何を信じなくても、自分の想念だけは信じてください。なぜなら、自分の想念だけが実在だからです。他のモノは、どんなに見えても、聞こえても、触れても、みな消えてしまう幻です。しかし想念だけは、永遠に無くならない実在なのです。でもその想念は、誰でも持っているありふれたものですから、空気や水のようにどうしても軽んじてしまうのです。空気や水を軽んじては生きられないように、想念を軽んじても良い人生が作れないのです。
病気にしたのも自分の想念です。事故災難に遭わせたのも自分の想念です。盗難にあったのも自分の想念です。人に騙されたのも自分の想念です。結婚したのも自分の想念です。車を手に入れたのも自分の想念です。素晴らしい絵を描いたのも自分の想念です。悪いことを想えば悪いことが実現し、良いことを想えば良いことが実現するのです。人生は想念次第なのです。どうか想念を良く使ってください。良い想念の一番は、神(マントラ)を想うことです。
私は想念の凄さを、もう一段心の深味で知りました。その深味で知ったことを、今後 皆さんに伝えて行きたいと思います。
2019.01.06
※ 想念は、両刃の剣のようなものです。悪く使えば、人を傷つけ、自分を傷つけ、地球を傷つけます。良く使えば、人を喜ばし、自分を喜ばし、地球を喜ばします。
※ 否定的な言葉は闇の思いから生まれ、肯定的な言葉は光の思いから生まれます。ですから否定的な言葉を語る人は不幸せになり、肯定的な言葉を語る人は幸せになるのです。
私の願いは唯一つ、それは、神の自覚を得て欲しいと言う願いです。何を知らなくても良いのです。何もできなくても良いのです。ただ、「自分は神である!」と自覚することです。
皆さんは、正真正銘の神なのです。どんなに違うと言い張っても、神の意識核によって「体」も「魂」も創られているのですから、皆さんは間違いなく神なのです。なのに、そうは思えない。それは、まだ原子核の量が少ないからです。原子核が増えれば自覚できるようになります。原子核を増やす方法は、2つのことをやることです。一つは社会体験、もう一つは瞑想です。やれば必ず原子核が増えます。これは、「原因と結果の法則」が保証してくれるので間違いありません。
この世の何をやっても何を得ても、みな消えて無くなる虚しいモノです。でも、神の自覚だけは永遠に無くならないのです。永遠に無くならないモノを得るのか、消えて無くなるモノを得るのか、賢いあなたなら分かって頂けると思います。
2019.01.13
※「太く短い」真理の求め方は、どこかに無理が出て挫折しかねません。求道の旅は永遠に続くのですから、細く長い真理の求め方をしましょう。
私たちは、一生や二生でここまで成長してきたのではないのです。何万転生もかけ、ここまで成長してきたのです。これからも、永遠の時をかけ成長してゆかねばならないのです。
※「求めたいから求める!」ただ黙々と・・・それが純度百%の真理の求め方です。
私たちは想念を持っています。と言うことは、私たちは既に幸せを持っていると言うことです。なぜなら、想念を良く使えば幸せになれるからです。でもそのためには、次のことを心の深いところで知らねばなりません。
このことを心の深いところで知った人は、幸せの秘訣を知った人です。
2019.01.20
※ あなたは、何なのですか? 重く汚い肉体なのですか? 消えて無くなってしまう人間なのですか? いいえ、あなたは永遠不滅の意識なのです。
最も大切なことは、良い準備をしておくことです。良い準備をしておくとは、良い原因を作っておくと言う意味です。今 苦しんでいる人は、良い準備をしていなかったからです。良い準備さえしていれば、誰でも幸せになれるのです。では、良い準備(良い原因)には何がいるのでしょうか? 物やお金がいるのでしょうか? 地位や名誉や権力がいるのでしょうか? いいえ、何もいりません。いるのは、良い想念だけです。
世の人々は、良い準備もしないで幸せを願っていますが、それは予約しないタクシーを待っているようなものです。来ないタクシーを待つことほど、苦しいことはありません。タクシーに乗りたかったら、予約しておくことです。つまり、準備をしておくことです。原因を作っておくことです。そうすれば、間違いなくタクシーは来ます。これは当たり前のことです。
原因を作っていたから結果が来たのです。「成せば成る! やれば成る!」これは科学です。
2019.01.27
※
それは、まだ器(魂)が小さいからです。今地球で争いが絶えないのは、小さな器の人が多いからです。
一リットルの器に、十リットルの水は入らないのです。十リットルの水を入れたかったら、器を大きくするしかないのです。器を大きくする方法が、社会体験と瞑想なのです。
この表現世界は、実際に無い世界です。影の世界・幻の世界・現象の世界・見せかけの世界です。でも私たちは五感を持っているため、どうしても見せかけの世界が有ると思ってしまいます。だから自分の身に何か起きると心配し、その想いが病気にしてしまうのです。
本来この宇宙に、病気など無いのです。自分の悪想念が、肉体細胞を弱め病気にしているだけです。それは悪想念が、光エネルギーを閉ざしてしまうからです。病気とは、光(エネルギー)の無い状態なのです。だから光に満たされれば、病気はそく消えてしまうのです。私が「悪想念を持つな!」と言うのは、悪想念を持てば光を閉ざしてしまうからです。
私たちは五感に惑わされ、どうしても悪いことを想ってしまいます。一般人は仕方ないとしても、学んでいる皆さんはそうであってはなりません。病気になりたくなかったら、悪いことを想わないことです。想うなら、良いことを想いましょう。良い想いの一番は、神を想う瞑想です。神を想えば病気にならないし、原子核も増えるので一挙両得なのです。
世の人々は病気を恐れ、サプリメトや栄養剤などを飲んで身を守ろうとしていますが、そんなことをすればするほど病気になるだけです。身体のことは、法則と生命力に任せたら良いのです。そうすれば、法則と生命力が守ってくれます。法則が守ってくれると言う意味は、良い原因を創ったら良い結果がやってくると言う意味です。生命力が守ってくれると言う意味は、悪想念を持たなかったら生命力が守ってくれると言う意味です。
さあ、役割分担を決めましょう。身体のことは生命力に任せ、自分は瞑想をしましょう。そうすれば、一生健康でいられるのですから・・・。
2019.02.03
※ 思い煩うことなかれ!
私が声を大にして言いたいのは、自分の身のことで、自分の命のことで、アレコレ心配しないことです。野の鳥たちは思い煩っていますか? やることはやって、後は生かされるままに生きているのではありませんか? どんなに長生きしたいと思っても、死ぬ時は死ぬし、生きる時は生きるのです。私たちも野の鳥のように、「やることはやって」後は生かされるままに生きたら良いのです。「やることはやって」とは、私たちの場合は、「法則を守ること、2つのことをやること」です。そうすれば、神は必ず良きように計らってくれます。
あなたがどんなに人間だと思っていようと、あなたは間違いなく神なのです。なぜなら、あなたには、次のような神の証があるからです。
「それよりも何よりも、瞑想できること」自体が、神の証なのです。
あなたは肉体ではないのですよ! 人間ではないのですよ! 個人ではないのですよ! あなたは紛れもなく神なのです。
神は一様です。この宇宙には、一しかないのです。ならば、今あなたが存在していること自体が、あなたが神である証ではありませんか? 一つしか無いと言うことは、今 存在しているすべてのものは、その一の現れであると言うことですから、あなたは間違いなく神なのです。ただ、形を見て人間だと誤解しているだけです。誤解が解けたら、あなたは神として自由に宇宙に飛び出して行けるのです。
あなたは、そのような素晴らしい存在なのです。
2019.02.10
※ 外側のモノ(現象・幻)に誘惑された時、こう想ってください。「私は何のために生まれてきたのか?」「人生の目的は何にか?」と・・・きっと冷水を浴びせられたように誘惑から逃れることができるでしょう。
どうして物質は悪なのでしょうか? いいえ悪ではありません。善を学ぶための教材ですから善です。この宇宙に悪など無いのです。なぜなら、どんな物質も神の素材で創られているからです。もし物質が悪ならば、神は悪になってしまいます。
神は表現宇宙を創るにあたり、自分の意識の波動を下げ物質の素である「核」を生み出したのです。波動を下げ核を生み出さなくては、物質が創造できないからです。波動が低いと言うことは、エネルギーが低いということ、光が弱いと言うことです。光が弱い状態は、気持ちの悪い状態、苦しい状態、痛い状態、なのです。光が弱ければ、悪的なモノがはびこるのです。今 地球で多くの悪がはびこっているのは、物質文明が旺盛すぎて波動を低めているためです。
確かに物質は、苦しみの要因になっていますが、幼い魂の多い地球人類にとっては、必要不可欠な物質でもあるのです。なぜなら、物質に溺れることによって、真実を發見することができるからです。
でも学びの友の皆さんは、もうそのような学びは卒業しているのですから一日も早く物質から離れることです。幼い時代には物質の学びは必要ですが、皆さんのような熟した魂にはもう必要ないのです。
2019.02.17
※ 物質は波動の低くい闇の状態ですから、物質文明には悪しきモノがはびこるのです。物を多く持てば持つほど波風が立つのは、闇が悪しきモノを呼び寄せるからです。
今 地球人類は、物質文明に酔いしれていますが、いずれその虚しさに気づき精神文明に舵を切り替えることでしょう。
※ 否定的な言葉は闇から生まれ、肯定的な言葉は光から生まれるのです。ですから否定的な言葉を使う人は不幸せになり、肯定的な言葉を使う人は幸せになるのです。どうか、肯定的言葉を多く使ってください。
ここにある「モノ」があったとしましょう。その「モノ」に価値を与えるのは誰でしょうか? それは、受取人ではないでしょうか。どんなに有り難い「モノ」であっても、受取人が有り難いと思って受け取らなかったら、その「モノ」に価値は生まれないのです。どんなに良い品物を作っても、買い手(受取人)がいなかったら価値は生まれないのです。よく畑で野菜を腐らせる農家がありますが、あれは受取人(買い手)がいないからです。
これは真理も同じなのです。ただし真理の場合は、受取人がいても真理が理解できなかったら価値は生まれないのです。だから私たちは、原子核を大きくして理解力を高めなくてはならないのです。それまでは、目の前に真理があっても無価値なのです。今 人類の目の前に厳然として真理が存在していますが、理解力がないため宙に浮いている状態なのです。
このようにモノの価値も真理の価値も、受取人が納得し受け取ってはじめて生まれるのです。
2019.02.24
※ 認めない価値は無いのです。例えば一億円持っていても、持っていると認めなければ使えないので価値は生まれないです。どんなに有り難い真理も、理解力が乏しかったらその真理は無価値になってしまうのです。真理に価値が生まれるのは、受取人が真理を理解し受け取った時です。
この世は、仮相の世界です。日々 世の移り変わりを見ているあなたは、それを実感しているはずです。なのに仮相と思えない。それは、肉体があなたを惑わせているからです。
今あなたが苦しんでいるのは、夢幻のモノを追いかけ過ぎているからです。苦しみたくなかったら、この世のモノとの関わり合いをできるだけ少なくすることです。では、関わり合いを少なくするには、どうすれば良いでしょうか? 一番良いのは瞑想です。瞑想している時は、この世のことが想えません。この世のことを想わなければこの世のモノが寄ってこないので、関わり合いが少なくなるのです。
想念は何でも実現させます。私たちはその想念を持っているのですから、有効に利用しなくては損です。有効に利用する方法は、本当に有るモノを想うことです。本当に有るモノとは、神のこと、本当の自分のこと、すなわち、あなたのマントラのことです。
ここまで成長してきたあなたは、もうこの世のモノは何もいらないはずです。幸せだけが欲しいはずです。それは、瞑想によって得られるのです。利口な人はそのような生き方をします。ぜひ瞑想し、幸せを得てください。
2019.03.03
※ あなたは肉体人間ではありません。
あなたは光り輝く神です。生命です。意識です。常にそう想いながら生きてください。多く思えば思うほど、あなたは変わります。なぜなら、本当にあなたは神だからです。生命だからです。意識だからです。
※ 世界に知れ渡ったアスリートが、コマーシャルに出ます。出た途端、世界の顔が一企業の顔になってしまいます。これは大損です。なぜなら、大きな自分が小さな自分に成り下がってしまうからです。偉大な魂も人間と名乗れば、大きな自分が小さな自分に成り下がってしまうのです。
意識は誰のものでもあり、誰のものでもありません。意識は一つであり、全体であり、無限だからです。一つゆえに、何か一つでも消えたら、すべてのモノが消えるのです。
砂一粒 無くても宇宙絵が完成されないのは、砂一粒が全体だからです。砂一粒にしてそうですから、あなたが消えたら宇宙が消えるのは当たり前なのです。あなたは、全体であり、一つであり、無限なのです。
もともとこの宇宙に、真理が存在するわけではありません。
もともとこの宇宙に、神が存在するわけではありません。
もともとこの宇宙に、光が存在するわけではありません。
もともとこの宇宙に、物質が存在するわけではありません。
もともとこの宇宙に、時空が存在するわけではありません。
もともとこの宇宙に、幸せが存在するわけではありません。
意識を持っている人類が存在するから、真理が存在し、神が存在し、光が存在し、物質が存在し、時空が存在し、幸せが存在するのです。
こう言えるのは、認める者(人類)がいなければ認められるモノ(真理・神)が存在できないからです。
意識はすべての大本です。本源です。その意識を人類は持っているわけですから、人類がすべてのモノを生み出しているのは当然のことなのです。意識イコール人類なのです。人類イコール意識なのです。「人類が存在するから宇宙が存在する」と言う真理を腹の底に落としてください。
2019.03.10
※ 意識の正体は解らなくても、意識そのものには成り切ることはできます。なぜなら、あなたは意識そのものだからからです。ただ今のあなたは、肉体を自分だと思い違いしているから意識に成り切れないだけです。思い違いを解けば、そく意識そのものに成り切れるのです。思い違いを解く道具が、瞑想なのです。
※ この世のことを意識している時は、幻の世界に生きていることになり、瞑想し神を意識している時は、真実に生きていることになります。と言うことは、想念は実現の母ですから、この世のことを意識している時は、無いものを作っていることになり、瞑想している時は、有るものを創っていることになるのです。
※ 私の勉強会の動画を見て波動を受け取れる(感じられる)ようになった人は、よほど波動を落とさない限り、サタンにやられることは無いでしょう。どうか、一日一回でも勉強会の動画を見てください。または光の音声を聴いてください。その人は、もう真理から離れることはありません。
私たちはよく、「偶然に起きた」とか「必然に起きた」とか言いますが、意味を理解して言っているでしょうか? では、偶然と必然の意味を文字から解き明かして見たいと思います。
偶然の「偶」という字の意味は、「無茶苦茶・思いがけず・当たりばったり・計らずも・たまたま・計画性が無い・無法則」と言う意味です。必然の「必」は、「必ず・きっと・間違いなく・確かに・きっちりと・ぜひとも・揺るがず・有法則」と言う意味です。
「然」と言う字の意味は、「起きる・成る・流れ・道・方向・力・動き・働き」と言う意味ですから、通して解釈すれば「偶然」とは、「無茶苦茶に起きる・思いがけなく起きる・当たりばったりに起きる・計らずも起きる・たまたま起きる・計画性もなく起きる・無法則に起きる」という意味になります。必然とは「必ず起きる・きっと起きる・間違いなく起きる・確かに起きる・きっちりと起きる・揺るがず起きる・法則どおり起きる」と言う意味になります。
この宇宙は、きっちりとした「必然の法則」の下に管理されておりから、偶然などあるわけがないのです。もし偶然があるなら、今宇宙は存在していません。今あなたは存在していません。 今宇宙が 存在し今あなたが 存在していること自体、「必然の法則」によって管理されている証拠なのです。法則とは秩序を意味しますから、どんなことも必然で起きているのです。つまり、成るべきにして起きているのです。
神は、「必然の法則」によって私たちを進化成長させようとしているのです。だから、「悪いことを思ったから、悪いことを語ったから、悪いことをしたから」と言って、自分を責めてはなりません。必然で思い、必然で語り、必然でした良いことなのですから・・・。
この宇宙には、間違いも失敗も悪いことも無いのです。なぜなら、進化成長に結びついている間違いであり、失敗であり、悪いことだからです。と言うことは、あなたが思った悪いことも、語った悪いことも、した悪いことも、良いことだと言うことです。
2019.03.17
※なぜ、起きたことが必然なのか? それは自分しかいないからです。自分しかいないのですから、何かを起こそうと思ったら自分で起こすしかありません。自分が起こそうと思って起こしたのですから、必然なのは当たり前です。
死ぬと分かっているのに、人はどうして生まれてくるのでしょうか? それは、何か学ぶべきこと・・やるべきこと・・があるからではないでしょうか? では学ぶべきこと、やるべきこととは何でしょうか? それは、自分の本性を知ること、そして原子核を増やすことです。これは、表現宇宙では必然事項となっていますから、死ぬと分かりながら生まれてくるのです。
必然には意味があるのです。それは、「どんなことも進化成長のために起きている!」、と言う意味です。進化成長のために起きている必然ですから、どんなことも良いことなのです。例えば「事故に遭った、病気になった、人に騙された」ことも・・「頭に鳩の糞が落ちてきた、ズボンに泥水をかけられた、石につまずいた」ことも・・「悪いことを思った、悪いことを語った、悪いことをした」ことも・・「悩んだ、心配した、恐怖した、」ことも・・みな良いことなのです。どんなに無意味と思えることも、みな進化成長に結びついているからです。
今は解らなくても、自覚の境界線を超えれば解ります。
2019.03.24
※「死ぬと分かっているのに、どうして勉強しなければならないのか? 死ぬと分かっているのに、どうして働かねばならないのか? 死ぬと分かっているのに、どうして道徳や倫理や法律を守らねばならないのか?」と、あなたは思うかも知れませんが、それはあなたを成長させるために必要な必然だからです。
※「死ぬと分かっているのに、なぜ生まれてくるのか?」このことを深く考える人は殆どいません。でも学びの友の皆さんは、深く考えてください。きっと気付かない深い意味が発見できると思います。
※ サタンにやられたくなかったら、一日一回 必ず勉強会の動画を見てください。
学びの友の皆さんは、「人間は魂であり、生命であり、意識であり、神である!」と言っても信じてくれます。また、「地球は意識と意思を持った生き物である!」と言っても信じてくれます。でも「鳥たちが、鳥向けの言葉と人間向けの言葉の使い分けをしている」と言ったら、信じてくれるでしょうか? 一般の人に言ったら、冷たくあしらわれてしまうでしょうが、あなた達なら少しは戸惑っても信じてくれるでしょう。なぜなら皆さんは、神が鳥たちを差配していることを知っているからです。でも一般人はそんなこと信じませんから、聞き耳を持たないのです。これは魂の熟成度の差ですから、彼らを蔑んではいけません。彼らも人生体験を積んでゆけば、いずれ信じられるようになるのですから・・・。
幼い魂は、波動の高い話は理解できないのです。でも、それだから生きていられるのです。もし彼らが、一瞬でも下から上が見えたら、恐らく惨めさのあまり生きていられないでしょう。彼らが曲がりなりにも安心して生きていられるのは、下から上が見えないからです。
魂の上の者は、下の者の愚かさが見えても指摘するようなことはしません。指摘しても、彼らには解ってもらえないからです。だから、彼らと私たちは共存してゆけるのです。私がこのようなことを平気で書けるのは、読んでも彼らには理解できないからです。
「知らないことの有り難さ!・・・ 知らないことの罪深さ!・・・」学びの友の皆さんは、このことを知っておいてください。
2019.03.31
※「知らぬが仏」と言う諺がありますが、正に知らぬことは有り難いことです。でも、恐ろしいことでもあるのです。なぜなら、やってならないことを、知らぬがゆえに平気でやるからです。
現状に変化が起きた時、疑問に思ってください。どれほど成長したか?、神は試しているのかも知れません。また、こうも考えてください。
新たな変化は、「真剣に真理を求めていますか?」という問いかけかも知れません。ここまで成長した皆さんは、もう片手間で真理を求める時代は終わったのです。神は、「真剣に階段を上がりなさい!」と言っているのかも知れません。とは言っても、魂の計画はみなそれぞれ違うわけですから、全員に当てはまるとは限りません。でも神我の自分に聞けば、どのような意味のある変化か分かると思います。
「この度の変化は何を試しているのか? 私は今の求め方でいいのか?」 一度、神我に問うてみてください。
私たちは日々惰性で過ごすことが多いため、現状で満足してしまうのです。だから神は、マンネリを打破させるために刺激を与えるのです。変化の刺激は、考える良い機会なのです。
魂が成長すると、学びの内容も高度になることを知ってください。
2019.04.07
※ 喜びの強さも、悲しみの強さも、感動の強さも、魂の熟成度に沿うように変わってきます。あなたの魂がさらに成熟すれば、今の喜びも、悲しみも、感動も、まだまだ高度なものになるでしょう。これは誇って良いことです。
このような仕組を創られた神に感謝しましょう!
神は能動的な存在です。これが良いと思ったら、すぐに行動に移すのが神です。私たちは神の子ですから、神と同じように能動的にならねばなりません。ウジウジしていては、原子核を増やすチャンスを逸してしまいまてす。それどころか、一般人にも遅れを取ってしまいます。どうか、積極的な行動をする人になってください。
良いと思って直ぐに行動を起こせば、原子核が自乗的に増えるのです。これは、神が創ってくれた素晴らしい仕組みです。学びの友の皆さんが、スピードアップして原子核が増えるのは、そのためです。たとえ積極的にやって失敗したように見えても、それは成功のための失敗ですから成功なのです。すべて必然で良いことです。だから積極的にやれば、必ず進化成長するのです。
どうか行動的な人になってください。行動的な人は、大きく成長します。それは・・向こうへ帰ったらはっきりと分かります。
とは言っても、やはり中庸は守ってください。いくら積極的が良いからと言って、人の家に土足でヅカヅカと入るようなことだけはしないでください。
求道者は、常識人でなくてはなりません。どうか、自分の原子核の量に見合った中庸を守ってください。
2019.04.14
※ 学びの友のやるべきことは、瞑想することです。クヨクヨ考える暇があるなら、悩む暇があるなら、心配する暇があるなら、瞑想することです。すべて瞑想が解決してくれます。こんな有り難いことが有りましょうか?
人は死ぬと分かっていながら、どうして生まれてくるのでしょうか?
人は死ぬと分かっていながら、どうして何かを成し遂げようとするのでしょうか?
人は死ぬと分かっていながら、どうして何かを求めようとするのでしょうか?
人は死ぬと分かっていながら、どうして何かを残そうとするのでしょうか?
それは自分が、永遠の存在であることを知っているからです。永遠の存在である自分は、永遠の存在であるがゆえに成長したいのです。そのためには、死ぬと分かっている世界で体験しなければ成長できないので、死ぬと分かっていながら生まれてくるのです。もし自分が永遠の存在でなければ、学ぶことも、仕事をすることも、良い家庭を築くことも、馬鹿らしくてやっていられないはずです。
私たちは、肉体ではありません。私たちは永遠の存在である、生命です。その生命は、見える世界で様々な体験をすることで、成長できるのです。
2019.04.21
※「そんなこと当たり前ですよ!」と人は良く言います。なぜ当たり前だと言えるのでしょうか? それは、当たり前でないことを知っているからです。当たり前でないことを知らなかったら、当たり前が何か解るはずがありません。だから私たちは、当たり前の世界から当たり前でない世界に出てきて、当たり前が何なのか学んでいるのです。初めから当たり前を知っていたら、あなたは当たり前でない世界に出てこなかったはずです。
モノには表と裏が必ずあります。表だけのモノもなければ、裏だけのモノもありません。その証に、あなたの手を真ん中から切ってみてください。どんなに切っても切っても、表と裏は離れません。一センチの厚みのものを一ミリに切り、一ミリの厚さのものを更に0点一ミリに切っても、表と裏はあり続けます。この表と裏は、永遠にあり続けるのです。ですから、表だけの手もなければ、裏だけの手もありません。表と裏があって、はじめて手があるのです。
今 私たちは、肉体を持っています。この肉体は表なのです。表の肉体が有ると言うことは、今 言ったよう必ず裏があります。その裏のことを私は、神と言ったり、生命と言ったり、意識と言ったりしているのです。その神は見えません。でも間違いなく神は存在しているのです。裏の手がなくては表の手がないように、裏の神がなくては表の人間はいないのです。
本当に有るものとは何でしょうか? 表が有って裏が有ってはじめて「手」が有ると心の底で思えた時に、本当に有るものが生まれるのです。つまり、人間が有って神が有ると心の底で思えた時、はじめて神人が生まれるのです。神人が本当に有るモノなのです。でも、本当に有る神人は形がないので観えません。ですから、理解力で神人を観るしかないのです。
このように本当に有るものは、表と裏の関係を心の底で理解した時に生み出されるのです。この心の底で理解できた人のことを、「理解眼の開かれた人」と言うのです。このことを理解するのは容易ではありませんが、ぜひ理解してください。それは・・自分の手が教えてくれます。
2019.04.28
※ この宇宙に有る確かなものは、幸せだけです。幸せだけが実在だからです。この宇宙に存在している生命体は、みな幸せだけを欲しがっているのです。
あの当時は、あのような幼いことしか考えられなかったのです。
あの当時は、あのような幼いことしか話せなかったのです。
あの当時は、あのような幼い行いしかできなかったのです。
それはまだ原子核が少なかったからです。原子核が少なければ、幼い考え、幼い話し、幼い行為しかできないのです。それは自分の責任ではありません。幼さゆえの過ちですから、自分を責めてはなりません。その当時はその当時で、やれることを精いっぱやって生きてきたのです。でも、今のあなたは違っております。なぜなら、当時より原子核が増えているからです。
「時は原子核」なりです。「一日の長」です。人を成長させようと思ってもできませんが、時間は人を成長させてくれます。それが解った人は、人を責めないし自分も責めません。
今 私たちがやるべきことは、今やれることを精いっぱいやることです。今やれること・・・それは社会体験と瞑想です。
2019.05.05
※ 私の小学生時代、一年間 休まず学校に通ったら皆勤賞がもらえました。一日 休んでも、精勤賞がもらえました。あの当時のことですから大したご褒美はもらえませんでしたが、鉛筆やノートなどを頂きました。でも嬉しかったものです。
真面目に学んでいる人に、ご褒美が与えられるのは当然ではありませんか。真理も同じです。真面目に学んでいれば必ずご褒美がいただけます。それは、原子核が増えると言うご褒美です。このご褒美は、本人が与えるのです。それは、原因と結果の法則が与えると言う意味です。
学びの友の一人から、次のような手記を頂きましたのでご紹介します。
「あの当時の私は、親にも、妻にも、子供にも、ひどいことをしていました。また人を憎み、世を憎み、自分に都合の悪いことは、すべて人のせいにしていました。また欲望に負け、人として恥ずかしいこともしていました。そんな私でしたから当然、苦しみがやってきました。それでも私は、目覚めなかったのです。そんなある日、キツイ苦しみがやってきました。そこで「バチが当たった!」と思い、やっと目覚めたのです。
自分を弁護するようですが、あの当時の私はあのような生き方しかできなかったのです。それは、真理を知らなかったからです。だからと言って、「原因と結果の法則」から逃れられるものではありません。私はその代償を、苦しみで償ったのです。
これは後で分かったことですが、あの苦しみは目覚めに必要な警告だったのです。欲望のままに生きていた当時、何度も警告を受けていたのですが、それが警告だと気づかなかったのです。いいえ、薄々気づいていたのですが、改心する勇気がなく、警告を無視していたのです。悲しいことですが、人は我が身で苦しみを体験し、はじめて改心するものなのです。私がその良い証です。
真理を学んでいる今の私は、心穏やかです。心の中に昔のような曇天はありません。晴れ晴れしています。もう、何のわだかまりもありません。真理に導いてくれた守護霊様、本当にありがとうございました!」
人は誰でも悪を犯し痛い目に遭っているものです。大切なのは、その痛い目から何を学ぶかです。学んで成長したら、悪は善になるのです。黒石が白石になると言うことです。
2019.05.12
※「バチが当たった!」という思いの中には、二つの思いが込められています。一つは、神の存在を認める思い、もう一つは反省の思いです。ですから「バチが当たった!」と思える人は、結構、魂の熟した人なのです。
※ 求道者の最終目標は、欲望のコントロール・感情のコントロール・想念のコントロールができるようになることです。欲望のコントロールは大分できるようになったと思いますが、感情のコントロールはなかなかできないと思います。特に家族間の情のコントロールは難しいと思います。親しい情の交わしあいが、情を深めてしまうからです。
薄情と思うかもしれませんが、外側のモノとあまり情を交わさないことです。外側のモノは無いからです。学びの友の間においても、必要以上のつながりを持って情を深めてはいけません。できるだけ淡白なお付き合いをしてください。
宇宙は、一であり無限です。ゆえに一の中には、一のモノしか無いのです。ですから、一の中の何を探し出しても同じ一のモノです。宇宙が二つ有るなら(有限なら)他の宇宙の中に別のモノがあるかも知れませんが、一つの宇宙しかないわけですからあるのは同じ一のモノなのです。だから、わざわざ遠くに探査機を飛ばして石を持ち帰ることはないのです。足元に転がっている石も、何億キロ先の小惑星の石も、同じ石なのですから・・・。
何でも二つで一つです。手の中に裏と表が同居しているように、明るさの中に光と闇が同居しているように、人間の中にも神が同居しているのです。このことが心の底で解ったら、自分が「一である」「神である」と自覚できるようになるのです。どうか色々な角度から一に光を当て、一の正体を知ってください。一の裏には、必ず神がおられるのですから・・・。
学びの友の最大の課題は、このことをいかに心の深いところで知るかです。
2019.05.19
※ あなたのいない一秒ってありますか?
あなたのいない一日ってありますか?
あなたのいない一年ってありますか?
誰が一秒を作ったのでしょうか?
誰が一日を作ったのでしょうか?
誰が一年を作ったのでしょうか?
あなたではありませんか?
あなたがいなかったら一秒は無いのですよ!
あなたがいなかったら一日は無のですよ!
あなたがいなかったら一年は無いのですよ!
ならばあなたは、何なのですか?
主観者ではありませんか?
宇宙の主ではではありませんか?
すなわち・・神ではありませんか?
想念したものは、どんな想念であっても宇宙空間に青写真として残ります。その青写真は、いつか必ず想念した人の所にお荷物として帰ってきます。病気も事件 事故 災難も、想念した人の苦しいお荷物です。でもその苦しいお荷物は、悪想念が消えてゆく姿でもあるのです。
不幸というものは、元来この宇宙には無いのです。人類の迷いの想念が一時 生み出した、幻の不幸にしか過ぎないのです。一時の幻ですから、放おっておいたら必ず消えてゆくのです。本当に有ると思って手放さないから、いつまでもあるのです。
病気・事件・事故・災難は、すべて悪い在庫品が掃けてゆく姿です。今あなたがすべきことは、悪想念を持たないようにすることです。悪想念を持たなければ、悪い在庫品を増やさないので悪い在庫品は無くなってゆくのです。
どうか、悪想念を持たないようにしてください。悪想念を持たないためには、瞑想をすることです。瞑想すること・・それが幸せになる秘訣です。
2019.05.26
※ 肉体のことは生命力(真我)に任せ、あなたは瞑想をしましょう。そうすれば、生命力が肉体を健康にしてくれます。肉体のことをクヨクヨ考え心配するから病気になるのです。
※ 雑念に悩まされている人は、何か雑念が湧きそうになったら「想わない! 想わない! 想わない!」と思ってください。
肉体の現象 (痛み・痒み・痺れ・クシャミ・咳・辛さ・シンドさ・胸悪さ・息苦しさ・など)に悩まされている人は、そのような現象が生まれそうになったら「想わない! 想わない! 想わない!」と思ってください。雑念も、現象も、消えてゆくはずです。
雑念や現象が消えたら、自分のマントラ(光・神・生命)を想い続けてください。瞑想してください。
※ 私たちが纏っている肉体は、確かに汚くか弱く不自由かも知れません。でもその肉体がなくては、何も学べないのです。だから肉体は大切です。
人生の目的は、その肉体を使って何を学び、何を残すかです。
上面だけを見ないでください。上面の奥を見てください。どんなモノにも面の奥があるのです。面の奥が無ければ上面は無いのです。二つで一つなのです。見えるモノの背後には、必ず見えないモノがあるのです。唯物論者はそのことが理解できないため、「肉体有る限りの人生だ!」と言うのです。
肉体有る限りの人生なら、人は何のために生きねばならないのでしょうか? 肉体有る限りの人生なら、例え何を作っても、何を得ても、何を残しても、何を学んでも、残らないのですから無意味です。
あなたは、「生まれてきたからには、死ぬわけにゆかないから生きる!」と言うのですか? そんな無目的な人生に、何の意味があるのでしょうか? 生まれてきたからには、生まれてきた目的があるのではありませんか? 生きることによって「何かが残るから!」生まれてきたのではありませんか?
唯物論者は思考の停止した死人です。自分の存在を否定している人です。そんな死人にならないでください。どうか、奥の奥が見られる人になってください。奥の奥が見られる人は、自分を殺すようなことは言いません。
2019.06.02
あなたは今生 肉体を持つことによって、どれほど辛い、苦しい、悲しい、体験をしたことでしょう。あなたはもう、「こんな肉体を持つのは懲り懲りだ!」と思っているのではありませんか? でも、肉体を持ったお蔭でここまで成長してこられたのですから、今生 肉体を持って生まれてきたことは大成功だったのです。せっかく肉体を持って生まれてきたのですから、もう少し厭な体験をして帰ってください。
このように言うのは、厭な体験をすればするほど原子核を増やして帰れるからです。だからと言って、わざわざ厭なことを貰いに行きなさいとは言っていません。やってきたら逃げないで乗り越えてください!、と言っているのです。
どうか厭なことがやってきても、成長のための体験だと思って乗り越えてください。乗り越えたら、あなたはまた一段大きくなっているでしょう。
2019.06.09
※ 厭なことの少ない人と多い人との、どちらが成長するでしょうか? 厭なことの多い人ですね! だから幼い魂は、厭なことを想って厭なことを多く引き寄せ、厭なことを多く体験するのです。
大人になった魂は、あまり厭なことを想わなくなりますから、厭な体験も少なくなるのです。と言うことは、それだけ瞑想しやすい環境が整うと言うことです。
※ 体をこまめに動かす人は、サタンにやられづらいのです。なぜなら、体を動かせば宇宙エネルギーが入ってくるからです。どうか、こまめに体を動かしてください。動かせばサタンにやられないばかりか、原子核も大きくできるのですから・・・
あなたが今 嫌な人に出会っているのも、今 厭な環境にいるのも、過去の自分の悪想念が引き寄せた結果です。でもその結果は、時間が消してくれているのですから、嫌な人だと思わず、厭な環境だと思わず、「過去の自分の悪想念が、今 消えているのだから良いことだ!」と思ってください。「嫌な人だ! 厭な環境だ!」と思っているから、いつまでも嫌な人も厭な環境も無くならないのです。過去のことは忘れてください。今の今、何を想うかが大切なのです。
「嫌な人の中に・・厭な環境の中に・・」光をイメージしてください。そうすれば嫌な人も嫌でなくなるし、厭な環境も厭な環境でなくなります。あなたの見方が変われば、人も環境も変わるのです。
嫌な人も、厭な環境も、みなゆめ幻です。そんなゆめ幻のために、自分の心を汚すことほど損なことはありません。さあ、どんなことも良く受け取ってください。「自分の成長のために必要な人だ! 自分の成長のために必要な環境だ! 自分の成長のために必要で起きたことだ!」と・・・。
あなたがすべきことは、今やるべきことを真心を込めてやること、そして瞑想をすることです。この二つのことをやっていれば、間違いなくあなたは成長します。
2019.06.16
※ 病気を作っているのは、自分の想念です。過去に抱いた悪想念が、今の病気にしているのです。
病気から抜け出す方法は、病気にエネルギーを与えないことです。難しいかも知れませんが、痛みや苦しみが来たら「今 病気が消えている! 消えている! 消えている! 良いことだ! 良いことだ! 良いことだ!」と思ってください。そうすれば、ネガティブなエネルギーを与えないので病気は快方に向かうのです。
病気のことは考えないことです。そのためには瞑想することです。
※ 宇宙に書いた絵や文字は、相手にしなければ刻々と消えて無くなるのです。ですから悪い事が起きても、あまり動揺しないこと・・あまり心配しないこと・・難しいかも知れませんが、相手にしないことです。相手にしなければ、エネルギーを与えないので悪いことは起きなくなります。
人それぞれ世界観を持っています。同じ世界観を持っている人は一人もいません。なぜなら、理解力によって世界観が違ってしまうからです。と言うことは、世界は外側にあるのではなく、人それぞれ理解した思いの中にあることになるでしょう。
世界観には、見方によって客観的世界観と主観的世界観があります。客観的世界観で見た場合、その世界には波動の違う世界が無数に存在し、そこに沢山の人や物が存在することになります。ですから客観的な見方をしている人には、人や物や環境が実際に存在することになるので、どうしても争いごとが起きるのです。しかし主観的世界観で見た場合、その世界に存在するものは、すべて自分の進化成長に都合の良いものばかりになります。なぜなら、自分の進化成長に必要な物・人・環境を自分が用意するからです。勿論そこで起きたことは、みな自分が起こさせたことです。
外側に世界があるように見えますが、それは誤解なのです。なぜなら、自分しか存在しないからです。客観的世界があると思っている人は、自分の想念で客観的世界を作ってしまうのです。その客観的世界はもともとあったのではなく、今の自分の理解力が作った自分独自の世界なのです。
客観的世界観を持っている人も理解力が増せば、今 見て感じている世界は消えて新たな世界が見えてくるようになります。それも、理解力が増した分の高度な世界が見えてくるようになります。そうなると、昔の客観的世界観は幼稚になってしまうのです。
このように世界は外側にあるのではなく、自分の理解力が内側に世界を創るのです。このことは、自覚の境界線を超えなくては解らないかも知れませんが、世界とはそうものであると言うことだけ知っておいてください。
2019.06.23
※ ある学びの友の気づきをご紹介しましょう。
「人間は、嫌な形をしているからゴキブリを殺します。と言うことは、人間は神を殺しているって言うこと・・・?
虫の知らせとは、神のお告げみたいな意味ですよね。だからゴキブリの虫(真我)さんは、「この汚い所を掃除しなさい!」とお告げをしてくれているのですね・・・。人間は真我の思いが分からないから、代わりにゴキブリさんが気づかせるしかない! てことですね。形のキレイなものキタナイもの、全て真我の思いの現れだったのですね!・・・なんと凄い仕組みでしょう!!
地球上の表現物が、これほどまでに歪曲して表現されねばならない理由は、地球人類の魂が未熟で過ちに気づけないからなのですね! 見るからに嫌な形のゴキブリを見せることで掃除させる・・・歪曲したやり方だけど、未熟な魂にはそう言う方法でしか気づかせることができないのですね! 納得です!!
「どうして相手がいるのですか? それは、自分がいるからではありませんか?」・・・。あなたは、どうして自分がいると思えるのですか? それは、自分がいるからではありませんか? 自分がいなかったら自分が認められないので、自分はいないのです。自分が自分を認め、自分を存在させていると言うことです。と言うことは、自分の中に二人の自分がいることになるでしょう。そうです。あなたの中には、二人の自分がいるのです。では二人の自分とは、どのような自分なのでしょうか?
一人の自分は、自我の自分です。もう一人の自分は、真我の自分です。真我の自分がいなかったら自我の自分はいません、また自我の自分がいなかったら真我の自分もいません。真我の自分が自我の自分を創り、自我の自分が真我の自分を認め、真我の自分を存在させているのです。自我の自分と真我の自分は、相身互いの関係にあると言うことです。しかし実際に存在しているのは、原因者である真我の自分の方です。真我は実在しますが、自我は真我が創った幻の自分にしか過ぎないのです。だからと言って、自我を軽んじてはなりません。自我は幻の自分ではありますが、自我が真我を認めて真我を存在させているのですから、自我と真我は同等の価値があるのです。
どうか・・自我を大切にしてください。肉体を大切にしてください。家族を大切にしてください。社会を大切にしてください。地球を大切にしてください。表現宇宙を大切にしてください。
2019.06.30
※ 友達のAさんは、あなたが認めているから存在しているのです。あなたがいなかったらAさんは認められないのですから、Aさんは存在しないのです。またAさんから見たら、Aさんがあなたを認めているからあなたは存在しているのです。もしAさんがいなかったらあなたは認められないのですから、あなたは存在しないのです。
この宇宙には、一様の自分(真我の自分)しか存在しません。でも、一様の自分では自分が存在できないので、分身を創って自分が自分を認め合っているのです。
現世利益が欲しくて真理を求めている人は、真の求道者とは言えません。現象が欲しくて真理を求めている人も、真の求道者とは言えません。知識を頼りにしている人も、真の求道者とは言えません。勿論、義理や人情で真理を求めている人も真の求道者とは言えません。真の求道者とは、人生を賭して「本当の自分に目覚めたい!」と思っている人のことです。そのような人は、外側のものを頼ろうとせず、自分の理解力を頼りにします。
真理の扉は、理解力によってのみ開かれるのです。理解力が高まれば、先見の明がつき、判断力が高まるため、視野が広がります。視野が広がれば、色々な気付きが生まれます。その気付きは、自分の意識の中から生まれるヒラメキで、これは天から降りてくるのです。
外から教わるのは、外側の幻のことだけです。内から教わるのは、内側の真実(真理)のことです。どうか理解力を高め、内側から真理を得てください。その理解力を高めるのは、自力による社会体験と瞑想です。どうか、2つのことをやって理解力を高めてください。
2019.07.07
※ 気付きやヒラメキは、原子核を増やしたら与えられるご褒美です。原子核を増やすのは自力です。理解力を高めたかったら・・ 気付きが欲しかったら・・ どうか自力で原子核を増やしてください。
神様は時空の中に素晴らしい絵(表現宇宙)を描かれましたが、その絵は神様の満足心から生まれた絵でした。私たちも神様を見習い、自己満足心で人生を描きたいものです。
神様が描かれた絵は美術品です。人間が描いた絵は芸術品です。
神様は、自己満足度100%の絵を描かれたのです。誰の目も気にしない! 何の囚われも拘りもない! ただ自分が「納得する・・満足する・・」絵を描かれたのです。だから美術品なのです。人間が描いた絵には、色々な汚れが入っています。例えば、自分を良く見せたいという顕示欲、お金を儲けたいと言う金銭欲、名を上げたいという名声欲などです。だから人間が描いた絵は、波動の低い芸術作品になるのです。
真の美術品は、自己満足度100%から生まれるのです。職人バカと言う言葉がありますが、真の職人さんは金儲けしたいと言う思いも、名を上げたいと言う思いもありません。ただ、自分が満足する絵が出来上がるまで作り続けるのです。彼らは、自己満足度100%の絵を描きたいのです。でも最近は、そういう職人さんは少なくなりました。殆どの職人さんは、色々な汚れの入った絵を描いています。特にお金が絡む資本主義社会においては、自己満足度の純度は落ちる一方です。
私は、美芸に携わっている人にも、一般の人にも言いたいのです。本当に良い作品(人生)を作りたいなら、神様のような自己満足度100%で作ってくださいと・・・。
このように言うのは、自分が主観者だからです。この宇宙には自分しかいないのです。だから、自分が満足する絵を描いたら良いのです。雑音を出す外側の人たちは幻ですから、何を言われようと気にしないことです。
ただし、どんなに自己満足する絵(人生)を描いたら良いと言っても、人が嫌がるような絵(人に迷惑をかける人生)を描いてはなりません。自己満足する絵(人生)を描くにも条件があるのです。
一つは、真善美を犯さない描き方(生き方)・・
二つは、中庸を犯さない描き方(生き方)・・
三つは、宇宙の法則を犯さない描き方(生き方)です。
神様が描かれた自己満足100%の絵は、この三つを満たしている絵ですから、素晴らしい作品になっているのです。私たちも、この三つを守って絵(人生)を描いたら、素晴らしい絵(人生)が出来上がることでしょう。
2019.07.14
※ 神様と同じように私たちも、自己満足度100%の生き方をしたら良いのです。人の目を気にせず明るく楽しく生きれば、人とのトラブルも 事故 災難 病気 なども一切起きなくなります。自己満足度100%の状態は、光100%の状態ですから、光のあるところに不幸は入ってこられないのです。
自己満足の絵では自分は喜ばせられても、人を喜ばすことができないと思うかも知れませんが、人の目を気にして作った絵より返って人を喜ばせることができるのです。何一つ欲の入っていない純度100%の絵は、自己満足度100%の神様の絵と同じですから、素晴らしい波動の絵になるのです。つまり、自己満足度100%の楽しい生き方をしたら、周りの人たちも喜ばせることができるのです。
※ どんなに真理を学んでいる者同士でも、自覚の境界線を超えるまでは時にはトラブるを起こすことがあるのです。でも一般人と違う点は、そのトラブルを成長につなげている点です。ある学びの友が言っていました。
「あのトラブルのおかげで、色々な気付きが得られ成長することができました。だから、今は相手に感謝していますと・・・。」
またこうも言っていました。
「私が成長するくらいだから、相手の学びの友も成長しているはずだと・・・。」
神様は、何と素晴らしい仕組みをお創りになられたことでしょう。どんな悪い事もすべて成長につなげてくれているこの有り難さ! 感謝あるのみです。
私たちは、波動の高い天におりました。そこでは波動の高いものは体験できても、波動の低いものは体験できません。それでは真の幸せが味わえないので、私たちは波動の低い体験をするためにわざわざ記憶を失い地上界に降りてきたのです。記憶を失った状態は、自我の無い状態です。これでは何も認められないので、地上界に降りてきた意味がありません。ですから自我を持つために、鉱物から植物へ 植物から動物へ 動物から人類へ と進化のプロセスを踏んだのです。私たちの中に鉱物・植物・動物の習性が残っているのは、そのような進化のプロセスを踏んできたからです。特に動物時代の習性は、色濃く残っています。未熟な魂が物欲や性欲に溺れるのは、動物時代の習性が強く残っているからです。これを私は、第1段階の動物人間の習性と言っています。その魂も人間社会で揉まれるうちに、第二段階の人間的習性を身に付けるようになります。つまり、物欲・金欲・地位や名誉欲・権勢欲・自己顕示欲などの人間的欲望を持つのです。今の地球人類の多くは、動物の習性と人間の習性を併せ持った動物人間の状態なのです。
でもこの状態は、決して悪いことではありません。私たちの目的はあくまでも霊性の進化を遂げるためですから、波動の低い人間体験を数多くすることは必要なのです。ですからV字の左側の時代は、人間的欲望に溺れて様々な苦しみを体験するのです。苦しい体験をするうちに、人間的欲望の虚しさを知ります。知った魂は、V字の右側に入ってきます。V字の右側に入ってきた魂は、霊性の進化を遂げる方向へ自然と舵を切るようになります。つまり、人間的欲望から自然と離れるようになるのです。学びの友の皆さんが、あまり欲望を持たなくなったのは、それだけ霊性の進化が進んだからです。欲望を強く持つか持たないかは、霊性の進化のバロメーターだと思ってください。霊性の進化を目指している者に、地位や名誉や権力などは不要です。お金も物も必要最低限あれば良いのです。
2019.07.21
※ 物質の世界は、汚いです。醜いです。鈍重です。不自由です。霊の世界は、綺麗です。美しいです。精妙です。自由です。私たちは、物質人間ではないのです。霊です。もうそろそろ、霊の自分に戻りましょう。
※ 私たちはすでに、肉体と言う動物を飼っているのです。その上、まだ他の動物を飼うつもりですか? 私たちは、一日も早く動物から卒業し霊性の進化を遂げねばならないのです。
※ 鉱物や植物や動物たちは、何も悪いことをしていないのに人間に虐待され苦しんでいます。何も原因を作っていないのに、彼らはどうして痛い目や苦しい目に遭うのでしょうか? 原因と結果の法則は、彼らには働かないのでしょうか?
※ 今の地球人類は、動物と同じ営みをしています。食べて出す・・セックスする・・眠る・・すべて動物的習性です。私たちは一日も早く霊性の進化を遂げ、動物的習性から抜け出さねばならないのです。
※ 私の言ったことを鵜呑してはなりません。
私はその時の状況に応じて、反対のことを言うこともあるのですから・・・。
この宇宙には、ホンモノらしき顔をしているニセモノと、ニセモノらしき顔をしているホンモノが存在します。つまり、見えるニセモノと見えないホンモノが存在するのです。では本当に実在するのは、見えるモノでしょうか? 見えないモノでしょうか?
この宇宙は、対になっております。二つで一つなのです。二つで一つですが、どちらかがホンモノで、どちらかがニセモノなのです。ニセモノは、実際に無い現実です。ホンモノは、実際に有る真実です。ニセモノの現実は見えるのです。ホンモノの真実は見えないのです。つまり、「見える・聞こえる・触れる・味わえる・臭えるモノ」は、すべて幻なのです。なぜなら、肉体に付属する五感そのものが幻だからです。幻の五感で幻を見聞きしても、それは幻にしか過ぎないのです。もし五感にかかるモノが永遠に無くならないなら、私は五感にかかるモノを追い求めなさいと言います。でも五感にかかるモノのは一時存在しているだけで、いつか必ず無くなってしまうのです。無くなるモノを追いかけ、心が満足するはずがありません。
真実(真理)とは何でしょうか? 現実(非真理)とは何でしょうか? 真実とは永遠に無くならないモノ、現実とは必ず無くなってしまうモノです。何千億年・何兆億年存在しようと、無くなるモノは真実ではないのです。宇宙の無限時間での一兆億年など、一瞬です。ましてや私たちの住んでいる地球は、どんなに長く存在しても数百億年程度です。その地球における人類の文明も、せいぜい数万年維持できれば良い方です。更に今の地球人類の寿命は、どんなに維持できても百数十年程度です。その百数十年程度の命を守ろうとして、競い、闘い、奪い、戦争までしているのが、地球人類なのです。それは、真実と現実の見分けができていないからです。
この表現宇宙は幻です。地球も幻です。幽界も幻です。夢も幻です。幻覚も幻です。詐欺師の言葉も幻です。柳を幽霊と見間違ったのも幻です。蜃気楼も幻です。UFOも幻です。物質化現象も幻です。この世の現象は、すべて幻なのです。幻の世界で起きていることは、すべて幻なのです。私たちは、生まれて死ぬまで、いや、死んだ後も幻の中で生きて行くのです。そしてまた幻の中に生まれ、幻の中で生き、幻の世界に帰って行くのです。あなたは、こんな幻の輪廻をいつまで繰り返すつもりですか?
幻の中で味わう幸せは一時です。必ず色褪せ無くなってしまいます。あなたは、そんな一時の幸せで満足できますか? 永遠の私たちは、永遠の幸せを掴まなくては満足できないはずです。その永遠の幸せは、真実を知れば得られるのです。どうか真実を知ってください。そうすれば幻の輪廻から抜け出し、「永遠に尽きない! 永遠に色褪せない!」幸せを掴むことができるのですから・・・。
私たちそのものが、永遠に無くならない「意識」なのです。ただその自覚がないだけです。どうか、真実と現実を見分ける目を持ってください。
2019.07.28
※ 二兎追うものは一兎も得ず・・虻蜂取らず・・この二つの諺を持ち出すまでもなく、二つのものを追いかけては一つも得ることはできません。ですからまずは、形の世界の様子を知りましょう。その後、見えない世界の様子を知れば良いのです。
「鉄は熱いうちに打て!」と言う諺がありますが、この諺には2つの意味があります。一つは、「人は柔軟性のある若い時に鍛えた方が良い、或いは、時期を逸しないうちに実行すべきである」と言う意味・・・もう一つは、「早い時期に反対の体験をした方が、魂が良く育つ」と言う意味です。
輪廻転生において「男・女・男・女・男・女」と交互に性別を変えて生まれてくるのは、熱いうちに鉄を打った方が、効果が大きいからです。私たちは、なぜこんな体験をさせられるのだろうか? と疑問に思うことがあるかも知れませんが、みな前生の反対の体験をさせられているのです。
例えば・・
・人をいじめたら、いじめられます。
・人を殺ろしたら、殺されます。
・人を傷つけたら、傷つけられます。
・人を騙したら、騙されます。
・人を誘惑したら、誘惑されます。
・人を憎んだら、憎み返されます。
・人を怒ったら、怒り返されます。
・怠けて働かなかったら、強制労働させられます。
・物を盗んだら、盗み返されます。
勿論、良いことも同じです。
この反対の体験は、記憶が薄れてからでは効果が薄いので、記憶の濃い次生でなされることが多いのです。
人を責めたり、なじったり、してはなりません。私たちは、国を変え、性別を変え、立場を変えながら転生を繰り返してゆくのですから、今の立場が優位だからと言って人を責めたりなじったりしたら、必ず来生 逆の立場に立たされます。
どうか、立場が優位であればあるほど、自分を戒めてください。
2019.08.04
※ 人間は過去にこだわり過ぎます。過去は閉ざされたページです。「過去を清算せよ!」という国がありますが、過去をどう清算せよと言うのでしょうか?。お金で清算することを清算と言うなら、ただお金が欲しいだけではありませんか?。戦争した人たちは、もうとっくに死んでいないのです。どうして、戦争もしていない子孫が責任を負う必要があるでしょうか?
精算できる過去などあるわけがないのです。もしあるとすれば、今 仲良くすることです。そうすれば戦争で犠牲になった人達も、きっと報われるでしょう。いつまでもいがみ合っていては、亡くなった人達は浮かばれません。事実・・彼らは、仲良くして欲しいと口々に言っています。向こうへ帰ったら波動が高くなるので、寛容な心が持てるようになるのです。
彼らに報いるのは、靖国神社にお参りすることでも、慰霊碑に花束を捧げることでもありません。お互い仲良くすることが、彼らに報いることになるのです。
※ 国の威信?・面子?・プライド?・・それって何ですか? 単なる自己満足ではありませんか? そのために戦争までする。こんなことをしているのは、幼い地球人類だけです。もうそろそろ大人になって良いころです。
※「辱めを受けた! 自尊心を傷つけられた!」
争わないですむなら・・皆が幸せになるなら・・私は「人の股をくぐります! 人の足をなめます! 」
この世は幻なのですよ。肉体は幻なのですよ。神の心はあっても、人の心など無いのです。傷つけられる人も無ければ、傷つけられる心も無いのです。
外側のモノは、どんなに美しく見えても、どんなに醜く見えても、どんなに楽しく見えても、どんなに苦しく見えても、どんなに心地良く感じても、どんなに痛く感じても、現象ですからみな幻です。でもその幻によって心がダメージを受ければ、みな真実になるのです。柳の木を幽霊と見間違えて心臓がドキッとした時、柳の木は真実になるのです。木の切り株をクマと見間違えて心臓がドキッとした時、木の切り株は真実になるのです。
このように現象であっても心がダメージを受けた時、現象は真実になるのです。私たちは五感を持っているため、どうしても外側の現象の影響を受けてしまうのです。でもこれは、決して悪いことではないのです。なぜなら、外側の現象のお蔭で進化成長できるからです。現象を軽んじてはならないと言うのは、外側の物が内側のモノ(魂・心)を進化成長させるからです。
現象だからと言って病気を軽んじないでください!。必要なら病院に行き、薬も飲み、手術も受けることです。特に重い外傷は、外科的治療は必要です。私は真理をやっているから医者にかからないと言う人は、真理を生半可にかじった人です。どうか、「現象と真実は」同等の重みがあることを知ってください。
2019.08.11
※ 確かに現象を軽んじてはなりませんが、現象に惑わされ過ぎてもなりません。特にここまで魂の大きくなった皆さんは、現象など笑い飛ばしてしまいなさい。何せ私たちは、外側の影響を受けない神なのですから・・「自分は神である!」と心の深いところで想えたら、病気などはもう他人事です。神の世界に病気など無いからです。あなたは、無限の生命力を持った神なのですよ! ですから、病気になど絶対ならないのです。
※ 悪い想いは持たないことです。想念は実現の母ですから、悪い想いを持ったら悪いことが実現するのです。いつも良い想いを持ってください。良い想いの一番は、神(あなたのマントラ)です。良い想いを持っている時は、悪い想いは持てません。良い人生にする秘訣は、常に神を想い続けることです。
「私は意識です!」・・と堂々と言えるのは、今 私と思えている意識を持っているからです。でも意識は見えませんから、私の意識の正体が解らないのです。一体 私の意識は、何処から来ているのでしょうか? 私の意識は、何なのでしょうか? 一体 私は、誰なのでしょうか? 解りません?
私が解らない?
どうしてこのような想いが湧いてくるのか解らない?
どうしてこんな言葉が出てくるのか解らない?
どうしてこんなことをするのか解らない?
私が解らない?
どうして憎しみが湧いてくるのか解らない?
どうして愛おしくなるのか解らない?
どうしてこんな感情が湧いてくるのか解らない?
私が解らない?
どうして悲しくなるのか解らない?
どうして嬉しくなるのか解らない?
どうしてこんな想いが湧いてくるのか解らない?
解らない尽くめの私です。でも、それで良いのです。もし私が解ったら、私(自分)が消えてしまうからです。私たちは、永遠に解らない私(自分)と一緒に永遠に生きてゆくのです。
2019.08.18
※ 続けることの大切さを知らない人は、真理を知らない人です。
※ 神の別名は「不明」です。神は不明なのです。不明なモノに「神」と名付けただけです。ならば不明な私の意識は、神では無いでしょうか? そうです。不明な私の意識は「不明な神」なのです。
※ 神を深く知ると、もう・・神に降参するしかありません。なぜなら、神に逆らっても勝てないことが分かるからです。まさに「バンザイです!」 「お手上げです!」 白旗を揚げるしかありません。
神を知らない人は、痛い苦しいと言いながら神に手向っています。手向かえば手向かうほど苦しくなると言うのに、・・・です。
でも魂(原子核)が成熟するまでは、仕方のないことかも知れません。
サタンはまだ幼いから、悪さをしていることが、自分たちの居場所を少なくしていることに気づかないのです。闇が濃くなればなるほど、光は強くなるのです。つまり、サタンが悪さをすればするほど、私たちは強くなるのです。だから、サタンは味方だと言うのです。
神が創られた完全な宇宙に、悪が悪で終わることは無いのです。もし悪が悪で終わるなら、神は完全でなくなってしまいます。悪いことの背後には、必ず良いことが連なっているのです。サタンがこのことを知ったら、サタンは悪さをしなくなるでしょう。でも幼いサタンはこのことを知りませんので、悪さをして自分たちの居場所を増やそうとしているのです。悪さをすればするるほど、自分たちの居場所が少なくなると言うのに・・・です。
サタンが生き残りたいなら、大人しくしていることです。そうすれば、居場所は少なくなっても生き残れるでしょう。でもこのことは、サタンに内緒にしておいてください。サタンがこのことを知って悪さをしなくなったら、私たちは強くなれないのですから・・・。
悪を恐れないでください! サタンを恐れないでください! どんな悪いことも、成長につながっていると思ってください! 私たちが今日ここまで成長してこられたのは、サタンの悪さのお陰なのですから・・・。
2019.08.25
※ 求道者の玄人と素人の見分け方
・悪が成長の糧になっていると思える人は、求道者としては玄人です。
・悪の体験が終わって、全く悪心を持たなくなった人は、玄人中の玄人です。
・思いを内に向けている人は玄人です。思いを外に向けている人は素人です。
・続けることの重要性を知らない人は素人です。
・現象を追いかけている人は素人です。
・宗教に誘っている人、宗教に入っている人は、どちらも素人です。
・知識を光らかす人は、素人です。
・お寺や神社に入り浸っている人は、素人です。
・ジャングルや洞窟の中で悟ろうとしている人は、素人です。
・肉体業をやって悟ろうとしている人は、素人です。
・宗教大学で教えている教師、学んでいる生徒は、全くの素人です。
・他力を信じている人は、求道者の資格はありません。
世の中には、無名な時は良い成績を残しますが、名前が知れるにしたがい段々と成績を落とすアスリートがおります。これは、エネルギーロスが多くなったからです。エネルギーロスは、意識を外側に向けた時に起きるのです。
例えば、
賞金を稼がなくてはならない!・・
ランキングを上げなくてはならない!・・
スポンサーの期待に応えなくてはならない!・・
ファンの期待に応えなくてはならない!・・
国のため!・・
メダルのため!・・
このように意識を外側に向けると、エネルギーロスを起こすため良い成績が残せなくなるのです。
意識は、「エネルギーであり光」なのです。この表現世界は、エネルギー(光)が強ければ良いことが起き、弱ければ悪いことが起きるようになっているのです。先が見え勝ったと思った瞬間 逆転されるのは、未来に(外側に)意識を向けエネルギーロスを起こしたからです。これは、学びについても言えることです。
未来のことをクヨクヨ考える人がおりますが、明日があるかどうか分からないのですよ! あるかどうか分からない明日のためにエネルギーを使う、こんな大損ありません。「明日」あるかどうかの保証は、誰にもないのです。でも、「今」の保証は確実にあるのです。確実に保証されている「今」のためにエネルギーを使いましょう。
今だけが実在です。今だけがあるのです。今だけに生きられるのです。と言うことは、今だけしか学べないと言うことです。明日 学べる保証はないのです。なぜなら、明日 地球が無くなるかも知れないからです。明日 肉体が無くなるかも知れないからです。どうか、確実に保証されている今に生きてください。
2019.09.01
※「求めよさらば与えられん!」・・これは真理です。
・空腹を満たしたい者は、自分の方から餌を探しに行きます。待っていて餌がやってくることはありません。
・果物が食べたかったら樹に登ることです。樹の下でいくら口を開けて待っていても食べられません。
※ この世のことを色々と考えることも、境界線を超えたいと考えることも、外側に意識を向けることになるので、エネルギーロスを起こします。瞑想する時は何も考えず、ただただ神(マントラ)に想い (エネルギー) を集中させることです。
皆さんの今日までの人生ドラマは、自分が筋書を書き、自分が演出をし、自分が監督をし、自分自身が演じてきたのです。
この学びの場に来る筋書きを書いたのも、皆さん自身です。だから皆さんは、名作家であり、名演出家であり、名監督であり、名演技者であると言うのです。
自作自演の人生ドラマです。そのドラマの内容は、みな進化成長に結びついているのです。だから苦しい人生だったからと言って、失敗だと思わないでください。失敗どころか大成功です。なぜなら、苦しい人生が今のあなたにしたからです。
2019.09.08
※ 人生は夢幻です。あなたは今 夢幻の中で、「泣き笑いしながら・・それも必死になって・・」生きているのです。でもその夢幻の人生が、あなたを成長させてくれるのです。
※ あなたが生まれてきたのは、結婚するためでも! 子供を設けるためでも!金持ちになるためでも! 名を挙げるためでも! ありません。本当の自分を知るために生まれてきたのです。どんなにこの世の宝物を得てもこの世限りです。でも自分を知った宝物は永遠なのです。
究極の学びは、想念を正しく使えるようになることです。想念を正しく使えば、「究極の幸せ」の中に入ることができるからです。世界が、何かが、誰かが、「究極の幸せ」の中に連れて行ってくれるのではないのです。自分の想念が、究極の幸せの中に連れて行ってくれるのです。
幽界も幻です。
表現世界も幻です。
夢も幻です。
UFOも幻です。
物質化現象も幻です。
幻覚も幻です。
表現されたモノは、みな幻なのです。そんな幻が、究極の幸せの中に連れて行ってくれるわけがありません。究極の幸せの中に連れて行ってくれるのは、自分の想念だけです。
やることは、単純です。ただ、ポジティブな想いを持てば良いだけです。つまり、明るい想いを持つこと・・前向きな想いを持つこと・・建設的な想いを持つこと・・肯定的な想いを持つことです。一番良い想いは、神を想うことです。
宇宙のどんな生命体も、究極の幸せを欲しているのです。だから彼らは、常に良い想いを持つよう心掛けているのです。
2019.09.15
※ 私たちがやるべきことは、簡単です。単純です。難しいことは何一つありません。ただ動くだけです。ただ想う(瞑想)だけです。やれば間違いなく自覚の境界線に近づくことができます。
どうして言葉が必要なのでしょうか? どうして名前が必要なのでしょうか? どうして文字や絵が必要なのでしょうか? それは、「何か」が有ると認識しただけでは、有ることにならないからです。なぜなら、認識した「何か」に何の具体性もないからです。認識した「何か」に具体性を持たせて、はじめて「何か」が有ることになるのです。具体性を持たせるためには、言葉や名前や文字や絵が必要なのです。
「何か」を認識した状態・・具体性のない状態
「何か」を思った状態・・少し具体性の出来た状態
「何か」を言葉にした状態・・具体性が出来た状態
「何か」に名前を付けた状態・・更に具体性が出来た状態
「何か」を文字や絵にした状態・・更に更に具体性が出来た状態
例えば、「何か」を認識したとしましょう。この状態では具体性がないので、その「何か」は存在していません。その認識した「何か」を「丸い星」だと「思った」としましょう。しかし思っただけでは具体性がないので、その「丸い星」はまだ存在していません。「丸い星」と言葉にしたら具体性ができたので、その「丸い星」は存在することになります。更に「丸い星」と名を付けたら、なお具体性ができたので存在感が増します。更に「丸い星」を文字や絵にしたら、更に更に具体性ができたので益々存在感が増すのです。
この表現世界は波動が荒い世界なので、「思い」だけでは相手に伝わらないのです。「思い」を相手に伝えるためには、具体性の有る「言葉(名前)や文字や絵に」する必要があるのです。
2019.09.22
※ 言葉と名前は同じです。例えば「丸い星」と言葉にしたとしましょう。その「丸い星」と言う言葉は、すでに名前なのです。名前は具体性を持った言葉であり、言葉は具体性を持った名前なのです。その意味では、名前を付けた途端に言葉が生まれたと言ってもいいし、言葉が生まれた途端に名前が生まれたと言ってもいいのです。
※ この表現宇宙には「音」が存在しますが、「音」は「響き」であり「波動」なのです。その音(響き・波動)は、言葉であり名前なのです。「ア・イ・ウ・エ・オ」の音(響き・波動)そのものが、言葉であり名前になっているのです。
「認識・思い」は、音になっていませんので言葉にも名前にもなっていません。それでは、その「認識・思い」は存在していないことになるのです。認識(思い)を言葉(音・響き・波動)にしてはじめて、認識(思い)が存在したことになるのです。
※ 意識の世界で使われているテレパシーは、想いの籠もった言葉です。ですから、寸分も狂わず自分の想いが相手に伝わるのです。意識の世界に言葉が要らない理由は、テレパシー(想い)そのものが「言葉(音・響き・波動・名前)」になっているからです。
※「ここに何かが有る! あそこに何かが有る!」と言う認識だけでは、その何かは存在していないのです。その何かに名前をつけ(言葉や文字に表現して)はじめて何かが存在していることになるのです。名のない何かは、存在していないのと同じなのです。だから、どうしても名前が必要なのです。
※ 名前が持つ使命は、他のモノと区別するためと、そのモノの役割や目的を知るためです。例えば、鉱物の名だけでは漠然としていて分かりませんが、「石」とか「銅」とか「鉄」とか名前を付ければ分かります。更に「鉄」を加工したモノに、ナイフだとか鍋だとかスプーンだとか名前を付ければ、そのモノの役割や使命がはっきりと分かります。
※ 神が人類になったのですから、「神の名」を「人類の名」に置き換えたら良いのです。神の名イコール人類の名なのです。人類と言う名前(言葉)は、人類が神であることを教えてくれる名前なのです。
この物質世界は、片方は満足させられても、もう片方は満足させられない世界なのです。なぜなら、同一空間に2つの物が同居できない世界だからです。
ここに、一軒の家があったとしましょう。その家に二人の人がやってきて住もうとしました。でも、小さな家なので二人は住めません。そこで、家の奪い合いになりました。力のない者は負けて寒空に追い出され、力のある者は勝って家でぬくぬく過ごすことができました。
それが、この物質の世界なのです。でも、そのような世界だから成長できるのですから、有り難い世界なのです。良いものばかりある世界なら、私たちはひ弱に育ってしまうでしょう。
神の完全性は・・悪が善に結びついており、不完全が完全に結びついており、不幸が幸せに結びついており、苦しみが進化成長に結びついているからです。
2019.09.29
※ ある政治家は、万民に良いと思ってある政策を実施しました。でも、その政策を実施したために都合の悪い人たちが出てきました。しかし反対に、旧来の政策で苦しんでいた人たちは、都合が良くなったと喜んでいます。万民に良い政策などこの世にはないのです。でも、それで良いのです。なぜなら、万民に良い政策なら進化成長できないからです。
この世界でうかつに良し悪しを口にできないのは、都合の良い人と都合の悪い人がいるからです。
※ この世に完全な人などいないのです。誰でも心で悪を犯し、罪を作っているのです。ですから、悪を犯しているからと言って人を責めてはなりません。誰も人を責める資格など無いのです。
私たちは毎日、人の死を見せられています。また、状況が刻々変わってゆくのも見せられています。にもかかわらず全員が全員、四苦八苦して生きています。それは、この世が本当に有ると思っているからです。
「人が死んだり状況が変わったりするのは、この世が幻である証拠なのです。」
本当に有る世界なら人が死ぬことも無いし、状況が変わることも無いからです。でも殆どの人が、そのことに気付いていないのです。
この世が幻の世界なら、五十歩百歩の生き方をしたら良いのではありませんか? どんなに苦労してお金を集めても、みな置いて帰らねばならないのですからね。このように言うのは、皆さんが熟した魂だからです。幼い魂は、四苦八苦して魂を大きくすることが必要ですが、皆さんのような熟した魂はそこを卒業したのですから、もう四苦八苦して生きる必要はないのです。だからいい加減に生きなさい! と言っているわけではありません。何事も真心を込めてやってください。真心を込めてやれば、原子核を増やすことができるのですから・・・。
2019.10.06
※ 皆さんは、「名作家であり、名演出者であり、名監督であり、名演技者です」名ぜですか?(なぜですか?)と言う問題を出しました。
答えを教えましょう!
皆さんは、「自分の魂を大きくする」筋書きを自分で書き、自分で演出をし、自分で監督をし、自分で演技してここまで成長してきた求道者です。だから、頭に「名」と付けたのです。
※ 神は人類に、すべてのモノに「名」を付けさせました。なぜ「名」を付けさせたかと言いますと、「名」付けられたモノが、すべて神であることを知ってもらいたいためです。しかし人類は、「名」付けた「名」に惑わされ、神が不明になってしまったのです。私たちは、「名」を遡って神を知らなければならないのです。
人を裁き罰する権利は、国が持っているのでしょうか? 裁判官が持っているのでしょうか? いいえ、自分が持っているのです。なぜなら、自分の中に自分を裁き自分を罰する法則が存在するからです。
人が人を裁くことはできません。なぜなら、人は間違いを犯すからです。でも自分の中にある法則は、絶対 間違いを犯すことはありません。寸分も狂わぬ裁きと罰を与えます。それも公平な裁きと公平な罰です。確かに寸分の狂いもない法則ではありますが、国の法律に恩赦があるように法則にも恩赦はあるのです。それは、心から反省した者に与えられる恩赦です。「二度と罪を犯さない!」と固く心に誓った途端、自分が自分に恩赦を与えるのです。でも、罪が許されるわけではありません。苦しみや悲しみを何回かに分けて緩和する恩情の恩赦であり、苦しみや悲しみを別な形に変えて与える恩情の恩赦です。
でも恩赦を当てにしなくても、痛みや苦しみと言う形で刻々と罪は消されているのです。痛みや苦しみは業が消えている姿なのです。ですから、痛みや苦しみがやってきたら「ああ! 今 業が消えているのだ! 有り難いことだ!」と思ってください。そこで心配や悩みや怒りなどを持つから、また新たな業を作ってしまうのです。
過去世で作った業の記憶がありませんから、どうして自分はこんなに苦しまねばならないのだと思うかも知れませんが、「原因と結果の法則」は絶対 間違いを犯すことはありません。あなたは 過去 白板に、悪い文字を書いたのです。その書いた文字は、苦しみとして降りてくるのです。ですから、甘んじて苦しみを受け取るしかないのです。でも、良く受け取ってください。この苦しみを乗り越えることで、自分は大きく成長できるのだと・・・。実際に、あなたは成長しているのですから・・・。苦しんだ者は、必ず成長します。今、解らなくても いつか分かる時が来ます。
2019.10.13
※ 真心を持って当たる!
※ 今 自分がやれることを精一杯やる!
※ どこまでも神を信じる!
※ この世は学びの場である!
※ この世は消えてなくなる無常の世である!
だから・・命をかけるほど価値のある世界ではない!
※ 山より大きなクマは出てこない!
「身・口・意を正しく使いなさい!」と覚者がクドいほど言うのは、見える表現世界で学んでおかなくては、意識の世界へ帰って苦労するからです。「意」は見えませんが、「身と口」は見えるのです。つまり、「思・想」いは見えませんが、「言葉や文字」は見えるのです。見えない「想」いが、見える「身と口」によって表現されるのが、この表現世界なのです。
私たちは、生まれた時から両親から言葉の使い方を教わります。また、学校で文字や絵の書き方を教わります。でも思いは、誰に教わらなくても使えます。思いは万国共通なのです。いや、宇宙共通なのです。言葉や文字は、「星によって」「国によって」「人種によって」違うので、いちいち覚えねばなりませんが、思いは宇宙共通ですから学ぶ必要がないのです。
意識の世界ではテレパシーを使っているため、想いを何(言葉や文字)かに表わす必要がありません。想ったらそく相手に伝わるのです。それも、寸分 狂わず相手に伝わるのです。だから意識の世界では、うかつなことは想えないのです。
今 私たちは言葉や文字を使ってコミニーケーション取っていますが、たとえ悪い言葉や文字を使っても、相手に伝える前に訂正できます。でも意識の世界は、思った瞬間 相手に伝わるので訂正できないのです。ですから表現世界にいる間に悪い想いを持たないよう、訓練する必要があるのです。それは、「身・口・意」を正しく使えるようにすることで可能なのです。
2019.10.20
煩わしさを多く体験した人は、どうしたら煩わしさから抜け出せるか考えるようになります。これは、真理を学ぶきっかけになるのです。真理を学ぶようになると、この世が幻だと言うことを知りますので、五十歩の生き方をするようになります。五十歩の生き方をするようになると、煩わしさが少なくなるのです。
私の体験をお話しましょう。
五十歩の生き方をするようになった私は、今 車を持っていません。車を乗らなくなると、免許更新する必要がありません。車庫も必要ありません。車検も必要ありません。車のケアも必要ありません。新車に乗り換えることも必要ありません。自動車保険も入る必要ありません。自動車税も払う必要がありません。また自動車に乗らなくなると、雑念も少なくなります。例えば、道路状況のこと、通行料のこと、天候のことなど、車に関することは一切考えなくて良くなります。車を乗らなくなっただけでもこれだけ煩わしさや雑念から開放されるのですから、他の面でも五十歩の生き方をしたら どれほど煩わしさから開放されることでしょう。
例えば、
・人との付き合いもそこそこに・・
・買い物も近くのコンビニでそこそこに・・
・旅行もそこそこに・・
・外食もそこそこに・・
・テレビを見るのもそこそこに・・
このような五十歩の生き方をしたら、煩わしさが少なくなるので時間が余るようになります。そうなると、瞑想の時間が多く持てるようになるのです。一般の人は、煩わしさを多く体験して成長する必要がありますが、学びの友の皆さんはそんな時代は終わったのですから、できるだけ煩わしさから開放されるべきなのです。
2019.10.27
※ この世のことは、五十歩でやってください。でも原子核を増やすことは、百歩でやってください。
※ この世は夢幻の世界ですから、何が起きても不思議ではありません。何が起きても不思議でないと言う意味は、「何でも想念で作れる世界だから!」、と言う意味です。
※ ヒラメキは、「純な想いの人」のところに降りてきます。「自分を良く見せたいと思う人」のところには降りてきません。
神も「純に神を求める人」のところに降りてきます。「この世のご利益を得たい!」「神秘力を身に付けたい!」、と言う人のところには降りてきません。
罪を犯した人を責めてはなりません。また、罪を犯した自分も責めてはなりません。なぜなら、カツオ節を見せられ食べない猫がいないように、肉体を持った人間が罪を犯すのは仕方のないことだからです。人は罪を犯し、苦しい体験をし、成長してゆくのです。悲しいことですが、この身で苦しい体験をしなくては、人は成長できないのです。「肉体は苦しんでいるけど魂は喜んでいる!」と言われるのは、肉が苦しめば苦しむほど魂は成長できるからです。
私たちがこの厳しい荒野に肉体を持って出てきたのは、魂を大きくするためです。相対の世界は、それができる世界なのです。なぜなら、人の欠点を見て自分の欠点に気づける世界だからです。この相対の世界は、鏡のような世界なのです。相手は鏡なのです。相手が自分の欠点を写してくれているのです。
人の欠点が気になるのは、自分の中に同じ欠点があるからです。自分の中に無いものは、気にならないし見せられないのです。もし人の欠点が気になったら、自分の中にその欠点があるからだと思ってください。そのように受け取れば、相手を責めることはありません。いや、責めるどころか感謝できるでしょう。その人は自分の欠点を教えてくれた恩人なのですから・・・。
自分一人では、自分の欠点に気づけないことを知ってください。
2019.11.03
※ 不幸せな人とは、全く神を信じられない人のことです。
幸せな人とは、心から神を信じられる人のことです。
心穏やかで有りたかったら、心から神を信じましょう!
※ 学びの友の皆さんは、今、大変な学びをしているのです。皆さんは、人生の一生や二生のことを学んでいるのではないのです。永遠の生のことを学んでいるのです。こんな凄い学びが、他にありましょうか?
※ この世のことを色々想う人は、想念の使い方の下手な人です。
神を想う人は、想念の使い方の上手な人です。
※ 成就したければ、決定語を使おう!
誰々は、神の子である!
あなたは、神の子である!
私は、神の子である!
「吾神なり!」は決定語です。
「知る」には、二通りの「知る」があります。一つは、頭で知った知るです。この頭で知った知るは、単なる「知識」です。もう一つは、頭で知ったことを身体で体験し、「体験知」に変えた「知る」です。頭で知った知るは、体験の無い知るですから知恵になっていません。ですから頭で知った「知る」は、原子核をあまり増やさないのです。でも「体験知」に変えた知るは、知恵になっているので原子核を大きく増やすのです。
「体験」と言う字の意味を考えてみましょう。この字の意味は、「体」で「経験する」と言う意味です。体を動かして経験すれば、より原子核を増やすのです。年寄りが知恵者だと言われるのは、年の数ほど身体で体験し知恵に変えてきたからです。若者は知識を得てもまだ体験が少ないので、知恵者になっていないのです。
今 多くの人が人生の荒波に揉まれ苦しんでいますが、それは知識を知恵に変えている真っ最中の姿なのです。つまり、原子核を増やしている真っ最中だと言うことです。
2019.11.10
※ 「一度 知ったことは二度と知ることができません!」
なぜなら、知れば原子核が増え理解力が高まるため、同じような知り方ができなくなるからです。このことは、知る前のあなたの背丈と知った後のあなたの背丈は違うため、二度と同じ景色が見られないと言う例えで解ってもらえると思います。その時の背丈で知ったことは、その背丈限りの知ったことなのです。
※ 知ることは、とても大切です。なぜなら、知れば過ちを犯さなくなるからです。でも、知っても過ちを犯す幼い魂がおります。それは、知ったことを疑っているからです。その者は、過ちを犯して痛い目にあって疑いを晴らすしかないのです。でも、それで良いのです。なぜなら、過ちを犯すことによって原子核を増やすことができるからです。
需要と供給は、常に一致していなければなりません。でもそれを主導するのは、需要者の方です。なぜなら、この宇宙には需要者しかいないからです。よく考えてみてください。供給は需要が決めるのです。需要者側が望み供給されるのです。それは、需要者が供給物を創るからです。つまり、認識者(需要)が認識されるもの(供給)を創るからです。
受け取る側が主体者なのです。ですから、受け取り方次第で価値が変わるのです。例えば、郵便物が配達されても受け取る人がいなかったら、その郵便物は無かったことになります。たとえ受け取っても、受け取る人が満足しない郵便物は、すぐにゴミ箱ゆきになってしまいます。受け取る人が満足して、はじめてその郵便物に価値が生まれるのです。満足しなかったらと言う意味は、その郵便物が何なのか理解されない郵便物は?と言う意味で、理解されない郵便物は無価値になってしまうのです。だから私は、「受け取る側が大切ですよ!」と言うのです。郵便物を良くも悪くもするのは、つまり活かすも殺すもするのは、受け取り側次第だと言うことです。私が「何でも良く受け取りなさい!」と言うのは、良く(理解して)受け取らなければ、悪い郵便物になってしまうからです。つまり、受け取る側に理解力がなければ、その郵便物は意味のない郵便物になってしまうからです。ですから、需要者側の能力(理解力)、あるいは対応力が、とても大切になってくるのです。今の社会は、供給者の方が主導権を握り、需要者側が踊らされている不思議な社会なのです。だから、畑で作物を腐らす無駄なことが起きるのです。
この宇宙には、主観者しかいないのです。主観者しかいないのですから配達される郵便物の中身は、主観者の都合の良いモノばかりのはずです。でも自我はそのことが解りませんので、折角価値のある郵便物を無価値にしてしまうのです。つまり、成長のために与えられた郵便物(痛み苦しみ)を、無駄にしてしまうのです。無駄にするならまだしも、悪く受け取り悪業さえ作ってしまうのです。何と悲しいことでしょう!
主観者 (需要者・認識者)しか存在しないのですから、人を満足させようと考えなくても良いのです。自分が成長すれば良いのですから、自己満足で良いのです。(いない人を成長させようとするのは矛盾である) 私は、自分の成長のために勉強会でお話しているのです。また光のメロディーも、自分が満足したくて作っているのです。作ってくれている人は、みな私だからです。
2019.11.17
※ どんなことにも「意味」がある。それは、その中に神の思いの味が含まれているからです。神は私たちに進化成長してもらいたいのですから、何が起きてもその中に進化してもらいたい神の思いの味が入っているのです。「意」とは、神の想いです。「味」とは、神が何をどう望んでいるかの味です。
言うことは自由だからと言って、何でも言って良いわけではないのです。この宇宙には、守らねばならない言葉のルールがあるのです。どんなルールかと言いますと、「相手の気持を考え語りなさい!」と言うルールです。
例えば、医者が患者に良かれと思って語ったことが、かえって病気を重くする場合があります。これは、医者の言うことを悪く受け取った患者の責任ですが、悪く受け取られるような言い方をした医者の責任でもあるのです。もし患者さんにとって良い言葉なら原因が良いわけですから、悪い結果が起きるはずがないのです。それほど言葉は、受け取る人に影響を与えるのです。特に医者の言葉は威厳がありますから、よくよく注意して語らねばならないのです。
では、どのように語れば良いのでしょうか? それは、相手の望む言葉を選んで語ることです。ただし語る側が未熟であれば、相手の望む言葉が分かりませんから、相手を傷つける言葉を使うかも知れません。前述した医者の言葉が患者の病を重くしたのは、相手の望む言葉で語れなかったからです。良かれと思って語ったわけですから医者に責任がないように思いますが、医者の言葉で患者が心配し病気を重くしたわけですから、大いに医者に責任があるのです。この責任のお咎めは、いつか何らかの形でやってきます。お咎めがなかったら、自分の言葉で患者を傷つけたことが分からないからです。こう言ったことは、私たちの日々の生活で到るところで見られるのです。
・できるだけ濁音の言葉は使わないことです。(バカ・ブス・ダメ・ドジなど)
・できるだけ否定語は使わないことです。
・人を嫌な気分にさせる暗い言葉は使わないことです。
・ネガティブな言葉は使わないことです。
おべんちゃらを言いなさいとは言いませんが、できるだけ気分の良くなる言葉を使うことです。その方が、お互いのためです。
人の言葉は神の言葉と同じ威力があるのですから、よくよく注意して語らねばならないのです。どうか、相手の気持を考え語ってください。相手の気持を察する学びも、学びの一つです。
2019.11.24
※ 人を言葉で諭したい気持ちは分かりますが、人を言葉で諭すことはできません。人を諭すことができるのは、唯一体験による「原因と結果」の法則です。体験だけが、人を諭すことができるのです。
※ 言葉は恐ろしくもあり素晴らしくもあります。良い言葉を使えば良いことが・・悪い言葉を使えば悪いことが・・・言葉の使い方一つで、人生を良くも悪くもできるのです。どうか、言葉の偉大さを知ってください。
※「沈黙は金」と言う格言がありますが、ここで学びを深めている皆さんは、できるだけ沈黙を守ってください。喋りすぎると見透かされますよ!
幸せとは意識状態です! 意識状態ですから体験した本人にしか分かりません。特にこれから説明する第三の幸せは、文字や言葉で伝えようのない幸せです。どんな幸せかと言いますと、「意識が意識で味わう幸せです。」
私はこれまで、二つの幸せについてお話してきました。一つは理解力で味わう幸せ・・もう一つは意識的五感で味わう幸せです。でも、この二つの幸せを味わうためには条件が必要でした。しかし「意識が意識で味わう幸せ」には、条件がないのです。なぜか解らないけれど、
「ただただ嬉しいのです!」
「ただただ楽しいのです!」
「ただただ幸せなのです!」
この条件なしの幸せこそが、究極の幸せなのです。ただしこの幸せを味わうためには、心の底で「自分は神である!」と言う自覚が必要です。なぜなら、神意識そのものが究極の幸せを備えているからです。自我意識も神意識ではありますが、今の私たちは神意識の糸の下の方に意識を落としているため、心の底で神だと思えない状態なのです。ですから今の私たちは、幸せに満ちた神意識を味わえないのです。味わうためには、どうしても神の自覚が必要なのです。どうか原子核を増やし、自覚の境界線を超えてください。超えたら、幸せに満ちた神意識を味わえるでしょう。
2019.12.01
※ 学びの友の一人が、こんな素敵なメールを送ってくれました。感動したので皆さんにもご披露したいと思います。
母が、私が葛粉で作った羊羹を食べながら・・・
「幸せ~~」「幸せ~~」と何度も言ってくれました。
「ありがとう」は、最近頻繁に言ってくれていましたが・・・
「幸せ~~」は、初めてでした。
体は動かなくて不自由でも、心は幸せを本当に感じてくれているのが、表情でわかりました。
そこで、「幸せ」は、「ありがとう」の数十倍嬉しいのだと感じました。そして、気づいたのです。
「ありがとう」は相手に言う言葉ですが、「幸せ」は自分に言う言葉だと言うことを・・・。
この宇宙には、自分しかいないから・・・母が自分に「幸せ~~」と言っているのを聞いて、その自分である私もすごく「幸せ^^」を感じたのです。
不思議・・・この感覚!!
「幸せ」という言葉は、主観的言葉なのですね・・・
※ この表現世界は、次から次へと変化する無常の世界です。その世界に確かなモノが有るとすれば、それは幸せだけです。なぜなら、幸せは実在だからです。この宇宙に存在している全ての生命体は、幸せだけを欲しているのです。
「かとう塾」は、私一代限りの塾です。誰かに引き継がせるつもりはありません。また、引き継がせることもできません。なぜなら、その人の器量(波動)で塾を持ち、その人の器量(波動)で塾生を呼ぶからです。私は、自分の器量(波動)で塾を持ち、自分の器量(波動)で塾生を呼んだのです。もし塾を持ちたいなら、自分の器量(波動)で塾を持ち、自分の器量(波動)で塾生を集めてください。
知花先生に引き継ぐ弟子がいなかったように、私にも引き継ぐ弟子はおりません。いるのは、学びの友の皆さんたちだけです。
人の成長のことなど、考えなくても良いのです。自分の成長のことだけ考え、真理を学び続けてください。それは続けることです。私の願いは、続けてもらうことです。何の変化が起きなくても、続けることです。必ず、光が訪れます。これは、私が保証します。
2019.12.08
今の地球では、情け深い人や面倒見の良い人を善人と言っていますが、本当に善人でしょうか? 言っておきますが、自我人間で純に善人な人は一人もいません。自分を良く見せたい顕示欲が、必ず入っています。善人ぶる人の心を見透かしてください。偽善が見え隠れしているはずです。
例え本心から人助けしたとしても、本当に人のためになっているでしょうか? なぜなら、安易な人助けは人を堕落させてしまうからです。「情けは人の為ならず!」で、殆どは人の為になっていないことが多いのです。
ここで学んでいる皆さんは、何百万年もの間厳しい人生体験をし成長してきた魂です。皆さんは、温室育ちの花ではないのです。嵐の中で育った雑草なのです。だから、今のような強いあなたになれたのです。
人も助けるなら、魂の成長の為になるかどうか考えた上で、人助けしてください。
2019.12.15
※ 幼い人が、ブランド品・・宝石・・・高額の絵画などを、他人にひけらかすのは、他人を認めているからです。外側に世界があると思っている人は、自分を他人にひけらかしたがるのです。
真理を人に話したがる人も同じです。「自分はこれだけ真理を知っている!」と自負する人だけが自分をひけらすのです。それは、他人を認めているからです。
※ 外側のものはひけらかせても、理解力はひけらかすことができません。それは自分だけにしか解らないからです。人にひけらかせるのは、外側の現象のみです。客観宇宙のことは現象だから話せるけれど、主観宇宙のことは真実ですからお話しできないのです。
私たちは、苦しみを望んで作っておきながら、その苦しみを嫌らっている・・・これは矛盾です。矛盾は 何故 起きるのか・・・それは、自分が矛盾した存在であることを知らないからです。自分が矛盾した存在だと知ったら、矛盾を起こさないので矛盾は起きないのです。でもそれでは、矛盾の世界で学ぶことができませんので仕方なく、自分の存在そのものを矛盾させることによって、沢山の矛盾を作って学んでいるのです。
2019.12.22
※ 自分の身を飾る人は、自分の醜さを飾り物で隠したいからです。本当に美人なら身を飾らないのです。自分の中に醜くさを感じているから身を飾ろうとするのです。これは矛盾なのです。
※ 自分が解らないのに「自分!」と思えている! これぞ正に究極の矛盾です。
※ 相手に嫌なものが見えるのは、自分の中に同じ嫌なものがあるからです。その嫌なものを、相手は自分に見せてくれているのです。それを嫌うのは矛盾なのです。
私たちは、まず「知り」ます。そして、知ったことを実践します。実践する道具は肉体です。実践すると「体験知」が生まれます。肉体を使って体験すれば「知恵」が生まれるのです。そうすると、理解力が高まるのです。「知る」の上に位置するのが「理解する」なのです。理解力が高まると、意識の中に受け皿である凹点が生まれます。そうすると、魂の中の凸点が目を覚まし受け皿である凹点に合体するのです。この現象を、気づいたと言うのです。ですから理解するの上に位置するのが、「気づき」なのです。自分の中に疑問を投げかけておけば、ある日 突然 気づきがやってきますが、これは意識の中の凹点と凸点が合わさった状態なのです。つまり合点がいった状態、腑に落ちた状態、なのです。合点がいった状態は、自我が理解したものと魂の中にあったものが合体した状態なのです。
2019.12.29
※ 自覚の境界線を超えた時の意識状態は、自我の自分が真我の自分を心の底から自分だと思えるようになった状態です。そうなると、自我の自分と真我の自分が一つになり、見分けがつかなくなるのです。