天が生み出した命は、天の手によって帰すべき

 死刑制度はあってはならないことです。人間が生み出した命なら、人間の手で天に帰してもいいかもしれませんが、命は天が与えてくれたものですから、天の手で帰すのが道理なのです。なぜ、「天寿」という言葉があるのでしょうか? 天によって生み出された命だからではないでしょうか。その意味でも、天寿を全うさせることが、天に対する礼儀なのです。

 本来、生も死も人が関わってはならないことなのです。時がくれば誰でも死ぬのですから、わざわざ人の手で殺す必要はないからです。考えて見てください。死刑執行命令を出す法務大臣の心情を・・・、死刑執行員の心情を・・・それは心穏やかではないはずです。人為法によって人が人を殺すなど、とんでもないことです。なぜなら、創られた者が創られた者を裁く権利はないからです。また、人為法には、間違いが多いからです。唯一、人を裁けるのは、自分の中におられる神だけです。その方が、間違いがないからです。 

 神がおられるなら、死刑制度が許されていいはずがないのに、地球にはいまだに、死刑制度というものがあります。では神はなぜ、死刑制度を許しているのでしょうか? それは、今の地球人類には必要だからです。神に顔を背けている幼い魂には、死を直視させることが必要なのです。どんなに神を信じない者であっても、死を目前にすれば、死に対して疑問を持つようになるでしょう。「死んだらそれでお終いなのだろうか?  人は死んだらどうなるのだろうか? 人生って一体何のためにあるのだろうか? 神はいるのだろうか? 」と・・・。なかには、神に許しを請う者も出てくるかもしれません。苦しい時の神頼みをする者も出てくるかもしれません。どんな極悪人も死を目前にすると、神に顔を向けざるを得なくなるのです。

 がん患者に対する宣告も同じです。今の医者は、がん宣告を避けているようですが、それでは魂の成長のためには良くないのです。厳しくても、宣告してやるのが愛だと思います。本人はショックかもしれませんが、ガン宣告されることによって必ず人生の思索をするようになるはずです。死を直視させることほど、魂を成長させることはありません。どうでしょう。何も疑問を持たずに死ぬのと、疑問を持って死ぬのとでは、どちらが魂の成長のためになると思いますか。

 本当は、死刑制度などあってはならないことです。でも、今の幼い地球人類には、必要不可欠な制度なのです。ただし、死を直視させなくても神に顔を向けるようになった暁には、死刑制度は廃止すべきでしょう。神を直視するようになった者のお尻を叩く必要がないからです。

 今、この世で起きているどんな出来ごとも、魂を成長させるために必要な試練なのです。今の地球人類には理解できないかもしれませんが、いつかきっと合点のゆく日がくるでしょう。「そうか、そのために必要な試練だったのか!」と・・・。

2015年2月1日更新

 

 

 

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