すべて自分を成長させるための必然である

 神が創られた必然性の働きの目的は、すべて私たちの成長のために用意したものです。その必然性の働きは、必然性の働きによるのです。そしてその必然性の働きも、また必然性の働きによるのです。どこまでも、必然性の働きによるのです。それは、すべての必然が完璧で無くてはならないからです。

 この宇宙で起きている出来ごとを、良く観察して見てください。すべて私たちを成長させるために起きている必然であることが分かります。その働きに、一つの無駄も、齟齬も、間違いもないのです。だからもしあなたに何か起きたら、その出来ごとが何を含み持った必然なのか考えて見てください。すべて、自分を成長させるために起きた必然であることに気付かされるでしょう。

 

 一例・・・

「あなたが風邪を引いたのも必然、その風邪が隣の同僚に感染ったのも必然、その同僚が一週間会社を休んだのも必然、そために自分が毎日深夜まで残業させられたのも必然、そのために自分が重い病気になったのも必然、その病気によって人生の思索をさせられたのも必然、そのお陰で真理に目覚めたのも必然です。」

 

 私の人生を振り返ってみても、すべて必然によって運ばれてきたことが分かります。

 

 二例・・・

「北海道の片田舎に日本男子として生まれたのも必然、その片田舎で子供時代天真爛漫に過ごしたのも必然、隣町の高校に入学したのも必然、その町の役所に就職したのも必然、その職場で有給休暇が沢山取れたのも必然、その沢山の休暇を利用し大阪に遊びに行ったのも必然、そのお陰で大阪の人と結婚したのも必然、また大阪に引っ越したのも必然、そこで人生の荒波にもまれたのも必然、それによって妻子を亡くしたのも必然、そんな苦悩の中から真理に目覚めたのも必然です。」

 

 三例・・・

「昨晩、同僚と飲みに行ったのも必然、そのために妻に頼まれていた買い物を忘れたのも必然、翌朝雪が降ったのも必然、忘れていた買い物を車で買いに出掛けたのも必然、帰り道に犬を避けるために急ブレーキーをかけスリップ事故を起こしたのも必然、そのために大怪我をして入院したのも必然、その入院中に人生を省みられたのも必然、そのお陰で真理に目覚めたのも必然です。」

 

 紹介した三つの例えは解りやすいですが、例えば、電話の話し中も必然、メールのやり取りで諍いを起こしたのも必然、投資話に乗って人に騙されたのも必然、犬に吠えられ肝を冷やしたのも必然、石に躓いて転んだのも必然、電車でスリに財布をすられたのも必然・・これらの必然は真理に関係ないように見えますが、突き詰めてゆけば間違いなく自分を成長させるために起きた必然なのです。

 この宇宙に偶然と言うのは、一つもないのです。「神は完全であると」私が断言するのは、どんな出来ごともすべて魂を成長させるために起きた必然だからです。だから私は、必然の完璧さに頭を垂れるのです。どんな苦しい出来ごとも、悲しい出来ごとも、すべて自分を成長させるために起きた必然なのです。それは、全部自分がしているのです。すなわち、自分で自分に苦しい人生を与え、その苦しさによって自分が目覚め、真理を探求して自分を成長させて行くという、自己完結型宇宙がそうしているのです。自分しかいない宇宙だから、自分を成長させるためには、自分が自分に課題を与え、その課題を自分が克服して自分が成長してゆく、自己完結型にならざるを得ないわけです。勿論、それも必然です。あなたの人生が、必然によって運ばれていることを知り、それがみな自分の成長に結びついていると解ったら、どんな課題に出会っても不安を抱くことはないでしょう。なぜなら、その課題が克服出来るか出来ないか知っている自分が、自分に与えた課題だからです。「不動心になった人」とは、この理解のいった人のことなのです。

2016年6月15日更新

 

 

 

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