● 瞑想の二文字から瞑想の意味を探る

 なぜ聖者(覚者)は瞑想をするのでしょうか? その理由を瞑想という文字から探ってみましょう。「瞑想」の「瞑」とは、左辺に「目」右辺に「冥」と書きますが、左辺の「目」は見るという意味で、右辺の「冥」とは見えないという意味です。だから「瞑」とは、見えないモノを観るという意味になります。ここで「観る」という字を使ったのは、見えないモノを見るには、想いで観るしかないからです。

 瞑想の「想」の上辺の「相」とは、真相(実相)のことを意味し、下辺の「心」は言うまでもなく人の心を意味しています。だから「想」とは、「真相」は「心」の中にあるという意味になります。したがって「瞑想」の二文字を通して解釈すれば、「心の中にある真相」を「想いで観る」という意味になります。このように、心の中にある真相を想いで観るのが瞑想なのです。

 心の中にある「真相」とは、「神・生命・宇宙」のことでですが、その真相を知るには、想いで実感するしかないので、大昔より瞑想が行われてきたのです。

 瞑想の極意は、想いでなぞることです。いつも言うことですが、今だけが実在です。その実在の今を「わ・れ・か・み・な・り」の想いでなぞれば、想いは創造の力ですから、神を現すことができるのです。つまり想いで原因を作れば、必ず結果が現れるということです。この瞑想は地球だけでなく、無限の波動圏の中で(宇宙のいたるところで)行われているのです。

 瞑想している時は生きており、この世の事を思っている時は死んでいると言われるのは、「神・生命・宇宙」を想っている時は、本当に有るモノに生きているが、それ以外の時は、本当に無いモノに生きているからです。この言葉には、深い、重い、意味が込められているのです。

 

※この宇宙には、実際に有るモノ(真実)のみが有るのです。

この意味の深さを知って欲しいと思います。

知れば、夢から目覚められるでしょう。

 

 

 

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