瞑想している皆さんの悩みは、雑念が湧くことだと思います。そこで、雑念を少なくする三つの方法をお勧めしたいと思います。
1. 瞑想をする前に体を動かすこと。
若い人はエアロビックスのような少しキツイ運動を・・・老人はそれなりの運動を・・・できたら、三分から五分くらい・・・。身体を動かした後は、呼吸を整え瞑想に入ってください。
2. 思いの壁を作ること。
瞑想に入る前に「私は神(自分のマントラ)以外何も想わない!」と強く思ってください。強く思えば思うほど、思いの壁ができ雑念が湧きづらくなります。
3. 目を開けて瞑想すること。
一番良いのは、マントラを書いた紙を壁に貼り付け、それをジッと見続けながらマントラを想うことです。雑念が少なくなったら、目をつぶって瞑想に入ってください。それも重ねる瞑想を・・・。
人それぞれ意識状態が違いますので全員に有効かどうか分かりませんが、雑念が湧いて困っている人は、ぜひ試してみてください。
2019年1月1日更新
※ あなたが瞑想している時は、アナタは実在しています。なぜなら、真実を創っているからです。あなたがこの世のことを想っている時は、アナタは実在していません。なぜなら、幻を作っているからです。でも神は、幻の中でも原子核を増やせるようにしてくれていますので、アナタは実在しているのです。
どちらにしても、何かを想い、何かを語り、何かをしているアナタは、凄い存在なのです。
※ 瞑想は、神様から与えられた仕事だと想ってください。そう思えば、使命感に燃えて瞑想できると思います。
言葉には、陰の言葉と陽の言葉があります。陰の言葉は、人間社会で使われている具象的な言葉です。対して陽の言葉は、「 神! 生命! 意識! 無限! 永遠! 」と言った抽象的な言葉です。陽の抽象的な言葉は、枠が無いので意識が拡大しやすいのに対し、具象的な言葉は、枠が有るため意識が固着しやすいのです。具象的言葉の中でも、特に否定的な言葉や頭に濁音の付く言葉は良くありません。
瞑想は、波動の精妙な世界とコンタクトを取る必要があるので、抽象的なマントラが有効なのです。理由は、陰の言葉は波動が粗いのに対して、陽の言葉は波動が精妙だからです。
抽象的言葉がいかに凄いか、また具象的言葉がいかに虚しいか、私はもう一段 心の深いところで知りました。どうか、抽象的な言葉を有効に使ってください。「ただ、抽象的な言葉を想うだけで良いのです」想えば波動が上がり、間違いなく原子核が増えます。また、「喜びと、潤いと、活気」をもたらします。
2019年1月15日更新
思いは見えません。それでは、どんなに素晴らしいことを思っていても、思っていないのと同じです。どんなに素晴らしい絵の構想を持っていても、描いて見せなくては空想にしか過ぎないのと同じです。現してこその絵の構想です。だから、どうしても表現(結果)が必要なのです。幸せも同じです。どんなに幸せだと思っていても、表現されない幸せは無いのです。
たしかに神は、素晴らしい幸せを味わっているかも知れません。でもその幸せは、表現されない幸せですから無いのです。神はそのことに気づきました。そこで神は、自分が味わっている幸せを表現してくれる人類を創ったのです。
今人類は、チッポケな幸せを味わっています。確かに小さな幸せかも知れませんが、神はその小さな幸せを神ご自身の喜びにしているのです。つまり、人類が幸せを味わい喜んでいる姿は誰でもない、神ご自身の姿なのです。
今人類が味わっている小さな幸せも、進化するに従って段々と大きな幸せになってゆきます。そうなれば、幸せの喜びの表現も豊かになってゆくでしょう。その豊かになってゆく喜びの様を、神は見たいのです。人類が幸せになればなるほど、神の幸も増してゆくからです。
2019年2月1日更新
※ うなぎのような掴みどころのない宇宙で、唯一確かなものは幸せです。幸せだけが、実在だからです。後のモノはすべて幻です。だからどんな生命体も、みな幸せを欲しているのです。
あんな大人しい人が、なぜあのような恐ろしい殺人事件を犯すのだろうか? そんな疑問のわく凶悪事件が、最近ますます増えています。これは、「憑依幽霊」による仕業です。「憑依幽霊」と言う言葉を使うのは、「霊」は「神」ですから悪さをしませんが、「幽」は迷った魂ですから悪さをするのです。でも「幽」では意味が通じないし、「霊」だと誤解されるので「幽霊」と言う言葉を使ったのです。
明るいポジティブな想いを持っていたら、そのような幽霊に憑依されることはないのです。ネガティブな想念を持っているから、同じ想念を持った幽霊に憑依されてしまうのです。ですから憑依幽霊の責任ではなく、悪想念を持った人の責任です。医者は憑依幽霊を認めませんから、頭の狂った人は精神病患者として、臓器疾患は病人として扱われるのです。肉体は神が作られた傑作品ですから、本当は病気になることはないのです。病気にしているのは、あくまでもその人の悪想念です。だから私は、想念病だと言っているのです。病気の殆どは、憑依病なのです。憑依幽霊は、寂しいのです。苦しいのです。たくさん鬱憤を持っている可愛そうな存在なのです。だから人に憑依し、鬱憤を晴らそうとしているのです。
凶悪な憑依幽霊は頭の方に憑きますので、憑かれた人は精神病になります。目とか耳とか鼻とか口とか顔の部分の病気、喉の部分の病気、胸や心臓の部分の病気、胃や膵臓や肝臓や腎臓の部分の病気、腰や腸や陰部の部分の病気、膝や足の部分の病気と言ったように、上から下に降りてくるに従って憑依度は軽くなります。
身体の上部は波動が高いので憑依されづらいのですが、身体の下部は波動が低いので憑依されやすいのです。その意味では、身体の上部を病んでいる人は、下部を病んでいる人より悪い想念を多く持っていることになります。波動が高まると憑依霊は下の方に降りてきますので、病んでいる部分が上から下へ移ってきます。更に波動が高まり身体の中にいられなくなると、憑依幽霊は足の先から出てゆきます。
憑依されないためには、明るい、ポジティブな想いを持ち続けることです。一番良い想いは神(マントラ)です。ただし、神を想っていてもネガティブな想いが少しでも残っていれば、腰から足にかけて憑依幽霊が居座ることがありますので、その部分が重く感じたり違和感を感じたりします。でも、気にしないでください。瞑想を続けていればいずれ出てゆきます。
憑依されていると本人が自覚していても、なかなか自分で無くせるものではありません。勿論、他人が無くせるものでもありません。なぜなら、その人の思いが変わらない限り憑依幽霊は出て行かないからです。それほど憑依幽霊を無くすことは大変なのです。でも家族の皆さんが、できるだけのことをしてあげてください。一番良いのは、憑依されている人のお世話を、真心を込めてしてあげることです。そうすれば真心にほだされ、憑依幽霊は出てゆくかも知れません。
学びの友の皆さんはエネルギーが高いので、瞑想しながら背中や頭に手を当ててあげたら良いでしょう。右の手の平で右回りに丸(円)を描くようにさすってあげたら、なお良いでしょう。私の動画を見せるのも良いでしょう。でも本人が嫌がるのに、強引にやっては逆効果になりまので注意してください。
今 地球は、迷った憑依幽霊によって数知れない凶事が起きています。このままでは、地球は憑依幽霊に乗っ取られてしまうかも知れません。さあ地球は、どうするでしょうか?
地球において水の洗礼は、これまで度々行われてきましたが、火の洗礼はまだ数回しか行われていません。でもこれ以上地球が荒らされたら、地球は火の洗礼を考えるかも知れません。水の洗礼は「肉体」の浄化作業ですが、火の洗礼は「魂」の浄化作業なのです。火の洗礼を受けたくなければ、瞑想することです。それは、私たち学びの友だけができるのです。どうか、瞑想してください。
2019年2月15日更新
※ 憑依で苦しんでいる学びの友に一言・・・
何よりもあなたが成長することが一番なのです。そのために、苦しい学びの教材をあなたが用意したのですから・・・。そうです。家族も、あなたの周りの人たちも、社会も、世界も、あなたの進化成長のためにあなたが用意したのです。あなたが用意したのですから、どんなことが起きようと悩まないこと、悪いことを想わないこと、です。
今あなたがやるべきことは、瞑想をすることです。
※ 瞑想の有り難さが解った人は、幸せな人です。
「人類は原罪を背負って生きている!」と言う宿業説を唱える人がおります。また「人類はもともと悪の性質を持っている」と言う性悪説を唱える人がおります。なぜそのような説が生まれたかと言いますと、悪を犯さないでいられないようできているのが肉体だからです。では、肉体を持った人類が悪いのでしょうか? 肉体を持たせた者が悪いのでしょうか? 肉体を持たせた者ですね。では、肉体を持たせたのは誰でしょうか? それは神です。これが、神が原因無き原因者と言われる謂われなのです。
肉体を持った人類は罪を犯します。それが、人類が作った最初の原因(業)です。当然、苦しい結果がやってきます。苦しいがゆえに悪い原因を作ります。するとまた苦しい結果がやってきます。苦しいからまた悪い原因を作ります。こうして人類は、業の輪廻の渦に巻き込まれて行ったのです。しかし神は、業から抜け出す方法をちゃんと用意していたのです。それが「原因と結果の法則」です。
苦しい輪廻を繰り返すうちに人類は、法則の存在を知ります。知った者は、法則を守るようになりますから、悪い原因を作らなくなります。作らなくなった途端、今まで作って置いていた黒石(悪い結果)のすべてが、白石(良い結果)に変わるのです。なぜなら、神が人類に持たせた肉体は、進化成長に必要な白石だったからです。「原因無き原因」は良い原因だったと言うことです。
最初に白石が置かれているのですから、私たちはゆっくりと成長し覚醒めたら良いのです。焦ることはありません。どこかの生で目覚めれば、過去に置いた黒石はすべて白石に変わるのですから・・・。これが、神のオセロゲームの妙技なのです。
2019年3月1日更新
※ 何かが、誰かが、波を起こさなければ何も始まりません。それでは、何のドラマも生まれません。ドラマが生まれなければ、何の体験もできないので進化成長できません。だから神は想いの波を起こし(パンドラの箱を開け)物質(人間)を創ったのです。それが、表現宇宙の始まりなのです。
※ 刻々と変わって行くのが無常の世界ですから、今の状況をそう深刻に考えることはありません。今あなたがやるべきことは、人事を尽くすことです。つまり、社会体験と瞑想をすることです。
この宇宙で起きているどんなことも、必然で起きているのです。偶然で起きることは、絶対ありません。もし偶然で起きるなら、今宇宙は存在していないでしょう。宇宙が今日まで延々と存続して来られたのは、必然によって運ばれてきたからです。このことを念頭に、あなたが思ったこと、あなたが語ったこと、あなたがしたことについて考えてみましょう。
あなたは今日、悪いことを思いました。悪いことを語りました。悪いことをしました。それは偶然で思い、偶然で語り、偶然でしたのでしょうか? いいえ、必然で思い、必然で語り、必然でしたのです。なぜなら、前述したように、この宇宙に必然以外あり得ないからです。でもあなたは、悪いことを思い、悪いことを語り、悪いことをしたわけですから、あなたは「因果の法則」よって裁かれるでしょう。それも必然だからです。でもその裁きが、あなたを成長させてくれるのですから、それは良いことだったのです。
誰もが、自分が思ったこと、語ったこと、したことを偶然だと思っています。でもあなたは、必然で思ったのです。必然で語ったのです。必然でしたのです。その必然は、すべて進化成長に結びついている必然です。ですから、思ったこと、語ったこと、したことを、すべて良いことだと思ってください。
この宇宙に、間違いなどありません。悪いことなどありません。どんな間違いも、どんな悪いことも、みな進化成長に結びついている必然です。何と有り難いことでしょうか?
この仕組みを創った神の何と慈悲深いこと・・・ただただ頭が下がるばかりです。
2019年月3日15日更新
※ どうせ死ぬのに、人はどうして生まれてくるのでしょうか? それは、死ぬから生まれてくるのです。死ななかったら生まれることはありません。だから私たちは、一日も早く死なない自分にならなくてはならないのです。つまり、死ぬ人間から死なない神人にならなくてはならないのです。でもそうなるためには、死ぬ人間の体験をしなくてはならないのです。だから私たちは、死ぬと分かっていながら生まれてくるのです。
死ぬのも必然です。生まれるのも必然です。死ぬことによって、生まれることによって、進化成長できるからです。
一体、宇宙の何を知ることが大切なのでしょうか? 見える物質でしょうか?、見えない本質でしょうか? 見えない本質ですね! なぜなら、見える物はみな消えて無くなる幻だからです。 幻を知ったって、何の意味もありません。私たちは永遠の存在ですから、永遠に無くならない本質を知らねば意味がないのです。そうは言っても、見えなくては何の判断材料もありませから、神は見えない本質を写し出す鏡を用意し、そこに見える幻を写し出しているのです。その鏡が表現宇宙なのです。
宇宙は、ある博士が論じているような、一面的な宇宙(物質宇宙)ではないのです。見える宇宙の背後に、見えない本質の宇宙があるのです。ですから、見える表現宇宙を知れば、見えない本質の宇宙のことが解るのです。と言うことは、見える人間を知れば見えない本質が解ると言うことです。
あなたは、本当の自分を知っておりますか? 肉体の自分しか知らないのではありませんか? それでは、本当の自分を知ったことにはならないのです。どうか、本当の自分を知ってください。それは見えない本質を知れば解るのですから・・・。では、見えない本質とは何でしょうか? それは、神のことです。神は全ての本質なのです。神なる本質が表現宇宙を創造し、神なる本質が創造物そのものになっているのです。つまり神なる本質が人間を創造し、神なる本質が人間になっていると言うことです。だから人間は神そのものなのです。その神なる本質は、宇宙に一つしかありません。
本質=1=神=宇宙=本当の自分・・なのです。
このことは、今の地球人類の原子核の量では理解してもらえないかも知れませんが、皆さんなら理解してもらえると思います。
2019年4月1日更新
※ 今の自分の理解力で、宇宙を決めつけてはなりません。また推測してもなりません。今のあなたの理解力は、今のあなたの原子核の量のもので最高点のモノではないからです。いいえ最高点どころか、まだしっぽさえも掴んでいないのです。
宇宙には、知るべきことや解らないことが、無限に存在するのです。どうか、謙虚になってください。
※ 下から上は見えません。上から下は見えます。そのことが解った人は、今の自分の位置が分かりますので謙虚になります。解らない人は、自分が最高点にいると思うので増長するのです。
この社会には、沢山の占いがあります。たとえば、手相占い、顔相占い、タロット占い、方位占い、星占い、風水占いなど、上げれば切がありません。どうして、こんなに占いが流行るのでしょうか? それは、人生 一寸先が闇だからです。私たちは、一秒後 何が起こるのか、今日 何が起こるのか、明日 何が起こるのか、一年後 何が起こるか分からないので不安なのです。だから不安を解消したくて、占術に頼るのです。
確かに現象の世界は、風水の力や星の運行力によって影響を受けております。また手相や顔相にその人の性格や気質が表れますので、それを読み取ることでアドバイスはできます。でもそんな占いに頼らなくても、想念を正しく使っていたら不安がることはないのです。なぜなら、「原因と結果の法則」が守ってくれるからです。
風水の力や星の運行力を信じる人は、自分の想念で引きよせ影響を受けているだけです。でも信じない人は、そんな影響は受けないのです。
外側の現象界は結果の世界です。内側の想念は原因の世界です。結果は、原因の後に生まれるのです。ですから、原因である想念さえしっかり管理していたら、悪い結果が起きるわけがないのです。
明日のことを煩わないでください。未来のことを心配しないでください。今 正しい想念を持つことです。良い想念の一番は、神を想うこと(マントラを想うこと)です。瞑想することです。
2019年4月15日更新
※ 風水の力も、星の運行の力も、現象なのです。でも私たちの意識は、真実です。真実が、どうして現象の影響を受けましょうか? 受けるのは、現象に意識を合わせるからです。
私たちの心臓は、自分の意思にお構いなく自動的に動きます。でも呼吸は、自分の意思で自由に吸ったり吐いたりできます。なぜ神は、心臓と同じように呼吸も自動的にできるようにしなかったのでしょうか?
自然界の生き物たちの心臓も自動的に動きます。でも呼吸は、自由意思を持っていないので自動的にさせられているのです。これが人類と他の生き物たちの違う点です。なぜ神は、そのような違いを創ったのでしょうか?
自然界の生き物たちは、自由意思が無いので生かされるままに生きるしかありません。だから自然界には、病気も事故災難も無いのです。(人間界の波動を受けている生き物たちだけに、病気や事故災難がある)でも人類は自由意思があるため、欲望や感情のままに生きて、病気や事故災難を引き寄せています。生かされるままに生きれば幸せな人生が送れるというのに、自分の都合の良い生き方をして不幸せな人生を送っているのです。
自然界の生き物たちには、生かされるままに生きると言う一つの選択肢しかありません。でも人類は、自由意思があるため二つの選択肢があるのです。1つは生かされるままに生きると言う選択肢です。もう一つは好き勝手に生きると言う選択肢です。神様は人間に二つの選択肢を与え、どちらを選べば幸せになれるか学びなさいと言われているのです。今 人類は、自由意思で好き勝手な生き方をして苦しんでいますが、そのうち生かされるままに生きる尊さに気づくでしょう。今 人類は、その学びをしている真っ最中と言うわけです。
人間の心臓は神が動かしてくれていますので、神に任せていたらちゃんとやってくれます。でも呼吸は自由意思でできますので、好きな時に吸い好きな時に吐けます。しかし自由意思でできるからと言って、息を止めたのでは死んでしまいますし、吸い過ぎても死んでしまいます。今 人類が好き勝手に生きている状態は、息を止めている状態か吸い過ぎているかの状態なのです。これでは、いずれ死んでしまいます。どんなに自由意思を持っていても、生かされるままに生きなければ必ず死を招くのです。
人類には、進化する大きな目的があります。他の生き物たちは、人類の進化を後押しする仲間です。その仲間から、人類は学ばねばなりません。だから神は、人類と他の生き物たちの違いを創ったのです。人類は、一日も早くその事に気づかねばなりません。
どうして神が、自動的に呼吸できるようにしなかったか? 解ったと思います。もし自動的に息ができたら、好き勝手に生きている愚かさに気づかないでしょう。人類はまだそのことに気づいていませんが、いずれ気づく時がきます。その時、生かされるままに生きるようになるのです。
新時代の令和を、それに気づく第一歩にしたいものです。
2019年5月1日更新
※ この宇宙には、生かされるままに生きる生き方(心臓の生き方)と、自由意思で勝手に生きる生き方(呼吸の生き方)の、二通りの生き方があります。自然界の生き物たちは、自由意思が与えられていませんので前者の生き方をしています。しかし人類は、自由意思が与えられていますので後者の生き方をしています。前者の生き方をすれば幸せになれますが、後者の生き方をすれば不幸せになります。その証に、人間界に不幸はあっても自然界に不幸はありません。人類は今、自由意思を使って後者の生き方をし、不幸せになっているのです。でもこれは進化のために必要な体験で、決して悪いことではありません。後者の生き方をしているうちに、これでは幸せになれない事に気づきます。覚者はそのことに気づいた人です。
神は人類に、心臓と呼吸の仕組みを通して、どのように生きれば幸せになれるか知りなさい! と言っておられるのです。
あなたはどれほど長い転生をかけ、本物の真理を探し続けてきたと思いますか? それはそれは、気の遠くなる転生をかけ探し続けてきたのですよ! そして今生、ついに本物の真理を探し当てたのです。このチャンスを逃してはなりません。
さあ!、真の求道者なら覚悟してやってください。「私は真理に人生をかける」と・・・ぜひ、人生の目的を貫徹して帰ってください。
あなたは、この世の何かをするために生まれてきたのではないのですよ! あなたは、自分の原子核を大きくするために生まれてきたのです。目的と手段を取り違えないでください。
2019年5月15日更新
※ 私は「何事も中庸を見極めやってください!」と言います。それは、良いことも出すぎると悪いことになるし、引っ込み思案も良くないからです。この世のことは、何を成しても幻です。そんな幻のことで言い争って、自分の宇宙を汚しては大損です。
どうか中庸を見極めた上で事に当たってください。「どこまでが中庸か?」、その眼を養うのも学びの一つなのですから・・・。
※ 身は汚くても、心だけは美しくありたいものです。
なぜなら、身は幻でも心は真実だからです。
※ 何でも否定的したがる人、或いは何でも悪く受け取る人、或いは何でも反対する人は、心のネジ曲がった人だと言われます。この心のネジ曲がりは、長い転生を重ねれば誰でも持つ欠点ですから、恥じることはありません。ただ、「ああ そうか!、自分にはそのような欠点があるのか!」と言うことだけ認識しておいてください。後は2つのことをやれば、欠点は自然と無くなってゆくのですから・・・。
世の人々は、神仏や先祖が私たちを守ってくれると思っています。もし神仏や先祖が守ってくれるなら、どうして大聖堂が火事になるのですか? どうして仏壇のローソクの火で火事になるのですか? どうして墓参りの行き帰りで交通事故に遭うのですか?
占いが、あなたを守ってくれるのではないのです。星が、あなたを守ってくれるのではないのです。方角が、あなたを守ってくれるのではないのです。お守りが、あなたを守ってくれるのではないのです。守ってくれるのは想念です。原因と結果の法則です。良い想念を持ては、幸せになるのです。悪い想念を持てば、不幸せになるのです。
人生を良くするのも悪くするのも、あなたの想念の持ち方次第です。どうか、迷信に惑わされないでください。
2019年6月1日更新
※ 私たちのボディーは、神の代弁代行を果たすために与えられました。ですからボディーを自我のために使っては、盗みの罪を犯すことになるのです。
代弁代行の目的の一つは、原子核を大きくすることです。もう一つは、この地球上に理想の世を創ることです。自我のためにボディーを使うのは、最低限で良いのです。
どうか神の代弁代行役を果たすために、ボディーを使ってください。そうすれば、エネルギーがドンドン入ってきます。少々厳しく働いても疲れません。勿論、病気などなりません。自我の欲望のために使うから、疲れたり病気になったりするのです。
※ 真剣に神を求めてください。真剣に神を意識してください。真剣に神を想ってください。その者は、間違いなく神様からご褒美が頂けます。
(想念は実現の母ですから、あなたの想念がご褒美を与えると言う意味です。想念は神様からの贈り物ですから、神様がご褒美を与えたことになるのです。)
「私にはこんな欠点がある! 私はこんな悪い性格を持っている!」と落ち込むことはありません。あなたがどんなに良いことをしようと、どんなに悪いことをしようと、それは体験ですから、あなたは間違いなく成長しているのです。魂を大きくする体験に善悪はないのです。良いことをしてどんなに良い成績を残そうと、悪いことをしてどんなに悪い成績を残そうと、成績は残りませんが体験で大きくなった魂は永遠に残るのです。
何万転生の間に付けた心の垢や癖というものは、そう簡単に取れるものではありません。いいのです。取ろうとしなくても・・・2つのことをやっていれば、いずれ必ず取れるのですから・・・。
繰り返し言います。自分の欠点に落ち込むことはありません。あなたが想った事、語った事、行った事は、すべて良い体験です。体験は宝なのです。さあ落ち込む暇があるなら、2つのことをやって魂を大きくしましょう。
2019年5月15日更新
※ 人生の目的は、この世の成績を残すことではありません。体験によって魂を大きくすることです。
本当に有る一(絶対)そのものを示す言葉などありません。でもそれでは黙っているしかないので、私は相対的言葉を使って本当に有る一(絶対)を説明しようとしているのです。「本当に有る一(絶対)だけが本当に有るのですよ!」と言ったところで、それでは説明したことにはならないからです。
本当に有る一(絶対)を示すには、多(相対物)を相対させて示すしか方法がないのです。本物を示すには、偽物を相対させて示すしか方法がないのです。一(絶対)そのものを示す言葉がないから、反対の言葉を使って一(絶対)を示そうとしているわけです。私の苦衷を察してください。
私は良く言います。言葉の裏には、反対の意味があるのですよと・・・。つまり、「良いよ!」の反対には「悪いよ!」が・・「嫌い!」の反対には「好き!」が・・「光」の反対には「闇」が・・・。
これも、本当に有るものを示す一つの方法なのです。反対のものを相対させれば、反対の意味が分かるからです。
とは言っても、相対させて一(絶対)の存在は示すことはできても、一(絶対)そのものを示すことはできません。つまり一(絶対)の存在を示すことはできても、一(絶対)そのものの正体は依然として不明なのです。
一(絶対)は表現されないので、一(絶対)の正体を言葉や文字で示すことはできないのです。当人が理解して納得するしかないのです。だから一(絶対)は、理解した者だけにあるのです。と言うことは、一(絶対)は、理解力が生み出したモノとも言えるでしょう。でもその理解力は、一(絶対)が生み出したのですからやはり一(絶対)はもともと有ったのです。
本当の自分の意識(一・絶対意識)を知ることはできないけれど、今 自分と思える相対意識(自我意識)がある限り、本当の自分(一・絶対意識)は間違いなく存在しているのです。でもその自我の自分がある限り、本当の自分には戻れない!、帰れない!、ということも確かなのです。
2019年7月1日更新
※ 真我の自分の意識を知るには、自我の自分の意識で知るしかないけれど、いかに知ろうとしても永久に知ることはできません。神を知ることは永久にできない! 宇宙を知ることは永久にできない! つまり、本当の自分を知ることは永久にできない! と言うことです。
※ 「幸せ!」と思えるのは、その背後に「不幸!」と思える思いがあるからです。「嫌だ!」と思えるのは、その背後に「良い!」と思える思いがあるからです。人を「憎」めるのは、その背後に人を「愛」する思いがあるからです。
「私はこんな悪い思いしか持てない!」と自分を責めないでください。相対的思いがなければ、絶対的思いは生まれないのですから・・・。
※ これまで人類が得た見識など、無限宇宙の見識から比べたらチリみたいなものです。ですから、今の自分の見識で物事を量ってはなりません。
何でも知っていると思っている人は、何も知らない人です。何も知らないと思っている人は、宇宙の深遠さを知った人です。どうか謙虚になってください。
※ 相対的言葉を使って真我を示そうとしている自我の自分が、真我の自分の存在を可能にしているのです。つまり、客観者の自分が主観者の自分を示そうとしている行為自体が、主観者を生み出しているのです。客観者の自分がいなければ、主観者は生まれないと言う意味です。
「私の意識」「私の意識」「私の意識」・・・この「私の意識」って、一体何なの? 誰なの? 何者なの? 何処から生まれたの? 何処から来たの? 何処に帰るの? ・・・・。この疑問は、尽きることがありません。疑問を膨らませれば膨らませるほど、私の心を悩ませます。どんなに知りたいと思っても、決して「私の意識」を知ることができません。でも、それで良いのです。知った途端に「私の意識」が消えてしまうからです。なぜ消える? 知った途端、私は有限の存在になってしまうからです。有限とは、限りがあるという意味です。終りがあるという意味です。つまり、死があるという意味です。「私」は死にたくありません。だから「私の意識」は、不明のままで良いのです。
ちなみに神の別名は、「不明」です。それは、神を知ることが永遠にできないからです。ゆえに「不明」なモノは、すべて神の名で表わされるのです。命も「不明」です。光も「不明」です。エネルギーも「不明」です。宇宙も「不明」です。だから、命も、光も、エネルギーも、宇宙も、神と呼ぶのです。と言うことは、「不明」な私の意識も神と呼ぶしかないでしょう。
そうです。私は「不明」な神です。「不明」ですから私の意識を永遠に知ることができません。でも私は、間違いなく存在しています。今「私」と思えることで・・・。
知れるモノは有限なのです。知れないモノは無限なのです。死にたくなかったら、有限になりたくなかったら、永久に「私の意識」を知らなくて良いのです。
2019年7月15日更新
※ あるモノの一方面から光を当てれば、後ろに一方面の影が生まれます。角度を変えて光を当てれば、変えた角度の影が生まれます。360度角度を変えて光を当てれば、360度角度の違った影が生まれます。これは・・一方面から光を当てれば一方面の神の側面が解り、360度角度を変えて光を当てれば、360度の神の側面が浮き彫りになると言う意味です。でも神は無限の角度を持つ存在ですから、無限の角度の神の側面が浮き彫りになるのです。だから私は、角度を色々と変えて神の側面を説明しているのです。
私たちが物を買うのは、日々の生活を豊かにしたいからでしょうが、使わず寝かせていたのでは意味がありません。物にはみな意識があるのです。その物は、私たちに使ってもらいたいのです。私たちは物を通して学び、また物は私たちを通して学んでいるのです。買っても使わなければ体験できないので、何も学べないのです。もし不要な物があるなら、使ってもらえる人に上げてください。どうしても不要な物は、有効利用できないか考えてみてください。例えば着物なら、雑巾に加工して使えます。食べ物でも、猫や犬が食べられるよう料理すれば使えます。他の不要な物も、代用品として利用できないか考えてみてください。代用品として利用すれば、新しい物を買う必要がなくなりますので、ますます整理がつきます。それよりも何よりも、使ってあげた物が喜んでくれます。また、そのようなことをすれば物と向き合うことになりますので、物も自分も成長できるのです。物と向き合っている時は、自分の心と向き合っている時なのです。それは反省にも気づきにもつながるのです。
未熟な魂は物を通して成長するので沢山物は必要ですが、皆さんのように魂が成熟してくると、余り物を必要としなくなるのです。まだ沢山物を持っているなら、少しずつ整理していってください。勿論、家族のある人は家族のことを考え整理してください。どの程度整理するかも中庸の学びの一つです。
物の整理について、面白い記事がありましたのでご紹介します。
「片づけで夫婦仲が良くなるなんて、嘘っぽい…」 でも、このまま自分のことをわかってくれない夫と何十年も連れ添っていくと考えると、将来が不安、、、夫との関係を良くしようと、自己啓発のセミナーに通ったり、心理学も勉強してみたけれど、どれもその場かぎり。たかが片づけで夫婦仲が良くなるなんて・・あなたは嘘みたいだと思っていませんか? 私もそう思っていた一人です。でも違ったのです。
私の個人的な話をさせてください。
数年前のある日のこと、私は泣き崩れそうになっていました。「もう無理、限界。」私は、時々家の喫茶店の手伝いをしていたけれど、基本的には専業主婦でした。特に片づけが苦手なわけではなく、テレビや雑誌を参考に収納だってうまくやっていました。なので、今更片づけをしたところで、人生が変わるほどの変化なんて訪れないと思っていたんです。でも、夫との関係は冷えきっていました。私から話しかけるばかりで夫からは話しかけてこない。子どもの話は相談にのってくれるけど、私の話はうわの空・・・「こんな冷めた関係、夫婦として一緒にいる意味あるのかな…?」私の頭に”離婚”という2文字が浮かぶようになりました。人生やり直すなら、早い方がいいとさえ思っていました。友達に相談してみても、「よくある話よ~」と笑われたけど、私にとっては大きな悩みでした。子どももそれほど手がかからなくなり、夫と2人だけの将来を考えるとため息ばかり…「もう私は誰からも必要とされていない…」そんな風に考えると、自然と涙がこぼれることも増え、トイレで隠れて泣くようになっていました。そんな状態が数年、続きました。でも・・そんな私でも夫との会話が増え、夫との将来が楽しみになったんです。(今では2人でデートや旅行をするようにまでなってます)それは断捨離を実行したからです。実際にやってみたところ・・周りから「仲のいい、理想の夫婦ね」なんて言われるようになったんです。正直、もう離婚するしかないと思っていたのに・・・すごくないですか?笑・・しかも、やったことといえば、家にいてモノを選んで捨てることくらい。風水にならって家具の配置を変えたり、パワーストーンを買ったり、思ってもいない感謝の言葉を言ったわけではないんです。モノを減らしたことくらいで、そんなに変化が起きるわけないでしょ…と疑う方がほとんどだと思いますが、でもこの方法は本物でした。収納術じゃダメなんです… 私も色々な片づけや収納術を試したことはあるのですが、どれも大して変わりないじゃん…と思ってすぐにやめてしまいました。でも、私が間違っていたんです。断捨離と他の片づけ術とは、全然違うんです!(というか、断捨離はただの片づけじゃなかったんです!) 当時の私は、断捨離という言葉は聞いたことがありますが、「片づけの方法の一つでしょ」くらいにしか思っていませんでした。衝撃!私の家は片づいていると思っていたのに、片づいていなかったのです!私は自分のことを収納上手だと思っていたので、衝撃でした。手始めに、お財布の断捨離をしてみると、想像以上に要らないレシートやポイントカードがありました。毎日見ているようで見えていなかったモノがあるんだと、驚きました。そして、お財布という小さな空間でしたが、スッキリ感と達成感がありました。「家の中にも要らないモノがたくさんあるかも・・・」私は休日を利用して、キッチンの断捨離に取り組むことにしました。食器の断捨離をやってみると、引っ越して以来、7年以上使っていないお皿が出てきました。(あったことさえ忘れていました!)それは、全然私の好みではなく、「もらったから捨てられない」「まだ使えるから捨てられない」「使えるモノを捨てるなんて、ひどいやつだと思われる!」と思い使わないけれどとっておいたのです。それを見て私は、いかに他人軸で生きてきたかを感じました。つまり、人の目や評判ばかりを気にして、自分がどうしたいのか、自分が使いたいのか、全く自分の心に目を向けていなかったのです! モノだけに想いが張り付いていることがわかりました。断捨離のおかげで、なぜとっておいたのか、そして、なぜ捨てられないのかに、気づくことができました。 私は食器棚をで片づけながら、今までの自分を振り返っていました。
・ずっと家族を優先してきた我慢・・
・家事を頑張っても当たり前ですまされてしまう虚しさ・・
・子どもや夫が外で自分の世界を作っておいてけぼりにされているような寂しさ・・
私はいろんな心のガラクタを抱えながら過ごしていたんだと気づきました。そして同時に私は、やってもやっても終わりのない家事や、正解のない子育てをずっと頑張ってきたんだな、と少し自分で自分を認めてあげられるような気分になりました。私はずっと”誰か”に認めてもらいたかった。夫から”よくやってるね、すごいね”という言葉が欲しかった、親や子どもたちからも認められたかった。けれど、違ったんです。本当は、自分が自分を認めてあげてなかった。誰に褒めてもらえなくても、自分で自分を褒めてあげたらよかったんだと思えたんです。ずっと他人の目ばかり気にして、自信がなかった私ですが、少しだけ自信がついた気がしました。そんな気持ちで断捨離を進めていると、”あるモノ”が出てきました。それは私が40歳の誕生日の時にくれたマグカップでした。それは、仲のいい家族3組で旅行に行った旅行先で、夫がサプライズでプレゼントしてくれたものでした。そのマグカップは、もったいないからと一度も使うことなく箱に入ったまま埃をかぶって、奥にしまいこんでありました。そのカップを見たときに気づいたんです。「夫はいつも私を喜ばせようとしてくれていた。いや、今もそうかもしれない。夫は、私のことを嫌いになったわけではなく、私が夫の態度をそっけないものにしていた。」当時の私は、子育てや家事に追われて、余裕がなくいつもイライラしていました。夫は仕事で疲れて帰ってくるのに、怒ってばかりいる私しか見ていなかったので、距離を置いていたんだと・・。夫婦関係をぎくしゃくさせていた原因は・・私だったんだ。そう気付いた時、情けなさと申し訳なさでキッチンで思いっきり泣きました。そして、夫に「ごめん」と謝ると、「いいよいいよ」と言ってくれたのです。それからというもの、夫との会話は徐々に増え、夫から外食に誘ってくれるまでになりました。きっと、私のイライラがなくなって、ごきげんな時間が増えたからだと思います。
なぜ、このような記事を皆さんに紹介するのか?・・考えてみてください。色々な気付き起きるかも知れません。
2019年8月1日更新
人にない技を身につけると、あるいは人にない物を持つと、試したくなり、使ってみたくなるものです。幼い魂に危険物を持たせてならないのは、使ってしまうからです。
そうです・・・。すべて心です。心が肉体を動かしているのです。人間はこのことを深く考えようとしません。だから心を粗末にするのです。
この事実をしっかりと認識すべきです。
真に国民の幸せを考えるなら、心のメカニズムを解明し、正しい心の使い方を国民に周知させるべきです。これは国策として、真っ先に取り組まねばならない重要課題です。源流を清めれば黙っていても下流が清まるように、原因である心を清めれば社会は黙っていても平和になるのです。
何事も「心」が関係していることを、科学者にも、教育者にも、政治家にも、知って欲しいと思います。
2019年8月15日更新
※ 戦争の悲惨さや災害の恐ろしさを伝える語り部がおりますが、これは反対に戦争の因・・災害の因・・になるのです。なぜなら、想念は何でも実現させるからです。ネガティブなことは想わないこと、話さないこと、行わないことです。過去は終わったのです。想うなら、建設的なこと、前向きなこと、ボジティブなこと、を想うことです。
苦しめば苦しむほど魂が成長するのは、間違いありません。なぜなら、苦しみの中には魂を成長させる、色々な要素が含まれているからです。でも本来この宇宙は、楽しみながら成長できるようになっているのです。でも楽しみながら成長するためには、真理を深く知らなくてはなりません。なぜなら、真理を知らない者は想念を悪用し、苦しみを作ってしまうからです。真理を深く知った者は、想念を悪用しませんから苦しみはやってきません。苦しみがやってこなかったら、楽しみながら成長できるのです。
真理を知らない幼い魂は、苦しみながら成長するしかありませんが、皆さんのように真理を深く知った魂は、楽しみながら成長できるのです。これは「原因と結果の法則」から言って、当然のことなのです。
さあ! 楽しみながら成長してください。ただし、2つのこと(社会体験と瞑想)はやってください。やれば、間違いなく原子核が増えます。増えたら増えた分、考え方も、生き方も、高度になります。そうなれば、ますます楽しみながら成長できるようになります。
2019年9月1日更新
※ 師は常に自分の中におられます。自分が自分に教えるのです。難しいことはありません。ただ、2つのことをやり続ければ良いだけです。それは、何処へ行く必要もありません。
どうか、自分の足で歩いてください。人を頼っていてはなりません。
※ 外側のモノは内側の自分が創っていると腹の底で思えた時、自他一体になれ唯我独存(尊)の境地なれるのです。唯我独存(尊)の境地になった時、神人になったと言うのです。
この宇宙には、「無色透明の一つの本質」があるだけです。すなわち、「無色透明の一つの意識」「無色透明の一つの光(力・エネルギー)」「無色透明の一つの命」「無色透明の一つの魂」「無色透明の一様の神」が存在するだけです。
私たちは「苦楽」があると思っていますが、「表から見たら苦」になり「裏から見たら楽」になる本質があるだけです。つまり、「渦を上から見たら左回りの渦になり、下から見たら右回りの渦になる」或いは、「包丁を料理に使えば善になり、人殺しに使えば悪になる」本質があるだけです。
この宇宙には、「一つの無色透明の本質」しか無いのです。その一つの無色透明の本質には、「良し悪し」のレッテルは貼られていないのです。「どう見るかで? 、どう受け取るかで?、」レッテルが変わるかだけです。それは「見る人が、受け取る人が、」決めるのです。だから私は、「何事も良く見なさい! 何事も良く受け取りなさい!」と言うのです。
このようにこの宇宙には、何色にも染まっていない無色透明の本質が一つあるだけなのです。その本質を良い色にするか悪い色にするかは、私たちが「どう見るか?、どう受け取るか?」で決まるのです。
2019年9月15日更新
※ 神は、無色透明の本質です。神の世界には、善悪も、良し悪しも、美醜も、男女も、高低も、左右も、大小も、軽重も、無いのです。有るのは何色にも染まっていない本質(力)が、一つ有るだけです。「何色にも染まっていない本質が一つ有る」と言う意味は、神は中道である。中庸である。中性である。真ん中であると言う意味です。神には、差別がないのです。偏りがないのです。平等なのです。
※ 何色にも染まっていない一つの本質は、「力」なのです。「働き」なのです。その力と働きは、想念に素直に従ってくれるのです。良い想念を使えば良い力として働き、悪い想念を使えば悪い力として働いてくれるのです。働きだけ考えると自由意思が無いように見えますが、善悪を見極めて「因果の法則」を行使する力を持っている働きですから、やはり自由意思があるのです。
※ 宇宙は、受け取り方次第で変わるのです。それは、私たちの想念が宇宙を創っているからです。
この表現世界は、魂を成長させるために神が用意したトリックの世界です。トリックの世界ですから、何一つホンモノはありません。ですから本当は、心を痛めることなど何もないのです。でも悲しいことに人間は、トリックに引っかかり悩み苦しみ恐怖しながら生きています。
ではどうしたら、トリックの世界から抜け出すことができるのでしょうか? それは、次のことを常に自分に思い聞かせることです。
自分は永遠に死なない、「意識なのだ!」「命なのだ!」「魂なのだ!」と常に自分に思い聞かせ、死ぬ自分と死なない自分の識別をしっかりしてください。しっかり識別できたら、トリックから抜け出すことができるでしょう。
2019年10月1日更新
※ 真理を求める心が萎えたら・・或いは迷い心が生じたら・・
・私は一体 何のために生まれてきたのか? 人生の目的は一体 何なのか? と自分に言い聞かせてください・・・。
きっと、冷水を浴びせられたように迷い心が吹き飛んでしまうでしょう。
本当の私は、姿形が無いのでそのままの状態では、私は分かりません。でも形を取り、その形に名前を付けた途端、私が分かるのです。なぜなら、形に付けた名前が私になるからです。私に無限という名前を付けたとしましょう。名付けた途端、私は無限になってしまうのです。生命と言う名前を付けたとしましょう。名付けた途端、私は生命になってしまうのです。神という名前を付けたとしましょう。名付けた途端、私は神になってしまうのです。あなたが今 人間と思っているのは、形に人間の名が付いていたからです。もし形に虫と言う名が付いていたなら、あなたは虫と思っていることでしょう。虫が人間のように考えても、話しても、行為しても、何の不思議もないからです。
名前は単に、具体性を示す言葉にしか過ぎません。私たちは今 人間と思っていますが、人間と言う名だけでは具体性がないので、人間と言う名に更に太郎とか花子とか名を付け、具体性を高めて自分を誇示しているのです。さらに花子の名の元は何なのか探れば、細胞の名であり、分子の名であり、原子の名であり、クオークの名であり、意識の名であり、最終的に神の名に辿り着くのです。
このように名前を付け具体性を高めることで、そのモノの奥に隠れている本性、つまり神に迫ることができるのです。
2019年10月15日更新
※ 私たちは、絵(鉱物・植物・動物・人間)が最初にあり後から名が付いたと思っていますが、本当は逆で、思いが先にあり後で名が付いたのです。その名前は、言葉なのです。「言葉が生まれ名が生まれた、名が生まれたから言葉が生まれた」どちらでも同じなのです。言葉そのものが名前だからです。
※ 地球人類は沢山の言葉を持っていますが、それは多く具体性を持たせなくては、モノの中身が理解ができないからです。具体性とは、言葉や(名前)や文字や絵のことです。
進化した星での伝達手段はテレパシーですが、テレパシーには「思い・言葉(名前)文字や絵」のすべてが入っているのです。でも地球ではテレパシーが使えないので、どうしても言葉や文字などの伝達手段が必要なのです。思いの波動を感じれば済むのに、それができないから言葉や文字で伝達するしかないわけです。
※名前(言葉)や文字や絵は、どんな役割を持っているのでしょうか? それは、伝達手段としての役割です。でもそれよりも、最と大切な役割があります。それは、神を知らしめる役割です。名前は具体性を示しているのです。
「人類と言う名」も「日本人と言う名」も「分子と言う名も」「原子と言う名も」「クオークと言う名も」「意識と言う名も」、神を具体的に示した名前です。神と言う名は抽象的なので、細かく名前をつけ具体性を高めているのです。
この宇宙には、「不明なモノ」が沢山あります。
例えば、
宇宙も「不明」です。
意識も「不明」です。
命も「不明」です。
魂も「不明」です。
心も「不明」です。
掲げれば切がありませんが、本当はたった一つ不明なモノがあるだけなのです。そのたった一つの不明なモノを、「神」と呼んでいるのです。神と言う名は、不明なモノの総称なのです。不明なモノは、すべて神の側面なのです。私が神の側面を多く語るのは、神の側面を多く知れば神の具体性が増し、神の正体が薄っすらと解ってくるからです。私は更に具体性が増すように、神の側面にもう一つ「力」を加えてみました。
さあどうでしょう?、不明な神が少し解ってきたのではありませんか?。すべての事象に、力という言葉を使ってみましょう。神が身近になると思います。
ではその力を生み出している力は、どこから生まれてきたのでしょうか? 力の正体は何でしょうか? 解りません? 力も不明なのです。私たちは、その不明な力から生まれ、生かされ、動かされ、働かされ、存在させられているのです。ですから私たちも、不明なのです。でも、不明で良いのです。「自分は不明な存在である!」と解れば、自覚に近づくことができるからです。
2019年11月1日更新
※ なぜ自分を知ることが出来ないかと言いますと、自分を創ることが出来ないからです。自分を創れる者だけが、自分を知ることが出来るのです。でも、未だかって自分を創ったモノはいません。万能の神でさえ自分は創れないのです。だから、私たちが自分を創れないのは当然です。と言うことは、神も私たちも、永遠に自分を知ることが出来ないと言うことです。
※ 本当に有るモノが、本当に有るモノを創ることはできないのです。本当に有るモノが作れるのは、本当に無いモノだけです。と言うことは、自分が自分を創れないと言うことです。
※ 自分を知ることは、永遠にできません。でも、間違いなく自分は存在しています。それは、自分と思えるからです。
※ 自分を知らないで生きている私って、何んておかしな私でしょうか?! 私って誰?・・ 何処までも姿を見せない私って何者?・・ 何んて薄気味の悪い私なのでしょうか!
※ 何かが存在しているからには、その何かを産み出した親が必ずいなけければなりません。親のいない子は無いからです。では、神を産んだ親は誰でしょうか? それは、原因なき原因です。神は原因なき原因から産まれたから、神を知ることはできないのです。
矛盾とは、矛を持ち盾を構えている状態を言います。矛を持ちながら盾を構えるのは矛盾なのです。つまり、相手を攻撃する構えをしながら、自分を守る構えをするのは矛盾なのです。なぜなら、攻撃されることを前提に防御しているからです。これは攻撃されるのを望んでいるようなものなのです。望めば(需要を作れば)与えられる(供給される)のが、原因と結果の法則ですから望んだ通りになるのです。
駅のホームに掲げられている広告で一番多いのは、病院の看板です。これは、病人が沢山きてくれることを望んで宣伝しているようなものですから矛盾なのです。
国は医学の進歩のために沢山のお金をかけていますが、これも病人が多くなることを前提にやっているわけですから矛盾なのです。本当は病気などないのですから、病気のことなど考えない方が良いのです。病気のことを考えれば、需要を作ってしまうわけですから供給されるのです。考えることは思うことですから、思えば与えられるのです。(想念は実現の母)だから病気になりたくなかったら、病気のことは考えないことです。
この宇宙は、需要者側(認める者)が主導者で、供給者側(認められる者)は従属者なのです。何でもそうですが、認めるから認められる物が生まれるのです。あくまでも需要者側が主体者です。
2019年11月15日更新
※ 人類は、幾つもの矛盾を抱え生きています。でもそのことに気づいている人は、一人もいないのです。例えば・・
・病気を認めながら病気を無くそうと思うのは矛盾です。
・悪人を認めながら悪人を無くそうと思うのは矛盾です。
・戦争を認めながら戦争を無くそうと思うのは矛盾です。
今 人類は、無い病気を・・無い悪人を・・無い戦争を認め、無くそうとしていますが、無いものを認めれば認めるほど有るものにしてしまうのです。これは盾なのです。なぜなら、需要(思っている)を作っているからです。でも人類は、そのことに気付いていないのです。
真理も同じです。
・人間を認めながら人間を無くそうと思うのは矛盾です。
・自我を認め自我を無くそうと思うのは矛盾です。
※ あなたが望まなかったら(需要を作らなかったら)何も生まれません。今あなたに苦しみがあるとしたら、それはあなたが望んだからです。あなたが望みながら苦しみたくないと思うのは、矛盾なのです。
※ あなたの意識の前で、悪いことが起きたり悪い物を見せられたりするのは、あなたが望んでそうしたからです。なのに「悪いことが起きた! 悪いものがある!」、と腹を立てるのは矛盾なのです。
本源の神の宇宙には、何も有りません。しかし、何でもある宇宙でもあるのです。
私たちが存在しているこの表現宇宙は、「意・口・身」によって創られました。つまり神は、表現世界を創ろうと言う「意(思い・意思)」を持ち、「口(言葉)」を使って「身(波動・響き)」を生み出し、表現宇宙を創ったわけです。「意」は創ろうと言う思い(意思)であり、「口」は言葉であり、「身」は「波動・響き」です。この「意・口・身」は、自我から生まれたものです。と言うことは、創造主である神に自我が有ることになります。神は自我がないと言われますが、そんなことはありません。神は自我そのものなのです。なぜなら、自我が無くては思い(意思)が持てないからです。思いが持てなくては、表現宇宙は創れません。だから、神は自我を持っているのです。ただし、自我が生まれるのは、表現宇宙を創造した時だけです。その前は、無波動の状態なのです。無波動の状態と言う意味は、何もない状態と言う意味です。しかし、いつでも発動できる、何でも思える、状態でもあるのです。これが、本源の宇宙は何も無い宇宙だけれど、何でも有る宇宙であると言う意味なのです。
私たちも自我を持っています。その自我で思っています。自我で言葉を話しています。自我で行為をしています。一体 私たちと神は、どこが違うのでしょうか?
2019年12月1日更新
表の見える物を見ている時は、その裏の見えないモノ「無色」も見ているのです。音楽を聴いている時は、その裏の「無音」も聴いているのです。食べ物を味わっている時は、その裏の「無味」も味わっているのです。臭いを嗅いでいる時は、その裏の「無臭」も嗅いでいるのです。感触を感じている時は、その裏の「無感触」も感じているのです。大元がなかったら、色も、音も、味も、臭いも、感触も、生まれないのです。
私たちは、感覚にかからないモノを、理解力で受け取るしかないのです。感覚にかからないモノを理解力で受け取ることによって、「ああそうか! 感覚にかからないモノの背後には、神が存在しているのだ!」と言うことを知るのです。 感覚にかからないモノは神の側面であり、その側面は理解力でしか受け取れないのです。つまり感覚にかからない原因なき原因者(神)は、理解力でしか感得(知る・納得する・受けとる)することができないのです。
2019年12月15日更新
※ 本当に有るモノ(絶対的なモノ)には、反対はありません。本当に無いもの(相対的なモノ)に反対なモノが有るのです。それは、一つの中に相手はいないからです。でも、相手がいないと自分の存在がないので、相手(相対世界)を作り自分自身を創り続けるているのです。
※ 何でもそうですが、こうだと決めつけてはなりません。なぜなら、こういう人だと決めつければ、自分の想念でそのような人を作ってしまうからです。宇宙(人・社会・世界)をこうだと決めつければ、そういう宇宙(人・社会・世界)を自分の想念で作ってしまうのです。それは、自分で自分に催眠術をかけているようなものです。