人類は、他の星に生命体が存在するのでないか?と、宇宙に向けて探査機を飛ばしたり、電波望遠鏡で探ったりしていますが、そんなことをしなくても、宇宙に生命体が存在していることは、すでに証明されているのです。今現に私たちが存在していること自体が、他の星に生命体が存在している証だからです。
私たちは、どうして生きているのでしょうか? 一体、何のために生きているのでしょうか? 生きているから、仕方なく生きているのでしょうか?
また私たちは、自分で生きているのでしょうか? 何かに生かされているのでしょうか?
私たちは、自分で生きてきた覚えがないのです。気がついたら、生きていたのです。なぜ、それが分かったか? それは、自分を認識できる意識があったからです。ならば私たちは、意識ではありませんか? そうです! 私たちは、意識なのです。
ではその意識は、一体、何者なのでしょうか? どこから生まれたのでしょうか? 分からないのです。分かっていることは、幸せが欲しいと言うことだけです。それもー時の幸せではなく、永遠に尽きない! 永遠に色褪せない! 幸せが・・・。 ではどうして意識は、永遠に尽きない! 永遠に色褪せない! 幸せが欲しいのでしょうか? それは、意識が、永遠に無くならないからです。意識が無くなるなら、幸せなどいらないのです。なぜなら、意識が無かったら、幸せが有ろうが無かろうが、どうでも良いからです。しかし、意識は永遠に無くならないのです。無くならないから、どうしても永遠に尽きない! 永遠に色褪せない! 幸せが欲しいのです。
「幸せ」と「意識」と「永遠」とは、切り離せないのです。
本当は、 幸せなどいらないのです。なぜなら、私たちの意識そのものが、幸せだからです。でもそのことが、幼い時には分からないのです。分からないから、外側に幸せ(物やお金や権力など)を貰いにゆくのです。
原子核を大きくしましょう! そうしたら、意識が、幸せそのものであることが解かります。その者は、もう外側から幸せを貰おうとしないでしょう。
「世の中を変えよう!」と思う必要はありません。自分を変えようと思うことです。
自分は全体です。全体は自分です。自分の中に世界があるのです。そして、世界の中に自分がいるのです。ですから、自分が変われば世界が変わるのです。
外側に人がいると思ってる人は、自分の得た知識を人に誇示したがります。でも、全てが自分であると知った人は、誇示することがなくなります。当然です。自分が自分に誇示する必要はないからです。
自分が知ったらいいのです。
自分が成長したらいいのです。
自分しかいないのですから、他人の成長をとやかく考える必要はないのです。
外側の自分と内側の自分は、写し出されている自分と、映し出している自分の関係です。
外側がなくては、内側はありません。内側がなくては、外側はありません。外側と内側は、相身互いの関係にあるのです。
外側は鏡です。鏡に自分を写し、自分を存在させているのです。でも本当の自分は、姿形がありませんので、鏡に写らないのです。だから写るよう、姿形を取った自分を外側に創ったのです。
私たちは、姿形を取った内側の存在・・ すなわち神なのです。