理想社会を考える会(かとう塾)
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今週の真言集 2019


想念は実在


 何を信じなくても、自分の想念だけは、信じてください。

 なぜなら、自分の想念だけが、実在だからです。

 他のモノは、どんなに、見えても、聞こえても、触れても、みな、消えてしまう、幻です。

 しかし、想念だけは、永遠に無くならない実在なのです。

 でも、その想念は、誰でも持っている、ありふれたものですから、空気や水のように、どうしても、軽んじてしまうのです。

 空気や水を軽んじては、生きられないように、想念を軽んじても、良い人生が作れないのです。

 病気にしたのも、自分の想念です。

 事故災難に遭わせたのも、自分の想念です。

 盗難にあったのも、自分の想念です。

 人に騙されたのも、自分の想念です。

 結婚したのも、自分の想念です。

 車を手に入れたのも、自分の想念です。

 素晴らしい絵を描いたのも、自分の想念です。

 悪いことを想えば、悪いことが実現し、良いことを想えば、良いことが実現するのです。

 人生は、想念次第なのです。

 どうか、想念を良く使ってください。

 良い想念の一番は、神(マントラ)を想うことです。

 私は、想念の凄さを、もう一段、心の深味で知りました。

 その深味で知ったことを、今後、皆さんに、伝えて行きたいと思います。

 

2019.01.06  

 

 

※ 想念は、両刃の剣のようなものです。

 悪く使えば、人を傷つけ、自分を傷つけ、地球を傷つけます。

 良く使えば、人を喜ばし、自分を喜ばし、地球を喜ばします。

 

※ 否定的な言葉は、闇の思いから生まれ、肯定的な言葉は、光の思いから生まれます。

 ですから、否定的な言葉を語る人は、不幸せになり、肯定的な言葉を語る人は、幸せになるのです。

 

 

 

 

 

私の願い!


 私の願いは、唯一、それは、神の自覚を得て欲しい、と言う願いです。

 何を知らなくても、良いのです。何もできなくても、良いのです。

 ただ、「自分は神である!」と、自覚することです。

 皆さんは、正真正銘の神なのです。

 どんなに、違うと言い張っても、神の意識核によって、「体」も、「魂」も、創られているのですから、皆さんは、間違いなく、神なのです。

 なのに、そうは、思えない。

 それは、まだ、原子核の量が少ないからです。

 原子核が増えれば、自覚できるようになります。

 原子核を増やす方法は、2つのことを、やることです。

  • 一つは、社会体験、
  • もう一つは、瞑想です。

 やれば、必ず、原子核が増えます。

 これは、「原因と結果の法則」が、保証してくれるので、間違いありません。   

 この世の何をやっても、何を得ても、みな、消えて無くなる、虚しいモノです。

 でも、神の自覚だけは、永遠に無くならないのです。

 永遠に無くならないモノを得るのか、消えて無くなるモノを得るのか、賢い、あなたなら、分かって頂けると思います。

 

2019.01.13  

 

 

※「太く短い」、真理の求め方は、どこかに、無理が出て、挫折しかねません。

 求道の旅は、永遠に続くのですから、「細く長い」、真理の求め方をしましょう。

 私たちは、一生や、二生で、ここまで、成長してきたのではないのです。

 何万転生もかけ、ここまで、成長してきたのです。

 これからも、永遠の時をかけ、成長してゆかねばならないのです。

 

※「求めたいから、求める!」、ただ、黙々と・・・、

 それが、純度、百%の真理の求め方です。

 

 

 

 

 

幸せになる秘訣!


 私たちは、想念を持っています。

 と言うことは、私たちは、既に、幸せを持っている、と言うことです。

 なぜなら、想念を良く使えば、幸せになれるからです。

 でも、そのためには、次のことを、心の深いところで、知らねばなりません。

  • 私たちは、想念です。
  • 私たちは、思っている通りのモノで、それ、以上でも、以下でも、ありません。
  • 想念は、実現の母です。
  • 実在しているのは、見えるモノではなく、見えない想念です。
  • 人生は、想念次第です。

 このことを、心の深いところで知った人は、幸せの秘訣を知った人です。

 

2019.01.20  

 

 

※ あなたは、何なのですか?

 重く、汚い、肉体なのですか? 消えて無くなってしまう、人間なのですか?

 いいえ、あなたは、永遠不滅の意識なのです。

  • あなたは、思える、神なのです。
  • あなたは、思える、命なのです。
  • あなたは、思える、宇宙なのです。
  • あなたは、思える、光なのです。
  • あなたは、思える、力なのです。

 

 

 

 

 

最も大切なこと・・パート1


 最も大切なことは、良い準備をしておくことです。

 良い準備をしておくとは、良い原因を作っておく、と言う意味です。

 今、苦しんでいる人は、良い準備をしていなかったからです。

 良い準備さえしていれば、誰でも、幸せになれるのです。

 では、良い準備(良い原因)には、何がいるのでしょうか?

 物やお金がいるのでしょうか? 地位や名誉や権力がいるのでしょうか?

 いいえ、何もいりません。いるのは、良い想念だけです。

 世の人々は、良い準備もしないで、幸せを願っていますが、それは、予約しないタクシーを待っているようなものです。

 来ないタクシーを待つことほど、苦しいことは、ありません。

 タクシーに乗りたかったら、予約しておくことです。

 つまり、準備をしておくことです。原因を作っておくことです。

 そうすれば、間違いなく、タクシーは来ます。これは、当たり前のことです。

 原因を作っていたから、結果が来たのです。

 「成せば成る! やれば成る!」、これは、科学です。

 

2019.01.27  

 

  • そのような、想いしか持てない! 
  • そのような、判断しかできない!
  • そのような、納得の仕方しかできない!
  • そのような、理解しかできない!

 それは、まだ、器(魂)が小さいからです。

 今、地球で、争いが絶えないのは、小さな器の人が多いからです。

 一リットルの器に、十リットルの水は入らないのです。

 十リットルの水を入れたかったら、器を大きくするしかないのです。

 器を大きくする方法が、社会体験と瞑想なのです。

 

 

 

 

 

生命力に任せよう!


 この表現世界は、実際に無い世界です。

 影の世界・幻の世界・現象の世界・見せかけの世界です。

 でも、私たちは、五感を持っているため、どうしても、見せかけの世界が、有ると思ってしまいます。

 だから、自分の身に何か起きると、心配し、その想いが、病気にしてしまうのです。

 本来、この宇宙に、病気など、無いのです。

 自分の悪想念が、肉体細胞を弱め、病気にしているだけです。

 それは、悪想念が、光(エネルギー)を閉ざしてしまうからです。

 病気とは、光(エネルギー)の無い状態なのです。

 だから、光に満たされれば、病気は、そく、消えてしまうのです。

 私が、「悪想念を持つな!」と言うのは、悪想念を持てば、光を閉ざしてしまうからです。

 私たちは、五感に惑わされ、どうしても、悪いことを想ってしまいます。

 一般人は、仕方ないとしても、学んでいる皆さんは、そうであってはなりません。

 病気になりたくなかったら、悪いことを想わないことです。

 想うなら、良いことを想いましょう。

 良い想いの一番は、神を想う、瞑想です。

 神を想えば、病気にならないし、原子核も増えるので、一挙両得なのです。

 世の人々は、病気を恐れ、サプリメントや栄養剤などを飲んで、身を守ろうとしていますが、そんなことを、すれば、するほど、病気になるだけです。

 身体のことは、法則と生命力に、任せたら良いのです。

 そうすれば、法則と生命力が、守ってくれます。

 法則が、守ってくれる、と言う意味は、良い原因を創ったら、良い結果がやってくる、と言う意味です。

 生命力が、守ってくれる、と言う意味は、悪想念を持たなかったら、生命力が、守ってくれる、と言う意味です。

 さあ、役割分担を決めましょう。

 身体のことは、生命力に任せ、自分は、瞑想をしましょう。

 そうすれば、一生、健康でいられるのですから・・・。

 

2019.02.03  

 

 

※ 思い煩うことなかれ!

  • 肉体に、何が起きても、気にしないこと・・心配しないことです。
  • 病気のことを、想わないこと・・考えないことです。
  • 病気や健康に関する情報を、一切、入れないことです。
  • この世は、幻(現象)の世界ですから、この世のことで、悩まないこと・・恐怖しないことです。
  • 何を食べ、何を飲み、何を着ようと、思い煩わないことです。
  • 良く眠ることです。

 私が、声を大にして言いたいのは、自分の身のことで、自分の命のことで、アレコレ、心配しないことです。

 野の鳥たちは、思い煩っていますか?

  やることは、やって、後は、生かされるままに、生きているのではありませんか?

 どんなに長生きしたいと思っても、死ぬ時は死ぬし、生きる時は生きるのです。

 私たちも、野の鳥のように、「やることは、やって」、後は、生かされるままに、生きたら良いのです。

 「やることは、やって」とは、私たちの場合は、「法則を守ること、2つのことをやること」です。

 そうすれば、神は、必ず、良きように計らってくれます。

 

 

 

 

 

あなたが神である証


 あなたが、どんなに、人間だと思っていようと、あなたは、間違いなく、神なのです。

 なぜなら、あなたには、次のような、神の証があるからです。

  • 意識を持っていること自体が、神である証なのです。
  • 自分と思えること自体が、神である証なのです。
  • 言葉を話せること自体が、神である証なのです。
  • 「自分がいる、家族がいる、地球がある、宇宙がある、神っているのかなあ!」と思えること自体が、神である証なのです。
  • 「人を愛せる、人を慈しめる、人に優しくできる」こと自体が、神である証なのです。
  • 「真を貫ける、善を施せる、美を表現できる」こと自体が、神である証なのです。
  • 「何かを発明発見できる、何かを創作できる」こと自体が、神である証なのです。
  • それよりも、何よりも、「瞑想できる」こと自体が、神の証なのです。

 あなたは、肉体ではないのですよ! 人間ではないのですよ! 個人ではないのですよ!

 あなたは、紛れもなく、神なのです。

 神は、一様です。この宇宙には、一しかないのです。

 ならば、今、あなたが、存在していること自体が、あなたが、神である証ではありませんか?

 一つしか無いと言うことは、今、存在している、すべてのものは、その一の現れである、と言うことですから、あなたは、間違いなく、神なのです。

 ただ、形を見て、人間だと誤解しているだけです。

 誤解が解けたら、あなたは、神として、自由に、宇宙に、飛び出して行けるのです。

 あなたは、そのような、素晴らしい存在なのです。

 

2019.02.10  

 

 

※ 外側のモノ(現象・幻)に、誘惑された時、こう想ってください。

 「私は、何のために、生まれてきたのか?」、「人生の目的は、何か?」と・・・きっと、冷水を浴びせられたように、誘惑から、逃れることができるでしょう。

 

 

 

 

 

物質は悪の元凶?!


 どうして、物質は、悪なのでしょうか?

 いいえ、悪ではありません。善を学ぶための教材ですから、善です。

 この宇宙に、悪など無いのです。

 なぜなら、どんな物質も、神の素材で創られているからです。

 もし、物質が悪ならば、神は悪になってしまいます。

 神は、表現宇宙を創るにあたり、自分の意識の波動を下げ、物質の素である「核」を生み出したのです。

 波動を下げ、核を生み出さなくては、物質が創造できないからです。

 波動が低いと言うことは、エネルギーが低いということ、光が弱いと言うことです。

 光が弱い状態は、気持ちの悪い状態、苦しい状態、痛い状態、なのです。

 光が弱ければ、悪的なモノが、はびこるのです。今、地球で、多くの悪が、はびこっているのは、物質文明が旺盛すぎて、波動を低めているためです。

 確かに、物質は、苦しみの要因になっていますが、幼い魂の多い、地球人類にとっては、必要不可欠な、物質でもあるのです。

 なぜなら、物質に溺れることによって、真実を発見することができるからです。

 でも、学びの友の皆さんは、もう、そのような学びは、卒業しているのですから、一日も早く、物質から離れることです。

 幼い時代には、物質の学びは必要ですが、皆さんのような熟した魂には、もう、必要ないのです。

 

2019.02.17  

 

 

※ 物質は、波動の低い、闇の状態ですから、物質文明には、悪しきモノが、はびこるのです。

 物を、多く持てば、持つほど、波風が立つのは、闇が、悪しきモノを呼び寄せるからです。

 今、地球人類は、物質文明に酔いしれていますが、いずれ、その虚しさに気づき、精神文明に舵を切り替えることでしょう。

 

※ 否定的な言葉は、闇から生まれ、肯定的な言葉は、光から生まれるのです。

 ですから、否定的な言葉を使う人は、不幸せになり、肯定的な言葉を使う人は、幸せになるのです。

 どうか、肯定的言葉を多く使ってください。

 

 

 

 

 

価値は誰が創る?


 ここに、ある「モノ」が、あったとしましょう。

 その「モノ」に、価値を与えるのは、誰でしょうか?

 それは、受取人ではないでしょうか。

 どんなに、有り難い「モノ」であっても、受取人が、有り難いと思って、受け取らなかったら、その「モノ」に、価値は、生まれないのです。

 どんなに、良い品物を作っても、買い手(受取人)がいなかったら、価値は、生まれないのです。

 よく、畑で、野菜を腐らせる、農家がありますが、あれは、受取人(買い手)がいないからです。

 これは、真理も、同じなのです。

 ただし、真理の場合は、受取人がいても、真理が理解できなかったら、価値は、生まれないのです。

 だから、私たちは、原子核を大きくして、理解力を高めなくてはならないのです。

 それまでは、目の前に真理があっても、無価値なのです。

 今、人類の目の前に、厳然として、真理が存在していますが、理解力がないため、宙に浮いている状態なのです。

 このように、モノの価値も、真理の価値も、受取人が、納得し、受け取って、はじめて、生まれるのです。

 

2019.02.24  

 

 

※ 認めない価値は無いのです。

 例えば、一億円、持っていても、持っていると認めなければ、使えないので、価値は、生まれないのです。

 どんなに、有り難い真理も、理解力が乏しかったら、その真理は、無価値になってしまうのです。

 真理に、価値が生まれるのは、受取人が、真理を理解し、受け取った時です。

 

 

 

 

 

利口な人の生き方


 この世は、仮相の世界です。

 日々、世の移り変わりを見ている、あなたは、それを、実感しているはずです。

 なのに、仮相と思えない。

 それは、肉体が、あなたを、惑わせているからです。

 今、あなたが、苦しんでいるのは、夢幻のモノを、追いかけ過ぎているからです。

 苦しみたくなかったら、この世のモノとの関わり合いを、できるだけ、少なくすることです。

 では、関わり合いを、少なくするには、どうすれば、良いでしょうか?

 一番良いのは、瞑想です。

 瞑想している時は、この世のことが、想えません。

 この世のことを、想わなければ、この世のモノが、寄ってこないので、関わり合いが、少なくなるのです。

 想念は、何でも実現させます。

 私たちは、その想念を持っているのですから、有効に利用しなくては、損です。

 有効に利用する方法は、本当に有るモノを、想うことです。

 本当に有るモノとは、神のこと、本当の自分のこと、すなわち、あなたのマントラのことです。

 ここまで、成長してきた、あなたは、もう、この世のモノは、何もいらないはずです。

 幸せだけが、欲しいはずです。

 それは、瞑想によって、得られるのです。

 利口な人は、そのような、生き方をします。

 ぜひ、瞑想し、幸せを得てください。

 

2019.03.03  

 

 

※ あなたは、肉体人間では、ありません。

 あなたは、光り輝く、神です。生命です。意識です。

 常に、そう想いながら、生きてください。

 多く、思えば、思うほど、あなたは、変わります。

 なぜなら、本当に、あなたは、神だからです。生命だからです。意識だからです。

 

※ 世界に知れ渡ったアスリートが、コマーシャルに出ます。

 出た途端、世界の顔が、一企業の顔になってしまいます。

 これは、大損です。

 なぜなら、大きな自分が、小さな自分に、成り下がってしまうからです。

 偉大な魂も、人間と名乗れば、大きな自分が、小さな自分に、成り下がってしまうのです。

 

 

 

 

 

意識は一つ


 意識は、誰のものでもあり、誰のものでもありません。

 意識は、一つであり、全体であり、無限だからです。

 一つゆえに、何か一つでも消えたら、すべてのモノが消えるのです。

 砂一粒、無くても、宇宙絵が完成されないのは、砂一粒が、全体だからです。

 砂一粒にして、そうですから、あなたが消えたら、宇宙が消えるのは、当たり前なのです。

 あなたは、全体であり、一つであり、無限なのです。

  • もともと、この宇宙に、真理が存在するわけではありません。
  • もともと、この宇宙に、神が存在するわけではありません。
  • もともと、この宇宙に、光が存在するわけではありません。
  • もともと、この宇宙に、物質が存在するわけではありません。
  • もともと、この宇宙に、時空が存在するわけではありません。
  • もともと、この宇宙に、幸せが存在するわけではありません。

 意識を持っている人類が存在するから、真理が存在し、神が存在し、光が存在し、物質が存在し、時空が存在し、幸せが存在するのです。

 こう言えるのは、認める者(人類)がいなければ、認められるモノ(真理・神)が存在できないからです。

 意識は、すべての大本です。本源です。

 その意識を、人類は、持っているわけですから、人類が、すべてのモノを生み出しているのは、当然のことなのです。

 意識 イコール 人類 なのです。人類 イコール 意識 なのです。

 「人類が存在するから、宇宙が存在する」と言う真理を腹の底に落としてください。

 

2019.03.10  

 

 

※ 意識の正体は、解らなくても、意識そのものには、成り切ることはできます。

 なぜなら、あなたは、意識そのものだからです。

 ただ、今のあなたは、肉体を自分だと思い違いしているから、意識に成り切れないだけです。

 思い違いを解けば、そく、意識そのものに、成り切れるのです。

 思い違いを解く道具が、瞑想なのです。

 

※ この世のことを意識している時は、幻の世界に生きていることになり、

 瞑想し、神を意識している時は、真実に生きていることになります。

 と言うことは、想念は実現の母ですから、

 この世のことを意識している時は、無いものを作っていることになり、

 瞑想している時は、有るものを創っていることになるのです。

 

※ 私の勉強会の動画を見て、波動を受け取れる(感じられる)ようになった人は、よほど、波動を落とさない限り、サタンにやられることは無いでしょう。

 どうか、一日一回でも、勉強会の動画を見てください。

 または、光の音声を聴いてください。

 その人は、もう、真理から離れることは、ありません。

 

 

 

 

 

必然! パート2


 私たちは、よく、「偶然に起きた」とか、「必然に起きた」とか、言いますが、意味を理解して言っているでしょうか?

 では、偶然と必然の意味を、文字から解き明かして見たいと思います。

 偶然の「偶」という字の意味は、「無茶苦茶・思いがけず・当たりばったり・計らずも・たまたま・計画性が無い・無法則」と言う意味です。

 必然の「必」は、「必ず・きっと・間違いなく・確かに・きっちりと・ぜひとも・揺るがず・有法則」と言う意味です。

 「然」と言う字の意味は、「起きる・成る・流れ・道・方向・力・動き・働き」と言う意味ですから、

 通して解釈すれば、「偶然」とは、「無茶苦茶に起きる・思いがけなく起きる・当たりばったりに起きる・計らずも起きる・たまたま起きる・計画性もなく起きる・無法則に起きる」という意味になります。

 必然とは、「必ず起きる・きっと起きる・間違いなく起きる・確かに起きる・きっちりと起きる・揺るがず起きる・法則どおり起きる」と言う意味になります。

 この宇宙は、きっちりとした「必然の法則」の下に管理されており、偶然など、あるわけがないのです。

 もし、偶然があるなら、今、宇宙は、存在していません。

 今、あなたは、存在していません。

 今、宇宙が、存在し、今、あなたが、存在していること自体、「必然の法則」によって管理されている証拠なのです。

 法則とは、秩序を意味しますから、どんなことも、必然で起きているのです。

 つまり、成るべきにして起きているのです。

 神は、「必然の法則」によって、私たちを、進化成長させようとしているのです。

 だから、「悪いことを思ったから、悪いことを語ったから、悪いことをしたから」と言って、自分を責めてはなりません。

 必然で思い、必然で語り、必然でした、良いことなのですから・・・。

 この宇宙には、間違いも、失敗も、悪いことも、無いのです。

 なぜなら、進化成長に結びついている、間違いであり、失敗であり、悪いことだからです。

 と言うことは、あなたが、思った悪いことも、語った悪いことも、した悪いことも、良いことだと言うことです。

 

2019.03.17  

 

 

※ なぜ、起きたことが、必然なのか?

 それは、自分しかいないからです。

 自分しかいないのですから、何かを起こそうと思ったら、自分で起こすしかありません。

 自分が、起こそうと思って、起こしたのですから、必然なのは、当たり前です。

 

 

 

 

 

必然! パート3


 死ぬと分かっているのに、人は、どうして、生まれてくるのでしょうか?

 それは、何か、学ぶべきこと・・やるべきこと・・が、あるからではないでしょうか?

 では、学ぶべきこと、やるべきこと、とは、何でしょうか?

 それは、自分の本性を知ること、そして、原子核を増やすことです。

 これは、表現宇宙では、必然事項となっていますから、死ぬと分かりながら、生まれてくるのです。

 必然には、意味があるのです。

 それは、「どんなことも、進化成長のために起きている!」、と言う意味です。

 進化成長のために起きている、必然ですから、どんなことも、良いことなのです。

 例えば、

「事故に遭った、病気になった、人に騙された」ことも・・、

「頭に鳩の糞が落ちてきた、ズボンに泥水をかけられた、石につまずいた」ことも・・、

「悪いことを思った、悪いことを語った、悪いことをした」ことも・・、

「悩んだ、心配した、恐怖した」ことも・・、

 みな、良いことなのです。

 どんなに、無意味と思えることも、みな、進化成長に結びついているからです。

 今は、解らなくても、自覚の境界線を超えれば、解ります。

 

2019.03.24  

 

 

※「死ぬと分かっているのに、どうして、勉強しなければならないのか?

 死ぬと分かっているのに、どうして、働かねばならないのか?

 死ぬと分かっているのに、どうして、道徳や、倫理や、法律を、守らねばならないのか?」と、あなたは、思うかも知れませんが、それは、あなたを成長させるために必要な必然だからです。

 

※「死ぬと分かっているのに、なぜ、生まれてくるのか?」、このことを深く考える人は、殆どいません。

 でも、学びの友の皆さんは、深く考えてください。

 きっと、気付かない深い意味が、発見できると思います。

 

※ サタンに、やられたくなかったら、一日一回、必ず、勉強会の動画を見てください。

 

 

 

 

 

魂の熟成度の差


 学びの友の皆さんは、「人間は、魂であり、生命であり、意識であり、神である!」と言っても、信じてくれます。

 また、「地球は、意識と意思を持った生き物である!」と言っても、信じてくれます。

 でも、「鳥たちが、鳥向けの言葉と人間向けの言葉の使い分けをしている」と言ったら、信じてくれるでしょうか?

 一般の人に言ったら、冷たく、あしらわれてしまうでしょうが、あなた達なら、少しは戸惑っても、信じてくれるでしょう。

 なぜなら、皆さんは、神が、鳥たちを差配していることを、知っているからです。

 でも、一般人は、そんなこと、信じませんから、聞き耳を持たないのです。

 これは、魂の熟成度の差ですから、彼らを、蔑んではいけません。

 彼らも、人生体験を積んでゆけば、いずれ、信じられるようになるのですから・・・。

 幼い魂は、波動の高い話は、理解できないのです。

 でも、それだから、生きていられるのです。

 もし、彼らが、一瞬でも、下から上が見えたら、恐らく、惨めさのあまり、生きていられないでしょう。

 彼らが、曲がりなりにも、安心して生きていられるのは、下から上が見えないからです。

 魂の上の者は、下の者の愚かさが見えても、指摘するようなことはしません。

 指摘しても、彼らには、解ってもらえないからです。

 だから、彼らと私たちは、共存してゆけるのです。

 私が、このようなことを、平気で書けるのは、読んでも、彼らには、理解できないからです。

 「知らないことの有り難さ!・・・ 知らないことの罪深さ!・・・」、学びの友の皆さんは、このことを、知っておいてください。

 

2019.03.31  

 

 

※「知らぬが仏」と言う諺がありますが、正に、知らぬことは、有り難いことです。

 でも、恐ろしいことでもあるのです。

 なぜなら、やってならないことを、知らぬがゆえに、平気で、やるからです。

 

 

 

 

 

高度になる学び


 現状に変化が起きた時、疑問に思ってください。

 どれほど、成長したか?、神は、試しているのかも、知れません。

 また、こうも、考えてください。

 新たな変化は、「真剣に真理を求めていますか?」という、問いかけかも知れません。

 ここまで、成長した、皆さんは、もう、片手間で真理を求める時代は終わったのです。

 神は、「真剣に階段を上がりなさい!」と言っているのかも知れません。

 とは言っても、魂の計画は、みな、それぞれ、違うわけですから、全員に、当てはまるとは限りません。

 でも、神我の自分に聞けば、どのような意味のある変化か、分かると思います。

 「この度の変化は、何を試しているのか? 私は、今の求め方でいいのか?」、一度、神我に問うてみてください。

 私たちは、日々、惰性で過ごすことが多いため、現状で満足してしまうのです。

 だから、神は、マンネリを打破させるために、刺激を与えるのです。

 変化の刺激は、考える良い機会なのです。

 魂が成長すると、学びの内容も、高度になることを、知ってください。

 

2019.04.07   

 

 

※ 喜びの強さも、悲しみの強さも、感動の強さも、魂の熟成度に沿うように変わってきます。

 あなたの魂が、さらに、成熟すれば、今の喜びも、悲しみも、感動も、まだまだ、高度なものになるでしょう。

 これは、誇って良いことです。

 このような仕組を創られた、神に感謝しましょう!

 

 

 

 

 

神は能動的!


 神は、能動的な存在です。

 これが良いと思ったら、すぐに、行動に移すのが、神です。

 私たちは、神の子ですから、神と同じように、能動的にならねばなりません。

 ウジウジしていては、原子核を増やすチャンスを、逸してしまいます。

 それどころか、一般人にも、遅れを取ってしまいます。

 どうか、積極的な行動をする人になってください。

 良いと思って、直ぐに、行動を起こせば、原子核が自乗的に増えるのです。

 これは、神が創ってくれた、素晴らしい仕組みです。

 学びの友の皆さんが、スピードアップして、原子核が増えるのは、そのためです。

 たとえ、積極的にやって、失敗したように見えても、それは、成功のための失敗ですから、成功なのです。

 すべて、必然で、良いことです。

 だから、積極的にやれば、必ず、進化成長するのです。

 どうか、行動的な人になってください。

 行動的な人は、大きく成長します。

 それは・・向こうへ帰ったら、はっきりと分かります。

 とは言っても、やはり、中庸は、守ってください。

 いくら、積極的が良いからと言って、人の家に土足で、ヅカヅカと入るようなことだけはしないでください。

 求道者は、常識人でなくてはなりません。

 どうか、自分の原子核の量に見合った、中庸を守ってください。

 

2019.04.14   

 

 

※ 学びの友のやるべきことは、瞑想することです。

 クヨクヨ考える暇があるなら、悩む暇があるなら、心配する暇があるなら、瞑想することです。

 すべて、瞑想が、解決してくれます。

 こんな、有り難いことが、有りましょうか? 

 

 

 

 

 

死ぬと分かっていながら?!


  • 人は死ぬと分かっていながら、どうして、生まれてくるのでしょうか?
  • 人は死ぬと分かっていながら、どうして、何かを成し遂げようとするのでしょうか?
  • 人は死ぬと分かっていながら、どうして、何かを求めようとするのでしょうか?
  • 人は死ぬと分かっていながら、どうして、何かを残そうとするのでしょうか?

 それは、自分が、永遠の存在であることを、知っているからです。

 永遠の存在である自分は、永遠の存在であるがゆえに、成長したいのです。

 そのためには、死ぬと分かっている世界で、体験しなければ、成長できないので、死ぬと分かっていながら、生まれてくるのです。

 もし、自分が永遠の存在でなければ、学ぶことも、仕事をすることも、良い家庭を築くことも、馬鹿らしくて、やっていられないはずです。

 私たちは、肉体ではありません。

 私たちは、永遠の存在である生命です。

 その生命は、見える世界で、様々な体験をすることで、成長できるのです。

 

2019.04.21   

 

 

※「そんなこと、当たり前ですよ!」と、人は、良く言います。

 なぜ、当たり前だと、言えるのでしょうか?

 それは、当たり前でないことを、知っているからです。

 当たり前でないことを、知らなかったら、当たり前が、何か解るはずがありません。

 だから、私たちは、当たり前の世界から、当たり前でない世界に出てきて、当たり前が何なのか、学んでいるのです。

 初めから、当たり前を知っていたら、あなたは、当たり前でない世界に出てこなかったはずです。

 

 

 

 

 

表と裏の関係


 モノには、表と裏が、必ず、あります。

 表だけのモノもなければ、裏だけのモノもありません。

 その証に、あなたの手を、真ん中から切ってみてください。

 どんなに、切っても、切っても、表と裏は、離れません。

 1センチの厚みのものを、1ミリに切り、1ミリの厚さのものを、更に、0.1ミリに切っても、表と裏は、あり続けます。

 この表と裏は、永遠にあり続けるのです。

 ですから、表だけの手もなければ、裏だけの手もありません。

 表と裏があって、はじめて、手があるのです。

 今、私たちは、肉体を持っています。

 この肉体は、表なのです。

 表の肉体が有ると言うことは、今、言ったように、必ず、裏があります。

 その裏のことを、私は、神と言ったり、生命と言ったり、意識と言ったりしているのです。

 その神は、見えません。

 でも、間違いなく、神は、存在しているのです。

 裏の手がなくては、表の手がないように、裏の神がなくては、表の人間はいないのです。

 本当に有るものとは、何でしょうか?

 表が有って、裏が有って、はじめて、「手」が有ると、心の底で思えた時に、本当に有るものが生まれるのです。

 つまり、人間が有って、神が有ると、心の底で思えた時、はじめて、神人が、生まれるのです。

 神人が、本当に有るモノなのです。

 でも、本当に有る神人は、形がないので、観えません。

 ですから、理解力で、神人を観るしかないのです。

 このように、本当に有るものは、表と裏の関係を、心の底で理解した時に生み出されるのです。

 この心の底で理解できた人のことを、「理解眼の開かれた人」と言うのです。

 このことを、理解するのは、容易ではありませんが、ぜひ、理解してください。

 それは・・自分の手が、教えてくれます。

 

2019.04.28   

 

 

※ この宇宙に有る確かなものは、幸せだけです。

 幸せだけが、実在だからです。

 この宇宙に存在している生命体は、みな、幸せだけを、欲しがっているのです。

 

 

 

 

 

自分を責めないでください!


 あの当時は、あのような、幼いことしか、考えられなかったのです。

 あの当時は、あのような、幼いことしか、話せなかったのです。

 あの当時は、あのような、幼い行いしか、できなかったのです。

 それは、まだ、原子核が、少なかったからです。

 原子核が、少なければ、幼い考え、幼い話し、幼い行為しかできないのです。

 それは、自分の責任ではありません。

 幼さゆえの過ちですから、自分を責めてはなりません。

 その当時は、その当時で、やれることを、精いっぱいやって、生きてきたのです。

 でも、今のあなたは、違っております。

 なぜなら、当時より、原子核が、増えているからです。

 「時は、原子核なり」です。「一日の長」です。

 人を成長させようと思っても、できませんが、時間は、人を成長させてくれます。

 それが、解った人は、人を責めないし、自分も責めません。

 今、私たちが、やるべきことは、今、やれることを、精いっぱい、やることです。

 今、やれること・・・それは、社会体験と瞑想です。

 

2019.05.05  

 

 

※ 私の小学生時代、一年間、休まず学校に通ったら、皆勤賞がもらえました。

 一日、休んでも、精勤賞がもらえました。

 あの当時のことですから、大したご褒美はもらえませんでしたが、鉛筆やノートなどを頂きました。でも、嬉しかったものです。

 真面目に学んでいる人に、ご褒美が与えられるのは、当然ではありませんか。

 真理も、同じです。

 真面目に学んでいれば、必ず、ご褒美がいただけます。

 それは、原子核が増えると言う、ご褒美です。

 このご褒美は、本人が、与えるのです。

 それは、原因と結果の法則が与える、と言う意味です。

 

 

 

 

 

ある求道者の手記


 学びの友の一人から、次のような手記を頂きましたので、ご紹介します。

 

「あの当時の私は、親にも、妻にも、子供にも、ひどいことをしていました。

 また、人を憎み、世を憎み、自分に都合の悪いことは、すべて、人のせいにしていました。

 また、欲望に負け、人として恥ずかしいこともしていました。

 そんな、私でしたから、当然、苦しみがやってきました。

 それでも、私は、目覚めなかったのです。

 そんな、ある日、キツイ苦しみがやってきました。

 そこで、「バチが当たった!」と思い、やっと、目覚めたのです。

 自分を弁護するようですが、あの当時の私は、あのような生き方しかできなかったのです。

 それは、真理を知らなかったからです。

 だからと言って、「原因と結果の法則」から逃れられるものではありません。

 私は、その代償を、苦しみで償ったのです。

 これは、後で分かったことですが、あの苦しみは、目覚めに必要な警告だったのです。

 欲望のままに生きていた当時、何度も警告を受けていたのですが、それが警告だと気づかなかったのです。

 いいえ、薄々気づいていたのですが、改心する勇気がなく、警告を無視していたのです。

 悲しいことですが、人は、我が身で苦しみを体験し、はじめて、改心するものなのです。私が、その良い証です。

 真理を学んでいる今の私は、心穏やかです。

 心の中に、昔のような曇天はありません。晴れ晴れしています。もう、何のわだかまりもありません。

 真理に導いてくれた守護霊様、本当にありがとうございました!」

 

 人は、誰でも、悪を犯し、痛い目に遭っているものです。

 大切なのは、その痛い目から、何を学ぶかです。

 学んで成長したら、悪は善になるのです。

 黒石が白石になる、と言うことです。

 

 2019.05.12

 

 

※「バチが当たった!」という思いの中には、二つの思いが込められています。

 一つは、神の存在を認める思い、もう一つは、反省の思いです。

 ですから、「バチが当たった!」と思える人は、結構、魂の熟した人なのです。

 

※ 求道者の最終目標は、欲望のコントロール・感情のコントロール・想念のコントロールが、できるようになることです。

 欲望のコントロールは、大分、できるようになったと思いますが、感情のコントロールは、なかなか、できないと思います。

 特に、家族間の情のコントロールは、難しいと思います。

 親しい情の交わしあいが、情を深めてしまうからです。

 薄情と思うかもしれませんが、外側のモノと、あまり、情を交わさないことです。

 外側のモノは、無いからです。

 学びの友の間においても、必要以上のつながりを持って、情を深めてはいけません。

 できるだけ、淡白な、お付き合いをしてください。

 

 

 

 

 

一を心の底で知る


 

 宇宙は、一であり、無限です。ゆえに、一の中には、一のモノしか無いのです。

 ですから、一の中の何を探し出しても、同じ、一のモノです。

 宇宙が、二つ有るなら(有限なら)、他の宇宙の中に、別のモノがあるかも知れませんが、一つの宇宙しかないわけですから、あるのは、同じ、一のモノなのです。

 だから、わざわざ遠くに探査機を飛ばして、石を持ち帰ることはないのです。

 足元に転がっている石も、何億キロ先の小惑星の石も、同じ石なのですから・・・。

 何でも、二つで一つです。

手の中に、裏と表が同居しているように、

明るさの中に、光と闇が同居しているように、

人間の中にも、神が同居しているのです。

 このことが、心の底で解ったら、自分が、「一である」、「神である」と、自覚できるようになるのです。

 どうか、色々な角度から、一に光を当て、一の正体を知ってください。

 一の裏には、必ず、神がおられるのですから・・・。

 学びの友の最大の課題は、このことを、いかに、心の深いところで知るかです。

 

2019.05.19  

 

※ あなたのいない、一秒って、ありますか?

  あなたのいない、一日って、ありますか?

  あなたのいない、一年って、ありますか?

  誰が、一秒を作ったのでしょうか?

  誰が、一日を作ったのでしょうか?

  誰が、一年を作ったのでしょうか?

 あなたでは、ありませんか?

  あなたが、いなかったら、一秒は、無いのですよ!

  あなたが、いなかったら、一日は、無いのですよ!

  あなたが、いなかったら、一年は、無いのですよ!

 ならば、あなたは、何なのですか?

  主観者では、ありませんか?

  宇宙の主では、ありませんか?

 すなわち・・神では、ありませんか?

 

 

 

 

 

幻を掴まないこと!


 想念したものは、どんな想念であっても、宇宙空間に青写真として残ります。

 その青写真は、いつか、必ず、想念した人の所に、お荷物として帰ってきます。

 病気も、事件・事故・災難も、想念した人の苦しいお荷物です。

 でも、その苦しいお荷物は、悪想念が消えてゆく姿でもあるのです。

 不幸というものは、元来、この宇宙には、無いのです。

 人類の迷いの想念が、一時、生み出した、幻の不幸にしか過ぎないのです。

 一時の幻ですから、放っておいたら、必ず、消えてゆくのです。

 本当に有ると思って、手放さないから、いつまでもあるのです。

 病気・事件・事故・災難は、すべて、悪い在庫品が掃けてゆく姿です。

 今、あなたが、すべきことは、悪想念を持たないようにすることです。

 悪想念を持たなければ、悪い在庫品を増やさないので、悪い在庫品は、無くなってゆくのです。

 どうか、悪想念を持たないようにしてください。

 悪想念を持たないためには、瞑想をすることです。

 瞑想すること・・それが、幸せになる秘訣です。

 

2019.05.26  

 

 

※ 肉体のことは、生命力(真我)に任せ、あなたは、瞑想をしましょう。

 そうすれば、生命力が、肉体を健康にしてくれます。

 肉体のことを、クヨクヨ考え、心配するから、病気になるのです。

 

※ 雑念に悩まされている人は、何か雑念が湧きそうになったら、「想わない! 想わない! 想わない!」と思ってください。

 肉体の現象(痛み・痒み・痺れ・クシャミ・咳・辛さ・シンドさ・胸悪さ・息苦しさ、など)に、悩まされている人は、そのような現象が生まれそうになったら、「想わない! 想わない! 想わない!」と思ってください。

 雑念も、現象も、消えてゆくはずです。

 雑念や現象が消えたら、自分のマントラ(光・神・生命)を想い続けてください。瞑想してください。

 

※ 私たちが纏っている肉体は、確かに、汚く、か弱く、不自由かも知れません。

 でも、その肉体がなくては、何も学べないのです。だから、肉体は、大切です。

 人生の目的は、その肉体を使って、何を学び、何を残すかです。

 

 

 

 

 

上面の奥を見てください!


 上面だけを、見ないでください。上面の奥を、見てください。

 どんな、モノにも、面の奥があるのです。

 面の奥が無ければ、上面は、無いのです。二つで、一つなのです。

 見えるモノの背後には、必ず、見えないモノがあるのです。

 唯物論者は、そのことが、理解できないため、「肉体有る限りの人生だ!」と言うのです。

 肉体有る限りの人生なら、人は、何のために、生きねばならないのでしょうか?

 肉体有る限りの人生なら、例え、何を作っても、何を得ても、何を残しても、何を学んでも、残らないのですから、無意味です。

 あなたは、「生まれてきたからには、死ぬわけにゆかないから、生きる!」と言うのですか?

 そんな、無目的な人生に、何の意味があるのでしょうか?

 生まれてきたからには、生まれてきた目的があるのではありませんか?

 生きることによって、「何かが残るから!」、生まれてきたのではありませんか? 

 唯物論者は、思考の停止した死人です。自分の存在を否定している人です。

 そんな、死人にならないでください。

 どうか、奥の奥が見られる人になってください。

 奥の奥が見られる人は、自分を殺すようなことは言いません。

 

2019.06.02  

 

 

 

 

 

もう懲り懲り?!


 あなたは、今生、肉体を持つことによって、どれほど、辛い、苦しい、悲しい、体験をしたことでしょう。

 あなたは、もう、「こんな肉体を持つのは懲り懲りだ!」と、思っているのではありませんか?

 でも、肉体を持ったお蔭で、ここまで、成長してこられたのですから、今生、肉体を持って生まれてきたことは、大成功だったのです。

 せっかく、肉体を持って生まれてきたのですから、もう少し、厭な体験をして帰ってください。

 このように言うのは、厭な体験を、すれば、するほど、原子核を増やして帰れるからです。

 だからと言って、わざわざ、厭なことを貰いに行きなさい、とは言っていません。

 やってきたら、逃げないで、乗り越えてください!、と言っているのです。

 どうか、厭なことがやってきても、成長のための体験だと思って、乗り越えてください。

 乗り越えたら、あなたは、また一段、大きくなっているでしょう。

 

2019.06.09   

 

 

※ 厭なことの、少ない人と、多い人との、どちらが、成長するでしょうか?

 厭なことの多い人ですね!

 だから、幼い魂は、厭なことを想って、厭なことを多く引き寄せ、厭なことを多く体験するのです。

 大人になった魂は、あまり、厭なことを想わなくなりますから、厭な体験も少なくなるのです。

 と言うことは、それだけ、瞑想しやすい環境が整うと言うことです。

 

※ 体を、こまめに、動かす人は、サタンに、やられづらいのです。

 なぜなら、体を動かせば、宇宙エネルギーが、入ってくるからです。

 どうか、こまめに、体を動かしてください。

 動かせば、サタンに、やられないばかりか、原子核も、大きくできるのですから・・・。

 

 

 

 

 

ゆめ幻!


 あなたが、今、嫌な人に出会っているのも、今、厭な環境にいるのも、過去の自分の悪想念が引き寄せた結果です。

 でも、その結果は、時間が、消してくれているのですから、嫌な人だと思わず、厭な環境だと思わず、「過去の自分の悪想念が、今、消えているのだから、良いことだ!」と、思ってください。

 「嫌な人だ! 厭な環境だ!」と、思っているから、いつまでも、嫌な人も、厭な環境も、無くならないのです。

 過去のことは、忘れてください。今の今、何を想うかが、大切なのです。

 「嫌な人の中に・・厭な環境の中に・・」、光をイメージしてください。

 そうすれば、嫌な人も、嫌でなくなるし、厭な環境も、厭な環境でなくなります。

 あなたの見方が変われば、人も、環境も、変わるのです。

 嫌な人も、厭な環境も、みな、ゆめ幻です。

 そんな、ゆめ幻のために、自分の心を汚すことほど、損なことはありません。

 さあ、どんなことも、良く受け取ってください。

 「自分の成長のために、必要な人だ! 自分の成長のために、必要な環境だ! 自分の成長のために、必要で起きたことだ!」と・・・。

 あなたが、すべきことは、今、やるべきことを、真心を込めてやること、そして、瞑想をすることです。

 この二つのことを、やっていれば、間違いなく、あなたは、成長します。

 

2019.06.16  

 

 

※ 病気を作っているのは、自分の想念です。

 過去に抱いた悪想念が、今の病気にしているのです。

 病気から抜け出す方法は、病気に、エネルギーを与えないことです。

 難しいかも知れませんが、痛みや苦しみが来たら、「今、病気が、消えている! 消えている! 消えている! 良いことだ! 良いことだ! 良いことだ!」と、思ってください。

 そうすれば、ネガティブなエネルギーを与えないので、病気は、快方に向かうのです。

 病気のことは、考えないことです。そのためには、瞑想することです。

 

※ 宇宙に書いた絵や文字は、相手にしなければ、刻々と消えて無くなるのです。

 ですから、悪い事が起きても、あまり、動揺しないこと・・あまり、心配しないこと・・難しいかも知れませんが、相手にしないことです。

 相手にしなければ、エネルギーを与えないので、悪いことは、起きなくなります。

 

 

 

 

 

世界観


 人、それぞれ、世界観を持っています。

 同じ世界観を持っている人は、一人もいません。

 なぜなら、理解力によって、世界観が違ってしまうからです。

 と言うことは、世界は、外側にあるのではなく、人、それぞれ、理解した思いの中にあることになるでしょう。

 世界観には、見方によって、客観的世界観と主観的世界観があります。

 客観的世界観で見た場合、その世界には、波動の違う世界が、無数に存在し、そこに、沢山の、人や、物が、存在することになります。

 ですから、客観的な見方をしている人には、人や、物や、環境が、実際に存在することになるので、どうしても、争いごとが起きるのです。

 しかし、主観的世界観で見た場合、その世界に存在するものは、すべて、自分の進化成長に、都合の良いものばかりになります。

 なぜなら、自分の進化成長に、必要な、物・人・環境を、自分が用意するからです。

 勿論、そこで、起きたことは、みな、自分が起こさせたことです。

 外側に、世界があるように見えますが、それは、誤解なのです。

 なぜなら、自分しか存在しないからです。

 客観的世界があると思っている人は、自分の想念で、客観的世界を作ってしまうのです。

 その客観的世界は、もともと、あったのではなく、今の自分の理解力が作った、自分独自の世界なのです。

 客観的世界観を持っている人も、理解力が増せば、今、見て、感じている、世界は、消えて、新たな世界が、見えてくるようになります。

 それも、理解力が増した分の、高度な世界が見えてくるようになります。

 そうなると、昔の客観的世界観は、幼稚になってしまうのです。

 このように、世界は、外側にあるのではなく、自分の理解力が、内側に、世界を創るのです。

 このことは、自覚の境界線を超えなくては、解らないかも知れませんが、世界とは、そういうものである、と言うことだけ、知っておいてください。

 

2019.06.23  

 

 

※ ある学びの友の気づきをご紹介しましょう。

『人間は、嫌な形をしているから、ゴキブリを殺します。

 と言うことは、人間は、神を殺しているって言うこと・・・?

 虫の知らせとは、神のお告げみたいな意味ですよね。

 だから、ゴキブリの虫(真我)さんは、「この汚い所を掃除しなさい!」とお告げをしてくれているのですね・・・。

 人間は、真我の思いが分からないから、代わりに、ゴキブリさんが、気づかせるしかない! てことですね。

 形の、キレイなもの、キタナイもの、全て、真我の思いの現れだったのですね!・・・なんと凄い仕組みでしょう!!

 地球上の表現物が、これほどまでに歪曲して表現されねばならない理由は、地球人類の魂が、未熟で、過ちに気づけないからなのですね!

 見るからに嫌な形のゴキブリを見せることで、掃除させる・・・歪曲したやり方だけど、未熟な魂には、そう言う方法でしか、気づかせることができないのですね! 納得です!!』

 

 

 

 

 

相手関係?


 「どうして、相手がいるのですか?」・・・。

 それは、自分がいるからでは、ありませんか?

 あなたは、どうして、自分がいると思えるのですか?

 それは、自分がいるからでは、ありませんか?

 自分がいなかったら、自分が認められないので、自分はいないのです。

 自分が、自分を認め、自分を存在させている、と言うことです。

 と言うことは、自分の中に、二人の自分がいることになるでしょう。

 そうです。あなたの中には、二人の自分がいるのです。

 では、二人の自分とは、どのような、自分なのでしょうか?

  • 一人の自分は、自我の自分です。
  • もう一人の自分は、真我の自分です。

 真我の自分がいなかったら、自我の自分はいません、

 また、自我の自分がいなかったら、真我の自分もいません。

 真我の自分が、自我の自分を創り、自我の自分が、真我の自分を認め、真我の自分を存在させているのです。

 自我の自分と真我の自分は、相身互いの関係にある、と言うことです。

 しかし、実際に存在しているのは、原因者である、真我の自分の方です。

 真我は、実在しますが、自我は、真我が創った、幻の自分にしか過ぎないのです。

 だからと言って、自我を軽んじてはなりません。

 自我は、幻の自分ではありますが、自我が、真我を認めて、真我を存在させているのですから、自我と真我は、同等の価値があるのです。

 どうか・・

自我を、大切にしてください。

肉体を、大切にしてください。

家族を、大切にしてください。

社会を、大切にしてください。

地球を、大切にしてください。

表現宇宙を、大切にしてください。

 

2019.06.30  

 

 

※ 友達のAさんは、あなたが、認めているから、存在しているのです。

 あなたが、いなかったら、Aさんは、認められないのですから、Aさんは、存在しないのです。

 また、Aさんから見たら、Aさんが、あなたを認めているから、あなたは、存在しているのです。

 もし、Aさんが、いなかったら、あなたは、認められないのですから、あなたは、存在しないのです。

 この宇宙には、一様の自分(真我の自分)しか、存在しません。

 でも、一様の自分では、自分が存在できないので、分身を創って、自分が、自分を認め合っているのです。

 

 

 

 

 

理解力の大切さ!


  • 現世利益が欲しくて、真理を求めている人は、真の求道者とは言えません。
  • 現象が欲しくて、真理を求めている人も、真の求道者とは言えません。
  • 知識を頼りにしている人も、真の求道者とは言えません。
  • 義理や人情で、真理を求めている人も、真の求道者とは言えません。

 真の求道者とは、人生を賭して、「本当の自分に目覚めたい!」と、思っている人のことです。

 そのような人は、外側のものを頼ろうとせず、自分の理解力を頼りにします。

 真理の扉は、理解力によってのみ、開かれるのです。

 理解力が高まれば、先見の明がつき、判断力が高まるため、視野が広がります。

 視野が広がれば、色々な気付きが生まれます。

 その気付きは、自分の意識の中から生まれるヒラメキで、これは、天から降りてくるのです。

 外から教わるのは、外側の幻のことだけです。

 内から教わるのは、内側の真実(真理)のことです。

 どうか、理解力を高め、内側から真理を得てください。

 その理解力を高めるのは、自力による、社会体験と瞑想です。

 どうか、2つのことをやって、理解力を高めてください。

 

2019.07.07  

 

 

※ 気付きや、ヒラメキは、原子核を増やしたら与えられる、ご褒美です。

 原子核を増やすのは、自力です。

 理解力を高めたかったら・・、 気付きが欲しかったら・・ 、

 どうか、自力で、原子核を増やしてください。

 

 

 

 

 

神の自己満足心!?


 神様は、時空の中に、素晴らしい絵(表現宇宙)を描かれましたが、その絵は、神様の満足心から生まれた絵でした。

 私たちも、神様を見習い、自己満足心で、人生を描きたいものです。

 神様が描かれた絵は、美術品です。

 人間が描いた絵は、芸術品です。

 神様は、自己満足度100% の絵を描かれたのです。

 誰の目も気にしない! 何の囚われも拘りもない!、 ただ、自分が「納得する・・ 満足する・・」絵を描かれたのです。だから、美術品なのです。

 人間が描いた絵には、色々な汚れが入っています。

 例えば、

  • 自分を良く見せたいという、顕示欲、
  • お金を儲けたいと言う、金銭欲、
  • 名を上げたいという、名声欲、など、です。

 だから、人間が描いた絵は、波動の低い、芸術作品になるのです。

 真の美術品は、自己満足度100% から生まれるのです。

 職人バカと言う言葉がありますが、真の職人さんは、金儲けしたい、と言う思いも、名を上げたい、と言う思いも、ありません。

 ただ、自分が満足する絵が出来上がるまで、作り続けるのです。

 彼らは、自己満足度100% の絵を描きたいのです。

 でも、最近は、そういう職人さんは、少なくなりました。

 殆どの職人さんは、色々な汚れの入った絵を描いています。

 特に、お金が絡む、資本主義社会においては、自己満足度の純度は、落ちる一方です。

 私は、美芸に携わっている人にも、一般の人にも、言いたいのです。

 本当に良い作品(人生)を作りたいなら、神様のような、自己満足度100% で作ってくださいと・・・。

 このように言うのは、自分が、主観者だからです。

 この宇宙には、自分しかいないのです。

 だから、自分が満足する絵を描いたら良いのです。

 雑音を出す、外側の人たちは、幻ですから、何を言われようと、気にしないことです。

 ただし、どんなに、自己満足する絵(人生)を描いたら良い、と言っても、人が嫌がるような絵(人に迷惑をかける人生)を、描いてはなりません。

 自己満足する絵(人生)を、描くにも、条件があるのです。

  • 一つは、真善美を犯さない、描き方(生き方)・・
  • 二つは、中庸を犯さない、描き方(生き方)・・
  • 三つは、宇宙の法則を犯さない、描き方(生き方)です。

 神様が描かれた、自己満足100%の絵は、この三つを満たしている絵ですから、素晴らしい、作品になっているのです。

 私たちも、この三つを守って、絵(人生)を描いたら、素晴らしい絵(人生)が出来上がることでしょう。

 

2019.07.14  

 

 

※ 神様と同じように、私たちも、自己満足度100%の生き方をしたら良いのです。

 人の目を気にせず、明るく、楽しく、生きれば、人とのトラブルも、事故、災難、病気、なども 、一切、起きなくなります。

 自己満足度100%の状態は、光100%の状態ですから、光のあるところに、不幸は、入ってこられないのです。

 自己満足の絵では、自分は喜ばせられても、人を喜ばすことができない、と思うかも知れませんが、人の目を気にして作った絵より、返って、人を喜ばせることができるのです。

 何一つ欲の入っていない、純度100%の絵は、自己満足度100%の神様の絵と同じですから、素晴らしい波動の絵になるのです。

 つまり、自己満足度100%の楽しい生き方をしたら、周りの人たちも、喜ばせることができるのです。

 

 ※ どんなに、真理を学んでいる者同士でも、自覚の境界線を超えるまでは、時には、トラブルを、起こすことがあるのです。

 でも、一般人と違う点は、そのトラブルを、成長につなげている点です。

 ある学びの友が、言っていました。

「あのトラブルのおかげで、色々な気付きが得られ、成長することができました。だから、今は、相手に感謝していますと・・・。」

 また、こうも、言っていました。

「私が成長するくらいだから、相手の学びの友も、成長しているはずだと・・・。」

 神様は、何と素晴らしい仕組みを、お創りになられたことでしょう。

 どんな、悪い事も、すべて、成長につなげてくれている、この有り難さ! 感謝あるのみです。

 

 

 

 

 

物質から霊性へ!


 私たちは、波動の高い天におりました。

 そこでは、波動の高いものは、体験できても、波動の低いものは、体験できません。

 それでは、真の幸せが味わえないので、私たちは、波動の低い体験をするために、わざわざ、記憶を失い、地上界に降りてきたのです。

 記憶を失った状態は、自我の無い状態です。

 これでは、何も認められないので、地上界に降りてきた意味がありません。

 ですから、自我を持つために、鉱物から植物へ、植物から動物へ、動物から人類へと、進化のプロセスを踏んだのです。

 私たちの中に、鉱物・植物・動物の習性が残っているのは、そのような、進化のプロセスを踏んできたからです。

 特に、動物時代の習性は、色濃く残っています。

 未熟な魂が、物欲や性欲に溺れるのは、動物時代の習性が、強く残っているからです。

 これを、私は、第1段階の動物人間の習性と言っています。

 その魂も、人間社会で揉まれるうちに、第二段階の人間的習性を身に付けるようになります。

 つまり、物欲・金欲・地位や名誉欲・権勢欲・自己顕示欲などの人間的欲望を持つのです。

 今の地球人類の多くは、動物の習性と人間の習性を併せ持った、動物人間の状態なのです。

 でも、この状態は、決して、悪いことではありません。

 私たちの目的は、あくまでも、霊性の進化を遂げるためですから、波動の低い人間体験を、数多くすることは、必要なのです。

 ですから、V字の左側の時代は、人間的欲望に溺れて、様々な苦しみを体験するのです。

 苦しい体験をするうちに、人間的欲望の虚しさを知ります。

 知った魂は、V字の右側に入ってきます。

 V字の右側に入ってきた魂は、霊性の進化を遂げる方向へ、自然と舵を切るようになります。

 つまり、人間的欲望から、自然と離れるようになるのです。

 学びの友の皆さんが、あまり、欲望を持たなくなったのは、それだけ、霊性の進化が進んだからです。

 欲望を強く持つか持たないかは、霊性の進化のバロメーターだと思ってください。

 霊性の進化を目指している者に、地位や、名誉や、権力などは、不要です。

 お金も、物も、必要最低限あれば良いのです。

 

2019.07.21  

 

 

※ 物質の世界は、汚いです。醜いです。鈍重です。不自由です。

 霊の世界は、綺麗です。美しいです。精妙です。自由です。

 私たちは、物質人間ではないのです。霊です。

 もう、そろそろ、霊の自分に戻りましょう。

 

※ 私たちは、すでに、肉体と言う、動物を飼っているのです。

 その上、まだ、他の動物を飼うつもりですか?

 私たちは、一日も早く、動物から卒業し、霊性の進化を遂げねばならないのです。

 

※ 鉱物や、植物や、動物たちは、何も悪いことをしていないのに、人間に、虐待され、苦しんでいます。

 何も原因を作っていないのに、彼らは、どうして、痛い目や、苦しい目に、遭うのでしょうか?

 原因と結果の法則は、彼らには、働かないのでしょうか?

 

※ 今の地球人類は、動物と同じ営みをしています。

 食べて出す・・セックスする・・眠る・・すべて、動物的習性です。

 私たちは、一日も早く、霊性の進化を遂げ、動物的習性から抜け出さねばならないのです。

 

※ 私の言ったことを、鵜呑してはなりません。

  私は、その時の状況に応じて、反対のことを言うこともあるのですから・・・。

 

 

 

 

 

現実と真実の違い!


 この宇宙には、ホンモノらしき顔をしているニセモノと、ニセモノらしき顔をしているホンモノが存在します。

 つまり、見えるニセモノと、見えないホンモノが、存在するのです。

 では、本当に実在するのは、見えるモノでしょうか? 見えないモノでしょうか?

 この宇宙は、対になっております。二つで一つなのです。

 二つで一つですが、どちらかが、ホンモノで、どちらかが、ニセモノなのです。

 ニセモノは、実際に無い、現実です。

 ホンモノは、実際に有る、真実です。

 ニセモノの現実は、見えるのです。ホンモノの真実は、見えないのです。

 つまり、「見える・聞こえる・触れる・味わえる・臭えるモノ」は、すべて、幻なのです。

 なぜなら、肉体に付属する、五感そのものが、幻だからです。

 幻の五感で、幻を見聞きしても、それは、幻にしか過ぎないのです。

 もし、五感にかかるモノが、永遠に無くならないなら、私は、五感にかかるモノを追い求めなさいと言います。

 でも、五感にかかるモノは、一時、存在しているだけで、いつか、必ず、無くなってしまうのです。

 無くなるモノを追いかけ、心が満足するはずがありません。

 真実(真理)とは、何でしょうか?

 現実(非真理)とは、何でしょうか?

 真実とは、永遠に無くならないモノ、現実とは、必ず、無くなってしまうモノです。

 何千億年・何兆億年存在しようと、無くなるモノは、真実ではないのです。

 宇宙の無限時間での一兆億年など、一瞬です。

 ましてや、私たちの住んでいる地球は、どんなに長く存在しても、数百億年程度です。

 その地球における、人類の文明も、せいぜい、数万年、維持できれば良い方です。

 更に、今の地球人類の寿命は、どんなに維持できても、百数十年程度です。

 その百数十年程度の命を守ろうとして、競い、闘い、奪い、戦争までしているのが、地球人類なのです。

 それは、真実と現実の見分けが、できていないからです。 

 この表現宇宙は、幻です。

  • 地球も、幻です。
  • 幽界も、幻です。
  • 夢も、幻です。
  • 幻覚も、幻です。
  • 詐欺師の言葉も、幻です。
  • 柳を幽霊と見間違ったのも、幻です。
  • 蜃気楼も、幻です。
  • UFOも、幻です。
  • 物質化現象も、幻です。

 この世の現象は、すべて、幻なのです。

 幻の世界で起きていることは、すべて、幻なのです。

 私たちは、生まれて、死ぬまで、いや、死んだ後も、幻の中で生きて行くのです。

 そして、また、幻の中に生まれ、幻の中で生き、幻の世界に帰って行くのです。

 あなたは、こんな、幻の輪廻を、いつまで、繰り返すつもりですか? 

 幻の中で味わう幸せは、一時です。必ず、色褪せ無くなってしまいます。

 あなたは、そんな、一時の幸せで、満足できますか?

 永遠の私たちは、永遠の幸せを掴まなくては、満足できないはずです。

 その永遠の幸せは、真実を知れば、得られるのです。

 どうか、真実を知ってください。

 そうすれば、幻の輪廻から抜け出し、「永遠に尽きない! 永遠に色褪せない!」幸せを、掴むことができるのですから・・・。

 私たち、そのものが、永遠に無くならない「意識」なのです。

 ただ、その自覚がないだけです。

 どうか、真実と現実を見分ける目を持ってください。

 

2019.07.28  

 

 

※ 二兎追うものは、一兎も得ず・・、虻蜂取らず・・、

 この二つの諺を持ち出すまでもなく、二つのものを追いかけては、一つも得ることはできません。

 ですから、まずは、形の世界の様子を、知りましょう。

 その後、見えない世界の様子を、知れば良いのです。

 

 

 

 

 

鉄は熱いうちに打て!


 「鉄は熱いうちに打て!」と言う諺がありますが、この諺には、2つの意味があります。

  • 一つは、「人は柔軟性のある若い時に鍛えた方が良い、或いは、時期を逸しないうちに実行すべきである」と言う意味・・・、
  • もう一つは、「早い時期に反対の体験をした方が、魂が良く育つ」と言う意味です。

 輪廻転生において、「男・女・男・女・男・女」と、交互に、性別を変えて生まれてくるのは、熱いうちに鉄を打った方が、効果が大きいからです。

 私たちは、なぜ、こんな体験をさせられるのだろうか? と疑問に思うことがあるかも知れませんが、みな、前生の反対の体験をさせられているのです。

 例えば・・、

  • 人をいじめたら、いじめられます。
  • 人を殺したら、殺されます。
  • 人を傷つけたら、傷つけられます。
  • 人を騙したら、騙されます。
  • 人を誘惑したら、誘惑されます。
  • 人を憎んだら、憎み返されます。
  • 人を怒ったら、怒り返されます。
  • 怠けて働かなかったら、強制労働させられます。
  • 物を盗んだら、盗み返されます。

 勿論、良いことも、同じです。

 この反対の体験は、記憶が薄れてからでは、効果が薄いので、記憶の濃い、次生でなされることが多いのです。

 人を、責めたり、なじったり、してはなりません。

 私たちは、国を変え、性別を変え、立場を変えながら、転生を繰り返してゆくのですから、今の立場が優位だからと言って、人を、責めたり、なじったりしたら、必ず、来生、逆の立場に立たされます。

 どうか、立場が優位であればあるほど、自分を戒めてください。

 

2019.08.04  

 

 

※ 人間は、過去に、こだわり過ぎます。

 過去は、閉ざされたページです。

 「過去を清算せよ!」という国がありますが、過去を、どう清算せよと言うのでしょうか?

 お金で清算することを、清算と言うなら、ただ、お金が欲しいだけではありませんか?

 戦争した人たちは、もう、とっくに、死んでいないのです。

 どうして、戦争もしていない子孫が、責任を負う必要があるでしょうか? 

 精算できる過去など、あるわけがないのです。

 もし、あるとすれば、今、仲良くすることです。

 そうすれば、戦争で犠牲になった人達も、きっと、報われるでしょう。

 いつまでも、いがみ合っていては、亡くなった人達は、浮かばれません。

 事実・・彼らは、仲良くして欲しいと、口々に言っています。

 向こうへ帰ったら、波動が高くなるので、寛容な心が持てるようになるのです。

 彼らに報いるのは、靖国神社に、お参りすることでも、慰霊碑に、花束を捧げることでもありません。

 お互い、仲良くすることが、彼らに報いることになるのです。

 

※ 国の威信?・面子?・プライド?・・それって、何ですか?

 単なる自己満足では、ありませんか?

 そのために、戦争までする。こんなことをしているのは、幼い地球人類だけです。

 もう、そろそろ、大人になって良いころです。

 

※「辱めを受けた! 自尊心を傷つけられた!」

 争わないですむなら・・、皆が幸せになるなら・・、

 私は、「人の股をくぐります! 人の足をなめます!」。

 この世は、幻なのですよ。

 肉体は、幻なのですよ。

 神の心は、あっても、人の心など、無いのです。

 傷つけられる人も無ければ、傷つけられる心も無いのです。

 

 

 

 

 

外側の物が内側のモノを進化成長させている!


 外側のモノは、

どんなに、美しく見えても、

どんなに、醜く見えても、

どんなに、楽しく見えても、

どんなに、苦しく見えても、

どんなに、心地良く感じても、

どんなに、痛く感じても、

 現象ですから、みな、幻です。

 でも、その幻によって、心がダメージを受ければ、みな、真実になるのです。

 柳の木を、幽霊と見間違えて、心臓がドキッとした時、柳の木は、真実になるのです。

 木の切り株を、クマと見間違えて、心臓がドキッとした時、木の切り株は、真実になるのです。

 このように、現象であっても、心がダメージを受けた時、現象は、真実になるのです。

 私たちは、五感を持っているため、どうしても、外側の現象の影響を受けてしまうのです。

 でも、これは、決して、悪いことではないのです。

 なぜなら、外側の現象のお蔭で、進化成長できるからです。

 現象を軽んじてはならない、と言うのは、外側の物が、内側のモノ(魂・心)を、進化成長させるからです。

 現象だからと言って、病気を軽んじないでください!。

 必要なら、病院に行き、薬も飲み、手術も受けることです。

 特に、重い外傷は、外科的治療は、必要です。

 私は、真理をやっているから、医者にかからないと言う人は、真理を、生半可に、かじった人です。

 どうか、「現象と真実」は、同等の重みがあることを、知ってください。

 

2019.08.11  

 

 

※ 確かに、現象を軽んじてはなりませんが、現象に惑わされ過ぎてもなりません。

 特に、ここまで、魂の大きくなった皆さんは、現象など、笑い飛ばしてしまいなさい。

 何せ、私たちは、外側の影響を受けない、神なのですから・・。

 「自分は、神である!」と、心の深いところで想えたら、病気などは、もう、他人事です。

 神の世界に、病気など、無いからです。

 あなたは、無限の生命力を持った、神なのですよ!

 ですから、病気になど、絶対ならないのです。

 

※ 悪い想いは、持たないことです。

 想念は、実現の母ですから、悪い想いを持ったら、悪いことが実現するのです。

 いつも、良い想いを持ってください。

 良い想いの一番は、神(あなたのマントラ)です。

 良い想いを持っている時は、悪い想いは持てません。

 良い人生にする秘訣は、常に、神を想い続けることです。

 

 

 

 

 

私が解らない!?


 「私は意識です!」・・と、堂々と言えるのは、今、私と思えている意識を持っているからです。

 でも、意識は、見えませんから、私の意識の正体が解らないのです。

 一体、私の意識は、何処から来ているのでしょうか?

 私の意識は、何なのでしょうか?

 一体、私は、誰なのでしょうか?

 解りません?

 私が、解らない?

  • どうして、このような想いが湧いてくるのか、解らない?
  • どうして、こんな言葉が出てくるのか、解らない?
  • どうして、こんなことをするのか、解らない?

 私が、解らない?

  • どうして、憎しみが湧いてくるのか、解らない?
  • どうして、愛おしくなるのか、解らない?
  • どうして、こんな感情が湧いてくるのか、解らない?

 私が、解らない?

  • どうして、悲しくなるのか、解らない?
  • どうして、嬉しくなるのか、解らない?
  • どうして、こんな想いが湧いてくるのか、解らない?

 解らない尽くめの私です。でも、それで良いのです。

 もし、私が解ったら、私(自分)が消えてしまうからです。

 私たちは、永遠に解らない、私(自分)と一緒に、永遠に生きてゆくのです。

 

2019.08.18  

 

 

※ 続けることの大切さを知らない人は、真理を知らない人です。

 

※ 神の別名は、「不明」です。 神は、不明なのです。

 不明なモノに、「神」と、名付けただけです。

 ならば、不明な私の意識は、神ではないでしょうか?

 そうです。不明な私の意識は、「不明な神」なのです。

 

※ 神を深く知ると、もう・・神に降参するしかありません。

 なぜなら、神に逆らっても、勝てないことが分かるからです。

 まさに、「バンザイです!」、 「お手上げです!」、 白旗を揚げるしかありません。

 神を知らない人は、痛い、苦しい、と言いながら、神に、手向っています。

 手向かえば、手向かうほど、苦しくなると言うのに、・・・です。

 でも、魂(原子核)が成熟するまでは、仕方のないことかも知れません。

 

 

 

 

 

サタンは味方!


 サタンは、まだ、幼いから、悪さをしていることが、自分たちの居場所を少なくしていることに、気づかないのです。

 闇が、濃くなれば、なるほど、光は、強くなるのです。

 つまり、サタンが、悪さをすれば、するほど、私たちは、強くなるのです。

 だから、サタンは、味方だと言うのです。

 神が創られた完全な宇宙に、悪が悪で終わることは、無いのです。

 もし、悪が悪で終わるなら、神は、完全でなくなってしまいます。

 悪いことの背後には、必ず、良いことが連なっているのです。

 サタンが、このことを知ったら、サタンは、悪さをしなくなるでしょう。

 でも、幼いサタンは、このことを知りませんので、悪さをして、自分たちの居場所を増やそうとしているのです。

 悪さをすれば、するほど、自分たちの居場所が、少なくなると言うのに・・・です。

 サタンが、生き残りたいなら、大人しくしていることです。

 そうすれば、居場所は、少なくなっても、生き残れるでしょう。

 でも、このことは、サタンに内緒にしておいてください。

 サタンが、このことを知って、悪さをしなくなったら、私たちは、強くなれないのですから・・・。

 悪を恐れないでください! サタンを恐れないでください!

 どんな、悪いことも、成長につながっている、と思ってください!

 私たちが、今日、ここまで、成長してこられたのは、サタンの悪さのお陰なのですから・・・。

 

2019.08.25  

 

 

※ 求道者の玄人と素人の見分け方

  • 悪が成長の糧になっていると思える人は、求道者としては、玄人です。
  • 悪の体験が終わって、全く、悪心を持たなくなった人は、玄人中の玄人です。
  • 思いを内に向けている人は、玄人です。思いを外に向けている人は、素人です。
  • 続けることの重要性を知らない人は、素人です。
  • 現象を追いかけている人は、素人です。
  • 宗教に誘っている人、宗教に入っている人は、どちらも、素人です。
  • 知識を光らかす人は、素人です。
  • お寺や神社に入り浸っている人は、素人です。
  • ジャングルや洞窟の中で悟ろうとしている人は、素人です。
  • 肉体業をやって悟ろうとしている人は、素人です。
  • 宗教大学で教えている教師、学んでいる生徒は、全くの素人です。
  • 他力を信じている人は、求道者の資格は、ありません。

 

 

 

 

 

エネルギーロスを無くそう!


 世の中には、無名な時は、良い成績を残しますが、名前が知れるにしたがい、段々と成績を落とす、アスリートがおります。

 これは、エネルギーロスが、多くなったからです。

 エネルギーロスは、意識を外側に向けた時に起きるのです。

 例えば、

  • 賞金を稼がなくてはならない!・・、
  • ランキングを上げなくてはならない!・・、
  • スポンサーの期待に応えなくてはならない!・・、
  • ファンの期待に応えなくてはならない!・・、
  • 国のため!・・、
  • メダルのため!・・、

 このように、意識を外側に向けると、エネルギーロスを起こすため、良い成績が残せなくなるのです。

 意識は、「エネルギーであり、光なのです。」

 この表現世界は、エネルギー(光)が、強ければ、良いことが起き、弱ければ、悪いことが起きるようになっているのです。

 先が見え、勝ったと思った瞬間、逆転されるのは、未来に(外側に)意識を向け、エネルギーロスを起こしたからです。

 これは、学びについても、言えることです。

 未来のことを、クヨクヨ考える人がおりますが、明日があるか、どうか、分からないのですよ!

 あるか、どうか、分からない、明日のために、エネルギーを使う、こんな、大損ありません。

 「明日」あるか、どうかの保証は、誰にもないのです。

 でも、「今」の保証は、確実にあるのです。

 確実に保証されている、「今」のために、エネルギーを使いましょう。

 今だけが、実在です。今だけが、あるのです。今だけに、生きられるのです。

 と言うことは、今だけしか、学べないと言うことです。

 明日、学べる保証はないのです。

 なぜなら、明日、地球が無くなるかも知れないからです。

 明日、肉体が無くなるかも知れないからです。

 どうか、確実に保証されている、今に生きてください。

 

2019.09.01  

 

 

※「求めよさらば与えられん!」・・これは、真理です。

  • 空腹を満たしたい者は、自分の方から、餌を探しに行きます。待っていて、餌がやってくることはありません。
  • 果物が食べたかったら、樹に登ることです。樹の下で、いくら口を開けて待っていても、食べられません。

 

※ この世のことを色々と、考えることも、境界線を超えたいと、考えることも、外側に意識を向けることになるので、エネルギーロスを起こします。

 瞑想する時は、何も考えず、ただ、ただ、神(マントラ)に、想い (エネルギー) を集中させることです。

 

 

 

 

 

皆さんは・・ 名作家であり、名演出家であり、名監督であり、名演技者です。


 皆さんの今日までの人生ドラマは、自分が筋書を書き、自分が演出をし、自分が監督をし、自分自身が演じてきたのです。

  • この時代に、この国に、こんな家に、男性(女性)として生まれましょう!
  • このような学校に入り、このような仕事に就き、このような生活基盤を作りましょう!
  • この時期に、このような人と結婚し、何人、子供を設けましょう!
  • この時期に、会社の倒産やリストラを体験したり、離婚を体験したり、事故や病気を体験したりして、人生に疑問を持つようになりましょう!
  • それが、きっかけで、真理に目覚めましょう!

 この学びの場に来る筋書きを書いたのも、皆さん自身です。

 だから、皆さんは、名作家であり、名演出家であり、名監督であり、名演技者であると言うのです。

 自作自演の人生ドラマです。

 そのドラマの内容は、みな、進化成長に結びついているのです。

 だから、苦しい人生だったからと言って、失敗だと思わないでください。

 失敗どころか、大成功です。

 なぜなら、苦しい人生が、今のあなたにしたからです。

 

2019.09.08    

 

 

※ 人生は、夢幻です。

 あなたは、今、 夢幻の中で、「泣き笑いしながら・・それも、必死になって・・」生きているのです。

 でも、その夢幻の人生が、あなたを、成長させてくれるのです。

 

※ あなたが、生まれてきたのは、結婚するためでも!、子供を設けるためでも!、金持ちになるためでも!、名を挙げるためでも!、ありません。

 本当の自分を知るために、生まれてきたのです。

 どんなに、この世の宝物を得ても、この世限りです。

 でも、自分を知った宝物は、永遠なのです。

 

 

 

 

 

究極の学びは?


 究極の学びは、想念を正しく使えるようになることです。

 想念を正しく使えば、「究極の幸せ」の中に、入ることができるからです。

 世界が、何かが、誰かが、「究極の幸せ」の中に、連れて行ってくれるのではないのです。

 自分の想念が、「究極の幸せ」の中に、連れて行ってくれるのです。

  • 幽界も、幻です。
  • 表現世界も、幻です。
  • 夢も、幻です。
  • UFOも、幻です。
  • 物質化現象も、幻です。
  • 幻覚も、幻です。

 表現されたモノは、みな、幻なのです。

 そんな、幻が、究極の幸せの中に、連れて行ってくれるわけがありません。

 究極の幸せの中に、連れて行ってくれるのは、自分の想念だけです。

 やることは、単純です。ただ、ポジティブな想いを持てば良いだけです。

 つまり、

明るい想いを持つこと・・、

前向きな想いを持つこと・・、

建設的な想いを持つこと・・、

肯定的な想いを持つこと・・、です。

 一番、良い想いは、神を想うことです。

 宇宙のどんな生命体も、究極の幸せを、欲しているのです。

 だから、彼らは、常に、良い想いを持つよう、心掛けているのです。

 

2019.09.15  

 

 

※ 私たちが、やるべきことは、簡単です。単純です。

 難しいことは、何一つ、ありません。

 ただ、動くだけです。ただ、想う(瞑想)だけです。

 やれば、間違いなく、自覚の境界線に、近づくことができます。

 

 

 

 

 

言葉(名前)や文字や絵が必要な理由!?


 どうして、言葉が、必要なのでしょうか?

 どうして、名前が、必要なのでしょうか?

 どうして、文字や絵が、必要なのでしょうか?

 それは、「何か」が有ると、認識しただけでは、有ることにならないからです。

 なぜなら、認識した「何か」に、何の具体性もないからです。

 認識した「何か」に、具体性を持たせて、はじめて、「何か」が有ることになるのです。

 具体性を持たせるためには、言葉や、名前や、文字や絵が、必要なのです。

  • 「何か」を、認識した状態・・具体性のない状態
  • 「何か」を、思った状態・・少し具体性の出来た状態
  • 「何か」を、言葉にした状態・・具体性が出来た状態
  • 「何か」に、名前を付けた状態・・更に、具体性が出来た状態
  • 「何か」を、文字や絵にした状態・・更に、更に、具体性が出来た状態

 例えば、「何か」を認識したとしましょう。

 この状態では、具体性がないので、その「何か」は、存在していません。

 その認識した「何か」を「丸い星」だと「思った」としましょう。

 しかし、思っただけでは、具体性がないので、その「丸い星」は、まだ、存在していません。

 「丸い星」と言葉にしたら、具体性ができたので、その「丸い星」は、存在することになります。

 更に、「丸い星」と、名を付けたら、なお、具体性ができたので、存在感が増します。

 更に、「丸い星」を、文字や絵にしたら、更に、更に、具体性ができたので、益々、存在感が増すのです。

 この表現世界は、波動が荒い世界なので、「思い」だけでは、相手に伝わらないのです。

 「思い」を、相手に伝えるためには、具体性の有る「言葉(名前)や、文字や絵」にする必要があるのです。

 

2019.09.22  

 

 

※ 言葉と名前は、同じです。

 例えば、「丸い星」と言葉にしたとしましょう。

 その「丸い星」と言う言葉は、すでに、名前なのです。

 名前は、具体性を持った言葉であり、言葉は、具体性を持った名前なのです。

 その意味では、名前を付けた途端に、言葉が生まれたと言ってもいいし、言葉が生まれた途端に、名前が生まれたと言ってもいいのです。

 

※ この表現宇宙には、「音」が存在しますが、「音」は、「響き」であり、「波動」なのです。

 その音(響き・波動)は、言葉であり、名前なのです。

 「ア・イ・ウ・エ・オ」の音(響き・波動)そのものが、言葉であり、名前になっているのです。

「認識・思い」は、音になっていませんので、言葉にも、名前にも、なっていません。

 それでは、その「認識・思い」は、存在していないことになるのです。

 認識(思い)を、言葉(音・響き・波動)にして、はじめて、認識(思い)が存在したことになるのです。

 

※ 意識の世界で使われている、テレパシーは、想いの籠もった言葉です。

 ですから、寸分も狂わず、自分の想いが相手に伝わるのです。

 意識の世界に、言葉が要らない理由は、テレパシー(想い)そのものが、「言葉(音・響き・波動・名前)」になっているからです。

 

※「ここに、何かが有る! あそこに、何かが有る!」と言う認識だけでは、その何かは、存在していないのです。

 その何かに、名前をつけ(言葉や文字に表現して)、はじめて、何かが存在していることになるのです。

 名のない何かは、存在していないのと同じなのです。だから、どうしても、名前が必要なのです。

 

※ 名前が持つ使命は、他のモノと区別するためと、そのモノの役割や目的を知るためです。

 例えば、鉱物の名だけでは、漠然としていて分かりませんが、「石」とか、「銅」とか、「鉄」とか、名前を付ければ、分かります。

 更に、「鉄」を加工したモノに、ナイフだとか、鍋だとか、スプーンだとか、名前を付ければ、そのモノの役割や使命が、はっきりと分かります。

 

※ 神が人類になったのですから、「神の名」を「人類の名」に置き換えたら良いのです。

 「神の名」 イコール 「人類の名」なのです。

 人類と言う、名前(言葉)は、人類が、神であることを教えてくれる、名前なのです。

 

 

 

 

 

神の完全性!


 この物質世界は、片方は、満足させられても、もう片方は、満足させられない、世界なのです。

 なぜなら、同一空間に、2つの物が同居できない、世界だからです。

 ここに、一軒の家があったとしましょう。

 その家に、二人の人がやってきて、住もうとしました。

 でも、小さな家なので、二人は住めません。

 そこで、家の奪い合いになりました。

 力のない者は、負けて、寒空に追い出され、力のある者は、勝って、家でぬくぬく過ごすことができました。

  • 良いものがあれば、悪いものもある。
  • 楽しいものもあれば、苦しいものもある。
  • 光があれば、闇もある。
  • 幸せもあれば、不幸もある。

 それが、この物質の世界なのです。

 でも、そのような世界だから、成長できるのですから、有り難い世界なのです。

 良いものばかりある世界なら、私たちは、ひ弱に育ってしまうでしょう。

 神の完全性は・・悪が善に結びついており、不完全が完全に結びついており、不幸が幸せに結びついており、苦しみが進化成長に結びついているからです。

 

2019.09.29  

  

※ ある政治家は、万民に良いと思って、ある政策を実施しました。

 でも、その政策を実施したために、都合の悪い人たちが出てきました。

 しかし、反対に、旧来の政策で苦しんでいた人たちは、都合が良くなったと、喜んでいます。

 万民に良い政策など、この世にはないのです。

 でも、それで良いのです。

 なぜなら、万民に良い政策なら、進化成長できないからです。

 この世界で、うかつに、良し悪しを口にできないのは、都合の良い人と都合の悪い人がいるからです。

 

※ この世に、完全な人などいないのです。

 誰でも、心で、悪を犯し、罪を作っているのです。

 ですから、悪を犯しているからと言って、人を責めてはなりません。

 誰も、人を責める資格など、無いのです。

 

 

 

 

 

幻である証拠


 私たちは、毎日、人の死を、見せられています。

 また、状況が、刻々、変わってゆくのも、見せられています。

 にもかかわらず、全員が全員、四苦八苦して生きています。

 それは、この世が、本当に有ると思っているからです。

 「人が死んだり、状況が変わったりするのは、この世が、幻である、証拠なのです。」

 本当に有る世界なら、人が死ぬことも無いし、状況が変わることも無いからです。

 でも、殆どの人が、そのことに、気付いていないのです。

 この世が、幻の世界なら、五十歩百歩の生き方をしたら、良いのではありませんか?

 どんなに、苦労して、お金を集めても、みな、置いて帰らねばならないのですからね。

 このように、言うのは、皆さんが、熟した魂だからです。

 幼い魂は、四苦八苦して、魂を大きくすることが必要ですが、皆さんのような、熟した魂は、そこを、卒業したのですから、もう、四苦八苦して生きる必要はないのです。

 だから、いい加減に生きなさい! と言っているわけではありません。

 何事も、真心を込めて、やってください。

 真心を込めてやれば、原子核を増やすことができるのですから・・・。

 

2019.10.06  

 

 

※ 皆さんは、「名作家であり、名演出者であり、名監督であり、名演技者です。」

 名ぜですか?(なぜですか?)と言う、問題を出しました。

 答えを教えましょう!

 皆さんは、「自分の魂を大きくする」筋書きを、自分で書き、自分で演出をし、自分で監督をし、自分で演技して、ここまで、成長してきた、求道者です。

 だから、頭に「名」と付けたのです。 

 

※ 神は、人類に、すべてのモノに、「名」を付けさせました。

 なぜ、「名」を付けさせたかと言いますと、「名」付けられたモノが、すべて、神であることを、知ってもらいたいためです。

 しかし、人類は、「名」付けた「名」に惑わされ、神が、不明になってしまったのです。

 私たちは、「名」を遡って、神を知らなければならないのです。

 

 

 

 

 

人を罰する権利


 人を裁き罰する権利は、国が持っているのでしょうか?、裁判官が持っているのでしょうか? いいえ、自分が持っているのです。

 なぜなら、自分の中に、自分を裁き、自分を罰する法則が存在するからです。 

 人が人を裁くことは、できません。

 なぜなら、人は、間違いを犯すからです。

 でも、自分の中にある法則は、絶対、間違いを犯すことはありません。

 寸分も狂わぬ、裁きと罰を与えます。それも、公平な裁きと公平な罰です。

 確かに、寸分の狂いもない法則ではありますが、国の法律に、恩赦があるように、法則にも、恩赦はあるのです。

 それは、心から反省した者に与えられる恩赦です。

 「二度と罪を犯さない!」と、固く心に誓った途端、自分が、自分に、恩赦を与えるのです。

 でも、罪が許されるわけではありません。

 苦しみや、悲しみを、何回かに分けて緩和する、恩情の恩赦であり、

 苦しみや、悲しみを、別な形に変えて与える、恩情の恩赦です。

 でも、恩赦を当てにしなくても、痛みや苦しみと言う形で、刻々と、罪は消されているのです。

 痛みや苦しみは、業が消えている姿なのです。

 ですから、痛みや苦しみが、やってきたら、「ああ! 今、業が消えているのだ! 有り難いことだ!」と思ってください。

 そこで、心配や、悩みや、怒りなどを持つから、また、新たな業を作ってしまうのです。

 過去世で作った業の記憶がありませんから、どうして、自分は、こんなに、苦しまねばならないのだと、思うかも知れませんが、「原因と結果の法則」は、絶対、間違いを犯すことはありません。

 あなたは、過去、白板に、悪い文字を書いたのです。

 その書いた文字は、苦しみとして、降りてくるのです。

 ですから、甘んじて、苦しみを受け取るしかないのです。

 でも、良く受け取ってください。

 この苦しみを乗り越えることで、自分は、大きく成長できるのだと・・・。

 実際に、あなたは、成長しているのですから・・・。

 苦しんだ者は、必ず、成長します。

 今、解らなくても、いつか、分かる時が来ます。

 

2019.10.13  

 

 

※ 真心を持って当たる!

※ 今、自分がやれることを、精一杯やる!

※ どこまでも、神を信じる!

※ この世は、学びの場である!

※ この世は、消えてなくなる、無常の世である!

  だから・・命をかけるほど、価値のある世界ではない!

※ 山より、大きな、クマは出てこない!

 

 

 

 

 

「身・口・意」の正しい使い方


 「身・口・意を正しく使いなさい!」と、覚者が、クドいほど言うのは、見える表現世界で、学んでおかなくては、意識の世界へ帰って、苦労するからです。

 「意」は、見えませんが、「身と口」は、見えるのです。

 つまり、「思・想」いは、見えませんが、「言葉や文字」は、見えるのです。

 見えない「想」いが、見える「身と口」によって、表現されるのが、この表現世界なのです。

 私たちは、生まれた時から、両親から、言葉の使い方を教わります。

 また、学校で、文字や絵の書き方を教わります。

 でも、思いは、誰に教わらなくても使えます。

 思いは、万国共通なのです。いや、宇宙共通なのです。

 言葉や文字は、「星によって」、「国によって」、「人種によって」、違うので、いちいち、覚えねばなりませんが、思いは、宇宙共通ですから、学ぶ必要がないのです。

 意識の世界では、テレパシーを使っているため、想いを、何か(言葉や文字)に表わす必要がありません。

 想ったら、そく、相手に伝わるのです。

 それも、寸分、狂わず、相手に伝わるのです。

 だから、意識の世界では、うかつなことは、想えないのです。

 今、私たちは、言葉や文字を使って、コミュニケーションを取っていますが、たとえ、悪い言葉や文字を使っても、相手に伝える前に、訂正できます。

 でも、意識の世界は、思った瞬間、相手に伝わるので、訂正できないのです。

 ですから、表現世界にいる間に、悪い想いを持たないよう、訓練する必要があるのです。

 それは、「身・口・意」を正しく使えるようにすることで、可能なのです。

 

2019.10.20  

 

 

 

 

  

煩わしさからの開放


 煩わしさを、多く体験した人は、どうしたら、煩わしさから、抜け出せるか、考えるようになります。

 これは、真理を学ぶ、きっかけになるのです。

 真理を学ぶようになると、この世が、幻だと言うことを知りますので、五十歩の生き方をするようになります。

 五十歩の生き方をするようになると、煩わしさが、少なくなるのです。

 私の体験を、お話しましょう。

 五十歩の生き方をするようになった、私は、今、車を持っていません。

 車を乗らなくなると、

  • 免許更新する、必要がありません。
  • 車庫も、必要ありません。
  • 車検も、必要ありません。
  • 車のケアも、必要ありません。
  • 新車に乗り換えることも、必要ありません。
  • 自動車保険も、入る必要ありません。
  • 自動車税も、払う必要がありません。

 また、自動車に乗らなくなると、雑念も、少なくなります。

 例えば、道路状況のこと、通行料のこと、天候のことなど、車に関することは、一切、考えなくて良くなります。

 車を乗らなくなっただけでも、これだけ、煩わしさや、雑念から、開放されるのですから、他の面でも、五十歩の生き方をしたら、どれほど、煩わしさから、開放されることでしょう。

 例えば、

  • 人との付き合いも、そこそこに・・
  • 買い物も、近くのコンビニで、そこそこに・・
  • 旅行も、そこそこに・・
  • 外食も、そこそこに・・
  • テレビを見るのも、そこそこに・・

 このような、五十歩の生き方をしたら、煩わしさが、少なくなるので、時間が余るようになります。

 そうなると、瞑想の時間が、多く持てるようになるのです。

 一般の人は、煩わしさを、多く体験して、成長する必要がありますが、

 学びの友の皆さんは、そんな時代は、終わったのですから、できるだけ、煩わしさから、開放されるべきなのです。

 

2019.10.27  

 

 

※ この世のことは、五十歩で、やってください。

 でも、原子核を増やすことは、百歩で、やってください。

 

※ この世は、夢幻の世界ですから、何が起きても、不思議ではありません。

 何が起きても、不思議でない、と言う意味は、

 「何でも想念で作れる世界だから!」、と言う意味です。

 

※ ヒラメキは、「純な想いの人」のところに、降りてきます。

 「自分を良く見せたいと思う人」のところには、降りてきません。

 神も、「純に神を求める人」のところに、降りてきます。

 「この世のご利益を得たい!」、「神秘力を身に付けたい!」、と言う人のところには、降りてきません。

 

 

 

 

 

誰も人を責めることはできない!


 罪を犯した人を、責めてはなりません。

 また、罪を犯した自分も、責めてはなりません。

 なぜなら、カツオ節を見せられ、食べない猫がいないように、肉体を持った人間が、罪を犯すのは、仕方のないことだからです。

 人は、罪を犯し、苦しい体験をし、成長してゆくのです。

 悲しいことですが、この身で、苦しい体験をしなくては、人は、成長できないのです。

 「肉体は、苦しんでいるけど、魂は、喜んでいる!」と言われるのは、肉が、苦しめば、苦しむほど、魂は、成長できるからです。

 私たちが、この厳しい荒野に、肉体を持って出てきたのは、魂を大きくするためです。

 相対の世界は、それができる、世界なのです。

 なぜなら、人の欠点を見て、自分の欠点に気づける、世界だからです。

 この相対の世界は、鏡のような、世界なのです。相手は、鏡なのです。

 相手が、自分の欠点を写してくれているのです。

 人の欠点が、気になるのは、自分の中に、同じ欠点があるからです。

 自分の中に無いものは、気にならないし、見せられないのです。

 もし、人の欠点が気になったら、自分の中に、その欠点があるからだと思ってください。

 そのように、受け取れば、相手を責めることはありません。

 いや、責めるどころか、感謝できるでしょう。

 その人は、自分の欠点を教えてくれた、恩人なのですから・・・。

 自分一人では、自分の欠点に、気づけないことを知ってください。

 

2019.11.03  

 

 

※ 不幸せな人とは、全く、神を信じられない人のことです。

  幸せな人とは、心から、神を信じられる人のことです。

  心穏やかで有りたかったら、心から、神を信じましょう!

 

※ 学びの友の皆さんは、今、大変な、学びをしているのです。

 皆さんは、人生の一生や二生のことを、学んでいるのではないのです。

 永遠の生のことを、学んでいるのです。

 こんな凄い学びが、他にありましょうか?

 

※ この世のことを、色々想う人は、想念の使い方の下手な人です。

  神を想う人は、想念の使い方の上手な人です。

 

※ 成就したければ、決定語を使おう!

  誰々は、神の子である!

  あなたは、神の子である!

  私は、神の子である!

 「吾神なり!」は、決定語です。

 

 

 

 

 

知る


 「知る」には、二通りの「知る」があります。

 一つは、頭で知った知るです。

 この頭で知った知るは、単なる「知識」です。

 もう一つは、頭で知ったことを身体で体験し、「体験知」に変えた「知る」です。

 頭で知った知るは、体験の無い知るですから、知恵になっていません。

 ですから、頭で知った「知る」は、原子核を、あまり、増やさないのです。

 でも、「体験知」に変えた知るは、知恵になっているので、原子核を、大きく、増やすのです。

 「体験」と言う字の意味を考えてみましょう。

 この字の意味は、「体」で「経験する」と言う意味です。

 体を動かして、経験すれば、より、原子核を増やすのです。

 年寄りが知恵者だと言われるのは、年の数ほど、身体で体験し、知恵に変えてきたからです。

 若者は知識を得ても、まだ、体験が少ないので、知恵者になっていないのです。

 今、多くの人が、人生の荒波に揉まれ、苦しんでいますが、それは、知識を知恵に変えている、真っ最中の姿なのです。

 つまり、原子核を増やしている、真っ最中だと言うことです。

 

2019.11.10  

 

 

※ 「一度、知ったことは、二度と、知ることができません!」

 なぜなら、知れば、原子核が増え、理解力が高まるため、同じような知り方ができなくなるからです。

 このことは、知る前のあなたの背丈と、知った後のあなたの背丈は、違うため、二度と、同じ景色が見られないと言う、例えで、解ってもらえると思います。

 その時の背丈で知ったことは、その背丈限りの知ったことなのです。

 

※ 知ることは、とても、大切です。

 なぜなら、知れば、過ちを犯さなくなるからです。

 でも、知っても、過ちを犯す、幼い魂がおります。

 それは、知ったことを、疑っているからです。

 その者は、過ちを犯して、痛い目にあって、疑いを晴らすしかないのです。

 でも、それで、良いのです。

 なぜなら、過ちを犯すことによって、原子核を増やすことができるからです。

 

 

 

 

 

自己満足で良い!


 需要と供給は、常に、一致していなければなりません。

 でも、それを、主導するのは、需要者の方です。

 なぜなら、この宇宙には、需要者しかいないからです。

 よく、考えてみてください。

 供給は、需要が決めるのです。需要者側が望み、供給されるのです。

 それは、需要者が、供給物を創るからです。

 つまり、認識者(需要)が、認識されるもの(供給)を創るからです。

 受け取る側が、主体者なのです。

 ですから、受け取り方 次第で、価値が変わるのです。

 例えば、郵便物が配達されても、受け取る人がいなかったら、その郵便物は、無かったことになります。

 たとえ、受け取っても、受け取る人が、満足しない、郵便物は、すぐに、ゴミ箱ゆきになってしまいます。

 受け取る人が、満足して、はじめて、その郵便物に、価値が生まれるのです。

 満足しなかったら、と言う意味は、その郵便物が、何なのか、理解されない郵便物は? と言う意味で、理解されない郵便物は、無価値になってしまうのです。

 だから、私は、「受け取る側が、大切ですよ!」と言うのです。

 郵便物を、良くも、悪くも、するのは、つまり、活かすも、殺すも、するのは、受け取り側 次第だと言うことです。

 私が「何でも良く受け取りなさい!」と言うのは、良く(理解して)受け取らなければ、悪い郵便物になってしまうからです。

 つまり、受け取る側に、理解力がなければ、その郵便物は、意味のない郵便物になってしまうからです。

 ですから、需要者側の能力(理解力)、あるいは、対応力が、とても、大切になってくるのです。

 今の社会は、供給者の方が、主導権を握り、需要者側が、踊らされている、不思議な社会なのです。

 だから、畑で作物を腐らす、無駄なことが起きるのです。

 この宇宙には、主観者しかいないのです。

 主観者しかいないのですから、配達される郵便物の中身は、主観者の都合の良いモノばかりのはずです。

 でも、自我は、そのことが、解りませんので、折角、価値のある郵便物を、無価値にしてしまうのです。

 つまり、成長のために与えられた、郵便物(痛み、苦しみ)を、無駄にしてしまうのです。

 無駄にするならまだしも、悪く受け取り、悪業さえ、作ってしまうのです。

 何と、悲しいことでしょう!

 主観者 (需要者・認識者)しか存在しないのですから、人を満足させようと、考えなくても良いのです。

 自分が成長すれば、良いのですから、自己満足で良いのです。(いない人を成長させようとするのは、矛盾である)

 私は、自分の成長のために、勉強会で、お話ししているのです。

 また、光のメロディーも、自分が満足したくて、作っているのです。

 作ってくれている人は、みな、私だからです。

 

2019.11.17  

  

 

※ どんなことにも、「意味」がある。

 それは、その中に、神の思いの味が、含まれているからです。

 神は、私たちに、進化成長してもらいたいのですから、何が起きても、その中に、進化してもらいたい、神の思いの味が入っているのです。

 「意」とは、神の想いです。

 「味」とは、神が、何を、どう望んでいるかの味です。

 

 

 

 

 

言葉の使い方


 言うことは、自由だからと言って、何でも言って良いわけではないのです。

 この宇宙には、守らねばならない、言葉のルールがあるのです。

 どんなルールかと言いますと、「相手の気持を考え語りなさい!」と言うルールです。

 例えば、医者が、患者に、良かれと思って語ったことが、かえって、病気を重くする場合があります。

 これは、医者の言うことを、悪く受け取った、患者の責任ですが、悪く受け取られるような言い方をした、医者の責任でもあるのです。

 もし、患者さんにとって、良い言葉なら、原因が良いわけですから、悪い結果が起きるはずがないのです。

 それほど、言葉は、受け取る人に影響を与えるのです。

 特に、医者の言葉は、威厳がありますから、よくよく、注意して語らねばならないのです。

 では、どのように、語れば良いのでしょうか?

 それは、相手の望む言葉を選んで語ることです。

 ただし、語る側が未熟であれば、相手の望む言葉が分かりませんから、相手を傷つける言葉を使うかも知れません。

 前述した、医者の言葉が患者の病を重くしたのは、相手の望む言葉で語れなかったからです。

 良かれと思って、語ったわけですから、医者に責任がないように思いますが、医者の言葉で、患者が心配し、病気を重くしたわけですから、大いに、医者に責任があるのです。

 この責任のお咎めは、いつか、何らかの形でやってきます。

 お咎めがなかったら、自分の言葉で、患者を傷つけたことが、分からないからです。

 こう言ったことは、私たちの日々の生活で、到るところで、見られるのです。

  • できるだけ、濁音の言葉は、使わないことです。(バカ・ブス・ダメ・ドジ、など)
  • できるだけ、否定語は、使わないことです。
  • 人を嫌な気分にさせる、暗い言葉は、使わないことです。
  • ネガティブな言葉は、使わないことです。

 おべんちゃらを言いなさいとは言いませんが、できるだけ、気分の良くなる言葉を使うことです。その方が、お互いのためです。

 人の言葉は、神の言葉と同じ威力があるのですから、よくよく、注意して語らねばならないのです。

 どうか、相手の気持を考え、語ってください。

 相手の気持を察する学びも、学びの一つです。

 

2019.11.24  

 

 

※ 人を言葉で諭したい気持ちは分かりますが、人を言葉で諭すことはできません。

 人を諭すことができるのは、唯一、体験による「原因と結果」の法則です。

 体験だけが、人を諭すことができるのです。

 

※ 言葉は、恐ろしくもあり、素晴らしくもあります。

 良い言葉を使えば、良いことが・・、悪い言葉を使えば、悪いことが・・・、

 言葉の使い方一つで、人生を、良くも、悪くも、できるのです。

 どうか、言葉の偉大さを知ってください。

 

※「沈黙は金」と言う、格言がありますが、ここで、学びを深めている皆さんは、できるだけ、沈黙を守ってください。

 喋りすぎると、見透かされますよ!

 

 

 

 

 

第三の幸せとは?


 幸せとは、意識状態です!

 意識状態ですから、体験した本人にしか分かりません。

 特に、これから説明する、第三の幸せは、文字や言葉で伝えようのない幸せです。

 どんな幸せかと言いますと、「意識が意識で味わう幸せです。」

 私は、これまで、二つの幸せについて、お話してきました。

  • 一つは、理解力で味わう幸せ・・、
  • もう一つは、意識的五感で味わう幸せです。

 でも、この二つの幸せを味わうためには、条件が必要でした。

 しかし、「意識が意識で味わう幸せ」には、条件がないのです。

 なぜか解らないけれど、

「ただただ、嬉しいのです!」

「ただただ、楽しいのです!」

「ただただ、幸せなのです!」

 この条件なしの幸せこそが、究極の幸せなのです。

 ただし、この幸せを味わうためには、心の底で「自分は神である!」と言う自覚が必要です。

 なぜなら、神意識そのものが、究極の幸せを備えているからです。

 自我意識も、神意識ではありますが、今の私たちは、神意識の糸の下の方に意識を落としているため、心の底で神だと思えない状態なのです。

 ですから、今の私たちは、幸せに満ちた神意識を味わえないのです。

 味わうためには、どうしても、神の自覚が必要なのです。

 どうか、原子核を増やし、自覚の境界線を超えてください。

 超えたら、幸せに満ちた神意識を味わえるでしょう。

 

2019.12.01  

 

 

※ 学びの友の一人が、こんな素敵なメールを送ってくれました。

  感動したので、皆さんにも、ご披露したいと思います。

 

母が、私が葛粉で作った羊羹を食べながら・・・

「幸せ~~」「幸せ~~」と何度も言ってくれました。

「ありがとう」は、最近頻繁に言ってくれていましたが・・・

「幸せ~~」は、初めてでした。

体は動かなくて不自由でも、心は幸せを本当に感じてくれているのが、表情でわかりました。

そこで、「幸せ」は、「ありがとう」の数十倍嬉しいのだと感じました。

そして、気づいたのです。

「ありがとう」は相手に言う言葉ですが、「幸せ」は自分に言う言葉だと言うことを・・・。

この宇宙には、自分しかいないから・・・母が自分に「幸せ~~」と言っているのを聞いて、その自分である私もすごく「幸せ^^」を感じたのです。

不思議・・・この感覚!!

「幸せ」という言葉は、主観的言葉なのですね・・・

 

 

※ この表現世界は、次から次へと変化する、無常の世界です。

 その世界に、確かなモノが有るとすれば、それは、幸せだけです。

 なぜなら、幸せは、実在だからです。

 この宇宙に存在している、全ての生命体は、幸せだけを欲しているのです。

 

 

 

 

 

かとう塾は、私一代限り


 「かとう塾」は、私一代限りの塾です。

 誰かに引き継がせるつもりはありません。また、引き継がせることもできません。

 なぜなら、その人の器量(波動)で塾を持ち、その人の器量(波動)で塾生を呼ぶからです。

 私は、自分の器量(波動)で塾を持ち、自分の器量(波動)で塾生を呼んだのです。

 もし、塾を持ちたいなら、自分の器量(波動)で塾を持ち、自分の器量(波動)で塾生を集めてください。

 知花先生に、引き継ぐ弟子がいなかったように、私にも、引き継ぐ弟子はおりません。

 いるのは、学びの友の皆さんたちだけです。

 人の成長のことなど、考えなくても良いのです。

 自分の成長のことだけ考え、真理を学び続けてください。

 それは、続けることです。

 私の願いは、続けてもらうことです。

 何の変化が起きなくても、続けることです。必ず、光が訪れます。

 これは、私が保証します。

 

2019.12.08  

 

 

 

 

 

情けは人の為ならず


 今の地球では、情け深い人や、面倒見の良い人を、善人と言っていますが、本当に、善人でしょうか?

 言っておきますが、自我人間で、純に善人な人は、一人もいません。

 自分を良く見せたい顕示欲が、必ず、入っています。

 善人ぶる人の心を見透かしてください。偽善が見え隠れしているはずです。

 例え、本心から、人助けしたとしても、本当に、人のためになっているでしょうか?

 なぜなら、安易な人助けは、人を堕落させてしまうからです。

 「情けは人の為ならず!」で、殆どは、人の為になっていないことが多いのです。

 ここで学んでいる皆さんは、何百万年もの間、厳しい人生体験をし、成長してきた、魂です。

 皆さんは、温室育ちの花ではないのです。嵐の中で育った雑草なのです。

 だから、今のような、強い、あなたに、なれたのです。

 人も助けるなら、魂の成長の為になるかどうか考えた上で、人助けしてください。

 

2019.12.15  

 

 

※ 幼い人が、ブランド品・・宝石・・・高額の絵画などを、他人に、ひけらかすのは、他人を認めているからです。

 外側に世界があると思っている人は、自分を、他人に、ひけらかしたがるのです。

 真理を、人に話したがる人も、同じです。

 「自分は、これだけ、真理を知っている!」と、自負する人だけが、自分を、ひけらかすのです。

 それは、他人を認めているからです。

 

※ 外側のものは、ひけらかせても、理解力は、ひけらかすことができません。

 それは、自分だけにしか解らないからです。

 人に、ひけらかせるのは、外側の現象のみです。

 客観宇宙のことは、現象だから、話せるけれど、主観宇宙のことは、真実ですから、お話しできないのです。

 

 

 

 

 

矛盾を意識しよう!


 私たちは、苦しみを望んで作っておきながら、その苦しみを嫌っている・・・、

 これは、矛盾です。

 矛盾は、何故、起きるのか・・・、

 それは、自分が矛盾した存在であることを、知らないからです。

 自分が矛盾した存在だと知ったら、矛盾を起こさないので、矛盾は、起きないのです。

 でも、それでは、矛盾の世界で、学ぶことができませんので、仕方なく、自分の存在そのものを、矛盾させることによって、沢山の矛盾を作って、学んでいるのです。

 

2019.12.22  

 

 

※ 自分の身を飾る人は、自分の醜さを飾り物で隠したいからです。

 本当に美人なら、身を飾らないのです。

 自分の中に、醜さを感じているから、身を飾ろうとするのです。

 これは、矛盾なのです。

 

※ 自分が解らないのに、「自分!」と思えている!

 これぞ、正に、究極の矛盾です。

 

※ 相手に、嫌なものが見えるのは、自分の中に、同じ、嫌なものがあるからです。

 その嫌なものを、相手は、自分に、見せてくれているのです。

 それを嫌うのは、矛盾なのです。

 

 

 

 

 

知る・理解・気づき


 私たちは、まず、「知り」ます。

 そして、知ったことを、実践します。

 実践する道具は、肉体です。

 実践すると、「体験知」が生まれます。

 肉体を使って体験すれば、「知恵」が生まれるのです。

 そうすると、理解力が高まるのです。

 「知る」の上に位置するのが、「理解する」なのです。

 理解力が高まると、意識の中に、受け皿である凹点が生まれます。

 そうすると、魂の中の凸点が、目を覚まし、受け皿である凹点に合体するのです。

 この現象を、気づいた、と言うのです。

 ですから、理解するの上に位置するのが、「気づき」なのです。

 自分の中に、疑問を投げかけておけば、ある日、突然、気づきがやってきますが、これは、意識の中の凹点と凸点が、合わさった状態なのです。

 つまり、合点がいった状態、腑に落ちた状態、なのです。

 合点がいった状態は、自我が理解したものと、魂の中にあったものが、合体した状態なのです。

 

2019.12.29  

 

 

※ 自覚の境界線を超えた時の意識状態は、自我の自分が、真我の自分を、心の底から自分だと思えるようになった状態です。

 そうなると、自我の自分と、真我の自分が、一つになり、見分けがつかなくなるのです。

 

 

 

 

 

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【お知らせ】

○ 次回、修善寺合宿(瞑想会)

2024年1月20日・21日

 

○ 光の画集に学びの友の作品を

    アップしました!

 

○ 2022年1月1日からは、これまで発表した「金言集」「真言集」 「更新集」を「金言」として、再掲載していきますので、再読して理解力の深まりを確かめてください。(時折、加筆したり、新しい内容も掲載いたします。)

 

○「歌おう♬ いのちの歌 」

 

○「自分の人生を振り返ってみよう~~♪ 人生の扉 」

 

 

 

 

 

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