今日までの人生は、自分の魂の成長のために自分が計画設定したのです。確かに色々と迷ったり 、苦しいことや悲しいことが、あったかも知れません。でも、そのお陰で真理が学べるようになったのですから、今日までの人生は大成功だったのです 。
出会った全ての人にありがとう!
全ての物にありがとう!
全ての環境に有難う!
全ての出来事にありがとう!
そして ・・自分にありがとう!
どんなに外側の世界が幻であっても、軽んじてはなりません。なぜなら、外側あっての内側だからです。
さあ!
外側の現象を認めてください!
外側の人を認め てください!
外側の出来事を認めてください!
そして、そこで体験したことを自分の魂の糧にしてください。
外側を軽んじる者は、自分を軽んじる者である! と言うことを知ってください! ただし、外側はあくまでも幻ですから、呑み込まれないようにだけはしてください !
神は完全です。ゆえに、神のやることに間違いはありません。間違いがないのですから、自分の思い通りに生きたらいいのです。神は無限の奥の奥を読んで計画しているのですから・・。
あなたがやるべきことは、今やるべきことを精いっぱいやること・・ そして瞑想をすることです。
2021.02.01
真我の望みを実現するためには、自我の手助けなしにはできません。では真我は、どのような手助けを望んでいるのでしょうか? 望みは二つあります。
一つは、自我の存在を高みに引き上げることです。つまり、自覚の境界線を超えさせることです。
もう一つは、表現世界に理想の世を築き上げることです。
私たちは、この二つの望みを実現させるために生きているわけですが、自我が膨らんでしまうと、どうしても肉体に都合の良い生き方をしてしまいます。でも案ずることはありません。どんな生き方をしていても、真我の望みに叶った生き方になっているのですから・・・
今地球上には、痛みや苦しみがたくさんあります。でもその痛みや苦しみは、真我の望みを叶えるために、どうしても必要なことなのです。しかし自我には、それが単なる苦しみや痛みにしか見えません。だから、人を恨み、世を恨み、時代を恨み、中には神まで恨む人も出てくるのです。でもその痛みや苦しみが、進化成長に必要だと解る時が来ます。
学びの友の皆さんは、それが解った魂です。
存在していれば必ず進化成長してゆくのが、宇宙の仕組みです。この仕組みの凄さは、筆舌に尽くしがたいです。
ただ、息しているだけで良いのです。
ただ、瞬きしているだけで良いのです。
どんなに足手まといになっていても、生きていれば必ず進化成長してゆけるのです。
神様ありがとう!
真我の自分よありがとう!
2021.02.02
「思わなかったら何も生まれない!」
「思ったことは何でも生まれる!」
この二つの言葉を私は、全人類に言いたいと思います。特に科学者には、声を大にして言いたいと思います。
思いが、何でも実現させるのです。
「意・口・身」です。
この宇宙は、思いが全てなのです。その思いを私たちは持っているのですから、私たちは何でも実現させることができるのです。
科学者がこの事を知り、 全人類に周知させることができたら、今、起きてる諸々の不幸は、無くなってしまうでしょう。それほど、想念の力は偉大なのです。
一人でも多くの人が、このことを知って欲しいと思います。
学びの友の中に、「真理を知らなかった方が、幸せだったのではないか?」と思っている人がいるかも知れません。本当にそうでしょうか?
もし真理から離れたら、あなたは今以上に苦しむでしょう。なぜなら、あなたは真実を知るために生れてきたからです。
諦めましょう! あなたは、「 真理を知るのが苦しい!」と思えるところまで成長した魂なのですから・・・
あなたがやるべきことは、今やれることを精いっぱいやること・・そして、できるだけ瞑想をすることです。そのように生きていれば、必ず、「真理を知って良かった!」と思える日がやってくるでしょう。
2021.02.03
神は真剣に真理を求める者の前に、障害物(病気や事故災難)は置きません。生半可に真理を求めるから、障害物を置くのです。それは神が置いたのではなく、自分が成長したくて自分が置いたのです。
・人生の目的は何ですか?
・何のために生まれてきたのですか?
あなたが、どれほど真剣に神を求めているかは、あなたが一番よく知っているのです。なぜなら、あなたの中に神がおられるからです。
どうか、真剣に神を求めてください。そうすれば、神は 絶対 悪いようにはしません。 そのことを信じ、真剣に神を求めてください !
とは言っても、苦しい求め方はしないでください! いいのです。 あなた流の求め方で ・・・
2021.02.04
世の中には、内側の漫才師と、外側の漫才師がおります。
外側の漫才師とは、ギャグを飛ばしたり、派手なパフォーマンスを見せ、刺激的に人を笑わせる漫才師のことです。内側の漫才師とは、話術を持って人を笑わせる漫才師のことです。
確かに、 外側の漫才師は、強烈な笑いを誘うかもしれません。でもこの笑いには、毒があるのです。対して内側の漫才には、毒が無いのです。なぜかと言いますと、外側の漫才は視覚や聴覚を刺激し強制的に笑わせるのに対し、内側の漫才は自然と心から湧いてくる笑いを誘うからです。
物質的ものを好む人は、外側の漫才師を好みます。精神的なモノを好む人は、内側の漫才師を好みます。
皆さんは、どちらの漫才師が好きですか ?
世の中には、外側の楽しみと内側の楽しみがあります。外側の楽しみは、五感で味わう楽しみです。内側の楽しみは、心で味わう楽しみです。外側の楽しみと内側の楽しみの違いは、リスクを伴うか伴わないかです。
外側の楽しみは、お金が掛かります。疲れます。危険が伴います。
内側の楽しみは、お金が掛かりません。疲れません。危険もありません。
このように、外側の楽しみにはリスクが伴い、内側の楽しみ(瞑想の楽しみ)にはリスクが伴わないのです。
あなたは、外側人間ですか ? 内側人間ですか?
2021.02.05
世の中には、外側のことで悩み苦しむ人と、内側のことで悩み苦しむ人がおります。
外側のことで悩み苦しむ人とは、
勉強のこと・・
家庭のこと・・
就職のこと・・
会社のこと・・
ノルマのこと・・
容姿のこと・・
お金のこと・・
など、全てこの世の悩み苦しみです。対して、内側の悩み苦しみは、真理の悩み苦しみです。
では外側の悩み苦しみと、内側の悩み苦しみと、どちらが深刻でしょうか ?
外側の悩み苦しみは、実際に無いことで悩み苦しんでいるのですから、深刻になる必要はないのです。対して、内側の悩み苦しみは、実際に有る真理で悩み苦しんでいるのですから、意味のある悩み苦しみなのです。
一般の人は、この世の悩み苦しみが100%あります。真理を学んでる人の悩み苦しみは、魂の熟成度にもよりますが、一般人よりも少ないのです。なぜなら、この世が幻であることを知ったからです。
一般の人も、真理を学んでゆくと、この世の悩み苦しみが、80%→70%→60% とだんだん減ってゆきます。反面、真理の悩み苦しみが 20%→30%→40% と増えてゆきます。しかしトータル的には、100%で変わらないのです。でも、自覚の境界線を超えたら、一切の悩み苦しみから解放されるのです。
衣食住が満たされた後に、人間が求めるものは楽しみです。その楽しみの殆どは、五感で得る物的楽しみです。何か良いように思いますが、この楽しみは一時の楽しみなのです。なぜなら、物的楽しみは、すぐに飽きてしまうからです。今地球人類が味わっている幸せは、殆どが物的な楽しみです。物的な楽しみは、味が濃いため感覚が麻痺し、ますます濃い楽しみが必要になります。
その点内側の楽しみは、穏やかな楽しみですから、永続するのです。勿論、この楽しみも飽きがきますが、味わい深いため余韻が残るのです。余韻が残ると言う意味は、原子核に刻まれて残ると言う意味です。これが、物的楽しみと瞑想の楽しみの、大きな相違点なのです。
2021.02.06
今人類は、実体のないデリバティブ(金融商品)や、人の欲望を刺激して娯楽産業や観光産業やIT産業を拡大させていますが、どうしてそうまでして、経済成長を図らねばならないのでしょうか?
経済が拡大すればするほど、人の心が汚され、また地球環境が汚されるのですよ!
経済も成長させたい! 地球環境も守りたい! そんな虫の良いことが、まかり通るはずがないのです。
経済成長と環境保全は、相容れないのです。二足の草鞋を履こうとすれば、必ず痛み苦しみがやってきます。
そろそろ、経済を見直したらどうでしょう!
2021.02.07
細胞 ・分子・原子・クォークと遡ってゆくと、意識[X]に辿り着きます。その意識[X]は、きっちりとした意図と意思を持ち、宇宙を秩序ある方向に導いているのです。と言うことは、コロナウイルスを始め全ての菌は、意図あって生み出されたことになります。
では[X]は、どのような意図を持って、人類にコロナウイルスを与えたのでしょうか?
人類の想念は、偉大な力を持っております。今人類は、その想念を使って欲望を膨らませ、経済成長を図っているのです。「衣・食・住」には限度がありますが、欲望には限度がないのです。ですから、欲望を刺激して娯楽産業や観光産業やΙΤ産業を拡大すれば、いくらでも経済成長を図ることができるのです。しかしそれでは、地球環境が持たないのです。実際、異常気象や様々な病気が、人類を脅かしてるではありませんか? このことは、今まで何度も述べているのでこれ以上触れませんが、人類の悪想念(欲望と感情)が環境を悪化させ、 異常気象・事件・事故・病気・挙句の果ては、地域紛争や戦争まで招いているのです。
全ての災厄が、人間の想念によって起きてることは、私の体験からして疑いのないことなのです。私が悪想念を持っていた頃、子供たちが立て続けに病気になりました。親の悪想念が、子供たちを犠牲にしたのです。
鶏や豚や牛や猫や犬など、人間が飼っている動物たちが病気になるのも、人類の悪想念が原因なのです。昔ペット病などありましたか?鳥インフルエンザや豚コレラなどの病気がありましたか?
私が、人類の悪想念が原因だとはっきり言えるのは、自然界の動物たちに病気が無く、人間が飼っている動物たちに病気が有るからです。もし自然界に病気が有るなら、自然界の動物たちはとっくに絶滅しているはずです。彼らには、何一つ防御する手立ては無いのですから・・・。
2021.02.08
コロナ菌は、何処から来たのでしょうか? 分からないのは当然です。目に見えない世界から来たからです。
全ての存在物は、見えない世界から生まれたのです。科学者は、何かの種から生まれたと思っているようですが、種の無い真空からでも物が生まれるのです。その証拠に、真空の宇宙から星が生まれ、その星に様々な生き物が生まれたではありませんか?
この宇宙(全てのもの)は、絶対解らない[X]から生まれたのです。それを認めない限り、地球の科学は今止まりでしょう。
解らない[X]は、永遠に解らないのです。永遠に解らないことにエネルギーを使うほど、無駄なことはありません。今人類がやるべきことは、解らない[X]を認めること・・そして、[X]に逆らわない生き方をすることです。
創造物は全て、青写真から生まれてくるのです。と言うことは、創造物の背後には、青写真を創った何者かが必ず存在する!と言うことです。その何者かを、[X]と言っているだけです。
その[X]は、意思を持ち、意図を持ち、創造力を持ち、きっちりとした 計画を持って宇宙を進化成長へ運んでいるのです 。
2021.02.09
神はこれまで人類に対し、様々な警鐘を鳴らしてきました。
例えば、
病気だけではありません。野生動物の異常行動・・菌や虫たちの異常行動・・魚類たちの異常行動・・鳥たちの異常行動・・海や川や湖や山林などの異変・・北極や南極の氷山の流出などの異変も、みな警鐘の一つなのです。
近年、
特に地震は、人類の生き方に対する分りやすい警告となっています。
例えば、スマトラ沖地震では、リゾート地がやられました 。阪神淡路大震災では、物流地帯がやられました。東北太平洋地震では、原子力発電所がやられました。
挙げれば切りがありませんが、全て人類の生き様に対する警鐘なのです。では、今度のコロナウイルスの蔓延は、一体どんな生き様に対する警鐘なのでしょうか?
コロナウイルスが蔓延した為に、今人類は自由が制限されています。
そのお陰で、
少し空気が清まっています。
少し水が清まっています。
少し土が清まっています。
僅か1年足らずの自粛で、自然が息を吹き返しつつあるのです。これを見ただけでも、どんな生き様に対する警鐘なのか? 察しがつくと思います。
2021.02.10
自然は人類に、どのような生き方を求めているのでしょうか?
私は思うのです。
本当に生きるために必要だったら、自然を汚しても許されると・・・でも人類は、本当に生きるために必要で、自然を汚しているのでしょうか? 自分たちの欲望を満足させたいために経済を膨らませ、地球環境を汚しているのではないでしょうか?
私たちは、娯楽産業や観光産業やΙΤ産業が無くても、衣食住があれば生きてゆけるのです。
こう言うと、「人間は楽しむために生まれてきた!」「食べるために生まれてきた!」「楽しみが無かったら、生きているかいがない!」と多くの人が言います。
でも、美味しいものを食べに、外国まで行く必要があるでしょうか? 観光旅行に、外国まで行く必要があるでしょうか? 自分の家でも、美味しいものは食べられるし、国内でも楽しむことはできるはずです。
私の子供の頃を思い出してみると、近所の子供たちと石蹴りや縄跳びや隠れんぼなど、日が落ちるまで楽しんでいました。また家族で、トランプや、かるたとりや、双六などのゲームをして楽しんでいました。私は、近所の友達と遊んだ時の方が、あるいは家で家族と遊んだ時の方が、遠くに旅行に出かけた時より、楽しかったです。
私は、「楽しむな!」とは言っていません。「節度ある楽しみ方をして欲しい!」と言っているだけです。
資本主義経済は、成長なしにはやってゆけない仕組ですから、人の欲望をドンドン刺激して娯楽産業や観光産業やΙΤ産業などを拡大させているのです。人間はその経済に踊らされ、欲望的生き方が正しいと思っているのです。これは、恐ろしいことです。
これまで何度も言ってきたことですが 、資本主義経済はシロアリ経済なのです。シロアリは、建物をトコトン食い尽くすまで進撃を止めないのです。このまま経済が拡大したら、地球は 一体どうなってしまうのでしょうか? 人類が棲めない星に、なってしまうかもしれません。
資本主義経済は、悪を助長する仕組みなのです。
例えば ・・
(気が付いてると思いますが、番組の間に入るコマーシャルの量が、昔から比べたら多くなっていませんか?)
殺人も、強盗も 、交通事故も、自然災害も、病気も、全て資本主義経済の仕組みが、そうさせているのです。
2021.02.11
ここまで来た皆さんは、何も思い煩うことはありません。ただ瞑想し、原子核を増やせば良いのです。増やしたら理解力が増すので、行くべき道が見えてきます。それに従って、素直に生きたら良いのです。
難しいことはありません。
今やるべきことを精いっぱいやること・・ そして、瞑想を続けることです。
続けることです!
続けることです!
続けることです!
この世は、無情の世界です。
見えているもの・・・
聴こえているもの・・・
感じているもの・・
全て幻です。
幻ですから、とやかく考えることは、何一つないのです。
あなたがやるべきことは、今を精いっぱい生きること・・ そして、瞑想をすることです。
明るく明るく朗らかに・・
何事も良く受け取り・・
神を想い・・光を想い・・
日々生きましょう!
2021.02.12
この現象の世界に、安住の地などありません。唯一自分の思いの中にだけ、安住の地があるのです。自分の思いの中にだけあると言う意味は、神の想いの中にだけあると言う意味です。
現象の世界は、どんなに美しくても、みな消えてしまう幻です。消えてしまう世界に、安住の地があるわけがありません。
どうか、自分の思いの中に安住の地を求めてください!それは、お金もかかりません。何処へ行く必要もありません。時間もかかりません。思いを神に向けたらいいだけです。
私は、本当に嬉しくてたまりません。嬉しくてたまらないのは、神を信じ神に生きたら、何一つ憂えることも悩むこともないことを知ったからです。
神に従順に生きていたら、神はすべて良きように計らってくれます。この神に対する信頼感は、原子核が増えれば増えるほど強まります。
さあ! 原子核を増やしましょう!
2021.02.13
1を切っていってみてください。切っても切っても、切り切れないでしょう 。では、切り切れない先には、何があるのでしょうか? 無限があるのです。
見えるものを切っていってみてください。 切っても切っても、切り切れないでしょう。では、切りきれない先には、何があるのでしょうか? 無限があるのです。
物質を細かく切って分子状にし、原子状にし、クォーク状にして、さらに発見されていない無名の素粒子状にしても、無限に切れるのです。無限に切れると言うことは、 一つと言うことです。切って細かくしたからと言って、別なものに変わるわけではないのです。
物質を切って切って細かくしていくと、意識に到達するのです。なぜ意識に到達するかと言えば、意識が認識して存在物が存在できるからです。と言うことは、意識が存在物を創っていることになります。意識に認められないものは、存在しないのです。今、私たちが見ているすべての存在物は、意識が粗くなった状態なのです。その粗さの段階において、 コークとか原子とか分子とか名前を付けているだけで、みな意識の変化したものなのです。
2021.02.14
・全てのものが、原子崩壊して消えてゆきます。
・刻々と時が過ぎ去ってゆきます。
・季節の巡りがあります。
・見えなくなります。聴こえなくなります。味わえなくなります。臭わなくなります。触われなくなります。
・出会いがあります。別れがあります。
・誕生があり、老いがあり、病気があり、死があります。
・幼年期があり、少年期があり、青年期があり、壮年期があり、老年期があります。
・痛みがあり、苦しみがあります。
・お金も、物も、地位も、名誉も、権力も、いつまでも有るものではありません。
・どんな美しいものも、色褪せてしまいます。
・どんな力持ちも、老いには勝てません。
・この世には、惜別の歌があります。
挙げればキリがありませんが、全て無常の世の姿です。
人生を考えるメロディ「無常の世の詩」
なぜ人間は、気づかないのでしょうか?
この世が幻だと分かった人は、どのような生き方をするでしょうか?
・幻の為に生きるでしょうか?
・無くなるものの為に生きるでしょうか?
絶対に、無くならないものの為に生きるはずです。そうなったら、この社会はどう変わるでしょう?!
肉体を維持できるだけの、物やお金があったら良いのですから、
・争い合うことがなくなるでしょう!
・競い合うことがなくなるでしょう!
・奪い合うことがなくなるでしょう!
と言うことは、平和な社会になると言うことです。
・何を得ても消えると知った人が、消えるものの為に命をかけるでしょうか ?
・何を得ても消えると知った人が、消えるものの為に悩むでしょうか?
・何を得ても消えると知った人が、消えるものの為に争い合うでしょうか ?
たとえ得ても、あの世に持ち帰ることができないのですよ!
2021.02.15
誰がゴミを作るのでしょうか? ゴミは、外側に有るのでしょうか? 内側に有るのでしょうか?
ある人が、覚者の家を訪れました。訪れた人は、家に入った途端ゴミが目につきました。覚者はその人の心を読んで言いました。あなたは、ゴミを連れてきましたねと・・・
ゴミが有ると思っている人には、ゴミが有るのです。無いと思っている人には、ゴミは無いのです。その人の思いが、ゴミを作るのです。この宇宙に本来ゴミなど無いのです。作っているのは、人の想念です。
先に宇宙が、有ったのではないのです。認めたその人が、創ったのです。
認識して初めて宇宙がある、これは誰も否定できないでしょう。認めなければ、認められるものはないのですから・・・と言うことは、意識が宇宙を作っていることになります。意識のないところに宇宙はないのです。
宇宙=意識 意識=宇宙
なのです
私たちは、何かを認められる意識を持っています。と言うことは、私たちは、宇宙ではないでしょうか? 認める意識がなかったら、認められる宇宙はないのですから・・・
これは、絶対崩せない真理なのです。
2021.02.16
魂が成熟してゆくと、この世のどんな楽しみも、心から楽しめなくなります。なぜでしょうか? それは、瞑想の楽しさを知ったからです。神を想う瞑想の楽しさは、格別です。なぜなら、実在している楽しさだからです。しかし、この世の楽しみは実在しない楽しみですから、どんなに楽しんでも心から楽しめないのです。
・非実在の楽しみ・・ それは外側に咲いた幻の花です。
・実在の楽しみ・・それは内側に咲いた真実の花です。
良い準備をしましょう!
「良い準備をしましょう!」とは、「良い想念を使いましょう!」と言う意味です。良い想念を使っている時は、良い原因を作っているわけですから、良い準備をしていることになるのです。
想念は誰でも持っています。いつでも使えます。誰の邪魔もされません。これほど手軽で、ありふれたものはありません。しかし、これほど恐ろしいものもないのです。
想念は、ありふれたものであり、恐ろしいものであり、偉大なものなのです。
2021.02.17
基本的な「善と悪」はあります。 例えば、 嘘をつくことは悪です。人を騙すことは悪です。 人の物を盗むことは悪です。人を傷付けることは悪です。人を殺すことは悪です。しかし、使い方 次第によっては、善が悪になり、悪が善になる場合があるのです。
例えば、人に優しくすることは良いことですが、優し過ぎたら人を甘やかすので悪になります。 反対に、人に冷たくすることは悪いことですが、相手の成長を願えば人を強くするので善になるのです。
私たちは、悪の多い地球に生まれ、今「真の善と悪」の勉強をしているのです。
神が完全に見えないのは、完全にしてしまえば、神に疑いを持たないからです。神に疑いを持たないことは良いと思うかもしれませんが、それでは疑問を持たなくなるので、進化成長できないのです。
人間と言うものは不思議なもので、少しでも不完全な要素があれば、なぜ不完全なのか疑問を持つものです。その疑問が、人間を成長させるのです。
この仕組みを創った神が、完全でないわけがありません。
神のメロディ「神は完全」
2021.02.18
真剣に神を求めていたら、何も思い煩うことはありません。神は必ず良きように計らってくれます。
「真剣に神を求めていたら!」と言う意味は、「法則に従順に生きたら!」と言う意味です。「法則に従順に生きたら!」と言う意味は、「良い想念を持って生きたら!」と言う意味です。
悪想念を持ちながら、幸せになりたいと願うのは虫が良すぎると言うものです。
難しいことをする必要はないのです。ただ、良いことを想えばいいだけです。 良い想いの一番は、神を想うことです。それは、瞑想をしたら良いと言うことです。
神に従順に生きましょう!
私たちの中に神がおられるのですから、神が何でもご存知なのは当然です。なのに私たちは、悪いことを想い、悪い言葉を使い、悪い行為をします。自分の前で悪いことをするのですから、裁かれないはずはないのです。
私たちは、何かして幸せになるのではないのです。「身口意」を正せば、幸せになれるのです。すなわち、良い想いを持ち、良い言葉を使い、良い行為をすれば、幸せになれるのです。神に従順に生きましょう!とは、そう言う意味なのです。
神を真剣に求めているのに、「悪いことが起きた」と言う人がおります。それは、生半可に神を求めていたか? 過去世の業が消えている姿か? のどちらかです。
生半可に神を求めていたと言う意味は、いい加減な想念の使い方をしていたと言う意味です。過去世の業が消えている場合は、「これは業が消えているのだから良いことだ!」と思い、決して業を掴まないことです。掴んで苦しめば、新たな業を作ることになります。
痛み苦しみは、業の消えている姿ですから、放っておいたらいいのです。どうしても気になる場合は、神を想うことです。神を想っていたら、他の事は考えられないのですから、業を作らないで済むのです。
2021.02.19
幼い人ほど情報を出したがり、情報を得たがります。これは、幼い魂には必要かもしれませんが、地球環境のことを考えれば、良いことではありません。なぜなら、情報のやり取りが多くなればなるほど、人の動きが活発化するからです。人の動きが活発化すれば、飛行機がたくさん飛び、自動車がたくさん走り、物がたくさん消費され、それだけ地球が汚れるのです。心が寂しいから、そう言うことをしたがるわけですが、地球にとっては大迷惑なのです。
遠くに出かけなくても、近くで楽しむことはできるのです。 人とお話ししなくても、自分とお話しできるのです。
地球は今、ΙΤ産業真っ盛りの時代ですが、なぜ、ΙΤ産業が発達したかと言いますと、幼い魂が、学びの最後の追い込みに入っているからです。
幼い魂が成長するためには、物質界でたくさん体験する必要があるのです。そのためにはたくさん情報を発信し、たくさん情報を受信し、人との出会いを多くする必要があるのです。 当然トラブルが多く発生するでしょう。でもそのトラブルが、魂を大きくするのです。
しかし、皆さんのように熟した魂は、もうそんな体験は必要ありません。ですから、できるだけ情報から遠ざかることです。
2021.02.20
「私!私!私!私!・・・」と、私の意識を追いかけていってみてください 。どんなに追いかけても、私の意識を掴むことができないはずです。なぜか? それは、私が1だからです。1は、絶対掴むことができないのです。
1を細かく、切っていってみてください。無限に切れるはずです。つまり、私の意識は、無限に切れるはずです。だから、私が解らないのです。もし1が確定したら、私も確定してしまうのです。と言うことは、私が解ると言うことです。しかし解った瞬間、私も、宇宙も、消えてしまうのです。だから私は、永久に解らないで良いのです。
肉体を切っていってみてください。 どんなに切っても、切り切れないはずです。試しにやってみましょう。
まず、肉体を細胞状に切ります。細胞状に切ったものを、更に細かく分子状に切り、更に細かく原子状に切り、 更にさらに細かくクォーク状に切り、更に切り刻んでゆくと、発見されていない素粒子に至り、更に細かく切り刻んでゆくと、最終的には意識に至るのです。と言うことは、肉体は意識で創られていると言うことです。では、その意識は何でしょうか?
解らないのです。
意識は解らない「X」なのです。
2021.02.21
コップと言うのは、ガラスが形を取ったものに、コップと言う名前を付けただけで、実際にあるのはコップではなく、ガラスです。しかし私たちは、「コップ!コップ!」と呼んでいるうちに、いつのまにかコップがあるような錯覚に陥ってしまったのです。
人間と言うのは、 意識が形を取ったものに、人間と言う名前を付けただけで、 実際に存在しているのは人間ではなく意識です。しかし私たちは、「人間!人間!」と呼んでるうちに、いつのまにか人間が存在しているような錯覚に陥ってしまったのです。
名前そのものには、実体が無いのです。実体がないと言うことは、名前は幻であると言うことです。恐ろしいのは、その幻である名前を呼んでいるうちに、名前が実在する錯覚に陥ってしまうことです。
私たちは、人間がいるような錯覚に陥っているのです。しかし、実際に存在しているのは人間ではなく、意識なのです。意識が、人間の形を取っているだけです。
私たちは、名前に惑わされ、人間が存在していると錯覚させられているのです。
肉体の本質(素材)は、意識です。 肉体は、意識によって創られているのです。意識の塊と言ってもいいかもしれません。 その意識の塊である肉体に、「肉体」あるいは「人間」、と言う名前をつけたのです。その人間とか肉体と言う名前に惑わされ、本当の自分を見失ってしまったのが、私たちなのです。
人間も、肉体も、名前です。名前ですから実体がないのです。 私たちの本質は、あくまでも意識です。ですから私たちは、自分のことを「意識である!」と思わなければならないのです。
2021.02.22
人間は、意識から生まれたわけですが、その人間を動かしているのは、何なんでしょうか? それは、想念です。ではその想念は、何処から生まれたのでしょうか? それは、意識が意識核を生み出し、その意識核が魂を生み出し、その魂が心を生み出し、その心が想念を生み出したのです。だから人間は、意識そのものなのです。その意識が、この宇宙の全てを牛耳っているのです。
ではその意識は、 何処から来たのでしょうか? 何処から生まれたのでしょうか? 意識の正体は、何なのでしょうか?
分からないのです。 分からないから 「X」 と言う名前をつけるしかないのです。宗教は、その分からない「X」に、神と言う名前をつけたのです。
どんなに科学が発達しても、「X」は永久に解らないのです。解らないのですから、素直に「解らない!」と認めることです。もし科学者が「X」の存在を認め、「人間は死なない! 人間の意識は永続する!」と言うことを公認するようになったら、地球は大きく変わるでしょう。
まず、モノ集めや金集めをしなくなります。地位や名誉や権力なども追いかけなくなります。そうなると、 競い合うことも、奪い合うことも、戦い合うことも無くなり、穏やかな社会になるでしょう。当然、経済も、資本主義経済から奉仕経済へ移行するでしょう。理想世界が開けると言うことです。
2021.02.23
「X」には姿形がありませんから、「X」を知ることは永遠にできません。でも表現物を通して、 薄々「X」が解るのです。なぜなら、「X」そのものが表現物になっているからです。では、表現物を通して「X」を探ってみることにしましょう!
①「X」は意識を持っています。意思を持っています。計画性を持っています。創造力を持っています。 この表現宇宙は、「X」の想いと言葉によって創られたのです。
②「X」は元数1です。 この表現宇宙には、たくさんの分数(元素 ・原子)が存在しますが、その分数は元数1から生まれたのです。
③「X」は丸です。 この表現宇宙は、丸と楕円の組み合わせによって構成されているのです。
④「X」は愛です。中心・中庸・大バランスです。
⑤「X」は真・善・美・です。表現宇宙は、真が、善が、美が、輝いているのです。
⑥「X」は無限の存在です。宇宙は果てがないのです。
⑦「X」は永遠の存在です。今日まで宇宙が延々と存続してきたことが証明しています。
⑧「X」は完全です。 これも、今日まで宇宙が延々と存続してきたことが証明しています。
⑨「X」は普遍的存在です。したがって、「X」は自由自在です。
⑩「X」は光そのものです。意識は輝き、宇宙は輝いているのです。
⑪「X」はエネルギーそのものです。宇宙の運行、 物の誕生と働き、全てエネルギーあっての話です。
挙げてゆくと限りがありませんが、「X」の最終目標は、意識を持った私たちに、永遠に尽きない! 永遠に色褪せない! 幸せを与えることなのです。
2021.02.24
古いモノクロの映画に、「心の旅路」と言う作品があります。この映画は、記憶を失った主人公が、何度も挫折しながらも心の痕跡をたどり、ついには記憶を取り戻すと言った感動の物語です。(もし機会があったら見てください! 自分探しの旅と重ねたら、何か発見があるかもしれません)
私たちも気の遠くなる時をかけ、自分探しの旅を続けてきたのです。そしてついに、 本当の自分を発見したのです。でも、まだ「自分が神である!」と言う記憶(自覚する)を取り戻すまでには至っていません。
映画の主人公も諦めなかったように、私たちも諦めてはいけません。諦めずに探し続ければ、必ず、記憶(自覚する)を取り戻すことができます。
自分探しの旅の「鍵」は、根気よく探し続けることです。すなわち、根気よく瞑想を続けることです。
今地球では、 殆どの人が、インターネットの恩恵を受けております。確かに、使い勝手だし、便利です。しかし、便利の反対には、不便があるのです。快適の反対には、不快があるのです。もし何らかの理由でインターネットが使えなくなったら、社会は大混乱することでしょう。便利であればあるほど、快適であればあるほど、苦しみも、痛みも、大きいのです。
2021.02.25
私たちはこの世で、 二つの夢を見ているのです。 一つは、生まれてから今日まで連続的に見ている夢です。もう一つは、毎晩見ている夢です。一つ目の生まれてから今日まで連続的に見ている夢は、ストーリー性のある夢です。二つ目の毎晩見ている夢は又夢で、 ストーリー性のない(取り留めのない)1回限りの夢です。しかしどちらも、とても価値のある夢なのです。なぜなら、夢の中で成したことには意味が無くても、体験したことは全て魂の糧になっているからです。特に真理を学んでいる夢は、魂を大きく成長させてくれます。
神様は、どちらの夢でも成長できるように、してくれているのです。神様の愛を感じませんか?
私たちは、いずれこの世の夢から覚めます。しかし覚めても、また夢の中なのです。私たちは、永遠に夢を見続けてゆくのです。
自分の意識が何もかも創造しているんだ!と言う実感が強くなってくると、
夢と・・希望で・・ワクワクします。
そもそも、自分の意識が創っていること自体が、幸せなのです。
自分の意識の前にあるものは、全て自分の意識が創っているのです。自分の意識が無ければ、何一つ存在しないのです。
・・唯我独存(尊)の宇宙なのです・・
2021.02.26
私たちは、時々刻々と創造しているのです。自分の想念で・・・自分の想念で創造していると言えるのは、想念は素材であり、創造力であり、創造物そのものだからです。想念した瞬間、そのものが生まれているのです。そのものが先か? 想念が先か? 考える必要はないのです。原因が先で結果は後だからです。
散歩しています。道端に美しい花が咲いています。楽しそうに蝶が飛んでいます。一生懸命アリが荷物を運んでいます。全て、自分の想念が創っているのです。
神は完璧な法則を創りました。
・10やったら、10のお返しがあります。
・1しかやらなかったら、1しか返りません。
・何もしなかったら、何も返りません。
これが、法則の完璧性です。
私たちは、進化成長してゆかねばなりませんが、神は無理して進化成長させようとはしていないのです。「やった分のお返しがある!」と言う法則を持って進化成長させているのです。
2021.02.27
般若心経を理解して書いている人は、理解に相応した功徳が得られます。 しかしそれ以外にも、般若心経を書いている時には、悪いことが想えませんから悪いことが起こらない! と言う功徳が得られるのです。これは、瞑想にも当てはまることなのです。つまり、神を想っている時は悪いことを想えないから、悪いことが起きないと言う功徳が得られるのです。
思いのコントロールほど、大変な作業はありません。 私たちは、良いことを思うより、悪いことを思う方が多いのです。その思いが、事故 災難 病気を招いているのです。人類は、そのことに気づいていないのです。ですから、想いたい放題の事を思って、苦しんでいるのです。
学びの友の皆さんも、なかなか思いのコントロールができないと思います。でも皆さんは、瞑想をしています。ですから、業をあまり作っていません。これが一般人と違うところです。
2021.02.28