動くことの大切さは、これまで、何度も言ってきたことですが、再度、確認しておきましょう。
この表現世界で、動いていないものなど、一つもありません。
石も、動いています。
植物も、動いています。
動物も、動いています。
勿論、人間も、動いています。
動けば、出会いが生まれ、様々なドラマが生まれます。
そのドラマの体験が、魂を大きくしてくれるのです。
でも、動くためには、想念が必要です。体が勝手に動くことはないからです。
ああ、動かそう! こう、動かそう! と、想念するから、体が動くのです。
だから、「想念は実現の母」と言われるのです。
生き物は、動いたものに、目や耳を傾けます。
耳や目は、センサーのような働きをしているのです。
しかし、耳や目を通して、実際に情報を受け取るのは、意識です。
受け取った意識は、受け取った情報に対して、何らかの反応を示します。
その反応は、鉱物や植物や動物は、背後の神が行います。
でも、人間は、自由意思を持っていますので、自分の想念を動かして行うのです。
では、想念を動かすと、どうして、原子核が増えるのでしょうか?
それは、想念が、エネルギーを集めるからです。
エネルギーそのものが、意識の核(原子核)ですから、 想念を集中させる(動かす)ことによって、原子核を増やすことができるのです。
それも、強く想えば、思うほど、多く増やすことができるのです。
私たちは、普段、色々なことを思っていますが、色々なことを思っている時は、エネルギーが分散しているので、実現力が弱いのです。
実現力を強めるためには、想いを一点に集中させ、エネルギーを強める必要があるのです。
瞑想で、集中が必要なのは、そのためです。
「体験は、宝!!」と言われるのは、動けば、たくさん出会いが生まれ、 たくさん体験できるからです。
たくさん体験できれば、原子核が増えるのです。
なぜなら、「犬も歩けば、棒に当たる!」からです。
この諺は、棒に当たって、こけた犬は、必ず、何かを掴んで起き上がるので、それだけ成長する、と言う意味なのです。
私たちは、物質界でも、原子核を増やすことができますが、幽界でも、増やすことができるのです。
いや、夢の中でも、幻覚の中でも、原子核を増やすことができるのです。
それは、想念を動かすからです。
想念を動かすことが、いかに、大切か?、分かって頂けたと思います。
真理を求める気持ちが萎えてしまう! 瞑想がしたくない!
こう言う気持ちになるのは、サタンに、やられているからです。
では、サタンに、やられないためには、どうすれば、良いでしょうか?
それは、体を動かし、汗を流すことです。
汗を流せば、波動が上がるので、サタンに、やられづらくなるのです。
ジョギングをするのも良いでしょう!、体操をするのも良いでしょう!
体を動かした後、風呂に入って、汗を流してください。気持ちが晴ればれします。
一番大敵なのは、気持を落ち込ませることです。
気持ちを落ち込ませると、悪い波動が同調してきて、ますます、神に顔を向けたくなくなるのです。
体を動かすことほど、大切なことはありません。
どうか、サタンに負けないよう、体を動かしてください 。
知花俊彦 先生は、よく、こう言われました。
「思っている通りのもので、それ以上でも以下でもないのですよ!」と・・・。
そうなのです。
私たちの想念は、思った通りのものを実現させる、偉大な力を持っているのです。
ならば、その想念を使って、良いものを実現させましょう!
この宇宙を、3つに分けてみましょう!
物質界は、幻の世界です。
幽霊界も、幻の世界です。
神霊界は、真実の世界(実在界)です。
物質界を意識すると、物質界の影響を受けます。
幽霊界を意識すると、幽霊界の影響を受けます。
学びの友の皆さんは、物質界や幽霊界から、卒業しなければならない魂ですから、一番波動の高い、神霊界を意識しなくてはなりません。
どうか、神霊界を意識(瞑想)してください。
それは、神(皆さんのマントラ)を、想えばいいだけです。
2024.09.08
今、宇宙(1)が有ると言うことは、 永遠の過去にも、宇宙(1)が有ったし、永遠の未来にも、宇宙(1)が有る、と言う証しなのです。
なにせ、今、1(宇宙)が有るのですから、否定のしようがありません。
この論理を、他のものに、当てはめてみましょう!
今、「私」が有ると言うことは、「私」が1で有ると言うことであり、「私」は、永遠の過去にも有ったし、永遠の未来にも有る、と言う証しなのです。
今、「あなた」が有ると言うことは、「あなた」が(1)であると言うことであり、「あなた」は、永遠の過去にも有ったし、永遠の未来にも有る、と言う証しなのです。
今、「地球」が有ると言うことは、「地球」が(1)であると言うことであり、 「地球」は、永遠の過去にも有ったし、永遠の未来にも有る、と言う証しなのです。
何せ、今、「私」が、「あなた」が、「地球」が、有るのですから、否定のしようがありません。
(1)が有るから、全てがあるのです。
なぜなら、全ては、(1)から生まれたからです。
その(1)は、無限であり、無限は、(1)なのです。
だから、(1)の中に無限が有り、無限の中に(1)が有る、と言えるのです。
このように、(1)から全てのものが生まれ、全てのものは、無限から生まれたのです。
2024.09.07
原因と結果の法則
結果だけ有って、原因が無いと言うことは、絶対、ありません。
結果と原因は、絶対、切り離せないのです。
もし、今、あなたに、良い結果が来ているとしたら、あなたが、良い原因を創っていたからです。
反対に、悪い結果が来ているとしたら、あなたが、悪い原因を創っていたからです。
原因と結果の法則は、一直線上に働くのです。
それを、端的に表しているのが、星の光です。
地球には、今、たくさんの星から光が届いています。
光が届いている状態は、結果です。
と言うことは、その背後に、必ず、原因があるはずです。
では、その原因を創ったのは、誰でしょうか?
それは、光を受け取っている、地球人類です。
地球人類が、原因を創り、地球人類が、結果を受け取っているのです。
光を放っている星と受け取っている星の間には、必ず、「因果関係」が成立しているのです。
無関係のところから、星の光が届くわけがないからです。
なぜなら、原因と結果は、切り離せないからです。
今、あなたは、花を見せられております。それは、結果です。
見せられている結果があると言うことは、必ず、見せている原因があるのです。
その原因は、見せられている本人です。
なぜなら、原因(見せている人)と、結果(見せられている人)は、切り離せないからです。
今、あなたの所に、嫌な結果が来ていると言うことは、あなたが、嫌な原因を創っていたからです。
人が創った原因が、自分のところに帰って来ることもないし、自分が創った原因が、人の所に帰って行くこともないのです。
次のような説明をしたら、なお、解りやすいかもしれません。
自分が相手を認めているから、相手が存在するのです。
自分が認めなかったら、相手は存在しないのです。
自分が光を認めているから、光が存在するのです。
自分が花を認めているから、花が存在するのです。
認めている自分がいなかったら、認められている、光も、花も、存在しないのです。
認めている人間がいなかったら、神が存在しないのと理屈は同じです。
認めている自分が、宇宙を創っているのです。
宇宙が、先にあったわけではないのです。
光が、先にあったわけではないのです。
花が、先にあったわけではないのです。
神が、先にあったわけではないのです。
自分が認めて、初めて、宇宙が生まれ、光が生まれ、花が生まれ、神が生まれたのです。
このことは、何度言っても、言い過ぎることはありません。
なぜなら、何度も、何度も、自分に言い聞かせて、腹の底まで落とすまでは、解かったことにはならないからです。
客観的な見方をしたら、どうしても、心が暗くなってしまいます。
なぜなら、自分が犯した罪を、痛みや苦しみで償っていると言う、ネガティブな見方になるからです。
でも、主観的見方をしたら、自分の成長のために、自分が嫌なことを連れてきたと言う、ポジティブな見方ができます。
どちらの見方が良いかと言えば、それは、主観的な見方です。
心を暗くしなくて済むのですからね・・・。
でも、どちらの見方をしても、結果は同じなのです。
ただ、客観的見方をしたら、心が暗くなってしまいますので、出来るだけ主観的な見方をしてください。
とは言っても、 痛みや苦しみを前にして、ポジティブになりなさいと言うのは、酷かも知れません。特に、一般人には、酷だと思います。
でも、学びの友の皆さんなら、出来ると思います。
どうか、 ポジティブな想いを持ってください。
ポジティブな想いの一番は、神を想うことです。
神を想っている時は、悪いことが思えません。何よりも、原子核が増えます。
原子核が増えれば、自分が成長します。
自分が成長すれば、成長した分、嫌な人や環境が、遠ざかって行きます。
それは、もう、その環境で学ぶ必要がなくなったからです。
大ジャンプを望んではいけません。左足を出して、右足を出して、また、左足を出して、右足を出して、一段一段、階段を上って行くことです。
左足は、苦しい体験です。右足は、喜びです。
私たちは、闇と光を体験しながら、成長して行くのです。
2024.09.06