理想社会を考える会(かとう塾)
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金言集:2023.09


金言:2023.09.01


 今の世の中には、悪が、はびこっております。

 どっから見ても、悪と思えることが、大手を振っています。

 世の人々は、その様を見て、「正義は無いのか!?」と言って嘆きます。

 でも、その悪は、地球人類全員が作った悪なのです。

 だから、地球人類全員が、見せられるのです。

 と言うことは、他人事ではない、と言うことです。

 でも、その悪は、いつまでも、はびこっているわけにはいきません。

 なぜなら、必ず、裁きが与えられるようになっているからです。

 人が裁きを与えるのではありません。「原因と結果の法則」が、裁きを与えるのです。

 原因と結果の法則の裁きは、完全ですから、逃ることは、絶対できません。

 この宇宙に、正義が行き届いているのは、原因と結果の法則が完全だからです。

 でも、原因と結果の法則は、目には見えませんので、本当に働いているかどうか疑ってしまいます。

 実際に、悪を犯した者が、何のお咎めもなく、一生を終えることもあります。

 しかし、原因と結果の法則は、今生だけに働くのではありません。

 来生にも、再来生にも、またがって働くのです。

 ですから、やり得と言うことは、絶対ないのです。

 犯した罪は、必ず、償わされます。

 それも、小さい罪は小さい苦しみで、大きい罪は大きい苦しみで・・・ 。

 でなければ、宇宙の完全性が、崩れてしまうからです。

 「やり得も、やり損も」ありません。

 悪い事をしたら悪い事が、良い事をしたら良い事が、必ず、我が身に返って来るのです。

 

 私たちの中には、「自我の心」と「真我の心」があるのです。

 真我の心は、「原因と結果の法則」そのものですから、悪を犯せば、必ず、苦しみが来るようになっているのです。

 ですから、悪いことをして得をすることは、絶対ないのです。

 しかし、肉体を持っている限り、誰でも、罪は犯すのです。

 これは、仕方のないことなのです。

 ですから、罪を憎んでも、人を憎んではなりません。

 そうです! 人を憎んではいけません。

 憎めば、自分の宇宙(心)を、汚してしまうからです。

 つまり、業を創ってしまうからです。

 憎むのではなく、「彼は、悪を通して善を学んでいる、真っ最中なのだ!」と、思ってください。

 そう思えば 、自分の宇宙を、汚すことはありません。

 

 私たちは、悪を見ると、どうして、嫌な気分になるのでしょうか?

 それは、自分の中に、同じ悪があるからではないでしょうか?

 そうです。

 私たちは、永い輪廻転生の中において、たくさんの悪を犯してきたのです。

 だから、悪を見ると、嫌な気分になるのです。

 でも、自分を責めてはなりません。また、悪人を責めてもなりません。

 その悪人は、自分の中に、悪のあることを教えてくれた、先生なのですから、・・・。

 そう思えば、憎むどころか、感謝できるでしょう。

 また、悪人に苦しめられている人を見て、心を痛めてもなりません。

 彼らは、今、業を消している、真っ最中なのですから・・・。

 学びの友の皆さんは、今、現象を通して、想念のコントロールの学びをさせてもらっているのです。

 何を見ても、良く受け取ってください。

 良く受け取れば、悪いことなど、一つも無いのですから・・・。

 外側の出来事は、全て、学びの友の皆さんの良き教材だと思ってください!

 

 

2018年12月23日 修善寺塾より抜粋

 

2023.09.01  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.02


余計なことを考えないようにしよう!

 

 余計なことを考えないようにしよう! と言う意味は、余計な情報を発信しないようにしよう! と言う意味なのです。(考えれば、思えば、情報を発信したことになる。)

 この宇宙は、考えたこと、想ったことが、実現する仕組みになっているのです。

 余計なことを考えれば、余計な情報を発信します。

 余計な情報を発信すれば、余計な情報が帰ってきますから、ますます、余計なことを考えるようになるのです。

 そうなると、平安な心が維持できません。

 私たちは、情報を多く、受け取れば、受け取るほど、雑念が膨らむようになっているのです。

 余計なことを考えなかったら、余計な情報を発信しませんから、余計な情報が入って来ないのです。

 つまり、余計な原因を創らなければ、余計な結果はやってこない、と言うことです。

 世の人々は、常に、余計な情報を発信しています。

 余計な情報を発信すれば、余計な原因を創るわけですから、余計な結果がやって来るのです。

 良い情報を発信するのでしたら、良いでしょうが、殆どが、悪い情報ばかりです。

 だから、悪い結果がやってきて、自分が苦しめられるのです。

 家族間の諍い・企業間の諍い・国家間の諍いなど、この世のすべての諍いは、余計なことを考える(余計な情報を発信する)から、起きるのです。

 できるだけ、余計なことを考えない(余計な情報を発信しない)ことです。

 そうすれば、余計な情報が入ってこなくなりますから、心穏やかになれるのです。

 みなさんは、何が欲しいのですか?

 平安が欲しいのではありませんか?

 心穏やかでありたいのではありませんか?

 心穏やかでありたいなら、外側の情報を、出来るだけシャットアウトすることです。

 そして、常に、内側に、意識を持ってゆくことです。

 つまり、神を想うことです。

 

 

※ 意識の不思議な習性

 意識は、実に、不思議な習性を持っています。

 どんな習性かと言いますと、動いたモノに意識が向かう、と言う習性です。

 例えば、何かが動いたら、意識は、動いたものに移動するのです。

 この宇宙が、なぜ、創造されたかと言いますと、神の想念が動いたからです。

 神の想念が動いた時点で、意識が、その動いたものに向かって移動したのです。

 意識は、エネルギー(素材)そのものですから、動いた想念にエネルギーが移動して、想念通りのモノが創造されたわけです。

 この意識の習性(原理)を利用したのが、瞑想です。

 瞑想は、想念を動かして行います。

 例えば、「吾神なり!」と想念すれば、その想念に向かってエネルギーが移動し、想ったモノ(神)を創造するわけです。

 神は創られませんが、エネルギーが、原子核(生命核・魂)を増やすのです。

 前述したように、意識は、エネルギー(素材)そのものですから、そのエネルギーが、想念したモノを創るわけです。

 

(2016年9月25日 今週の真言より)

 

 

 

妄念を抱くとは・・・

 

 「妄念」という字を見てください。

 「妄」の字は、上に「亡」と書き、下に「女」と書きますが、下の「女」という字は、物質のことを意味し、この世の物質のことを表しているのです。

 上の「亡」は、「死ぬ・消える」ことを意味し、これは、幻のことを意味しています。

 「念」と言う字は、「今」の「心」と書き、自分の今の心の想いを意味しています。

 通して解釈すれば、妄念とは、自分の今の心に「幻の物質を想い描く」と言う意味になります。

 想念は実現の母、と言われるように、物質の妄念を抱けば、波動が落ちるわけですから、苦しい人生になるのは、当たり前なのです。

 だから、覚者は、「妄念を抱いてはならない!」と、口うるさく言うのです。

 日本の漢字は、実に、真理を的確に表わしていると思います。

 

注)・・・物質とは、単に、この世の物だけのことを言っているのではなく、表現世界の諸々のことを言っているのです。

 つまり、人間社会の諸々のことを言っているのです。

 

(2016年4月24日 今週の真言より)

 

 

2018年4月14日 東京塾より抜粋

 

2023.09.02  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.03


最後の学び

 

 神が、苦しみを与えているのではありません。

 私たちが、自分の想念を悪く使って、苦しんでいるだけです。

 想念を悪く使うのは、長い転生で付けた悪癖なのです。

 これは、私たちが、克服しなければならない、最大の課題です。

 では、どうすれば、悪癖を無くすことができるのでしょうか?

 それは、神を想うことです。神を想えば、反省さえ、必要ないのです。

 宇宙の仕組みは、良く出来ているもので、白板に書いた絵や字は、放っておいたら、自然と消えてゆくようになっているのです。

 悪想念で、業の上乗せをしない限り・・・。

 悪想念で、業の上乗せするから、苦しみが無くならないのです。

 宇宙の仕組みは、「悪想念を使って、苦しみを創ったなら、良い想念を使って、苦しみを消しなさい!」と言う、単純な仕組みなのです。

 この仕組みを利用したら、私たちは、苦しみから逃れられるのです。

 それどころか、人類に、地球に、宇宙に、貢献できるのです。

 お金もかかりません。何処に行く必要もありません。

 ただ、神を想い続けたら良いだけです。

 とは言っても、私たちは、どうしても、チラッチラッと、悪いことを思ってしまいます。これが、厄介なのです。

 でも、悪いことを思いそうになったら、 神を想ってください!

 神を想えば、「業を創らない、自分の欠点は無くなる、原子核も増える」、正に、良いこと尽くめです。

 さあ、神を想い続けましょう。

吾神なり!

吾神なり!

吾神なり!

 

 

※ 人類は、未だに、想念の偉大さを知らないで、生きているのです。

 だから、想念を悪く使って、自ら苦しんでいるのです。

 想念は、何でも生み出し、何でも実現させ、何でも成就させるのです。

  • あなたの苦しみは、あなたの想念が創ったのですよ!
  • あなたの人生は、あなたの想念が創ったのですよ!

 もう、そろそろ、気付いて良い頃ではありませんか?

 学びの友の皆さんの最終的な学びは、想念のコントロールです。

 

(2016年12月25日 今週の真言より)

 

 

 想いの力ほど、偉大なものはありません。

 悪いものでも、良く受け取れば、良いものになるのです。

 反対に、良いものでも、悪く受け取れば、悪いものになるのです。

 なぜなら、この宇宙に、本質的な悪は、無いからです。

 ですから、受け取り方次第なのです。

 誰も、あなたの人生を苦しくしていません。

 あなたの受け取り方が悪くて、苦しくしているだけです。

 それは、あなたしかいないからです。受け取り側しかないからです。主観の主しかないからです。

 これは、間違いない、真理なのです。

 

明るく、明るく、朗らかに・・

何事も良く受け取り・・

神を想い、光を想い・・

日々、生きましょう!

 

 

2018年12月23日 修善寺塾より抜粋

 

2023.09.03  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.04


何事も思いが先に立つ

 

 想念は実現の母です。これは、何度言っても、言い過ぎることはありません。

 思えば、必ず、実現します。それも、強く思えば強く、弱く思えば弱く・・・。

 世の中には、成功者と言われる人たちがおりますが、彼らは、欲念が強いから、物や、お金や、地位や、権力を、引き寄せることができたのです。

 これも、想念の力によるものです。

 でも、人格者と世の成功者とは、関係ないのです。

 真の人格者とは、生命核(魂)を大きくした人のことです。

 ですから、正しくは、「命格者」と呼ぶべきでしょう。

 この世は、波動が粗いため、思っても、すぐに実現しないので、思いが、言葉や行為に結びついていると思えません。

 でも、意識界(幽界)は、波動が精妙なため、思ったら、すぐ実現するのです。

 だから、幽界では、悪いことが、思えないのです。

 しかし、波動の粗い、この世でも、何度も思えば、実現します。

 実際に、病気・事件・事故・テロ・戦争・自然災害などは、人類の思いの産物ではありませんか?

 だから、イエス様は、「汝姦淫するなかれ!」と、思いを戒められたのです。

 「私は、何度も思ったが、実現しなかった!」と言う人がおりますが、それは、未だ、結果が現れてないだけで、いずれ、必ず、実現するのです。(来生以降、何らかの形で)

 「私は、思いと裏腹な言葉が話せます」と言う人がおりますが、そんな芸当は、絶対できません。

 例え、裏腹な思いを持っても、話す瞬間に、正常な思いを持ち、正常な言葉を語っているのです。

 また、「私は、言葉は汚いが、心は綺麗だ」と言う人もおりますが、そんなことも、絶対ありません。

 悪い想いを持っているから、悪い言葉が出てくるのです。

 例え、褒め言葉を語ったとしても、腹の底に悪意を持っていれば、おべんちゃらに聞こえるため、褒められた相手が、嫌な気分になるのです。

 この世には、思いの伴わない反射運動と言う行為があります。

 思わなくても、体が勝手に動く行為です。

 何度も、何度も、身体に覚えさすと、条件反射的に身体が動くのです。

 これは、肉体細胞自体に意識があるため、起きる現象です。

 アスリートは、この条件反射を、運動にうまく利用しているわけです。

 しかし、身体に何度も覚えさす段階で、思いが関わっていますので、やはり、思いがやっていることになるのです。

 このように、すべて思いが先立っての話なのです。

 

 

※ 身口意

 「身口意」と言う言葉があります。

 この身口意の「身」とは行為のこと、「口」とは言葉のこと、「意」とは想いのことです。

 「身」も、「言葉」も、五感で捉えられます。

 でも、「意」は、五感で捉えられません。

 だから、どうしても、「意」を軽視してしまうのです。

 でも、この三つのうちで一番大切なのは、「意」なのです。

 なぜなら、身を動かすのも、言葉を話すのも、想いがやっているからです。

 原因(想い)あっての結果(言葉や行為)です。

 「想い」は、原因次元なのです。「言葉や行為」は、結果次元なのです。

 結果は、原因なしに生まれないのです。

 でも、人間は、「意」を軽視し、平気で、悪い想いを持ってしまいます。

 それは、想念の恐ろしさを、知らないからです。

 私が、「想念が全てですよ!」と、口うるさく言うのは、「意」だけが、真実だからです。

 言葉も、行為も、現象で、真実では無いのです。

 何が大切か、もう一度、考えてみてください。

 

(2016年10月23日 今週の真言より)

 

 

2014年9月13日 東京塾より抜粋

 

2023.09.04  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.05


想念を正しく使って欲しい!

 

 「想念は実現の母である!」と言うことを、もう一度、噛みしめて欲しいと思います。

 何度も言うように、想念は、何でも実現させるのです。

 良い事に使えば、良い事が・・悪い事に使えば、悪いことが・・、

 その想念を、私たちは、持っているのですから、想念を正しく使ったら、私たちに、苦しみは無いのです。

 しかし、人類は、その想念を正しく使っていないのです。

 想念を正しく使ったら、今、起きている、戦争も、事件も、事故も、病気も、災害も、一切、無くなってしまうのです。

 もう、防災費も、軍事費も、保険をかける必要も、医療費を払う必要も、規則も、法律も、警察も、検事も、弁護士も、裁判官も、刑務所も、何も要らなくなるのです。

 しかし、地球人類は、想念の偉大さを知らないために、想念を悪く使って、苦しみを招いているのです。

 「ならば、教えればいいじゃないか!」と、言うかも知れませんが、こればかりは、教えて解決できる問題ではないのです。

 なぜなら、受け皿が備わっていないからです。

 つまり、そこまで、魂が熟成していないからです。

 だから、私は、受け皿の備わった人たちに、言っているのです。

 この金言を見ている人たちは、その受け皿の備わった人たちです。

 どうか、想念の偉大さを再認識してください。

 そして、あなただけでも良いですから、想念を正しく使ってください。

 そうすれば、平和を訴えるデモをしなくても、人類に、地球に、宇宙に、貢献出来るのです。

    学びの友の皆さんは、神を想うことです。瞑想をすることです。

 

注・・・

 近年、台風・豪雨など、水の被害が多くなっていますが、なぜ、多くなっているのでしょうか?

 「物質」の象徴的存在として「水」があります。

 と言うことは、台風や豪雨などの水の被害は、物質への偏りに対する、警告ではないでしょうか?

 また、地震や、火山や、山火事、なども多くなっていますが、これも、物質文明に対する、警告ではないでしょうか?

 

(2016年6月26日 今週の真言より)

 

 

 資本主義経済は、拡大し続けなければ、やってゆけない仕組みですから、欲望を刺激し、ドンドンと消費を拡大していかなければなりません。

 しかし、そのような事が、いつまでも、続けられるものでしょうか?

 第一、地球環境が持ちません。

 台風や、豪雨や、地震、などの自然災害や、鳥インフルエンザや、豚コレラや、コロナウイルスなどの蔓延は、資本主義経済に待ったをかけているのです。

 人間は、気づいておりませんが、自然界は、意識を持っているのです。意思を持っているのです。知恵を持っているのです。

 その自然界が、人類の生き様に待ったをかけているのです。

 

 物質文明の発達は、地球環境を悪化させると同時に、人心の荒廃も生むのです。

 なぜ、物質文明が発達すれば、人の心が荒むかと言いますと、波動を落としてしまうからです。

 波動が落ちれば、争いごとが多くなるのです。戦争が、その典型的な例です。

 物が貧し過ぎて起きる戦争もありますが、物が豊かになり過ぎて(人の心が荒んで)起こる戦争もあるのです。

 自然界(地球)には、意識と意思があるのです。

 その意識と意思は、人類の生き様を、常に監視しているのです。

 そして、あまりにも、物質文明に偏り過ぎると、色々な形で待ったをかけてくるのです。

 今、地球には、色々な惨事が起きておりますが、それは、自然界からの警告なのです。

 もう、そろそろ、人類は、そのことに、気付いていいのではないでしょうか!?

 

 

2016年11月13日 東京塾より抜粋

 

2023.09.05  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.06


人は、本来、誰でも幸せに生きられるように創られている!

 

 人は、本来、誰でも幸せに生きられるように創られているのです。

 「あるモノ」さえ、正しく使っていたら・・・。

 「あるモノ」とは、想念のことです。

 神は、私たちに、「想念」と言う、素晴らしい宝物を与えてくださいました。

 この想念を正しく使えば、誰もが、幸せに生きられるのです。

 でも、今の地球人類は、そのことを、知らないのです。

 「無知は最大の罪」と言われるのは、知らなければ、どんなに、素晴らしいものでも、使えないからです。

 想念は、人間であれば、誰でも持っています。しかも、自由に使えます。

 何処に行く必要もありません。誰にも邪魔されません。

 国の違い・人種の違い・大人子供・男女・貧富の差、一切、関係ありません。

 ただ、どう使うかだけです。

「想念を正しく使いましょう!」

「想念を正しく使いましょう!」

「想念を正しく使いましょう!」

 

 これは、何度言っても、言い過ぎることはありません。

 なぜなら、私たちは、何かと言うと、すぐに、悪いことを想ってしまうからです。

 さあ、良い想念を持ちましょう!

 良い想念を持てば、私たちに苦しみは、無いのです。

  良い想念の一番は、神の想いです。

「吾神なり!」

「吾神なり!」

「吾神なり!」

 

 これ以上の良い想念はありません。

 

 

※ 地球人類は、みな、自殺している

 今日、日本国内だけでも、3万人近い自殺者を出していますが、本当は、死に人全員が、自殺しているのです。

 なぜなら、想念を悪用し、死を招いているからです。

 病気の死も、事件や事故の死も、自然災害の死も、戦争の死も、みな、悪想念によって招いているのです。

 だから、地球人類は、みな、自殺している、と言うのです。

 

(2016年12月11日 今週の真言より)

 

 

 私たちは、産まれる時、何も持って来ませんでした。裸一貫で産まれてきたのです。

 でも、神様は、大変な宝物を持たせてくれました。

 それは、想念です。

 この想念を上手に使えば、私たちは、一生、幸せに暮らせるのです。

 しかし、悲しいことに、その想念が、なかなか、上手に使えないのです。

 どうしても、悪いことに使ってしまうのです。でも、それで、良いのです。

 なぜなら、悪想念を使って、痛い目に遭って、正しい想念の使い方を覚えるからです。

 このような想念を持たせてくれた神様を、意地悪だと思わないでください。

 我が子を愛するがゆえに、持たせてくれた想念なのですから・・・ 。

 私たちは、裸で産まれてきました。

 ですから、帰る時も、裸で帰らなければならないのです。

 なのに、多くの人は、この世の物を持って帰ろうとします。だから、苦しむのです。

 何も持って帰れないからと言って、ガッカリしないでください。

 私たちは、この世の物は、持って帰れませんが、大変な宝物を、持って帰れるのですから・・・。

 それは、大きくなった魂です。 

 

 

2019年2月17日 大阪塾より抜粋

 

2023.09.06  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.07


現実と真実の違い!

 

 この宇宙には、ホンモノらしき顔をしているニセモノと、ニセモノらしき顔をしているホンモノが存在します。

 つまり、見えるニセモノと、見えないホンモノが、存在するのです。

 では、本当に実在するのは、見えるモノでしょうか? 見えないモノでしょうか?

 この宇宙は、対になっております。二つで一つなのです。

 二つで一つですが、どちらかがホンモノで、どちらかがニセモノなのです。

 ニセモノは、実際に無い、現実です。

 ホンモノは、実際に有る、真実です。

 ニセモノの現実は、見えるのです。

 ホンモノの真実は、見えないのです。

 つまり、「見える・聞こえる・触れる・味わえる・臭えるモノ」は、すべて、幻なのです。

 なぜなら、肉体に付属する五感そのものが、幻だからです。

 幻の五感で、幻を見聞きしても、それは、幻にしか過ぎないのです。

 もし、五感にかかるモノが、永遠に無くならないなら、私は、五感にかかるモノを、追い求めなさい、と言います。

 でも、五感にかかるモノは、一時、存在しているだけで、いつか、必ず、無くなってしまうのです。

 無くなるモノを追いかけ、心が満足するはずがありません。

 真実(真理)とは、何でしょうか?

 現実(非真理)とは、何でしょうか?

 真実とは、永遠に無くならないモノ、

 現実とは、必ず、無くなってしまうモノです。

 一兆年存在しようと、無くなるモノは、真実ではないのです。

 宇宙の無限時間での一兆億年など、一瞬です。

 ましてや、私たちの住んでいる地球は、どんなに長く存在しても、数百億年程度です。

 その地球における文明も、せいぜい、数万年維持できれば良い方です。

 また、今の地球人類の寿命は、どんなに維持できても、百数十年程度です。

 その百数十年程度の命を守ろうとして、競い、闘い、奪い、戦争までしているのが、地球人類なのです。

 それは、真実と現実の見分けができていないからです。

 この表現宇宙は、幻です。

地球も、幻です。

幽界も、幻です。

夢も、幻です。

幻覚も、幻です。

詐欺師の言葉も、幻です。

柳を幽霊と見間違ったのも、幻です。

蜃気楼も、幻です。

UFOも、幻です。

物質化現象も、幻です。

 この世の現象は、すべて、幻なのです。

 幻の世界で起きていることは、すべて、幻なのです。

 私たちは、生まれて死ぬまで、いや、死んだ後も、幻の中で生きて行くのです。

 そして、また、幻の中に生まれ、幻の中で生き、幻の世界に帰って行くのです。

 あなたは、こんな幻の輪廻を、いつまでも、繰り返したいのですか?

 幻の中で味わう幸せは、一時です。必ず、色褪せ、失ってしまいます。

 あなたは、そんな、一時の幸せで、満足できますか?

 永遠の私たちは、永遠の幸せを掴まなくては、満足できないのです。

 では、永遠の幸せを掴むためには、どうすれば、良いのでしょうか?

 それは、真実を知れば、得られるのです。

 どうか、真実を知ってください。

 そうすれば、幻の輪廻から抜け出し、「永遠に尽きない!、永遠に色褪せない!」幸せを掴むことができるのですから・・・。

 私たちの意識そのものが、永遠に無くならない「真実」なのです。

 ただ、その自覚がないだけです。

 どうか、真実と現実を見分ける目を持ってください。

 

 

※ 二兎追うものは一兎も得ず・・、虻蜂取らず・・、

 この二つの諺を持ち出すまでもなく、二つのものを追いかけていては、一つも得ることはできません。

 ですから、まずは、形の世界(幻の世界)の様子を知りましょう。

 その後、見えない世界(真実の世界)の様子を知れば良いのです。

 

(2019年7月28日 今週の真言より) 

 

 

 

価値は誰が創る?

 

 ここに、ある「モノ」が、あったとしましょう。

 その「モノ」に、価値を与えるのは、誰でしょうか?

 それは、受取人ではないでしょうか。

 どんなに有り難い「モノ」であっても、受取人が、有り難いと思わなかったら、その「モノ」に、価値は生まれないのです。

 どんなに良い品物を作っても、買い手(受取人)がいなかったら、価値は生まれないのです。

 よく、畑で、野菜を腐らせる、農家がありますが、あれは、受取人(買い手)がいないからです。

 これは、真実(真理)も、同じなのです。

 ただし、真実の場合は、受取人がいても、真実が何か理解できなかったら、価値は生まれないのです。

 だから、私たちは、原子核を大きくして、理解力を高めなくてはならないのです。

 それまでは、目の前に真実があっても、無価値なのです。

 今、人類の目の前に、厳然として、真実が存在していますが、理解力がないため、宙に浮いている状態なのです。

 このように、モノの価値も、真実の価値も、理解して受け取って、はじめて、生まれるのです。

 

 

※ 認めなければ、価値は生まれないのです。

 例えば、1億円持っていても、持っていると認めなければ、その1億円は使えないので、価値は生まれないのです。

 どんなに有り難い真実(真理)も、理解力が乏しかったら、その真実は、無価値になってしまうのです。

 真実に、価値が生まれるのは、受取人が、真実を理解し、受け取った時です。

 

(2019年2月24日 今週の真言より)

 

 

神のメロディー「真実」

 

2018年5月26日 修善寺塾より抜粋

 

2023.09.07  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.08


1を知れば10を知る!?

 

 1を知れば10を知ると言われますが、そんな半端なものではありません。

 1を知れば、無限数を知ることができるのです。

 なぜなら、無限数は、1が分かれたものだからです。

 この宇宙には、1から分かれた無限数の原子番号・・つまり、無限の分数があるのです。

 無限の分数は、元数1から分かれたものですから、分数の一つを知ったら、元数1を知ることができるのです。

 今、この地球では、百十数個の元素が発見されていますが、宇宙には、無限に近い数の元素が存在するのです。

 その一つ一つの元素は、元数1から出てきた仲間ですから、一つの元素を知れば、元数1の正体が解るのです。

 鉱物・植物・動物・人間は、その元素の組み合わせによって作られたわけですから、鉱物を知っても、植物を知っても、動物を知っても、人間を知っても、元数1の正体が解るのです。

 今、科学者は、素粒子に様々な名前をつけておりますが、どんな名前をつけても出処は1ですから、みな、同じ元数1なのです。

 どうか、名前に惑わされないでください。

 どんなモノも、元数1から出てきた同じ1の子なのですから・・・。

 ただし、元数1の全てが解るわけではありません。元数1の一部分が解るだけです。

 

 繰り返します。

 この宇宙に、元数1でないものは無いのです。

 どうか、全ての兄弟姉妹を愛してください。

 あなたと同じ、1の子なのですから・・・。

 すなわち、自分なのですから・・・。

 

(2017年4月9日 今週の真言より)

 

 

※ 1が、二つも三つもあっては、無限でなくなります。

 一つしか無いから、無限なのです。

 無限が、二つも三つもあっては、無限でなくなります。

 一つしか無いから、無限なのです。

 だから、1は無限であり、無限は1なのです。

 つまり、どんな数も、1であり、無限なのです。

 これが、私が、1であり、無限である根拠です。

 

 

 

この宇宙に軽んじて良いモノなど一つも無い!

 

 この宇宙には、たった一つのモノしか有りません。

 たった一つのモノしか無い、と言うことは、すべては、一つのモノの現れですから、砂一粒も、虫一匹も、宇宙だと言うことです。

 ですから、砂一粒、無くなっても、 虫一匹、無くなっても、その時点で、宇宙は、無くなってしまうのです。

 二つのモノが有るなら、一つのものが無くなっても、もう一つのものが有るわけですから、一つは残ります。

 でも、一つのモノしか無いわけですから、その一つのものが無くなったら、全てが無くなるのは、当然なのです。

 その一つのモノを、神と呼んでいるのです。

 神と言う名が嫌いなら、「原子」と呼んでも良いのです。

 なぜなら、「一つのモノ」が原子になっているからです。

 もし、あなたが、砂一粒を軽んじるなら、宇宙を、神を、軽んじることになるのです。

 つまり、自分を軽んじることになるのです。

 自分は、一つのモノの現れだからです。

 私が、「すべてのモノを愛しなさい!」と言うのは、すべてのモノは、自分だからです。だから、自愛しか無いのです。

 あなたが嫌う、あの人も、この人も、あの菌も、この虫も、この汚物も、みな、自分です。どうか、自分を嫌わないでください。

 

 

※ あなたが、どんなに、神ではなく、人間だと言い張っても、

 あなたの肉体は、細胞の集まりであり、

 その細胞は、分子の集まりであり、

 その分子は、原子からできており、

 その原子は、神の意識によって創られたものですから、

 あなたは、間違いなく、神なのです。

 もう、いい加減に、人間と言い張るのを止めてください。

 

(2017年12月10日 今週の真言より)

 

 

2017年4月8日 東京塾より抜粋

 

2023.09.08  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.09


単純な学び!

 

 あなたが、「何だ!、ただ、神を想い続けていればいいだけじゃない!」と、心の底で解ったら、もう、今生の学びは、終わったようなものです。

 実に、単純な学びです。神は、私たちに、こんな単純な学びをさせているのです。

 何万転生もしてきた理由は、この単純な学びを、修業するためだったのです。

 では、どうして、神を想い続けていたらいいのでしょうか?

 それは、神を想い続けていたら、悪い事が想えないからです。

 悪い事を想わなかったら、悪いことを引き寄せません。過去の悪業も消えていきます。

 それだけではありません。 自分の欠点もなくなります。

 何よりも、自覚の境界線に近づくことができます。

 どうして、そのようなことが、できるのかと言いますと、あなたの想念は、神の想念と同じ力を持っているからです。

 このことが解ったら、唖然としてしまいます。

 正に、目からウロコが落ちる思いです。

 

 あなたの人生を創っているのは、何でしょうか?

 お金でしょうか?、物でしょうか?、地位や権力でしょうか?

 いいえ、あなたの想念です。

 あなたの想念が、すべてを創っているのです。

 それほど、私たちの想念は、すごい力を持っている、と言うことです。

 ですから、使い方を誤ったら、大変な目に遭うのです。

 学びの最終章に、想念のコントロールが組み込まれているのは、そのためです。

 どうか、想念を正しく使ってください!

 難しいことはありません。ただ、神を想い続けたらいいだけです。

 神を想い続ければ、原子核が増えます。

 原子核が増えれば、理解力が高まります。

 理解力が高まれば、自覚の境界線に近づくことができるのです。

 このように、神を想い続ければ、求道の目的に近づくことができるのです。

 だから、知花敏彦先生は、「求道者の最後の学びは、想念のコントロールですよ!」 と言われたのです。

 どうか、想念の学びの重要さを知ってください。

 難しく考える必要はありません。ただ、神を想い続けるだけです。(あなたのマントラを想い続ける。)

 さあ!、「素直に!、単純に!」、神を想い続けてください。

 

 今、人類は、争い合っています。

 それは、自分の事を「人間だ!」と思っているからです。

 自分が人間だと思えば、物が欲しい! お金が欲しい! 地位や名誉や権力が欲しい! と、欲を持つようになるのです。

 そのような人が多くなれば、争いごとも多く起きるのです。

 私たちは、人間ではありません。肉体ではありません。意識です。魂です。 神の子です。

 でも、そのことを知るには、苦しい 人生体験が必要なのです。

 だから、神は、私たちを、地球と言う荒野に放り込んだのです。

 でも、これは、私たちを愛するがゆえの、神の計らいなのです。

    人間は、苦しい体験無しには、自分の本性に目覚めないのです。

 苦しいから、疑問を持つようになるのです。

 苦しいから、真理を求めるようになるのです。

 苦しいから、神に顔を向けるようになるのです。

 今、人類は、苦しみの中から目覚めようとしているのです。

 

 

神のメロディ 「神の目配り」

 

2019年9月21日 大阪塾より抜粋

 

2023.09.09  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.10


真実は隠れて見えない!

 

 真実(本当にあるもの)は、隠れて見えないのです。

 なぜなら、真実は、力だからです。

 そうです! 力は、見えないのです。

 真実は、その見えない力なのです。

 見えるものは、見えない力によって、生かされ、 動かされ、働かされているのです。

 見えるものの背後に、必ず、見えない力が、一対になって存在しているのです。

 力が見えないのは、当然と思うかも知れませんが、その当然の中に、真理が隠されているのです。

  • 見えるものがあるから、見えないモノが解るのです。見えないモノだけでは、見えないモノは解からないのです。
  • 光だけでは、光は存在できないのです。闇があるから、光が存在できるのです。
  • 右だけでは、右は存在できないのです。左があるから、右が存在できるのです。
  • 絶対の世界だけでは、絶対の世界は存在できないのです。相対の世界があるから、絶対の世界が存在できるのです。

 解かっていただけるでしょうか?

 

 現象(この世)と非現象(力)は、一対になって存在しているのです。

 現象は見えます。非現象(力)は見えません。

 見える現象の背後には、必ず、見えない非現象(力)が存在しているのです。

 非現象(力)が無かったら、現象は、一瞬たりとも存在できないのです。

 では、 その非現象(力)は、何でしょうか? それが、解からないのです。

 どんなに探っても、非現象(力)の正体が解からないのです。

 解からないから、神と呼ぶしかないのです。

 神とは、解からないモノの総称なのです。

 と言うことは、人間は、神である、と言うことです。

 なぜなら、人間の中に、非現象(力)が存在し、働いているからです。

 

 見えない力の別名を、「命」とも言います。

 全ての見えるものは、この見えない命によって、生かされているのです。

 と言うことは、石も命です。花も命です。木も命です。菌も命です。虫も命です。犬も、猫も、馬も、命です。人間も命です。全てのものは、命の化身なのです。

 でも、その命は、隠れて見えないのです。黒子のような存在が、命なのです。

 ですから、どんなに探っても、知ることができません。

 でも、命の化身を探れば、薄々、命の正体を知ることができます。

 と言うことは、自分を探れば、命の正体を、薄々、知ることができると言うことです。

 そのためには、自分を探る、瞑想が必要なのです。 

 どうか、瞑想を続けてください!

 

 私は、毎日、金言を書いて、毎日、金言を見て、毎日、金言を読んでおります。

 私は、誰かのために、金言を書いているのではありません。

 自分のために、金言を書いているのです。

 そのことによって、私は、どれほど、自覚を深めていることでしょう!

 このような言い方をするのは、私は、主観の主だからです。

 勿論、皆さんも、同じ主観の主です。

 ですから、皆さんも、私と同じことをすれば、自覚を深めることができるのです。

 金言を、見て読むだけではいけません。書いてください。

 そうすれば、天からエネルギーが降りてきて、より、自覚を深めることが出来るでしょう。(書くのが面倒なら、スマートフォンやパソコンに打つだけでも結構です。)

 真理は、繰り返すことが大切です。

 真理が難しいと言われるのは、繰り返すことが難しいからです。

 どうか、繰り返し、繰り返し、見て、読んで、書いて、ください!

 間違いなく、自覚を深めることができるでしょう!

 原因を創れば、必ず、結果がついてきます。

 「原因と結果の法則」を信じ、続けてください!

 

 

「いのちの歌」

 

2018年4月22日 博多塾より抜粋

 

2023.09.10  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.11


失敗は無い!

 

 真理を学んでいるのに、何の成果もない! と思っているなら、大きな間違いです。

 あなたは、間違いなく、成長しているのです。

 なぜなら、今、あなたが、この真理を学んでいること自体が、成長している証だからです。

 あなたは、永い転生において、どれほど苦難の人生を歩んで来たことでしょう!

 それは、それは、大変な苦難の人生を歩んできたのですよ!

 そして、ついに、この真理に出会えたのです。

 もし、この真理が、マガイモノなら、あなたのこれまでの人生は、失敗の人生になってしまうのです。

 あなたは、この真理に導いてくれた守護霊を、信じないのですか?

 この真理を選んだ自分の眼力を、信じないのですか?

 自分の守護霊を信じないで、自分の眼力を信じないで、何を信じると言うのですか?

 この真理が、間違いないのは、次の数式が示してくれているのです。

 

無限時間×無限時間分の失敗0=失敗0

 

 この数式は、神に失敗はないと言う数式です。

 神が創られた宇宙に失敗は無いと言う、この数式は、あなたに失敗が無いことを保証してくれているのです。

 たとえ、失敗のように見えても、それは、成功のための失敗ですから、成功なのです。

 さあ、自分を導いてくれた守護霊を信じましょう!

 この真理を選んだ自分の眼力を信じましょう!

 そして、自覚の境界線を超えましょう!

 

 

※ 真理を求めることの難しさ!

 私は、新しく来た学びの友に、良く、こう言います。

 「勉強会に来なくてもいいから、原子核を増やす二つの方法を実践してください!」と・・・。

 勉強会に来て、私の話を聴いている時は、波動が高いので、やる気になりますが、波動が落ちると、やる気を削がれてしまうのです。

 何せ、外にも内にも、真理を阻むサタンがいるのですからね・・・。

 私たちの中には、二人の自分がいるのです。

一人は、自我の自分、つまり、サタンの自分です。

もう一人は、真我の自分、つまり、神なる自分です。

 本当は、真我の自分しかいないのですが、周りの悪的波動にやられると、サタンが頭をもたげ邪魔をしてくるのです。

 それも、光が、強くなれば、なるほど、闇も、強くなるため、より、サタンが活発化してくるのです。

 知花先生は、良く、こうおっしゃっておられました。

 「サタンにやられなかったら、悟るのは案外と楽なんですよ!」と・・・。

 どうか、サタンと仲良くやりながら成長してください !

 

(2016年9月11日 今週の真言より)

 

 

2016年9月10日 東京塾より抜粋

 

2023.09.11  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.12


自分を信じる

 

 この道を疑る、と言うことは、この道を選んだ、自分の眼力を疑る、と言うことです。

 自分を信じないで、一体、あなたは、何を信じると言うのですか?

 巧妙なサタンの手口に気付いてください!

 あなたの思いのように見せかける、サタンの思いに気付いてください!

 

(2015年5月10日 今週の真言より)

 

 

 

信じることの大切さ!

 

 この宇宙は、理解力によって進展してゆくようにできています。

 だから、理解力の乏しい者は、今以上の高い宇宙は、望めないのです。

 では、その者は、今の宇宙に、甘んじなければならないのでしょうか ?

 いいえ、そんなことは、ありません。

 神は、どんな者にも、進化の術を与えています。

 では、その術とは?・・・、

  • 神を信じることです。
  • 宇宙の法則を信じることです。
  • 宇宙の仕組みを信じることです。

 なぜ、信じることが、それほど大切かと言いますと、信じなければ、実践しようと思わないからです。

 実践しなければ、原子核が増えないわけですから、自分が変わらないのです。

 変わらなければ、真理を追求する気持ちが涌きませんから、今のレベル止まりになってしまうのです。

 実践すれば、原子核が増えます。

 原子核が増えれば、理解力が高まります。

 理解力が高まれば、そのレベルの宇宙が、眼前に展開してきます。

 そうなれば、真理を疑ることがなくなりますから、ますます、実践しようと言う気持ちになるのです。

 だから、私は、「信じることが大切である」と言うのです。

 ただし、信じる前に、その真理の真偽を、トコトン吟味してください。

 吟味して、吟味して、確信が得られたら、以後、一切、疑わないことです。

 そして、何よりも、信じた自分を信じることです。

 

(2015年7月5日 今週の真言より)

 

 

 人間は、誰でも、何かを信じて生きています。

 何も信じない人は、一人もおりません。

 一般人は、お金や、物や、地位や、権力を信じています。

 彼らは、それで、自分の心を安定させようとしているのです。

 でも、どんなに、お金や、物や、地位や、権力を得ても、心は、安定しません。

 なぜ、安定しないかと言いますと、この世のものは、必ず、消えて無くなってしまうからです。

 それが解かった魂は、この世のものから、離れて行きます。

 学びの友の皆さんは、そう言う魂です。

 学びの友の皆さんは、神を信じているはずです。

 神は、法則そのものですから、法則を信じ、法則に生きれば、法則が自分を守ってくれるので、心が安定するのです。

 

 

2018年10月27日 修善寺塾より抜粋

 

2023.09.12  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.13


霊とは神のことである!

 

 「霊」とは、巷間で言われている、「祟の霊」とか、「迷いの霊」とか、「動物霊」とか、そんな、霊(幽界の霊)ではありません。

 「霊」とは・・

  • 神です。
  • 創造主です。
  • 生命です。
  • 意識です。
  • 光です。
  • エネルギーです。
  • 魂です。

 「霊」を、誤解しないでください!

 人間の中には、その「霊」が、宿っているわけですから、私たちは、いずれ、霊に帰らなければならないのです。

 

 人間は、霊から出てきた霊の化身です。

 人間だけではありません。この表現世界に存在する全ての物は、霊の化身なのです。

 ですから、どんな物も、内側に霊性を秘めているのです。

 特に、人間は、その代表格です。

 ですから、霊性の自分に気付いたら、偉大な能力が出てくるのです。

 でも、今の地球人類の殆んどが、そのことに気づいていないのです。

 世の中には、沢山の物を集めている人たちがおります。

 また、部屋に、鉱物を置いたり、植物を置いたり、猫や犬を飼っている人たちがおります。

 これは、一見、良いことのように思いますが、鉱物や、植物や、動物時代を思い出させてしまうので、本当は、良くないのです。

 部屋の飾り物として置くなら良いでしょうが、観賞用として、或いは、ペットとして置くのは、できるだけ控えるべきです。(物質は、波動が低いので、周りに置いていては、波動を下げられてしまう。)

 私たちは、霊性の進化を遂げるために生まれてきたのです。

 

 「霊性の進化」とは、神の子である人間が、元の「神の霊」に帰る進化のことです。

 この宇宙には、霊しか存在しないのです。

 ですから、霊から出てきたモノは、霊に帰らなければならないのです。

 これは、定めです。

 どんなに嫌だと駄々をこねても、これだけは、避けられないのです。

 あなたは、いつまでも、波動の低い物質でいたいのですか?

 重い不自由な物質でいたいのですか?

 「生・老・病・死」のある、苦しい物質でいたいのですか?

 一日も早く、人間を卒業しましょう!

 そして、自由で精妙な霊に戻りましょう!

 

 波動の粗い物質世界で生きていると、どうしても、波動が下げられてしまいます。

 これは、仕方のないことですが、少しでも波動を高めるために、次のようなことを、行ってみたら、どうでしょうか?

     私たちの意識は、たくさんの物質を見ると、意識の乱反射が起こり、自分の波動を下げてしまいます。

 これは、精神的にも、肉体的にも、良くありません。

 ですから、できるだけ、物質を目の届かない所に、整理整頓して隠して置くことです。

 整理整頓して隠すと言う意味は、 外側に置かれている物を、戸棚の中に整理して納めると言う意味です。

 戸棚から、いちいち出すのは、面倒かと思うかも知れませんが、面倒なことが原子核を増やすのですから、一挙両得なのです。

 これは、簡単にできることですから、ぜひ、やってみてください! 

 意識の乱射が少なくなれば、自分の波動が上がりますので、瞑想もしやすくなると思います。どうか、試してみてください!

 乱視、斜視の人は、波動の粗い物を多く見ているのです。(特に、足元に、たくさんの物を散らかして置く人は、乱視になりやすいのです。)

 

 

2016年10月16日 大阪塾より抜粋

 

2023.09.13  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.14


全て必然で良いこと!

 

 自分が選んだ道を悔やみ、自分を責める人がおりますが、自分を責めてはなりません。

 なぜなら、その道は、選ぶべきにして選んだ、必然の道だからです。

 必然の道と言うことは、良い道だと言うことです。

 事実、あなたは、その道を歩むことによって、成長してきたではありませんか?

 その証拠に、あなたは、今、真理を学んでいるではありませんか?

 悪い必然など無いのです。必然は、みな、良いことなのです。

 必然を、そのように受け取れば、どんなことが起きても、悔やむことはないでしょう!

 いや!、希望を持って生きられるでしょう!

 

 なぜ、必然は、良いことか?

 それは、必ず、進化成長に連れて行ってくれるからです。

 どうして、そう言えるのかと言いますと、必然は、完全から生まれてくるからです。

 もし、必然が悪いことで終わるなら、神は、不完全な宇宙を創ったことになり、神は、不完全になってしまいます。

 そんな不完全な神は、おられないのですから、必然は、全て良いことだと思ってください!

 ただ、それを、信じるか、信じないかです。

 信じれば、成ります。 信じなければ、成りません。

 それは、想念が、そうさせるからです。

 私が、「何事も良く受け取りなさい!」と、口を酸っぱくして言うのは、この宇宙は、必然によって成り立っているからです。

 しかし、その必然を、私たちは、悪く受け取ることによって、崩してしまうのです。

 もし、良く受け取って、必然の道を閉ざさなかったら、私たちは、大手を振って進化の大道を行けるのです。

 あなたが、やるべきことは、必然を信じ、今の環境の中で、自分ができることを、精いっぱい、やることです。

 そのように生きていれば、必然が、「間違いなく」、あなたを進化成長に連れて行ってくれるでしょう!

 「間違いなく」と言うのは、この宇宙には、退化が無いからです。

 神が完全であることを考えれば、当然と言えば、当然の話しでしょう。

 

 石に躓いたことも、必然です。

 蚊に刺されたことも、必然です。

 交通事故に遭ったのも、必然です。

 詐欺師に騙されたことも、必然です。

 嫁さんと結婚したのも、必然です。離婚したのも、必然です。

 子供を亡くしたのも、必然です。

 どんなことも、必然です。

 どんなに悪く見えていることも、必然です。

 どんなに良く見えていることも、必然です。

 必然以外ないのですから、くよくよ考える必要はありません。

 起きるべきにして、起きた必然なんだな! と思ってください。

 「容姿も醜く、体も小さく、不器用で、頭の悪い人間も」 必然の産物で、良いことです。

 なぜなら、その肉体は、魂を成長させるために、自分が選んだ、必然の環境だからです。

 私たちは、失敗の中から学び、苦しみの中から強くなり、悪い環境の中から美しい花を咲かせて行くのです。

 そう思えば、どんな人間にも、どんな物にも、どんな環境にも、また、どんな自分にも、感謝できるでしょう!

 

 

2017年8月20日 博多塾より抜粋

 

2023.09.14  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.15


霊性の進化

 

 私たちは、気の遠くなる年月、進化の旅を続けてきました。

 そして、やっと、自我を持つ、人間へと成長してきました。

 この進化の旅は、霊性の進化の旅だったのです。

 霊性の進化とは、鈍重な波動から、精妙な波動へ、自分を昇華させることですが、そのためには、これまで付けてきた、鉱物臭さ、植物臭さ、動物臭さ、人間臭さを取り去らねばなりません。

 取り去るためには、できるだけ、物質的なモノから離れる必要があるのです。

 波動の低いモノに意識を傾けていては、霊性を高める妨げになるからです。

 具体的には・・

  • お金や、物や、地位や、名誉などの欲望を捨て去ること・・。
  • 鉱物や、植物や、動物などの愛玩物に、あまり情を傾けないこと・・。
  • 重厚長大なモノから離れること・・。
  • 余計な情報を受信発信しないこと・・。

 更に、霊性を高めるには、次の二つのことをしなければなりません。

 一つは、社会体験です。もう一つは、瞑想です。

 社会体験とは、肉体を維持するために、必要なことをすることです。

 瞑想は、神を想い続けることです。

 この二つをやっていれば、間違いなく、霊性が高められます。

  私たちの本性は、霊そのものなのです。

 その霊は・・

  • 神です。
  • 意識です。
  • 生命です。
  • 光です。
  • 魂です。

 呼び名は、どうでも良いのです!

 この宇宙に、霊、以外、存在しないのです。

 

 

※ 進化の節目の一つは、自我を持つ、人間になることです。

 私たちは、そこを、超えました。

 次の大きな節目は、神の自覚を持つ、神人になることです。

 そのためには、人間臭さから、一日も早く、抜け出さねばなりません。

 夕時になると、家々の窓から明かりが漏れてきます。

 また、夕餉の匂いが食欲を誘ってきます。誰もが、ホッとする一時です。

 でも、それを、懐かしがっていてはいけないのです。

 この世は、一夜泊まるホテルのようなモノですから、そこに、長居は禁物なのです。

 どうか、これまで付けてきた、鉱物臭さ、植物臭さ、動物臭さ、人間臭さを取ってください。

 

(2017年8月6日 今週の真言より)

 

 

2016年10月16日 大阪塾より抜粋

 

2023.09.15  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.16


自我の思い通りに生きたら良い!

 

 世の中には、お金や、物や、地位や、権力などを追い求めている人と、精神的なモノを追い求めている人の、二通りの人がおります。

 なぜ、そのような人がいるかと言いますと、物質の世界が本当に有ると信じている人が、物質的なモノを追い求めるのも、当然ですし、

 また、意識の世界が本当に有ると信じている人が、精神的なモノを追い求めるのも、当然だからです。

 つまり、信じられるモノを追い求めるのも当然、信じられないモノを追い求めないのも当然だからです。

 確信の持てないモノを、「追い求めなさい!」と言う方がおかしいのです。

 一般人も、真理を求めている人も、自分の原子核量通りに生きているのです。

 それは、必然の生き方しかできないからです。

 必然の生き方しかできないのは、原子核量通りの思いしか持てないからです。

 思えないことを、やれるわけがないのです。

 だから、自我の思い通りに、生きたら良いのです。

 例え、その思いによって、痛い目に遭ったとしても、その痛い目が、魂を成長させてくれるのですから、それは、良いことなのです。

 完全な神が、無駄なことを思わせるわけがないし、やらせるわけもないのです。

 全て意味あって、思わせ、全て意味あって、やらせているのです。

 どうか、そのことを信じ、原子核量通りの生き方をしてください。

 ただし、次の二つのことだけは、やってください。

  • 一つは、今、やるべきことを、真心を込めてやること・・。
  • もう一つは、真心を込めて、瞑想することです。

 この二つをやっていれば、必ず、原子核が増えます。

 増えた分、自我の思いが、真我の思いに近づきますから、良い思いが持てるようになり、良い行いができるようになります。

 そうすれば、真理の求めやすい環境が整います。

 これが、神が考えられた最良の進化方法なのです。

 

 

※ 「外側の何も変わらなくても、自分の意識が変われば良い!」

 この言葉の中には、深い意味が込められているのです。

 どれほど、深い意味が込められているかは、原子核が大きくなり、理解力が増せば、自分から教わるでしょう。

 その時、あなたは、驚愕するはずです。

 

※ 真理を学び続けている人は、真理に確信が得られたからです。

 途中で学びを止めてしまった人は、真理に確信が得られなかったからです。

 私が、「神キチガイ!」と言われるまでに、神を求めるのは、そこまで、真理に確信が得られたからです。

 確信が深められたら、誰だって、神キチガイになるのです。

 これは、当たり前のことであって、何も不思議なことではないのです。

 いずれ、地球人類の誰もが、神キチガイになる時代が来るでしょう。

 

(2017年6月18日 今週の真言より)

 

 

2019年11月24日 修善寺塾より抜粋

 

2023.09.16  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.17


必然の法則について!

 

 必然とは、当然と言う意味です。なるべきにしてなると言う意味です。

 この宇宙は、必然によって運ばれているのです。

 なぜ、必然によって運ばれているかと言いますと、原因あっての結果だからです。

 結果があったと言うことは、結果を生み出した原因があったと言うことです。

 原因のない結果はあり得ないのです。

 原因と結果は、一つなのです。切り離せないのです。

 必然しかない理由は、原因と結果は、切り離せないからです。

 もう一つ、知って欲しいのは、

必然とは、秩序ある状態を言います。

偶然とは、無秩序の状態を言います。

 秩序が保たれるのは、法則があるからです。必然は、法則なのです。

 

「何もしないのに返ってくる、何もしないのに起きる、何もしないのに現れるのが、偶然であり、無秩序の状態であり、法則の無い状態です。

 何かしたことが返ってくる、何かしたことが起きる、何かしたことが現れるのが、必然であり、秩序のある状態であり、法則のある状態です。」

 

 あなたが、

  • 石に躓いて怪我したのも、必然です。
  • 頭に、鳩の糞が落ちてきたのも、必然です。
  • スリにすられたのも、必然です。
  • あの人との出会も、この人との出会も、そのモノとの出会も、あのモノとの出会も、必然です。
  • この苦しみも、あの悲しみも、この喜びも、あの感動も、必然です。

 何もかも、必然の産物なのです。

 ですから、法則も、必然の産物なのです。

 これまで、宇宙が永続してこられたのは、必然の法則の下に、秩序正しく運営されてきたからです。

 もし、必然の法則がなかったら、この宇宙は、とっくに、消滅していたことでしょう。

 すべて、「法則が・必然が」宇宙を支えてきたのです。

 あなたが・・

  • この表現宇宙に生まれたのも、必然です。
  • 地球に生まれたのも、必然です。
  • 日本国に生まれたのも、必然です。
  • 今の家族の下に生まれてきたのも、必然です。
  • 今の肉体環境に生まれてきたのも、必然です。
  • その環境の中で、苦しみや喜びの人生を歩んできたのも、必然です。
  • その苦しみから、真理を学ぶようになったのも、必然です。

 すべて、神の思し召しによって運ばれてきた必然です。

 なぜ、必然が、神の思し召しかと言いますと、どんな苦しいことも、どんな悲しいことも、どんな厭なことも、みな、進化成長へ、つながっているからです。

 神は、私たちを成長させたいのです。

 そのためには、今、やるべきことを、真心を込めてやることです。

 そうすれば、間違いなく、あなたは、最終目標である、自覚の境界線を超えられるでしょう。

 これが、必然の宇宙における、進化の歩みなのです。

 

(2017年5月21日 今週の真言より)

 

 

2017年8月20日 大阪塾より抜粋

 

2023.09.17  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.18


必然として良く受け取る!

 

 この宇宙に、悪いことなど、一つもありません。

 なぜなら、どんなに悪いように見えていることも、すべて進化成長に結びついている良いことだからです。

 意味のないことは、起きないのです。不必要なことは、起きないのです。

 進化成長に結びつかないことは、起きないのです。

 起きていること自体が、必然であり、良いことだからです。

 この宇宙は、すべて必然によって運ばれているのです。

 その必然は、進化成長に必要な必然ですから、何が起きても良いことなのです。

 ですから、今、自分に起きている苦しみも、悪と受け取らず、成長のための必然と、良く受け取ってください。

 「あのことがあったから、今の自分が有るのだ!、本当に良かったな!」と、思える自分になってください。

 苦しい事が起きても・・ 

  • 落胆しないでください!
  • 悩まないでください!
  • 心配しないでください!

 この宇宙に、悪いことなど、一つも無いのですから・・・そう思えたら、心穏やかになるでしょう。

 

 

※ 幸福だけ欲しいと、だだをこねている人は、「下り道だけ欲しい!」と、だだをこねているようなものです。

 幸福だけ欲しいと、だだをこねている人は、「相手なんか認めない!」と、だだをこねているようなものです。

 そのような人は、自分をやめてください!

 自分をやりたいなら、相手を認めてやることです。

 なぜなら、相手は、自分が創った相手だからです。

 一つでは、一つはないのです。二つあるから、一つがあるのです。

 自分があるから、相手があるのです。相手がいらない(不幸せなどいらない)と、だだをこねている人は、自分がいらないと言っているようなものです。

  • 下り道だけ歩いていて、足が丈夫になりますか?  
  • 温室育ちで、強い花になれますか?
  • バリアフリーで育てられ、強い子になれますか?

 過保護に育てられたら、いざと言う時に、身を守れないのです。

 楽したい思いが湧いてきたら、サタンにやられていると思ってください。

 

(2017年7月30日 今週の真言より)

 

 

2016年9月10日 東京塾より抜粋

 

2023.09.18  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.19


実際に有るモノだけが、実際に有る!

 

 実際に有るモノだけが、実際に有るのです。

 この言葉を、心の底で噛みしめて欲しいと思います。

 では、実際に有るモノとは、何でしょうか?

 それは、永遠に無くならない本質のことです。

 その本質のことを、生命とも、神とも、意識とも、エネルギーとも、呼んでいるのです。

 その本質が、形を生み出しているのです。

 でも、形は、実際に有るものではありません。

 なぜなら、消えて無くなってしまうからです。

 見えるモノ、触れるモノは、みな、幻なのです。

 見えない、触れない、永遠に無くならない本質が、実際に有るモノなのです。

 と言うことは、消えて無くなってしまう人間は、幻と言うことになるでしょう。

 そうです・・人間は、幻なのです。

 実際に有るものは、本質です。

 その本質が、想い、考え、言葉を話し、行動しているのです。

 と言うことは、今、考え、言葉を話し、行動しているのは、実際に有る本質と言うことになるでしょう。

 人の形はしていますが、その実体は、本質なのです。

 だから、あなたは、間違いなく、生命であり、神であり、意識であり、エネルギーなのです。

 誰もが、形に惑わされて、本当の自分を見失っているのです。

 さあ、目覚めましょう! あなたは、本当に有る本質なのですから・・・。

 

(2016年5月15日 今週の真言より)

 

 

 本当にあるモノは、見えないのです。本当に無いものは、見えるのです。

 私たちは、気の遠くなる 年月、見える世界で生きてきたために、本当に無いものを、有ると錯覚させられてしまったのです。

 このことが解かったら、この世の物に、執着することがなくなるでしょう!

 もう、物の取り合いも、島の取り合いも、国の取り合いも、しなくなるでしょうから、地球は、平和になるでしょう。

 真理を知ることが、いかに、大切か? と言うことです。

 

 この宇宙に、本質は、一つしかないのです。

 その一つの本質が、様々な形を現わしているのです。

 と言うことは、様々な形は、みな、兄妹姉妹と言うことになるでしょう!

 そうです!

 この表現世界に存在する、どんな物も、同じ兄妹姉妹なのです。

 だから、どんな物とも、仲良くしなければならないのです。

 しかし、人間は、分離観念を持っているため、敵対します。

 だから、人間は、蜂が飛んでくると、悲鳴をあげて逃げるのです。

 悲鳴を上げて逃げるのは、 恐ろしいから(分離観念を持っているから)です。

 その想いは、蜂に通じるのです。

 だから、蜂に襲われるのです。(蜂も恐ろしいから。)          

 人間が武器を持ち合うのは、信頼し合えないからです。

 全ての存在物が、一つの本質で出来ていると、心から思えたら、信頼し合えるようになりますので、武器を持たなくなるでしょう。蜂も襲ってこないでしょう。

 信頼関係が大切なのです。

 その信頼関係は、一つの本質で創られている兄妹姉妹だと思えたら、自然と生まれてくるのです。

 

 人類は、みな、兄妹姉妹です。

 オリンピックの輪は、そのことを示す、象徴的なマークです。

 そう言えるのは、全人類が一つの本質で出来ているからです。

 しかし、人間は、形や色が違うからと言って、差別感を持ってしまいます。

 それが、争いの因なのです。

 形を見ないでください! 中を見てください! 中を見たら、みな、同じ一つの本質です。

 中を見るコツとしては、相手のハート付近に、光をイメージすることです。

 コツが掴めるに従い、相手が愛おしく思えてくるでしょう!

 

 

2016年10月15日 大阪塾より抜粋

 

2023.09.19  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.20


真心を込めてやる!

 

 何事も、真心を込めてやれば、必ず、相手に伝わります。

 なぜなら、あなたの心は、全ての人の心と、つながっているからです。

 形を見れば、別々ですが、本源においては、一つなのです。

 ですから、真心を込めてやれば、どんな相手にも伝わるのです。

 この宇宙には、

  • 一つの寛大な「意識」しか無いのです。
  • 一つの寛大な「魂」しか無いのです。
  • 一つの寛大な「心」しか無いのです。

 と言うことは、あなたの意識は、その一つしかない、寛大な意識そのものである、と言うことです。

 ですから、想ったことは、一瞬に、宇宙に伝播するのです。

 いくらやってあげても、相手に伝わらないと言う人は、真心を尽くしてやっていないからです。

 「いいえ、私は真心を尽くしてやっています!」と、言うかも知れません。

 でも、どんなに形上、一生懸命やっていても、動機が不純であれば、相手に伝わらないのです。これは、真理も、同じなのです。

 不純な動機で、しかも、生半可な気持ちで、真理を求めても、神に通じないのです。

 私の恩師である、知花先生は、「心を尽くし、魂を尽くし、精神を尽くし、神を求めなさい!」と、おっしゃっておられました。

 その通りです!

 神は、純なお方ですから、真心を持って真理を求めなくては、神に伝わらないのです。

    どうか、何事も、真心を込めてやってください。必ず、相手に、神に、伝わります。

 

 

※ これだけは、言っておきます!

 「真剣に真理を求めている人の前に、神は、絶対、石や岩は置きません!」

 生半可だから、叱咤激励の意味を込めて障害物を置くのです。

 どうでしょう!

 神が、真剣に真理を求めている我が子の前に、障害物を置くと思いますか?

 そんな意地悪なことを、神がするわけがありません。

 どうか、真剣に真理を求めてください!

 必ず、真理を自分のものにすることができるでしょう!

 

(2016年9月18日 今週の真言より)

 

 

 私が、これまで述べた、金言、あるいは、本から、皆さんの好きな真理の言葉を抜き取って、自分用のバイブルを作ってください。

 注意して欲しいのは、書く時、真心を込めて書くことです。(意味を理解して)

 これは、自分の原子核を増やすと同時に、周りの人達や、地球のためにもなるので、是非、やってください!

 学びの友の皆さんは、神の媒体として降ろされた、光の天使なのです。

 ですから、皆さんには、神の光を受けて放射する、使命があるのです。

 勿論、瞑想することが、一番ですが、書くことによっても、光を降ろすことができるのです。

 一日一枚でも良いですから、書いてください!

 1年間、365枚、たまったら、綴じて、自分用のバイブルにしてください。

 これ以上の宝物はありません。

 

 

2018年5月12日 東京塾より抜粋

 

2023.09.20  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.21


欲望の進化?!

 

 欲望にも、進化があるのです。

 魂の幼い時期には、この世の物を求める欲望が旺盛です。

 つまり、物欲や、金欲や、情欲などの欲望を多く持つのです。

 そして、それを得ます。初めは、それで、満足します。

 しかし、魂が熟成してくると、この世の物を、どんなに得ても、満足しなくなります。

 また、この世の物を多く持つことによって、痛い目にも遭います。

 そう言う体験を、何度もするうちに、疑問を持つようになります。

 そして、気付きます。

 「この世の物を、どんなに得ても、心が満足しないと言うことを・・・」

 その者は、真理を求めるようになります。

 学びの友の皆さんは、そこまで成長した魂です。

       

物欲・金欲・情欲

↓

地位・名誉欲

↓

権勢欲(人間欲)

そして、

↓

求道欲(真理を求める欲)へ・・

それが、欲望の進化です。

 

 真理を求めるようになった人には、欲望と言う言葉は、相応しくありません。

 「欲望」を「希望」と言う言葉に変えてください。

 神の世界は、希望あふれる世界だからです。

 

 私たちが、進化成長して行く旅は、必然の旅なのです。

 なぜなら、 神は、私たちを進化成長させるように創られたからです。

 ですから、この宇宙に、進化はあっても、退化はないのです。

 神は、完全です。その神がなされることに、悪いことは、一つもありません。

 ゆえに、必然は、全て、良いことなのです。

 どんな必然も、全て、進化成長に結びついているからです。

 今日、起きたどんなことも、 全て、進化成長に結びついていると思ってください。

 例え、それが、悲惨な戦争であったとしても・・自然災害であったとしても・・事故であったとしても・・病気であったとしても・・です。

 その時は、分からないでしょうが、後で振り返ったら、自分の成長に必要な必然だったことが分かるでしょう!

 

 戦争・病気・事件事故・自然災害、今の世の中を見ると、どこにも希望の光は見出せません。正に、絶望の世の中です。

 でも、短絡的な見方をしてはいけません。

 絶望の背後には、必ず、希望の光が控えているのです。

 人類は、「正反→正反→正反→」を体験して、成長して行くのです。

 苦しい体験なしには、成長できないからです 。

 神は、完全です。完全な神が、絶望を絶望のままにして置くはずがないのです。

 苦しみの背後には、必ず、成長があるのです。

 どうか、神を信じてください!

 この宇宙の仕組みを、信じてください!

 

 

2017年8月20日 博多塾より抜粋

 

2023.09.21  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.22


因果の法則から逃れる事は、絶対できない!

 

 一人ひとりが、受ける結果は、一人ひとりが、創る原因と、寸分も違いません。

 投げたボールは、必ず、投げ返されるのです。

 良いボールを投げれば、良いボールが、悪いボールを投げれば、悪いボールが・・・、

 それも、強ければ、強いように、弱ければ、弱いように・・・。

 この因果の法則から逃れる事は、絶対できないのです。

 だから、私は、「法則を、知って欲しい!、信じて欲しい!、守って欲しい!」と言うのです。

 ボールを投げるなら、良いボールを強く投げてください。

 

(2015年8月2日 今週の真言より)

 

 

 

平和は内側のモノが創る!

 

 平和は、外側に作るのではありません。内側に創るのです。

 なぜなら、内側の想念(原因)が、外側の世界(結果)を創るからです。

 内と外は、一つです。原因と結果は、一つです。

 良い結果が欲しかったら、良い原因を創ることです。

 それは、想念を持っている当人にしかできないのです。

 想念は、原因です。世の平和は、結果です。

 世の平和は、外側の結果次元のモノです。想念は、内側の原因次元のモノです。

 外側のモノは、内側のモノが創るのですから、内側の想念を良くすれば、何もしなくても、平和は訪れるのです。

 それを知らないから、人間は、外側のモノで平和を作ろうとするのです。

 結果で、結果を良くすることは、絶対できません。

 原因である想念が、結果を良くすることができるのです。

 つまり、想念が、平和を創ることができるのです。

 どうか、内側の想念が、平和を創ることを知ってください。

 

(2015年8月16日 今週の真言より)

 

 

2017年8月20日 博多塾より抜粋

 

2023.09.22  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.23


法則の外には出られない!

 

 孫悟空が、お釈迦様の手の平から出ようと試みましたが、どんなことをしても出られなかったと言う話は、法則の外には、絶対、出られないと言う比喩的な話です。

 なぜ、法則の外に出られないかと言いますと、外に出ようとすれば、五感の警報装置が働き、塗炭の苦しみが与えられるからです。

 この宇宙は、原因と結果の法則で固められているのです。

 その牙城は、いかなる者も、崩すことができないのです。

 もし、崩そうとすれば、痛い目に遭うのが落ちだからです。

 宇宙が、今日まで、整然と運行してこられたのは、因果の法則によって、秩序立てられてきたからです。

 もし、この法則がなかったら、一秒として、宇宙は、存在できなかったでしょう。

 法則に逆らうなど、アリが戦車に立ち向かうようなものです。

 どうか、法則を守りましょう。

 法則を守れば、穏やかに生きられるのですから・・・。

 

(2015年10月4日 今週の真言より)

 

 

 

結果を生み出せる者だけが原因者になれる!

 

 この宇宙で確かなことは、結果を生み出せる者のみが、「原因なき原因者」になれると言う真実です。

 結果を生み出せない者が、どうして、「原因なき原因者」になれるでしょうか?

 結果を生み出せないのは、原因者としての能力が無いからです。

 神は、結果を生み出せる偉大な能力を持った存在者ですが、私たちも、結果を生み出せる偉大な存在者なのです。

 それは、神と同じ偉大な想念力を持っているからです。

 偉大な想念力を持っている、私たちは、原因なき原因者と呼ばれるに相応しい存在者なのです。

 ただし、今の私たちは、原子核の量が少ないため、小さな結果しか生み出せないのです。

 でも、原子核の量が多くなった暁には、大きな結果を生み出せる、神に近い存在者、すなわち、「神人」になれるのです。

 

(2015年12月6日 今週の真言より)

 

 

 

神がそのモノになった!

 

 神が、モノを創る場合、神が、そのモノになるしかないのです。

 つまり、原因者である、神、自らが、結果体である、そのモノになるしかないのです。

 なぜなら、この宇宙に、神の他は、何も無いからです。

 結果と原因のどちらが先か? と言う論争が無意味なのは、結果体と原因者は、同じモノだからです。

 結果体と原因者が、同じモノだと深く思えたら、どちらが先でも良くなるのです。

 私は、よく、意識がモノを生み出していると言いますが、原因者である、神と、結果である、モノが、同じ神ならば、モノが意識を生み出していると言っても、何も不思議ではないでしょう。

 なぜなら、原因者(神)だけでは、原因なき原因者になる資格が無いからです。

 結果の生み出せない原因者など、無価値です。

 結果を生み出してこそ、原因者としての価値が生まれてくるのです。

 だから、私は、結果体と原因者は、同等の価値があると言うのです。

 ならば、結果体(人間)が、原因者(神)を生み出している、と言っても言い過ぎではないでしょう。

 「結果をいじって、原因を変える」(逆も真なり)の現代医療も、頷けると言うものです。

 結果体が、結果体を生み出せない無能さは、分かっていますが、結果体がなくては、原因者の存在も無意味なのですから、やはり、結果体と原因者は、同等の価値があるのです。

 

(2015年12月13日 今週の真言より)

 

 

2016年1月9日 東京塾より抜粋

 

2023.09.23  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.24


原因は見えずとも結果は見える

 

 原因は、見えずとも、結果は、必ず、見えます。

 形として、現象として、痛みとして・・・苦しみとして・・・悲しみとして・・・。喜びとして・・・幸せとして・・・。

 だから、私たちは、結果を見て、襟を正す(原因を正す)ことができるのです。

 これが、神の法の素晴らしいところです。

     でも、痛みや、苦しみは、業の消えてゆく姿ですから、放っておけばいいのです。

 掴んで離さないから、いつまでも、苦しみが無くならないのです。

 「ああ、今、業が消えている! 消えている! 苦しみよ、ありがとう!」と、感謝の思いで包み込んでください。

 そうすれば、どんな苦しみも、我慢できます。

 大切なのは、苦しいからと言って、業の上塗りをしないことです。

 

(2015年12月20日 今週の真言より)

 

 

 

心の醜さが鏡に写し出されている!

 

 よく、自分の苦しみを、人のせいにする人がいますが、人から与えられた苦しみなど、一つもありません。

 自分は、原因者(光)です。人は、結果体(影)です。

 結果体(影)が、原因者(光)に、影響を与えることなど出来るわけがないのです。

 もし、与えられるなら、先に結果体が有ることになり、この宇宙の秩序は、無茶苦茶になってしまいます。

 「出すから入るのです!」、エネルギー均衡の法則が働いている宇宙において、これは、当然のことなのです。

 何でもそうですが、出さなければ、入って来ないのです。

 凹が生まれるから、凸が入って来るのです。

 想念を出さなければ、凹が生まれないのですから、凸が入って来るわけがないのです。

 しかも、このエネルギー均衡の法則は、出した凹と同じ質の凸が入って来るようになっているのです。

 つまり、悪しき想念(凹)を出せば、悪しきモノ(凸)が入り、

 良き想念(凹)を出せば、良きモノ(凸)が入って来るのです。

 苦しみは、あくまでも、自分の想念が生み出した結果なのです。

 このことは、病気に置き換えてみたら、分かりやすいと思います。

 病気になった結果があったと言うことは、その結果を作った原因が自分の中にあったと言うことです。

 つまり、悪しき想念(凹)を出していたから、悪しき病気(凸)が返って来たのです。

    この表現世界は、見えない原因を見える結果にして写し出す鏡なのです。

 見えない原因とは、心(想念)であり、見える結果とは、この場合、病気です。

 肉体は、鏡なのです。

 人の心の醜さが、肉体の鏡に、病気と言う形で写し出されているのです。

 神は、見えない心(想念)の状態を、見える病気と言う形で現し、心の醜さに気づいてもらおうとしているのです。

 これは、神の慈悲と言っていいでしょう。

 これは、ゴミについても言えることなのです。

 今、地球環境は、悪化の一途をたどっていますが、これは、人類の醜い心が、地球環境の悪化と言う形で現れているのです。

 醜い心の社会からは、病気も、ゴミも、沢山、生まれるのです。

 病気の多さと、ゴミの多さは、その星の進化のバロメーターになっているのです。

 人類は、いつか、そのことに気付き、心を正してゆくでしょうが、そうなれば、病気も、ゴミも、減ってゆくでしょう。

 これが、自ら苦しみを与え、その苦しみから過ちを発見し、自分を成長させてゆく、自己完結型宇宙の仕組みなのです。

 

(2016年5月1日 今週の真言より)

 

 

 

エネルギー均衡の法則が、魂を成長させてくれる

 

 この宇宙は、エネルギー均衡の法則によって支配されています。

 ですから、均衡が崩れれば、必ず、穴埋めさせられるのです。

 例えば・・

  • やれば、必ず、やり返されます。
  • 奪えば、必ず、奪い返されます。
  • 与えれば、必ず、与え返されます。

 この宇宙に、一方通行は無いのです。

 エネルギーは、出した分、必ず、返ってくるようになっているのです。

 それも、同質のエネルギーが、強ければ、強いように、弱ければ、弱いように・・・ 。

 これは、原因と結果の法則によって、間違いなく、行われるのです。

 良いことをすれば、良いことが、悪いことをすれば、悪いことが返ってくるのは、因果の法則の間違い無いところですが、それだけで終わらないのが、この法則の凄いところなのです。

 つまり、行ったことには、必ず、悪いリスクと、良いリスクが、付いてくるのです。

 例えば・・

 大掃除をすれば、家は、綺麗になりますが、その代わり、着ているものが汚れたり、腹が空いたり、疲れたりするリスクが返ってきます。

 遊園地帰りの親子が、電車の中で、コックリ、コックリする風景を良く見ますが、あれも、楽しみの後にやってくるリスクの一つです。

    何かをすれば、必ず、リスクを背負うのが現象の世界なのです。

 目に見えないリスクもありますが、それは、分散されて目に見えないか、先延ばしされているかで、いつか、必ず、お返しがあるのです。

 それも、正反・正反・正反・と言う形で返ってくるのです。

 大掃除をすれば、家は、綺麗になりますから、これは、良いことです。

 でも、肉体は、疲れますから、これは、悪いことです。

 でも、筋肉が強くなりますから、これは、良いことです。

 でも、腹が空きますから、これは、悪いことです。

 でも、原子核が増えますから、これは、良いことです。

 「良いことが悪いことにつながり、悪いことが良いことにつながり、また、良いことが悪いことにつながり、悪いことが良いことにつながる」、この「正反・正反」のエネルギー均衡の法則が、魂を成長させてくれるのです。

 ですから、悪いことは、一つもないと言うことです。

 神が、一番に望んでいることは、魂の成長です。

 苦楽を交互に体験しながら成長するのは、進化のプロセスなのです。

 神は、エネルギー均衡の法則を通して、私たちの魂を成長させようとしているのです。

 

※ 何でもそうですが、馴れてしまうと、そのモノの良さが分からなくなります。

 だから、増長してしまうわけですが、真理も、同じなのです。

    私のホームページを見た人は、初めは感動します。

 でも、馴れてしまうと、その感動を忘れてしまうのです。

 中には、反発心を持つ人さえ出て来ます。

    どうか、初心に帰ってください!

  • あの感動は、ウソの感動だったのですか?
  • あの感動の涙は、ウソの涙だったのですか?

 

(2016年8月14日 今週の真言より)

 

 

2016年12月17日 大阪塾より抜粋

 

 

 

 どうして、人間は、病気になるのでしょうか?

 それは、肉体が自分ではないからです。

 もし、肉体が自分なら、肉体のことは何でも知っているはずですから、病気になることはありません。

 例えなったとしても、部品を取り替え治すことができるはずです。

   人間は、爪一つ 、毛1本、臓器 1つ、作ることができないのです。

 それは、肉体が自分ではないからです。

 どうして、人間は、そのことに、気づかないのでしょうか?

    肉体は、自分ではないのです。自分の乗り物なのです。

 

    では、自分とは、何でしょうか?

 自分とは、意識 なのです!、想念なのです!

 だから、想念で何でも創れるのです。

 今日までの人生 、すべて想念で創ってきたのです。

   そのことを知ってください!

 

 

「秋の夜空」

 

2023.09.24  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.25


望ましい日常生活

 

 私たちは、霊性の進化を遂げてゆかねばならない高貴な霊の子です。

 その高貴な霊の子が、グルメに夢中になり、快楽に溺れ、物欲に明け暮れていて、良いでしょうか?

 一般人は、仕方ないとしても、真理を学んでいる皆さんは、一日も早く、そのような生き方から、卒業しなければなりません。

 では、霊の子として、どのような日常生活が望ましいか、考えてみることにしましょう。

 

 

人生の目的を見失わないこと!

 私たちは、本当の自分を知るために生まれてきました。

 この大目的を見失っては、何のために生まれてきたのか分かりません。

 私たちは、「私は神の子である!」と、心の底で思えるようになるために生まれてきたのです。

 

 

今の今を大切に生きること!

 「私は神の子である!」と、心の底で思えるようになるためには、瞑想は、欠かせません。

 そのためには、今の今を大切に生きなければなりません。

 今の今を大切に生きるとは、今、神を想うこと、今、生命を想うこと、つまり、今、マントラを想うことです。

 日常生活の中においても、出来るだけ、神を想いながら生きることです。

 

 

「原因と結果の法則」と「陰陽の法則」を守ること!

 原因と結果の法則と陰陽の法則を守るのは、求道者として当然の義務です。

 真理を学んでいる者なら、その事を胸に秘めて生きなければなりません。

 

 

正しい想念を持って生きること!

 想念は、実現の母であり、自覚の境界線を超える鍵です。

 あなたの成長は、想念次第なのです。

 どうか、想念を良いことに使ってください。

 良いことの一番は、神を想うことです。

 

 

感情に流されないで生きること!

 家族との生活は、感情を克服する学びの一環です。

 つまり、情に流されない、情に溺れない、中庸の情を学ぶことです。

 

 

家族を通して愛を学ぶこと!

 厳しからず、甘からずの愛を、家族を通して学び、その愛を拡大してゆくことです。

 

 

余計なことを考えないで生きること!

  • 過去のことや未来のことを、くよくよ、考えないことです。 
  • 後読みや先読みをしないことです。
  • 妄想を抱かないことです。

 

 

嫌なことから逃げないこと!

 嫌なことから逃げないことです。

 嫌なことを、追いかけなさい、と言っているのではありません。

 やって来たら、逃げないでやりなさい、と言っているのです。

 

 

人事を尽くして天命を待つ生き方をすること!

 人事を尽くすことです。

 人事を尽くしたら、くよくよ、考えたり、心配したりしないで、天に委ねることです。

 神は、最善を尽くした者を、悪いようにするわけないのですから・・・。

 

 

中庸の生き方をすること!

 この世は、すぐに旅立たねばならない腰掛けの世界です。

 そんな腰掛けの世界で、命をかけてやることなど、一つもないのです。

 五十歩百歩の生き方をすることです。

 つまり、中庸の生き方をすることです。

 

 

何事も真心を込めて(一生懸命)やること!

 とは言っても、やる時には、真心を込めてやることです。

 真心を込めてやっている人の姿は、輝いています。

 その姿を、周りの者に見せることです。

 特に、家族の者に見せることです。

 

 

腰軽になること!

 体を動かせば、動かすほど、原子核は、大きくなります。

 つまらないことでも、良いですから、体を動かすことです。

 腰軽は、サタンに勝つ一番の方法なのです。

 

 

繰り返すことを嫌がらないこと!

 真理と言うものは、一度や二度で、身につくものではありません。

 何度も、何度も、繰り返すことで身につくのです。

  • 何度も、何度も、読むことです。
  • 何度も、何度も、聴くことです。
  • 何度も、何度も、見ることです。
  • 何度も、何度も、やってみることです。

 繰り返すことを嫌ってはなりません。面倒かも知れませんが、手間を掛けることです。手間を掛ければ、かけるほど、成長するのです。

 

 

この世の物を愛玩しないこと!

 私たちは、鉱物、植物、動物と進化を遂げ、やっと、自我を持つ人間まで成長してきたのです。

 それだけ、苦しい進化の過程を踏んできた、と言うことです。

 なのに、鉱物や、植物や、動物などの愛玩物を身近に置いていては、進化の妨げになります。

 物質は、波動が低いのです。

 ですから、出来るだけ、周りに余計な物を置かないことです。

 

 

その他、日常生活で守らねばならないこと!

  • 買い貯めしないこと。
  • 物を寝かさないで使ってやること。
  • 新しい物をできるだけ買わないこと。使える物を使い切ること。
  • 物を目の届かないところに整理整頓して置くこと。出来るだけ、足元に物を置かないこと。
  • 家の周りの環境や、室内の環境を、整えること。
  • 家族の間でも、互いに環境を守り合うこと。
  • よく、親切心でやってあげる人がいますが、それは、お節介と言うものです。なぜなら、相手の成長を奪ってしまうからです。やるなら、相手の成長を考えて、やることです。

 

 

 以上、望ましい日常生活を、ピックアップしてみました。

 どうか、参考にしてください。

 

 

注)ここに書かれているからと言って、自分の気持ちを偽ってまで、やってはなりません。

 自分の思い通りの生き方をしてください。

 自分の思い通りの生き方をして、ここまで、成長してこられたのですから・・・。

 魂の成長に任せて、自然体で生きてください! ・・・・。

 

(2016年11月20日 今週の真言より)

 

 

2016年10月16日 大阪塾より抜粋

 

2023.09.25  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.26


物質から霊性へ!

 

 私たちは、波動の高い天におりました。

 そこでは、波動の高いものは体験できても、波動の低いものは体験できません。

 それでは、真の幸せが味わえないので、私たちは、波動の低い体験をするために、わざわざ、記憶を失い、地上界に降りてきたのです。

 記憶を失った状態は、自我の無い状態です。

 これでは、何も認められないので、地上界に降りてきた意味がありません。

 ですから、自我を持つために、鉱物から植物へ、植物から動物へ、動物から人類へと、進化のプロセスを踏んだのです。

 私たちの中に、鉱物・植物・動物の習性が残っているのは、そのような進化のプロセスを踏んできたからです。

 特に、動物時代の習性は、色濃く残っています。

 未熟な魂が、物欲や性欲に溺れるのは、動物時代の習性が強く残っているからです。

 これを、私は、第1段階の動物人間の習性と言っています。

 その魂も、人間社会で揉まれるうちに、第2段階の人間的習性を身に付けるようになります。

 つまり、物欲・金欲・地位や名誉欲・権勢欲・自己顕示欲などの人間的欲望を持つのです。

 今の地球人類の多くは、動物の習性と人間の習性を併せ持った、動物人間の状態なのです。

 でも、この状態は、決して、悪いことではありません。

 私たちの目的は、あくまでも、霊性の進化を遂げるためですから、波動の低い人間体験を数多くすることは、必要なのです。

 ですから、V字の左側の時代は、人間的欲望に溺れて、様々な苦しみを体験するのです。

 苦しい体験をするうちに、人間的欲望の虚しさを知ります。

 知った魂は、V字の右側に入ってきます。

 V字の右側に入ってきた魂は、霊性の進化を遂げる方向へ、自然と舵を切るようになります。

 つまり、人間的欲望から、自然と離れるようになるのです。

 学びの友の皆さんが、あまり欲望を持たなくなったのは、それだけ、霊性の進化を遂げたからです。

 この世の欲望を、強く持つか、持たないかは、霊性の進化のバロメーターだと思ってください。

 霊性の進化を目指している者に、地位や、名誉や、権力などは、不要です。

 お金も、物も、必要最低限あれば良いのです。

 

 

※ 物質の世界は、汚いです。醜いです。鈍重です。不自由です。

 霊の世界は、綺麗です。美しいです。精妙です。自由です。

 私たちは、物質人間ではないのです。霊です。

 もう、そろそろ、霊の自分に戻りましょう。

 

※ 私たちは、すでに、肉体と言う動物を飼っているのです。

 その上、まだ、他の動物を飼うつもりですか?

 私たちは、一日も早く、動物から卒業し、霊性の進化を遂げねばならないのです。

 

※ 鉱物や、植物や、動物たちは、何も悪いことをしていないのに、人間に虐待され、苦しんでいます。

 何も原因を創っていないのに、彼らは、どうして、痛い目や、苦しい目に、遭うのでしょうか?

 原因と結果の法則は、彼らには、働かないのでしょうか?

 

※ 今の地球人類は、動物と同じ営みをしています。

 食べて出す・・セックスする・・眠る・・すべて、動物的習性です。

 私たちは、一日も早く、霊性の進化を遂げ、動物的習性から抜け出さねばならないのです。

 

(2019年7月21日 今週の真言より)

 

 

2016年12月18日 大阪塾より抜粋

 

2023.09.26  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.27


真理の奥深さ!!

 

 覚者は言います。「真理を、知れば、知るほど、真理は遠のく」と・・・。

 そうなのです!

 この宇宙は、探っても、探っても、届かないほど、奥が深いのです。

 それは、宇宙は、無限だからです。

 無限を完全に知ることが、どうして、出来るでしょうか?

 あなたは、「これ以上無い意識体験をした!」と言うかも知れません。

 でも、それは、一部分の体験です。

 なぜなら、 前述したように、宇宙は、無限だからです。

 私が、「永遠に悟ることができない!」と言うのは、宇宙は、神は、本当の自分は、無限だからです。

 探っても、探っても、掴めないのが、宇宙なのです。神なのです。本当の自分なのです。

 ですから、「私は悟った!」と言ってはならないのです。

 永遠に悟れない真理なのですから・・・。

 真理の奥深さを知った者は・・

  • 謙虚になります。
  • 頭の低い者になります。
  • 自分の成長を唯一の目的とします。
  • 内側に多く意識を向けるようになります。(瞑想を多くするようになる。)

 でも、真理の奥深さを知らない者は・・

  • 自負します。
  • 高慢になります。
  • 他人の成長を望みます。
  • 外側に多く意識を向けるようになります。(あまり、瞑想をしない。)

 この宇宙の深淵さは、計り知れないのです。

 知っても、知っても、また、その先に、知るべき真理が控えているのです。

 だから、焦ることはありません。

 一歩、一歩、着実に、前進しましょう!

 

 

注意・・ 学び始めの頃は、誰もが、「明日にでも、自覚の境界線が超えられる!」と、思うものです。

 でも、学びが深まれば、簡単でないことが分かってきます。

 それは、学べば、学ぶほど、真理の奥深さが観えてくるからです。

 だからと言って、諦めないでください。

 なぜなら、風呂桶に、どれくらい、お湯が溜まっているかは、誰にも分からないからです。

 明日、風呂桶から、お湯が溢れるかも知れないのです。

 明日、百本目の刀が得られるかも知れないのです。

 これだけは、誰にも分からないのです。

 だから、希望を持って、真理を学び続けましょう!

 

(2017年4月16日 今週の真言より)

 

 

 

拘りを捨てよう!

 

 「人間の一番不可思議なところは、拘りを持つことである」と、ある覚者は、言っています。

 では、なぜ、拘るのでしょうか?

 それは、心が満たされていないからです。

 心が満たされていないと、心の空白を何かで埋めようとするのです。

 でも、その何かが解らないのです。

 だから、じれったいのです。歯がゆいのです。もどかしいのです。

 その鬱憤を、拘りで晴らそうとするのです。

 自分の本性を知った者は、拘りを持つことが、少なくなります。

 それは、心の空白が埋まったからです。

 ですから、覚者は、一切、拘りを持たないのです。

 どうか、拘りを捨ててください!

 この世に拘わる事など、一つも無いのですから・・・。

 

 

2018年11月25日 修善寺塾より抜粋

 

2023.09.27  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.28


真理の目から見た人助け

 

 世の中には、ボランティアー をやったり、寄付をしたりして、人助けしている人たちがおります。見た目は、実に、美しいです。

 でも、どうでしょうか?

 心の底から、「人助けしたい!」と思ってやっている人が、どれほどいるでしょうか?

 そこに、何らかの成算が入っていないでしょうか?

 例えば、

人に良く見られたいとか・・、

犯した罪の償いのためとか・・、

生きがいのため(心の空白を埋めたいため)とか・・、

自分の名を知らしめたいとか・・、

自己満足のためとか・・・。

 これを、私は、批判するつもりはありませんが、でも、「安易な人助けは、人をダメにする !」と言うことだけは、知って欲しいと思います。

 では、なぜ、安易な人助けは、人をダメにするのか、真理の目から考えてみましょう。

 人助けする場合、その人の成長のためになっているかどうか? よく、考えてせねばなりません。

 確かに、切羽詰まっている場合は、助けてやらねばならないでしょう。

 でも、どこまで助けてあげるべきか? の見極めが大切なのです。

 なぜ、苦しいことが、起きたのでしょうか?

 自分が原因を創っていたからではありませんか?

 事件や、事故や、自然災害の苦しみも、病気の苦しみも、貧困による苦しみも、みな、自分が原因を創っていたから起きたのです。

 なのに、安易に苦しみを取っては、 原因を追求しないで(反省しないで)、終わってしまうのではありませんか? それでは、その人は、成長しません。

 では、マザーテレサのやった人助けは、悪かったのでしょうか?

 どんなに、動機が純粋でも、人の成長を考えず、人助けしたなら、良いとは言えないでしょう。

 ただし、こう言うことは言えます。

 例えば、不純な動機で、人助けしたとしても、それは、助けた人の原子核の量においてした、必然ですから、それは、良いことなのです。

 また、助けられた人も、助けられるべきにして助けられた、必然ですから、それも、良いことなのです。

 必然には、人を成長させる材料が含まれているからです。

 

 

※ 世の中には、助けられる人と、助けられない人がいますが、どうして、そのような不平等なことが起こるのでしょうか?

 それは、「原因と結果の法則」が、働いているからです。

  • 助けられた人は、

助けてくれる人に出会ったのも、必然です。

助けられる環境にいたのも、必然です。

助けられる時代に生まれたのも、必然です。

  • 助けられなかった人は、

助けてくれる人に出会えなかったのも、必然です。

助けられない環境にいたのも、必然です。

助けられない時代に生まれたのも、必然です。

 これは、助けられた人も、助けられなかった人も、今世、あるいは、過去世における、「原因と結果の法則」の働きによって起こった、必然ですから、決して、不平等ではないのです。

 必然は、みな、良いことなのです。

 必然によって運ばれている宇宙に、悪いことなど無いのです。

 ただし、真理を知った人は、原因と結果の法則を無視した人助けは、できるだけ、避けるべきでしょう。

 動機が大切なのは、過ちを犯さないためです。

 人助けするなら、相手の成長を考え、やり過ぎない配慮のもとに、やりたいものです。

 

 

※ 安易な人助けは、人をダメにすると言う話は、安易に病苦を取っては、成長の妨げになると言う話と同じです。

 簡単に、病気を治したのでは、その人から、成長材料を奪ってしまうからです。

 また、これは、人にお節介を焼くことも同じです。

 世の人々は、良かれと思って、お節介を焼くのでしょうが、お節介を焼くことで、人から成長材料を奪っていることが多いのです。

 お節介焼きの心理状態は、自分がお節介を焼いて欲しいからです。

 これは、人に教えたがる人の心理状態とも似ています。

 自分の中に教えて欲しい思いがあるから、人に教えようとするのです。

 これは、人を頼る癖をつけてしまい、良いこととは言えません。

 何ごとも、努力して、厳しさを体験して、成長してゆかねばなりません。

 その意味では、厳しいことをさせてやることが「愛」です。努力させてやることが「愛」です。いらぬ手助けは、人を堕落させます。

 例え、どんなに、動機が良くても、やり過ぎは、良くないのです。

 ですから、人助けをするにも、中庸を見極めてやることが大切なのです。

 その中庸の見極めも、魂の熟成度によって違ってくるわけですから、助け方も、みな、違ってくる、と言うことです。

 

(2017年3月19日 今週の真言より)

 

 

2018年6月10日 東京塾より抜粋

 

2023.09.28  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.29


本当の自分を知ることは永遠にできない!!

 

 もし、姿形も無く、五感も無く、意識だけの自分なら、あなたは、「自分」のことを、何と思うでしょうか? 恐らく、自分が解らないでしょう。

 だから、神は、形を持たせ、自我を持たせ、自分が何なのか解るようにしたのです。

 でも、私たちは、そのために、本当の自分を見失ってしまいました。

 形を持つと、形に惑わされ、意識の自分を見失ってしまうのです。

 今、私たちが苦しんでいるのは、形に惑わされ、意識の自分を見失ったからです。

 でも、それさえも、神の愛です。

 なぜなら、その苦しみが、本当の自分を発見させるからです。

 今、私たちは、自分の意識を感じています。感じられるのは、自分が意識だからです。

 自分が意識でなければ、自分が意識だと感じられないはずです。

 このことが解った人のみが、自分の意識が、全てのモノを創っていることが解るのです。

 なぜなら、自分の意識が無くなれば、妻も、子も、地球も、宇宙も、すべて、消えてしまうからです。

 人間も、神も、宇宙も、何もかも、自分の意識の産物なのです。

 では、その意識の自分とは・・

一体、何者なのでしょうか?・・・

どこから、来たのでしょうか?・・・

どこから、生まれたのでしょうか?・・・

 自分が意識であることは解かっても、自分の意識の出処が解らないのです。

 探っても、探っても、自分の意識が、どこから来ているか、源が解らないのです。

 自分自身、意識でありながら、自分の意識の出処が解らない、こんな、もどかしいことがありましょうか?

 でも、それで良いのです。解ったら、終着駅に着いたことになるからです。

 終着駅のある有限の旅は、つまりません。

 だから、永遠に終着駅の来ない旅、つまり、自分の意識の出処が、永遠に解らない旅が楽しいのです。

 自分の意識の謎解きは、永遠にできません。

 永遠に解けないがゆえに、私たちは、幸せなのです。

 

(2016年1月31日 今週の真言より)

 

 

 

私の独り言

 

 私は、姿形の無い意識だけの存在です。

 だから、私は、私を知らないまま、今日まで、生きて来たのです。

 一体、意識の私って、何だろう?

 一体、意識の私は、何処から来たのだろう?

 一体、いつ、生まれたのだろう?

 いや、私は、生まれた覚えがない! だから、死んだ覚えもない!

 気がついたら、私は、存在していたのです。

 いや、その言い方は、正しい言い方ではありません。

 「気がついたら」と言う言い方は、「生まれた時は」と言うことになるからです。

 私は、私の存在を、永遠の昔から、知っていたのですから、生まれたと言う言い方は、正しくありません。

 永遠の昔から、私を知っていた、と言うことは、永遠の昔より、私はいた、と言うことですから、いつも、いた、と言うことです。

 そうです! 私のいなかった時は、無かったのです。

 私には、初めは、なかったのです。だから、終わりもないのです。

 私は、ずっと生き通してきたのです。

 そんな、私を、今日まで、知らないで生きてきたのですから、何とも不思議な話しです。

 では、もう一度、問いかけてみましょう!

「一体、意識の私は、何者なのでしょうか?」

「一体、 私の意識は、何処から来たのでしょうか?」

 しかし、どんなに問いかけても、答えは返ってきません。

 いくら思索しても、分からないのです。

 多分、永遠に、意識の私のことは、分からないでしょう。

 でも、意識の私のことは、分からなくても、これだけは、分かっています。

 私が、唯一、欲しいのは、幸せであると言うことが ・・・。

 それも、永遠に尽きない、永遠に色褪せない、究極の幸せが欲しい、と言うことが・・・。

 それで、良いのです。

 なぜなら、幸せ以外、私は、何もいらないからです。

 

(2016年8月7日 今週の真言より)

 

 

2018年12月23日 修善寺塾より抜粋

 

 

 仕事の本分・・・ それは、自分の肉体を、維持管理することです。

 それ以外の仕事は、ありません。

 「肉体を維持管理することによって魂が成長する」と言う仕組みの奥深さ、知れば知るほど唖然とします。 

 

 生きてゆくためには、肉体の維持管理は、欠かせません。

 従って、生きている限り、間違いなく、進化成長してゆくのです。 

 このような仕組みを考えられた神、何と賢いのでしょうか!

 

2023.09.29  

 

 

 

 

 

金言:2023.09.30


想念の偉大さ!

 

 私が、地球人類に声を大にして言いたいのは、想念の偉大さを知って欲しい、と言うことです。

 私たちの想いが、人生環境を、社会環境を、自然環境を、地球環境を、良くも悪くもしているのです。

 それは、私たちの想念が、神と寸分も違わない力を持っているからです。

 あなたは、想念を使って、車を手に入れたのではありませんか?

 想念を使って、嫁さんを手に入れたのではありませんか?

 想念を使って、お金を手に入れたのではありませんか?

 いや、病気も、事故災難も、家庭の不和も、人との諍いも、みな、自分の悪想念で作ったのです。

 私は、そんな悪いモノ作った覚えがない! と言われるかもしれませんが、憎しみ・恨み・怒り・心配・恐怖・イライラの想いが、そのような不幸を作ったのです。

 神の世界には、何も存在しないのです。

 何も存在しないのは、神が想念を動かしていないからです。

 想念を動かさなければ、何も生まれないのです。

 それでは、自分の存在がないので、神は、想念を動かして表現世界を創り、そこに、自分の分身である人間を送ったのです。

 その時、人間に持たせたのが、神と寸分も違わない想念だったわけです。

 ただし、一つだけ、神の想念と違う点は、「一時も何も思わないでいられない!」と言う違いです。

 これは、素晴らしいことでもありますが、恐ろしいことでもあるのです。

 なぜなら、使い方を誤れば、苦しみを作ってしまうからです。

 あなたは、いつも、どんな思いを持って生きていますか?

 良い思いですか? 悪い思いですか?

 あなたは、良い思いが持てなくて、悩んでいるのではありませんか?

 人生の目的の一つは、想念を正しく使えるようになることです。

 つまり、想念のコントロールが、できるようになることです。

 

 

※ 何も思わなかったら、苦しみも、悲しみも、生まれないでしょうし、楽しみも、喜びも、生まれないでしょう。

 いや、一瞬にして、表現世界は、消えてしまうでしょう。

 幸いなことに、何も思わないでいられないから、私たちも、表現世界も、安泰なのです。

 それほど、私たちの想念は、偉大な力を持っている、と言うことです。

 想念の偉大さを知って欲しいのは、想念の使い方次第で、人生を、どうにでもできるからです。

 人生万端、想念次第です。何もかも、想念次第です。

 どんな問題も、想念で解決できるのです。

 どうか、想念の偉大さを知ってください!

 そして、想念を正しく使ってください!

 一番正しい想念は、神を想うことです。

 これは、今まで、何度も言ってきたことですが、再度、念を押しておきます。

 

(2017年1月15日 今週の真言より)

 

 

2019年9月21日 大阪塾より抜粋

 

2023.09.30  

 

 

 

 

 

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【お知らせ】

○ 次回、修善寺合宿(瞑想会)

2024年1月20日・21日

 

○ 光の画集に学びの友の作品を

    アップしました!

 

○ 2022年1月1日からは、これまで発表した「金言集」「真言集」 「更新集」を「金言」として、再掲載していきますので、再読して理解力の深まりを確かめてください。(時折、加筆したり、新しい内容も掲載いたします。)

 

○「歌おう♬ いのちの歌 」

 

○「自分の人生を振り返ってみよう~~♪ 人生の扉 」

 

 

 

 

 

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