【第一集】

1.自分の中に神を観る

 神は本質的なもの・・・、人間は形的なもの・・・、本質と形は同一のもの、つまり一体なんですね。だから人間即神、神即人間なんですね。人間は、一秒間も神という本質から離れたことは無いんです。この人間という形は、神という本質から離れては不毛なんです。しかし私達は形に惑わされ、神という本質を見失っているんです。

 

 人間は外側に形として現れた不完全なもの、神は内側に本質として潜在している完全なもの・・・。だから鬼は外、福は内なんですね。つまり内を観れば神、外を見れば人間なんです。皆さんは仮相である人間を見て、本質である神を見失っているんです。どうでしょう。形と本質は異なるものですか? 同じものではありませんか?

 

 コップとガラスが異なるものではないように、形と本質は異なるものではないんです。ただコップの側面を見るか、本質の側面を見るかだけのことです。形という人間を見るか、本質という神を観るかだけのことです。皆さんはコップの側面だけ見て、本質の側面を観ていないんです。つまり、人間の側面だけ見て、神の側面を観ていないんです。

 

 神はすべての本質です。神がすべてのものを造って、神がすべてのものに宿ってるんです。本質を宿していない形など無いということです。すなわち、神を宿していないものなど無いということです。形を見れば人間かもしれませんが、本質を観れば神なんです。だから、見るべきものは形ではなく本質なんですね。つまり、見るべきものは人間じゃなく、神を観るべきなんですね。

 

 私達は本質である神から出てきたものであって、形から出てきたものではないんです。ならば人間は、本質という神の化身ではありませんか?。だから人の子はおりません。皆さんは神の子です。人が人を作ることはできないんです。形が形を作ることはできないんです。唯一形を作ることができるのは、本質である神なんです。

 

 その本質は、宇宙に一つしかないんですね。だから神は一様ということになるんです。一なる神がすべてのもを造り、一なる神がすべてのものの中に宿っているなら、すべてのものは神ではありませんか?。ではどうして皆さんは、人間なんですか?。神から生まれたものは、神なんです。親が神で、その子が人間ということは絶対ありえないんです。ということは、自分のことを人間といっている人は、みな嘘つきであるということです。

 

 本来のあなたは、人間ではなく神なんです。この肉体は、神によって造られた神のすみかなんです。神我が中にましますであって、人間がましますでは無いんです。すべてに神が宿りたもうであって、神の宿していない形体なんて一物も無いんです。人間は神によって造られ、神によって生かされ、神によって働かされているんです。ガラスイコールコップ、コップイコールガラスであるように、人間イコール神、神イコール人間なんです。未だかつて人間は、一秒間も神から離れたことが無いんです。その神を知らないでは、何も知ることはできないんです。なぜなら、神はすべてのすべて、有りて有るものだからです。世界中の何を知っても知ったことにならないのは、外側の物はみな仮相だからです。そんな仮相を知って、一体何になるんですか?。

 

 真実なるものはたった一つ、それは「すべてが神だよ!」ということ・・・。これを全き神ともうします。神はすべてのすべて、有りて有るものです。神の外に何も無いんです。神の外に何も無いなら、皆さんは神ではありませんか?。万象万物は神ではありませんか?。

 

 もう一度いいます。人間の我と、神の我のどちらが我ですか?。あなたは人間ですか?、神ですか?。人間の我を見るのか?・・・。神の我を観るのか?・・・。いくらあなたが人間だと嘘を付こうが、あなたが神である事実は変わらないんです。神のみが生きているんです。未だかつて人間が生きたことなどないんです。

 

 実際に有るのは、人間なの?、神なの?・・・。神のみが独存するんです。神こそ絶対実在です。だからあなたは、神の外何も知ってはならないんです。あなたの知っているものは何かと訊かれたら、神の外何も知りませんといわねばならないんです。この宇宙に神しかおられないのに、どうしてあなたは人間だと嘘をつくんですか?。どうか本当のことをいって下さい。どうか自分の中に神を観て下さい。あなたの中には、間違いなく神がおられるのですから・・・。

2.光の自分と影の自分

 この肉体は何でできているかといいますと、水でできているんです。お母さんの羊水で、十ケ月と十日で・・・。肉体は水様質量といって、質量でできているんですね。でも肉体は生きていません。肉体は、霊が宿ってはじめて生きる物になるんです。肉体は生きているのではなく、生かされているんですね。霊によって・・・。その霊は、霊光といって光なんです。霊と光は同一のものです。ですから霊を光に置き換えて下さい。その光が肉体を生かしているんですね。

 

 その光は宇宙にいくつあるかといいますと、たった一つの光があるだけなんです。そのたった一つの光が、万象万物の中で生きて働いているんです。だから肉体は、光の操り人形なんですね。霊が宿っているということは、光が宿っているということ・・・霊に満たされるということは、光に満たされるということ・・・。霊光燦然と輝いているんですね。だから肉体は光のすみか、霊のすみかなんです。生ける大霊の宮なり、光の宮なりなんです。

 

 その光は、知恵にして力なんです。影は(肉体)無知無力なんです。無知無力の肉体が我なのか?、全知全能の光が我なのか?、どちらが皆さんですか?。皆さんには、影の自分と光の自分があるんです。つまり、肉体の自分と霊の自分があるんです。光は本当の自分、影はニセモノの自分です。影の自分に惑わされないで下さい。本当の自分は光なんですから・・・。

 

 その光は、内にも外にも全宇宙に遍満しているんです。これを内なる霊、内なる光と呼んでいます。それが唯一不二の光、唯一不二の霊といわれるものです。その光が、万象万物の中で生きているんですね。光の他に生きているものは無いんです。だから未だかつて、影である鉱物も植物も動物も人間も生きたことが無いんです。生きてるんじゃなく、生かされているんです。光によって・・・、霊によって・・・。だから肉体は、光の操り人形なんですね。人間だけじゃなく、鉱物・植物・動物ごとごとく光の操り人形なんです。

 

 その光のことを、神とも呼んでいるんですね。光と神は同じもの・・・。光が宿っているということは、神が宿っているということ・・・。光一元神一元といって、たった一つの神が万象万物に平等に宿っているんです。光を宿さない影が無いように、神を宿さない物は無いんです。生きているのは、神のみ、光のみ、だからです。その光は(神)、光を通しては表現することができないんです。光は、影を通してのみ表現できるんですね。だから肉体を粗末にしてはならないんですね。といって囚われても、甘やかしても、ならないんです。

 

 もう一度いいます。皆さんは光なんです。光から出てきた光の天使なんです。ですから、決して影(肉体)に惑わされてはならないんです。皆さんが信仰すべきものは、外なる影ではなく、内なる光です。だから「我は霊なり!、我は光なり!」、といわねばならないんです。

 

 影を自分だと思っている限り、天には帰れません。なぜなら、天は光であり皆さんの故郷だからです。私達は、一時も早く故郷である天に帰らなくてはならないんです。それが人生の目的だからです。どうか自分の中に光を観て下さい。光を観る者のみが天に帰れるんです。

3.私達は生命である

 みなさんは生命という言葉を使いますが、その生命が何なのか誰も知らないんですね。この生命というものが無かったら、肉体という形は存在できないんです。生命が肉体を造って、生命が肉体の中で生きて働いているんです。しかし残念ながら、その生命というのを未だかつて見た人がいないんですね。なぜ見た人がいないのかといいますと、生命は見えない存在だからです。不可視の生命といって、生命には形が無いので見ることも触ることもできないんです。しかし、その見えない生命が無くては、見える肉体というのは存在できないんです。

 

 生命のことを、またはエネルギーともいうんですね。生命エネルギーといって、そのエネルギーが肉体の中で生きて働いているんです。生きているのはエネルギーであって肉体ではないんです。生命のみが生き、生命のみが働いているんです。その生命というのは、宇宙に一つしかないんです。全一の生命といって、無限生命といって、宇宙にはたった一つの生命があるだけなんですよ。あなたの生命、私の生命、というのは無いんです。その生命が、万象万物を生かしているんですね。生きてるんじゃなく、生かされてるんです。何によって?、生命によって・・・。ですから肉体というのは、生ける生命の宮なりなんですね。

 

 その生命には、誕生も無ければ死も無いんです。始まりもしないし、終わりもしないんです。しかし残念なんですけど、誰も彼もが肉体を自分だと見てるんですね。本来の自分は、肉や血ではないんですよ。「我生命なり!」なんです。それが永遠の生命ですから・・。その生命というのは、永遠に生き通すものですから、肉的死によって生命が中断されることはないんです。生命というエネルギーは、永遠に生き通しなんですね。それがエネルギー不滅の法則、生命不滅の法則なんですよ。その生命がなかったら、肉の世界は存在できませんよ、ということなんです。全一の生命といって、たった一つの宇宙生命に基づいて、すべての万象万物は生かされてるんです。だからあなたの生命、私の生命、というのはないんです。

 

 肉体というのは、生命の働く場であり道具なんです。生命がまとっている衣装なんです。肉体衣装といって・・・。皆さんの死というのは、生命が肉体を脱ぐようなもの・・。その生命というのは、肉体を脱ぎ捨てても生命、まとっていても生命なんですね。生命というエネルギーは、あなたの中にも、私の中にも、内にも、外にも、遍満しているんです。遍満の生命ですから・・・。無限の生命ですから・・・。で、何を見て皆さんは個人といっているかといいますと、肉体を見て個人といっているんですね。生命を観れば、そく無限なんです。個人生命というのは無いんです。全一の生命、無限生命があるだけなんです。

 

 皆さんは、肉体というニセモノに目隠しされて、生命の本当の自分を見失っているんです。その生命エネルギーは永遠ですから久遠の我、肉体は一時的なものですから無常の我になるんです。永遠の肉体というのは無いんです。肉体は必ず死ぬことに定まっているし、生命は永遠であることに定まっているんですね。それが久遠我、不変我、宇宙我なんです。だから皆さんは、このニセモノの肉体に目隠しされて、生命という本当の自分を見失ってはならないんですね。じゃ肉体が生きているんですか?、生命が生きているんですか?。生命が生きているんですね。

 

 肉体というのは宇宙のチリ、つまり水分子で作られますけど、この肉体は生きていないんですね。未だかつて肉体は生きたことが無いんです。これは単なる物体だからです。生命というエネルギーが、肉体を生かしてるんです。生命エネルギーといって・・・。そのエネルギーは宇宙ですから、宇宙エネルギーとなるんですよ。

 

 生きているのは物質じゃないんです。生きているのはエネルギーのみなんです。そのエネルギーは、宇宙に一つしかないんです。唯一不二の力、唯一不二のエネルギーといって、たった一つの宇宙エネルギーが万象万物を生かしているんですね。生きているんじゃないんですよ。生かされているんです。皆さんはあたかもこの肉体が生き、肉体が働くと思っていますが、生命が抜けてみて下さい。何ができますか?。だから肉体という物体は、生命というエネルギーに繋がらなくては不毛なんですね。肉体は、生命エネルギーの働く場であり、働く道具なんです。

 

 その生命は、未だかつて傷ついたことが無い、病んだことが無い、死んだことが無いんです。生命というエネルギーの世界には、生老病死という四苦は無いんですね。永遠の生命ですから・・・。完全なる生命ですから・・・。その生命が皆さんなんですね。じゃ皆さんは、肉体が我ですか?、生命が我ですか?・・・。生命が我ですね・・・。何を指して私といっているんですか?・・。皆さんは私という言葉を使いますが、どちらが私ですか?。生命の私ですか?、肉体の私ですか?。肉体は偽りの自分、生命は真実の自分です。だから生命の自覚を持つべきなんですね。本当の自分に目覚めるべきなんですね。

 

 その生命のことを皆さんは、神とも呼んでいるんですね。内なる生命を内なる神、神我が中にまします。それが本当の自分なんですね。皆さんは人間と嘘をつきますけれど、人間なんでどこにもいないんですよ。いくらあなたがいるといっても、エネルギーは実在しますが、人間なんてどこにもいないんです。皆さんは、人間とか個人とかいいますけれど、個人的エネルギーも個人的生命もないんです。宇宙には、無限大の生命と無限大のエネルギーがあるだけなんですね。だから、決して肉体を自分と見てはならないんです。

4.物質と霊は同じもの

 霊を祟るもの、恐ろしいもの、といっている宗教家がおりますが、霊は祟るものでも恐ろしいものでもありません。霊はエネルギーです。生命の根源です。宇宙を存続させている力そのものなんです。霊は生かす要素なんですね。肉体が生き、肉体が働いているんじゃなく、霊が生き、働いているんです。皆さんは肉体が考え、肉体が語っていると思っていますが、肉体にはなんの力も無いんです。肉体には、一点のエネルギーも無いからです。霊力といって、霊はエネルギーなんです。ですから、霊をエネルギーに置き換えて下さい。

 

 皆さんは、霊もあって物質もあるといいますが、この霊と物質は何が違うかといいますと、何も違わないんですね。そのことを釈迦は、霊肉一体とか、色心不二とかいってるんですね。すなわち、霊と物質は同じものであって、違うものではないんですね。物質界もあって霊界もあるという人がおりますが、それでは二つ目になります。一つ目になるには、物質イコール霊、霊イコール物質といわねばなりません。

 

 その物質というのは、霊の仮の姿としてあるけれど、実際には無いものなんですね。物質というのは見える物、霊というのは見えないもの、その見えない霊が無くては、見える世界なんて存在できないんです。皆さんの見ている物質世界は、霊の仮の姿としてあるけれど、実在ではないんです。実在というのは永遠という意味ですから、仮相である物質が実在するわけがないんですね。だから物質世界は非実在、霊界は実在界というんですね。実際に有るのは霊であって、物質じゃないんです。

 

 例えば気体が無かったら、液体や固体という世界はあり得ないんです。はじめに液体や固体があるんじゃない、はじめに気体ありきなんですね。液体も個体も気体の仮の姿としてあるけれど、実際に存在するものじゃ無いんです。その気体というのは、見えないんですね。液体や固体は見えるんですね。しかし見えないものがなくては、見える物は存在できないんです。つまり霊的なものが無くては、物質世界はあり得ないんです。では、はじめに物質があったのか?、霊があったのか?、ということになるんですね。はじめに霊があるわけですよ。

 

 霊が万象万物を造って、霊が万象万物に宿っているんです。この世の中に、霊の宿っていない物なんて一物ないんです。この個体は気体から一秒間も離れて存在できないんですよ。じゃ見るべきものは物質なのか?、見るべきものは霊なのか?、ということになるんです。物質というのは仮相、霊というのは実相なんですね。仮相である物質は、実相である霊から離れては存在できないんです。だから物質というのはニセモノだよ!、霊というのはホンモノだよ!。その霊は、物質の数ほどあるんじゃないんですね。見える物の数ほど見えないものがあるんじゃない。見えないものは、宇宙に一つしかないんです。唯一不二の霊といって、見えない霊がすべての物を造り、見えない霊がすべての物の中に宿っているんでね。しかし残念なんですけど、実在しない物質を実在すると嘘をつく人が掃き捨てるほどいるんですね。

 

 実在とは永遠という意味なんですね。見えないものが死ぬということはないんですよ。無くなるということはないんですよ。見えないものは永遠に存続するんですね。だから霊は久遠で、物質は無常なんですよ。見える物に永遠の見える物というのはないんです。物質は必ず消えて無くなるんです。それはホンモノだから?、ニセモノだから?、実際に無いからですよ。だから、物質もあって霊もあるといわないことです。

 

 一つ目になるには、この物質が霊の仮の姿だと知っていなければなりません。何が違うと思いますか?、物質と霊と・・・。見える物と見えないものは、別々に存在しているんですか?。一体として存在しているんですか?。物質は一秒間も霊から離れて存在できないんですよ。だからはじめに大霊ありきであって、物質ありきではないんですね。

 

 人間一人一人は、大霊によって造られた大霊のすみかなんです。生きているのは人間じゃないんですよ。大霊なんです。大霊が人間の形をしているだけ、人間の形をした大霊なんです。皆さんは人間じゃないんです。大霊なんです。どんなに違うと言い張っても、あなたが大霊である事実は変わらないんです。もし皆さんが大霊でなかったら、皆さんは存在しないんですね。なぜなら、この宇宙には大霊しかないからです。だから霊というのは真理ですよ。物質というのは被造物、造られた物なんですよ。その実際にない物質を、実際に有ると嘘をつかないよう気をつけた方が良いと思います。

 

 皆さんは、消えて無くなる肉体なんかじゃ無いんです。永遠不滅の霊なんです。だから「我は霊なり!」、といわねばならないんですね。決して個人とか肉体とか、実際に無い物を自分だといわないこと、嘘をつかないことです。皆さんの生みの親は霊であって、人間じゃないんです。「我は霊なり!」であって、「人間なり!」じゃないんです。あなたは一秒間も霊から離れたことはないんです。肉体が霊から離れて存在できるわけがないからです。離れた途端、死ですから・・・。

 

 もう一度言います。この肉体は何によって成れりですか?。大霊によって成れりなんですね。大霊がすべての物を造り大霊がすべての物の中に宿っているなら、すべては大霊ではありませんか?。じゃどこに物質や肉体があるんですか?。じゃ物質もあって霊もあるというのは嘘になりませんか?。あるのは大霊のみかと思います。霊一元なんですね。じゃ「我は人間なり!」ですか?。「我は霊なり!」ですか?。皆さんは霊であって、人間じゃないんですよ。いくらあなたが人間だと嘘をついても、あなたの本質が霊である事実は変わらないんです。

 

 皆さんは霊に属するものであって、物質に属する物じゃないんです。人間が生きているのじゃなく、大霊のみが生きているからです。人間が人間を作ったんですか?。大霊が人間を作ったんですよ。だから、この世の何者も親と呼んではならない、大霊こそ人間の親なんです。あなたは人間なんかじゃないんです。あなたの生みの親は大霊なんです。だから皆さんは、堂々と「我大霊なり!」と宣言したらいいんです。

 

 皆さんはこの際、本当の自分というものが物的な存在か?、霊的な存在か?、徹底的に追及すべきなんですね。絶対この見える肉体を私と言わないように・・。「我は霊なり!」と堂々と宣言して下さい。

5.皆さんは無限の存在である

 世の中には、天国もあって地獄もあるという人がおりますが、実際に有るのは天国であって地獄ではないんです。なぜなら、天国とは無限のことであり、地獄とは個人のことだからです。個人には生老病死という四苦がありますが、無限にはそんな苦しみはありません。皆さんは、個人だと思っているから苦しんでいるんです。肉体だと思っているから苦しんでいるんです。自由自在な無限だと思えれば、そく天国の住者になれるんです。

 

 個人は嘘の自分、これを偽我といいます。無限は本当の自分、これを真我といいます。つまり個人は偽りの自分、無限は真実の自分なんですね。真我到達とは、無限への到達なんですよ。ではなぜ皆さんは、個人ではなく無限なんでしょうか?。それにはまず人間の本質が何なのか、追及してゆかねばなりません。

 

 人間の本質は何かといいますと、水なんです。人間は、水によって作られているんですね。お母さんの羊水によって・・、しかし生きておりません。これに霊が宿って、はじめて生きる物になるんですね。この水と霊が、形を生み出している本質なんです。だからこの水と霊の世界を、本質の世界と呼んでいるんですね。

 

 なぜ人間が実在しないかといいますと、形(肉体)は実際には無いからです。実際にあるのは本質のみなんです。皆さんは、個人もあって無限もあるといいますが、個人は嘘の自分で無限は真実の自分なんです。この宇宙には個人なんていないんです。無限のみしか無いんです。なぜなら、皆さんの本質は無限だからです。これを無限真理というんですね。無限は真理なんです。個人は被造物、作られた物なんです。

 

 その無限は、個人から一秒間も離れたことが無いんです。形が本質から離れて存在することは不可能なんです。だから「我無限なり!」といわねばなりません。決して「我個人なり!」と嘘をつかないことです。自分のことを個人と言っている人は、自分で自分に嘘をついているんです。無限こそ絶対実在といって、無限は永遠に無くなることはないんです。個人もあって無限もあるというのは、理屈に合わないんですね。なぜなら、個人があるということは、無限は無いということになるからです。個人と無限は同居できないんです。

 

 個人があると嘘をつく人は、自分に嘘をついているんです。個人なんて未だかつて存在したことが無いんです。しかし誰も彼もが自分のことを、個人と嘘をついているんですね。どうして消える個人が実在するんでしょうか?。消えて無くなるのは、実際には無いからなんですよ。あなたは消えて無くなる自分を、自分だと思えるんですか?。思えないなら、どうして消えて無くなる個人を大切にするんですか?。おかしいと思いませんか?。

 

 無限があなたを造り無限があなたの中に宿っているなら、どうしてあなたは人間なんですか?。あなたは、無限から離れたら不毛なんですよ。あなたは、一秒間も無限から離れたことが無いんです。離れた途端即死なんですから・・・。その無限は見えないんですね。見えるなら、無限じゃなくなるからです。だから、本当のあなたは見えないんです。見えないものに個人的なものは無いんです。

 

 この無限というのは、区切りも無い分離も無いんですね。区切られた無限というのは無いんですよ。独立した無限なんてないんですよ。だから、一個人というのも無いんです。あなたは無限なんです。だから「我無限なり!」といわねばならないんですね。「我個人なり!」なんかじゃないんです。もう嘘をつくのをやめましょう。

 

 もう一度言います。個人もあって無限もあるんじゃないんです。この宇宙には無限しかないんです。もし個人が実在するなら、地獄も実在するといわねばなりません。なぜなら、個人には四苦があり、戦争があるからです。しかし無限の世界には、四苦も戦争もありません。無限は永遠に平和なんです。

 

 皆さんは無限から出てきたんです。そして無限に帰るんです。出てきたところが分からなくては、帰るべきところが分からないだろうというのは、自分がどこから出てきたか分からなくては、帰りようがないからです。だから皆さんは、本当の自分を知る必要があるんですね。本当の自分が分からなくては、帰ることができないからです。

 

 残念なんですけど皆さんは、長いこと肉体を自分だと思ってきたために、本当の自分を見失ってしまったんです。あまり肉体と親しくしてきたため、肉体の奴隷になってしまったんです。でもどんなに自分のことを個人だ!、肉体だ!、と思っても、本当のあなたが無限である事実は変わらないんです。あなたは、無限から離れて存在できないんです。

 

 もう一度言います。本当のあなたは、無限なんです。個人なんかじゃないんです。大いなるあなたです。宇宙大のあなたです。自由自在のあなたです。それが本当のあなたなんです。どうか「我無限なり!」と大宣言して下さい。

6.霊のみが実存する

 物質と霊は何が違うかといいますと、何も違わないんです。そのことを釈迦は、色心不二といっているんですね。すなわち、霊と物質は同じものであって、違うものではないといってるんですね。もし違うというなら、それは二つ目になります。一つ目になるには、物質イコール霊、霊イコール物質といわねばなりません。物質は霊の仮の姿としてはあるけれど、実在ではないんです。

 

 物質というのは見えるもの・・、霊というのは見えないもの・・、霊が無くては見える世界なんって存在できないんです。皆さんの見ている物質世界は、霊の現れとしてあるのであって、実際にあるものではないんです。だから物質の世界は非実在、霊界は実在界というんですね。実際にあるのは霊であって、物質じゃないんです。

 

 例えば、気体が無かったとしたら、液体や固体はありえないんです。はじめに気体があっるのであって、液体や固体があるわけじゃないんです。その気体というのは見えないんですよ。液体や固体は見えるんですね。だから見える物の本質は、そく見えないものということになるんですね。

 

 見えない霊が万象万物を造って、見えない霊が万象万物に宿っているんです。この世の中に霊を宿していない物など、一物も無いんです。個体が気体から離れて存在できないように、物質は霊から離れて存在できないんです。じゃ見るべきものは物質なのか?、霊なのか?・・・。物質というのは仮相、霊というのは実相なんですね。仮相である物質は見えるけれど、実相である霊は見えないんですね。見える物質は、見えない霊からから離れては存在できないなんです。

 

 霊はホンモノなんです。物質はニセモノなんです。じゃ霊的あなたと、物的あなたと、どちらが本当のあなたですか?。霊的あなたですね。しかし残念なことに、霊的あなたは見えないんですよ。ホンモノには姿形が無いからです。見えないものに、どんな形の見えないものってないんですよ。無形にして無双なんですね。この世の見える物は、見えないものの仮の姿なんです。見えないものが、見える物の中で生きているんです。だからイエスキリストは、私は肉体ではない「我は霊なり!」といったんですね。私を送りたものた霊と、皆さんを送りたもうた霊とは、同一の霊なんですよ。なぜなら、霊は宇宙に一つしかないからです。ということは、二千年前にイエスキリストに宿っていた大霊と、今皆さんの中に宿っている大霊とは、同一の大霊ということになるんですね。だから人間一人一人は、大霊の化身なんですね。見える物は、すべて同じ見えない霊の仮の姿なんです。この人間は、大霊の仮の姿なんです。

 

 皆さんは人間に属するものではなく、大霊に属するものなんです。皆さんは霊であって、人間なんかじゃないんです。いくらあなたが人間だと言い張っても、あなたが霊である事実は変わらないんです。個体が気体から離れて存在できないように、皆さんは大霊から離れて存在できないんです。じゃ、「我は人間なり!」ですか?、「我は霊なり!」ですか?。「我は霊なり!」ですね。物質が物質を作ることはできないんです。物質の生みの親は大霊なんです。だから皆さんは、本当の自分が物質なのか霊なのか徹底的に追及すべきなんですね。絶対この肉の私を私と言わないこと、嘘をつかないことです。我は霊なりと本当のことを言いましょう。

 

 もう一度言います。霊は生かす要素、物質は形の要素なんです。霊が生きているんです。形は生かされているんです。だから物質に一つだってホンモノは無いんです。物質はことごとく仮相なんです。霊は実相なんです。ならば皆さんは、何に生きるべきですか?。消えて無くなる肉体にですか?、永遠に無くならない霊にですか?。霊に生きるべきですね。皆さんは消えて生くなる肉体に生き、永遠に無くならない霊に生きていないんですね。

 

 人間は、ホンモノのために争っているんじゃなく、ニセモノの為に争っているんですよ。つまり、消えて無くなる物の奪い合いをして、永遠に無くならないものの奪い合いをしてるんじゃないんですね。未だかつて人間は、ホンモノのために争ったことが無いんです。ニセモノのために争っているんです。物質を本当に有ると思っているからです。

 

 皆さんは私という言葉を使いますが、何を私と言ってるんですか?。見える私ですか?、見えない私ですか?。肉体の私ですか?、霊の私ですか?。本当の皆さんは霊であって、肉体なんかじゃないんです。肉体は生きていないからです。そのことをイエスキリストは、肉に生きるは死であると、はっきりいったんですね。肉を否定したんですよ。肉体は消えて無くなるんですから、この肉体がホンモノであるはずがない無いんですね。永遠に無くならない霊こそ、ホンモノの自分なんです。だから「我は霊なり!」といわねばならないんです。

 

 どうして皆さんは、無くなる肉体を自分だというんですか?。無くなる自分を自分だと思うなら、どうして沢山のお金を残したいと思うんですか?。どんなに沢山の物を集めても、あの世に持って帰るわけにはゆかないんですよ。無くなる物に生きるのが賢いか?、永遠に無くならない霊に生きるのが賢いか?、徹底的に追及して下さい。どうかホンモノである霊に生きて下さい。その者は、永遠の幸せを手に入れることができるんですから・・・。

7.神は実相の自分、人間は仮相の自分、なぜ?

 世の中には、人間もあって神もあるという人がおりますが、本来は人間が存在するのではなく、人間の形をした神があるだけなんですね。で、人間というのは何かといいますと、形に人間という名前が付いているだけなんです。例えばこれは何ですかと質問すると、コップという答えが返ってきます。でも、実際はコップではなくガラスなんですよ。で、皆さんは何を見て人間と言っているかといいますと、形を見て人間といっているんですね。しかし形があるということは、必ず本質があるということなんです。だから形の世界は仮相世界なんですよ。皆さんは本質の自分を見ているのか、形の自分を見ているのかということなんです。皆さんは、人間の形をした本質なんですよ。本質即神なんですね。形は人間なんですよ。形に人間という名前を付けているだけなんです。例えばコップという形に、コップという名前が付いているようなもの・・・、様々な形に様々な名前が付いているだけなんですね。で、その形の数ほど本質があるんじゃないんですね。一つの本質が、様々な形を現わしているだけなんです。形の生みの親は形じゃなくて本質なんですよ。本質が無くては、いかなる形も存在できないんです。

 

 皆さんは人間があると見ていますが、人間なんてどこにもいないんです。神のみがあるんです。人間とは、人間の形をした神なんですよ。形は本質から一秒間も離れて存在できませんので、人間という形は本質である神から一秒間も離れて存在できないんです。じゃ人間は何から出来ているか、人間の本質を追及すべきなんですね。存在だけを見て、存在の本源を見失ってはならなんですね。外を見れば形、内を見れば本質なんですよ。本質と形の世界に境目はないんですね。コップとガラスの境目が無いんですね。本質を見ればガラスで、形を見ればコップですよ。コップもあってガラスもあるんじゃないんですよ。人間もあって神もあるんじゃないんですよ。人間は、神の化身んなんですね。人間とは、人間の形をした神なんですよ。形は人間でも、その本質は即神、形はコップでも、その本質は即ガラス、ガラスという本質とコップという形の境目はないんですよ。だから形の世界は仮想の世界、本質の世界は実相の世界となるわけですよ。

 

 じゃ、何を見て皆さんは人間と言っているのか?、本質なのか、形なのか、ということなんですね。人間とは、人間の形をした神だということです。初めに形ありきじゃなく、初めに本質ありきなんですね。初めに人間ありきじゃなく、初めに神ありきなんですね。その本質は、宇宙に一つしないんですよ。だからお釈迦様は、外を見るな内を見よといったんですね。すなわち外を見れば形、内を見れば本質なんです。外を見ればコップ、内を見ればガラスなんですよ。神こそ絶対実在と言って、本質は永遠なんですけど、人間という形は一時的なもの、だからまず人間の本質を追及すべきなんですね。

 

 人間の本質は水です。水子といいまして、肉体はお母さんの羊水でできるんですね。でも肉体は生きていないんです。そこに魂が宿って、はじめて生きるものになるんですね。だから、肉体が息しているんじゃないんですね。息しているのは魂なんです。魂が無くては肉体は生きることができないんです。じゃ人間の本質は何ですか。魂(霊)と水ですね。これが本質なんです。その本質が神なんです。だから魂(霊)と神とは同じものなんですよ。

 

 人間の本質は霊と水なんです。その本質が神なんです。だから人間の本質が神であることを見失ってはならないんです。じゃ人間の本質は何ですか?。神ですね。じゃあなたは、人間なんですか?、神なんですか?。神ですね。形を見れば人間、本質を見れば神なんですよ。人間の形をした神なんです。神の化身なんです。形が形を作ることはできないんです。形の生みの親は本質なんです。本質が形を生むんです。だから、人の子なんていないんです。すべては神の子なんですよ。この人間という形が、今から修業して本質になるんじゃないんです。初めから本質なんですよ。だから人間一人ひとりは、生まれながらにして神仏と言われるんです。外側の仮相の形を自分だと思わないこと・・・。本質こそ本当の自分なんですね。

 

 ではいいます。皆さんは人間に属するものですか、神に属するものですか。人間と神とは表裏一体なんですよ。皆さんは人間という仮相を見て、実相である神を見てないんです。神こそ絶対実在なんです。人間は、神なる実相の現れなんです。じゃ、神なる吾と人間なる吾のどちらが皆さんですか。神なる吾ですね。どんなにあなたが人間だと言い張っても、あなたが神であることは決定済みなんです。どうか嘘をつかないようにして下さい。どうか神なる吾を見失わないようにして下さい。皆さんは紛れもなく神なんですから・・・。

8.霊はエネルギーの自分、肉体は物質の自分、なぜ?

 皆さんは物質があるといいますが、物質は霊がなくては存在できないんです。その霊というのは、エネルギーなんですね。で、生きているのは物質ではなく、エネルギーなんですね。皆さんは、物質が生きていると思っていますが、これは錯覚なんですね。生きているのは、霊のみなんです。その霊が、肉体の中で生きて働いているんです。だから肉体という物体は、霊のすみ家と言われているんですね。

 

 その霊というエネルギーは、宇宙にいくつあるかといいますと、一つしかないんですよ。そのエネルギーという霊は、見えないもんなんですね。いまだかって霊を見た者は、一人もいないんです。なぜかといいますと、霊というエネルギーには姿形がないからなんです。形あるものはことごとく物体なんです。その物体と霊は離れて存在できないんです。物質界と霊界は表裏一体なんですよ。だからこの世の物質で、霊を宿してない物は一物も無いんですね。唯一不二の霊といって、霊は宇宙に一つしか無い、その唯一不二の霊が、唯一不二の力なんです。すなわち、霊とは無形無双の宇宙エネルギーなんですね。宇宙霊ですから・・・。

 

 その霊というのは、個人じゃないんですね。個人的霊というのは無いんですよ。無限大なんです。無限大の霊が、様々な形の中で生きて働いているんです。自分の中で無限大の霊が生きて働いているのに、皆さんは肉体が働いていると錯覚しているんです。肉体は生きてもいません。存在もしてません。肉体はニセモノなんです。一時的なもの、無常なる物なんです。しかし皆さんは、この物体であるニセモノが本当に有ると思っているんですね。見ることも触ることもできるがゆえに、これを吾だと思っているんですね。

 

 で、霊に満たされるということは、エネルギーに満たされるということなんですね。いまだかって肉体は生きたことが無いんですよ。生きているんじゃなく、生かされているんですね。何によって、霊によって・・・。だから肉体は霊の操り人形、エネルギーの操り人形なんですね。霊が生きているんであって、肉体が生きているんじゃないんです。霊的力であって、物質的力じゃないんですね。だから物質自らは無なんですね。だから肉に生きるは死なんです。肉体には一点の力もないんですよ。生きているのは霊なんです。エネルギーなんです。

 

 で、この肉体は何でできているかといいますと、水の質量でできてるんです。この肉体は陰性なんですね。で、生きていないんです。そこに霊が宿って、はじめて生きるものになるんですね。この霊性が陽性なんですね。霊的力と言って、これは力なんです。この力は大霊しかないんです。宇宙霊しかないんです。霊とは、無形無双の宇宙霊なんですね。無形無双の宇宙霊が、様々な形の中に宿って生きて働いているんですよ。だから形が生きたことは無いんです。鉱物も植物も動物も人間も、みな宇宙霊の働く道具であり媒体なんですね。

 

 その霊は、誰彼の霊というのは無いんですね。全体の霊があるのみなんです。無限なる霊、普遍なる霊といって、宇宙に遍満してるんです。すなわち、無限なるエネルギーなんですね。エネルギーが無くては、物質世界というのはあり得ないんですよ。生きているのはエネルギーだからです。肉体というのは、単なる物体なんですね。だから、この世の物質で霊を宿していない物は、一物も無いんですよ。山の霊、海の霊、動物の霊、人間の霊といって・・・、で、鉱物・植物・動物・人間を生かしているのは、一なる大霊なんです。すなわち、一なるエネルギーなんです。だから霊に満たされるということと、エネルギーに満たされるということは、同じなんですよ。そのエネルギーには、姿形が無いんじゃないです。霊とは、無形無双のエネルギー、それが宇宙霊なんです。

 

 その霊的エネルギーは、光でもあるんですね。陽光といって、光は陽なんですね。霊は陽ですから、光は陽の世界なんですね。で物質は影の世界、光と影・・・、じゃ肉体は何の自分ですか?、影の自分なんですよ。霊は光の自分・・・これが光と影、すなわち、陰と陽の法則なんですね。光と影の法則、これが霊肉一体という意味なんですよ。じゃ霊とは何かというと、エネルギーと答えて下さい。そのエネルギーと物質は、絶対離れて存在することはできないんですね。物質界と霊界とは絶対不可分といって、切り離すことはできないんですよ。ただどの側面を観るか、エネルギーの側面を観るか物質の側面を見るかだけなんです。物質を見ている人はマイナス思考の人、霊を観ている人はプラス思考の人、だからマイナスを見ている人は、エネルギー(霊)を得ることはできないんですよ。これが汝の見るもの受け継がんということなんですね。

 

 で、エネルギーには善悪は無いんですね。使い方いかんによって、悪くもなり良くもなるだけなんですね。悪霊に取りつかれているという人がおりますが、それはエネルギーを悪用して使っているだけで、エネルギーそのものに悪は無いんですよ。あなたは人を憎んでいる時、それはエネルギーを悪用しているんですよ。人を愛している時は、エネルギーを善用しているんですよ。善霊になるか悪霊になるかは、あなたのエネルギーの使い方いかんによって変わるだけです。エネルギーは一つしか無いんですから・・・、当然なんですね。悪にするか善にするかは、あなたの使い方次第だということです。霊の世界には善悪はないんです。人間の世界のみ、善悪はあるんです。だから人類は、未だに善悪の木の実を食べているんです。

 

 あなた方一人一人には、天上天下の一切の力が与えられているんです。なぜなら、無限のエネルギーによって生かされ働かされているからです。じゃ人間本来、個人能力じゃなく無限能力じゃないですか。無限なるエネルギーは、個我を通して現れたもうからですよ・・・。この世の物体は、エネルギーの表現媒体なんです。エネルギーは物質を通して自分を表現しているんですね。じゃ皆さんは、霊能者ですか、物能者ですか。物能者なんていないんですよ。いるのは霊能者のみなんですよ。唯一のエネルギーが、皆さんの中で働いているからですよ。物質には一点の力も無いんですね。だから決して、自分のことを人間だと嘘をつかないことです。

9.神我意識とは何か?、自我意識とは何か?

 真我意識とは何か?、自我意識とは何か?、・・・皆さんは自分のことを人間だといっていますが、その人間意識そのものが自我意識なんですね。で本来は、人間意識というのは無いんです。人間というのは、実在していないんです。しかし、人間があると思っている人が大半です。それは皆さんの錯覚であって、本当にあるのは人間じゃなく、神なんです。神我のみがあるんです。神我も実在して自我も実在しているというなら、それは相当狂ったものの見方をしているんですね。実際にあるのは、一なるものしかないんです。一なるものとは、神のことです。神我のみが独存しているんです。しかし、人もいて神もいると嘘をつく人が多いんですね。神というのは実際にあるけれど、人というのは実際に存在しないんです。ではなぜ神のみしか実在しないのか、これから説明したいと思います。

 

 まず、人間の本質から知るべきなんですね。神の国は霊と水の国といわれるように、この肉体はお母さんの羊水で、十ケ月十日で作られるんですね。でも生きていません。この肉体を生かしているものがあるんです。それは魂ですよ、すなわち霊ですよ、ということなんです。この魂のことを、霊魂ともいっているんですね。この霊と水が、皆さんの本質なんですね。その本質が、神なんです。神とは、本質のことなんですね。その本質が、人間の形をしているだけなんですよ。本質が人間の形をしているだけ・・・。じゃ、肉体も実在して本質も実在するんですか?。本質のみが実在してるんですね。皆さんは、形も実在して本質も実在すると嘘をつかないことですよ。

 

 形と本質は別々なものなんでしょうか?・・・。例えば、コップとガラスの二つのものがあるんでしょうか?。コップもあってガラスもあるわけじゃないんですよ。コップ即ガラス、ガラス即コップ、神即人間、人間即神なんですね。人間という形は、神という本質から一秒間も離れて存在することはできないんですよ。その本質の神のことを、神我と呼んでするんですね。では、はじめに人間があったんでしょうか、神があったんでしょうか。はじめに本質である神があったんですね。その本質である神によって形体は成れりなんです。では、形の数ほど本質があるんでしょうか。本質は、一にして多形なんです。だから、私の本質と皆さんの本質は同じ本質なんですね。だから神は一様ですよ。様々な本質があるんじゃない・・・様々な神があるんじゃない・・・。一つの神なる本質が、様々な形を現わしているだけなんです。

 

 じゃ神は何名いるんですか。一つの神しかいないんですね。それは有限の神なんですか?、無限の神なんですか?。神は無限者であり普遍者なんですね。皆さんは自分のことを個人といっていますが、個人は実在するんでしょうか?。この個人は、無限の現れとしてあるんですね。だから神は、無限者であり普遍者なんですね。実際にあるのは個人じゃなく、無限なんですね。一なる無限が全てのものを創って、一なる無限が全ての物の中に宿っているんです。じゃ、一なる無限が全てのものを創って、一なる無限が全ての物の中に宿っているなら、すべてのものは何でしょうか?。無限ですね。では、どこに個人的なものがあるんでしょうか?。個人があると嘘をついているだけになんですよ。個人なんて、どこにもいないんですよ。形においては個人でも、本質においては無限なんです。個人は無限から一秒間も離れたことが無いんですよ。個人は無限から離れては不毛なんです。個人即無限、無限即個人なんです。すべての物は無限の現れなんですよ。じゃ無限が全てを創り、無限が全ての中に宿っているなら、すべては無限じゃありませんか。じゃ個人は、どこにいるんですか?。個人なんて、どこにもいないんですよ。

 

 個人意識のことを、偽我意識というんですね。じゃ、自分のことを個人だと思っているとき、何意識でしょうか?。偽我意識ですね。その偽我意識は、神我意識には勝てないんですよ。偽りが真実に勝てるわけがないからです。偽我とは、読んで字の如く、偽りの自分ですね。だから、自分のことを個人だといっている人は、自分で自分を偽っているんですよ。個人は嘘の自分、無限は本当の自分、だから自分のことを人間だ!、個人だ!、といっている人は、嘘つきであるということです。これを偽我意識とか自我意識とか、いってるんですね。すなわち、人間意識は自我意識、神意識は神我意識なんです。人間とは、人間の形をした神なんです。形に人間と名前が付いているだけなんです。本質において皆さんは、神なんですよ。本質から離れた神なんていないんですよ。これが神と人との一体感なんですね。無限と個人との一体感なんですね。じゃ本来の皆さんは、個人ですか無限ですか?、人間ですか神ですか?・・・。いくら人間だ個人だと嘘をついても、皆さんが神であり無限である事実は変わらないんです。

 

 皆さんは、修業して神になるんじゃない!、今そのままで神なんです。なぜなら、皆さんの本質そのものが神だからです。そのことを良く理解して下さい。理解すれば、自分のことを人間だとはいわなくなるはずです。

10.無限は天国、個人は地獄、なぜ?

 無限もあって個人もあるという人がおりますが、あるのは無限のみなんですよ。無限一元なんですね。個人というのは、どこにも無いんですね。無い個人に生きている人は、地獄に生きている人なんです。では、なぜ個人は地獄で無限は天国なのか、説明したいと思います。

 

 個人には、生老病死という四苦があるんですね。だから、個人に生きている人には地獄があるんですよ。これは自分が作った地獄で、誰かに与えられた地獄じゃないんです。個人という地獄は、自らが作った自らの獄壁なんです。じゃ地獄というのは、実在するものなんでしょうか?。地獄とは非実在界なんです。天国とは実在界なんです。無限という天国は実際にあるけど、個人という地獄は実際には無いものなんです。だから個人というのは、実在しませんよということなんです。いくらあなたが、私は個人だと嘘をついても、あなたが無限である事実は変わらないんです。

 

 皆さんは、自分のことを人間とか個人とかいってますが、神が無かったら皆さんは存在不可能なんですね。なぜなら、皆さんの本質は神だからですよ。まず、皆さんの本質を見て下さい。皆さんの本質は、霊と水なんですね。この本質が、人間の形をしているだけ・・・。この本質のことを、神と呼んでいるんですね。この神なる本質は、無限なんです。だから、皆さんは無限なんですよ。はじめに無限ありきなんですね。この無限が全ての物の中に宿っているんです。すなわち、無限なる本質が全てを創り、無限なる本質が全てに宿っているんです。だから、全ては無限なんですね。じゃ皆さんは、個人なんですか?。無限なんですか?。個人といったら、自己限定になりますよ。制約になりますよ。個人は実際にあるんですか?。個人は無限のすみ家じゃないですか。

 

 皆さんは無限によって創られたんですから、無限であるはずです。無限は万物の創り主、万物の親なんですよ。この世に無限から離れて存在している物なんて、一物も無いんですよ。ということは、無限一元じゃないですか。どこに個人がいるんですか。嘘をついているだけなんですよ。汝嘘つくなかれ・・・。個人という嘘をついてはいけませんよ。無限は本来の自分なんです。じゃ個人は、個人から出てきたんですか。個人の親は誰なの?・・・。無限の外に親がいるんですか。無限は万物の創り主、万物の親なんですよ。だからこの世の何者も親と呼んではならん、無限こそ我々の親なんです。万象万物は、無限によって成れりなんです。じゃ皆さんは、無限じゃないですか。なのに、どうして個人というんですか。個人と嘘をつくから苦しむんですよ。個人という地獄は、自らが作った自らの獄壁なんですよ。誰もあなたに地獄など与えていないんですよ。自分で苦しみを作って、自分で苦しんでいいるだけなんです。それは個人と思うことによってなんです。

 

 無限が全てを創って無限が全てに宿っているなら、個人はどこにも存在しないんじゃありませんか?。嘘をついているだけなんですよ。その嘘が、地獄を作っているだけなんですね。皆さんは、はじめから無限だったんですよ。今も無限なんですよ。未来永劫無限なんですよ。ただ個人と思うことによって、無限という天国を閉ざしているだけなんですね。自分を無限だと思えば、今即天国なんですよ。だから、天国は汝の内にありなんですね。無限は汝の内にありなんですね。皆さんは、人間でもない、形でもない、個人でもない、無限そのものなんですよ。じゃ皆さんは、人間に属するものですか、無限に属するものですか?・・・。人間とは、人間の形をした無限なんですよ。形は人間でも本質においては、即無限なんです。じゃ皆さんは、個人から遣わされたもの、無限から遣わされたもの・・・。じゃ、どこに帰ります?。無限から生まれし者は、無限に帰るんですね。じゃ今無限におらぬ者は、死んでも無限におらないんじゃないですか。今地獄におる者は、死んでも地獄じゃないですか。じゃ地獄とは何ですか?。個人意識のことじゃないですか。

 

 個人は争いますが、無限は争いますか?。無限には争いが無いんですよ。平安なんです。平和なんです。だから皆さんは、個人という地獄から解放されねばならないんです。無限が個人意識に落ちることを、地獄に落ちるというんですよ。では誰が意識を上げるの?。あなた自身ではありませんか。あなたは自分のことを個人だと思っていて、無限になり得るんですか。思っている通りのもの、それ以上のものでも以下のものでもないんですよ。では誰が、あなたを個人にしたんでしょうか?。誰が、無限にするんでしょうか?。じゃ救い主は、誰なんでしょうか?。個人を無限に上げるも上げないも、あなた次第じゃありませんか。個人は自我意識といって、地獄なんですよ。無限は神我意識といって、天国なんですよ。だから神我は天国で、自我は地獄なんです。では個人という地獄は、誰が作ったんですか?。実際にあるんですか?。ありもしないのに、勝手に嘘ついてるだけなんですよ。実際にないものを実際にあると、実際にあるものを実際にないと、錯覚しているだけなんですよ。いくら皆さんが、人間だ個人だと錯覚していても、皆さんの実相が無限なのは変わらないんです。

 

 無限から離れて存在しているものなんて、一物もないんですよ。一個の独立した個人があるんでしょうか?。無限に区切りがあるんですか?。無限は限定できるもの?、できないもの?・・・。分割できるんでしょうか?。無限の中には、いかなる分離分断もないんですよ。だから、個人という制約を作ってはなりませんね。作った途端、地獄を作ってしまうんですよ。じゃ地獄とは、自我意識そのものじゃありませんか。天国とは、神我意識そのものじゃありませんか。それは、無限意識、普遍意識、宇宙意識です。だから、天国という場所があるんじゃない、意識状態があるだけなんですね。天国とは神我意識のことで、地獄とは自我意識のことなんです。だから、自我からの脱皮を地獄からの脱皮というんですよ。その個人という地獄は、自らの意識が作ってますので、自らが作った自らの獄壁なんですよ。だから一日も速く、自我意識を克服せねばならないんです。

 

 無限は実際にあるけど、個人は実際には無いんですよ。なのに皆さんは、どうして無い個人に生きるんですか。個人は、地獄そのものじゃないですか。個人意識に生きている限り、永遠に地獄から抜け出すことはできないんです。どうか、一日も早く個人から抜け出して下さい。それを成すのはあなた自身です。他力ではありません。自力です。

11.無限は実相の自分個人は仮相の自分、なぜ?

 良く皆さんは仮相とか実相とかいいますが、仮相というのが何なのか?、実相というのが何なのか?、良く理解しなければならないんですね。で殆どの人が、自分のことを個人だと思っているんです。個人は存在してないんです。存在しているのは、無限のみなんですね。個人もあって無限もあると、嘘はつかないことです。無限一元といいまして、無限は実際にあるけれど、個人は非実在といって実際には無いもの・・・。しかし誰も彼もが、自分のことを個人だと信じ込んでいるんですね。それを盲信的狂信的というんですよ。無い個人を、あると信じ込んでいるんですね。ではなぜ個人は無いのか?・・・、これから説明したいと思います。

 

 この人間が何でできているかといいますと、水でできているんです。お母さんの羊水で・・・でも生きていません。そこに霊というものが宿って、はじめて生きるものになるんですね。この霊と水が無かったとすると、人間という形は存在できないんです。この霊と水が、皆さんの本質なんです。で皆さんは、人間という形を見て、本質を観てないんですね。実際にあるのは、形じゃないんですよ。実際にあるのは、本質なんですね。はじめに本質ありきであって、形ありきじゃないんですよ。しかし殆どの人が、形の世界でものを見ているんですね。その形というのは、本質の仮の姿としてあるんですよ。だから形の世界を、仮相世界というんです。この形は本質の仮の姿としてはあるけれど、実在ではないんです。実際にあるのは、本質のみなんです。その本質は、無限なんです。なぜ無限なのかといいますと、水も無限で霊も無限だからですよ。無限なる水と無限なる霊が、すべての物の本質なんです。

 

 その水と霊は実際にあるけれど、人間はどこにも無いんですよ。人間とは、人間の形をした霊と水なんですね。つまり本質なんですよ。その本質が無限大なんですね。そこには個人もいないし、人間もいないんですよ。じゃ皆さんは、なぜ個人なの?・・・。実際にあるのは個人じゃなくて、無限なんですよ。この個人というのは、一秒間も無限から離れて存在できないんですね。形が本質から離れて存在できるわけがないんです。その本質は姿形が無い、無形にして無双なんですよ。無形無双の無限であって、有形の無限というのは無いんですよ。じゃ皆さんは、形に属するもの?、本質に属するもの?、・・・。本質に属するものですね。その本質においては、個人ですか?。無限ですか?。無限ですね。無限なる本質であって、個人的本質なんてないんですよ。だから本質が無かったら、形という世界は存在できませんよ、ということなんですね。じゃ形の世界は実相世界?、仮相世界?・・・。仮相世界ですね。形あるものに、実相というのはないんですよ。形ある物は、ことごとく仮相なんですね。だからこの世という物質の世界は、仮相世界なんです。形があるということは、必ず本質があるということです。本質があるということは、必ず形があるということです。

 

 実際にあるのは、人間という形ではなく、無限という本質なんです。例えば、これは何ですかと質問すると、誰もがコップですいいます。でも、これはコップの形をしたガラスなんですね。形を見ればコップかも知れないが、本質を見ればガラスなんです。ガラスがコップの形をしているだけ・・・。コップとは、ガラスがコップの形をした時に付けた名前なんです。人間とは、人間の形をした時に付けられた名前なんです。ガラスという本質が無くては、コップという形はあり得ないように、無限という本質が無くては、人間という形は存在できないんです。実際にあるのは、人間じゃなく本質なんです。人間なんて、どこにもいないんです。いくら私は人間だと言い張っても、あなたの本質が無限である事実は変わらないんです。これが無限真理なんですね・・・。無限は真理で、形は被造物なんですよ。

 

 無限は万物の創り主万物の親なんですね。無限が万象万物を創って無限が万象万物に宿っている、これが神が全てに宿っている、無限が全てに宿っている、という真理なんですね。だから神のみが生き、無限のみが生きている、ということになるんですね。人間はいまだかって生きたことが無いんですよ。人間とは人間の形をした無限ですよ、ということなんですね。人間は無限の化身なんですね。じゃ皆さんは、人の子ですか?、無限の子ですか?・・・。無限の子ですね。

 

 その無限は分割することができない、区切ることができない、制約がない、無制約無制限なんです。すなわち無限は、無碍自在観自在なんです。だから本質の世界には、個人的というのはないんですね。だから、無限もあって個人もあるという、二枚舌は使わないことです。実際にあるのは個人じゃなく、実際にあるのは無限のみ、無限一元神一元なんです。

 

 じゃ、すべてが無限である理由を申し上げましょう。無限が全てを創って無限が全てに宿っているということは、全ては何なの?・・・。ではどこに個人はいるの?・・・。個人は初めから存在してないんです。あるのは無限のみなんです。神のみが独存する。無限のみが独存する。だから皆さんは、自分のことを個人だといった瞬間、嘘をついたことになるんです。なぜかというと、個人は嘘の自分、無限は真実の自分だからですよ。自分で自分を偽っているということなんです。じゃ皆さんは、個人を見ているときホンモノを見てるの、ニセモノを見てるの・・・。仮相の自分を見てるんですよ。無限を見ているときは、実相の自分を観てるんですね。じゃ見るべきものは、個人なの?、無限なの?・・・。どちらが正しくものを見ています?。本来のあなたは個人なの?、無限なの?・・・。無限ですね。個人は無限の現れにしか過ぎないんです。だから個人の自分は現象我で、無限の自分は実在我になるんですね。現れている自分を見て、現わしている自分を観てないんです。だから形ある物は、ことごとく仮相である、だから形の世界は仮そう世界、本質の世界は実相世界となるんですね。

 

 その本質のことを天といってるんですよ。形のことを地といってるんですね。形の世界は地で、本質の世界は天なんです。その形という地には、本質という天が必ず宿ってるんです。その天が無限なんです。地は個人なんです。だから天は汝の内にありなんですね。天と地は一体、無限と個人は一体なんです。自分を個人と思うことによって、無限という天を閉ざしてしまうんですよ。天の扉が開かれた、無限の扉が開かれたとは?・・・無限と思っているときは、天の扉が開らかれているんですよ。じゃ開くも開かないも、誰次第ですか?・・・。自分次第ですね。

 

 我無限なりは本心です。我個人なりは偽心です。あなたは人間でもないし個人でもない、今即無限なんです。このコップが、私はコップだと嘘をついても、ガラスである事実は変わらない・・・。いくらあなたが個人だ人間だといっても、あなたが無限である事実は変わらないんです。個人は無限の現れにしか過ぎない、この事実は誰も曲げられないんです。あなたは初めから無限だったんです。今も無限なんです。永遠に無限なんです。かってに仮相の個人を、自分だと盲信しているだけなんです。しかし、嘘をついていようがいまいが、あなたが初めから無限である事実は変わらないんです。個人を見るか、無限を観るか、ニセモノを見るか、ホンモノを観るか、どこを見るかだけなんです。じゃ個人を見ているときはニセモノ思考、無限のを観ているときはホンモノ思考、すなわち無限を観ているときは内観、個人を見ているときは外観、形は外界、本質は内界、本質は内的自分、形は外的自分、どこを見るかだけなんです。

 

 「我人間なり!」は概念なんです。「我無限なり!」は憶念なんです。概念は幻で、憶念は真実です。だから外を見て、外の話をしているときは、嘘をついてるんです。内を観て、内の話をしているときは、真実を話しているんです。どうか皆さんは、嘘をつかないようにして下さい。嘘をついた途端あなたは、神を冒涜していることになるんですから・・・。なぜなら、私達は神から生まれた神の子だからです。無限から生まれた無限の子だからです。どうか「我無限なり!」と憶念して下さい。

12.生命の自分はホンモノの自分、肉体の自分はニセモノの自分、なぜ?

 生命は、この宇宙にたった一つしかありません。たった一つしか無いから、生命は無限なんですね。たった一つしか無い無限なる生命が、様々な物体を現わしているだけ・・・。どういう物体であろうと、本質においては生命なんです。いくらあなたが人間だといったところで、あなたが生命なのは間違いないんです。世の中には、嘘つきしかいないんですね。嘘の自分を見て真実の自分を観てない、じゃ、本来のあなたは肉的存在ですか ?生命的存在ですか? 吾生命なりですね・・・。

 

 肉に生きるは死なんです。生きているのは血や肉でなく、生命のみが生きているからです。いまだかって肉体が生きたことはないんです。人間は生命によって創られた生命の棲家、生ける生命の宮なんです。人間が生きているんじゃない、肉体が生きているんじゃない、生命のみが生きているんです。すべての万象万物物の中に生きているということです。じゃ、私の中におる生命と、皆さんの中におる生命とは、同じ生命じゃありませんか。誰彼という生命は無いんです。生命はこの宇宙に一つしか無いんです。一つしか無いから、あなたの生命は私の生命、私の生命はあなたの生命なんです。生命にはいかなる区切りも分断も無いんです。生命は、何かで制限したり制約したりできるもんじゃない。無制限無制約である。無碍であり自在であるということです。だから、肉体という形が無くなったからといって、生命が無くなるもんじゃないんです。

 

 この個体という肉体は、生命の変化物なんです。だから肉体は、生命の化身といわれるもの、神の化身といわれるもんなんですね。その生命は見えないんです。その見えない生命が、あなたの中にも私の中にも宿っているんです。じゃ、はじめに見える物があったのか、見えないものがあったのか・・・。見える物はすべ見えない生命の仮の姿、だから物質はすべて生命の仮の姿なんです。じや、物質はホンモノなんですか?、ニセモノなんですか?・・・。

 

 あなた方は物質眼を開くんじゃなくて、生命眼(霊眼)を開かなくちゃならないんです。しかし殆どの人が、物質という幻に目隠しされているんですね。じゃ、生命眼を開くには、どうすればいいんですか? 物質を見ることですか? 生命を観ることですか? 内なる生命を観なくちゃならない。あなた方一人ひとりの中には、必ず生命が宿っているんです。何で?・・・。生命は万物の創り主、万物の親だからです。だから、山の生命、海の生命、植物の生命、動物の生命、人間の生命、ことごとく生命なんです。すべてに生命が宿っているということです。じゃ、生命がすべての物を創り生命がすべての物に宿っているなら、すべては何でしょうか? 生命ですね。じゃ、皆さんは人間になんですか? 生命なんですか? 人間ってどこにおります? 人間とは、人間の形をした生命じゃありませんか? いくらあなたが人間だといったところで、あなたの本質が生命なのは変わらないんです。

 

 生命のみが生き、生命のみが働いているんです。実際に無い人間が生きることはない、働くことも無い。どうして、実際に無いない人間が生きられますか? 働けますか? だから、人間が天に帰ることは無い、生命に目覚めた者のみが、天に帰るんです。生命のことを天と呼んでいるし、人間のことを地と呼んでいる。生命と肉体は一体、天と地は一体、天と地を一体ならしめよ!、なんです。じゃ、皆さんは天から来たんですか? 地から来たんですか? どこから来ましたか? 生命から出てきたものは、生命に帰るんです。肉から出てきたものは、肉に帰るんです。出てきたところが分からなくては、帰るべきところが分からないだろうと・・・。それが、生きているときに生命におらない者は、死んでも生命におらないという意味なんです。生きているときはニセモノで、死んだらホンモノということは絶対あり得ないということです。だから皆さんは、生命に目覚めなければならないんです。

 

 「吾生命なり! 吾生命なり! 吾生命なり! 」と、いくらいってもいい過ぎるということはありません。あなた達は、嘘をいい過ぎているんです。いくらあなたが人間だとをいったところで、あなたが生命である事実は変わりないんです。決して嘘をつかないように、嘘の罪を犯さないように注意してください。

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