需要と供給は、常に一致していなければなりません。でもそれを主導するのは、需要者の方です。なぜなら、この宇宙には需要者しかいないからです。よく考えてみてください。供給は需要が決めるのです。需要者側が望み供給されるのです。それは、需要者が供給物を創るからです。つまり、認識者(需要)が認識されるもの(供給)を創るからです。
受け取る側が主体者なのです。ですから、受け取り方次第で価値が変わるのです。例えば、郵便物が配達されても受け取る人がいなかったら、その郵便物は無かったことになります。たとえ受け取っても、受け取る人が満足しない郵便物は、すぐにゴミ箱ゆきになってしまいます。受け取る人が満足して、はじめてその郵便物に価値が生まれるのです。満足しなかったらと言う意味は、その郵便物が何なのか理解されない郵便物は?と言う意味で、理解されない郵便物は無価値になってしまうのです。だから私は、「受け取る側が大切ですよ!」と言うのです。郵便物を良くも悪くもするのは、つまり活かすも殺すもするのは、受け取り側次第だと言うことです。私が「何でも良く受け取りなさい!」と言うのは、良く(理解して)受け取らなければ、悪い郵便物になってしまうからです。つまり、受け取る側に理解力がなければ、その郵便物は意味のない郵便物になってしまうからです。ですから、需要者側の能力(理解力)、あるいは対応力が、とても大切になってくるのです。今の社会は、供給者の方が主導権を握り、需要者側が踊らされている不思議な社会なのです。だから、畑で作物を腐らす無駄なことが起きるのです。
この宇宙には、主観者しかいないのです。主観者しかいないのですから配達される郵便物の中身は、主観者の都合の良いモノばかりのはずです。でも自我はそのことが解りませんので、折角価値のある郵便物を無価値にしてしまうのです。つまり、成長のために与えられた郵便物(痛み苦しみ)を、無駄にしてしまうのです。無駄にするならまだしも、悪く受け取り悪業さえ作ってしまうのです。何と悲しいことでしょう!
主観者 (需要者・認識者)しか存在しないのですから、人を満足させようと考えなくても良いのです。自分が成長すれば良いのですから、自己満足で良いのです。(いない人を成長させようとするのは矛盾である) 私は、自分の成長のために勉強会でお話しているのです。また光のメロディーも、自分が満足したくて作っているのです。作ってくれている人は、みな私だからです。
2019.11.17
※ どんなことにも「意味」がある。それは、その中に神の思いの味が含まれているからです。神は私たちに進化成長してもらいたいのですから、何が起きてもその中に進化してもらいたい神の思いの味が入っているのです。「意」とは、神の想いです。「味」とは、神が何をどう望んでいるかの味です。