● 見えるモノ(現象)から離れなさい!

 私たちが、真に望んでいるモノは何でしょうか? それは究極の幸せではないでしょうか? その究極の幸せを得るためには、形から、見えるモノから、現象から、離れなくてはならないのです。なぜなら、見えるモノ、聞こえるもの、感じるモノ、つまり現象はみな幻だからです。幻を追いかけ、どうして幸せが得られましょうか? しかし私たちは、気の遠くなる年月、見える世界で生きてきたために、現象に興味を持っていると、どうしても見える幸せを追いかけてしまうからです。

 この宇宙に、どうして見えるモノと見えないモノがあるのでしょうか? それは、価値あるモノが何かを知るためなのです。例えばこの社会の人々は、お金や宝石や美術品などが価値あるモノだと思っています。そう思うのは、それらのモノがあれば幸せになれると思っているからです。でも、本当にそれらのモノが幸せにしてくれるでしょうか? いいや、それらのモノは、幸せの媒体であって、実際に幸せにしてくれるのは心なのです。幸せ感というのは、心が受け取って得られるからです。では、お金や宝石や美術品に価値があったのでしょうか? 心に価値があったのでしょうか? 心に価値があったのです。お金や宝石や美術品は見えますが、心は見えないのです。ということは、本当に価値のあるモノは見えないモノであるということになるでしょう。では私たちは、何を大切にすべきでしょうか? 見えるモノでしょうか? 見えないモノでしょうか? 見えないモノですね。すなわち、「意識・魂・心・想念」なのです。世の人々は、見えるモノ(現象)に目が狂わされ、このことを忘れているのです。

 さて私たちは、価値あるモノは見えないモノであることを知リました。では、その見えないモノは、この宇宙に幾つ有るのでしょうか? 見えないモノは、一つしか無いのです。でも、言葉にしてみたら沢山の見えないモノがあるのです。例えば、キリストも、ブッタも、見えない、生命も、無限も、永遠も、愛も、エネルギーも、意識も、魂も、心も、想念も、見えない、その見えない総代表を、私は神と呼んでいるのです。だから、言葉が違うからといって、見えないモノを違うモノだと思ってはならないのです。宗教戦争してはならない理由は、見えないモノは同じ一つの神だからです。

 幸せは見えないのです。神は見えないのです。物質は見えるのです。これで、この宇宙に、どうして見えるモノと見えないモノがあるのか、また私がどうして現象を嫌うのかも分かったでしょう。本当の幸せは、遠くにある見えるモノの中にあるのではなく、手よりも足よりも近くにある見えない心の中にあるのです。

注・・・

 確かに見えないモノは幸せの大元ですが、その見えないモノは見えるモノと一対になって存在しているのです。つまり、見えるすべてのモノは、一つの見えないモノによって、つまり神によって存在させられているのです。ということは、すべてのモノの中に幸せがあるということになるでしょう。それは、表を見るか(物質・現象界・幽界・を見るか)、裏を見るか(意識・魂・心を観るか)で、幸せにも不幸せにもなるという意味なのです。

 

 

 

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