人間は、悪いことを「悪!」と決めつけますが 、悪い事がなかったら、成長できるでしょうか?
ゴキブリがいるから、綺麗にしようと思うのです。
蚊やハエがいるから、綺麗にしようと思うのです。
病気があるから、病気にならないよう、気をつけるのです。
ならば、ゴキブリや、蚊や、ハエや、病気は、「悪」なのでしょうか?
いいえ、必要「悪」です。 いや、必要「善」です。
人間が、進化成長するためには、相対的な「悪」が必要なのです。
と言う事は、良い事は、良い事ではない!と言う事にもなります。
なぜなら、良い事に酔い知れていたら、人間は、堕落してしまうからです。
神が、どうして、「悪」を創られたのか?、お分かりになったと思います 。
温室育ちでは、強くなれないのです。厳しい雨風に晒されてこそ、強くなれるのです。
だから、神は、涙ながらに、「峻厳な愛」を、人間に与えているのです。
どうか、今の痛い、苦しいは、「自分を成長させるために必要な愛の贈り物である!」と、良く受け取ってください 。
そのように、受け取ったら、痛みや、苦しみは、半減するでしょう。
悪い事が、悪い事で終わらないのは、また、良い事が、良い事で終わらないのは、私たちの意識(命)が、永遠だからです。
有限の意識(命)なら、悪い事で終わる場合も、良い事で終わる場合も、あるかも知れませんが、私たちの意識は、永遠ですから、悪い事と良い事は、永遠に繰り返されるのです。「光と闇」が、永遠に繰り返されるようにです。
この宇宙は、繰り返すことによって、進化成長できるようになっているのです。
ですから、宇宙には、退化が、無いのです。留まりも、無いのです。
進化成長だけが、有るのです。
これは、意識(命)が・・・
無限だからです。
永遠だからです。
宇宙が・・・
無限だからです。
永遠だからです。
すなわち、私たちが・・・
無限だからです。
永遠だからです。
新・光のメロディ「愛の道」
2024.05.01
神が完全なのは、宇宙が、永遠の昔より、存続してきたことが、証明しています。
もし、神が不完全なら、宇宙は、とうに、存在していないからです。
神が完全ならば、今、私たちの意識の前で起きてることは、全て、意味があって起きてることになるでしょう。
では、どんな意味があるのでしょうか?
それは、「進化成長させるために起きている!」と言う意味です。
あの、苦しかったことも、 あの、悲しかったことも、 あの、辛かったことも、みな、進化成長に必要だったから、起きたのです。
無駄なことなど、一つも無かった、と言うことです。
学びの友の皆さんなら、納得できるはずです。
繰り返します。
完全な神が、無意味なことをするわけがないのです。
完全な神が、無駄なことをさせるわけがないのです。
どうか、神を信じてください!
起きていること、全てが、進化成長に結びついているのですから・・・。
神は、見ることも、触ることも、できません。
なのに、世の中には、真剣に、神を求めている人達がおります。
一体、何が、彼らを、そこまで、駆り立てているのでしょうか?
それは、「信じる心」です。
「信じる者は幸いなり! その者は神の国を見るであろう!」と、イエス様が、言われたように、神を信じられる人は、本当に幸せな人です 。
どうか、神を求め続けてください!
いつか、きっと、「良かったな!」と、思える時が来るでしょう。
私が、その一人です。
神の絆奏曲「神を信じる」
2024.05.02
スポーツ界では、よく、こう言うことが起こります。
デビュー出たてのアスリートが、良い成績を残すと言うことが ・・・これは、光のご加護があるからです。
デビュー出たてのアスリートは、心が純粋ですから、光が強くなるのです。
光が強くなると、良い方向に展開して行くので、良い成績が残せるのです。
しかし、奢りが生まれると、光が弱くなるので、悪い方向に展開して行き、成績が落ちるのです。
これは、神を求めることにおいても、同じです。
純粋な動機で、神を求めている時は、光が強くなるので、原子核が、たくさん、増えるのです。
しかし、動機が不純になると、光が弱くなるので、原子核が、あまり、増えなくなるのです。
ご利益信仰が良くないのは、動機が不純だからです。
どうか、純粋な動機で、神を求めてください 。
光のメロディー「清くありたい!」
2024.05.03
どのような人にも、魂の進化の段階において、必ず、ターニングポイントが来ます。
私も、そうでした。
学びの友の皆さんも、心当たりがあるのではないでしょうか?
いつか、誰でも、同じ道筋を通るのです。
幼い頃は、心に汚れを着けていません。
しかし、社会の荒波に揉まれて行くうちに、汚れを着けてしまいます。
そうすると、不幸災難がやってきます。
初め、その不幸災難は、自分の家族を通してやってきます。
それでも、目覚めない時は、我が身で、不幸災難を体験します。
その時、 バチが当たった、と思うのか?
それとも、人のせいにしたり、偶然のせいにしたりするのか?
幼い魂は、人のせいにしたり、偶然のせいにしたりします。
熟した魂は、バチが当たった、と思います。
私は、バチが当たった、と思いました。
私のターニングポイントは、その時だったのです。
どのような魂も、肉体を持って生まれてくると、罪を犯してしまうものです。
これは、覚者であっても、例外ではありません。
ましてや、俗人が、罪を犯さないはずがありません。
でも、そのお陰で、ターニングポイントまで、成長できたのですから、罪を犯したことは、悪いことではなかったのです。
世の人々は、 同じ形をしているから、同じ人間だと思っています。
しかし、形は同じでも、魂の大きさは、みな、違うのです。
魂の大きさが違う、と言うことは、同じ人間ではない、と言うことです。
同じ人間だと思うから、喧嘩し合うのです。
魂の大きさが自覚できたら、喧嘩など、出来るわけがないのです。
なぜなら、子供相手に、喧嘩など、出来ないからです。
今の地球人は、子供と大人が喧嘩し合っているのです。滑稽だと思いませんか?
魂の大きさを自覚して生きることは、とても、大切です。
いずれ、地球人も、そのことに、気づくでしょう。
2024.05.04
【少し難しい話 】
この宇宙には、「有る」しかないのです。
「有る!、有る!、有る!・・・」だけが、永遠に、有るのです。
でも、「有る」だけでは、有るが無いので、神は、見せかけの「無い」を創ったのです。
だから、本来、この宇宙には、「無い」は、無いのです。「有る」だけが、有るのです。
本当は、「元数1」しか無いけれど、「元数1」だけでは、「元数1」が無いので、見せかけの「分数」を創ったのです。
その「元数1」と「分数」を相対させることで、「元数1」が、有るようになったのです。
このように、本当は、「有る」しか無いけれど、「無い」が無ければ、「有る」が無いので、 見せかけの「無い」を創ったのです。
だからと言って、意味の無い「無い!」ではないのです。
なぜなら、「無い」が無ければ、「有る」が無く、「有る」が無ければ、「無い」が無いからです。
すなわち、「相対」が無くては、「絶対」が無く、 「絶対」が無くては、「相対」が無いからです。
しかし、実在しているのは、「光」です。「善」です。「意識」です。「神」です。
と言うことは、「無い」と「有る」・・「相対」と「絶対」は、同等の価値がある、と言うことです。
これは、言葉の遊びのように思いますが、 宇宙を存在させている根本原理なのです。
【簡単な話】
この宇宙には、一つのモノしかないのです。
その一つのモノが、全ての現象を生み出しているのです。
と言うことは、今、存在している、私たちは、その一つのモノである、と同時に、現象である、と言うことです。
でも、その現象は、一つのモノから生まれたのですから、一つのモノと現象は、同等の存在価値がある、と言うことです。
すなわち、
神と人間は、同等の価値がある、と言うことです。
2024.05.05
汗水流して、一生懸命、働いて得たものに、リスクは、生まれません。
楽して得たものに、リスクが、生まれるのです。
なぜなら、「エネルギー均衡の法則」が、働くからです。
宇宙は、うまく出来ているもので、バランスが崩れると、すぐに、バランスを取り戻そうとする力(エネルギー)が、働くのです。
バランスを取り戻す姿(現象)、それが、痛みや苦しみなのです。
だから、決して、楽して儲けようなど、邪な考え持ってはならないのです。
今、世界中で、コロナウイルスが蔓延していますが、これも、便利・快適・ 暖衣飽食に酔い知れている、リスクであり、人類に対する警告なのです。
真理を求めるのも、例外ではありません。
楽して、真理を得ようなど、虫が良すぎます。
苦労して求めてこそ、得られるのです。
「楽あれば苦あり!」は、真理なのです。
2024.05.06
「体験は、宝ですよ!」と、私は言います。
そうです。体験は、宝なのです。
私たちは、これまで、どれほど、苦しい体験をしてきたことでしょう。
でも、その体験が、魂を大きくしてくれたのです。
みな、魂を大きくしてくれているのです。
特に、苦しい体験であればあるほど、成長させてくれるのです。
神は、無駄な体験をさせるわけがないのです。
ですから、今、苦しいからと言って、自暴自棄にならないでください。
いつか、必ず、あの苦しい体験があったから、今の自分があるのだ! と思える時がきます。
何が、体験しているのでしょうか? 肉体でしょうか?、魂でしょうか? 魂が体験しているのです。
肉体は、魂の乗り物ですから、肉体が体験しても、意味がないのです。
永遠に生き通す、魂が体験してこそ、意味があるのです。
その魂は、肉体(五感)を通さなければ、納得できる体験ができないのです。
なぜなら、具体性がないからです。
だから、魂は、五官を備えた肉体の中に入ってきたのです。
その体験も、一度や二度では、ダメなのです。
何度も、何度も、体験しなくては、魂に根付かないのです。
ですから、これまで、同じような体験を、何度もしてきたのです。
これからも、同じような体験をするかも知れません。
でも、嫌がってはなりません。必要だから、させられるのですから・・・。
旧・光のメロディー「体験」
2024.05.07
本源の意識の世界は、幸せいっぱいの世界です。
でも、本源の意識世界には、不幸せが無いので、幸せを味わっていても、幸せだと思えないのです。
幸せを味わっていても、幸せだと思えない!?
こんな、不幸せなことが、あるでしょうか?
そうです。不幸せを知らない意識は、幸せにはなれないのです。
だから、意識は、不幸せを体験するために、人間の中に入って、この表現世界に出てきたのです。
人間は、意識の乗り物なのです。
意識は、今、この人間という乗り物に乗って、不幸せを体験している真っ最中なのです。 幸せを味わうために ・・・。
この宇宙は、「真・善・美」で満たされている、素晴らしい世界です。
でも、その世界に、ずっといたのでは、「真・善・美」の有難みが分からないのです。
そこで、意識は、「真・善・美」の有難みを知るために、「偽・悪・醜」のたくさん有る、この表現世界に、人間の体を借りて出てきたのです。
今の地球人類は、本当の自分を見失っている状態なのです。
つまり、 肉体が自分だと思っている状態なのです。
肉体が自分だと思えば、どうしても、「真・善・美」から離れ、「偽・悪・醜」に傾いてしまうのです。
でも、「真・善・美」を知るためには、「 偽・悪・醜」の体験が必要なのです。
だから、人類(意識)は、今、「偽・悪・醜」を体験して、「真・善・美 」を知ろうとしているのです。
光のメロディ「幸せ」
2024.05.08
自分がいなかったら、何も無い! こんな 、当たり前な真理は無いのです。
あなたが、いなかったら、何か有りますか?
例え、何か有ったとしても、認める自分がいなかったら、それは、無いのです。
例え、有ったとしても、と言う例えはないのですから、自分が、すべてを創っているのです。
自分抜きの宇宙は、あり得ないのです。 これだけは、動かし難い事実なのです。
と言うことは、今、宇宙が有るわけですから、その宇宙は、自分である、と言うことになります。
自分がいなかったら、宇宙は無い! 宇宙がなかったら、自分は無い!
これは、自分と宇宙が、一つだからです。
「唯我独存!」が、あなた、なのです。
あなた抜きの宇宙は、あり得ないし、また、宇宙抜きのあなたも、あり得ないのです。
そのことを、心の底で知ってください。
この宇宙は、相対的に創られているのです。
一つでは、 この宇宙は、存在できないのです。
相手あっての宇宙です。相手あっての自分です。
また、自分あっての宇宙です。自分あっての相手です。
相手がいなければ、何も始まらないのです。
あなたは、相手なしに、卓球ができますか?
あなたは、相手なしに、相撲が取れますか?
例え、壁にボールをぶつけて、一人で、卓球しようとしても、壁も相手ですから、相手なしには、卓球は、できないのです。
片手で、あなたは、ネクタイが締められますか?
一人では、何もできない、一人では、成長できない、ことを知ってください。
2024.05.09
私たちが住んでいる地球は、はっきり言って、幻の世界なのです。
時々刻々と変化する、無常の世界なのです。
無常の世界ですから、そこで起きたことに、本当は、悩むことも、心を痛めることもないのです。
見てください! 毎日、たくさんの人たちが、死んで行っているではありませんか?
あなたの、おばあさんは?、おじいさんは?、あの有名人は?、山だって、川だって、刻々と変化しているのです。
一時も、同じ状態でいられないのが、この幻の世界なのです。
幻ですから、惑わされてはならないのです。
では、幻に惑わされないためには、どうしたら、良いのでしょうか?
それは、真理を知ることです。それも、心の底で知ることです。
心の底で知ったら、真実と現実(幻)の区別がつくようになるので、惑わされなくなるのです。
どうか、幻のために、悩まないでください!、心を痛めないでください!
明日になれば、状況が変わってしまう、幻の世界なのですから・・・。
世の中には、うつ病で、苦しんでいる人たちが、たくさんいます。
どうして、そのような病気になるのでしょうか? それは、憑依幽霊の仕業なのです。
地球の周りには、迷った幽霊が、たくさん、浮遊しており、その幽霊と同調すると、うつ病になってしまうのです。
今、世界中で、人殺しや自殺など、たくさんの悲劇が起きていますが、その殆んどが、憑依霊によるものなのです。
では、どうしたら、憑依霊から逃れられるのでしょうか?
それは、「身・口・意」を、正すことです。
正しい思いを持ち、正しい言葉を話し、正しい行為をすれば、そのような、憑依霊に、憑かれることはありません。
学びの友の皆さんは、そのような、幽霊に憑かれることはないと思いますが、もし、憑かれたと思ったら、私のホームページを見てください。私の動画を見てください。
一番良いのは、瞑想をすることです。
鉱物・植物・動物しかいなかった大昔には、地球の周りに、憑依霊など、浮遊していなかったのです。
人類が誕生し、自我を持つようになってから、憑依幽霊が増えていったのです。
でも、これは、人類が進化する過程において、仕方のない事なのです。
なぜなら、憑依幽霊に打ち勝つことで、私たちは、成長できるからです。
憑依幽霊も、進化の過程には、必要だと言うことです。
人類が、進化成長していけば、地球に、憑依幽霊は、存在しなくなります。
神のメロディ 神の目配り!
2024.05.10
肉に負けては、ダメです。
肉は、甘やかせれば、甘やかせるほど、つけ上がってきます。
肉体と言うのは、怠け者なのです。楽をしたがるのです。甘えたがるのです。辛いことが嫌いなのです。ケチなのです。ケチなくせに、強欲なのです。
その強欲は、限りがないのです。
美味しい物を食べたがるし、
きらびやかな物を着たがるし、
豪邸を欲しがるし、
良い車を欲しがるし、
心地良いものを欲しがるし、
手に負えないのです。
そんな、肉に負けないでください。
もし、欲望が膨らんだら、強い気持ちで退けてください。
ただし、中庸は、守ってください。
今のあなたの原子核においての中庸であれば、 少々の欲望は、良いのですから・・・。
何せ、肉体は、
ちょっと暑ければ、暑いと騒ぎ、
ちょっと寒いと、寒いと騒ぎ、
ちょっと痛いと、痛いと騒ぐのです。
真の勝者とは、肉の欲望に打ち勝った人のことです。
欲望が湧いてきたら、瞑想をして、退けてください。
私たちの肉体は、生かされているのです。
ですから、肉体は、自分では、何もできないのです。
肉体を動かしているのは、意識です。生命です。すなわち、神です。
神が、肉体の中に入って、生かし、動かし、働かせているのです。
ですから、本来、肉体は、神に従順でなければならないのです。
しかし、肉体は、 好き勝手に生きようとします。これが、自我です。
自分に勝つとは、自我に勝つことを言うのです。
自我に勝った者だけが、真の勝者と言えるのです。
旧・光のメロディ「私は負けない!」
2024.05.11
あなたは、これまで、散々、厭なものを見せられました。散々、嫌なことを聞かされました。
でも、それは、あなたの中にある、厭なものを見せられ、あなたの中にある、嫌なことを聞かされたのです。
それは、あなたが、あなたに、必要だから見せたのです。
自分の欠点に、気づいてもらいたくて ・・。
人の振り見て、我が振り直せる、この表現世界に、感謝しましょう!
私たちは、「身・口・意」を、正さなければならないのです。
最初にあるのは、意です。それが、言葉になり、行為になるのです。
ですから、正しい思いを持つことが、大切なのです。
正しい思いを持てば、正しい言葉になり、正しい行為になるからです。
嫌なものを見せられるのは、自分の意(思い)の中に、その嫌なものがあるからです。
自分の中にないものは、見せられないのです。
だから、私たちは、人の振り見て、我が振り直せるのです。
それは、自分の「意」を、見せられてるようなものなのです。
あなたが、悪を許さないのは、あなたの中に、同じ悪があるからです。
その悪が、自分の進化成長に必要な悪だと思えた時 、あなたは、悪を許せるようになるのです。
なぜなら、 あなたの中に、悪を憎む思いが、無くなったからです。
2024.05.12
真理を学んでいるからと言って、肩苦しい生き方はしないでください!
自分の思い通りに、生きたら良いのです。
テレビを見たかったら、見たら良いのです。
映画を見に行きたかったら、見に行ったら良いのです。
旅行に行きたかったら、 旅行に行ったら良いのです。
美味しいものを食べに行きたかったら、食べに行ったら良いのです。
真理を学んでいるから、こう言う生き方をしなければならない!、と言った、肩苦しい生き方はしないでください。
どんなに、背伸びしても、自分の思い通りの生き方しかできないのですから・・・。
神は、人間臭いのですから、私たちも、人間臭くて良いのです。
ただし、次のことだけは、守ってください。
この三つをやっていたら、あなたは、間違いなく、人生の目的を達成することができます。
どうか、楽しく真理を学んでください。
私たちは、何のために、生まれてきたのでしょうか?
この世の物を集めるためでしょうか?
地位や名誉や権力を得るためでしょうか?
いいえ、本当の自分を知るために、生まれてきたのです。
本当の自分を知るためには、前述した、三つのことは、欠かせないのです。
私たちが、やるべきことは、前述した、三つのことは、やることです。
そして、後は、神に委ねることです。
そしたら、神は、決して、悪いようにはしません。
「お父さん!」と、顔を向けた我が子を、親(神)が、ほったらかしにすると思いますか?
ネガティブなことを考え、ネガティブのことをするから ・・原因と結果の法則によって痛い目に遭うのです。
神を信じてください!
真剣に、神を求めてください!
私は、「人事を尽くして天命を待つ!」・・この言葉が、大好きです。
私が、ここまで、成長してこれたのは、この言葉を、大切にしてきたからです。
つまり、努力してきたからです。
「人事を尽くして天命を待つ!」 この姿勢を、貫いてください!
2024.05.13
神は、この宇宙に、「真・善・美」を表現したいのです。
でも、神は、姿形がありませんので、表現したくても、できないのです。
そこで、神は、自分の代弁代行者として、人間を創られたのです。
ですから、人間には、神の思いを表現する、使命があるのです。
では、私たちは、どうすれば、使命を全うすることが、できるのでしょうか?
私たちは、言葉を持っています。手足を持っています。
その言葉と手足を使って、「真・善・美」を表現してあげれば良いのです。
そのためには、正しい思いを持ち、正しい言葉を話し、正しい行為をすることです。
しかし、今、人類は、事件・事故・病気・戦争・環境破壊など、醜い表現をしています。
これでは、使命を全うしている、とは言えません。
せめて、学びの友の皆さんだけでも、良い表現をしてあげましょう!
宇宙は、「真・善・美」の下にあります。
ですから、本来、この宇宙に、偽りや、不善や、醜いモノが、はびこることは、ありません。
今、人間界に、悪が、はびこっているのは、人間が、悪想念を放っているからです。
それは、神と同じ想念力を持っているから、できることなのです。
それほど、人間の想念は、偉大な力を持っている、と言うことです。
どうか、想念の偉大さを知ってください。
そして、その偉大な想念を、良いことに使ってください。
そうすれば、地球は、素晴らしい星になるのですから ・・・。
全て、人類の想念次第です。
2024.05.14
「1」は、無限です。永遠です。完全です。
「1」は、全てのすべて、有りて有るものです。
大宇宙の存在物は、全て、この「1」から生まれたのです。
だから、「1」を知れば、全てを知ることができるのです。
「1」とは、神のことなのです。
神が、宇宙を創造し、全てのモノを生み出しているのです。
表現宇宙も、地球も、鉱物も、植物も、動物も、人間も、みな、神の創造物なのです。
だから、私たちは、「1」の子であり、神の子なのです。
人生の目的は、自分が「1」から生まれた、「1」の子である、つまり、「神」から生まれた、「神の子」であることを知ることです。
それも、心の底で知ることです。
最終的には、変性変容が起きるところまで、神を深く知ることです。
オリンピック旗は、人類の統合を、五色の輪に託したシンボルです。
基本色の一つである、「白色」は、天を意味し、「心」を表しています。
基本色である、もう一つの「黒色」は、地を意味し、「物質」を表しています。
三原色の「赤色」は、物質科学を意味し、「黄色」は、精神科学を意味し、「緑色」は、自然科学を意味しています。
いずれも、バランスを取れば、素晴らしい世界が実現するという願いが込められています。
本来、一つの色を五色に分けるのは、仲間意識を作り、争いの要因となるので、好ましくないのですが、そうしなければ、一つの色から生まれた同胞だと、気づいてもらえないので、天は、リスクを犯してまで、色分けされたのです。
要するに、天は、姿形は違っても、本性において、人類は、一つなのですよ!、同胞なのですよ!、同じ兄妹姉妹なのですよ!、と言うことに、気づいてもらいたいのです。
人類は、やがて、そのことに気づきます。
その時こそ、私が提示した、理想の世が、現実のものとなるのです。
【人類の夜明2のコラムより抜粋】
2024.05.15
神は、完全ですから、神がなされることに、意味の無いことは、一つも、ありません。
どんな、良いことにも、どんな、悪いことにも、必ず、意味があるのです。
例えば、災害が起きたとしましょう!
その災害で、たくさんの人が傷つき、たくさんの人が死にました。
なぜ、起きたのか? 原因を追究します。
例えば、原因が、人による場合は、その人を罰します。
原因が分からない場合は、偶然で処理してしまいます。
勿論、二度と起きないよう、物理的な処理は、行われます。
でも、今の社会は、それで、終わりなのです。
この処理方法は、結果対処ですから、いずれ、再び、災害が起きるのです。
災害の背後には、必ず、 「意」、「想い」、つまり、原因があるのです。
ですから、想いを正さない限り、同じ災害が起きるのです。
神は、そのことに、気づきなさい! と言って、何度も、災害を与えるのです。
いや、神が、与えるのではなく、「原因と結果の法則」が、与えるのです。
一般の人は、理解できないと思いますが、学びの友の皆さんは、理解してやってください。でなければ、神が可哀想です。
なぜ、神が可哀想なのか?
学びの友の皆さんなら、お分かり頂けると思います。
「原因と結果の法則」は、神が創られた宇宙の法則です。
神が創られた法則ですから、法則そのものが、神なのです。
この法則は、万全です。完全です。一つの欠陥もありません。
そう言う法則が、宇宙を差配しているのですから、私たちは、法則に、従順に生きるべきなのです。
しかし、人間は、好き勝手な生き方をします。
だから、痛い目に遭うわけですが、しかし、何度、痛い目に遭っても、気づかないのです。
これは、人間に、自由意志があるからですが、どんなに、自由意志があっても、法則の外で生きることはできないのです。
と言うことは、自分で生きることはできない、と言うことです。
私たちは、神に生かされているのです。
私たちは、生きているのでは無く、神の力によって、神の恵みによって、神の法則によって、生かされているのです。
生かされていることに、気づきましょう!
「生きていること自体に、意味があるのですよ!」と、私が言うのは、生きていれば、必ず、進化成長できるからです。
なぜ、生きていれば、進化成長できるかと言いますと、時間の中にいるからです。
生きている、と言うことは、時間の中にいる、と言うことなのです。
私たちは、肉体を持っていますが、同時に、意識も持っているのです。
この肉体は、「間」なのです。意識は、「時」なのです。
と言うことは、 私たちは、「時間」そのものだと言うことです。
「時」は 、エネルギーですから、肉体(間)は、一秒一秒、エネルギーに晒されていることになります。
エネルギーに晒されれば、原子核が増えるようになっているのです。
だから、生きているだけで、進化成長できるのです。
何と、思いやりのある、神なのでしょうか? 神に感謝しましょう!
神の賛歌・・「思いやりのある神」
2024.05.16
一体、私たちは、何が欲しいのでしょうか?
いいえ、幸せだけが、欲しいのです。
だからと言って、幸せしか無い世界にいたのでは、幸せではありません。
幸せになるためには、不幸せが必要なのです。
この宇宙は、相対的にできているのです。
幸せも、不幸せがあるから、幸せがあるのです 。
このように、相反するものが、互いに、相手を際立たせているのです。
ですから、一つしか無い世界には、一つは、無いのです。
私たちは、二つある世界に出てきて、一つを、知ろうとしているのです。
幸せしか無い世界にいたのでは、幸せが無い、と言うのは、いつも、心地良い処にいたのでは、心地良いかどうか、分からなくなってしまう、と言うことです。
つまり、幸せしか無い処にいたのでは、幸せかどうか、分からなくなってしまう、と言うことです。それでは、不幸せだと言うことです。
幸せしか無い世界で生きている人は 、幸せの知らない人なのです。
幸せの知らない人・・こんな、悲しいことは、ないでしょう!
私は、思いました。 神が、完全であるならば、幸せしか無い世界を、作るはずがないと・・・ また、不幸せしか無い世界も、作るはずがないと・・・ 。
そうです。完全な神であるならば、不幸せと幸せのある世界を作るでしょう。
と言うことは、 私たちの住んでいる地球は、完全な世界だと言うことです。
なぜなら、地球には、たくさんの不幸せがあり、たくさんの幸せがあるからです。
あなたは、その地球に、住んでいるのですから、「私は、なぜ、不幸せなのだ!」と、嘆かないでください! あなたは、今、幸せの中にいるのですから ・・・。
この世界に、リスクが有るのは、幸せを得るためには、仕方がないことなのです。
幸せと不幸せを、体験しなければ、幸せが味わえないからです。
光ばかりでは、光はないのです。光と闇が有るから、光が有るのです。
私が、光と闇が、一対になっている、と言うのは、一つでは、一つが存在できないからです。
つまり、この地球に、幸せと不幸せが有るのは、幸せだけでは、幸せになれないからです。
2024.05.17
「人事を尽くして天命を待つ!」ことです。
人事を尽くさないでは、決して、救われません。
人間のやれることを、精いっぱいやって、どうにもならなくなったら、後は、神に委ねる、それが、正しい生き方だと思います。
ですから、
行動することです。何もしないで、何かを得ようなど、虫が良すぎると言うものです。
まずは、人間が、神に近づくことです。 そうしたら、神は、近づいてくれます。
知花先生は、言っていました。
「 人間が一歩近づけば、神は百歩も近づいてくれる」と・・・。
人事を尽くす、と言うことは、良い原因を作る、と言うことですから、 良い結果が生まれるのは、当然なのです。
これは、神が、良い結果を与えてくれるのではなく、法則が、与えてくれるのですから、科学的です。宗教は、科学的でなくてはならないのです。
人事を尽くす、具体的な行動は、
この二つのことをやっていたら、間違いなく、天に近づくことができます。
どうか、人事を尽くして、天命を待ってください!
「ポセイドンアドベンチャー」と言う映画があります。
この映画は、「人事を尽くして天命を待つ!」ことを教えている物語です。
学びの指針になるかも知れませんので、よろしかったら、見てください。
2024.05.18
エネルギーは、単なるエネルギーではないのです。
知恵を持ったエネルギーです。 力を持ったエネルギーです。
そのエネルギーが、私たちの中に、想念と言う形であるのです。
ですから、私たちは、エネルギーを、どうにでも、操作できるのです。
人間が、瞑想できるのは、想念を持っているからです。
鉱物や、植物や、動物は、瞑想ができません。
それは、想念を持っていないからです。
瞑想は、人間にだけ与えられた特権なのです。
瞑想とは、想念によって、エネルギーを集める作業のことです。
想念によって、エネルギーが集まると、理解力が高まります。
理解力が高まると、自分がエネルギーであると言う自覚が生まれるのです。
エネルギーは、神そのものですから、自分が神であると言う自覚が生まれるのです。
私たちは、どうして、自分が、分かるのでしょうか? どうして、何かが、理解できるのでしょうか?
科学者は、脳が理解する、と言います。
でも、脳は、単なる物質ですから、脳が理解することはないのです。
この「理解できる!」、「分かる!」のは、あくまでも、エネルギーの量によるのです。
瞑想して、エネルギーが高まると、不思議なことに、分からないことが、解かってくるのです。 これは、エネルギーそのものが、知恵だからです。
私の言っていることが、一般人に分からないのは、エネルギーの量が少ないからです。
エネルギーが少なければ、どんなに、頭をひねって考えても、解らないのです。
論争しても、無駄なのは、エネルギーの少ない人に言っても、解からないからです。
論争する時間があるなら、瞑想して、エネルギーを高めることです。
原因と結果の法則は、相互に働いているのです。
私が犯した罪は、私が償わなければならないと言うこと・・・。
相手が作った罪は、相手が償わなければならないと言うこと・・・。
例えば、私が相手を痛めつけたとしましょう!
私が相手を痛めつけるには、痛めつけられる原因を、相手が作っていたはずです。
原因なしに、相手を痛めつけるはずがないからです。
でも、相手を痛めつける原因を作ったわけですから、お返しとして、私が痛い目に遭うのは、当然です。
原因と結果の法則は、一直線上に働くのですから、一方的な悪は無いと言うことです。
つまり、 私が相手を痛めつけるには、私の中に、痛めつける原因があった、と言うことであり、相手が痛めつけられるには、相手の中に、痛めつけられる原因があったから、痛めつけられた、と言うことです。
これは、お互い様だと言うことです。
だから、あまり、自分を責めてはいけないのです。
2024.05.19