第七集 (2017年)

2017年

1月

01日

自己完結型宇宙パート3

 人間は、病気・事件・事故・災害など偶然に起きると思っていますが、自己完結型宇宙において偶然は有り得ないのです。なぜなら、自分を成長させるために自分が用意した病気・事件・事故・災害だからです。偶然は無秩序ですが、必然には秩序があるのです。秩序とは、法則と意思です。起きる出来事の背後には、必ず法則と意思があるのです。当然です。自分がそうしようと思ってそうさせているわけですから、偶然があるわけがないのです。ですから、防衛したって無駄です。もし防衛できるなら、それは矛盾です。真我が、そんな愚かなことをするわけがありません。 

 この宇宙で起きる出来事には、二つの見方があるのです。一つは自己完結型宇宙側から見た場合、もう一つは原因と結果の法則側から見た場合です。自己完結型宇宙側から見た場合はポジティブな見方になり、原因と結果の法則側から見た場合はネガティブな見方になります。必然しか無いと言うのは、すべての出来事の背後には秩序立てている何かが有るからです。つまり、自己完結型宇宙側には意思と言う秩序が有り、原因と結果の法則側には法則と言う秩序が有るからです。どちらにしても、魂の成長のために必要な秩序です。

 あなたが厭なモノを見せられるのは、自分の中にある厭なものに気づかせるためです。また、ドキッとすることを体験させられるのも、ドキッとしなくなる不動心を築くためです。人間は雨が降ったらどうしようとか、飛行機事故に遭ったらどうしようとか心配しますが、自分の成長にとって必要なら「自分が・法則が」用意するのですから、心配することはないのです。なぜなら、みな良いことだからです。

 自分で鏡を作り、その鏡に自分の姿を写し、その姿を見て自分の欠点を知り、その欠点を修正して自分を成長させる、正にこの地球は自己完結型の学習道場なのです。

2017年1月1日更新

 

※自己完結型農法

 自己完結型農法とは、肥料は自分の身を使い、害虫から身を守るのも自分がし、タネも自分の残りダネを利用すると言った、正に自力の農法です。今地球で行われている農法では、農薬や化学肥料や改良されたタネなどが使われていますが、これは外側の力に依存している他力農法です。自己完結型農法では、雑草が生えても害虫が付いても除草剤や農薬は一切使いません。また肥料も、昨年自分が残した茎や葉や周りの雑草を使います。それでは雑草にやられたり虫に食われたりするのではと思うかも知れませんが、雑草の中で競いながら育った種は強くなるので、一部分は虫に食われても全体には及ばないのです。ひ弱に育てるから、雑草にやられたり害虫に食われたりする弱い種になってしまうのです。今の農法は、強い種を弱い種に変えてしまっているのです。それは、楽に、早く、沢山、生産したいからです。楽に、早く、沢山、生産したい経済優先の社会では無理かも知れませんが、儲ける必要のない社会では、自己完結型農法でも十分にやってゆけるのです。

 

 

 

2017年

1月

15日

1を知ることの大切さ

 表現宇宙のすべてのモノは、元数1から生まれた子供たちですから、すべては1です。その1は、永遠と無限を示している絶対真理です。このことを前提に、1について考えてみましょう。

 私たちは今現に存在しています。これだけは確かです。と言うことは、私たちは1であると言うことです。1であると言うことは、私たちは永遠であり無限であると言うことです。自分が1であると心の底で解ったら、すべては自分ですからそこに敵対する相手は生まれません。それどころか、すべてのモノが愛おしくなり、抱きしめたくなります。不安も恐怖も一切なくなります。つまり、心は平安になるのです。

 すべてが1であると言う真理は、絶対宇宙と相対宇宙(表現宇宙)が一つであることを意味し、さらに神意識と人間意識が一つであることを意味しているのです。だから、今相対宇宙の中にいながら絶対宇宙の中におり、今人間の思いでありながら神の思いでもあるのです。1はどこまでも1なのです。1の中には1しかないのです。

1しか無いから、境目がないのです。

1しか無いから、差別が無いのです。

1しか無いから、分けられないのです。

1しか無いから、誤魔化しようがないのです。

1しか無いから、平等なのです。

1しか無いから、真しかないのです。

1しか無いから、善しかないのです。

1しか無いから、美しかないのです。

1しか無いから、完全しかないのです。

1しか無いから、死がないのです。

1しか無いから、あなたは私であり私はあなたなのです。

1しか無いから、人は神であり神は人なのです。

1しか無いから、幸せしかないのです。

 さらに、

1には限界が無いのです。

1には初めが無いのです。

1には終わりが無いのです。

1は永遠です。

1は壊しようが無いのです。

1(○)は完全な美形です。

 このように1は、完全であり真・善・美そのものなのです。その完全と真善美によって存在させられている私たちに、不完全も偽りも不善も醜さもありません。私たちは、どこまでも完全なのです。もし私たちが「1である!」と心の底で解ったら、一つの節目を超えたことになり、もうこの世の苦しみに悩まされることはなくなるでしょう。それどころか、永遠に尽きない永遠に色褪せない幸せの中に入れるでしょう。

 どうか、自分が1であることを知ってください。

2017年1月15日更新

 

 ※1の中に全体が有り、全体の中に1が有る!

 「神は1であながら無限であり、無限でありながら1である」という真理は、「1の中に全体は有り、全体の中に1は有る」と言う真理と同じなのです。しかし、「全体の中に1は有り」と言うことは理解できても、「1の中に全体が有る」ということは、なかなか理解できないでしょう。でも、良く考えてみてください。1の中に全体がなくては、1は1であり得ないのです。なぜなら、1はすべてを含み持った元数だからです。つまり、1しか無いなら全体は1であり、また1しか無いなら1が全体なのは当たり前だからです。1しか無い宇宙において、この真理は絶対崩せないのです。

 ゆえに、私は1です。1は私です。全体は私です。私は全体です。このことは、今は理解できないかも知れませんが、いずれ解る時がくるでしょう。

 

 

 

2017年

2月

01日

ゴミの多い社会

 人の心の汚れは、まず、病気に現れます。次に、犯罪に現れます。そして、ゴミの多さに現れます。この原因は、物質主義にあるのです。人類が物に傾けば、病気が多くなり、争いが(犯罪・戦争)が多くなり、ゴミが多くなるのです。

 私たちは、沢山の物が無くても生きてゆけるのです。しかし人間は、心の虚しさを物で満たそうとしますので、どうしても物質主義に傾いてしまうのです。今の社会を見てください!  国が音頭を取って国民の欲望を膨らませ、経済成長させようとしているではありませんか。資本主義は、経済成長させなくては成り立たない仕組みですから、どうしてもそのような政策を取らなくてはならないのです。

 資本主義経済はシロアリ経済です。シロアリは、家が倒壊するまでトコトン食いつぶします。同じように資本主義経済も、地球資源をトコトン食いつぶしてしまうのです。地球環境の保護を訴えながら、経済を成長させなくてはならない矛盾にみな気付いているはずです。でも、豊かな生活を望む人の欲望が、矛盾に目を背けさせているのです。このままシロアリ経済を続ければ、地球環境は持たないでしょう。それどころか、地球は灰色の星になってしまうでしょう。

 何がゴミを多くさせているのか? 何が人を物に縛り付けているのか? 政治家も、科学者も、教育者も、勿論一般人も、分かっていません。でも学びの友の皆さんは、分かっているはずです。せめて分かっている私たちだけでも、気を付けて生きたいものです。

2017年2月1日更新

 

 

 

2017年

2月

15日

私たちは永遠に夢を見続ける

 私たちは、永遠に夢から醒めることはないのです。なぜなら、私たちは、永遠に夢の中に留まっていなければ存在できないからです。

 今 私たちは、夢を見ているのです。でも、その夢から目覚めたと思っても、それも夢なのです。また、その夢から目覚めたと思っても、それもまた夢なのです。例え自覚の境界線を超え神人になったとしても、神人になった夢を見ているのです。なぜ、夢から醒めることができないのか? それは、表現宇宙から永遠に出られないからです。夢を見続けている私たちがいるから、表現宇宙は存在できるのです。もし私たちが本当に夢から醒めたら、その瞬間に神人も表現宇宙も消えてしまうのです。

 本源におられる神は、夢を見ないのです。夢を見ないがゆえに、そこには何も無いのです。そんな何も無い宇宙では何の意味もないので、神は自分の意識を放射して夢を作ったのです。意識が夢を見ている時だけ、何かが有るのです。何かがある状態は、夢の状態なのです。

 神は自分の意識を放射し、夢を見られる人間という生き物をお作りになりました。だから人間だけが、夢を見られる特殊な能力を持っているのです。私たちは、始めから夢を見ていたし、今も見ているし、永遠に夢を見続けるのです。その夢は、節目を超えた神人でも永遠に見続けるのです。それも、進化し少しずつ夢から覚めるにしたがって、苦しい夢から楽しい夢を見るようになるのです。神がこのような宇宙を創られたのは、永遠に尽きない永遠に色褪せない幸せの夢を、永遠に見せるためだったのです。

 夢は大勢で見るものではありません。一人で見るものです。それは、私たちが主観宇宙の主だからです。ですから、自分だけ見る一種類の夢しか無いのです。主観宇宙の中から永遠に出られないのは、永遠に夢から醒めることがないからです。

2017年2月15日更新

 

※ 宇宙を頭(知識)で知ろうとしている人は、未だ魂の幼い段階の人です。心(実感)で知ろうとしている人は、相当魂の熟した人です。

 

 

 

2017年

3月

01日

自分って見えないモノである。

 あなたは、本当の「自分」を観た事がありますか? “私は毎日自分を見ています”、とあなたは言うかもしれませんが、その自分(肉体の自分)はニセモノの自分であって、実在している自分ではないのです。なぜなら、肉体の自分は必ず消えて無くなる自分だからです。

 あなたは自分って言いますけど、「自分」って言葉ですね。言葉が自分を表しているわけではないのです。言葉の中身が自分を表しているのです。私たちは言葉に惑わされ、肉体の自分を本当の自分だと誤解しているのです。

 この宇宙の真実は、見えないモノの中にあるのです。なぜなら、見えないモノが、生きているからです。見えないモノが、実在しているからです。生きているモノは、見えないのです。実在しているモノは、見えないのです。反対に、生きていないモノ(肉体)は、見えるのです。実在していないモノは、見えるのです。もう一つ知って欲しいのは、生きていると言う意味は、意識を持っていると言う意味です。実在していると言う意味は、意識を持っていると言う意味です。ではそのことを踏まえ、本当の自分を考えてみましょう。

 本当の自分は、見えないのです。生きているモノは、見えないからです。実在しているモノは、見えないからです。意識は見えないからです。では、見えないモノは、有限でしょうか? 無限でしょうか? 見えないモノは至るところにあるわけですから、見えないモノは無限です。と言うことは、本当の自分は無限であると言うことになります。

 もう本当の自分が解かったと思いますが、更に念を押して言いますと、神は見えません。生命も見えません。エネルギーも見えません。本当の自分も見えません。それは、生きているモノだからです。実在しているモノだからです。意識そのモノだからです。すべてのモノの本質は、見えない意識なのです。その意識を本当の自分は持ってますから、本当の自分は、「見えないものである」と言うわけです。その見えないモノは無限ですから、本当の自分は無限であると言うわけです。

 このように本当の自分は見えませんが、見えなくては自分の存在がないので、見えるモノの中に入って自分を表現しているのです。石を自分の体として、花を自分の体として、鳥を自分の体として、人間を自分の体として、星を自分の体として、宇宙を自分の体として、・・・・。ですからどんな体を持とうとも、本当の自分は変わらないのです。

 さあ、本当の自分が何なのか? 再確認してください。

○ 本当の自分は、見えないモノです。

○ 本当の自分は、意識そのものです。

この自覚を深めてください。

 

※ 見えないモノが、本当にあるモノである。見えないモノが、実在するモノである、という意味の深さを知ってください。その理解力の深さが、自覚を高めるのです。

2017年3月1日更新

 

 

 

2017年

3月

15日

神を想えば、なぜ幸せになれるのか?

 神を想えばなぜ幸せになれるのか?  理由は、想念は願いを成就させる力を持っているからです。私たちの人生は、すべて想念が作ってきました。入学も、就職も、結婚も、みな自分の想念によって成就させたのです。その想念を使って神を想えば、幸せになれるのは当たり前なのです。何せ、これまで人生を作ってきた実績が証明しているのですからね・・・。

 想念は原因です。成ったのは結果です。「原因と結果の法則」は科学的法則ですから、想念したことが成就するのは当然なのです。今あなたが苦しいのは、苦しいことに想念を使ってきたからです。誰もあなたを不幸にしていないのです。あなたの想念が、あなたを不幸にしてきたのです。もし想念を良く使っていたら、今あなたは幸せになっているはずです。どうか、そのことに気付いてください。

 といっても、この世の良いことを思っても、この世の良いことしかやってきません。それでは、神を求めている人は満足できないでしょう。神を求めている人は、神を想ってください。原因と結果の法則が、間違いなく神に近づけてくれます。つまり、神を想えば神と似たような性質になるので、欠点が無くなります。当然、業は消えます。何よりも、原子核が増えます。私たちは、こんな凄い想念を持っているのですから、利用しなくてはもったいないです。

 私は今、もの凄いことを言っているのですよ! 宇宙のどんな宝物を発見したよりも、凄いことを言っているのですよ! ぜひ、神の自覚を得るために想念を使ってください。神の自覚が得られたら、幸せの中に入れるのですから・・・。

2017年3月15日更新

 

※なぜ、神の自覚が得られたら幸せになれるのかと言いますと、神意識そのものが幸せそのものだからです。意識そのものは、幸せなのです。その同じ意識を私たちは持っているのですから、本来私たちも幸せそのもののはずなのです。ただ私たちは、その意識を悪想念に変えているため幸せになれないだけです。それは、自分の事を人間だと思っているからです。自分が神だと思えれば、神意識は幸せですから、幸せの中に入れるのです。

 

 

 

 

2017年

4月

01日

私は神である!

 真我意識(絶対宇宙)がすべての大本ですが、真我意識だけでは真我意識の存在がないので、真我意識は、自分を認めてくれる自我意識(相対宇宙)を創り、その意識を通して自分を認めてもらおうとしているのです。悲しいけれど、どんな偉大な能力を持っている真我意識でも、自分を認めてくれる自我意識が無くては、自分の存在が無いのです。また自我意識も、真我意識が無くては自分の存在が無いわけですから、厭でも真我意識を認めてやらなくてはならないのです。

 「真我は自我を創って自分を認めてもらい、自我は真我に創られて真我を認めることによって自分を存在させている」、と言う不思議な関係にあるのが真我と自我の間柄なのです。言い換えれば、互いに足りない部分を補完し合いながら存在しているのが、真我意識(絶対宇宙)と自我意識(相対宇宙)の関係なのです。これは他人事ではなく、神と私たち(人間)の関係のことを言っているのです。

 相手は、誰が創ったのでしょうか? 自分ではありませんか。自分がいなかったら、相手はいないのですよ! また自分がいても、相手がいなかったら自分はいないのですよ! 認めてくれる相手が無かったら、認められるモノは無いのです。つまり、認めてくれる人間がいなかったら、認められる神は無いのです。また神がいなかったら、当然人間も存在しないのですから、神と人間は相身互いの関係にあるのです。ならば、どうして人間は小さな存在なのでしょうか? 人間が、神を存在させているのですよ! 人間がいなくては、神はいないのですよ! だから私は、「神と人間は同じ価値がある」と言うのです。

 皆さん、自分を小さな存在にしないでください。「私は神である!」、と堂々と思ってください。

2017年4月1日更新

 

※ 真我(神)と自我(人間)が同じなのは、この宇宙に一つの意識しかないからです。「神が人間を生み、人間が神を認めることによって二つの自分が存在できる」この痛し痒しの滑稽さを解ってあげてください。

 

 

 

2017年

4月

15日

拘りを捨てよう!

 この宇宙に問題視すべき拘り事など、何一つ無いのです。私たちに苦しみが生まれるのは、拘るからです。拘るということは、不自由になると言うことです。限定されると言うことです。これでは、自由な魂が苦しむのも無理ありません。私たちの魂は、自由奔放な存在です。何でも想えるのです。何でも創れるのです。何でも出来るのです。何処へでも行けるのです。そんな自由な魂に、問題視すべき拘り事などあるわけがないのです。

 今 多くの人が、お金・地位・権力・人種・性別・あるいは勝敗や損得などの拘りを持つ事によって苦しんでいます。でもその拘り事は、人間社会が生み出した特有のモノで、絶対視すべき拘り事ではないのです。特に、風習や慣習や俗習などの社会常識は、うまく立ち回れば回避できる拘り事です。

 この世の社会常識って何ですか? 風習って何ですか? 慣習って何ですか? 俗習って何ですか? 絶対従わなくてはならない決まり事ですか? 人の目さえ気にしなければ、どうでも良い拘り事ではありませんか? これは、真理を知らないからです。つまり、自分の本性を知らないからです。真理を知らないと、社会常識に従わなくてはならない錯覚に陥ってしまうのです。だから私は、真理を知って欲しいと願うのです。どうか、この世の拘り事を捨ててください。人間が拘っている事などは、つまらない事なのですから・・・。

 私たちが従わねばならない拘り事は、宇宙の法則です。これだけは拘ってください。

2017年4月15日更新

 

※ この世の社会常識に囚われると、柔軟な発想ができなくなります。これは、悟りの障害になります。良くよく注意したいものです。

 

 

 

2017年

5月

01日

肯定語を使おう!

 あなたは、どうして否定語を使うのですか? この宇宙に否定すべき事が一つだってありますか? 「肯定語を使おう!」と私が言うのは、神が創られた完全な宇宙に否定すべきことは何も無いからです。どんな事も良いことなのです。どんな事も有り難いことなのです。それは、神が完全だからです。その完全なる神が創られた宇宙を否定すれば、あなたは自分を否定することになるのです。なぜなら、あなたは神によって創造された神の子だからです。ですから、決して否定語を使ってはなりません。

 このように言うと、「でも、悪があるこの世界で否定語を使わなくては会話になりませんよ。実際 今あなたは、”決して否定語を使ってはなりません!”と言う否定語を使ったではありませんか?」と反論するかも知れません。確かに私は、否定語を使いました。でもこの場合の否定語は、悪を否定し善を肯定するための否定語ですから、肯定語になるのです。

 確かにこの世界には、沢山の悪があるように見えます。例えば私たちは、ライオンが子鹿を襲う醜い姿を見せられます。また、病気や事件や事故や災害などで苦しむ人を見せられます。でもその悪は、本当に悪でしょうか? いつも言うことですが、悪は善の裏返しなのです。悪は善たらしめるための悪ですから、それは悪ではなく善なのです。どんな悪も成長のために必要な悪ですから、みな善なのです。悪がなかったら、私たちに成長は無いのです。

 否定語は波動が低く、肯定語は波動が高いのです。ですから否定語を使えば運命が悪くなり、肯定語を使えば運命が良くなるのです。どうか肯定語を多く使ってください。

2017年5月1日更新

 

 ※人の運命は、光の強さによって決まります。光が強ければ良い運命が、弱ければ悪い運命が・・・。その光の強弱は、想念が握っているのです。ポジティブな想念を持てば、光は強くなります。ネガティブな想念を持てば、光は弱くなります。だから私は、肯定語を使いなさいと言うのです。肯定語は光を呼び、否定語は闇を呼ぶと言うことです。

 

2017年

5月

15日

神が難しいことをさせるわけがない!

 どうして完全な神が、幼い子供たちに難しいことをさせるでしょうか?  神は、簡素・簡潔・単純・簡単なことが好きなのです。その良い例が、一番必要なモノほど私たちの身近に沢山置き、しかも簡単に手に入るようにしてくれている点です。例えば、一番必要な空気は回りに沢山あり、いつでも吸えます。水だって慈雨によって簡単に手に入ります。食べ物にしても、芋やカボチャやサンマやイワシなど、庶民的なモノほど手軽に沢山取れます。そんな神が、私たちに難しいことをさせるわけがないのです。そう考えると瞑想も、簡単にできるようにしてくれているはずです。

 そうです。瞑想は、ただ自分の想念を使って神を想い続けることです。自分の想念は、自由意志で使えます。誰にも邪魔されません。どこに行く必要もありません。また、何の技術もいりません。勿論、お金もかかりません。やる気になったら、いつでもできます。

 瞑想を難しく説いている人は、瞑想を知らない人です。どうか、瞑想を難しく考えないでください。

2017年5月15日更新

 

※ 瞑想は、「私は神であった!」と心の底で思えるようになることです。この心の底で思えた意識状態を「自覚した!」と言うのです。ただし、どのような意識状態なのかは、人に教えることはできません。自覚は、味わった(体験した)当人しか解らないのです。だから、途中で諦めてしまう人が多いわけです、でも諦めず瞑想を続けていれば、必ず自覚できる時がきます。それは、原因と結果の法則が実現させてくれるからです。

 いつも言うことですが、「私は神であった!」と知識的に知っただけでは駄目なのです。心の底で思えなくては、自分が変わらないのです。

 私たちは、永遠の昔から神だったのです。これから神になるのではないのです。すでに神なのです。ただ記憶を失い、神だと思えなくなっているだけです。記憶を蘇らせるためには、瞑想するしかないのです。瞑想し一定量の原子核が増えれば、自動的に「私は神であった!」と心の底で思えるようになるのです。その心の底で思えた意識状態を、「自覚の境界線を超えた」と言うのです。

 瞑想は観念的なものではありません。現実的なものであり、実際的なものであり、真実的なものです。瞑想をお遊びでやっている人は、瞑想する資格はありません。どうか、真剣にやってください。「人生で一番大切なことは瞑想である!」、と言う自覚を持って瞑想に挑んでください。

 

 

 

2017年

6月

01日

V字の進化図

 どんな人も、刻々と進化の道を歩んでいます。これは、命を持ったすべての生き物に言えることです。この宇宙は、進化へ進化へと突き進んいでいるのです。

 次のV字の進化図を見てください。

 

 

 V字の左側は暗黒の時代です。右側は光明の時代です。なぜ、左側は暗黒の時代で右側は光明の時代かと言いますと、左側にいる人は神を認めない暗闇の中で生きており、右側にいる人は神を認める光明の中で生きているからです。動物から人間に進化したばかりの幼い魂は、物質世界(表現世界・相対世界)が珍しいのです。ですから、どうしてもモノの虜になるのです。でも、どんなに物を得ても心は満足しません。そこで満足させてくれそうな、権力や、地位や、名誉などを追いかけるようになるわけですが、得ても得ても虚しさが増すばかりです。地球人類の70~80%は暗黒の時代に生きている人たちで、特に冨と権力を欲しいままにしている人たちは、進化のどん底にいると言っていいでしょう。でも彼らも日々進化しており、やがて金や物や権力で幸せが得られないことに気付きます。ここが、暗黒の時代から光明の時代に入るターニングポイントです。

 光明の時代に入った魂は、次のような疑問を持つようになります。「心を満たしてくれるのは精神的なモノでは無いだろうか? 」と・・・そこで、宇宙に目を向けたり、宗教に入ったり、哲学を学んだりするようになります。これが、神に顔を向けるようになった第一歩です。つまり、「知る」時代の幕開けです。何事も「知る」ことから始まるのです。知って、体験し、理解し、気付き、自覚に入るのです。これは誰もが通る道で、決定済みなのです。ただしその道筋は、自我人間には分かりません。分からないから手探りで道を探し、手探りで歩んで行かねばならないわけですが、それは正に重き荷を背負って山道を登るがごとしです。

 このV字の進化図を見て、今自分はどの辺りに位置しているのか確かめてみてください。

2017年6月1日更新

 

 

 

2017年

6月

15日

虚々実々

 「虚」とは見えるモノ(物質)を意味し、「実」とは見えないモノ(意識)を意味します。「虚」の世界は、客観的見方をした時に現れる非真実で、「実」の世界は、主観的観方をした時に現れる真実です。客観的見方をすると外側に沢山のモノが存在することになりますので、客観的見方をしている人は、外側のモノが自分に害を与える錯覚に陥るでしょう。今 地球人類は、その錯覚に陥り戦争までしているわけです。でも虚は実際に無いモノですから、本来「虚」が「虚」に害を与えることなどできないのです。つまり、「虚の他人」が「虚の自分(肉体)」に害を与えることなどできないのです。錯覚した実(思い)が虚を動かし、虚を害しているだけです。

 本来この宇宙には、一つの「実」しかありません。つまり、一つの真実しかありません。それは、宇宙に意識は一つしかないからです。一つの意識しか無いから、すべてが自分になるのです。他人がいないので、敵対することも害し合うこともありません。

 「虚」は光に映し出された影です。「実」は映し出している光です。影は光なしに生まれないし、影なしに光の存在はありません。だから光と影は、同等の価値があるのです。でも、実際に有るのは光の方です。つまり、実(光)は永遠に存在する真実です。虚(影)は映されている時だけある非真実(幻)です。でも虚の体験無しに実が解らないので、私たちは虚の世界に出てきて実を解ろうとしているのです。それほど虚と実は、切っても切れない関係にあるのです。だから、物質を軽んじてもならないし、意識を軽んじてもならないのです。

 

2017年6月15日更新

 

 ※ あなたの残りの人生で、真理を求めること以外、何かやるべきことがありますか ないはずです。それは、何がホンモノで何がニセモノか解ったからです。解っていない人は、真理から離れていっていいのです。でも解った人なら、どうか真理を求め続けてください。もし解っていて真理から目を背けるなら、あなたは心穏やかに生きられないはずです。そんな心穏やかでない人生を、あなたは送りたいのですか

 神は一番必要なモノを身近に置いてくれています。私のホームページもその一つです。さあ、私のホームページから必要なものを受け取ってください。それはお金もかからない、何処へ行く必要もないのですから・・・。

 

 

 

2017年

7月

01日

神の正体!?

 神とは、いかなる存在でしょうか? 神って一体何なのでしょうか? 神って何処にいるのでしょうか? 神って? 神って? 神って?・・・・さあ、神の正体に迫ってみましょう。

 今まで神を見た者はいません。神は見えないのです。触れないのです。聞くことができないのです。味わうことができないのです。嗅ぐこともできないのです。神は、私たちの五感にかからない存在だからです。ですから、神の側に行くことは永遠にできません。永遠に掴みようのない存在、永遠に知りようのない存在が、神なのです。

 あえて言うなら、神とは意識です。意志です。意思です。理念です。知恵です。命です。光です。力(エネルギー)です。愛です。バランス(中庸)です。絶対善なる存在です。永遠不滅なる存在です。完全無欠なる存在です。無限無窮なる存在です。ゆえに、無限の発展性と、無限の可能性と、無限の創造性を秘めています。その神は、すべての創造物を創り、動かし、働かせ、生かしているのです。すべての創造物の背後におられるのが神なのです。その神のことを私たちは、生命とか、霊とか、呼んでいるわけですが、どんな言葉を使っても表しようのないのが神なのです。ではその表しようのない神を、どうすれば知ることができるのでしょうか? それは「1」を知ることです。

 神は、この宇宙に一様しかおられません。一様しかおられないがゆえに、すべては神なのです。「私は神である! あなたは神である! すべてのモノは神である!」と言えるのは、神が「私に」「あなたに」「すべてのモノに」なったからです。それは、神は「1」だからです。「一様」だからです。と言うことは、「自分」を知れば神を知ることができると言うことです。覚者が「神を知るにはその子を知れば良い!」と言うのは、「自分」は「その子」だからです。つまり、神の分身だからです。

 あなたは「自分! 自分!」とよく言いますが、「自分」とは、「神」が「自」らを分けたのです。自分は神なのです。だから、自分を知れば神を知ることができるのです。神を知るこんな簡単な方法があったのです。でも人間は、誰も「自分」を神だと思っていません。それどころか、神を畏れ多い存在にして遠くに離しています。神は、手よりも足よりも近くにおられるのです。「おい!」と言ったら、「はい!」とすぐに応えてくれるのが神なのです。

 神の言葉が違うからと言って、神の取り合いをしてはなりません。言葉が神を表しているのではないのです。神の中身が神を表しているのです。ゼウスも、アラーも、キリストも、ブッタも、同じ神です。だから、宗教戦争などしてはならないのです。

2017年7月1日更新

 

 神が1(一様)なら、どんなモノも神であるはずです。あなたの魂も神です。あなたの肉体も神です。神は完全ですから、あなたの魂も完全です。あなたの肉体も完全です。ですから、あなたの魂が迷うこともないし、病気になることもありません。

 あなたが憎んでいる人も、嫌いな人も、厭なモノも、みな神です。だから決して嫌ってはなりません。嫌えば神を嫌うことになるからです。どうか、自分を愛してください。人を愛してください。すべてのモノを愛してください。できるなら、自分を神だと心の底で思えるようになってください。心の底で思えるようになったら、もうあなたの所に病気や事故災難がやってくることはないでしょう。

 

 

 

2017年

7月

15日

負けてはならない!

 サタンとは、

「どうなってもいい!」と言う投げやりな心です。

「私なんか死んだ方がいい!」と言うステバチな心です。

「嫌だ! 厭だ!」と逃げ回る心です。

「面倒くさい!」と煩わしがる心です。

 これすべて、あなたの弱い心が作ったサタンです。そんな心になると体調不良になるので、ますます弱気になってしまいます。それに漬け込んでくるのが、周りの悪的波動です。そうなると本当の自分を見失ってしまいます。

 肉欲に負けてはなりません。感情に負けてはなりません。外側の人の誘いに負けてはなりません。 外側の現象(幻)に負けてはなりません。 肉体なんて実際には無いのですよ! この形の世界なんて実際には無いのですよ! なのに無いものに惑わされ自分を見失うなど愚かです。

 神はどうして私たちに、理性と知性を与えたと思いますか? 欲望と感情を、知性と理性で制御するためではありませんか。それが使えないようでは、私たちは動物に成り下がってしまうのですよ。今の人類を見てください。殆どの人が欲望と感情に翻弄された生き方をしています。と言うことは今の人類は、動物とあまり変わらないと言うことです。真理を学んでいる皆さんだけでも、万物の霊長として、欲望と感情に翻弄されない生き方をしてください。

2017年7月15日更新

 

※ 本当の私たちは、有るものです。なぜなら、私たちは、神の意識によって創られた心だからです。心は永遠に存在するのです。私たちは、肉体では無いのです。物質ではないのです。本当に有る心です。どうか心を強くしましょう。心を強くすれば、どんな誘惑にも勝てます。

 心を強くすれば、

  • 逃げなくなります。
  • 苦難に負けなくなります。
  • 忍耐力が増します。我慢強くなります。
  • 少々の痛みや苦しみに負けなくなります。
  • 積極的になります。
  • 体を動かすことが楽しくなります。
  • 明るくなります。
  • どんなことも良く受け取れるようになります。
  • 夢と希望が持てるようになります。
  • 辛抱強く瞑想できるようになります。

 当然、サタンに負けなくなります。

 心を強くする方法は、三つです。

一つは、社会体験です。

二つは、瞑想です。

三つは、思索です。

 この三つをやれば間違いなく心は強くなります。なぜなら、原子核が増え、光(エネルギー)が強くなるからです。光(エネルギー)が強くなれば心も強くなるのです。闇や、弱みや、悩みや、病は、光の無い状態ですから、光が強くなれば、そんなモノは退散するしか無いのです。どうか原子核を増やし、弱気な心を蹴散らしてください。

 

 

 

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