【第三集】

1.生命とは何か、肉体とは何か、

 生命とは何かと言われましたとき、生命が何であるかということを答え切れる人がこの中に、何名おるかということなんですね。生命が何であるかということを知らないということは、命知らずということなんですよ。命を知らないと。で、命を知らないってことは、自分を知らないっていう意味なんですね。で、ほとんどの人が肉体を自分だと思っている人がいるんですね。肉体が自分なのか、生命が自分なのか、と・・・。だから、本当の自分と偽りの自分というのが、ありますけれども、肉体のことを偽我というんですよ。生命のことを真我と。

我肉体なりですか? 生命なりですか? 生命は本当の自分。肉体は、偽りの自分となるんですね。その生命の世界には個人というのは、ない。小さなものってのはないんですね。生命は即宇宙ですから。宇宙我となりますと生命は即無限ですよと皆さんは何を見て自分のことを個人と思っているのかというと肉体を見てなんですね。肉体は確かに個我ですから。生命は宇宙我ですから。で、皆さん方はこの肉体っていうものを見て「私」って普通言うんですね。これは嘘をついているんですよ。肉体は嘘のあなた、生命は真実のあなた、ということなんですね。で、生きているのは肉じゃないんですよ。肉体は生命がまとっている衣装なんです。肉体衣装といいまして。で、肉的死によって生命ってものが死ぬことはないんです。永遠の生命ですから。無限生命。だから誰彼の生命ってものはないんですよ。全一の生命。唯一不二の生命と言いまして。たった一つの生命に基づいてすべては生かされている、ということですよ。だから皆さんは嘘つきにならないように気をつけたほうがいいと思います。肉体は嘘のあなた、生命は真実のあなたになるんですね。肉体はいまだかつて生きたことはないんですね。この肉体ってのは何でできてるかというと。水様質量と言って水でできるんですね。だから肉体のことを水子と言うんです。これを皆さま方が、肉体とか人間とか呼んでいる。これは単なる物体ですよと。肉体はエネルギー体ですか物体ですか。物体なんですよ。この物体はなぜ水でできるかといいます。お母さんの羊水で10ヶ月10日で出来るんです。生きていません。生きてます?  肉体が生きていると嘘だけはつかぬ事ですよ。生きてるんじゃなくて生かされてるんですよ。何によって?生命によって。この生命は個人生命でしょうか。大生命でしょうか。大生命宇宙生命なんですね。

これ宇宙我なんですよ。宇宙あるいは無限なんですね。無限生命。個人生命っていうのはないんです。個人生命というのは。だから肉体というものを絶対に自分だと見てはならない。だから肉体見てるときは偽物志向と言って偽物なんですよ。肉体のこと偽我といいます。生命のことを真我といいます。我生命なり。では生命において皆さん個人なんですか?無限ですね。生命においては、個人生命っていうのはないわけですから。生命には区切りも分離も分割もないんです。全一の生命であって。宇宙生命。無限生命。その生命っていうのは何かというと、生命力といってエネルギーなんですよ。生命体というのはエネルギー体という意味なんですよ。生命というエネルギーがなくては肉という物質は存在できないんですよ。じゃ生きてるのは? エネルギーのみが生きてるんですね。エネルギー不滅のエネルギー。生命不滅の生命。だから肉という物体がなくなってもエネルギーというのは死ぬことがない。だから肉体という物体は生命というエネルギーの住処ということなんです。

 

 

 

2.神は実相の自分。そして人間というのは仮相の自分。

 人間もあって神もあるという人がおりますけれども。神のみが、独存しているんですね。神というのは絶対実在と言って神のほかに実在するものはない。この人間とは何かというと、人間の形をした。神なんですよ。しかし皆さん方が形にいい名前をつけて人間というその呼び名をしているわけです。人間は神から1秒間も離れて存在することはできない。神が人間から離れて存在することは不可能なんですね。で、神から離れた人間もいないし人間から離れた。神もいない。これが、人と神との一体感。一体感というのは異なるもの? 同じもの? 同じものってことなんですよ。人もいて神もいる…という嘘つきにならないように。人間即神.神即人間それが神一元という意味なんです。しかし皆さん方人間と神は別々のものという人が多いんですね。別々には存在できない。なぜ別々に存在できないかということをこれから説明してみたいと思います。人間の本質そのものが神であるからなんです。これを皆さん方人間と呼んでおりますけれども。人間とは霊と水の仮の姿なんですよ。で、これは神ですから。初めに神がいるわけです。この神という本質がなければ人間という形は存在できないわけですよ。神とはすべての本質なんですよ。形が形を作るのではない。人間とは人間の形をした、神、本質なんですよ。本質を見ないで皆さんは形を見てその形に。人間という名前がついただけ。形は人間でも本質においては、神である。では初めに何ありき? 形が形を作ることはできない。この世の形あるもので、神を宿さぬものは一物もないんですよ。本質がすべての形体を作って本質がすべての形体に宿ってるってことはすべてに神は宿ってると。神がすべてを作って神がすべてに宿っているならば、なぜ皆さんは人間なの? じゃっ神の化身じゃありませんか? 人間とは人間の形をした。神である。形は人間でも本質においては、即神であるとその神という本質を見るのか。人間という形を見るのか。で、形の世界は仮相の世界。本質は? じゃ本質においてあなたが人間なんですか? 本質においては? この人間という形は修行して神になるのじゃない。今即神なんですよ。それが人と神との一体感。人間という形は本質という神から一秒間も。離れることはできないんですよ。これが人と神との一体感。で、皆さん方は人と神との分離感を持っているんですよ。分離感。別々に存在している…それを誰が教えたか? 宗教家が教えたんですよ。別々に存在できるんですか? 人間という形が本質から離れては存在できない。で、本質は人間から離れては存在できないんですよ。すべての形体は本質の中に存在して本質はすべての形体に存在していると。だから、人は神の中におり、神は人の中におると。そうなるとなぜ皆さんは人間なの? 神は本物の自分。人間は偽物の自分、人間のことを偽我と言うんです。神のことを…真我。では。真我到達とは? 我神なり!あなたは、悟ったら人間となるの? 人間は嘘の自分。神は真実の自分なんですよ。

自分のことを人間だと言っている一人一人は嘘つきじゃありませんか。嘘つきですよね。自分で自分を偽っているんですよね。じゃ人間のことを真我というの? 偽我というの? 偽我。神のことを? 真我。真我到達とは?我神なり! 神なる我と人間なる我とどちらが本物? 神眼を開くべき? 肉眼を開くべき? 人間を見ようなの? 神を見ようなの? じゃ人間を見てるのはただの盲じゃありませんか? 実際にあるんですか? もう一度います。あなたが私は人間だと嘘をつこうがつくまいが、今の今神である事実は変わらないんですよ。例えば、このコップが嘘つきで私はガラスではないコップであると言ったところでガラスである事実は、変わらないんですよ。何で? コップの本質は即ガラス。人間の本質は即神である。これが汝嘘つくなかれ、ということなんですよ。人間ですよね皆さんは? 神です。じゃ人間を見ようなの?  神を見ようなの?  神を見よう! どちらが正しくもの見てます?  仮相という人間を見るか? その内なる神を見るのか? 内なる神とは内なる本質なんですよ。本質は内なる自己。形は?  外なる自己。外を見るなというのは形を見るな。内を見ようというのは? 本質を見よ。本質を見れば神。形を見れば人間なんですね。人間という仮相で目隠しされて実相という神を見失ってはならないんですよ。じゃ私は人間ですという1人1人は嘘つきじゃありませんか?  嘘つきです。何で?  人間は真実の自分?  嘘の自分?  真我ですか?  自我ですよ。人間意識のことを自我意識というんですよ。神意識のことを?  真我意識です。じゃ真我到達とは?  我神なり!  それに勝るものがありますか?  ないです。神こそ絶対実在なんですよ。で、すべてが神である理由を申し上げます。形こそ異なりますけれども。本質においては唯一なる神ではありませんか? 何で?  唯一なる神がすべてを作って唯一なる神がすべてに宿っているなら、すべては何なの?  神です。じゃ全き神じゃありませんか?  じゃ神の他に何があるの?  何もないです。その神の他に何かがあると思うことそのものが迷妄じゃありませんか?  嘘をついていませんか? 実際にない話はやめたほうがいいですよ。実際にあるのは神のみなんですよ。これが神こそ絶対実在。だから神は絶対者だと! 絶対実在なんですよ! 神のみが独存するんですよ! 神の他には何もないんですよ! もしこの世の中に神を宿していないものが一物でもあったとすると、神は無限ではありえないし、完全でもありえないんですよ。すべてが神なるが故に、神は無限なんですよ。

 

3.真我とは何か自我とは何か。

真我という言葉どこでも使われていますけれども。真我とは一体全体何なのと言われましたならば、答え切れる人はいないんですね。自我という言葉も使いますけれども、自我が何なのかをわからない人が多いわけです。自我意識。真我意識。何のことを真我意識というのだろうか。何のことを自我意識というのだろうか。これを徹底的に追求してみたいと思いますね。皆さん方は自分のことを人間だと思っているわけです。この人間意識そのものが自我意識なんですね。で、本来は人間というのはいないんです。人間というのは実在はしていないんですね。実在していないけれども人間はあるんだと思っている人が大半なんです。それは皆さんの錯覚でありまして。本当にあるのは人間じゃないんです。で、実在と言ってこの真我というのは実在しますけれども、自我も存在するというのは相当狂ったものの味方をしていると。実際にあるのはひとつ。唯一なるものしかないんですね。何があるかというと。真我のみが独存しているんですね。真我のみが。で人もいて神もいるという嘘をつく人が結構多いんですね。神というのは実際にあるけれども人というのは実在しないものということなんですよ。だから真我意識もあって自我意識もあるわけじゃないんです。実際にあるのは、真我意識のみなんですね。真我意識とは字のごとく神意識のことです。神もいて人もいると、こんな嘘はつかないことです。なぜ神もいて人が実在しないのかと。神のみが何故独存するのかという事をこれから説明してみたいと思います。まず人間の本質から知るべきなんですね。神の国は霊と水の国と。この人間とかこの肉体というものはお母さんの羊水で出来るわけです。10か月10日で、生きていません。これが生きた試しがないんですね。これを生かしているものがあると、これが御霊ですよ。命でもいいですよ。霊ですよと。この霊のことをまたは霊魂と言いまして。魂と呼んでいます。魂と呼んでいると。で、霊と水が人間の形をしているだけなんですよ。肉体形体と言って。じゃ肉体も実在して霊と水も実在するんでしょうか。で皆さん方形の世界もあって本質の世界もあると、嘘はつかないことです。これが皆さんの本質なんですね。本質的なもの。本質が人間の形をしているだけ。形と本質は別々のものでしょうか、同じものなんでしょうか。例えばです。コップとカラスは二つのものがあるんでしょうか。コップもあってカラスもあるわけじゃないんです。コップは即ガラス。ガラス即コップなんですね。人間即神。神即人間なんです。だからこの人間という形は本質である神から離れては存在しないと。その本質である真我のことを皆さん方真我と言っているんです。じゃ真我とは人間なんでしょうか。神なんでしょうか。初めに人間があったんでしょうか。神があったんでしょうか。初めに形があるはずがないんですね。初めに本質ありきなんですよ。その本質によってすべての形体は成り立っているんです。形の数ほど本質があるのではないんです。本質は1にして多形であるということですよ。だから私の本質と皆さんの本質は同じ本質なんですね。だから神は一様ですよと様々な本質があるわけじゃありませんので、様々な神がいるわけではありませんと。じゃ神は何名おるんでしょうか。一つの神しかいないんですね。それは有限なんでしょうか無限なんでしょうか。で、無限なんですね。で皆さん方は自分のことをなんと言ってるかというと個人と呼んでいるんです。個人。個人も実在して無限も実在するんでしょうか。この個人というのは無限の現れにしか過ぎない。仮の姿。実際にあるのは個人ではなくて無限のみなんです。だから神は無限者であられ普遍者であられると。

で、一なる無限がすべてを作って一なる無限我すべてに宿っているなら、すべては何でしょう。じゃどこに個人が存在しているんでしょう。嘘をついてるだけなんですよ。個人はいるんでしょうか。形においては、個人かもしれないけれども本質においては、無限ですよ。この個人は一度からも無限という本質から離れることはできない。だから個人は無限に繋がらなければ、不毛であるということですよ。じゃはじめに無限ありきですね。じゃ無限がすべてを作って無限がすべてに宿っているなら、すべては何でしょう。個人はどこにいらっしゃるんでしょうか。作り話なんですね。嘘をついているだけなんですよ。だから個人意識のことを自我意識というんですね。で、無限意識のことを真我意識。我は? 本来のあなたは個人でしょうか。無限なんでしょうか。個人意識のことを真我意識というの?   自我意識というの? じゃ皆さん方自分のことを個人だと思っている時、何意識なの? この個人という自我は、無限という真我には勝てないんですよ。偽りが真実に勝てるわけがない。だから自分のことを個人だと言っている人は自分で自分を偽っているんですよ。ということなんです。すなわち嘘つきであるということですね。個人は本当のあなた? 嘘のあなた? だから自分のことを人間だ個人だと言っている一人一人は嘘つきであるということです。これを偽我と言うんですね。或いは自我と言うんですよ。

すなわち、人間意識自我意識。個人意識は自我意識なんです。神意識と言って。我? 人間なり? どこに人間がいるの? 人間の形をした神なんですよ。その形に人間という名前がついているだけ。本質においては人間でなくて。本質においては? 本質っていう神から離れて存在している人間というのはいないってことですよ。これが人と神との一体感。すなわち無限と個人の一体感。で個人という偽りを見て無限という真実を皆さん、見ていないんですね。じゃ、本来のあなたは個人でしょうか? 無限なんでしょうか? それが視野の拡大。意識の拡大。意識の高揚という意味なんです。私は個人ですと言っている人は嘘をついているということです。じゃ皆さん方は、自分のことを個人だと思っている時何意識なんでしょう。自我意識。 無限だと思っている時は? 真我意識。真我到達とは? 我無限なり。本来のあなたは個人なの? 無限なの? 正しく見るということは偽りである個人を見るべき? 真実である無限を見るべき? 無限を見ている時は本物志向で個人を見ている時は偽物志向。偽物なんです。偽物を見て本物を見てないんですね。これを釈迦の言った正見。正く見るということなんですけれども。皆さん方は実在しない人間を見て実在という無限神を見失っているんですよ。初めに何があったんでしょうか。無限という神がいたんですよ。

 

4.霊は光。そして肉体は影。なぜ。

霊っていう言葉どこでも使われていますけれども霊=光なんですね。霊光と言いまして。その光がなくては影という世界は存在しないということなんです。生きているのは影なのか生きているのは、光なのかということなんですね。で、みなさんは肉体という影を見てしまって、内なる光を見ていないんです。だから肉体のことを物質性といって陰性と言うんですね。例えを申し上げますと肉体は何で出来ているかというと宇宙の塵・水の質量で出来るわけです。じゃこの肉体は陽なんでしょうか? 陰なんでしょうか? それは物体ですから。物体。これは、陰の世界なんですね。陰性ですよっていうことなんです。すなわちマイナスなんですね。マイナス。じゃ、肉体は生きていますか。生きていませんよ。生きるはずがないんですね。物体ですから。それを生かしているのは何かと言うと。霊なんですね。霊。霊というのは、霊光と言って、即光なんです。ここは陽の世界なんですね。陽性と言って。じゃ、肉体は陰性ですか? 陽性ですか? 二分10秒

陽の自分と。生きてるのは光のみが生きているんです。光のみが。だから肉体が生きているという嘘だけはつかぬように。生きているのは? 霊のみが生き、霊のみが働くということなんです。この肉体というものは、霊の働く場であり、霊が働くための道具なんですよ。道具。しかし皆さん方は嘘をつくんですね。肉体が生きているという嘘をつくんですよ。生きているんじゃないんですよ。生かされている。初めから死んでるんですから。死んでいるんです。これが肉に生きるは死であるということなんです。じゃ、肉の自分と霊的自分とどちらが本当の自分なんでしょうか。我は霊なりというのは我は、光なりということなんです。その光のことを皆さん方は、天と言っているんですよ。影のことを? 天地一体というのは光と影は一体という意味なんですね。だから肉を我として生きるものは影を我として生きている。影が生きているはずがない。影が生きてるはずがないんですね。生きているのは? その光のことを皆さん方は、神と言ってるんですよ。霊光燦然と輝くと。我は? 我は霊なりというのと、我光なりと言うのとは? これを光明思念というんですよ。光明思念。で物質は闇の世界ですから。闇思念となるんですね。すなわち物質は闇の王国。霊は? 光の国と。じゃ霊に満たされるということは? 光に? で、この光への一心集中を皆さん方なんと言ってるかというと瞑想と言っておりますね。瞑想と。瞑想とは我は? じゃ見るべきものは世の影なのか。内なる光なのかということですよ。肉という影は一秒間も霊という光から離れることはできないんです。生きているのは、光のみなんですね。霊光燦然と輝くと、その光は宇宙に幾つあると思います? 霊太陽と言って太陽神なんですね。すなわち光なんですよ。光エネルギーであって影エネルギーではないんですね。すなわち、光のみが生き、光のみがある。神のみがいる。なんで? 神は影なりき? 光なりきなんですよ。じゃ肉体を見ている時何を見ているの? 物質この世の物質に陽というものは一物もないんですよ。物質はことごとく陰なんです。陰なんですよ。じゃ影は生きてるんですか? 世の影というものは、霊と光の操り人形なんですよ。じゃ彼の背後には必ず何があります? これを後光というんです。後光。前光じゃありませんよ。背後霊というのは背後の光ということなんですよ。じゃ守護霊というのは主語の光ということなんですよ。この世の肉という影は霊という光の守護なしでは生きることはできないんですよ。だから、我は霊なりっていうのは、光なりと。じゃ霊眼を開くことと、光眼を開くこととは、これを光明思念と。我は? 霊なり? 我は、光なりと。 嘘をつくんですね。世の影は内なる光には勝てなかった。光と影の戦いですよ。影は偽我。光は? 真我となります。真我とは神我ってことですよ。じゃ私の中に宿っている光と皆さんの中に宿っている光とは影の数ほど肉の数ほど霊があるのじゃない。ちょうどこの世のおてんと様も同じ。私の太陽というものはないんですよ。一つの太陽が私にもあなたにも照らされていると、これを霊太陽と言われているもの。

じゃ霊は? 影の世界ですか? 霊王国光の王国なんですよ。一切を照らす光。それは無限大の普遍なる光なんです。だから、この霊に満たされるっていうことは光に、光に! 満たされるってことなんですね。だから、イエスキリストは、我は光なりと ‘I am light’と言ったんですね。我は霊なり。光より語ると言ったんですね。じゃ物質を追いまくっているということは? 物質は何の世界? 霊界は? この物質という。影は、霊という光から離れることはできないんですよ。だから肉体は一秒間も光に繋がらなければ不毛であると肉という影は、霊という光の操り人形だからです。じゃ生きているのは影が生きているの? 光のみが生きているの? 霊のみが生きて働くんですよ。私を照らしてる光と皆さんを照らしている光とは? 同一の光。同一の霊なんですよ。だからあなたの霊、私の霊というのはいないんです。私の中におる光と皆さんの中におる光とは? 同一の光だからですよ。だから誰かれの霊があると言ったらこの人は嘘ついていますよ。唯一、不二の霊ですから。ということは唯一不二の光。たった一つの光がすべての影を生かしているということですよ。だから物質という影を求めるべきなのか? 永遠に消えない聖なる光なのかということですよ。我は? 我は霊なり。我は? 言ってる言葉の意味をよく理解しなさい。ってことですよ。