● 思索のやりかた

 私は思索をしなさいとよく言いますが、人間の立場から思索しなさいと言っているのではなく、神の立場から思索して欲しいと言っているのです。神は、なぜそのような物をお創りになったのか? なぜそのような物を与えているのか? なぜそこに置いているのか? なぜそのような性質を持たせたのか? なぜそのような動きや働きをするようにしたのか? なぜそのようなことを起きるようにしたのか? なぜそれを見せようとしたのか、なぜそれを体験させようとしたのかなどを、神の立場に立って思索して欲しいのです。その疑問が解け、神の意図、思惑、大意などが解れば、神の高み、厚み、深み、大きさが増し、「吾神なり!」の瞑想がより深くなるのです。

 どうか、神の立場から思索してみてください。人間の立場から思索したのでは、知識で終わってしまいます。

 

※人の道に外れても、神の道に外れてはなりません。人の道は時代と共に変わりますが、神の道は永遠に変わらないからです。これは、人の前で正直でなくても、自分の心の前で正直であったら良い、という考えにも通じると思います。

 

 

 

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