私たちは、この地球と言う惑星で、日々、厳しい人生体験をさせられています。
昨日も、厳しい一日でした。
今日も、厳しい一日でした。
明日も、また、厳しい一日が、やってくるかも知れません。
でも、その厳しい一日一日が、私たちを成長させてくれるのです。
神のなされることは、完全です。神は、絶対、無駄なことをさせません。
人の目に、失敗に見えることでも、それは、失敗ではなく、成功なのです。
なぜなら、傷を負った皮膚が強くなるように、失敗した者ほど、強くなるからです。
体験は、宝です。どんな苦しい体験も、どんな厭な体験も、どんな辛い体験も、みな、進化成長に必要なのです。
昨日よりも、今日・・今日よりも、明日・・ 明日よりも、明後日・・体験した分、間違いなく、成長するのです。
今日も、厳しい一日だったけれども、必ず、成長している。
そう、自分に言い聞かせ、生きてください 。
どうしても、心が落ち着かない時には、星空を見てください。
美しい星々が、あなたの心を癒してくれるでしょう!
夜空を仰ぎ見ると、青い星や、赤い星や、黄色い星など、たくさんの星々が輝いています。
その星々を見ていると、なぜか、郷愁の思いが湧いてきます。
これは、私だけでしょうか?
皆さんも、そうだと思います。
それは、私たちが、宇宙から生まれた、宇宙子だからです。
時々、星空を見てください! 何とも言えない、幸福感に満たされると思います。
人生を考えるメロディ「星の願い!」
2024.04.27
人間が髭を生やす理由は、三通りあると思います。
私が、ヒゲを生やしている理由は、三番目です。
男性なら、三日に一度は、ヒゲを剃らなければなりません。
でも、ヒゲを生やしていたら、剃る必要がありません。
伸びたら、ちょちょっと、ハサミで整えればいいだけです。
私は、ヒゲを剃る時間を、瞑想に当てたいのです。
社会に出て働いている人は、身だしなみは大切ですから、 髭を剃らなくてはならないでしょう。
でも、私は、働きに出ていないので、あんまり、身だしなみを、気にしなくていいのです。
では、神は、なぜ、動物には、髭を生えさせないようにして、人間には、髭を生えさせるようにしたのでしょうか? 考えてみてください!
私が、なぜ、このような話をするのかも、考えてみてください!
自然界の生き物たちは、生かされるままに生きています。あるがままに生きています。
それが、一番、調和の取れた生き方だからです。
しかし、人間は、どうでしょう! 好き勝手に生きています!
見てください! 人間が作ったもので、美しいものが、一つでもあるでしょうか?
例えば、街並みを見てください!、建物を見てください!、実に醜いです。
それは、動機が不純だからです。「人に良く見られたい! 偉く見せたい! お金儲けしたい!」 そんな、不純な動機で、美しいものが作れるわけがないのです。
完全な神が、この表現世界を創られたわけですから、全て、完全に創られているはずです。
その完全に創られている表現世界を、人間の欲で変えるのは、神に逆らうことになるのです。
自然のままが、一番いいのです。自然のままが、一番幸せなのです。
どうか、生かされるままに生きてください! その方が、気楽です。
表現世界は、思い(意)を表現する場ですから、その人が、どんな思い(意)を持っているかは、表現を見れば分かります。
そこで、神は、私たちに、三つの表現道具を与えてくれました。
それが、「意・口・身」です。
この「意・口・身」は、魂の熟成度を測る、バロメーターにもなっているのです。
「意」は、見えませんから、魂の熟成度を見分けるのは難しいです。
でも、「 口と身」を見れば分ります。
言葉では・・・
話の内容、話し方などから、見分けることができます。
身では・・・
着る物や、身に付ける物や、身を飾る物(刺青・ 髪・ 爪・ 化粧・ 香水など)や、乗り物や、住んでいる家などで、見分けることができます。
同類の魂は、言葉も、身も、似たような表現をするのです。
ですから、表現を見たら、魂の熟成度が分かるのです。
どんなに、繕っても、繕い切れるものではありません。
神は、このように、表現の仕方で、魂の成熟度が分かるようにしてくれているのです。
真実を求めている人に捧げるメロディ「限りなく美しく」
2024.04.26
人類は、「生・老・病・死」を恐れていますが、 この宇宙に「生・老・病・死」というものは、ありません。
特に、死というものは、ありません。
死は、生につながり、生は、死につながっているのです。
もし、死があるなら、終わりがあることになり、この宇宙は、永久に閉ざされてしまうでしょう。
死と生の繰り返しは、「循環の法則」の一側面なのです。
循環しているから、永遠に、生き長らえるのです。
確かに、形(肉体)には、死があるように見えます。
でも、これは、循環している姿であって、死ではないのです。
形(肉体)に、死が無いなら、当然、意識にも、死が無いでしょう。
なぜなら、形を生み出し、生かしているのは、意識だからです。
だから、私は、この宇宙に、死は無いと言うのです。死を恐れてはなりません。
形(肉体)の死は、喜ぶべき変化なのです。
それは、自由に向かって、解放されるからです。
私たちには、二つの永遠の生があるのです。
形の永遠の生は、私たちの考えているような、生ではないかも知れませんが、形は、永遠に、持ち続けるのです。
意識の永遠の生は、魂の生です。
この魂は、どんどん、どんどんと、拡大し、宇宙大になっていくのです。
宇宙には、終わりが無いのです。
終わりが無いがゆえに、二つの生にも、終わりが無いのです。
2024.04.25