● 余計なことを考えないようにしよう!

 余計なことを考えないようにしよう! という意味は、余計な情報を発信しないようにしよう!、という意味です。この宇宙は、考えたこと(想ったこと)が実現する仕組みになっています。皆さんも体験あると思いますが、余計なことを考えれば、余計な情報を発信するようになります。余計な情報を発信すれば、余計な情報を受け取るようになりますから、ますます余計なことを考えるようになります。こうなると、平安な心は維持できません。私達は、情報を多く受け取れば受け取るほど雑念が膨らむようになっているのです。

 余計なことを考えなかったら、余計な情報を発信しませんから、余計な情報が入ってこなくなります。つまり、余計な原因を作らなければ、余計な結果はやってこないということです。

 世の人々は、余計な情報を発信します。余計な情報を発信すれば、余計な原因を作るわけですから、それに見合った余計な結果がやって来ます。良い情報を発信するのでしたら良いでしょうが、殆どが悪い情報ばかりです。だから悪い結果がやってきて、自分が苦しめられるのです。家族間の諍い・企業間の諍い・国家間の諍いなど、この世のすべての諍いは、余計なことを考えるから起きるのです。できるだけ余計なことを考えないようにすることです。そうすれば、余計な情報を受け取らなくなりますから、心穏やかになるのです。

 みなさんは、何が欲しいのですか? 平安が欲しいのではありませんか? 心穏やかでありたいのではありませんか? 心穏やかでありたいなら、外側の情報をシャットアウトすることです。そして、内側に意識を持ってゆくことです。つまり、神を想うことです。

 

※ 意識の不思議な習性

 意識は実に不思議な習性を持っています。どんな習性かといいますと、動いたモノに向かうという習性です。例えば、何かが動いたら意識は動いたものに移動するのです。この宇宙がなぜ創造されたかといいますと、神の想念が動いたからです。神の想念が動いた時点で、意識がその動いたものに向かって移動したのです。意識はエネルギー(素材)そのものですから、動いた想念にエネルギーが移動して、想念通りのモノを創造したわけです。

 この意識の習性(原理)を利用したのが瞑想です。瞑想は想念を動かして行います。例えば「吾神なり!」と想念すれば、その想念に向かってエネルギーが移動し、想ったモノ(神)を創造するわけです。神は創られませんが、エネルギーが原子核(生命核・魂)を増やすのです。前述したように意識はエネルギー(素材)そのものですから、そのエネルギーが想念したモノを創るわけです。 

 

 

 

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