● 真理の目から見た人助け

 世の中には、ボランティアーをやったり、寄付をしたりして人助けしている人たちが大勢おりますが、心から“人助けしたい!”と思ってやっている人が、どれほどいるでしょうか? つまり、純粋な動機で人助けしている人が、どれほどいるでしょうか? そこに、何らかの成算が入っていないでしょうか? 例えば、人に良く見られたいとか、犯した罪の償いのためにとか、生きがいのためにとか、(心の空白を埋めたいため)自分の名を知らしめたいとか、自己満足のためとか、・・・。 殆どの人は、自己満足のためにやっているのではないでしょうか? 私はこれを批判するつもりはありませんが、「安易な人助けは罪になる!」ということだけは、心に留めていて欲しいと思います。では、なぜ安易な人助けは罪になるのか、真理の目から考えてみましょう。

 人助けする場合、本当にその人のためになっているか? よく考えてせねばなりません。近年では、災害が起きると各地から被災地に沢山の救援物資が送られてきます。時にはあまり多すぎて、処分に困るほどです。勿論、被災地の人たちは喜んでおりますが、本当に被災人の為になっているのでしょうか? このように言うのは、あまりやり過ぎると、自力で立ち直る意欲を奪いかねないからです。たしかに、切羽詰まっている場合は、助けてやらねばならないでしょう。でも、どの程度まで助けてあげるか?、見極めが大切なのです。

 なぜ、苦しいことが起きるのでしょうか? 自分が苦しい原因を作っていからではありませんか? 事件や事故や自然災害の苦しみも、病気の苦しみも、貧困による苦しみも、みな自分が原因を作っていたから起きたのです。なのに、安易に苦しみを取っては、そのことに気付かないではありませんか? それでは、成長が望めません。だから、安易な人助けは罪だと言うのです。では、マザーテレサのやっていた人助けは悪かったことか? ということになるわけですが、どんなに動機が良くても、人の成長を考えず人助けしていたなら、それは良いとは言えないでしょう。ただし、こういうことは言えます。

 たとえば不純な動機で人助けしたとしても、それは助けた人の今の原子核の量において助けたいと思ってした必然ですから、それは良いことなのです。助けられた人から見たら、どんなに安易な助けられ方であっても、助けられるべきにして助けられた必然だからです。助けられるべきにして助けられた必然には、ちゃんとした意味があり、また安易な助けられ方の中にも、ちゃんとした意味があるのです。それは、どんな助けられ方の中にも、ある部分を成長させる材料が含まれているからです。

 世の中にはなぜ、助けられる人と助けられない人がいると思いますか? それは、その背後に原因と結果の法則が働いているからではありませんか? 助けられた人は、助けてくれる人に出会ったのも必然、助けられる環境にいたことも必然、助けられる時代に生まれてきたことも必然です。一方助けられなかった人も、助けてくれる人に出会えなかったのも必然、助けられない環境にいたことも必然、助けられない時代に生まれてきたことも必然です。マザーテレサは、今の自分の原子核の量(魂の熟成度)によって人助けしたいと思って人助けしたわけですから、それは必然的行為として良いことであり、それによって助けられた人も、助けられるべきにして助けられた必然ですから、それは良かったのです。必然は、みな良いことなのです。

 必然によって運ばれている宇宙に、悪い人助けなど無いのです。とは言え、原因と結果の法則を無視した人助けは、できるだけ避けるべきでしょう。動機が大切なのは、法則を犯さないためです。人助けするなら、相手の成長を考え、やり過ぎない配慮のもとにやりたいものです。

 

※ 安易な人助けは、罪になると言う話は、安易に病苦を取っては成長の妨げになると言う話に通じています。簡単に病気を治したのでは、その人から成長材料を奪ってしまうからです。またこれは、人にお節介を焼く事とも通じている話なのです。世の人々は、良かれと思ってお節介を焼くのでしょうが、お節介を焼くことで人から成長材料を奪っている場合が往々にしてあるのです。

 お節介焼きの心理状態は、自分がお節介を焼いて欲しいからです。これは、人に教えたがる人の心理状態と似ています。自分の中に教えて欲しい思いがあるから、人に教えようとするのです。これは人を頼る癖をつけてしまい、良いこととは言えません。何ごとも、努力して、厳しいことをして、成長してゆかねばなりません。その意味では、厳しいことをさせてやることが愛です。努力させてやることが愛です。いらぬ手助けは、人を堕落させます。たとえどんなに動機が良くても、やり過ぎは成長の妨になるわけですから、中庸を見極め助けてやることが大切です。その中庸の見極めも、魂の熟成度によって違うわけですから、助け方もみな違ってくるということです。

 

 

 

Google自動翻訳