきたではありませんか? これは、主観宇宙の仕組みを知った人なら分かって頂けると思います。
どうか、迷惑を良く受け取ってください。迷惑は、自分を成長させてくれるのですから・・・。
2018.04.08
※ 嫌なことをしてくれた人を嫌っているうちは、未熟です。嫌なことをしてくれた人に感謝できるようになったら、成熟です。実際に、嫌なことを乗り越えたら原子核が増えるのですから、嫌なことをしてくれた人は恩人です。
※ 嫌なことをされたのは、あなたが嫌なことをしていたからです。あなたが嫌なエネルギーを出していたから、嫌なエネルギーが入ってきたのです。そのことに気付いたら成長です。迷惑が迷惑でないのは成長できるからです。
※ エネルギーは、出した分入るようになっているのです。出しもしないで余計なエネルギーを貰おうとするのは欲です。欲のエネルギーは、いつか必ず返さなければならなくなります。痛みや苦しみで・・・。
皆さん! この世で起きているどんなことも、すべて自分の魂の成長のために起きていると思ってください。それは、自分しかいないからです。自分しかいないのに、誰かのために何かが起きますか? もし起きるなら無意味なことが起きていることになり、宇宙を創造した神が無能になってしまいます。神が創られた完全な宇宙で、そんな無意味なことが起こるはずがありません。では、どうして自分のために起きるのでしょうか? それは、自分が計画して自分が起こしているからです。
いつも言うことですが、どうして相手がいるのですか? 自分がいるからではありませんか? 自分がいなかったら相手はいないのですよ! 相手がいないどころか、 何も無いし、何も起きないのですよ!
今日までのあなたの人生において、自分抜きの人生ドラマが一つだってありましたか? 自分の人生ドラマの中には、必ず自分が入っていたはずです。それは、自分が自分の人生ドラマの主役だからです。もし主役の自分が抜けたら(いなくなったら)、途端に脇役も舞台もすべて消えてしまうのです。
今あなたは前方を見ています。前方が見えるのは、あなたの目がカメラとなり自分の前を写しているからです。ですから今日までカメラアングルの外れた日は、一日もありません。あなたは今日まで、一度だってカメラを回さない日はなかったのです。
あなたは主役であると同時に、ドラマの原作者であり、演出者であり、監督であり、撮影技師であり、時代考証係であり、小道具係であり、照明係であり、衣装係であり、メイキャップ係だったのです。自分がドラマの筋書きを考え、自分がドラマの舞台を設営し、自分がその舞台の上で演技してきたのです。それは、すべて自分の魂の成長のためです。自分が計画して自分がやることですから、何一つ間違いはありません。だから私は、この世で起きているどんな出来事も、自分の魂の成長のために起きていると言うのです。
人生の目的は、あくまでも自分の魂を大きくすることです。神の自分の目的は、それしかないのです。
2018.04.15
祟りなどありません。祟りと言うのは、死んで迷っている人たちが、この世で生きている人たちの悪想念に乗じて憑く現象のことです。
私は、妻と娘の骨を砕いて山や川に散骨しました。妻の親がいましたし私の母親も生きておりましたから、手前上墓も作りましたし仏壇も買いました。でも、親たちが死んだ時点で墓も仏壇も取り壊しました。その後、一度もお参りしていません。それで祟られましたでしょうか? いいえ、祟られたことなど一度もありません。それは、悪想念を持たないからです。また、死んだ人と関わりを持たないからです。人生を良くするも悪くするも想念次第なのです。神事や仏事の問題ではないのです。
よく死んだ人を懐かしがり、仏壇の前でブツブツお話ししたりお経を上げたりする人がおります。また、仏壇やお墓に大金をかけたり、月参りとか、何回忌の法要とか、お盆などの法要にお金をかけたりする人がおります。世の人々はこれを美徳と考えているようですが、そんな事をすればするほど迷っている死人はこの世から離れません。それは、この世に執着を持たせるからです。
死人は悟っているわけではないのです。殆どが、真理を知らない迷った人たちです。そんな死人たちは、生きていた時のことが懐かしくて、なかなかこの世から離れようとしないのです。だから、法要などの祭り事をすれば彼らは喜ぶのです。それは良いことのように思いますが、逆なのです。死んだ人は、向こうでやるべきことが沢山あるのです。いつまでも地上に縛り付けておいては、征くところにも往けません。これは魂にとって大損です。
“祖先の霊が守ってくれるからお墓や仏壇を大切にしなさい!”とお坊さんや霊能者が言いますが、とんでもありません。もし本当に祖先の霊が守ってくれるなら、どうして仏壇のロウソクの火で火事になるのですか? お墓参りの行き帰りに交通事故に遭うのですか? おかしいではありませんか? 例えば100歩譲って、祖先の霊が子孫を守ってくれたとしましょう。でも、それで子孫は成長しますか? 子孫の苦しみを安易に取れば、成長の妨げになるのですよ。それは子孫にとって良いことですか? 悪いことですか?
神事や仏事などの祭事は放おっておいて、自分の魂(原子核・生命核)を大きくすることに時間を使いましょう。真理を知った賢い人ならそうすると思います。
2018.04.22
※ 仏教では、人が死んだら”仏様になりましたよ!”と言いますが、仏と神とは同じですから、”神様になりましたよ!”と言っても良いはずですね。と言うことは、ことわざの「触らぬ神に祟りなし!」の本当の意味は、仏と関わらなければ災いを受けることはない、つまり、死んだ人と関わらなければ災いを受けることはない、と言う意味になるのです。
迷った死人はこの世に執着を持っていますので、関わるとこれ幸いとばかりに人に憑いて悪さをするのです。神社仏閣にお参りに行った人や、カルト宗教に入った人が精神的におかしくなるのは、迷った死人と関わりを持ったからです。どうか、死んだ人と関わりを持たないでください。と言うより、忘れてください。忘れた方が、彼らのためになるのですから・・・。
※ よく、「ついているとか、 ついていないとか」、「運が良かったとか 、悪かったとか」言いますが、「つきって・運って」何でしょうか? つきとか運とか言うのは、光が強いか弱いかのことなのです。光が強ければ人生は良い方へ傾き、光が弱ければ悪い方へ傾くのです。その光の強弱は、すべて想念がしているのです。想念が明るければ光が強くなるのでつきや運が良くなり、想念が暗ければ光が弱くなるのでつきや運が悪くなるのです。
※ よく、リズムが良いとか悪いとか、流れが良いとか悪いとか言いいますが、これはエネルギーの流れが良いか悪いかのことなのです。悩みや心配や恐れなどのネガティブな想念を持つと、エネルギーの流れが悪くなるためギクシャクした人生になるのです。人生を良くしたかったら、エネルギーの流れを良くしてください。それは、常に明るい想念を持つことです。
この世で起きているどんな事も、すべて自分の進化成長のために起きている必然です。このことが腹の底で解ったら何の心配もなくなります。また、起きたどんな事にも感謝できます。そのためには、下記の宇宙数式を深く理解しなくてはなりません。
この数式は、この宇宙には自分しか存在せず、しかもその自分は、永遠に存在し続けると言う数式です。この数式が腹の底で理解できたら、「どんな事も、すべて自分の進化成長のために起きている!」と思えるようになります。もう、人の責任にすることはなくなります。また、人を憎んだり恨んだりすることもなくなります。
今日、何か特別なことが起きたら、なぜそのようなことが起きたのか、よく考えてみてください。理由が分かったら自分が成長できます。例え理由が分からなくても、必ず意味があるはずです。 完全な神が、意味のない体験をさせるはずがないからです。
苦しい! 痛い! 恐怖! の反対の体験は何でしょうか? 楽しい! 気持ち良い! 安心! の反対の体験は何でしょうか? 私たちは、相対的体験を通して成長して行くのです。 どうか神を信じてください。神は、何一つ無駄な体験をさせないのですから・・・。
2018.04.29
※
おもしろいですね・・・
地球人類70億人に質問してみたいです・・・
「一瞬でも、自分じゃなかった時を体験したことありますか?」って・・・。
自分じゃない状態って・・・どうしたら、創れるでしょうか?????
いや~~すごい!!
自分しかいないですね・・・
自分・・・という状態以外に、何かあるでしょうか・・・ないですね!!
自分しかいない・・・って・・・こういうことだったんですね♪
・・・これはある学びの友から頂いたメールです。
素晴らしい発見であるし、うまい表現の仕方ですのでご紹介します。
人間はどうして「ひいきのチームを」作りたがるのでしょうか? それは、自分の鬱憤を晴らしたいからです。
この社会は、「力の強い者が勝ち 力の弱い者が負ける」、と言った動物まがいの弱肉強食の社会です。力の強い者は良いでしょうが、力の弱い者は、力が弱いからと言って黙って指を加えているわけにはゆきません。そこで、ひいきのチーム(自分の代理人・身代わりの戦士)を作って相手と戦い、鬱憤を晴らそうとしているわけです。しかし勝った者は良いでしょうが、負けた者はどうなるでしょう。鬱憤が積もるだけです。これでは、互いに心(宇宙)を汚してしまいます。
ひいきのチームを作ると言うことは偏りを作ると言うことですから、宇宙(中庸)の法則によってしっぺ返しを受けるのは当然なのです。今、地球人類は、武器をボールに持ち替え戦争しているようなものです。どちらが勝っても鬱憤は晴れません。こちらが負ければこちらの鬱憤が増し、相手が負ければ相手の鬱憤が増し、トータル的には変わらないからです。要するに喧嘩両成敗のようなものです。一日も早くそのことに気付いてもらいたいものです。
今地球に、たくさんの醜い絵(戦争・事故災難・病気など)が描かれていますが、これは何事も偏っているせいです。偏れば苦しみが来るのが法則ですから、苦しい絵が描かれるのは当然なのです。神様は、人類が地球と言う表現世界にどのような絵を描くのか見ておられるのです。そろそろ人類も偏りの過ちに気付き、地球に美しい絵を描きたいものです。
2018.05.06
※ 地球人類は実に好戦的です。それは、動物時代のクセがまだ残っているからです。でもそれは、真理を深く知れば取り除けるクセなのです。つまり、自分の本性が意識であり、生命であり、神であり、一つのモノであることを心の底で知れば自他の溝が埋まるため、好戦的な人から平和的な人に変わるのです。さあ、原子核を増やし動物時代のクセを取りましょう!
私は今まで、必要以上に現象を嫌ってきたように思います。それは、現象に惑わされ人生の目的を見失っている人たちが、あまりにも多いからです。でも私は、それで良いことに気付かされたのです。
V字の左側にいる幼い魂は、全く神に顔を向けません。彼らは肉体維持のために、毎日 物やお金集めに躍起になっています。でも彼らも、必ずV字の右側に進化して来るのです。なぜ、神に顔を向けない魂が進化するのか? それは、物質的な生き方をしても(現象に生きても)原子核が増える仕組になっているからです。
私は良く言います。“原因を良くしなければ結果は良くなりませんよ!” と・・・つまり、“どんなに川下でゴミ拾いしても川は綺麗になりませんよ!” と・・・確かに人の心(魂)を成長させなくては、根本的解決にはなりません。でも、よく考えてみてください。原因と結果は離れていないのです。離れていないと言うことは、互いに影響しあっていると言うことです。と言うことは、結果をいじって原因に影響を与えることができると言うことです。それは、結果の中に原因があるからです。つまり、描かれた絵の中に画家の思いがあるからです。だから、絵を見て画家の思いを汲み取れた人は感動するのです。これは、汗水流してゴミ拾いしている人たちの姿を見たら、ゴミを捨てている人の心に影響を与えられるのと同じです。真剣に平和を叫んでデモしている人たちの姿を見たら、好戦的な人たちの心に影響を与えられるのと同じです。私が「人類の夜明3」の書を手書きして欲しいと願っているのも、同じ可能性を信じてのことです。
結果は結果だけで終わっていないのです。文字は文字だけで終わっていないのです。文字(結果)の中に原因者の思いがあるのです。その思いは、文字を書くことで汲み取ることができるのです。言葉は、神の思いが響き(音)として形に現れたものです。同様に文字も、神の思いが形として現れたものです。つまり、「身・・・行為」と「口・・・言葉」と「意・・・思い」は一つなのです。一つゆえに、文字から思いを汲み取ることができるのです。
この物質世界も幽界も、神の思いが形として現れた夢幻の世界です。でも 今 私たちは、その夢幻の世界で学んで目覚めようとしているではありませんか? 実際に、目覚めた先輩たちが沢山いるのです。それは、結果で原因を変えられたと言う証拠です。もし夢幻の世界から何も学べないなら、私たちは永久に目覚めることはできないでしょう。と言うことは、V字の左側にいる幼い魂は、永遠にV字の右側に来られないと言うことです。そんな無慈悲な宇宙を神が創られるわけありません。ですから文字も言葉も、単なる文字や言葉ではないのです。つまり現象は、単なる現象ではないのです。神は現象の世界(結果の世界)からでも、成長できるようにしてくれているのです。だから私は、現象を軽んじてはならないと言うのです。
だからと言って皆さんに、ゴミを拾いに行きなさい! デモをしに行きなさい! とは言いません。そんな時間があるなら、原因を良くすることに時間を使ってください。つまり、瞑想して原子核を増やすことに時間を使ってください。客観的見方しかできない一般人は、外側に生きても(川下でゴミを拾ったり、デモをしたり)仕方ありませんが、主観的見方ができるようになった皆さんは、内側に生きるべきです。つまり、瞑想して原子核を増やすべきです。それが、熟した魂の生き方です。
2018.05.13
※ 現象の世界(結果の世界)は、意識の世界(原因の世界)を知るための教室ですから、学び終えたら直ちに上の学年に進むべきです。懐かしがっていては、留年してしまいます。
※ 夢から目覚めたと思っても・・それは夢です。その夢から目覚めたと思っても・・それもまた夢です。またその夢から目覚めたと思っても、それもまたまた夢です。私たちは永遠に夢を見続けてゆくのです。でもこれは、喜ぶべきことなのです。なぜなら、その夢は、苦しみ多い夢から 楽しみ多い夢に変わってゆく夢だからです。それが進化です。
世の人々は、悩み多い人生を送っていますが、この世は夢幻の世界なのですよ! あなたに起きているどんな出来事も、時間がくれば事情が変わってしまうのです。もし今あなたに死にたいほどの悩み事があるなら、そんな悩み事など笑い飛ばしてしまいなさい! どうせ夢幻なのですから・・・。
そうです。この世は、あなたが悩むほど価値のある世界では無いのです。それよりも、せっかく夢幻の世界に出てきたのですから楽しんでください。あなたは、”今夜は楽しい夢を見よう!”と思って床についたことはありませんか? 日々の人生もそうしたら良いのです。ただし、夢を真剣に楽しんではなりません。真剣に楽しんでは、ミイラ取りがミイラになってしまいます。夢幻だと自覚した上で楽しんでください。
考えてみると、神は実にうまい方法で私たちを目覚めさそうとしています。夢の中で真理の勉強をさせ、目覚めさそうとしているのですからね。これは、神ならでの見事な覚醒法です。実にありがたいことです。
2018.05.20
※ 例えあなたに罪深い過去があったとしても、それは真理に目覚めるために必要な過去だったのです。罪を犯さない人など、一人もいないのです。自分を責めないでください。どんな苦しい過去も、みな自分の成長に必要だったのですから・・・。
※ 自分の思い通りに生きてください。それが必然であり良いことなのですから・・・。その証拠に、今日まで自分の思い通りに生きてきて、真理につながったではありませんか? これからも、そのように生きたら良いのです。ただし、社会体験と瞑想だけはやってください。それをやらなくては、本末転倒になってしまいます。
神には、姿形がありません。それでは、どんなに偉大な神でも存在していないのと同じです。そこで神は、人間を自分の分身としてこの世に送り自分の存在を明かそうと考えたのです。ですから人間は、神の代弁代行役を果たす使命があるのです。でも多くの人間は、神に顔を向けようとしません。ですから神は、使いたくても使えないのです。でも、皆さんは違います。いつも神に顔を向けています。ですから、“私を世のため人のためにお使いください!” と真剣に祈れば神は喜んで使ってくれるのです。
神の意図は、人類に理想の世を創ってもらうことです。そのためには、地球に真理を根付かせねばなりません。皆さんは、その先駆けとして地球に送られた魂です。でも使命を果たすには、まず皆さんが成長しなくてはなりません。それには瞑想が必要なわけですが、瞑想はなかなか難しく時間もかかります。そこで神は、「身・口・意」を利用して魂を大きくしようと考えたのです。この方法なら即効性があり、具体性もありますから、真理を知った者なら誰でもできます。
「身」とは、行為です。「口」とは、言葉です。「意」とは、想いです。想いは見えませんが、口と行為によって見える状態にできるのです。つまり神(天)の意を、言葉と手書を通して地に降ろせるのです。実際に私は、勉強会でお話することで降ろしています。また、今週の真言や更新集や本で降ろしています。それを、皆さんにもやって頂きたいのです。
どうか私の本を手書きしてください。間違いなく神(天)の意を降ろすことができます。それは、書いて気持ちが良くなることで証明できます。気持ちの良い状態・・・それが、神(天)に使われている状態なのです。
2018.05.27
※ 真理を手書きしている時、あなたは罪滅ぼしをしているのです。
瞑想している時、あなたは罪滅ぼしをしているのです。
この二つをやっている時、あなたは、日本に、地球に、「光」を降ろしているのです。
神は言葉なりき・・・
言葉は神なりき・・・
あなたは今朝・・
家で妻や子とお話しました
本当に妻や子とお話したのでしょうか?
あなたは先ほど・・
お店でお客様とお話しました
本当にお客様とお話したのでしょうか?
言葉は神にしかありません
ならば・・
お話した相手はみな神ではありませんか?
そうです
あなたは今朝・・
家で神様とお話したのです
あなたは先ほど・・
お店で神様とお話したのです
この宇宙で最も確かなことは
神のみが語れるという事実です
ならば・・
言葉を話す人は
みな神ではありませんか ?
私たちは・・
神が語っているのに
人が語っていると誤解しているのです
これでは神様から・・
「あなたは言葉を盗んでいますよ!」
といわれても仕方がありません
どうか・・
言葉を盗まないでください
あなたは・・
間違いなく神なのですから・・・
※ 尊ぶべきことは・・
純粋さです。
誠実さです。
ひたむきさです。
一生懸命さです。
どんなことも肯定的に受け取る・・
ポジティブさです。
そして何よりも大切なのは・・
夢を持ち・・希望を持ち・・
神を想うことです。
2018.06.03
この世には「背信」という言葉がありますが、この「背信」の文字は、本当は、「背神」と書くべきなのです。神を信じない人、あるいは神に背いている人を、背神というのです。
あなたは過去に、神に背いて生きた時代があったかも知れません。でも、自分を責めてはなりません。なぜなら、背神によって痛い目に遭い成長できたからです。大切なのは、自分を責めることではなく、神を真剣に求め自分を成長させることです。今、神を真剣に求めたら、昔の背神の罪はすべて許されるのです。過去を悔やむことほど、愚かなことはありません。どうか、今、真剣に神を求める賢い人になってください。背神は決して悪いことではないのですから・・・
2018.06.10
※ 世の人々は、自業自得を悪と決めつけていますが、自業自得は決して悪いことではないのです。なぜなら、自分が作った業で苦しい目に遭い、気づいて、自分が成長できるからです。たしかに、苦しい部分だけ見たら、悪のように見えるかも知れません。でもこの宇宙は、表裏を体験して成長するようできているのです。神は完全です。その完全な神が、自業自得を悪にしておくはずがありません。信じてもらうために、自業自得の正しい意味を教えましょう。
漢字辞典では、自業自得とは、自分で作った「業」で自分が苦しむと言う解釈をしています。でも、これは誤りです。本当は、自分で作った「業」で自分が得をすると言う意味なのです。実際に私たちは、苦しむことによって得(成長)しているではありませんか。だから、自業自得は良いことなのです。
老いることを憂いている人に、死ぬことを恐れている人に、私は言いたいと思います。老いることは良いことだ、死ぬことは良いことだと・・・。
どうでしょう? カゴの中の鳥は幸せですか? 苦しいのではありませんか? 私たちは、カゴの中の鳥のように、不自由な肉体の中に何十年間も閉じ込められ生きてきたのです。老いると言うことは、死ぬと言うことは、その肉体から開放され自由になると言うことです。どうか、老いることを、死ぬことを、恐れないでください。むしろ、喜んでください。だからと言って、自殺はしないでください。なぜなら、計画を途中放棄して帰ることになるからです。それでは、生まれてきた意味がありません。どうか、計画を全うして帰ってください。計画を全うして帰るとは、寿命が来る日まで自分の思い通りに生きなさいと言う意味です。ただし真理を学んでいる皆さんは、二つのことはやってください。
年のはじめに「おめでとうございます!」と言うのは、帰る日が近づいて「おめでたい!」と言う意味です。どうか、老いることを、死ぬことを、悪いことだと思わないでください。
2018.06.17
なぜ人に言葉があるのでしょうか?
それは・・
神の代弁代行者だからです
もし人に言葉が無かったら・・
神は自分の思いを・・
永久に呑み込んだままでなくてはならないでしょう
それでは・・
宇宙は何も進展しません
「初めに言葉ありき、その言葉によって宇宙は成れり!」です
言葉は創造の力です
その力によって・・
宇宙が創られたのです。
その言葉は・・
私も持っています
あなたも持っています
ということは・・・
私もあなたも神の代弁代行者であるということです
さあ!・・
大いに言葉を使い・・
神の代弁代行役を果たしましょう
※ 神には姿形がありませんので、自分の存在を明かすことができません。存在を明かすためには、何らかの方法で明かさねばならないわけですが、手っ取り早い明かし方が思いです。でも思いも見えませんから、明かすことはできません。そこで神は、存在を明かす手段として言葉を編み出したのです。これが「言葉は神なりき!」と言われる由縁です。言葉は、神を明かす一番端的な表現道具なのです。
今の地球は情報真っ盛りの時代ですが、それは情報が多くなれば言葉の使い方が勉強できるからです。でも、魂が成熟してゆくとあまり情報は必要なくなります。だから熟成した星では、言葉が少なくなってゆくのです。その証に学びの友は、大分言葉が少なくなっているはずです。ではここで、正しい言葉の使い方を、真理に照らして考えて見ることにしましょう。
2018.06.24
見える結果体は幻です。でも私たちにとっては、見える幻はとても大切なのです。もし幻(結果)が見えなければ、原因追求しようと思いませんから、反省もしないし悪いところも直そうとしないでしょう。それではまた同じ悪いこと(悪い結果を招く)をしてしまいます。交通事故を起こしても結果が見えなくては原因追求しようと思わないでしょうから、また同じ交通事故を起こしてしまうと言うことです。
写真がありがたいのは、起きたこと(結果)の良し悪しが目で見られるからです。この表現世界は、 写真のようなものなのです。(実際に無い結果の世界は写真で撮れるが、実際に有る原因の世界は写真で撮れない。)見えない原因の良し悪しは、見える結果になって初めて分かるのです。だから見える結果は、成長するためにはとても大切なのです。
原因と結果の関係は、自我と真我との関係に当てはめてみると良く解ります。自我の自分は結果の自分です。真我の自分は原因の自分です。真我(原因)の自分だけでは、「自分」の存在は無いのです。勿論、結果の自分だけでも「自分」の存在はありません。それでは、「自分」が存在していないのと同じです。自我(結果)の自分が真我(原因)の自分を認め、はじめて「自分」を存在させることができるのです。そう考えると、自我(結果)の自分の存在が何と有難いことか・・・・それが、どんなに嫌な自我(結果)の自分だろうが、感謝しなくてはなりません。
自我(結果)の自分を愛している人は、真我(原因)の自分を愛しているのです。真我(原因)の自分を愛している人は、自我(結果)の自分を愛しているのです。愛するとは意識することなのです。愛するとは想うことなのです。自我(結果)が真我(原因)を意識し、真我(原因)が自我(結果)を意識することが、「自分」を愛することになるのです。これが、「自分が自分を愛するよう仕向けた」自己完結型宇宙の素晴らしい仕組みなのです。
ここで言っている「自分」とは、本当の自分のこと・・・つまり神人の「自分」のことです。
2018.07.01
学んでいる皆さんの中に、昔の幼い自我の思いでやったことを悔やんでいる人がいるようですが、そんな過去のことで悔やまないでください。
私たちは時間の中にいるのですから、刻々と成長しているのです。ましてや真理を学んでいる皆さんは瞑想をしているわけですから、今の自我の思いは昔の自我の思いに比べたら、格段の差で高度になっているのです。
確かに過去、幼い思いによって苦しい体験をしたかも知れません。でも、その苦しい体験が真理に顔を向けさせたのですから、それは良かったのです。
過去のことを悔やんで、自分の宇宙を汚すことほど大損なことはありません。どうか、そんな愚かなことはしないでください。私だって幼い時には、くだらない思いを持ち、くだらないことをしたのです。でも、それで今の自分に成長できたのですから、くだらないことをやったことは無駄ではなかったのです。神は完全です。その完全な神が、私たちに無駄なことをさせるわけがないのです。
あなたが過去に置いた黒石は、今、真理を学んでいることですべて白石に変わったのです。大切なのは、過去を悔やむことではなく、今の今を真実に生きることです。
2018.07.08
※ 過去を悔やんでいる人たちは、苦しみを作っています。また未来を憂いている人たちも、苦しみを作っています。今の今、真実に生きている人たちだけが、幸せを創っているのです。ですから、今の今に生きている人は生き人です。過去や未来に生きている人は死に人です。
世の中には、不幸災難に見舞われ苦しんでいる人たちが大勢おります。確かに見た目には、可愛そうに見えるでしょう。でも、不幸災難は決して悪いことではないのです。このことは、真理を学んでいる人の前で言えることで、一般人の前で言ったら怒られますので気を付けてください。ではなぜ、不幸災難が悪いことではないのか? 少し難しいかも知れませんが、理由を述べたいと思います。
私たちの本性は、肉体ではありません。形ではありません。人間ではありません。永遠に生き通す、意識です。生命です。魂です。このことを前提に読んでください。
なぜ、何か(不幸災難)が起きたのでしょうか? それは、意識させる必要があったから起きたのです。と言うことは、意識されないところで何かが起きることは、絶対あり得ないと言うことです。この点に、注目してください。
仮に、意識しないところで何か(不幸災難)が起きたとしましょう。ではそれは、誰のために、何のために、起きたのでしょうか? 意識しないところで起きたことに、意味があるでしょうか? また、意識しないところで起きたことは、起きたことになるでしょうか? それは例え起きていても、起きていないのと同じではありませんか? 認める意識者がいなければ、認められる何かがお起ようがないのですよ! と言うことは、人のいないところ(意識しない所)で何か(不幸災難)が起きることは、絶対あり得ないと言うことです。と言うことは、意識の前で起きたことは、すべて意味のある必然だと言うことになります。これは、起きたことの意味を受け取ってもらいたくて、意識の前で起きたのですから当然です。では、起きたことにどんな意味があるのでしょうか? それは、意識に疑問を持ってもらいたくて起きたと言う意味です。では、意識にどんな疑問を持ってもらいたいのでしょうか?
今、私たちの前で、刻々と何かが起きています。その起きたことを私たちは、今、意識しています。その意識は、なぜこんな事が起きたのかと疑問を持ちます。疑問を持てば、疑問の謎を解こうと追求するでしょうから、疑問の謎が解けます。謎が解ければ、進化成長できます。このように私たちは、進化成長するために意識させられているのです。と言うことは、起きたことは、すべて必然だと言うことになります。起きたことに意味(目的)がなかったら偶然ですが、意味(目的)があって起きたのですから必然なのは当然でしょう。
起きた、苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、すべて進化成長に必要な必然です。だから、不幸災難は悪いことではない! と私は言うのです。今まで私たちは、沢山の不幸災難に遭って進化成長してきたのです。
2018.07.15
※ どうして、意識の前でしか起きないのでしょうか? それは、意識されてはじめて起きたことになるからです。意識されなくては、起きていても起きていないのです。起きたのは、意識が存在していたからです。その起きたことは、意識に何らかの影響(疑念・不審・疑惑・疑問・訝しさ)を与えるのです。影響を与えると言うことは、意味があったと言うことです。では、どんな意味があったのでしょうか? それは、影響を受けた意識は、すべて進化成長して行くと言う意味です。疑問や疑念を持った意識は、疑問の謎解きをするので必ず進化成長するのです。
神は地球に光を降ろしたくて降ろしたくて、常に媒体を探しています。でも地球人類は、一向に神に顔を向けようとしません。これでは光を降ろしたくても降ろせないのです。どうか学んでいる皆さんだけでも、媒体になってやってください。そのためには、神に意識を向けることです。神に意識を向けるとは、プラグをコンセントに差し込むこと、つまり瞑想することです。神は電気ですから、プラグを差し込んだ途端に電流が流れ、電球である私たちは光りだすのです。
真理を手書きすることも、プラグをコンセントに差し込むことの一つです。真理を手書きしている時は、天の光を地に降ろしている状態なのです。
どうか瞑想してください。どうか真理を手書きしてください。神は喜んで光を降ろしてくれるでしょう。
2018.07.22
※ 神に会いたかったら、「私を世のため人のためにお使いください!」と祈ってください。神は喜んで使ってくれるでしょう。使ってくれると言う意味は、神に会えるという意味です。皆さんが神の媒体になっている時は、神に会えている状態なのです。その時、細胞が震えます。自分が光り出します。気持ちが良くなります。
神様の願いは、すべての存在物を、永遠に尽きない、永遠に色あせない、幸せの中に連れて行くことです。では、どのような方法で連れて行ってくれるのでしょうか? それは体験です。体験すれば原子核が増えます。原子核が増えれば進化成長します。進化成長すれば、自然と真の幸せの中に連れて行ってくれるのです。体験は宝なのです。
例えば、日々やっている、子育ても、介護も、家事も、仕事も、スポーツも、芸術も、音楽も、学業も、みな進化成長させてくれます。鳥の糞が頭に落ちてきたことも、犬に吠えられたことも、蚊に刺されたことも、足をくじいたことも、電車が遅れたことも、みな進化成長させてくれます。痛いことも、痒いことも、寒いことも、暑いことも、みな進化成長させてくれます。当然、地震も、台風も、雷も、病気も、事件事故も、進化成長させてくれます。一見、関係なさそうな、カエルが鳴くことや、セミが鳴くことや、蜂の巣を作ることや、蜘蛛の巣を作ることも、「風が吹いたら桶屋が儲かる!」の譬えで、みな進化成長させてくれます。この地球で、この社会で、体験したことのすべてが、原子核を増やしてくれるのです。体験は、幸せに近づく原理なのです。この原理が信じられたら、どんな苦しいことも、辛いことも、喜んで受け入れられるようになるでしょう。
これまで体験したことを、一つひとつ紐解いてみてください。良い体験も悪い体験も、みな進化成長に結びついているはずです。私が、すべて良し、すべて善し、すべて好しと言うのは、どんな体験も進化成長させてくれるからです。これは一般人には理解できなくても、学んでいる皆さんなら理解できると思います。どうか、体験は宝であることを信じてください。信じられたら、どんな体験も、ありがたくて、ありがたくて、仕方なくなります。
2018.07.29
※ なぜ必然には、意味があるのでしょうか? それは、目的を持っているからです。どんな目的を持っているのか? それは、進化成長させると言う目的です。だから、必然で固められているこの宇宙では、どんなモノも進化成長して行けるのです。
私たちは常々、光の恩恵を受けています。光がなければ、何も見えません。何も育ちません。何も行動できません。それよりも何よりも、心が楽しくないのです。光ほど有り難いものはないのです。では、光って何でしょうか? 光は、どこから生まれてくるのでしょうか?
光は、意識なのです。光が感じられるのは、意識が光だからです。意識がなくては、光は無いのです。意識=光なのです。その意識は神ですから、光は神なのです。この宇宙は、その神の光(意識)で満ち溢れているのです。その光の性質は、楽しいのです。嬉しいのです。喜びいっぱいなのです。光に満たされると幸福な気分になるのは、光の性質が楽しくできているからです。
「笑う門には福来たる!」と言う諺がありますが、これは光の性質から言って当然のことなのです。笑い声の絶えない家(門)には、福がやってくるのです。なぜ笑えば福がやってくるかと言いますと、笑いが光を呼び寄せるからです。その笑いは、苦しい心からは生まれません。楽しい心から生まれるのです。では心を楽しくするには、どうすれば良いのでしょうか?
一つは、神を想うことです。神を想えば光に満たされますので心は楽しくなります。
二つは、良いことを想うことです。それには、どんなことも良く受け取ることです。心とは不思議なもので、何でも良く受け取れば楽しくなるのです。
三つは、光をイメージする方法です。これは訓練次第で使えるようになります。
この他にも心を楽しくする方法はありますが、それは皆さんが考えてください。
どうか、神を想ってください。良いことを想ってください。光をイメージ(想う)してください。原子核が増え同時に福もやって来ます。
2018.08.05
※ 心が曲がると、口も曲がるし、技も曲がるし、ボールも曲がるし、作った野菜も曲がるし、世話した花や木も曲がるし、飼っている犬も凶暴になるのです。すべて心次第です。
心を上手に使ってください。上手に使えば、必ず福がやってきます。
病気になりたくなかったら、あるいは病気を治したかったら、意識して体を動かしてください。それも、こまめに意識し、こまめに体を動かしてください。こまめに意識し、こまめに体を動かせば動かすほど原子核が増えるので、体調が良くなります。では、具体的に説明しましょう。まず動かす前に・・
「体を動かせば原子核が増える、エネルギーが高まる、魂が大きくなる」と三度強く思ってください。
動かした後に・・
「私は今、体を動かしたからエネルギーが高まった! 原子核が増えた! 魂が大きくなった!」と三度強く思ってください。
“体調不良な人にそんな酷なことを言っても! ” と思うかも知れませんが、私はそれを承知で言うのです。何もしないで何か成し遂げられますか? 何か得られますか? 何かを成し遂げるには、何かを得るには、それなりの努力がいるのです。それも、辛いこと、苦しいこと、厳しいこと、をやってこそ得られるのです。甘えていては駄目です。神は、楽して得られる宇宙など創っていません。
体を動かす例えとしては、お風呂の掃除をするとか、トイレの掃除をするとか、窓ガラスを拭くとか、庭の掃除をするとか、部屋の整理をするとか、冷蔵庫やタンスの中を整理するとか、要らない物を整理するとか、散歩するとか・・・何でも結構です。体調が良くなったら、少しずつ厳しいことに挑戦してください。例えば、散歩を多くするとか、ジョギングをするとか、スポーツジムに通うとか、山登りをするとか、・・・。
間違いなく体調が良くなります。と同時に、気持ちが、心が、強くなります。スポーツマンが沢山練習して自信を付けるように・・・体を沢山動かせば自信が付きます。もう、病気する気がしなくなります。何よりも、サタンにやられなくなります。ですから、真理を求める気持ちが強くなります。
甘えていては駄目です。弱気になっていては駄目です。強い気持ちを持ってください。自分の想念で病気を作ったのですから、自分の想念で病気を治してください。学びの友だからこそ、厳しく言うのです。
最後に、肝心な点を述べましょう。
一つは・・・やり終えた後は生命力に任せ、病気のことは 一切 考えないことです。つまり、病気を掴まないことです。病気を忘れることが肝心なのです。
もう一つは・・・「今日はこれだけ体を動かしたから、これだけ原子核が増えた!(数は自分で決めてください)」、と帳簿付けしてみてください。帳簿付けすれば励みになります。張り合いが出てきます。毎日が楽しくなります。
最後に・・・悪想念を持ちながら体を動かしても意味ありません。一番大切なのは、悪いことを想わないことです。悪想念を持たなければ、病気になることは絶対ありません。
2018.08.12
※ 体を動かせない人は、想い(イメージ)で体を動かしてください。同じ効果があります。 想い(イメージ)で、苦しんでいる人の背中を擦ってやるのも良いでしょう。肩をもんでやるのも良いでしょう。車椅子を押してやるのも良いでしょう。ゴミ箱に、ゴミを捨てに行くのも良いでしょう。想い(イメージ)で何でもできます。
※ 原子核を増やす最高の方法は、真理を手書きする事と瞑想する事です。日々の生活の中に組み込んでください。
※ 社会体験と瞑想は、原子核を増やすために必要な両輪です。どちらが欠けてもコケてしまいます。
※ どんな良いことでも、続けなくては駄目です。どうか、毎日やり続けてください。
この表現宇宙に、「元々このような姿の宇宙がある!」、と言った宇宙が存在するわけではないのです。人類の理解力に比例して生み出された宇宙があるだけです。もしこの表現宇宙に、元々このような姿の宇宙があったなら、結果が先にあったことになり、宇宙は無茶苦茶になってしまいます。 あったから創られたのではなく、創ったからあったのです。
この表現宇宙には、人類の理解力に比例して美しくなって行く(高度になって行く)宇宙があるだけです。人類の理解力は、時々刻々と進化成長して行くわけですから表現宇宙も、時々刻々と進化成長して美しくなって行くのです。人類の理解力の成長に限りがありませんから、表現宇宙も限りなく美しくなって行けるわけです。
この地球に、元々醜いモノや美しいモノがあったわけではないのです。人類の理解力が、醜いモノや美しいモノを作っただけです。確かに今の 地球人類は、美しいモノより醜いモノを多く作っています。でもどんなに醜いモノを多く作ろうと、それは間違いではないのです。ただ地球人類は、今の理解力によって精いっぱいのモノを作っているだけです。
この地球に、間違いも失敗も悪もありません。理解力の乏しい幼い魂が、存在するだけです。それは、間違いでも、失敗でも、悪でも、ないのです。魂が成長して行けば、自然と美しい地球を創るようになるのです。どんな優秀な画家も、未熟な時代には醜い絵を描くものです。でも勉強して技を身につければ、美しい絵を描くようになるのです。地球人類も同じです。途中の醜い絵を見て、間違いだ! 失敗だ! 悪だ! と、言わないでください。なぜクドクド言うのかと言いますと、元々何かがあったのではなく、人類の理解力が何かを創っていることを知って欲しいからです。
2018.08.19
※ あなたの人生も同じです。元々、苦しい人生があったわけではないのです。理解力の幼さが、想念を苦しいことに使い、苦しい人生を作っただけです。学んで理解力を高めれば、良い人生を作ることができるのです。
※ 良い宇宙を創るのも、良い人生を作るのも、すべて私たちの理解力です。
※ 宇宙が無限なのは、人類の理解力が無限だからです。
病を消す、業を消す、こんな簡単な方法があったのです。
【病を消す】
今、出ている症状(痒い・痛い・苦しい状態)は、病気が消えて行っている状態ですから、放おっておいたら病気は治るのです。ただ、また掴むから、治らないだけです。神様はこの宇宙に、「原因と結果の法則」と言う素晴らしい仕組みを作ってくださいました。その仕組は、宇宙(白板)に書いた字や絵は、放おって置いたら自然に消えて行くと言う仕組みです。つまり、作った原因は結果として現象化(痛い・苦しい)されますが、放おって置いたら現象(痛い・苦しい)は消えてしまうのです。この法則があるから、私たちは救われるのです。でも私たちは、痛い苦しいがやってきたら、心配したり、恐れたり、悩んだりします。だから、治らないのです。例え 痛い苦しいがやってきても、「今、病気が消えていっている! 消えていっている! ありがたいことだ! ありがたいことだ!」と思えば、原因を作らないわけですから病気は治るのです。
【業を消す】
過去世の業を消すのも同じです。例え 今 苦しいことが起きていても、「ああ、今 過去生の業が消えて行っている! 今 過去生の業が消えて行っている! ありがとうございます! ありがとうございます!」、と思ってください。それも、苦しいことが来るたびに、「今 過去生の業が消えて行っている! 今 過去生の業が消えて行っている! ありがとうございます! ありがとうございます!」と思ってください。そう思っている時は、悪い想いは持てませんから、業の上乗せをしないで済むのです。同時に二つ思えないのが想念の性質ですから、その性質を利用することです。
さあ、いつも、「ありがとう」とか、「嬉しい」とか、「楽しい」とか、良い思いを持ってください。その時、悪い思いは持てないのですから、段々と悪いことは起きなくなるのです。 一番良い思いは、神を想うことです。
難しい技術は要りません。いかに悪い想念を持たないようにするか、だけです。そのためには、常に良い想念を持つよう心がけることです。
※ 痛み苦しみを半減させる二つの方法があります。
一つは、痛み苦しみが来たら「想わない! 想わない! 想わない!」と思うことです。もう一つは、痛み苦しみが来たら「今、病気が消えていっている! 消えていっている! 消えていっている! ありがとうございます! ありがとうございます! ありがとうございます!」と思うことです。
※ 一番大切なのは、自分の原子核(魂)を大きくすることです。病気も業も、魂を大きくするために必要な方弁ですから、魂が大きくなれば、病気も業も消えてゆくしかないのです。どうか、二つのことをやってください。
※ 肉体(この世の現象)が、自分で悪くなることはありません。肉体には何の力もないからです。肉体が病気を作ると思えば心配しますが、想念が病気を作ると思えば嬉しくなります。なぜなら、自分の想念で病気が治せると思うからです。想念は自由に使えます。どうか、想念を良く使って病気を治してください。想念の持ち主であるあなたが、あなたの主治医なのです。
※ ひどい外傷を負ったときには、やはり病院には行かねばなりません。でも少々の傷なら、気にせず放おって置いたら生命力が治してくれます。どこまで生命力に任せるかは、中庸の学びです。
2018.08.26
○ 私の独り言パート3・・私の取り柄
私には、何の取り柄もありません。
頭も悪いし、背も小さいし、学歴もないし、お金もないし・・・・でも、たった一つだけ取り柄があります。それは、明るいことです。いつも良いことを思っている、ポジティブさです。
内なる神は、言ってくれました。「それが何よりだよ!」と・・・・。私は嬉しくてたまりませんでした。
私はこれからも良いことだけ思い! 良いことだけ口にし! 明るいふるまいをします。
・・良い思いの一番は、神を想うことです・・
ある青ヤドカリが、大きな家に住む赤ヤドカリを羨んでいました。“自分も、あんな大きな家に住みたいなあ!と・・・”ある日、赤ヤドカリが留守をしたのを幸いに、その大きな家に引っ越した(乗っ取った)のです。”やっと望みが叶った! 嬉しいなあ!” 青ヤドカリは大喜びしました。でも住んでみると、あまり居心地が良くありません。台所にはゴキブリがウヨウヨしているし、ネズミも時々顔を見せます。小さな家に住んでいた時にはゴキブリもネズミもいなかったのに、この大きな家にはゴキブリやネズミが沢山いるのです。青ヤドカリは一生懸命 掃除しましたが、あまりにも家が大きいため掃除し切れません。そこで青ヤドカリは、仕方なく掃除夫を雇いました。環境は良くなったのですが、掃除夫に支払うお金が大変です。そこで仕事を増やしました。そうなると、ゆっくりとした生活ができません。青ヤドカリは仕事に追われ、ついにはノイローゼーになってしまいました。
青ヤドカリは、前の小さな家が恋しくなり戻って行きました。でも、どうでしょう。すでに誰かが住んでいるのです。覗いてみると、何とあの大きな家に住んでいた、赤ヤドカリだったのです。
ネズミやゴキブリは、自分で掃除できる大きさの家に住みなさい!、欲張って大きな家に住めばリスクを背負いますよ! と言うことを教えてくれているのです。これは、求道にも通じる話です。
2018.09.02
※ ある学びの友から、このような面白いメールを頂きましたのでご紹介します。
「ゴキブリやネズミが見た目 良くない理由が、論理的にしっかりと解りました。もしゴキブリやネズミが、美しかったり可愛かったら、人間はゴキブリやネズミを飼って汚い台所を掃除させ、自分で掃除しないでしょう。それでは、人間は怠け者になってしまいます。
ゴキブリやネズミは、掃除しきれないゴミを食べてくれる存在であり、人間を怠け者にするために存在しているのではない。だから神様は、彼らを醜く創られたわけですね。・・・納得です。
先日、ガムテープで塞いだ排気口に糞をしていったのは、「折角 掃除してあげているのに、我々の出入口を塞ぐなんて何事だ!」、という意味だったのでしょうね!!
ということで、ガムテープを剥がしました。
ゴキブリさんやネズミさんの行動の裏には、神の思惑が働いているのですね。神様って、とても人間的ですね、・・・(笑)
あなたの前で何かが起きた! それは、誰のために起きたのですか? 何のために起きたのですか? それは、自分の進化成長のために起きたのではありませんか?
自分の意識の前で起きたことは、すべて自分の進化成長のために起きた必然なのです。未だかって、自分の意識以外の前で何かが起きたことはないのです。自分の意識の前でしか起きようがないのは、自分が認識してはじめて起きるからです。それは、自分が主観の主(創造主)だからです。
だから、起こっているのじゃない! 自分が起こしているのです。見せられているのじゃない! 自分が見せているのです。
私が嬉しいのは、どんなことも、私(自分)の進化成長のために起きていると言う必然です。
2018.09.09
※ 宇宙も、地球も、社会も、家族も、恋人も、私(自分)の進化成長のために存在し、私(自分)の進化成長のために生まれてきたのです。こんな嬉しいことがありましょうか・・・
神は全能です。その神が、私たちの中におられるのですから、絶対ごまかしが効かないのです。神は、あなたが何を思っているのか、何をやりたいのか、すべてご存知なのです。
私たちは、何のために生まれてきたのでしょうか? お金や物や権力を得るためですか? あるいは、この世の楽しみを謳歌するためですか? 魂を大きくするためではありませんか? 今あなたは、日々 何のために生きていますか?
真理を学んでいるのに、なぜ苦しいことが来るのか? 苦しんでいる人は、考えてみてください。神に真剣に顔を向けていないからではありませんか? つまり、片手間で真理を求めているからではありませんか? 今のあなたの苦しみは、”真剣に真理を求めなさい!” と言う警告なのです。神は成熟した魂のあなたに、それほど厳しい真理の求め方を望んでいるのです。今、幸せな人生を歩んでいるからと言って怠けていたら、必ずしっぺ返しが来ます。その時 泣きを見ないためにも、真剣に真理を求めましょう!
どうか神が望んでいる「真剣さ」に気づいてください。真剣に真理を求めているかどうかは、神なるあなたが一番良く知っているのですから・・・。
さあ、”私は今日只今から真剣に真理を求めます!” と、一大決心してください。もう、あなたの行く先に石や岩は置かれないでしょう。
2018.09.16
※「真理もやりたいがこの世の楽しみも謳歌したい!」、と思っている人は、リスクを覚悟でやってください。
「楽あれば苦あり」です。必ずリスクを背負うようになっているのが、宇宙の仕組みです。だからと言って、「楽しんでならない!」と言っているわけではありません。中庸を守りながら楽しんでください、と言っているのです。
最近、家に閉じこもっている人が多くなっているようですが、彼らの想っている事と言えば、心配、恐怖、憂い、取越苦労、怒り、恨み、憎みなど、殆ど悪い想いばかりです。何もしないで家にいれば、想う事と言えばそんな悪い事ばかりなのです。悪いことを想えば周りの悪い波動が同調してきますので、悪い波動に憑依され精神的にも肉体的にも不健康になるのです。ですから、家に閉じこもっている人で健康的な人は、一人もおりません。外で働いている人は、家に閉じこもっている人よりネガティブな思いを持ちませんので、精神的にも肉体的にも健康なのです。ただし、外で働いている人もいつも暗い思いを持っていたら、家に閉じこもっている人と同じになります。
健全な精神と肉体を保つには、明るい思いを持つことです。想念は、何でも実現させる偉大な力を持っているのです。賢い人はその想念を良いことに使って幸せになり、愚かな人はその想念を悪いことに使って不幸せになっているのです。それは、すべて想念の持ち方次第なのです。
念仏行を勧めている宗教がありますが、これには一理あるのです。例えば、普段は悪いことばかり想っている人も、「南無阿弥陀仏!」とか「南無妙法蓮華経!」の題目を唱えている時は悪いことは想えません。悪いことを想わなければ、悪い原因(悪い業)を作らないわけですから良い人生になるのです。これは題目の文言に神秘力があるのではなく、唱えている時は悪いことを想えない(業を作らない)からです。その意味では、「ありがとう!」でも、「嬉しいな!」でも、「楽しいな!」でも、良い想いなら何でも良いのです。
私が神を想いなさいと言うのも、神を思っている時は悪い想いが持てないからです。特に学びの友は、神の概念が深く厚く大きくなっていますから、神を想えば原子核が増えかつ業を作らないと言う二重の功徳が得られるのです。
人生を良くするも悪くするも、想念次第です。もし地球人類が良い想念ばかり出すようになったら、そく地球は理想社会になるでしょう。私はこのことを、全人類に訴えたいのです。
「幸せになるのに何もする必要はない! ただ、想念を正しく使えば良いだけであると・・・」
これは宗教でも何でもありません。良いことを想えば良いことが返ってくる。悪いことを想えば悪いことが返ってくる。これは「原因と結果の法則」ですから科学です。それは想念がやっているのです。だから私は、想念の偉大さを教育の場で教えて欲しいと願うのです。そうすれば、もう犯罪防止にお金をかける必要も、防衛費にお金をかける必要も、医療費にお金をかける必要もありません。嘘だと思うなら、まずはやってみることです。やってダメでも、元々ではありませんか? これは、誰にも迷惑はかからないのですから・・。何も損することがないのですから・・・。
2018.09.23
※
地球環境の悪化は、人類の心(想念)の反映です。
社会環境の悪化は、人の心(想念)の反映です。
家庭環境の悪化は、家族の心(想念)の反映です。
競技成績の悪化は、アスリートの心(想念)の反映です。
事故・災難・病気の増加は、人の心(想念)の反映です。
気をつけたいものです。
※ 世の乱れを嘆く必要はありません。自分が成長したら、そんな厭なものは見なくなるのですから・・・。厭なものを見なくなると言う意味には、2つの意味があります。一つは、厭なものは成長のための厭なものだから、厭なものに見えないと言う意味です。もう一つは、自分が成長したら、もうそんな厭な世に生まれてこないので見ないと言う意味です。
神は私たちを、五感(目・耳・舌・鼻・肌)の誘惑によって進化成長させようとしています。中でも厄介な誘惑は舌と肌です。舌と肌は欲望を掻き立て、私たちを真理から離れさそうとします。この欲望に勝つのは、容易なことではありません。多くの求道者が真理から離れて行くのは、五感の惑わしに負けたからです。
神様は意地悪なお方で、カツオブシを目の前において、私たちを惑わそうとしているのです。でも、この惑わしに勝ったら大きく成長できるのですから、神様を意地悪な方だと思わないでください。反対に、私たちを成長させるためにしてくれていると思って感謝してください。
五感の誘惑によって欲望が湧いてくる、悪意が湧いてくる、この悪しき想いを好敵手だと思ってください。また、誘惑する肉体(五感)も好敵手だと思ってください。好敵手が強ければ強いほど、私たちは大きく成長できます。ぜひ、好敵手に勝って原子核を増やしてください。
2018.09.30
※ 耳を貸さない人に真理を伝えることはできません。また嫌がる人を真理に誘うこともできません。でもそんな人たちも、いつか必ず真理に目覚める時がやってきます。その時のために私は、真理の明かりを灯し続けたいと思います。
皆さんは、人間ではありません。形の中で生きて働いている生命(意識)です。その生命(意識)が、肉体を自分と思い違いすることで、人間と言う想いグセを付けてしまったのです。この思いグセのことを、業と言っているのです。
私たちは何万転生も人間をやってきたために、人間の業をつけてしまったのです。コマーシャル漬けになっていると、コマーシャルの言葉が自然と浮かんでくるように、人間漬けになっていると人間グセがついてしまうのです。このクセを取るには、想念を利用することです。つまり、何度も何度も反対の想念を持つことです。反対の想念とは、生命の自分の想いのことです。(マントラの想いのこと)
神様は、私たちに偉大な想念を与えてくださいました。この想念をどう使うかで、幸せにも不幸せにもなるのです。何も難しいことはありません。ただ、どのような想念を持って日々生きるかだけです。それは、自分の自由意志でできることなのです。
2018.10.07
※ 瞑想は、悪い思いグセを取る一番の方法です。それはただ、生命(皆さんのマントラ)を想い続けるだけです。さあ、瞑想して人間グセを取ってください。
※ 想念を悪用すれば地獄、想念を善用すれば天国、それは自分次第です。
※ 学びの友の中に、悪想念を無くそうと苦労している人がおりますが、意識して無くそうと思わなくても良いのです。原子核が増えれば自然と悪想念が持てなくなるのですから・・・。それは、神の性質に近づいたからです。
人生は、すべて自分の想いの作品です。今日までの人生は、みな自分の想いで作ってきたのです。学校に入ったのも、会社に就職したのも、自動車を買ったのも、結婚したのも、みな自分の想念でやってきたのです。と言うことは、想わなければ何も起きない、何も生まれない、つまり、何の作品も作られないと言うことです。では本当にそうなのか、実検してみましょう。
クシャミや、アクビや、オナラが出そうになった時、あるいは、痒みや、痛みなどが起きた時、あるいは嫌な思いが湧いてきた時、”想わない! 想わない! 想わない!”と思ってください。消えて行きます。“消えてゆく! 消えてゆく! 消えてゆく!“と思っても消えて行きます。初めは効果が分からないかも知れませんが、コツが掴めたらハッキリと分かります。
あなたの思いは、どんなことにも効果があるのです。それも想いの力が強ければ強いほど、効果が大きくなります。それは、神と同じ想念を持っているからです。想念は実現の力です。もし身体に何か起きたら、あるいは嫌な思いが湧いてきたら、”想わない! 想わない! 想わない! ” あるいは、“消えてゆく! 消えてゆく! 消えてゆく! ”と思ってください。消えてゆきます。どうか試してみてください。
「何も想わなければ何も生まれない! 想ったら何でも生まれる」この想念力の凄さを身近で感じてもらいたくて、このようなことを書いたのです。どうか想念力を信じ、瞑想してください。必ず神の自覚が得られます。
2018.10.14
※ 人生とは、思い(想い)である!
※ この宇宙に、恐ろしいものなど何一つありません。もし怖ろしいものがあるとすれば、あなたの(自分の)想念だけです。
※ 人の言う事を気にしたら有ることになり、気にしなかったら無いことになります。それは、気にした自分の思いが作ってしまうからです。
人間は、悪いことを思いがちです。ですからこの世には、沢山の苦しみがあるのです。でもこの苦しみは、悪いことではないのです。理由はこうです。
人間は過去世の業を背負って生きていますから、何かと言うとすぐ悪いことを思ってしまいます。悪いことを思うと、当然、苦しみがやってきます。でも苦しみがくれば、原因を追求し悪い所を直しますので成長します。でもまた悪いことを思うので、また苦しみがやってきます。苦しければ、原因を追求し悪い所を直しますのでまた成長します。(悪いことを思った時は黒石を起き、原因を追求し悪い所を直した時は白石を置いている。) このように私たちは、黒石-白石-黒石-白石と交互に置きながら成長してゆくのです。だから、悪いことは悪いことではないのです。ただし、一般人は原因を追求しないので、黒石が置かれたままになっているのです。だからまた同じ苦しみがやってくるのです。
本当は、白石を置こうが黒石を置こうが、魂は成長しているのです。なぜなら、体験したことはすべて魂の成長の糧になっているからです。これが黒石を起きながら原子核が大きくなる、進化の仕組みの素晴らしさです。
この宇宙に無意味なことは、一つもありません。無意味に見える悪も、進化成長の糧になっているのです。だから、悪は悪ではなく善なのです。このことを知れば、気持ちが明るくなります。気持ちが明るくなれば、光が入ってきます。どうか、どんなことも良く受け取って光を頂いてください。
2018.10.21
※ アスリートが、勝とうと必死に戦っている時は成績が伸びず、楽しもうと戦っている時は成績が上がります。これは、欲を持つと光を閉ざし、楽しもうと思うと光が入ってくるからです。何事も楽しむことです。社会体験も瞑想も、楽しみながらやることです。
あなたを傷つけるモノは、この宇宙に一つもありません。ですから、何も恐れることは無いのです。恐れるモノがあるとすれば、あなたの想念だけです。
この宇宙に実在しているのは、唯一自分の想念だけです。その想念は何でも作ることができ、何でも壊すことができる、偉大な力を持っているのです。しかもその想念は、自分の自由意思で、自由に・いつでも・どこでも・どうにでも・使える、とても便利なものです。とても便利で偉大な力を持っているがゆえに、慎重に使わなくてはならないのです。
今あなたが体験している苦しいことは、昔 自分が使っていた悪想念の結果です。悪想念の結果として現れているのですから、掴まなければ(放おっておけば)苦しいことは消えてゆくのです。掴んで離さないから、いつまでも苦しみが無くならないのです。一般人が悪想念を使って苦しむのは、学びのためですから仕方がないとしても、皆さんは学び終わったのですから、もう苦しむ必要はないのです。
皆さんは、人生をいかようにも良くできる、素晴らしい想念を持っているのです。それは、何処へ行く必要もありません。誰の力を借りる必要もありません。お金も必要ありません。どうか自分の想念を使って、良い人生にしてください。
2018.10.28
※ 良い人生にするには、神を想うことです。良い想念を使うことです。
※ 悪想念を使ってならないと言われても、長年のクセで、どうしても悪いことを想ってしまいます。でも瞑想すれば、同時に2つのことが想えないのですから、悪い想念を使わないですむのです。
※ あなたは愚痴って自分を責めていますが、愚痴っている時は悪い原因を作っているのですから、いつまでも苦しみは無くならないのです。自分を責めないでください。自分を許してやってください。
苦しい人生があったればこそ、今、真理を学ぶようになったのですから、苦しい人生は良かったのです。愚痴をこぼす時間があるなら、自分を責める時間があるなら、どうぞ瞑想してください。
学びの友の中で、このようなことを言う人がおりました。「真理を知らない時は、そこそこ楽しく生きられたけど、真理を知ってからは楽しく生きられなくなった!」と・・・その気持、私にも良く分かります。私にもそういう時代があったのですから・・・悩むほど苦しかったら、止めても良いのですよ! でも止められますか? ここまで成熟した魂は、止めたら かえって苦しくなるはずです。
この真理の道だけは、絶対 避けて通れない道なのです。なぜなら、我が家に帰る道はこの道しかないからです。ならば、せっかく道(真理)に出会ったのですから、前に進んでおいた方が利口ではないでしょうか? 世の中には、ホンモノの道を探してウロウロしている魂が沢山いるのです。それに比べたら、ホンモノの道に出会ったあなたは幸せではありませんか? それは、過去生において布石を打っていたからです。今生も布石を打っておきましょう。
どんな魂も、自覚の境界線を超えねばならないのが定めです。逃げて、避けて、通れる問題でないことを知ってください。
2018.11.04
○ 私の独り言パート5
私は思うのです。
「肉体って、か弱いなあ!」
「肉体って、汚いなあ!」
だからせめて、心だけでも強くなりたい! 心だけでも美しくなりたい! と・・・。
「法則に任せる」とは、「人事を尽くして天命を待つ」と言う意味です。「人事を尽くす」とは、今やるべきことを真心を込めてやることです。
一つは、今、家庭でやるべきことや、 今、社会でやるべきことや、 今、職場でやるべきことを、真心を込めてやることです。
二つは、真心を込めて瞑想することです。
やった後は何も考えず法則に任せること・・・つまり、天命を待つことです。良い原因を作れば良い結果が得られます。この原因と結果の法則は、完璧な科学ですから間違いなく働いてくれます。でも、結果を望んではいけません。徳を積むことです。つまり、原因を積み重ねることです。
自我で「ああだ! こうだ!」と考えても何もなりません。私たちがやるべきことは、人事を尽くすことです。人事を尽くせば、法則が必ず自覚の境界線を超えさせてくれます。どうか法則を信じて、2つのことをやってください。
2018.11.11
※ 瞑想している時は、同時に2つのことを思えません。つまり、余計なことを考えないし、余計なことを話さないし、余計なことをしませんから、人事を尽くしていることになるのです。
私は、時々思うのです。
「あの人の魂が、私の魂でなくて良かったなあ! もし、あの人の魂が私の魂だったら、こんな惨めなことはない」と・・・。
私の魂は、人に奪われることはありません。
誰かと交換することもできません。
勿論、売り買いすることもできません。
私の魂は、永遠に私の魂であり続けるのです。
こんな嬉しいことないのではありませんか?
ここまで魂を大きくしてくれた、過去生の自分よありがとう!
2018.11.18
○ 知って欲しいこと
○ やって欲しいこと
以上、やってください。そうすれば、あなたの人生は万々歳です。
2018.11.25
※ 神様は、真理に顔を向けるようになった人に、導き手として光の兄弟を派遣します。皆さんは今日まで、光の兄弟によって導かれてきたのです。
※ 神を信じられる人は幸せな人です。神を信じられない人は気の毒な人です。なぜなら、神を認める人だけが神に認められるからです。と言うことは、神を認めない人は、宇宙に存在していないことになります。何と悲しいことでしょう・・・。
この宇宙には、本当に有るモノだけが有るのです。その本当に有るモノには、何の色も着いていないのです。良く使えば白になり、悪く使えば黒になるだけです。つまり、良く使えば幸せになり、悪く使えば不幸せになるだけです。どう使うかで、白(良く)にも黒(悪く)にも変化すると言うわけです。では、本当に有るモノとは何でしょうか?
本当に有るモノとは、「力・エネルギー」のことです。つまり、宇宙の力・神の力です。その「力・エネルギー」には、善悪のレッテルが貼ってないのです。使い方次第で、善にもなり悪にもなる「力・エネルギー」です。
人類には、その「力」が想念と言う形で与えられているのです。ですから人類は、その想念力を使って何でも作れるのです。良いモノも・・・悪いモノも・・・それも自由意思で・・・。それだけ宇宙(神)は、人類の自由意志を尊重していると言うわけです。だから、想念の使い方が重要になってくるのです。今、人類が苦しみに喘いでいるのは、想念を悪用しているからです。つまり、想念の使い方が下手だからです。
あなたが持っている想念は、料理に使えば善になり、人殺しに使えば悪になる包丁のようなものです。どうか正しく使ってください。使い方次第で、幸せにもなり不幸せにもなるのですから・・・。
2018.12.02
※「人事を尽くして天命を待つとは」・・・今、自分がやれることを精一杯やって、後は法則に委ねて待つと言う意味です。賞罰は人が与えるのではありません。間違いのない法則が与えるのです。
「真剣に・純粋に」真理を求めている者を、神は決して悪いようにはしません。私はこのことを、解ってもらえるまで何度も言い続けます。
誰も苦しみなど与えていません。自分のネガティブな想念が、自分を苦しめているだけです。
よく、
このような人は、決して幸せにはなれません。私は不幸せだと言う人の想念を見てみると、全員が全員 悪想念を持っている人たちです。
神が創られた宇宙に、不幸せなどないのです。不幸せにしているのは人類の想念です。病気は勿論 事故 災難 自然災害も、すべて人類の悪想念によって引き起こされているのです。それほど私たちの想念は、すごい力を持っていると言うことです。それはそうでしょう! 私たちは、神の分身なのですから・・・。
幸せになりたかったら、想念を良いことに使ってください。一番良いのは、神を想うことです。神を想えば、原子核が増えます。悪い業を作りません。家庭に、社会に、地球に、宇宙に、貢献できます。それはただ、神を想えば良いだけです。「家庭を変えたい! 社会を変えたい! 世界を変えたい!」とデモって歩く必要はありません。家にいてできるのです。
2018.12.09
※ 本来この宇宙に、「これが善だ! これが悪だ!」と言った決まり切った善悪や、「これが苦しい! これが楽しい!」と言った決まり切った苦楽もないのです。なぜなら、善悪は条件次第 (場所・時代・人・環境など)で変わり、苦楽も受け取り方次第で変わるからです。でも、それを知るには体験が必要なのです。なぜなら、体験しなければ、ただ善悪の表面や苦楽の表面だけを見て、自分を苦しくしたり 甘えたりしてしまうからです。確かに、今、苦しい体験をしているかも知れません。でもその体験の背後に、必ず魂の成長があるのです。善悪も苦楽も魂を大きくするためにあることを信じ、今の苦境を乗り越えてください。
※ 無意識に悪想念を持つのは、止めようもありません。でも、できるだけ少なくしてください。そのためには、手の甲にでも赤印を付けておいてください。そうすれば気づき、神に思いを向けることができるでしょう。
私が皆さんを変えるのではありません。私の言ったことを皆さんが実践し、皆さんが皆さんを変えるのです。では、何を実践したら良いのでしょうか? それは、次の二つのことをすることです。
この二つは、誰もやってくれません。自分でやるのです。だから自力です。1の社会体験は、すでに皆さんやっていますから何も言うことはありませんが、あえて付け加えるとすれば、今やるべきことを真心を込めてすること、それも厭なことが来ても逃げないですることです。2の瞑想は、雑念が湧いてなかなか集中できないかも知れませんが、普段から正しい「身・口・意」のクセをつければ集中できるようになります。正しい「身・口・意」のクセとは、
①余計なことを思わないこと・・
②余計なことを話さないこと・・
③余計なことをしないことです。
①の思いを正しく管理していたら、瞑想のしやすい環境が与えられます。
どうか、1.社会体験 2.瞑想 を実践し原子核を大きくしてください。原子核が大きくなれば自分の意識が変わりますので、外側の環境も変わってきます。「自分を変えるのは自分である!」と言うことを信じ、ぜひ二つのことをやってください。
2018.12.16
※ 人を誘ってはなりません。人に誘われてくるようでは、真剣に真理を求めているとは言えないからです。
真剣に真理を求めている者を、神は決して悪いようにはしません。
「人生も命生も想念次第である!」と知った私は、何と幸せなのでしょうか! なぜなら、もう外側の出来事に怯えることがないからです。もう他人の言葉に心を痛めることがないからです。だから、何の心配も恐怖もありません。何よりも、自分の自由意思で原子核を増やすことができると言う嬉しさです。こんな幸せなことがありましょうか? 神様ありがとう! こんな素敵な想念を与えてくれて・・・。
2018.12.23
※ 自分の想念だけが実在です。それは、自分しか存在しないと言う意味です。他のモノは、すべて幻です。
※ 今だけが実在です。その今を使えるのは、自分の想念です。今の自分の想念だけが、魂を大きくできるのです。
成功者の伝記を読むと、偉大なことを成し遂げた人ほど努力しているようです。これはこの世の成功者だけでなく、真理の成功者にも言えることだと思います。私が努力を好むのは、努力すれば原子核を増やすことができるからです。
一生懸命努力してこそ、何事も成し得るのです。神だって、一生懸命努力して宇宙を創造されたのです。鉄も打てば打つほど強くなるのです。あんも練れば練るほど艶を増すのです。玉も磨けば磨くほど輝きを増すのです。努力すれば成るのは、原因と結果の法則が実現させてくれるからです。神は努力する者のために、原因と結果の法則を一番の宝物として与えてくれたのです。
努力は宝です。努力は進化の柱です。努力がいかに大切かは、努力している人ほど実感しているものです。どうか努力を惜しまないでください。
2018.12.30
※ 努力すれば成るのは、「動」けば成る法則(原因と結果の法則)が実現させてくれるからです。つまり、「心」が努力して想念を「動」かし、「想念」が努力して体を「動」かし、実現させてくれるのです。