● 大山(お山)の大将

 この表現宇宙に「ああだ! こうだ!!」と言える宇宙は無いのです。なぜなら、この表現宇宙は、どこまでも不確定な宇宙だからです。ゆえに普遍性もあり得ないし、再現性もあり得ないし、客観性もあり得ないのです。ただその中にあって、一つだけ確かなことがあります。それは、今、自分と思えているモノ(意識・想い)です。これだけは、確かに存在しているのです。しかしそれ以外は、みな幻です。その自分と思えているモノが、どのような理解力を持ち、どのような確信に基づいて、どのような想念を使うかによって、自分の宇宙の中に自分独自の絵を描くことができるのです。事実、理解力の無いモノ(人間)は、迷った想念を持ち、迷った確信に基づいて(自分を人間として誤解し)幻の自分の宇宙の中に様々な苦しみの絵を描いているし、理解力のあるモノ(覚者)は、真実の自分の宇宙の中に素晴らしい幸せの絵を描いているではありませんか。このように、真実の自分を知ったモノだけが、究極の幸せが与えられるようになっているのが、唯我独存(尊)の宇宙なのです。これは、「自分の思いだけが唯一真実である」と理解できたモノだけに与えられる褒美と思ったら良いでしょう。

 そうなのです。この宇宙で確かなことは、今、自分と思えている自分の意識、つまり思いであり、その思いから創られた宇宙だけです。その宇宙に、幸不幸があるのでは無く、そのモノの理解力に基づいて産まれる幸不幸があるだけです。しかし、その幸不幸も、そのモノの理解力の成長と共に進化して行くのですから、今の理解力に満足していてはいけないのです。私たちは常に、理解力を高めてゆく必要があるのです。だから私は、「幸不幸はどこまでもそのモノの理解力が握っている」と言うのです。

 まだ解っていない人がいるようなので警告しますが、現象の中に真の幸せを見つけることは絶対できません。したがって、過去世の話やUFOの話や幽界の話やこの世の現象の話に興味のある者は、小山の大将になることはあっても大山(お山)の大将になることはないのです。しかし、真実を知ろうとしている者は、大山(お山)の大将になれるのです。なぜなら、現象を追いかけているモノは真の自分を発見することはできませんが、、真実を追いかけているモノは真の自分を発見することができるからです。さあ、意識を高め、理解力を高め、真の自分を発見しようではありませんか。その者は、もう唯我独存(尊)宇宙の大山(お山)の大将なのです。

さあ、大山(お山)の大将になって、高い山から下界を見下ろそうではありませんか。

 

 

 

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