真の信仰心とは?

 私の本を読んだ人は、自分が神であることは知識では知ったと思います。でも、どこまで神の確信がいっているのかは疑問です。単に頭で知っただけでは、絵に書いたボタモチなのです。つまり、自分に何の変化が起きなくては、何の意味もないのです。

 世間には「奇跡を見せてくれたら神を信じる」という人がおりますが、こういう人は真の信仰者にはなれません。例えば、物質化現象を見せられ「この宇宙には不思議な事がある、やはり神はいるのか?」、と思ったとしましょう。その人が、奇術師に同じ物質化現象を見せられたら、「何だ!、あれは奇術だったのか!、やはり神などいないのだ!」と途端に信仰心が崩れてしまうのです。

 現象で築かれた信仰心は、現象で簡単に崩されるのです。現象で築かれた信仰心は、付け焼き刃なのです。だから私は、現象を嫌うのです。真の信仰心の持ち主とは、何も見せられても見せられなくても揺らがない信仰心を持った人のことです。渋柿を焼酎で熟成させたのでは、本当の旨味は出せないのです。時間を掛けじっくりと熟させた柿が、本当の旨味を出すのです。信仰心も同じなのです。

2015年7月15日更新

 

世の奇術者は、意識せずサタンの手先になっています。どんなにサイババさんがホンモノの物質化現象を見せても、彼らがいる限り単なる奇術で終わってしまうのです。それが、サタンの付け目なのです。つまり、真実から大衆の目を逸らすことが、サタンの目的なのです。

 サタンが一番恐れるのは、大衆の眼前で真実が披露されることです。大衆が神を信じるようになったら、自分達の居場所がなくなってしまうからです。だから彼らは、必死になって物質化現象をニセモノに見せかけるのです。

 

 

 

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