人を助けることは絶対できません。このことは、学びの友の皆さんに強く言っておきます。本人が体験して魂を大きくし、自分の過ちに気づいて自分を助けるしか無いのです。人助けは、回り道をさせるだけです。この宇宙は、他力で成長するようにはできていないのです。なぜなら、体験なしに成長できないからです。例えば、人の苦しみを取ってあげたとしましょう! その人は、苦しい体験の学びをしていないわけですから、来生また同じ苦しみを体験させられるのです。未熟な魂には、埋めるべき穴(課題)が沢山あるのです。その課題を他人が奪っては、穴が埋まっていないので魂の進化が遅れるのです。それは人助けではなく、人を虐めたことになるのです。
「手を伸ばせば溺れている人を助けられるのに、放おっておけと言うのですか? 」とあなたは反論するかも知れません。いいえ、助けてあげてください。なぜなら、肉体を失っては学びができなくなるからです。私は、肉体のことを言っているのではないのです。魂のことを言っているのです。でも死ぬべきにして死ぬ人は、助けあげてもいずれ死ぬのですから、危険を犯してまで助けることはないのです。勿論、簡単に助けられるのなら助けてあげてください。でも命を張ってまで助けるのは、中庸から外れている助け方です。このように言うのは、真理を学んでいる皆さんだからです。一般の人は、身を犠牲にして助けても良いのです。なぜなら、その時 助けようと思ったのは必然の思いであり、そこに学ぶべき教材があったからです。
体験だけが、魂を進化成長させるのです。「体験なしに成長は無い!」ことを知ってください。
2020年1月1日更新
※ アドバイスを望んだら、アドバイスしてあげてください。でも、人のアドバイスに従ったように見えても、最終的には自分の思い通りに生きているのです。私たちは、自分の思い通りにしか生きられないのです。でも、アドバイスのチャンスが与えられているなら、アドバイスしてあげてください。与えられたチャンスは必然だからです。でも、アドバイスしても疎まれるのが落ちです。
よく知ったふりをして御託を並べる人がおりますが、この宇宙は解らないことだらけなのです。今、知ったと言うのは、宇宙のほんの一部を知っただけで全部を知ったわけではないのです。それはそうでしょう。宇宙は無限なのですから・・・。無限を知ることなど永遠にできないのです。しかも心の底で知らなくては、その一部さえも知ったことにはならないのです。ましてやあなたが知った世界は、上面の世界ですから意味がないのです。心の底で知ってこそ、つまり自覚してこそ、本当に知ったことになるのです。講釈、能書き、道理、心得、説明、そんな御託では意味がないのです。「ああそうか!」と自覚ができてはじめて自分のものとなるのです。自分のものとなると言う意味は、自分が変わると言う意味です。自分がそのものになるという意味です。つまり、自分が宇宙そのもの、神そのものになると言う意味です。
2020年1月15日更新
※ 永遠に「真理を・宇宙を・神を・本当の自分を・知ることができない!」と公言した人は、少し知った人です。「真理を・宇宙を・神を・本当の自分を知った!」と公言する人は、何も知らない人です。
知りながら何も言わない人は、深く知った人です。
※ 自我は 一時 存在する幻で、真実そのものではありません。真実は永遠に無くならない真我(神我)です。でも自我がなければ真我も無いし、真我が無ければ 当然 自我も無いわけですから、どちらも大切な意識なのです。
この表現宇宙が夢幻だと知った覚者は、自分の意識を楽しいところに置くことを常としています。どんなモノを見ても、どんな物を触っても、どんなモノを聴いても、どんな物を味わっても、どんな匂いを嗅いでも幻ですから、そんな幻を追いかけても何の意味もないのです。いやかえって、様々な妄想を作り心を汚すだけです。私たちの意識は、常に穏やかな状態でありたいのです。楽しい状態でありたいのです。喜びの状態でありたいのです。つまり、幸せの状態でありたいのです。ですからこの世の物が幻だと知った者は、幻を追いかけてはならないのです。とは言っても、肉体を持って生きている限り、この世の物を無視して生きるわけにはゆきません。ある程度認め、ある程度の真剣さを持って生きねばなりません。ある程度の真剣さを持ってとは、真心を込めてやりなさい! 真心を持って生きなさい! と言う意味です。いい加減に生きては原子核が増えないからです。
今、多くの人たちが、物やお金や地位や名誉を求めて真剣に生きています。真剣に生きることは原子核を増やすので良いことですが、それを目的にすると真の目的を見失ってしまうのです。物やお金や地位や名誉は幻です。つまり、この世のモノはすべて幻です。幽界も幻です。夢も幻です。幻覚も幻です。蜃気楼も幻です。柳の木を幽霊と間違えたのも幻です。五感で感じるのは、みな幻なのです。そんな幻に囚われて自分の心を汚すなど愚かです。神が望むのは(意識が望むのは)波立たない静けさです。静けさの中に、光が生まれ、安らぎが生まれ、喜びが生まれるのです。
どうか心を鎮めてください。心を鎮めるためには、良いことを思うことです。良いことを語ることです。良いことをすることです。良いことの一番は、神(マントラ)を思い、語り、神の望む行為をすることです。
2020年2月1日更新
現実の世界から、真実の世界へ抜け出す作業が瞑想です。でも真実へ抜け出させないよう、邪魔してくるモノがあります。見える物が、その邪魔モノです。聞こえる物が、その邪魔モノです。味わえる物が、その邪魔モノです。臭える物が、その邪魔モノです。肌で感じる物が、その邪魔モノです。この五感が、真実へ抜け出させないよう邪魔してくるのです。
この邪魔な五感に打ち勝つのは、容易なことではありません。でも、お釈迦様やイエス様が打ち勝ったように、皆さんも打ち勝たねばなりません。何も難しいことはありません。瞑想すれば良いのですから・・・。社会体験すれば良いのですから・・・難しいことがあるとすれば、やり続ける根気です。
私たちは、一日も早く現実の世界から真実の世界へ抜け出さねばならないのです。そのためには、自分は「神であった! 宇宙であった! 意識であった! 」と心の底で思える意識状態にならねばなりません。確かに、この意識状態になるのは難しいかも知れませんが、瞑想し原子核が有る一定量 集まれば自動的に思えるようになります。そうなったら、真実の世界へ抜け出すことができます。焦ることはありません。着実に一歩一歩進むことです。つまり、日々二つのことをやることです。
2020年2月15日更新
表現宇宙は、細胞分裂方式によって創られました。つまり、元数1が分数2に、分数2が分数4に、分数4が分数8に、分数8が分数16に、と言ったネズミ算式に分裂し出来上がったのです。一つ一つ増えていったのでは、永遠の時がかかったでしょうが、ネズミ算式に増えていったので、今のような宇宙が出来上がったのです。この原理は、無限の核が一つの核に集約されることにも使われているのです。つまり、一人の人が二人の人を悟らせる、二人の人が四人の人を悟らせる、四人の人が八人の人を悟らせる、と言った自乗の悟りによって宇宙は収斂してゆくのです。
2020年3月1日更新
私が神に頭を垂れる理由は、
第一に、
・神に従順な者は、決して神は見放さないと言う恩情です。
第二に、
・神の法則に従う者には、幸せが与えられると言う恩情です。
第三に、
・良いことを想っていれば、悪いことは起きないと言う恩情です。
第四に、
・神を想っていれば、原子核が増えると言う恩情です。
そして最後に、
・与えれば与えられると言う恩情です。
愛を与えれば愛が帰ってきます。
憎しみを与えれば憎しみが帰ってきます。
優しくすれば優しくされます。
虐めれば虐められます。
この仕組は決して狂うことはありません。それも平等にです。でもその体験が魂を成長させるのです。それはそうでしょう! すべては我が子なのですから・・・
2020年3月15日更新
よく人の顔の表情を百面相に例えますが、神は百面相どころか無限面相を持っているのです。なぜなら、宇宙には無限の角度があるからです。その神の表情は、面白いことに角度を変えて見れば、微妙に変わってくるのです。と言うことは、無限の角度を持つ無限宇宙では、神の顔の全部を見ることは永遠にできないと言うことです。でも角度を変えて多く見れば、神の面相がはっきりとしてくることは間違いありません。つまり、神の側面を多く知れば知った分、神の正体がはっきりしてくるのです。しかしそれでも、薄っすらと、何となく、ボヤッーと、です。それが、無限面相を持つ(無限の側面を持つ)、神の深遠なところなのです。ですから私たちは、永遠にはっきりとした神の顔を見ることはできないのです。でも、それだから楽しみなのです。
2020年4月1日更新
※ 宇宙には無限の角度があるのです。無限の角度があるから、無限の角度から探れて、無限の気付きが起きるのです。無限だから楽しいのです。
※ 以前 私は、今の地球は腐敗が進んでると言いました。なぜ腐敗が進んでいるかと言いますと、空気の汚れ、水の汚れ、土の汚れが進んでいるからです。もちろん、その原因は人類にあります。
どうして不衛生の場所に、菌や、蚊や、ハエや、ゴキブリや、ネズミなどが発生するのでしょうか?それは、あなたたちは、不衛生なものをたくさん出してますよ!という 自然界からの警告なのです。目には見えませんが、空気中にはたくさんの菌が浮遊しているのです。その菌たちは、空気が汚れれば活動が活発化するのです。水が汚れても同じように、水中の菌たちの活動が活発化します。土が汚れても同じです。汚れたら汚れたぶん、菌や虫たちが多く発生し、そして活発化し、人類に警告してくるのです。人類は菌や虫たちを嫌いますが、彼らは人類のために一生懸命働いてくれてるのです。人類は、未だにそのことに気づいていないのです 。
水や空気や土が汚れるのは、人類の心が汚れているからです。
良い家に住みたい!
良い車に乗りたい!
美味しいものをたらふく食べたい!
この欲望が人の心の汚れであり、地球環境の汚れなのです。
今、人類は 、コロナウイルスの蔓延によって 苦しんでいますが、これは自然界が人の心の汚れを教えてくれている、現象の一つなのです。そのことに、1日も早く気づいて欲しいと思います。
自分の意識の正体は分からないけど、自分の意識がある事実は否定できません。何せ自分の意識が、自分の意識を感じているのですから・・・この分からない自分の意識は、一体、何なのでしょうか? でも分からない???・・・ 永遠に分からない???・・・ 分からないから自分の意識に、神と言う名を付けるしかないのです。
(神とは、分からないモノにつけられた代名詞です)
神が永遠の謎であるように、自分の意識も永遠の謎なのです。その永遠の謎の「自分を・神を」探ってゆく旅が、悟りの旅なのです。
2020年4月15日更新
※ 科学者は神の名を嫌います。それは、研究しても分らないからです。でも、分からないモノを研究するのが科学者の役目ではありませんか? しかし科学者は、分からないモノを宗教に任せ逃げているのです。
神の名が嫌いなら、分からないモノにXと言う名を付け研究したら良いのです。地球でXの研究をし始めたら、地球人類は間違いなく成長するでしょう。
鉱物・植物・動物の体験によって原子核が大きくなるとか、原子そのものが進化すると言った言葉は、客観から生まれた表現です。
主観からはそんな言葉は生まれません。なぜなら、大きくする必要が無いからです。すべて整っているのが主観の世界だからです。進化完了の完全世界が主観の世界だからです。そこには何もないのです。ただ、私と言う主観の意識があるだけです。その主観意識が何かを感じたら、それはもう客観の世界です。主観意識が、何を見ても、何を感じても、客観の世界なのです。
主観意識には自分を現す手立てがありません。何も表現できないのが主観意識だからです。それは、私・私・私・・・と辿っていっても絶対に掴めないのが主観の発信元(源)だからです。その発信元が、どうなっているのか、何を考えているのか、何を感じているのか、どんな思惑を持っているかは、絶対に分からないのです。絶対に掴みようがない、分かりようがないのは、そもそも主観意識は表現の範疇にないからです。つまり意識が意識だけだったら、存在の範疇にないのです。存在の範疇にないものを現そうと言う考えは矛盾です。「主観とは現せないもの、表現できないもの、」と定義することさえできないのが、主観なのです。何の対象物にもならないのが、主観なのです。ですから、主観と言う言葉が使えないのです。主観と言ったらもうそれは対象物だからです。対象物として扱うことができないのが主観なのです。主観と言ったら、もう主観ではなくなってしまうのですから・・・だから主観の話は永遠にできないのです。ただ、黙っているしかないのが主観なのです。でも、主観意識は厳然として実在しているのです。では、実在している主観意識が実在していると分からす方法が何かあるでしょうか? ありません。ただ、実在していると主観意識が解ったら、それで良いのです。主観者がそう思えたら、それで良いのです。主観だけが実在し、それだけが真実ではあるけど、その主観を「この主観だけが真実ですよ」って言おうと思ったら客観的な言い方になるのですから、黙っているしかないのです。
2020年5月1日更新
※ 意識に慣れが生じると、意識に抗体が生まれます。それによって、ウイルスの活動が抑えられます。
ウイルス菌は、明るい心の人の中には住めません。ですから、常に明るく朗らかな心を持つことです。夏になると太陽光線が強くなりますが、これもウイルスを抑える効果をもたらします。辛いもの、しょっぱいもの、これもウイルス菌の繁殖を抑えます。
ウイルス菌は、清いモノの中には繁殖しません。ですから、空気が清く、水が清く、土が清ければ、ウイルス菌は生まれないのです 。
空気を汚し、水を汚し、土を汚しているのは汚れた人の心ですから、人の心が清ければウイルス菌は生まれないのです 。
ネガティブな心を持っている人のところに菌が入ると繁殖します。ポジティブな心を持っている人の中に菌が入ると余り繁殖しません。重症になる人とならない人がいるのは、そのためです 。
生命力が強いと菌は繁殖しません。生命力が弱いと菌は繁殖します。これは エネルギーの強弱に関係するので当然のことです 。
色々な条件が重なって現象が生まれるので一概に言えませんが、おおよそ、こう言う要因が絡み合って病気のうねりが進むのです。
人口密集地に病気が広がるのは、物理的に言って当然ですが、“自分は意識である!
自分は光である!” と言う自覚を持っていれば、密集地にいても恐れることはありません 。どうか、“私は意識である! 意識である! 意識である! 私は光である! 光である! 光である!” と、常に想ってください。
※ 経済活動が抑えられると空気が綺麗になるので、ウイルスの活動が鈍ります。今、地球は経済活動がストップしているため、少しずつ空気が綺麗になっています。でも、いつまで経済活動が抑えられるでしょうか?
経済が縮小すれば、コロナウイルスも縮小するのです。
神は姿形のない感覚にかからない存在ですから、神を知ることはできません。では、神を知ることを諦めるしかないのでしょうか? いいえ、神は次のような考えを持って自分を知ってもらおうとしているのです。
一つは・・・まず神を神秘的な存在にし、その存在に神の名を付けさせ、その名によって神を知らしめようと言う方法です。そのためには、神を偉大な存在に仕立て上げなくてはなりません。だから神は、壮大な宇宙や自然を創造し、「神とはこのようにすごい存在なのですよ!」と私たちに見せつけているのです。もう一つは、人間に神と同じ想念を与え様々な想念の体験をさせることによって、「あなたたちも私と同じ想念を持っているのですよ!」と想念の偉大さを通して神の存在を教えているのです。これは神の苦肉の策です。でもその苦肉の策に人間を陥れなければ、神を認めてもらうことができないのが、この不可思議な宇宙なのです。
2020年5月15日更新
※ 地球では、色の識別のできない人を、色弱者とか色盲人とか言っております。なぜ地球には、そのような人がいるのでしょうか? (地球に色盲の人は、3%から5%いると言われています)
この世の物には、みな色が付いています。 色が付いているから見えるのです。色が付いてなければ見えないのです。私達は、その色を見て物の存在を認識しているのです。しかし、その見える物(色)の反対には、見えないモノ(空)があるのです。お釈迦様は、こう言われました。〔色即是空・空即是色〕と・・・ すなわち、物質は空に外ならず、空は物質に外ならずと!
私たちは見える物(色)を通して、見えないモノ(空)の存在を知らなければならないのです。しかし今の人類は、 全くそのことを知らないのです。と言うことは地球人類は、全員色盲人であると言うことです。
神は色盲人のために、補色と言う現象与えてくださいました。 赤をじっと見て、視点を横にずらすと、青が見えます。黒をじっと見て、視点を横にずらすと、白が見えます。補色は、赤の背後には青があり、黒の背後には白がある、と言うことを教えてくれているのです。この補色の意味を深く理解すると、人間の背後に神がいることが解るのです。
人間は見える物(色)です。神は見えないモノ(空)です。人間をじっと見ていると、補色である神が見えるようになるのです。だから私たちは毎日、見える人間を見て、見えない神を知ろうとしているのです。
補色は、神を知るために必要な道具なのです。
私たちが肉体を持って生まれてくるのは、不動心を築くためです。現象に心が惑わされなくなった状態が、不動心なのです。でも、なかなかそのような心の状態になれません。これは肉体に備わっている五感が、現象を本物のように見せるからです。
本当の自分は(意識・魂 ・心)です。その本源は、絶対動かない神です。私たちは、自分の心が絶対不動の神であるという自覚を持つまで、現象の世界に出てこなければならないのです。現象の世界で惑わされているうちに、やがて不動の心が築き上げられます。
皆さんが日々体験している出来事は、みな現象です。悩んだり、心配したり、恐怖する価値のない現象(幻)です。どうか、現象に惑わされない不動の心を築いてください!・・・
2020年6月1日更新
※ これまで何度も言ってきましたが、私たちは「思っている通りのもの! それ以上でも以下でもない!」のです。
私たちは、自分の想念で何でも作ってしまうのです。
この世のことに想念を使えば、この世のことが作られます。神に想念を使えば、原子核が増えます。どうか、想念を永遠に残るものに使ってください。
自我にとって都合の良いことは、真我にとって都合の悪いことです。真我にとって都合の良いことは、自我にとって都合の悪いことです。
自分に都合の良いことは、相手にとって都合の悪いものです。相手にとって都合の良いものは、自分にとって都合の悪いものです。これは相対世界では止む得ぬことで、また、それで良いのです。相手の損得と自分の損得を体験することによって成長できるからです。損得関係を体験する内に、損得のないことを知ります。なぜなら、外側の相手が自分だということが分かるからです。そうなったら、どちらが損しても得しても良いわけですから、損得に拘らなくなるのです。意識の世界においては、損得はありません。意識は一つしか無いからです。自我も真我も一つですから、表面上 都合の良い悪いがあるように見えても、深部では一つにつながっているのですから全て都合の良いことなのです。
2020年6月15日更新
※「 主導権を握っているのは、想念を持っているあなたです。」
あなたは、想念を持っています。その想念を使ってあなたは、相手を創り、世界を創り、宇宙を創り、自分の人生まで創っているのです。
般若心経を書いてる人に功徳があると言われるのも、道を極めてる人に功徳があると言われるのも、やっていること自体に功徳がなくても、悪い想念を持たないことが功徳を生み出しているからです。これは神秘ではなく、 あくまでも[原因と結果の法則]によるのです。
働いている人と、家でゴロゴロしている人と、どちらが幸せになると思いますか ? 言わずもがなですよね! それは、働いている人は、仕事に集中しているので悪い想いは持てませんが、家でゴロゴロしている人は、暇なので色々な 悪い想いを持つからです。
人生の主導権を握っているのは、想念を持っているあなたです。どうか想念を良く使ってください 。そうすれば、あなたの人生は万々歳です。
皆さんは、日々何に生きておりますか? 意識に生きていますか? 肉体に生きていますか? 全員が全員肉体に生きているのではありませんか? 肉体に生きれば物が入ります。お金が入ります。地位や名誉や権力が入ります。それを得るためには、肉体も精神も酷使しなければなりません。常に、心配、恐怖に悩まねばなりません。そうなると、心穏やかに生きられません。でも意識に生きてみてください。何もいらないので苦労がいりません。
意識に生きるには、自分の本性が意識であることを心の底で自覚しなくてはなりません。そのためには、瞑想が必要なのです。瞑想は根気がいります。集中力が必要です。努力も必要です。だから私たちは、忍耐力や集中力や向上心を養うために、肉を持ってこの荒野に出てきたのです。
この世で成していることは、すべて瞑想に必要な下地を作るための方便です。方便ですから、余り悩むことはないのです。この事を知った上で日々生きてください。穏やかに生きられるはずです。
2020年7月1日更新
※ 殆どの人が、神の存在を否定します。特に科学者は、ガチガチの唯物論者です。その唯物論者である科学者は、この世を真実だと思っています。真実だと思っているから、この世の物を研究するのです。でもどんなに研究しても、この世の物は必ず消えて無くなってしまうのです。では消えて無くなると知りながら、なぜ消えて無くなる物を研究するのでしょうか ? それは、消えて無くなる物の背後に無くならないモノ(意識)があることを、薄々感じているからです。と言うことは唯物論者は、唯心論者であると言うことです 。
しかし唯物論者は、そのことに気づいていないのです。そして相も変わらず、“神などいない!”と 嘯くのです。
見える物の背後には、必ず見えない意識(真実)があるのです。その見えない意識(真実)は、永遠に無くなることはないのです。
この事実を再認識しましょう!
世の中には、「心配・恐怖・怒り・憎しみ・恨み」などで自分の心を汚している人がおりますが、それは真理を知らないからです。一番大切なのは、自分の心を汚さないことなのです。なぜなら、外側の物は幻ですが、内側の心は本当に有るものだからです。幻は一時ですが、心は永遠なのです。その永遠の心を、一時の幻で汚すことほど罪なことはないのです。なぜなら、心は自分の心でありながら神の心でもあるからです。神の心を汚すほど罪なことは無いのです。
この宇宙には、たった一つの心があるだけです。その一つの心は、無限の心に分かれているのです。でも本源の一つの心につながっている心なのです。一であり多なのが心なのです。自分の心しか無いように見えているけれど、それは沢山あるし、また一つの心なのです。
傘の絵を思い出してください。傘の頂点は一つです。でも傘には沢山の枝があるのです。
2020年7月15日更新
※ この地球を救えるのは、 瞑想できる皆さんだけです。皆さんは、光の戦士なのです。皆さんが神を想っている時は、自分の原子核を増やしていると同時に、地球を浄化しているのです。
神を想っていれば、コロナウイルスも、事故災難も、寄ってくることはできません。 なぜなら、光の中に闇は入ってこれないからです。
どうか、歩いている時も、電車に乗っている時も、車に乗っている時も、買い物している時も、仕事をしている時も、家に居ている時も、神を想ってください。
こう言う時だからこそ、なお瞑想が必要なのです。
瞑想を軽んじてはなりません。
私たちが求めるべきことは、本当に有るモノを知ることです。本当に有るモノを知るには、相反するものを作らなくてはできません。一つでは、本当に有るモノを知ることができないからです。相反するモノを対比させ、はじめて本当に有るモノを知ることができるのです。だから私たちは、自分の意識の中においても相反するものを作らねばならないのです。
真は偽と・・善は悪と・・美は醜と、相対させてはじめて生まれるのです。真も善も美も一つだけでは無いのです。だから、偽や悪や醜が必要なのです。必要だということは、それらのモノはみな良いモノであるということです。
繰り返します。
相反するものがあって、はじめて二つの存在が明確になるのです。でも、これで終わっては成長がありません。二つのものを対比させ、そこから本当に有るものを発見しなくてはならないのです。本当の有るものとは、右でも左でもない、真ん中にあるモノです。つまり神でも人間でもない、本当に有る「神人」です。このことを知るために、この宇宙には相反するものが置かれているのです。
2020年8月1日更新
※ あなたを護ってくれるのは、銃でもありません。 頑丈な建物でもありません。 エアーバックでもありません。薬でも医者でもありません。 あなたを護ってくれるのは、あなたの想念です。
神(マントラ)を想い続けてください!
瞑想してください !
それが一番の安全装置なのです。
・バチが当たったと思える人は、神の存在を認めています。
神の存在を認めれば、二度と過ちを犯さなくなります。
・バチが当たったと思える人は、反省しています。
反省すれば心の曇りが取れ、二度と過ちを犯さないようになります。
・バチが当たったと思える人は、人の責任にしません。
自分の中に原因を見出そうとしますので、早く成長できるのです。
・バチが当たったと思える人は、他人のバチが良く見えます。
その人は、他人の痛みを自分の事として受け取れるようになりますので、思いやりが深くなります。
このようにバチが当たったと思える人は、自分を戒め、他人を許し、反省する心を持ちますので、早く成長できるのです。だから、バチが当たったと思える人は、幸い人なのです。
2020年8月15日更新
※ 人を陥れ、自分が陥れないはずがないのです。なぜなら、人は自分であり自分は人だからです。人を陥れる計画をしている人は、自分の目の前で人を陥れる計画をしているのです。これは愚かな人がする、滑稽な話しです。その人は、誰も知らないと思って計画しているのでしょうが、裁判官の前で計画をしているのですから、見え見えなのです。
今人類の寿命は100年そこそこですが、神はそんな僅かな寿命を与えていません。宇宙の法則を知り、想念を正しく使ったら、何万年も生きられる頑健な体を与えているのです。地球人類が短命なのは、想念の使い方が下手だからです。
私たちの身体は、動けば動くほど気が充実し、元気になるよう創られているのです。不元気にしているのは、人類が作った誤った概念と、その概念を信じた弱気の想念です。肉体はサタンなのです。サタンは怠け者なのです。肉体を動かしたくないのです。楽をしたいのです。サタンに負け弱気になると、エネルギーが入って来なくなるので、ますます体を動かしたくなくなるのです。サタンは、原子核が増やされては自分の居場所が無くなるので動かないよう邪魔してくるのです。そんなサタンの策略に負けないでください。
弱気に負けないでください。気持ちを強く持ってサタンを退けてください。あなたの身体は、チョットやソットで音を上げるような身体ではないのですから・・・あなたの気弱な思いが、身体を弱くしているのです。何事も気持ちの持ちようです。気持ちを強く持てば、身体は元気になるのです。どうか、弱気を誘うサタンに負けないでください。
2020年9月1日更新
サタンにやられやすい人とは、一言で言って心の弱い人です。
具体的には、
・人を頼る人
・体を動かすことが嫌いな人
・嫌なことから、煩わしいことから、逃げたがる人
・感情的な人
・肉欲の強い人
・怒りっぽい人
・すぐに悪く受け取る人
・小さな問題を大きな問題にして騒ぐ人
・否定的な言葉を吐く人
・根暗な人
心を強くするには、嫌なことから逃げないことです。煩わしいことから逃げないことです。身体を多く動かし、汗をかくことです。それは難しいことではありません。肉体を維持する上で、当面やらなければならないことをやれば良いだけですから・・・。それには強い意志と勇気がいるでしょうが、でも原子核が増えると思えばやれるものです。
そうです。私たちは、原子核(魂)を大きくするために生まれてきたのです。その目的の前に少々の苦難など、どうってことありません。ぜひ、原子核を大きくして帰ってください。人生はそのためにあるのですから・・・。
2020年9月15日更新
※ 私たちは、霊性の進化を遂げて帰らねばなりません。その為には、この表現世界で様々な体験をして、強い霊にならねばなりません。
この表現世界で何をなしたかが大切なのではなく、どれほど強くなったかが大切なのです。
動画[私は星]
当たり前になっていて疑問を持たないかもしれませんが、皆さんは、今の地球がまともだと思いますか? 毎日のように殺人があり、自殺があり、テロがあり、事故があり、自然災害が起きています。テレビニュースの殆どは、悪いことばかりです。良いニュースなど、見たことがありません。
無理もありません。テレビで放映されるドラマの殆どが、殺人事件を扱う刑事モノや殺し合う時代劇や西部劇など凶悪なモノばかりなのですから・・・そんなドラマを見て、まともな子が育つと思いますか? 今の地球人は、事件・事故・災害が起きることが当たり前だと思うほど麻痺してしまっているのです。それほど地球は野蛮な星だと言うことです。
2020年10月1日更新
※ 原因と結果の法則は、 天罰の法則でもあります。今人類は、[痛い苦しい!]を体験していますが、これは人類自らが自らを罰している天罰なのです。なぜなら、人類そのものが天であり、法則そのものだからです。
神のメロディ [何を見ても神!]
真理をやっている人の中に、無理に今の環境から出たがる人がおりますが、「無理」はいけません。なぜなら、「無理とは」「理」が「無」いと言う意味ですから、「理」の「無」いことをすれば必ずお返しがくるからです。
無理をしなくても、原子核が増えれば自然と学びやすい環境が与えられるのですから、それまで二つのことをやって待ったら良いのです。どうか背伸びせず、自然な真理の求め方をしてください。
神は、自然体で、楽しく、真理を求められるようにしてくれているのです。だからと言って現状に甘え、何もしないでいては何も得られません。私が二つのことをやりながら環境の変化を待ちなさいと言うのは、努力してこそ得られるからです。
つまり、
「真心を込めて今やるべきことをやる!」
「真心を込めて瞑想する!」
この二つは原因を作っているわけですから、必ず結果が得られるのです。
何もしないで祈っている人は、科学人ではありません。真の求道者は科学人です。どうか科学的生き方をしてください。
2020年10月15日更新
人生は点・・・
命生は線・・・
いのち(命)は 閉じることはない! いのちの歌
自我が備えている審美の目は、独善的見方です。真我が備えている審美の目は、総善的見方です。独善的見方とは、「独りよがりの見方、自分だけの見方」という意味ですが、総善的見方は、「無限の見方、あらゆる角度から見た見方、どんなものにも当てはまる見方、一と無限の見方 」と言う意味で、宇宙のあらゆる意識が納得できる見方なのです。と言っても意識は一つであり無限ですから、本源の意識が備えている見方でもあるのです。本源の意識が備えている審美の目、すなわち神が備えている審美の目です。
神の目から見られるようになった人は、自然の美しさが最高傑作品だと思えるのです。自我の目から見ている人は、人間が化粧した美しさが最高傑作品だと思えるのです。でも人間が作った美しさは波動が低く、神が作った美しさは波動が高いのです。なのに、それに逆らい化粧している人は、最高傑作品に文句をつけている人です。
幼い魂は、身を飾ります。熟した魂は、身を飾りません。だから、宝石で身を飾っている人や、勲章で身を飾っている人は幼い魂なのです。また、そのような飾り付けをして人を高く評価している社会は、幼い社会なのです。どんなにこの世のものを飾っても、空しい飾り付けで終わってしまうのです。なぜなら、この世の飾り付けはみな消えてしまうからです。飾るなら、永遠に無くならない魂を飾ってください。
2020年11月1日更新
宇宙の謎は永遠に解りません。でも、それで良いのです。解ったら、こんなつまらない宇宙はないからです。宇宙は無限です。永遠です。そんな宇宙を知ろうと思う方がおかしいのです。神を永遠に知ることができないように、宇宙も永遠に知ることができないのです。
私たちが知るべきことは、ただ一つ・・本当の自分を知ることです。でも、本当の自分を知ることも、永遠にできないのです。なぜなら、本当の自分は、宇宙だからです。神だからです。
自分の意識を、「私、私、私・・・・」と追いかけて行ってみてください。どこまで追いかけて行っても、掴めないはずです。それは私たちの意識が、原因無き原因だからです。原因無き原因と言うことは、私たちの意識は神だと言うことです。神だから「私」を永遠に知ることができないのです。でも、がっかりしないでください。本当の自分を知れないでも、幸せが掴めたらそれで良いのですから・・・。
どうでしょう・・・
難しいことをたくさん知って、幸せになれますか?
お金や物を多く得て、幸せになれますか?
地位や名誉や権力を得て、幸せになれますか?
なれないはずです。それは、本当の幸せは外側にないからです。本当の幸せは、内側、つまり、自分の心の中にあるのです。
どうか、本当の自分を知ってください。
2020年11月15日更新
※ あなたはこれまで、散々人の悪口を聞かされました。でもそれは、人の悪口を聞かされたのではなく、あなたの悪口(悪い所)を聞かされたのです。
新・光のメロディ「愛の道」
この世には「背信」という言葉が有りますが、この「背信」の本当の文字は、「背神」なのです。神を信じない人、あるいは神に背いている人を、背神というのです。
あなたは過去、神に背いて生きてきたかも知れません。でも、過去の背信(背神)を悔やんで自分を責めても何の得にもなりません。大切なのは自分を責めることではなく、今の今、真剣に神を求めることです。今、真剣に神を求めれば、過去の背神の罪は許されるのです。ただし、不純な動機で神を求めてはなりません。つまり、背神の過去から抜け出したいから神を求めるのではなく、心底、神を求めたいから求める純粋な動機で神を求めることです。過去をクヨクヨ悔やむことほど、愚かなことはありません。今の一時を神に使う、賢い人になってください。
2020年12月1日更新
※ 世の人々は、自業自得を悪と決めつけていますが、自業自得は決して悪いことではないのです。たしかに、痛い目に遭う部分だけ見たら、悪いようにみえるかも知れません。でも、この宇宙は裏と表を体験しながら成長するようになっているわけですから、決して悪いことではないのです。つまり、自分が作った悪い原因によって自分が痛い目に合い目覚めるからです。神は完全です。その完全な神が、自業自得を悪にするはずがありません。自業自得の中に、神の愛が込められていることを知ってください。
※ 十字の法則とは、縦の線と横の線が交差した宇宙の法則です。
縦の線は原因と結果の法則を示し、横の線は陰と陽の法則を示しています。縦の原因と結果の法則は、見えない想念の世界の秩序を保つための法則で、横の陰と陽の法則は、見える物質世界の秩序を保つために必要な法則です。
「背信(背神)行為」
神を信じない人、あるいは神に背いて生きている人を、背神者と呼びます。
どうでしょう? あなたは、神に従順に生きていますか?
神に従順に生きるとは、良心に・・ 法則に・・忠実に生きると言う意味です。
今、多くの人達が苦しんでいるのは、背神行為をしているからです。
つまり、神(良心・ 法則)に 逆らって生きているからです。
神に従順に生きていたら、 神は必ず良きようにしてくれます。
どうか、背神者にならないでください。
神に・・良心に・・ 法則に・・ 忠実に生きてください。
そうすれば、あなたの人生は万々歳です。
賢い人は、決して神に逆らう生き方はしません 。
※ 私たちは毎日、事故災難病気を見せられています。
なぜ、見せられるのでしょうか?
それは、「良心(神・法則)に 忠実に生きなさい!」と言う、
自分に対する戒めのメッセージなのです。
外側で起きてる不幸を、 他人事と思わないでください。
見せられる度に、自分を戒めてください。
「神に生きる!!」
物質文明が発達し「衣・食・住」が満たされると、人類は、極度な娯楽や快楽を求めるようになります。 なぜ、極度な娯楽や快楽を求めるようになるかと言いますと、真の幸せが欲しいからです。しかし真の幸せは、娯楽や快楽からは得られません。なぜなら、この世の娯楽や快楽は飽きてしまうからです。ですから飽きないように、娯楽や快楽はどんどんと味の濃いものにエスカレートしてゆきます。すなわち物質文明は、快楽快適を目指して極度に発達してゆくのです。追従するように、観光産業や娯楽産業などの経済が拡大します。しかし観光産業や娯楽産業の拡大は、地球環境を蝕むだけでなく、人の心まで蝕んで(堕落させて) しまうのです。今、地球人類は、その道を辿っているのです。その行く先がどうなるかは、推して知るべしでしょう。
人類が、どうしてこのような道を辿るかと言いますと、人生の目的が分からないからです。
私たちは、娯楽や快楽を得るために生まれてきたのではないのです。本当の自分を知るために生まれてきたのです。本当の自分を知ったら、外側の幸せなど見向きもしなくなります。
地球人類はこのことに気づくまで、娯楽や快楽を貪り続けてゆくことでしょう。
2020年12月15日更新
※ 人類が娯楽や快楽を求めるのは、心の空虚を埋めたいためです。でも、どんなに楽しんでも埋まりません。なぜなら、偽物(この世の物)で、本物(意識・ 魂・ 心)を満足させることなどできないからです。
地球人類は、自分の心が何を欲しているのか分かっていないのです。だから代替品(娯楽や快楽)で心の虚しさを埋めようとするのです。一時は埋まるかもしれません。でも、それは一時です。
楽しみが、悪いと言っているのではありません。 ゆき過ぎの楽しみは、地球環境を汚し人を堕落させると言っているのです。ほどほどの楽しみはいいのです。
※ 想念の堕落(悪用)が、 病気 事故 災難を招いていることを知ってください 。
※ 真の幸せは、外にはありません。 あるのは模造品です。それは 一時の幸せです。真の幸せは、内側にあるのです。
光のメロディ「幸せ」