● 神そのものと成って瞑想せよ!

 真理を深めてゆくと、外側のものはすべて幻で、実在しているモノでないことが解ってきます。そうするとその人は、瞑想の時、外側のモノから離れようと意識するようになります。でも、意識すれば意識するほど外側のモノが気になり、いつまでたっても外側のモノから離れられません。

 外側のモノを意識している状態は、実際に無い幻のモノを作っている状態なのです。つまり、肉体を意識している状態は、実際に無い幻の肉体を作っている状態なのです。なぜなら、意識は何でも作ってしまうからです。とはいっても、五感がある限り、どうしても肉体を意識してしまいます。ではどうすれば、肉体から意識を離すことができるのか?・・・それは、意識を内側の一点に集中させることです。

 私たちが五感で感じているモノは、すべて外側の幻です。その外側の幻で、一番近くにあるのが自分の肉体です。私たちは、その肉体をいつも意識で感じているのです。意識で感じているわけですから、意識を肉体から離せば肉体は消えてしまうはずです。では意識を肉体から離すには、どうすればいいのでしょうか? 一番簡単な方法は、背中の奥の奥の一点に意識を置くことです。背中の奥の奥の一点に意識を置くと、次第に外側のモノが消え、肉体感覚さえもなくなります。どうしてそのようなことが起きるかといいますと、実在しないモノは意識しなければ消えて無くなる仕組みになっているからです。外側のモノは、一時描かれた絵のようなモノですから、意識しなければ消えてしまうのです。でも実在しているモノは、意識しなくても消えないのです。意識そのものが、実在そのものだからです。

 私たちは、外側のモノが実在していると誤解しているのです。それは、五感があるためです。五感が、実在しているような誤解を生んでいるのです。実在しているのは、自分の意識だけです。その実在している意識に意識を集中するのが、瞑想なのです。意識が意識を意識するのです。意識が意識を瞑想するのです。意識そのものが、神だからです。だから、神が神を意識するのです。神が神を瞑想するのです。このことを知花先生は、次のようにおっしゃっておられました。「神を礼拝するには己が神そのものと成って礼拝せよ!」と・・・。つまり、「自分が神そのものに成って神を瞑想しなさい!」というわけです。

 

※ 瞑想は想念力に頼っています。想念は、何でも実現させる力を持っているからです。その想念の力を、瞑想に利用しているだけです。だから、想えば良いのです。ただ、それだけです。

 

 

 

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