神が難しいことをさせるわけがない!

 どうして完全な神が、幼い子供たちに難しいことをさせるでしょうか?  神は、簡素・簡潔・単純・簡単なことが好きなのです。その良い例が、一番必要なモノほど私たちの身近に沢山置き、しかも簡単に手に入るようにしてくれている点です。例えば、一番必要な空気は回りに沢山あり、いつでも吸えます。水だって慈雨によって簡単に手に入ります。食べ物にしても、芋やカボチャやサンマやイワシなど、庶民的なモノほど手軽に沢山取れます。そんな神が、私たちに難しいことをさせるわけがないのです。そう考えると瞑想も、簡単にできるようにしてくれているはずです。

 そうです。瞑想は、ただ自分の想念を使って神を想い続けることです。自分の想念は、自由意志で使えます。誰にも邪魔されません。どこに行く必要もありません。また、何の技術もいりません。勿論、お金もかかりません。やる気になったら、いつでもできます。

 瞑想を難しく説いている人は、瞑想を知らない人です。どうか、瞑想を難しく考えないでください。

2017年5月15日更新

 

※ 瞑想は、「私は神であった!」と心の底で思えるようになることです。この心の底で思えた意識状態を「自覚した!」と言うのです。ただし、どのような意識状態なのかは、人に教えることはできません。自覚は、味わった(体験した)当人しか解らないのです。だから、途中で諦めてしまう人が多いわけです、でも諦めず瞑想を続けていれば、必ず自覚できる時がきます。それは、原因と結果の法則が実現させてくれるからです。

 いつも言うことですが、「私は神であった!」と知識的に知っただけでは駄目なのです。心の底で思えなくては、自分が変わらないのです。

 私たちは、永遠の昔から神だったのです。これから神になるのではないのです。すでに神なのです。ただ記憶を失い、神だと思えなくなっているだけです。記憶を蘇らせるためには、瞑想するしかないのです。瞑想し一定量の原子核が増えれば、自動的に「私は神であった!」と心の底で思えるようになるのです。その心の底で思えた意識状態を、「自覚の境界線を超えた」と言うのです。

 瞑想は観念的なものではありません。現実的なものであり、実際的なものであり、真実的なものです。瞑想をお遊びでやっている人は、瞑想する資格はありません。どうか、真剣にやってください。「人生で一番大切なことは瞑想である!」、と言う自覚を持って瞑想に挑んでください。

 

 

 

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